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テンポラリー通信

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2009年 04月 15日

伝説の人ー歩行の縦軸(13)

美術の展示を驚くべきマメさで日々紹介しているYさんが、昨日見え早速に佐佐
木展を紹介してくれた。
’90年代から美術評を始めた氏には、佐佐木方斎はすでに”伝説の人”だったと
いう。確かにこの’80年代の旗手はすでに沈黙の内にあり、表舞台から消えたか
に見えたのだ。スキヤンダラスな行状のみが伝わり、表現者としては消えた存在
だったのかもしれない。
私が3年前訪れた時の方斎さんは、床に臥したままのような存在だつた。
豆乳と煙草の新生を頼まれ、同行してくれた花田和治さんと私は買いに出た。
しかしその時部屋の本棚に無造作に積んであった「美術ノート」全巻や「格子群」
ほかの作品を見て、この人の只ならぬ全力疾走の痕跡を改めて深く感受したのだ
。さらに沈黙といわれた’90年代に自宅をカフエとギヤラリーに改装し、かつ当時
まだ数少ないコンピユーターを2台操り、寝る間もなく数千人と交信していた事も
知った。その際作品もまた創られていたのである。それが「メタ」と冠された一連の
作品群である。「メタ絵画」シリーズは、白色を30層に塗り込めた絵画群である。
また今回初めて展示された「メタレリーフ」シリーズは、新建材の一種天井板の石
膏ボードを素材として研磨し着色して創られた作品群である。
’80年代”天馬の如く”飛翔した純粋抽象の一連の作品から、白を何層にも塗りこ
め、また廃棄された新建材を滲みこむような色彩と削りで仕上げた作品を、彼は創
っていたのである。この表舞台から隠された’90年代を私は見過ごす訳にはいか
ない。
<私>という弱い存在を世間という<公>は、無視し退ける。
しかし、個的存在は類的存在としての回路を遮断などしてはいない。
作品がそう語るのである。
弱い<私>は世間という<公>に擦り寄り、認められ、その代償としてなにがし
かの位置を持つかもしれないが、それは個から類へ至る透徹した真の時代性に
拠るものではない。
佐佐木方斎の真摯さは、時代の根の部分に可能な限り真っ当に対峙していた事
である。彼の一連の作品群と行為を見て思うのである。
某電気機器の店内の如く、時間の保水力を喪った速乾性の物の交代速度の速さ
は、人も文化もたちまちにして新旧の谷底へと放り投げられる宿命にある。
ランドフイル(最終ゴミ処理場)の時代である。
豊かさの強欲が生むランドという都市。その豊かさの急速な新陳代謝の果て。
そこにランドとランドフイルの正と負の磁極がある。
佐佐木方斎の’80年代と’90年代は、正にそのプラスとマイナスの磁極を往還す
る振幅にある。あの「格子群」を最初とする三部作から、産業廃棄物を素材とする
メタシリーズへの振幅にその真摯な軌跡を見るのだ。
時代の時間の速乾性は、すでにもうたかが10年、20年すら伝説の神話ヴェール
を纏うのである。
新品の短い命、その後の旧品の長い公害。絶えず繰り返されるそのサイクル。
死ねない廃棄物たちの沈黙の逆襲。保水力の無い物たちの恐ろしいまでの逆存
在。無造作に捨てられ、浮遊する逆保水力。その廃棄物の夢の島的存在こそが
現在の一方の極である。
佐佐木方斎の’90年代は、この時代の本質に触れていたと私は感じている。
チェルノブイリ以降、電力・電気機器、石油燃料・石油化学製品は巨大なエネル
ーギーの豊かさとその排泄物の埋め立てに両端の極を存在させる。
豊かさと廃棄の両端に時代の位相がある。
個的表現が類的表現に至る径庭に、この正と負の現実もまた避け難くあるはずな
のだ。 

*佐佐木方斎展「メタレリーフ」-4月17日(金)まで。
 am11時ーpm7時

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2009-04-15 11:57 | Comments(0)


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