河田雅文さんと一緒に廻る。彼は優れたセンスのアーテイストだ。以前プラハの企
画で九州と札幌を結んだ交換シンポジュームがあり私は講演はせずパラト街道を
参加者と歩きその行為の中で各自が感受した事をテーマにした。その時参加し総
括を書いたのが彼だった。その後英国の美術家ロジャーアックリングの石狩望来プ
ロジェクトで作品記録を編集した時も一緒だった。3年程前マンシヨンのチラシだけ
で構成した展覧会「本日堂々完成」もワサビの効いたいい個展だった。前のギヤラ
リーの入口前にできたマンシヨンの完成を皮肉った批評精神あふれる展示だった。
また最近はビデオ作品を手がけていて携帯自転車で川に入り川の中を走りながら
撮影した未完のいい作品がある。彼の家はちようど界川と琴似川の合流点に近く
川の話でも私と気が合った。そんな彼が半日付き合ってくれた。自分以外の目線
が入るとまた少し見え方が変ってくる。見落としていた物がふっと見えてくる。この
日は狸小路の新しいスペース「スンクガーデン」にちらっと寄った後山鼻、北大付近
中心に廻る。道すがら河田さんの興味がやはり琴似川水系にあるのが分かる。水
源をさっぽろの西の山並みにもつ琴似川は現在のそれよりもはるかに広い範囲で
さっぽろの西南部から北東部を網羅した川である。札幌を造った三つの扇状地の
ひとつ<FK>のKは琴似川の頭文字。ちなみに<FT>のTは豊平川(旧札幌川
)<FH>のHは発寒川である。河田さんと話しているとすでに見た建物、新たな
ゾーンが別のふくらみをもって見えてきた。これでひとつ絞られてきたと思う。
一緒に歩く事の多い酒井さんも実は琴似川の枝に店がある。サカイだ、カワダと
私の原点の界川(さかいがわ)がいるみたいだった。まあこれはただのオジンギヤ
ル?ですがね。夜河田さんと別れた後事務所に帰ると村尾香妃さんからメールで
私が初めて見た夕張が中学の修学旅行で釧路で向かう途中の深夜だった話の
返事だった。真っ暗な夜汽車の窓に忽然として顕われた眩い光と機械音の渦。駅
の周りを覆うその光の空中都市は今もはっきりと脳裏に残っている。村尾さんは
釧路にも幼時期いて夕張と釧路が故郷という。たまたま私の夕張の記憶が釧路行
きの汽車だった事の不思議さを恒平さんの育った釧路との縁と共に語っていた。
彼女はこのブログに夕張の沼田さんを記した時コメントをくれた方である。及川恒平
時計台コンサートの主催者のひとりでもある。及川ー釧路、沼田ー夕張の線がまた
新たな出会いを生む。これも人の伏流水だな。私の中学時代の修学旅行がねえ。
記憶の伏流水が人に触れて、心の列車を走らせている。人の記憶の駅を巡るさっ
ぽろーその入口を思う。