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テンポラリー通信

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2009年 03月 21日

零(こぼ)れるー弥生・三月(18) 

さらに3点の絵ができる。最初に描かれた蜜柑のような赤、そして青。
そこから零(こぼ)れるように、縦20cm横30cmのアルミ板に
青が散って流れている。
さらにピンクの花びらが、縦27cm横36cmほどの紙に散っている作品。
そして縦60cm横20cmのキャンバスにうすい緑と黄色の菜の花のように
描かれた作品が出来る。
これら3点は、最初の赤い円と青から零れ出したものと思える。
水溜りに立ち、足靴と傘の中の頭部を写していたモノクロームな写真の立ち位置
から、赤と凝縮し青が流れ出し、黄・緑・桃が湧出してきたのは作家の心情である
。今日は透明なアクリル板を持参し描き始めている。
当初のモノクロームな水溜りの風景は、俄然色めく色彩の世界に変わってきた。
写真として対自化した心象は、個の内から外部化して今零れるように変化しつつ
ある。極めて女性性として開きつつあると思える。
それはあたかも冬の長門峡のモノクロームな世界にこぼれた<蜜柑のごとき夕陽
>の世界のようである。
無論中原中也とは縁遠い世界なのだが、<蜜柑のごとき>赤の存在、その一点
において私の連想を刺激するのだ。
無彩色の風景に赤を端緒にして拡がるなにか。その意味でである。
ひとりの人間の人生上において、その風景が変わる瞬間が記録されつつある。
写真展として出発した今回の個展が、このような変化を保つ事に批判もあろう。
しかしそれが、純粋な作家の内面から自然に零(こぼ)れだした行為である限り、
その批判は正確ではない。展覧会は、展示という一方通行だけの場ではない。
作家自身も作品を見る立場にあり、そこから享受する立場でもある。
作品という投げられた球は、もう作家の手を離れ宙にある。それはまた作家へと
投げ返されてくる存在だ。そこから感受性のキャッチボールは、第二段階の投球
へと入っていく。その行為が小林由佳さんの場合、絵という形で投じられているの
だ。十勝へ旅立つ前の揺れる心の必然たる表象である。
澄んだ風の寒さが、晴天の冷涼な青を刷く今日。
揺れて零(こぼ)れる心があるからだ。

*小林由佳展「ソノサキニシルコト。」ー3月17日(火)-27日(日)
 am11時ーpm7時・月曜定休。
*及川恒平フォークライブ「はざまの街にて」-3月29日(日)午後3時~
 入場料3000円・予約2500円

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503      

by kakiten | 2009-03-21 13:17 | Comments(0)


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