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テンポラリー通信

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2009年 03月 10日

うつろうー弥生・三月(8)

休廊日。野上裕之さんとかりん舎へ行く。
村岸宏昭さん遺稿集の打ち合わせである。
野上さんは尾道在住で、村岸さんの最後に会ったひとりでもある。
四国の鏡川で溺死した村岸さんの生前を、かりん舎の編集者坪井圭子さん、
高橋淑子さんが聞き取り取材も兼ねて招待してくれたのだ。
鍋料理が用意されて鍋を囲みながら話す。
平岸の某マンシヨン8階。窓の外に西の山並みが広がる。
年末の忘年会で来た事があるが、夜だったので窓外の風景は初めて見る。
夕陽が雲間から洩れ美しい。光が刻々と変化し移ろう。
ふっと壁一面の百余点の青の作品を思い出していた。
その一点づつに刻まれた亀裂。
うつろうものを留める限りない哀。哀は愛だなあ。
愛する人の心のうつろい。その移ろいを留めておきたいと、
何故か切ないまでの過ぎた記憶が感傷する。
うつろうのが、自然なのだ。
それを留(とど)めようとするなにかを、人は芸術というのかも知れない。
村岸さんの不明だった部分を、坪井さんが質問し野上さんが答えている。
記憶が甦り、故人の身動(みじろ)きが浮かぶ。
この3年程の間に5人の親しい人を見送っている。
おくりびとだよなあ、と感じている。生もまた移ろうのだ。
移ろうなかで、変わらずに深く残ろうとするするもの。
記憶という根の先に触れる続けるもの。柔らかい釘のように刺さっているもの。
過ぎていった、もう不在の、だが出血しているなにか。
さらさらと流れる砂時計の穴のような日常に逆らい、
ふっと立ち止るように見詰める時間がある。
移ろうのだが、移ろうことを拒否するように見詰めるのだ。
戻る事は出来ない時間であるが、心は時に、戻っていく。
ただ眺めるように、そこに立つ時がある。
感傷と言えばそれまでである。
感傷ではないのだ。大切な今の原点である。そう思う。
窓外の一気に暮れてゆく空・縁取る峰。故人の記憶を語る声。
そのなかにいて
かりん舎の編集室は、美しく澱み溢れる函のようにあった。
ここもひとつの御獄(うたき)、ひとつのアフンルパル。
佐々木さん、
「朱雀」はあなたの赤い御獄(うたき)かもしれませんね。
作品として結晶した命の朱い刻(とき)。

*佐々木恒雄展「本日ノ庭」-3月15日(日)まで。
 an11時ーpm7時:14日(土)臨時休廊(作家結婚式)
*小林由佳写真展「ソノサキニシルコト。」-3月17日(火)-27日(金)
*及川恒平フォークライブ「はざまの街にて」-3月29日(日)午後3時~
 入場料3000円・予約2500円

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2009-03-10 12:05 | Comments(0)


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