菫の花のような人だった。
昨年9月お亡くなりになった故村岸宏昭さんの母上村岸令子さんのことである。
ふたりの母子が2年の歳月を経て相次いでこの世から去っていった。
死者はもう何も語らないけれど、記憶に遺された風姿と遺した作品、その志の想
いは今も蘇えり心の戸口を叩く。
昨日D新聞社のSさんという記者が訪ねて来る。
村岸玲子さんの絵画作品を、今年の秋絵画教室のA先生の展覧会で別枠に特
集して展示するという。その事に関連して村岸さんの人となりを聞きたいという取
材だった。村岸さんの描かれた絵画は、教えた先生も脱帽する才能があり、そ
の急な死を惜しんで取材の依頼があったという。
私はまだ残念ながらその作品を見た事はないが、樹木を描いたものという。
樹の周りには四季の風景が描かれ、ひとつの絵の中で四季を感じる不思議な絵
だという。そのまだ見たことのない遺作の話をききながら、私にはふっと思う事が
あった。木か、樹なのかという思いである。川で遭難死した息子さんの宏昭さん
が最後に展示した個展の主役もまた樹であった。一本の倒木の白樺を天井から
吊り、そこに白樺の立っていた山中の川の音が、幹に耳をあてると流れていた。
見る人は白樺の幹を抱き耳をあて、その音に耳を澄ました。
村岸令子さんは宏昭さんの死後2年間、彼の遺作展そして作品集の出版に全力
で関った。その過程で死んだ息子さんの心を抱きしめ、未知の生き方、考え方に
、母として未知の子の姿を耳を澄ますようにして発見していたのだ。
白樺を抱く共通の行為を通して、他者と関り自然に触れる装置を村岸宏昭さんは
遺した。数々の楽譜、演奏の音とともに。
村岸令子さんはそうした息子の遺した仕事の数々に触れる事で他者と関り、遺さ
れた作品行為を他者と共有する事で未知の息子に会い、この2年間本当に嬉しそ
うであったように、今思える。
宏昭さんは樹を抱き、令子さんは宏昭さんを抱き、どちらも深く抱き締め耳を澄ま
すことで外界・他者と関り、深く開いていたと思う。
令子さんの遺された絵画には、きっとその心が樹と季節となって描かれているに
違いないと私は思った。ふたりの母子はきっと樹を通して深く抱き、深く開く心の
在り様を遺していったのだ。
D新聞の記者氏は何かを感じたのかまたの再会を約束し、さらなる取材を続け
ると告げて別れた。
死してなお優れたふたりの魂は、こうして何度も私の所を訪れ話かけてくる。
個の魂の保つ深さ、深度は、量数を主とする街の中心と対峙して、真のランド、真
の軸心の在り処を問い続け、励ましてくれているような気が今している。
*高臣大介冬のガラス展「gla_gla CANDLE show」-1月27日(火)-2月
8日(日)pm1時ーpm7時・月曜定休・休廊
*佐藤義光花個展「別世界」-2月10日(火)-15日(日)
*野上裕之彫刻展ー2月17日(火)-22日(日)
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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