人気ブログランキング |

テンポラリー通信

kakiten.exblog.jp
ブログトップ
2020年 01月 09日

大野慶人さん・・・-荒地(7)

3日前横浜へ電話したばかりだった。
言葉にならない声音だけが短く受話機に響いた。
すぐ声が女性に変わって、話すのが今困難なのです。
でも段々よくなってきてます・・・と告げた。
私は今年必ず一度伺います、と伝えて電話を切った。
今日その大野慶人さんが亡くなったと連絡が来た。
深い気持ちが湧き上がる。
大野一雄・慶人というひとつの時代を想う。

1991年9月大野一雄石狩河口公演「石狩の鼻曲がり」で
初めて会い、その前夜祭の後慶人さんが話しかけて来た。
”何故自分は石狩河口で踊るのか、よく解らない・・・”
私は札幌から何故石狩河口まで繋げたかを、札幌円山の地下を
流れる暗渠の川界川から始まった都市と自然の共生のテーマを
熱く語った。
東京生まれ横浜育ちの慶人さんが父大野一雄に従い、石狩河口
の茫々たる大自然を前にしてそこで自分が踊る意味を卒直に
主催者である私に疑問をぶっつけてきたのだ。
今考えれば、太平洋戦争を体験し戦前・戦後というふたつの時代
を生き抜いて来た父と東京と横浜で育ち10歳で初めて父と逢った
子との見えない時代の深い溝がそこには在ったのだろう。
大野一雄は同年2月の吉増剛造展「午後7時の会話」で初めて
お逢いした時私の石狩河口公演の申し出を即座に快諾してくれた。
私は感動してこの公演のポスタータイトルを「石狩の鼻曲がり」
ではなく「石狩みちゆき大野一雄」とした程である。
生涯<父>と大野一雄を人前で呼ぶ事のなかった慶人さんの見えない
屈折が、今となって石狩河口前夜祭の問いかけで思い起こされる。

一昨年2月吉増剛造「舞踏言語」の出版記念会で、指人形の大野一雄
とともにプレスリーの「好きにならずにいられない」の歌曲でひとり
舞踏した慶人さんは、父一雄亡き後始めて肉親一雄を抱いていたと
私は思う。
日本の大きな意味での近代を生き抜いた大野父子。
近代開国の扉をアメリカの黒船がその扉を叩いたように、戦後アメ
リカを代表するポップ歌手エルヴィスプレスリーの歌曲が、ふたり
の父子の見えない近代の壁を開いたのだ。
戦争に拠って引き裂かれた父子の間に深く横たわっていたふたつの
近代という深い溝。
それはあたかも暗渠となった都市の川のように見えない血脈と
して流れていた。
自らの指の一部となって、共に舞踏した父一雄。
そこに、遮り、閉じて分離する近代はない。
あるのは伸び伸び流れ脈打つ舞踏という真の近代だ。

慶人さん、お会いしてお話ししたかったのは、その事です。
西洋のダンスを舞踏として日本近代に根付かせた大野一雄
さんの志を、慶人さんの舞踏としてもう一度見たかった。
郡司正勝先生が晩年最後にあなたの為に遺してくれた台本
「ドリアングレイ最後の肖像」を一緒に実現したかった。
源泉が源流となって沈んでいる札幌の街の中で。
あの指人形の一雄さんの河口への想いと共に。

お別れにプレスリーの「好きにならずにいられない」を
唱和させて下さい。

 海へと確実にそそぐ川のように
 流れに身をゆだねるべき時もある
 さあ手を取って、この命を捧げよう
 君を好きにならずにいられない


 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503



# by kakiten | 2020-01-09 15:54 | Comments(0)
2020年 01月 05日

寒気鋭くー荒地(6)

積雪は少ない。
しかしその分寒気が鋭く感じる。
手先の指が冷える。
利き腕の右の指先が時に青くなっている。
露出し、使う機会が多い所為もあるのだろうが、
通院で注射の際右手を看護師さんに暖められたりもする。

体調不調を書いたら、心温まるご心配のコメントを多々
頂いた。
特に医師でもあるOさんの忠告・助言には心当たりする
処が多かった。
最近の医師は、パソコン画面の患部を見て、肝心の患者
を思わない人が多い気もする。
私の不意の転倒にも、良い杖が沢山出てるよ、階段は
手摺りを使いなさい、筋トレをしたら、と言う医師もいた。
5時間の人工透析中私は左手を動かさず寝たまま出来る腹筋、
膝横倒立、股関節開閉等出来得る運動を試みている。
巡回の院長も、運動終わったか?と声を掛けるほど、もう
半ば公認されている程だ。
背丈より高い下履き棚、階段上り終わった後等の不意の意識
不明は、どう考えても脳・心臓に関わる気がしていた。
杖とか、筋トレ、手摺りの問題ではない。
素人の感じ方だが、ふっと医療に対して疑問を抱いていた。
Oさんの指摘は、その点でとても心に響いた。

現代はなんでも機械操作の時代である。
二本足の人間は機械操作で四輪の四つ足に回帰し、水・食料
・光・寒暖等の自然の恵みは、公共的、経済的社会インフラ
となって自然への畏敬・感謝の心を喪失しつつある。
電気力により増幅された他力は、等身大の自力から指先操作
の筋斗雲・如意棒の孫悟空のような傲慢な力を誇示する存在
となりつつあるような気がする。
社会構造的にも主(あるじ)という個の主体性が希薄となり、
オーナーという名の巨大な社会構造の部分に組み込まれる。
お客様は巨大販売構造の購買客のひとり、オーナーズカード
の一員で、街の薬局・米屋・洗濯屋・酒屋・雑貨屋・駄菓子屋
といった街のインフラを司った主は、大手コンビニのオーナー
となる。
宇宙・地球・自然という大きな生命の源さえ、大都市の世界では
環境というインフラとしか捉えられない時代なのだ。
戦後という日本近代の終焉現代の始まりの時、詩「死んだ男」を
詩集冒頭に記した鮎川信夫の詩は、その意味でも今も深く心に沁
みるのだ。

 たとえば霧や
 あらゆる階段のなかから、
 遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す。
 -これが全ての始まりである。
 ・・・・・
 埋葬の日は、言葉もなく
 立ち会う者もいなかった。
 憤怒も、悲哀も、不平の軟弱な椅子もなかった。
 空にむかって眼をあげ
 きみはただ重たい靴のなかに足をつっこんで静かに横たわったのだ。
 「さよなら、太陽も海も信ずるに足りない」
 Мよ、地下に眠るМよ、
 きみの胸の傷口は今でも痛むか。

ここに記されている<空にむかって眼をあげ>ある時代の終わりを
告げるМの言葉。
<さよなら、太陽も海も信ずるに足りない>
この太陽と海には人間の<故里>が潜んでいる・
里山・里海・・・。
<空にむかって眼をあげ>-ひとつの時代の終焉に、死者は
呟いたのだ。
故里に<さよなら・・・>と。
私は私の戦後の時代が生んだ<さよなら>を想い出す。
しかしその言葉にはある決定的な差異がある。
<さようならと総括>ー奥浩平「青春の墓標」
学生運動でセクトの違った恋人へ遺した、さようならと総括。
<う>が情緒・未練なのだ。

現代の原点に立つ<遺言執行人>の<さよなら>には、もっと深い
響きがある。
故里の故(ゆえ)。
太陽と海にまで至る深い時代の傷口・・・。
75年前のひとつの時代の傷口が、2011年3月11日現代の
出発点として今を撃つ。

私達は限りなく緩慢な<さようなら>を生きているのか。

*川戸郷史ライブー1月12日午後5時~
*収蔵作品展「記憶と現在」-1月中旬~
*高臣大介ガラス展ー1月28日ー2月9日

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503



# by kakiten | 2020-01-05 18:36 | Comments(2)
2019年 12月 29日

〆飾り・花展ー荒地(5)

26日から29日まで村上仁美さんのオリジナル〆飾りと切り花の
展示が始まっている。
稲と穂を括ったシンプルな、しかし稲穂の美しさを充分に惹き出し
た心惹く作品だ。
先日3月展示予定の秋元さなえさんが来て、新たな展開の麦穂で
編んだ長い簾の作品を吹き抜けから設置して展示予行を試みていた
偶然この稲と麦の穂の競演が見れて楽しかった。
人類二大主食の素材がその本来の美しさを見せている。
ふたりの女性の手による偶然が意味深く感じた。

寒暖差が激しかった所為もあるのだろうか、この1,2ヵ月体調を
崩していた。
マンション階段を上り、上り終わって廊下の外向きの窓が開いてい
る事に気が入った時急に意識が無くなった。
後ろ向きに階段踊り場まで転落し、気が付いた。
後頭部コブ、腰骨打撲で他は異常なかった。
その何日か後、今度は通院先の玄関で下履きを壁上段にあった棚から
取ろうとして急に頭が真っ白で意識が無くなり、真正面に倒れた。
額から前方に倒れて、靴を履く時に置かれていた低い木製の椅子が
真っ二つになっていた。
空手の名人が割ったかのようだった。
翌日額に青い打撲痕が痣となり両目の下に拡がった。
まるで青い眼のパンダのようだった。
看護婦さんが、後でアイシャドウを塗ったみたい、と揶揄った。
私は、ブルーブルーアイシャドーと駄洒落で返した。
この時も胸骨打撲と顔面殴打だけで済んだ。

二回ともふっと意識が消えたのが気になる。
最近血圧が低い事もあるのかも知れない。

*〆飾り・花ー12月29日〈日)まで。
*川戸郷史三線ライブー1月12日午後7時~入場料1000円
*ふたつの視座展ー1月7日ー24日
*高臣大介ガラス展ー前期・1月28日―2月2日
   「あふれでる」後期・2月4日ー9日
*秋本さなえ展ー3月17日ー22日

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503


# by kakiten | 2019-12-29 12:46 | Comments(0)
2019年 11月 17日

空にむかってー荒地(4)

冬が来た。
光が空から降ってくる。
地上の雪に反射して、上から下から白い光が世界を包む。
寒さに身体は震えながらも、眼は白銀を受け止めている。

宮城県石巻の夏、太陽と海の浜を想い出す。
Ki君とKA君が防潮堤を越え煌めく陽光の海を泳いだ記憶が
夢のようだ。
午後の太陽が真下の海面に光のランドを浮かべ、そこから
光の道が岸辺へと伸びて来た。
三人は防潮堤の石段に坐り、光の道の延びる海と太陽に向か
ってKA君が三線を弾き唄う。
私とKi君は海と太陽に向かい手拍子を打ち、後ろでМさんは
踊り続けていた。

白い白銀の大地。
煌めく光の海。
光の記憶。
ふたつの季節の海と太陽が重なる。
そして、蘇る。

 いつも季節は秋だった、昨日も今日も、
 「淋しさの中に落ち葉が降る」
 その声は人影へ、そして街へ
 黒い鉛の道を歩みつづけてきたのだ。

 埋葬の日は、言葉もなく
 立会う者もなかった。
 憤激も、悲哀も、不平の柔弱な椅子もなかった。
 空にむかって眼をあげ
 きみはただ重たい靴のなかに足をつっこんで静かに横たわったのだ。
 「さよなら、海も太陽も信ずるに足りない」
 Мよ、地下に眠るМよ、
 きみの胸の傷口は今でもまだ痛むか。

またしても私には、鮎川信夫の「死んだ男」の最終行が浮かんで来る。
私達の現在の起点、戦後近代の基点の「さよなら、・・・」。
それは1960年代岸上大作の「意思表示」の<断絶・しゅったつ>
、奥浩平の<さようならと総括>へと私の内部で木霊する「さよなら」。
鮎川信夫が書き記した<黒い鉛の道><重たい靴のなか>。
<さよなら>の戦後近代の出発点を、私は3.11の牡鹿半島・鮎川
で深く感受していたのだ。
「黒い鉛の道」は、「重たい靴の中」は、国土強靭化計画の黒い、重た
い防潮堤のように渚を塞ぎ「海と太陽」を遮っていた。
私たちの本当の<さよなら>、その胸の傷口は今も顕在化してはいない・・。

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き






# by kakiten | 2019-11-17 18:07 | Comments(0)
2019年 11月 09日

喪った森・一本の樹ー荒地(3)

木を見て森を見ず、という言葉がある。
今の季節一本の裸樹の立ち様を見ていると、この言葉が
反語のように思えてくる。
森を見て木を見ず、である。
多くの木の集まる森の大きさに囚われて、個々の樹の保つ
立ち方・生き様を感じられなくなったら可笑しい、と思う。
政治や経済という社会的インフラの側に立つ価値観には
俯瞰体として森を見るような価値観があるだろう。
一方文化や福祉の側から見れば、一本の樹のような個の
価値観が重要な筈だ。
昨今の社会情勢は、明らかに多数体・集合体である森に
依拠した価値観が支配的である。

葉が衣装のように色彩を変え、やがて裸木となって立っている。
個々の樹の立ち姿が、それぞれ個性的で厳しく美しい生命の裸形
を見せてくれる。
公園の片隅の美しい一本の裸樹に、私は喪われた森を感じた。
オリンピックをはじめ、ビエンナーレ、トリエンナーレと
国際的な大きな森のような催事が盛んであるが、元を正せば
個々の作家、競技者がのあつての祭り・集合体なのだ。
一本の樹の立ち姿・生き様を抜きにして、森はない。

芸術の秋、という季節柄、多くのフライヤー他印刷物が送られてくる。
このDМは最終的にひとりの個のもとに発送され手渡される。
何百、何千、何万枚刷られようと、最終的にはたったひとりの手に
届ける為である。
演技する者、競技する者、描く者、創る者、発するのも個である。
集合する森のような大きさ・広さに囚われて、個の心の裸魂・裸木
を見失ってはならない筈だ。
東京・札幌オリンピック騒動、各種国際芸術祭等の喧騒に、森を無
くしたたったひとりの裸木に心寄せて想う。


 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503



# by kakiten | 2019-11-09 17:19 | Comments(0)
2019年 11月 02日

裸樹ー荒地(2)

樹の葉が落ちてきた。
緑陰が消え次第に幹と枝・梢が露わになる。
雪虫が予兆のように舞っていた。
やがて雪が降り、吹雪の朝樹は半身白い翳を纏って、
生命の裸身をすくっと顕すだろう。

山へ行きたいなあ、久しぶりに渇きのように想った。
道無き急な斜面も両手で小枝・草を掴み獣のように登った。
こういう斜面は両手・両足登りの方が楽だった。
そして五体五感が解放される。
山での快感のひとつだった。
山は高さだけではない。
途中の登路が豊かであれば低い山も素晴らしい。
街の道も同じだ。
広い直線道路、高層ビルより、裏通り、仲通り、坂道、
行き止まり・・・そして並木道。

もう自転車にも乗らなくなって、風と光を身に感じエルムの
森を疾走る事もなくなった。
地下鉄や地下通路、電車や車の比率が増え、移動が主となり
身の幹の枝・葉が枯れてゆく気がする。
最速・最新の移動インフラで都市構造は鎧われているから、
裸身の五体五感から遠のいて生きている。

遅くても、高くなくても良い。
好きな山を這うように登ってみたい。
私の中の、心の裸樹が呟いている・・。

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503


# by kakiten | 2019-11-02 13:55 | Comments(0)
2019年 10月 26日

樹木という身体ー荒地(1)

朝、歩いていて目眩がした。
いつも近道に斜めに通過する道角の公園。
そこのベンチで休む。
目眩が止み、ふっと眼を上に向けた。
砂場の傍に立つ一本の大きな木。
近道に通り過ぎていた時には、気が付かなかった。
樹枝と幹、梢と葉の美しさ。
久しぶりに感じる樹の身、幹・梢・枝葉。
梢は光を求めて空にむかって根を張り、根は水を求めて、
土に根の梢を伸ばす。
その垂直な生命の時間が、天地に立つ樹木全体に溢れていた。
きっと公園になる以前から此処に立っていた樹なのだろう。
垂直に立ち、天地を全身で抱いていた。
そして、想った。
人間が遠い昔四つ足だった頃、世界は躍動する横軸の世界。
ジャガーやライオン、馬や鹿のように疾駆していた。
前足が両手となり、二本足になって人間は初めて縦軸の
垂直の世界にも生きるようになる。
動物的生き方と植物的生き方の両方を保った生き物が、人間。

何時か、移動の直線・横軸主体の都市構造に疲れていた。
植物・動物両方の視座・生き方の存在を、目眩の休息・坐
る・ベンチが教えてくれる。
<空にむかって眼をあげ>は、死者だけのものではない。
空と土に向かって根を張りー光・水に触れるのが、活きた
人間の本来の生き方でもあるのだ。

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503


# by kakiten | 2019-10-26 15:20 | Comments(0)
2019年 10月 23日

都市の起点ー子の近代(10)

宮城県牡鹿半島鮎川への旅は、私の鮎川信夫への旅でも
あった気がする。

昨日夕刻大学出版に関わる仕事で来札した竹中英俊さんが来る。
今月の訪問では、私の先輩門倉弘さんの関わった本「芸術・国家
論集」を持参するという事前連絡があった。
そこでふっと棚奥に袋に詰めてある早稲田大学新聞の古い束を想い
出し、引っ張り出した。
竹中氏の持参される本に登場する論者達は、すべてが門倉先輩の
時代に大学新聞の常連で書いていた人たちだったからである。
中村宏、大久保そりや等々・・。
引っ張り出した袋にはその他色々なものが詰まっていた。
札幌に帰ったころ札幌でも主版されていた「読書北海道」新聞、気
になった記事の載る朝日・読売・道新等の新聞紙。
そしてその中に友人たちと出していた「プロヴォ」という状況論誌
があった。
その一冊、かって私が書いた<都市の起点ー鮎川信夫「白痴」抄描>
が載っているではないか。
読み返し、今回の旅で感じた鮎川信夫への焦点が、すでに予感される
ように展開されている事に驚きを抑えられない。
以下引用。

 ひとびとが足をとめている空き地には
 瓦礫のうえに材木が組み立てられ
 槌の音がこだまし
 新しい建物がたちかけています
 やがてキャバレー何とかとか
 洋品店何々になるのでしょう
 わたしはぼんやりと空を眺めます
 ビルの四階には午後三時から灯がともり
 踊っている男女の影がアスファルトに落ちてきます

               「白痴}1951年「荒地詩集」

戦後間もない時期に記された鮎川信夫の詩行は、私達の<空き地>
から<都市>の始まりを、白黒の記録写真のように確かに捉えて
いると、私は感じている。
ーーー
空襲と爆撃が残した可視の廃墟が、不可視の廃墟へと暗転する
一瞬を、私は、ひとつの<始まり>と思うのだ。
ーーー
戦後の都市の始まりを、<ぼんやり空を眺め>る行為によって
受け止めた鮎川は、<空にむかって眼をあげ>という明白な一行を
意志する事で「死んだ男」を1955年にもう一度書く。
それは「埋め立て」と「解体」の上に浮かび上がった都市の構造を
敗戦後の<廃墟>と<死者>の眼差しによって透視するものだ。
私達の<都市>に対する起点は、そこを起爆点として<摩天楼>か
ら<鹿鳴館>まで撃たねばならぬ。
                 (プロヴォー7号載)

すでにこの時ふたつの近代への視座が語られている。
摩天楼=タワービル群、鹿鳴館=という洋館街。
明治以降大正・昭和初期のモダニズム・都市化。
敗戦後の米国化モダニズムの市街地化。
復興の足元に横たわる<埋め立て>と<解体>を、死者の目線から
透視した鮎川信夫の1945年の視座は、今も近代と現代を繋ぐ橋上
人の、ラデイカルな視座として現在に繋がるものと思える。


 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503           


# by kakiten | 2019-10-23 14:32 | Comments(0)
2019年 10月 17日

遺言執行人ー子の近代(9)

 たとえば霧や
 あらゆる階段の足音のなかから、
 遺言執行人がぼんゃりと姿を現す。
 -これがすべての始まりである。
 ・・・・・・
 いつも季節は秋だった。昨日も今日も、
 「淋しさの中に落葉がふる」
 その声は人影へ、そして街へ、
 黒い鉛の道を歩みつづけてきたのだった。
 ・・・・
 埋葬の日は、言葉もなく
 立ち会う者もなかった。
 憤怒も悲哀も、不平の柔弱な椅子もなかった。
 空にむかって眼をあげ
 きみはただ重たい靴のなかに足をつっこんで静かに横たわったのだ。
 「さよなら、太陽も海も信じるに足りない」
 Mよ、地下に眠るMよ、
 きみの胸の傷口は今でもまだ痛むか。
 
        (鮎川信夫「死んだ男」第一連と第四・五連から)

連日続く19号台風・大雨被害被害地の報道画面を見ていると、昨年
今年と初めて訪ねた栃木県足利市界隈、宮城県石巻市界隈の風景と今
が重なり、かつ8年前の2011年3月11日の東日本大震災の今も
工事中の防潮堤、廃校・墓石群等の風景が重なる。
繊細で弓形の海に浮かぶ日本列島。
海に囲まれ豊かな山と森と川の島国。
その地を戦災が覆った70余年前1945年。
そしてさらにその70余年前に鎖国を解き、文明開化の旗の下近代日本
が出発したのだ。
近代化とともに新たな文化がモダニズムとして芽生えていく。
そのひとつの破綻を冒頭鮎川信夫の詩は伝えている。
地震・水害・風害といった自然災害と人災である戦争災害とは違うかも
知れない。
しかし人を取り巻く社会環境、国家・社会と、生命を取り巻く宇宙、
地球・自然環境とは人間の基本的基幹環境なのだ。
鮎川信夫の戦後直後に発表された冒頭の詩は、何故か今こそ胸に沁みい
るものがある。
原子力に象徴される<爆弾><発電>の相違が近代150年余の近代と
現代の分岐界にあって、今暗渠のように流れている気がする。
宮城県牡鹿半島の繊細な岸辺たち。
里海の美しい光と波の波長。
栃木県足利地方の遠い生垣のような優しい山たち。
里山の豊かな恵み。
この人間社会と自然世界の両方が音立てて崩れ、光と水と風を蝕む。
そんな時代の予言のように、鮎川信夫の「遺言執行人」が姿を顕すのだ。


空にむかって眼を上げ
きみはただ重たい靴のなかに足をつっこんで静かに横たわったのだ。
「さよなら、太陽も海も信ずるに足りない」

この<重たい靴>と<太陽も海も信ずるにたりない>の呟きの内に
国家・社会と地球・自然の傷口が、陰画のように今という時代が見
える気がする・・・。

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503













# by kakiten | 2019-10-17 17:15 | Comments(0)
2019年 10月 08日

一身(いっしん)-子の近代(8)

牡鹿半島・鮎川。
詩人の家・古い酒屋の店奥に座す吉増剛造の姿を見た時、ふっと
祖父の姿を想い出していた。
札幌都心部では市街地再開発法により都市の高層化が推進され、
こうした商店主が消え、多くの店はテナント・ショップと化した。
そして店の土地家屋は資産の持ち主=オーナーと名を変える。
生業(なりわい)の内にすくっと座す店主の姿が消える。
この時私の生まれた町内では明治生まれの老書店主が、私達地権者に
病床より<友軍三将に告ぐ>と記した書を送り、公的訴訟を提起した。
書店の奥の一段高い、店内を見わたす位置に座し、時に長く立ち読み
する子供たちに、本の埃を払うようにハタキを掻ける事もした。
子供心にもどこか畏れ敬う、その道専門に生きる人のオーラがあった。
幼少年期の身近な風景・空気。
生きる人の<身>の姿が甦った。

吉増剛造は1992年春客員教授として地球の裏側のブラジルに旅立った。
そこで明治以降蓄積され培養された日系移民社会に遺る純粋な日本の精神
風土と出会い、戦後育ちの詩人は多分そこに多大な衝撃を受け蟄居・自己
幽閉状態に陥った。(裸のメモー「木浦通信」・矢立出版より)
帰国後再生を志し、ブラジル行前年明治生まれのモダニスト・大野一雄の
舞った石狩河口に滞在し「石狩河口/坐ル」を実行する。
そして石狩川支流夕張川源流を遡上し名作「石狩シーツ」を著した。
2011年3・11以降「石狩河口/坐ル ふたたび」の試行を戦後
近代の根の再生として今に至るまで続けている。
今回北上川河口域に近い牡鹿半島先端鮎川に座し、自らの<身>の
坐ル→座ル・姿を<身>を以て曝し、近代/現代の(さかい)に<座>
していた気がする。
私が牡鹿半島先端・鮎川で見た吉増剛造の<身>の置き様とは、私の
記憶に遺るある時代までの店主の身の置き所に近い。

近代と現代の境目が、今音もなく静かに加速して顕れ始めている。
荒涼たる破壊の廃墟を生む原子力・バクダンは、安心・安全・便利の
原子力・ハツデンに変わる。
店主がオーナーになり、店がテナントになり、座るが腰カケルになり、
身(み)という言葉がボデーとなっていく。
即物的で身も蓋もない並列的で踵喪失の今が速度を上げている。
それが現代的というなら、今こそ近代そのものを問わねばならぬ。
吉増剛造の坐ル→座ルは、近代の原点から現代への静かな逆襲。
現代へのラデイカル(基底的な)界(さかい)への挑戦だと思える。

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503



# by kakiten | 2019-10-08 16:54 | Comments(0)