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テンポラリー通信

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2019年 08月 25日

斎藤周展始まるー子の近代(1)

前回ここでの個展では、斎藤周さんの幼少時の家屋がメインにあった。
父上の建てた木造二階建てのアトリエ兼住宅。
その家屋を懐かしさと愛情に満ちた筆致で描いていた。
その前に先立つ個展では、父とよく行ったニセコ・ヒラフのスキー場。
そこでの楽しい少年期の思い出が蘇り、長年の父子の美術家としての
対峙が消えて伸び伸びと描かれた山が出現していた。
幼少期過ごした家屋の絵画は、斎藤周の絵画歴で初めての事だ。
大野慶人と一雄父子に倣えば、この家屋は慶人さんの父を模した
指人形のように私には思える。
そしてニセコ・ヒラフのスキー場は、慶人さんが指人形で踊った
背後の音曲エルヴィスの「好きにならずにいられない」だ。
肉親としての父子が、国家社会の時代区別を超えて繋がり再生した
のだと思う。
形(かたち)と容(かたち)。
外的要素から見える形(かたち)と、内面から発する容(かたち)。
斎藤周さんの画業も時代社会という外在的要素から生まれる父子の
違い・対峙から、生き方・思想という内面的位相から父を見る容貌
という容(かたち)の顕れに転位してきたと私は思う。
今回の個展では、より自己に忠実に内面に根付いた根の分かれ、梢の
枝分かれのように裾野が開いている。
形容でいうと、形的には今までに無い細長い横長のキャンバス。
そこに描かれた長い山裾の山の容(かたち)。
画業を通して在った、父・子の繋がりと違い。
ふたたびの出会いが、ある成熟を保って今窺われているのだ。
洋画という近代が、父子の内面の葛藤を超え、開かれている。
こうした個の内面こそが、すべての出発に存する。
そこを抜きに真のかたち(形・容)は生まれない。
斎藤周のこの転位を、私は、嬉しくそう思う。

大野慶人さん、斎藤周さん。
戦後世代に、個として正当な近代が芽吹いている。
それこそが、我々の正当な現在。
現代へのホップ・ステップ・・・だ。

*斎藤周展「標」-8月23日(金)-9月1日(日)
 am12時―PМ7時:月曜定休日;28日水曜日午後3時閉廊。

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503



# by kakiten | 2019-08-25 15:40 | Comments(0)
2019年 08月 04日

体制としての近代ー大野一雄の戦後(11)

1929年大野一雄23歳、帝国劇場で初めてラ・アルヘンチーナ
を観に行き強烈な感動を受ける。
戦前昭和モダニズムの最後に近い時代・大野一雄舞踏の源流。
その源流は国粋化・戦争で踏みにじられ、流れはショートカット
され暗渠と化す。
大野一雄にとって敗戦後の近代化とは何だったのか。
明治以降の近代化・西洋化・欧米化の流れは、敗戦後米国の占領下
で米国化・民主主義が主流の近代化が進んだ。
今ある現在の社会的下地が、体制インフラとして整えられたのだ。

そこでふっと思い出した言葉がある。
三公社五現業である。
内容はもう不確かなので、古い辞書で調べる。

三公社ー国有鉄道・電信電話公社・タバコ・塩専売公社
五現業ー郵政・国有林野・印刷・造幣・アルコール。

今はほとんどが民営化された国家事業である。
そして官の体質を今も色濃く残す企業体だ。
こうして観ると、官の時代よりも民の時代の今の方が、より
官の体質が濃くなっている気もする。
最近の簡易保険不法勧誘問題を見ても、そうだ。
公社の<公>意識がお上(かみ)の目線で、パブリックという
<公>ではないままの気がするからだ。
アメリカが民主主義・デモクラシーとして植え付けようとした
公概念は、民を基底とする公(おおやけ)だった筈だ。
生活の基底を為す三公社五現業の公的位置は、民営化される前
の方がまだ社会奉仕的存在だった気がする。
民営化とはある面でアメリカ化・物流至上化であり、公から
民間企業の利益追求の現在として今がある。
新幹線・リニアカーに奔走し、JRタワーに象徴される国鉄に
それが顕著だ。
電信電話公社もまた然りである。
戦後の近代化とは、アメリカ化に象徴される近代でもある。
多国籍国家体であるアメリカは、ネーションという一民族を
主体とする国家ではなく、多国籍民族のランドとして成立し
ている経緯がある。
従ってその理念は、自由平等の民主主義が基底にあり、食物で
いえば、缶詰・トースト文化なのだ。
イギリスパン、フランスパン、ドイツパンのような民族個性は
薄く、平等なカット、トーストパンのような均一性が本質に在る。
アメリカンドリームが一攫千金であるように、多数決原理の普遍
風土が建国時から基底にある。
米国型民主主義とは、文化の保つ民族固有の個性とは合致しない。

大野一雄はそうした戦後文化の中で、日本固有の歌舞伎の伝統
女形・衣装の早変わり等の伝統文化を継ぎつつ、ダンスならぬ
独自の舞踏を創りだしてきた。
インフラとしての国家社会を通底し、宇宙・地球自然の地平に
立脚した生と死を往還する舞踏を続けていた。
グローバルという米国型物流の国際化ではなく、インターナショ
ナル、インターローカルな国際化を試みたと私は思う。
人類という人間に届く、公(おおやけ)の為の舞い・舞踏。
故郷函館で生まれ得た大野一雄の近代モダニズムは、エルヴィス
の唄・詞・曲を掴み大野自身のアメリカ・ランドを彼の戦った米国
から解放したと思える。

2010年6月死去した百三歳大野一雄は、その一年後の3月11日
東日本大震災、未曽有の災害を起こした原子力発電所事故をどう思
っただろう。
1945年8月破壊と廃墟の原子力・爆弾。
2011年3月人が消え無人の町を生んだ原子力・発電事故。
鬼畜米英の旗の下、平和利用の名の下、原子力による破壊。
戦後近代も破壊の形を変えた戦争、効率という名のショートカット
固有文化の暗渠化が露わになったのではないのか。
大野一雄の歩んだふたつの近代を、私たちは如何に受け継ぎ生きて
行くか、それは今も問われ続けている。


*追悼・大野一雄展ー8月18日まで。
*斎藤周展ー8月23日(金)-9月1日(日)

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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# by kakiten | 2019-08-04 16:56 | Comments(0)
2019年 07月 27日

ひとり、ひとりの時代・社会ー大野一雄の戦後(10)

延長しながら続けて展示している追悼・大野一雄展。
熱心に見てくれる人、大野一雄を知らない人も、いつか資料や話
を聞いている内に心が入ってくるのが分かるのだ。
そんな人たちには奥の談話室でたった3分の慶人さんの親指人形
の舞いの映像を見せている。
父大野一雄をなぞった指人形。
エルヴィスの「好きにならずにいられない」の曲・詞・唄に乗せて
自身の身体の一部となった父と踊る。
顔の表情と指人形の動きだけ。
しかしそのふたりの間・宙(そら)には、10歳で父と呼ぶ人と初め
て逢った亀裂の時間を埋める、限りない父・子の愛が垣間見えるのだ。
これを見て眼から水が噴き出すように、涙を流した人。
ただ黙って眼を潤ましていた人。
多くの人が大野一雄の生涯の舞踏の記録と、父・子の人生の記憶に
感動し共感してくれた。
大野一雄は生涯、戦場で体験した何千人もの戦死者・戦友への想い。
その生と死の界(さかい)を、舞踏という表現回路で拓き、繋げる
事を志・事とした。
舞踏を志した青春のラ・アルヘンチーナ。
戦中8千人の内6千人の死者を見た記憶。
敗戦後帰国の船上から見た水葬者と水母の群れ。
大野一雄の踊りの原点には、これら多くの死者がいる。

大野慶人には10歳で初めて逢う父・子の乖離という見えない戦場
があった。
生涯父を父と呼べなかった乖離がある。
しかし父の死後エルヴィスの「好きにならずにいられない」の歌曲
と共に顔の表情と父を模した指人形で踊る慶人に、もう乖離は無い。
エルヴィスのこの歌曲を選び、父・祖父の働いたカムチャッカへの
公演を熱く語った晩年の大野一雄。
ふたりは個として、断絶した日本の近代を再構築し、自らの表現の
回路としたのだ、と私は思う。
大野一雄の傷だらけの戦後近代とは、死者を想い死者と共に生きる事。
息子慶人はその見知らぬ父・大野一雄と呼ぶ人と共に生き、父・子の
絆を繋げる事。
このふたりの個の軌跡こそが、戦後近代の根幹に開かれている現代の
個の源流と私は思う。

Like a river flows surely to the sea 海へと確実に注ぐ川のように
daring so it goes some things are meant 流れに身を委ねる時もある
to be
Take  myhand take my whole life too さあ手を取って この
                      命を捧げよう     
For ican't help falling in love with you   君を好きにならずには
                      いられないから

*追悼・大野一雄の戦後近代展ー8月18日まで。
 am12時ーpm7時:月曜定休;水・金曜日午後3時閉廊。
*斎藤周展ー8月23日ー9月1日

 テンポラリ―スペース北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503   






# by kakiten | 2019-07-27 16:37 | Comments(0)
2019年 07月 21日

石狩・カムチャッカー大野一雄の戦後(9)

1999年8月大野一雄宅で収録された吉増剛造と大野一雄
の対話「生と死の舞踏(石狩ーカムチャッカ)」で大野一雄は
語っている。

 戦時中、私はニューギニアで二年間将校として働いていました。
 あるとき八千人の人が移動して、前の人が道に迷うと、それに
 ついて行った六千人が死んで、二千人が残った。
 そして食うや食わずで体がボロボロになって、おできができてね
 ・・・・・
 いよいよ負け戦になって終戦になったわけです。
 一万トンの船に何千人と乗って日本に向けて出発する。
 ・・・・けれども、次から次へと人が死んでいく。すると、国旗に
 包んで水葬をやるわけです。ブーッと汽笛を鳴らして、二回か三回
 か船を回すのです。本当にそれはね、悲しいですよ。

ラ・アルヘンチーナの公演を見た青年時代、
その舞踏への憧れは、国家の一元的なショートカット価値観によって
暗渠化し、戦争従軍に埋没していった。
奇跡的に帰国を果たした1948年、息子慶人は10歳で初めて
父一雄と対面する。
そしてついに父の生涯中、父とは呼べなかったと回想している。
慶人さんの10歳以降の人生は、米国が占領し自由・平等を理念と
する米国型民主主義の時代である。
そこには、父一雄が体験した阿鼻叫喚の日常の地獄はない。
その意味で、私たちの多くは慶人さんの時代を前提に今がある。
大野一雄が生き抜いた近代とは、明治・大正の18世紀末から
20世紀にかけての大きな亀裂の近代と言える。
モダニズムの芽生えと断絶を経て、帰国後の大野一雄の真の人生
があったのだ。
慶人さん世代以降の現代とは、ある意味でそれ以前の近代化・挫折
をショートカットし、暗渠化された日常・平和を生きている。
昨年亡き父一雄に代わり、吉増剛造「舞踏言語」出版記念会で指人形
の一雄と共に見せた舞踏。
エルヴィスの「好きにならずにはいられない」の曲・詞・唄の舞踏
は、顔の表情と手だけで見えない父子の近代の陥穽を見事に埋めて、
父子の情を顕わにしたものだった。
そのエルヴィスの曲について、上記と同じ対談でさらなる展開を大野
一雄は語っていた。

 これからこういう舞台を演るのです。カムチャッカのヒグマです。
 ・・・・
 家は船を三艘持っていて、カムチャッカで漁業をしていました。
 ・・・・2,3年前に親戚の叔母さんからの手紙で、そこがどこ
 なのか知ったのです。ですからカムチャッカのどこに行って踊り
 たいかはちゃんとわかっているのです。
 ・・・・わたしはカムチャッカに行って、日本の人、それから
 ロシアの人に踊りをちゃんと見せて、交流しよう、お互いにつな
 がっていく力になりたいと。
 ・・・・
 そういうなかで、今度は「偉大なる神」プレスリー、「好きに
 ならずにはいられない」のプレスリー、こういう曲をいれて
 踊ります。

この対話では石狩―カムチャッカを繋ぐ鮭から羆を主題とする
生と死の熱い想いを語っていた。
石狩河口公演以降、稽古場でも使っていたというエルヴィスの
曲「好きにならずにはいられない」。
この時点で大野一雄の中で、あの阿鼻叫喚の日本・米国戦争は
国家・社会の位相から宇宙・地球自然の生命の境地に入魂して
いたと私は思う。
その深い転位は、きっと長い父子の間の陥穽も埋めたのだ。

大野一雄を、カムチャッカに行かせたかった。
そしてロシア人と先生のお父さん、お祖父さんと、プレスリーの
「好きにならずにはいられない」の曲に乗せた先生の羆の舞踏を  
見たかった。
地球大自然・宇宙の階(きざはし)のような石狩河口公演の後、
国家・社会を越境し、生と死を越境する、大野一雄の渾身の近代。
その狭間・界(さかい)に、米国ではないアメリカ・ランドが
垣間見える。

 反コロンブスはアメリカを発見せず
 非ジェファーソンは独立宣言に署名しない
 われわれのアメリカはまだ発見されていないと

            鮎川信夫「アメリカ」1947年7月

百年の近代を超えてきた優れたふたりのモダニズム。
そのふたりの近代が、現代の根として、眼として激しく交感し、
我々の現代の足元に在るのだ。

*追悼・大野一雄の近代展・三期ー8月18日まで。
 am12時ーpm7時:月曜定休:水・金曜日午後3時閉廊。
*斎藤周個展ー8月23日ー9月1日

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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# by kakiten | 2019-07-21 14:13 | Comments(0)
2019年 07月 11日

近代・百年の根ー大野一雄の戦後(8)

大野一雄百三歳の一生。
明治9年(1906年)10月27日函館市弁天町に生まれる。

一雄の忘れられない母・緑の手料理は、バターの香りのする
コキーユ(ホタテ貝柱のグラタン)だった。

と、「大野一雄百年の年譜」(フイルムアート社)に記されている。
そのように、函館は日本近代と共に育ったモダーンな港街だった。
大野一雄の近代とは、この母の作る手料理コキーユからすでに
体内化してあったのではないだろうか。
その近代の萌芽は、その後23歳の時帝国劇場で見たラ・アル
ヘンチーナの舞踏に強烈な感動を受けて発芽する。
日体大卒業後、横浜のミッションスクール関東学院に就職し
キリスト教の洗礼を受ける。
函館から横浜へ。
日本の開国と同時に開かれた近代を具現化したふたつの港街。
関西の神戸とともに、外人墓地があり、キリスト教会、ハリスト
ス正教会が建つ街だ。
大野一雄のモダニズム・近代の根は、こうした環境によっても
育てられたのだろう。
この時代近代化とは、西洋=欧米というコアが根を為し、そこで
ラ・アルヘンチーナの舞踏世界との出会いは、大野一雄にとって
決定的な人生上の志路となった。

人間は環境の動物である。
明治以降近代化の土壌で育ったモダニズムの根は、昭和に入り
1935年以降、日・独・伊の国粋主義の暗渠に埋もれその根は
国粋主義の排他的戦争・鬼畜米英へと呑み込まれた。
人間には大きくふたつの環境がある。
国家・社会という時代環境。
命として地球に存在する宇宙・地球環境。
このふたつの大きく人間を取り巻く環境で、個として大野一雄は
宇宙・地球環境に根を置く、生命の土壌に表現の場を見出した。
戦友の死、その多くの死者の魂を帰国途上、海中の水母の群れに
見た時、大野一雄のモダニズムは、人間以外の生命の生きる地球
・宇宙を環境・土壌として、再び舞踏の世界で深呼吸し生き返っ
たのだと私は思う。
戦後、国家・社会の環境は米国民主主義で装われ、発達した多彩な
社会インフラで死の影を消したかに見えるが、原子力爆弾を原子力
発電と言い換え、訪れたかに見える平和と安全は、真に命の環境、
宇宙・地球の土壌に根差す根となっているのだろうか。

大野一雄の舞踏には、宇宙・地球・生命の土壌に根差した真のモダ
ニズムが生きている。
”私がいつも想っている、命の根源に還って、という風景がここに
はあります・・・。”と、語った石狩河口公演終了後の挨拶。
その後稽古場でいつも流したというエルヴィスの「愛さずにはいら
れない」。
国家・社会を超え、宇宙・地球。生命に根差した大野一雄の本当の
近代の終わりと始まりが、この時あったように私には思える。

*「追悼・大野一雄の近代」展ー8月28日まで。
 am12時ーpm7時:月曜定休:水・金曜日午後3時閉廊。

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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# by kakiten | 2019-07-11 17:32 | Comments(0)
2019年 07月 06日

境(さかい)から界(さかい)-大野一雄の戦後(7)

ある時心に沁みた一滴の感動。
それは小さな流れとなり、感動の共感はさらなる流れを生み
生きる領域を結ぶ交感の流れとなる。
大野一雄にとってのエルヴィスは、かって国家間の戦争に拠り
隔てられていた父・子の10年の溝も繋いだと私は思う。
  
 私は十歳の時に初めて父親に会ったんですよ。写真の中でしか
 見ていなかったんですね。初めて会ったときに不思議な人だな
 あと思って。父親という感じがしないんですね。だからいつも
 父親じゃなくて、大野一雄、大野一雄と。だからお父さんと呼
 んだことがないんですよ。
  (2010年7月14日大野一雄追悼大野慶人発言から)

この対談は吉増剛造写真展「盲いた黄金の庭」冒頭に石狩河口公演
映像をバックに行われた。
この記録は昨年出版された吉増剛造「舞踏言語」(論創社)に、
「火炉の傍らに立つ巨人」として収録されている。
そしてこの本の出版記念2018年9月28日の会で、大野慶人
が披露した父一雄を指人形とした舞踏に私は深い感動を受けた。
エルヴィスの唄・曲・詞に逢わせる顔と手の表情すべてに、もう
ふたりの間を隔てていた戦争は消えていた。
言葉は無くとも、慶人さんは”お父さん”と呼んでいた気がする。
指人形という自分の指に、父一雄は身の一部として存したのだ。
たった3分間のエルヴィスと指人形。
この時慶人さんは、見えない心の日米国家間の戦争で喪われた時間、
それをとり戻したのだ。
舞踏する身と心が、エルヴィスの「愛さずにはいられない」の唄
・曲・詞に合流し豊かに流れていた。
ふたりの舞踏という心の源流。
国家や時代によって引き裂かれた父子交感の流れは、個の源泉・
源流として個によって生き、ふたたび個によって開かれている。
舞踏という身体の表現、身も心もひとつとなって、父・子の真の
界(さかい)を流れていた。

*追悼・大野一雄の戦後展ー7月28日まで。
 am12時ーpm7時:月曜定休;水・金曜日午後3時閉廊。

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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# by kakiten | 2019-07-06 15:13 | Comments(0)
2019年 07月 04日

舞踏:身も・心もー大野一雄の戦後(6)

23歳で初めて見たラ・アルヘンチーナの舞踏。
30歳にして江口・宮舞踏研究所に入所。
32歳次男慶人誕生後召集を受け兵役に着く。
中国、パラオ、ニューギニア戦線を経て敗戦。
オーストラリア軍の捕虜となる。
40歳で帰国、翌年江口・宮舞舞踏究所の物置を改造し住み込む。
42歳で横浜に家族と共に引越し。
43歳大野一雄舞踏研究所設立。

もう帝国劇場でラ・アルヘンチーナの舞踏に感動して、20年の歳月
が過ぎていた。
しかし閉ざされた心の源流の一滴は、再び流れ出す。
戦中多くの死者を見送り、帰国の船中でも戦友を水葬し見送った体験
は、舞踏という身体表現に深い想いという流れの力を与えたと思う。
多くの戦友を水葬する船上から見えた水母の群れ。
それを死者の魂の群れとして「水母の踊り」を帰国後ずっと踊った。
<想いは現実、現実は想い>という大野一雄の言葉は、<身も、心も>
ひとつとした身体表現の舞踏が、過酷な戦争現実を経て掴んだ源流から
の流れの力と思える。
一青年の心に宿った一滴の近代・モダニズム。
その一滴が心の森に深く蓄えられ、流れをショートカットし暗渠化す
る時代を超えて、ふたたび自由な流れとして時代の大河、世界の海へ
と流れ出す。
大野一雄の近代は、個として、身も心も舞踏に生きている。

国の戦後近代化は、米国のデモクラシーによって始まった。
近代化=欧・米化が鬼畜米・英で破綻し、40歳から始まった米国占領
の戦後近代日本。
かっての直接の敵国と向き合い、どこか重く沈む心の暗渠。
その見えない流れの内に、命の源泉に立つ海抜ゼロの石狩河口の舞台
はあったと思う。
この公演の後、エルヴィスの「愛ささずにはいられない」の唄・詞
・曲が、傍に存したのはある必然のように思える。
国家ではなく、ひとりの想いとして共感したのだ。
その時大野一雄の近代は国家を超え、個として<想いは現実、現実は
想い>という揺るがぬ魂となったと思える。

*追悼・大野一雄の近代ー7月23日(火)-8月18日(日)
 am12時ーpm7時:月曜定休;水・金午後3時閉廊

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# by kakiten | 2019-07-04 16:01 | Comments(0)
2019年 06月 29日

近代と現代の界(さかい)-大野一雄の戦後(5)

札幌を代表する樹にポプラがあるように、ライラックの咲く
季節をリラ冷えと表するように、明治以降欧米から渡来し地
に根付いた植物は多々ある。
野菜・果物として根付いたキャベツ、トマト、メロン、アス
パラガス。改良され多くの品種が育てられたリンゴ。
これらはドイツ系米人ルイス・ベーマーによって根付き、改良
された野菜・果物である。
ジャガイモやスイートコーンの普及もベーマーが関わっている。 
近代化とは衣食住のすべてに新しい風を吹き込んだ。

そんな近代と共に生まれたた街、函館・横浜・神戸。
そのひとつ函館で1906年10月27日大野一雄は生まれた。
大野慶人は1938年東京で産まれ、その年父一雄は再招集され
戦場へ赴く。
1946年大野一雄は捕虜生活を終えて帰国し、家族と再会。
直ちに江口・宮舞踏研究所の物置を改造しひとり住む。
1948年家族と共に横浜に移り住む。
大野慶人が回想しているように、この年10歳にして初めて父
と暮らす生活が横浜で始まったのだ。
1929年23歳の時見た帝国劇場アルヘンチーナ来日公演
の鮮烈な感動。舞踏への熱い志が、再び動き出す。
翌年江口・宮舞踏研究所から独立し大野一雄舞踏研究所開設。

大野一雄「百年の舞踏」-大野一雄舞踏研究所編の年譜から
拾った大野一雄の激動の近代の流れ。
1949年独立から遡る1929年アルヘンチーナ公演感動
の20年。
その狭間に明治以降の近代化と破綻、そして戦後近代の傷だらけ
の出発が大野一雄父子の人生の節としてくっきりと顕れている。
外来し根付いた樹や野菜や果物のように、真っ直ぐ近代が根付か
ない人間の近代社会。
しかし大野一雄は自らを根付かせたのだ。
ダンスではなく、舞踏という語を世界が認めたように。
日本伝統の白塗り・ジョンガラ・早変わり、そして年齢を超えた
女性衣装の表現。
近代の底辺を支える<根の百年>。
私達はその精神を植物のような源泉の森として、近代から現代へ
その界(さかい)の時代を引き継がなければならないと思う。

*大野一雄追悼「一雄&エルヴィス」展ー6月30日まで。
 第二部として延長「追悼・大野一雄の近代」展7月2日ー7月14日まで。

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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# by kakiten | 2019-06-29 17:07 | Comments(0)
2019年 06月 25日

深い夢・眼差しー大野一雄の戦後(4)

空(カラ)の白い額縁の中から顔を覗かせ手を伸ばし、
初めて未知の世界に触れる。
生まれたばかりの命、包む膜を破り・・・。
石狩河口流れる水の中で、魚卵から誕生の舞踏。
命の源流の一滴のような、大野慶人の秀逸な舞踏だった。
大野一雄の鮭の雌・雄の産卵と死の舞踏。
その間河中で演じられた慶人の顔と手だけの 舞踏シーンは、
今見ても心撃つ。
<命の源泉に戻って・・・>と、大野一雄は終演後冒頭の挨拶
で最初に観客に語りかけた。
この時すでに齢86歳。
台風通過後の余波・風の残る河口の浜。
大勢の観客に風の冷たさに気を配りしながら、二曲のハワイの曲
に合わせずぶ濡れの衣装のまま舞台に這い上がり、アンコールに
応えた後の挨拶だ。
河の流れの中青年時代舞踏を志した舞姫、あの世のアルヘンチ
ーナになり、大野一雄の命の源泉の舞踏を終えたばかり。
個として舞踏に憧れ、志した若い源泉の時。
そこから小さな流れを創り社会・時代という大きな川・海へと
目指した青年時代。
それは世界を覆ったファシズム・国家主義の時代によって、個の
流れは暗渠化されショートカットされて、戦争という閉塞の世界
に陥る。
戦後戦場帰還から死の直前まで、大野一雄は舞踏を通して再生し、
世界との生命の回路を回復し維持しようとした。
その源泉は、自らの生きる源流・支流の一滴。
舞踏への想いの確認・展開だったのではないだろうか。
そして時代の支(志)流として戦争によって中断された、清冽な
流れの再生だったのではないか。
日本文化の歴史、故国の文化の大河に掉さし、地球・世界という大海へ。
暗渠化され、ショートカットされた流れを、深く源流から再生する事。
そこに人間社会を超え、生命として在る地球生命への賛歌に至る深い命
への視座も開かれていたと思う。

海抜ゼロ。
深さも高さもゼロの大河の河口の浜ーモ・ライ(静かな・死)。
真っ赤なゼロ・夕陽の沈む昼夜の界(さかい)。
この大自然の残る石狩河口公演で大野一雄は、長い戦中・戦後の最後
の衣を脱いだと思う。
エルヴィス・プレスリーの「愛さずにはいられない」は、そうした
大野一雄の戦後の終わりを告げる、アメリカの転位の象徴、詞・曲
唄だったように思える。
そしてそれは同時に10歳で初めて会った父、生涯父さんと呼ぶ事ので
きなかった大野慶人が、一雄の死後エルヴィスの詞・曲をバックに父
を指人形として舞った時、その手・顔すべての表情にふたりを隔てて
いた戦争の距離が消えた時でもあった。
それはあの川中で見せた白い額縁の中から覗く卵の手・表情に重なり、
父・子の自然の情が深く湧く源流のように溢れ出ていたからだ。

戦争の近代がひとつ終わったのだ。
ふたたび個の源流域から、個の、志・流へ。
そして同時代という広い大河・海へ。
一雄&エルヴィスは、海へ注ぐ一雄の新たな大河への道程。
明治近代から戦後・近現代への架橋であった、と私は思う。

*追悼大野一雄「一雄&エルヴィス」-6月30日(日)まで。
 am12時ーpm7時:水・金曜日;午後3時閉廊。

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
 





# by kakiten | 2019-06-25 15:43 | Comments(0)
2019年 06月 22日

源流としてのモダニズムー大野一雄の戦後(3)

舞踏家と詩人のモダニズム、
奇しくも同じように戦争ー敗戦を経験し、深い近代の亀裂を抱いて
現代の坑口に立っていた。
敗戦後の帰国途上、海の上で。

 船はいつか
 黒い海のうえを走っている
 太陽はかたむき
 とおくの水平線は
 青空の無のなかに溺れようとしている 
 ・・・・・
 海底には
 何万という水兵と
 ゆうに一連合艦隊が沈んでいる
                   鮎川信夫「消えゆく水平線」

大野一雄が帰国の船の中で経験した話。
後に「水母の踊り」として演じた。

 一万トンの船に何千人と乗って日本に向けて出発する。
 その時にいろいろな人が、「これから出発する、元気を
 出してやろう」と言うのだけれども、次から次へと人が
 死んでいく・・・
 ニューギニアの帰り、生者と死者たちの体験。
 多くの人が船中で死んだ。
 水葬をして帰って来た。

                  「front」誌1999年1月号

T・Sエリオットを愛読し、新たな詩の可能性を試みていた鮎川信夫。
アルヘンチーナに憧れ、新たな舞踏の道を志していた大野一雄。
そのふたりの近代の道が日米戦争で閉鎖され徴兵され、敗戦の途上
で体験した死者の海。
この生と死の体験が、ふたりの近代には深い海峡のように
横たわっている。
戦勝国米国が故国を占領し、新たな近代化が進められる日本。
その新たな時代の始まりに、鮎川信夫は長編詩「アメリカ」を書き
、自身の内なる近代・アメリカを抽出し、訣別し、対峙していた。

 ・・・
 僕は眼をかがやかし涛のように喋りかける
 だがあたりには誰もいない
 空虚な額縁のなかで白い雨が乾いている
 無言で蓄音機のレコードが回転する
 「アメリカ・・・・」と壁がこたえている
 ひとり占いの賭博者のように
 眉をひそめて手のなかのカードを隠してしまう
 あらゆるエイスの価値と
 護衛付きのキングと慰めをあたえるクインの価値とが
 頭のなかでごちゃまぜに縺れる
 「アメリカ・・・」
 もっと荘重に もっと全人類のために
 すべての人々の面前で語りたかった

そしてこの後に続く後年消された三行は、明治以降の近代化=
西洋化の憧れと吸収の深い亀裂体験を伝え、現代に連なる界
(さかい)の橋のように心撃つ。
 
 反コロンブスはアメリカを発見せず
 非ジェファーソンは独立宣言に署名しない
 われわれのアメリカはまだ発見されていないと

近代から現代へ、
その界(さかい)の境界にある近代の端(エッジ)。
それが鮎川信夫の<アメリカ>だ。

一方大野一雄にとっての<アメリカ>とはより個として、息子
慶人さんのエルヴィス・プレスリー唄・曲の指人形の舞いに
大野一雄のアメリカが初めて顕れていると思える。

LiKe a river flows surely to the sea
Darling so it goes some things are meant to be
Take my hand,take my whole life too
For i can,t help falling in love with you

海へと確実にそそぐ川のように
流れに身をゆだねるべき時もある
さあ手をとって、この人生を捧げよう
君を好きにならずにはいられない

二度繰り返されるこのフレーズに印象的なのは、海と手である。
海に続く川、そして手に続く人生・命。
戦後近代と現代の界(さかい)、戦後のアメリカを代表するプレスリー
のこの歌曲を大野一雄は1991年秋の石狩河口公演以降稽古場で流
し、さらに祖父・父の働いた漁場カムチャッカで公演を夢みその公演
にこの歌曲をと、熱く晩年に語っていた。
鮎川信夫が夢みたアメリカ。
その夢が大野一雄にもエルヴィスの唄・曲とともに訪れて
いた気がする。

鮎川信夫の「アメリカ」最終章に近く記された詩行・・・。

 憐れむべき君たちの影にすぎぬ僕は
 きちんとチョッキをつけ上衣を着て
 テーブルに凭れて新しい黄金時代を夢みている
 いつの日か 僕らの交わす眼ざしや
 なにげない挨拶のうちから生まれる未知の国民のことを・・・
 
ふたりのモダニズム、ふたりの近代の深い亀裂。
そこから戦後近代ー現代へと橋渡しされた心の架橋は、個と
して支流の、源流への想い。
そして大河・海という広い社会・時代への深い夢だっただろうか。

*大野一雄追悼「一雄&エルヴィス」展ー6月30日まで。
 am12時ーpm7時:月曜定休;水・金午後三時閉廊

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条に西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503

 








    


# by kakiten | 2019-06-22 17:05 | Comments(0)