人気ブログランキング |

テンポラリー通信

kakiten.exblog.jp
ブログトップ
2019年 09月 12日

東北から。東北へ。ー子の近代(5)

札幌にほぼ月一度ℍ大学出版の指導で来ている元東大出版会代表の
竹中英俊さん。
今月も仕事で来て今日寄ると連絡があった。
夕刻2階事務所にいると、入口で声がある。
あっ、来たなと思い階下に降りると、背の高い別人だ。
なんと、秋田の民芸・海青舎の三浦正宏さんではないか・・・。
1990年代円山北町に今のテンポラリーや器のギャラリーが
あった時、毎年全国の民芸作品を展示していた人である。
北海道工業大学で橋梁工学を専攻し、建築会社に一時務めたが
橋を自然の中に多く構築する事は自然破壊と感じて退社し、故郷
秋田市で民芸の店を立ち上げた。
北海道工業大学の恩師菱川善夫先生に相談し、私の所を紹介され
訪ねて来たのが縁の始まりだった。
菱川先生が名付け親となり、彼の民芸の店は「海青舎」として出発
し、その後毎年器のギャラリーで秋田民芸の展示を催す事となる。
秋田の民芸を基本に後年は全国の民芸品を、主題を定め蒐集し展示した。
例えば<祈り>を主題に各地に遺る民芸の造形とか、時に秋田の駄菓子
展や地酒の展示とかも企画した。
それらが好評で、毎年初日オープン前に人が待っている事も出現した。
その後私は現在の北18条に移転し、関係が途絶えていたが、一昨年
北海道近代文学館で民芸の祖柳宗悦展があり、柳が推進した民芸運動の実物
として三浦さんの蒐集した民芸品の多くが同時に出品された。
かって展示で記憶されていた多くの優れた各地の民芸名品が会場に
展示されたのだ。
そのオープニングで十数年ぶりに私は三浦さんと再会した。
最初に発した言葉・・・。
”ほとんど、円山の器のギャラリーに展示したものですよ・・・。”
彼は時にこのブログを読んでいたらしく、昨日意を決して今回訪ね
て来た。
来年ここで展示をしたい、その気持ちを伝える為である。

再会の話をしていると、竹中氏も訪ねてきて三浦氏を紹介する。
竹中さんにも何度か彼の話はしていたので、直ぐに打ち解ける。
竹中氏は宮城県の出身、同じ東北地方の出だ。
竹中氏の古書蒐集の話と書物への愛は、どこか三浦さんの民具蒐集と
民芸への愛と共通する。
掌(てのひら)を通した人と物の関係性として共通する。
そんな事もあって、とても初対面とは思えないふたりだった。
和紙の書物は本来人の掌を通して紙が馴染み、掌の脂が紙を丈夫にし、
風合いを増し長持ちさせるという。
民芸もまた人の掌(てのひら)を通して使われ、掌(たなごころ)に
磨かれ存在する。
根本的にはある時代まで人と物とはそうした掌の関係性に於いて繋がり
存在したのだ。
ふたりの今回の偶然の遭遇は、人と物の深い関係がそのまま人間関係
として実現したかのようだった。

吉増剛造さんが、宮城県石巻市北上河口鮎川に滞在し制作している。
遺された古い商店の民家に住み込み、写真で見るとまるで商店主の
ように座り訪れる人を迎えている。
客は吉増さんの制作を見、話し、食を共にし、一泊して一日を
共に過ごすという。
全身詩人吉増剛造ならではの、3・11の爪痕が今だ遺るという
北上河口での全身試行・生業(なりわい)の行である。
3・11以降戦後吉本隆明の処女詩集「日時計篇」に真摯に向き合い、
自己の戦後近代を見詰め直してきた吉増さんの全力投球の現在なのだ。
re born art festival 2019と名されたこのイヴェントは、中沢新一はじめ
7か所の地域に7人のキュレーターが企画し作家が制作し作品展開されて
いる。
その内の鮎川という牡鹿半島の先端地域が吉増さんの滞在地だ。
地域全体のパスポートが送られて来た。
吉増さんからの招待だ。
女坑夫さん記載の夕張「北上坑」看板出現以来、北上河口へは行かねば
ならぬと心に決めていた。
1991年秋「石狩の鼻曲がり」大野一雄石狩河口公演。
1994年初夏「石狩シーツ」吉増剛造夕張行「女坑夫」遭遇。
山奥の夕張石炭坑道口に記された「北上坑」の名と共に在った女坑夫の
記載。
石炭という近代エネルギーの産炭地から、現代のエネルギー石油と原子力
貯蔵の河口へ、女坑夫さんと共に、私も行かねばならぬ・・・。
そんな気持ちがしていた。
亀井文夫監督「女ひとり大地を行く」では、主人公の女坑夫さんは
東北出身と設定されていた。
「北上坑」と名付けられた坑道の被害者の中に北上川流域の出身者も
いたかもしれない。
そんな想いで吉増剛造の「石狩シーツ」のコア<女坑夫>さんとともに
北上川河口へ、吉増剛造を尋ねよう、と想い立っている。

近代以前の深い物と人の回路、古書と民芸。
それが東北秋田と宮城の人の姿をして訪れて来た。
そして宮城の北上川河口3・11が、現代の根のように呼んでいる。
私にはそんな気がするのだ。

*花小屋ー9月末まで。

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503






# by kakiten | 2019-09-12 15:47 | Comments(0)
2019年 09月 08日

鮎川信夫の父・位相ー子という近代(4)

大野一雄展、斎藤周展に触発されて戦後詩人鮎川信夫に
想いがいった。
鮎川信夫にとっての父とは何だったのか、という問いである。
たびたび引用した戦後詩を代表する名作「橋上の人」には
その父を主題とする(Ⅶ)の詩章がある。
 
 父よ、
 悲しい父よ、
 貴方がいなくなってから、
 がらんとした心の部屋で、
 空いた椅子がいつまでも帰らぬ人を待っています。
 寒さに震えながら、
 貴方に叛いたわたしは、
 火のない暖炉に向かいあっています。
 父よ、
 寂しい父よ、
 わたしはひとりです。
 妻も子もなく、この広い都会の片隅で、
 固いパンを齧っています。
 わたしは貧しい、
 わたしは病んでいる、
 貴方がわたしに下さったものはこれだけですか。

1965年出版された荒地出版全詩集では、「父の死」という
21行ほどの短い詩がこの「橋上の人」の後に載せられている。
この詩は実際に父が死んだ時の心の動揺を伝えている詩だ。
では長編詩「橋上の人」の<父>とは、何の謂いなのか。
それは私には鮎川信夫の内なるモダニズム・近代の謂いと思われる。
徴兵され一兵士として日米戦争に参軍し帰国した鮎川自身の深い想い
が、戦前のモダニズム・<父>という比喩になっている気がする。
欧州の独裁国家ドイツ・ヒットラーとイタリア・ムッソリニーと三国
軍事同盟を結び、米英に宣戦布告をし始まった太平洋戦争。
明治以降の西洋化・欧米化・近代化の流れは鬼畜米英のスローガンの下、
鮎川が詩の上で傾倒し実践したモダニズムの灯は、正に踏みにじられたのだ。
大野一雄も鮎川信夫も、その詩のその舞踏の領域に於けるモダニズムの
灯をモダニズムの焦土の近代から身を以て耕し、育て続けたのだと思う。
戦後近代とは米国占領下の自由の理念の下、朝鮮戦争の新たな東西冷戦
により特需景気ー神武景気と経済の発展で明治近代の破綻・戦後近代の
迷妄と再びモダニズムの根幹を埋没しつつあった。

鮎川信夫や大野一雄が戦前戦後を通底し身を以て遺した、真の近代の芽を
私達は私達自身の内なる根として忘れてはならない、と思う。

 教えて下さい、
 父よ、大いなる父よ、
 わたしにはまだ罪が足りないのですか、
 わたしの悲惨は貴方の栄光ですか。

私たちの現在という時代には、先んずる痛恨の父という近代が存する。
そこを見詰めずして、真の現代はあり得ない。

*花小屋ー9月末まで。

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503



# by kakiten | 2019-09-08 16:40 | Comments(0)
2019年 09月 05日

斎藤周展終わるー子の近代(3)

山が開いて内なる源流の一滴が、沢となり渓流となる予感のような
個展だった。
気難しいやんちゃな子という個室が、父という外界を認め開いた今
という近代への架構。
大上段に振り翳した時代論ではない。
父・子の小さなボタンの穴。
そこに深い心の個人的な理由が潜んでいる。
何時だって本当の時代とは、そうして訪れる。

私にもそうした記憶のボタンがある。
父に説教され拳骨を浴びそうになった時、母が発した言葉。
”お父ちゃん、もう時代は変わったのよ!”
母が近所の美容室で赤い髪に染め、活き洋々と家に帰って来た時
父・祖父にひどく怒られ、しょんぼりして元の黒い髪に戻しに行った時。
成人してその話を母にしたら、”変な事おぼえているわね・・”と言われた
記憶。
父が新しい学習机と椅子を手造りで造ってくれた時、傍で偶然見て
いた近所の同級生が、翌朝学校でみんなに学習机を購入しないで、手で造
ってた、とみんなの前で馬鹿にした時、そいつを思わず殴った記憶。
どれもが私の戦後近代が始まった遠い記憶なのだ。

明治30年創業の老舗を守りつつ、新たな風を業界に吹き込み
生業(なりわい)の世界を広げた父の戦後近代。
父の死後市街地再開発のさらなる時代の変化に、家業よりオーナー
として世界を広げようとした母の戦後近代。
<家>=土地・家屋資産が比重を増す時代に、<生業>は、ビルの
片隅に埋もれていった現代。
店主も客もオーナーと呼ばれ、今はその浸透度がさらに増している。
そんな時代に、遠い小さな個人的記憶のボタンの穴は、本当の時代を
見通す回路を想い出させてくれる。
量産された学習机セットを購入するのが普通になった時代。
その時代に私の為に手で木を削り組み立てた父の新しい学習机・椅子。
幼い心にも、私はそこに父の愛情を感じていたのだ。
”時代は変わったのよ・・・”と、父を諫め、時に髪赤くを染めた母。
そのどちらもが、私の遠い父なる、母なる近代だ。

・・・
 ポケットのマッチひとつにだって
 ちぎれたボタンの穴ひとつにだって
 いつも個人的なわけがあるのだ

                (鮎川信夫「橋上の人」から)
 
 彼方の岸に灯がついた。
 幻の都市に灯がついた。
 運河の上にも灯がついた。
 おびただしい灯の窓が、高架線の上を走ってゆく。
 おびただしい灯の窓が、高く夜空をのぼってゆく。
 そのひとつひとつが瞬いて、
 あなたの内にも灯がともる。
 死と生の予感におののく魂のように、
 そのひとつひとつが輝いて、
 そのひとつひとつが消えかかる、
 橋上の人よ。

                 (同上最終章から)

この戦後間もなく発表された鮎川信夫の「橋上の人」は、戦後近代が
今に続く光景のように、瞬いている気がする。
周さん、私達もまた親なる近代から現代への「橋上の人」・・・。

*「花小屋」9月7日~30日。不定期・非展示。

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
 


# by kakiten | 2019-09-05 16:38 | Comments(0)
2019年 08月 31日

父という近代・標(しるべ)ー子の近代(3)

描線が何かを発している。
山裾から山頂に上がる視線ではない。
頂きから山裾へ、溢れ出て流れる描線だ。
今回の斎藤周展のモチーフ。
三角の山のようなモチーフが多々顕れている。
しかしこの山のモチーフは、仰角の視線ではない。
頂点から裾野へ拡がる展開の兆し。

数年前広い山裾を登る人の後姿の絵があった。
先頭を行くのは大人の男。
その後に女性と少年の後姿が続いている。
次に発表された個展覚書で、ニセコ・ヒラフで少年時代父と行
ったスキーの記憶が懐かしく語られていた。
そして昨年初めて父の建てたアトリエ兼住宅の木造2顔建て
の実家が描かれた。

同じ絵画の道を歩んだ父と子。
父の時代、近代日本は米国占領によって齎された民主主義の
理念の下戦後近代という時代が始まった。
地方自治が民主主義のひとつの大きな柱であり、院展・帝展に
代表される中央主体の美術公募組織から、地方独自の公募展が
生まれた。
北海道では、道展、全道展、新道展等々が設立された。
斎藤周さんの父上もそうした組織に属しながら絵画活動を続けて
いた。
子の周さんは、そうした組織に馴染まず、個としての活動を主に
絵画を描き続けていた。
そんな親子の見えない確執が、親子という繋がりよりも、社会的
意識の相違として父・子の間に在ったように思う。
何時の時代もそうした世代差・時代差はある。
しかしながら国家・社会の環境差は、父・子の決定的な差異ではない。
一昨年何十年ぶりにニセコの山でスキーをして身の内から沸き起こ
った父との記憶。
それが彼の育った父の建てた家の記憶に繋がる。
2階建て木造のアトリエ兼住宅を翌年絵画で再現させたのだ。
ニセコの山を先頭で歩く父。
楽しかった父子のゲレンデスキー。
父・子の時代的・社会的価値観ではなく、純粋に父の個の生き方で
あり、自分の生き方である、個としての視点から、父を再発見し、
溢れ出てきた心が、父の山・頂上の一点から溢れ出、流れる描線なのだ。
特に今展示のメイン大作には、その描線が大樹の根のように奔放に
強烈に溢れ出ている。
自己の源流の一滴が、まるで渓流となるように、父も含めた同時代
の大河へと流れ出したようだ。
父なる山が、父なる木造2階建ての家が、己の原点として、同時代
に向け発している。
父という近代を、個として感受し、認め、敬い、子の近代は磁場と
なって発している。
今回の展示は、国家・社会・時代に囲繞された近代ではなく、個の
裡から発した根枝のような斎藤周の父なる近代であり、彼の現代を
生きる標(しるべ)でもあるのだ。

斎藤周展「標」(しるべ)展、明日まで。

*斎藤周展「標」-9月1日まで。
 am12時ーpm7時

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503


# by kakiten | 2019-08-31 15:00 | Comments(0)
2019年 08月 27日

身(み)という事ー子の近代(2)

最近病を得てから、「身」という事を感じ、考える。
結論から先に言うと、<ボディ>ではないという事だ。
身も心も・・というが、身は心と一対である気がする。
対峙概念ではない。
もっと身を入れろ、身の丈にあった、身空・身の上、
身に沁みる、・・・等々。
身は精神的な事と深く関わって表現される。
フィジカルーメタフィジカルではない。
国家・社会・時代といった人間社会のインフラ環境を基底的に
超えた<身>という、個を起点とする人間が在る。
その人間の身から発する行為が、大きくいって表現という
生命の為す行為なのだろう。
国家・社会・時代に添って為す行為ではなく、身の内から
湧き出す源泉・源流のような、行為なのだ。

明治・近代化とともに生まれ育った大野一雄が、西洋舞踏の
表現に憧れ志しながらも、国家・社会・時代に囲繞され、身
も心も戦場へと拉致された青春。
そこから敗戦後這い上がり、舞踏という近代を、世界に発信し
続けた、身一つ・個の近代。
慶人さんは、親との国家・社会・時代の相違に翻弄され、10歳
で初めて見た少年期から父と呼ぶ事なく103歳の大野一雄を看
取ったという。
しかし死後10年近い歳月を経て、父を模した指人形を翳し
晩年父が愛した戦後米国を代表するエルヴィス・プレスリー
の歌曲「好きにならずにいられない」をバックに追悼した
真摯な舞踏には、指という身の一部になった父への、本当に
肉親への想いだけが、そこに何の隔たりもなく手を取って踊
っていた。
この静かな、動きだけ、指先の父を見詰める子の表情だけ、
の舞踏に、身も心も凝縮し結晶したふたりの時間が生まれていた。
慶人さんの表情は、父を想う心そのものだった。

近代とは、父や母の姿を模して顕れる。
現代とは、子の姿で問われるのだ。
近代・現代を繋ぐ回路は、<身>という生命の個。
時代・社会とは、そこから創り出す広がり、展開なのだ。

斎藤周さんの前々回からの絵画表現に、ふっと同じ絵画の道
を歩む父・子の近現代を垣間見て、<身の上>話のように
語ってみたかった。

*斎藤周展「標」-9月1日(日)まで。
 am12時ーpm7時:水曜28日午後3時閉廊。

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503


# by kakiten | 2019-08-27 13:46 | Comments(0)
2019年 08月 25日

斎藤周展始まるー子の近代(1)

前回ここでの個展では、斎藤周さんの幼少時の家屋がメインにあった。
父上の建てた木造二階建てのアトリエ兼住宅。
その家屋を懐かしさと愛情に満ちた筆致で描いていた。
その前に先立つ個展では、父とよく行ったニセコ・ヒラフのスキー場。
そこでの楽しい少年期の思い出が蘇り、長年の父子の美術家としての
対峙が消えて伸び伸びと描かれた山が出現していた。
幼少期過ごした家屋の絵画は、斎藤周の絵画歴で初めての事だ。
大野慶人と一雄父子に倣えば、この家屋は慶人さんの父を模した
指人形のように私には思える。
そしてニセコ・ヒラフのスキー場は、慶人さんが指人形で踊った
背後の音曲エルヴィスの「好きにならずにいられない」だ。
肉親としての父子が、国家社会の時代区別を超えて繋がり再生した
のだと思う。
形(かたち)と容(かたち)。
外的要素から見える形(かたち)と、内面から発する容(かたち)。
斎藤周さんの画業も時代社会という外在的要素から生まれる父子の
違い・対峙から、生き方・思想という内面的位相から父を見る容貌
という容(かたち)の顕れに転位してきたと私は思う。
今回の個展では、より自己に忠実に内面に根付いた根の分かれ、梢の
枝分かれのように裾野が開いている。
形容でいうと、形的には今までに無い細長い横長のキャンバス。
そこに描かれた長い山裾の山の容(かたち)。
画業を通して在った、父・子の繋がりと違い。
ふたたびの出会いが、ある成熟を保って今窺われているのだ。
洋画という近代が、父子の内面の葛藤を超え、開かれている。
こうした個の内面こそが、すべての出発に存する。
そこを抜きに真のかたち(形・容)は生まれない。
斎藤周のこの転位を、私は、嬉しくそう思う。

大野慶人さん、斎藤周さん。
戦後世代に、個として正当な近代が芽吹いている。
それこそが、我々の正当な現在。
現代へのホップ・ステップ・・・だ。

*斎藤周展「標」-8月23日(金)-9月1日(日)
 am12時―PМ7時:月曜定休日;28日水曜日午後3時閉廊。

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503



# by kakiten | 2019-08-25 15:40 | Comments(0)
2019年 08月 04日

体制としての近代ー大野一雄の戦後(11)

1929年大野一雄23歳、帝国劇場で初めてラ・アルヘンチーナ
を観に行き強烈な感動を受ける。
戦前昭和モダニズムの最後に近い時代・大野一雄舞踏の源流。
その源流は国粋化・戦争で踏みにじられ、流れはショートカット
され暗渠と化す。
大野一雄にとって敗戦後の近代化とは何だったのか。
明治以降の近代化・西洋化・欧米化の流れは、敗戦後米国の占領下
で米国化・民主主義が主流の近代化が進んだ。
今ある現在の社会的下地が、体制インフラとして整えられたのだ。

そこでふっと思い出した言葉がある。
三公社五現業である。
内容はもう不確かなので、古い辞書で調べる。

三公社ー国有鉄道・電信電話公社・タバコ・塩専売公社
五現業ー郵政・国有林野・印刷・造幣・アルコール。

今はほとんどが民営化された国家事業である。
そして官の体質を今も色濃く残す企業体だ。
こうして観ると、官の時代よりも民の時代の今の方が、より
官の体質が濃くなっている気もする。
最近の簡易保険不法勧誘問題を見ても、そうだ。
公社の<公>意識がお上(かみ)の目線で、パブリックという
<公>ではないままの気がするからだ。
アメリカが民主主義・デモクラシーとして植え付けようとした
公概念は、民を基底とする公(おおやけ)だった筈だ。
生活の基底を為す三公社五現業の公的位置は、民営化される前
の方がまだ社会奉仕的存在だった気がする。
民営化とはある面でアメリカ化・物流至上化であり、公から
民間企業の利益追求の現在として今がある。
新幹線・リニアカーに奔走し、JRタワーに象徴される国鉄に
それが顕著だ。
電信電話公社もまた然りである。
戦後の近代化とは、アメリカ化に象徴される近代でもある。
多国籍国家体であるアメリカは、ネーションという一民族を
主体とする国家ではなく、多国籍民族のランドとして成立し
ている経緯がある。
従ってその理念は、自由平等の民主主義が基底にあり、食物で
いえば、缶詰・トースト文化なのだ。
イギリスパン、フランスパン、ドイツパンのような民族個性は
薄く、平等なカット、トーストパンのような均一性が本質に在る。
アメリカンドリームが一攫千金であるように、多数決原理の普遍
風土が建国時から基底にある。
米国型民主主義とは、文化の保つ民族固有の個性とは合致しない。

大野一雄はそうした戦後文化の中で、日本固有の歌舞伎の伝統
女形・衣装の早変わり等の伝統文化を継ぎつつ、ダンスならぬ
独自の舞踏を創りだしてきた。
インフラとしての国家社会を通底し、宇宙・地球自然の地平に
立脚した生と死を往還する舞踏を続けていた。
グローバルという米国型物流の国際化ではなく、インターナショ
ナル、インターローカルな国際化を試みたと私は思う。
人類という人間に届く、公(おおやけ)の為の舞い・舞踏。
故郷函館で生まれ得た大野一雄の近代モダニズムは、エルヴィス
の唄・詞・曲を掴み大野自身のアメリカ・ランドを彼の戦った米国
から解放したと思える。

2010年6月死去した百三歳大野一雄は、その一年後の3月11日
東日本大震災、未曽有の災害を起こした原子力発電所事故をどう思
っただろう。
1945年8月破壊と廃墟の原子力・爆弾。
2011年3月人が消え無人の町を生んだ原子力・発電事故。
鬼畜米英の旗の下、平和利用の名の下、原子力による破壊。
戦後近代も破壊の形を変えた戦争、効率という名のショートカット
固有文化の暗渠化が露わになったのではないのか。
大野一雄の歩んだふたつの近代を、私たちは如何に受け継ぎ生きて
行くか、それは今も問われ続けている。


*追悼・大野一雄展ー8月18日まで。
*斎藤周展ー8月23日(金)-9月1日(日)

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503





# by kakiten | 2019-08-04 16:56 | Comments(0)
2019年 07月 27日

ひとり、ひとりの時代・社会ー大野一雄の戦後(10)

延長しながら続けて展示している追悼・大野一雄展。
熱心に見てくれる人、大野一雄を知らない人も、いつか資料や話
を聞いている内に心が入ってくるのが分かるのだ。
そんな人たちには奥の談話室でたった3分の慶人さんの親指人形
の舞いの映像を見せている。
父大野一雄をなぞった指人形。
エルヴィスの「好きにならずにいられない」の曲・詞・唄に乗せて
自身の身体の一部となった父と踊る。
顔の表情と指人形の動きだけ。
しかしそのふたりの間・宙(そら)には、10歳で父と呼ぶ人と初め
て逢った亀裂の時間を埋める、限りない父・子の愛が垣間見えるのだ。
これを見て眼から水が噴き出すように、涙を流した人。
ただ黙って眼を潤ましていた人。
多くの人が大野一雄の生涯の舞踏の記録と、父・子の人生の記憶に
感動し共感してくれた。
大野一雄は生涯、戦場で体験した何千人もの戦死者・戦友への想い。
その生と死の界(さかい)を、舞踏という表現回路で拓き、繋げる
事を志・事とした。
舞踏を志した青春のラ・アルヘンチーナ。
戦中8千人の内6千人の死者を見た記憶。
敗戦後帰国の船上から見た水葬者と水母の群れ。
大野一雄の踊りの原点には、これら多くの死者がいる。

大野慶人には10歳で初めて逢う父・子の乖離という見えない戦場
があった。
生涯父を父と呼べなかった乖離がある。
しかし父の死後エルヴィスの「好きにならずにいられない」の歌曲
と共に顔の表情と父を模した指人形で踊る慶人に、もう乖離は無い。
エルヴィスのこの歌曲を選び、父・祖父の働いたカムチャッカへの
公演を熱く語った晩年の大野一雄。
ふたりは個として、断絶した日本の近代を再構築し、自らの表現の
回路としたのだ、と私は思う。
大野一雄の傷だらけの戦後近代とは、死者を想い死者と共に生きる事。
息子慶人はその見知らぬ父・大野一雄と呼ぶ人と共に生き、父・子の
絆を繋げる事。
このふたりの個の軌跡こそが、戦後近代の根幹に開かれている現代の
個の源流と私は思う。

Like a river flows surely to the sea 海へと確実に注ぐ川のように
daring so it goes some things are meant 流れに身を委ねる時もある
to be
Take  myhand take my whole life too さあ手を取って この
                      命を捧げよう     
For ican't help falling in love with you   君を好きにならずには
                      いられないから

*追悼・大野一雄の戦後近代展ー8月18日まで。
 am12時ーpm7時:月曜定休;水・金曜日午後3時閉廊。
*斎藤周展ー8月23日ー9月1日

 テンポラリ―スペース北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503   






# by kakiten | 2019-07-27 16:37 | Comments(0)
2019年 07月 21日

石狩・カムチャッカー大野一雄の戦後(9)

1999年8月大野一雄宅で収録された吉増剛造と大野一雄
の対話「生と死の舞踏(石狩ーカムチャッカ)」で大野一雄は
語っている。

 戦時中、私はニューギニアで二年間将校として働いていました。
 あるとき八千人の人が移動して、前の人が道に迷うと、それに
 ついて行った六千人が死んで、二千人が残った。
 そして食うや食わずで体がボロボロになって、おできができてね
 ・・・・・
 いよいよ負け戦になって終戦になったわけです。
 一万トンの船に何千人と乗って日本に向けて出発する。
 ・・・・けれども、次から次へと人が死んでいく。すると、国旗に
 包んで水葬をやるわけです。ブーッと汽笛を鳴らして、二回か三回
 か船を回すのです。本当にそれはね、悲しいですよ。

ラ・アルヘンチーナの公演を見た青年時代、
その舞踏への憧れは、国家の一元的なショートカット価値観によって
暗渠化し、戦争従軍に埋没していった。
奇跡的に帰国を果たした1948年、息子慶人は10歳で初めて
父一雄と対面する。
そしてついに父の生涯中、父とは呼べなかったと回想している。
慶人さんの10歳以降の人生は、米国が占領し自由・平等を理念と
する米国型民主主義の時代である。
そこには、父一雄が体験した阿鼻叫喚の日常の地獄はない。
その意味で、私たちの多くは慶人さんの時代を前提に今がある。
大野一雄が生き抜いた近代とは、明治・大正の18世紀末から
20世紀にかけての大きな亀裂の近代と言える。
モダニズムの芽生えと断絶を経て、帰国後の大野一雄の真の人生
があったのだ。
慶人さん世代以降の現代とは、ある意味でそれ以前の近代化・挫折
をショートカットし、暗渠化された日常・平和を生きている。
昨年亡き父一雄に代わり、吉増剛造「舞踏言語」出版記念会で指人形
の一雄と共に見せた舞踏。
エルヴィスの「好きにならずにはいられない」の曲・詞・唄の舞踏
は、顔の表情と手だけで見えない父子の近代の陥穽を見事に埋めて、
父子の情を顕わにしたものだった。
そのエルヴィスの曲について、上記と同じ対談でさらなる展開を大野
一雄は語っていた。

 これからこういう舞台を演るのです。カムチャッカのヒグマです。
 ・・・・
 家は船を三艘持っていて、カムチャッカで漁業をしていました。
 ・・・・2,3年前に親戚の叔母さんからの手紙で、そこがどこ
 なのか知ったのです。ですからカムチャッカのどこに行って踊り
 たいかはちゃんとわかっているのです。
 ・・・・わたしはカムチャッカに行って、日本の人、それから
 ロシアの人に踊りをちゃんと見せて、交流しよう、お互いにつな
 がっていく力になりたいと。
 ・・・・
 そういうなかで、今度は「偉大なる神」プレスリー、「好きに
 ならずにはいられない」のプレスリー、こういう曲をいれて
 踊ります。

この対話では石狩―カムチャッカを繋ぐ鮭から羆を主題とする
生と死の熱い想いを語っていた。
石狩河口公演以降、稽古場でも使っていたというエルヴィスの
曲「好きにならずにはいられない」。
この時点で大野一雄の中で、あの阿鼻叫喚の日本・米国戦争は
国家・社会の位相から宇宙・地球自然の生命の境地に入魂して
いたと私は思う。
その深い転位は、きっと長い父子の間の陥穽も埋めたのだ。

大野一雄を、カムチャッカに行かせたかった。
そしてロシア人と先生のお父さん、お祖父さんと、プレスリーの
「好きにならずにはいられない」の曲に乗せた先生の羆の舞踏を  
見たかった。
地球大自然・宇宙の階(きざはし)のような石狩河口公演の後、
国家・社会を越境し、生と死を越境する、大野一雄の渾身の近代。
その狭間・界(さかい)に、米国ではないアメリカ・ランドが
垣間見える。

 反コロンブスはアメリカを発見せず
 非ジェファーソンは独立宣言に署名しない
 われわれのアメリカはまだ発見されていないと

            鮎川信夫「アメリカ」1947年7月

百年の近代を超えてきた優れたふたりのモダニズム。
そのふたりの近代が、現代の根として、眼として激しく交感し、
我々の現代の足元に在るのだ。

*追悼・大野一雄の近代展・三期ー8月18日まで。
 am12時ーpm7時:月曜定休:水・金曜日午後3時閉廊。
*斎藤周個展ー8月23日ー9月1日

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
f0006966_15091763.jpeg


# by kakiten | 2019-07-21 14:13 | Comments(0)
2019年 07月 11日

近代・百年の根ー大野一雄の戦後(8)

大野一雄百三歳の一生。
明治9年(1906年)10月27日函館市弁天町に生まれる。

一雄の忘れられない母・緑の手料理は、バターの香りのする
コキーユ(ホタテ貝柱のグラタン)だった。

と、「大野一雄百年の年譜」(フイルムアート社)に記されている。
そのように、函館は日本近代と共に育ったモダーンな港街だった。
大野一雄の近代とは、この母の作る手料理コキーユからすでに
体内化してあったのではないだろうか。
その近代の萌芽は、その後23歳の時帝国劇場で見たラ・アル
ヘンチーナの舞踏に強烈な感動を受けて発芽する。
日体大卒業後、横浜のミッションスクール関東学院に就職し
キリスト教の洗礼を受ける。
函館から横浜へ。
日本の開国と同時に開かれた近代を具現化したふたつの港街。
関西の神戸とともに、外人墓地があり、キリスト教会、ハリスト
ス正教会が建つ街だ。
大野一雄のモダニズム・近代の根は、こうした環境によっても
育てられたのだろう。
この時代近代化とは、西洋=欧米というコアが根を為し、そこで
ラ・アルヘンチーナの舞踏世界との出会いは、大野一雄にとって
決定的な人生上の志路となった。

人間は環境の動物である。
明治以降近代化の土壌で育ったモダニズムの根は、昭和に入り
1935年以降、日・独・伊の国粋主義の暗渠に埋もれその根は
国粋主義の排他的戦争・鬼畜米英へと呑み込まれた。
人間には大きくふたつの環境がある。
国家・社会という時代環境。
命として地球に存在する宇宙・地球環境。
このふたつの大きく人間を取り巻く環境で、個として大野一雄は
宇宙・地球環境に根を置く、生命の土壌に表現の場を見出した。
戦友の死、その多くの死者の魂を帰国途上、海中の水母の群れに
見た時、大野一雄のモダニズムは、人間以外の生命の生きる地球
・宇宙を環境・土壌として、再び舞踏の世界で深呼吸し生き返っ
たのだと私は思う。
戦後、国家・社会の環境は米国民主主義で装われ、発達した多彩な
社会インフラで死の影を消したかに見えるが、原子力爆弾を原子力
発電と言い換え、訪れたかに見える平和と安全は、真に命の環境、
宇宙・地球の土壌に根差す根となっているのだろうか。

大野一雄の舞踏には、宇宙・地球・生命の土壌に根差した真のモダ
ニズムが生きている。
”私がいつも想っている、命の根源に還って、という風景がここに
はあります・・・。”と、語った石狩河口公演終了後の挨拶。
その後稽古場でいつも流したというエルヴィスの「愛さずにはいら
れない」。
国家・社会を超え、宇宙・地球。生命に根差した大野一雄の本当の
近代の終わりと始まりが、この時あったように私には思える。

*「追悼・大野一雄の近代」展ー8月28日まで。
 am12時ーpm7時:月曜定休:水・金曜日午後3時閉廊。

 テンポラリ―スペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503







# by kakiten | 2019-07-11 17:32 | Comments(0)