2017年 02月 18日

それぞれの飛翔ー湿地帯(6)

昨年末13年ぶりの里帰り個展をした京都在住の
橘内光則さんから連絡がある。
その後ドイツ・ハンブルグでの展示で9組13点の
作品中8組が売れたという。
私が札幌に残したかった大野一雄を思わせるキャン
ドルと燭台の作品も売れたという。
これを機会に新たに作品図録を再編集したいので作
品論を書いてくれないかという。
正式には奥さんのナッツさんから依頼があるまで未
定だが、嬉しい事だ。
13年前札幌を離れ単身京都へ旅立ち仕事と画業を
続けてきた橘内光則。
札幌生まれの彼には京都も日本の親しい異国だった
だろう。
同じ頃親友の谷口顕一郎さんはサハリン経由でベル
リンへと旅立ち、その後欧州で活躍し、昨年夏札幌
彫刻美術館でも個展を開いた。
ふたりの旅立ちの方向は当時全く正反対だったが、
踵(かかと)のような故郷札幌でふたりの成果を今
見ている。

今朝会場に顔を出した高臣大介さんが、開口一番”俺、
イタリアの映画に出るよ!”と話す。
”え・・?、”と聞くと、イタリアの映画監督がカンヌ
参加作品に日本の食と文化をテーマに撮影し、その中
でガラスの制作風景を撮るシーンを考えたという。
食と器と文化という事だろうか。
高臣さんは来年フランスで窯場を借りて制作し個展を
予定している。
彼にまた新たなヨーロッパの関係が生まれるようだ。
今年1月初めてパリ郊外展示に始まり、様々な可能性が
開きつつある。
多分親友の谷口顕一郎のヨーロッパでの活躍を横目で見な
がら、何時か俺も・・・と思っていたであろう高臣大介。
その密かな気概が段々現実の仕事として見えてきた気がする。

ドイツ・フランス・イタリア・・・3人の作品とともに
拡がる世界は、心温まる春一番の風のようだ。

*高臣大介ガラス展「奏であう」ー2月19日(日)まで。
 am11時ーpm7時。
*中嶋幸治展「分母第二号販売展・特集メタ佐藤ーその包み直される
 風景と呼び水」ー3月4日(土)5日(日)
*吉増剛造展「火ノ刺繍乃道(ルー)」ー4月予定

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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# by kakiten | 2017-02-18 12:38 | Comments(0)
2017年 02月 17日

掌の耕地ー湿地帯(5)

旧友工藤正広氏が今北海道文学館展示中の「”手仕事の
日本”と民芸の思想」展で出版された「民芸との遭遇」
という小冊子を届けてくれた。
主催者である三浦正宏、工藤正広、平原一良の3人が
寄稿している。
その中で心惹かれた工藤氏の一文。

 比喩で言うと、わたしは洋紙ではない。手製の和紙
 といったところか。精密な機械で織る布ではない。
 手織り。電気ミシンで縫うのではない。一針一針手で
 縫うような、綴れ織りのようなことだ。
 ぼろを継ぎはぎする綴れ織り。そんなふうに思うと、
 おや、民芸のコンセプトと、方言で表現する仕事が
 同じことだというふうに思われてくる。
 ・・・・
 たとえば、今展で見られる津軽の「こぎん刺し」の
 きものについていえば、これは言語表現に置き換えれ
 ば、見事な方言詩の言語体、文体と譬えてゆるされる
 だろう。

ロシア文学者・詩人で今展の企画者でもある工藤正広なら
ではの優れて鋭い指摘である。
方言の保つ言葉の響きも含めた総体的な言語の手触りが、
手仕事の掌(たなごころ)と見事に木魂している。
この通底するラデイカルな木魂力が、北海道立文学館で異例
の民芸展を企画させたエネルギーだろうと感じる。
前日このブログで触れた高臣大介のコップへの想いとも、どこ
か木魂しながらこちらも読んでいたのだ。
カルチャーの原義が耕土という事が忘れられる現代。
本当に触れるという事が開墾する真実。
そこを基点として拓かれた風土・感性の響き・手触り。
耕土・風土が空洞化しつつある時代に見事に対峙する
文章と思う。

*高臣大介ガラス展「奏であう」ー2月19日(日)まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休。
*中嶋幸治展ー「分母第二号販売展・特集メタ佐藤ーその包み
 直される風景と呼び水」ー3月4日(土)5日(日)
*吉増剛造展「火ノ刺繍乃道(ルー)」ー4月予定。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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# by kakiten | 2017-02-17 13:53 | Comments(0)
2017年 02月 16日

透徹する掌ー湿地帯(4)

初日の夜高臣大介さんから先月訪れたフランスの話を聞いた。
ガラス作品の評価は相対的に低いという。
いわゆる工芸的な評価位置なのだろう。
現代美術、ファインアートとしては評価されていない。
その事に触れて高臣大介は、究極のガラス作品として
ガラスコップを考えているという。
何の変哲もないガラスのコップ。
そこに全てを籠める。
そして実際に一点作品が展示されている。
掌に収まるシンプルなガラスのコップ。
その掌の中に固有の個が息付いている。
究極の掌創り。
三浦正宏さんの民芸思想の精神に通じる。
人間の掌(てのひら)がひとりづつ固有であるように
その掌の(たなごころ)も固有なのだ。
コップひとつにその固有性を賭け顕在を志す。
究極の掌(たなごころ)コップだ。

高臣大介さんの話を聞きながら、掌の復権という人間
の原点のような今最もラデイカルなテーマを思っていた。
掌を離れて小手先・指先操作の機械増幅力で繁栄する社会。
掌(たなごころ)が抱擁する掌(てのひら)の宇宙。
その最もシンプルな造形形象のひとつコップを、究極の
ガラス作品として創りたい。
これは今ガラス作家高臣大介が到達したある透徹した志向
であると私は思う。
その究極の手・掌が、透明な一個のガラスコップとなって
顕在化するのは、永遠の挑戦となるかも知れない。
しかしその永遠性こそが究極の人類の掌(たなごころ)の
魂なのだ。

その想いで創られた透明なコップが一点、白い壁と白い棚
の上に置かれている。

掌が合わさって、合掌。
奏であう・・・・握手。
これも究極の掌だ・・・。

*高臣大介ガラス展「奏であう」ー2月19日(日)まで。
 am11時ーpm7時
*中嶋幸治展「分母第二号販売展・特集メタ佐藤ーその包み
 直される風景と呼び水」ー3月4日(土)5日(日)
*吉増剛造展「火ノ刺繍乃道(ルー)」ー4月予定。

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# by kakiten | 2017-02-16 12:44 | Comments(0)
2017年 02月 14日

「奏であう」初日ー湿地帯(3)

入って正面左側に吊された「野傍の泉池」十数本の
ガラス房の固まりが先ず目を引く。
中心部に光が宿っている。
天井を見るが、当たっている照明燈は見あたらない。
よく傍で見ると一房がそれ自体光を発している。
そして会場西のコーナーに数本のガラス房が吊され
下に大きなアラジン型の石油ストーブが置かれている。
そのストーブの熱の上昇気流がこのガラス房を微かに
揺らし音を立てている。
背後の白い壁に円いガラスが浮き、楕円の照明が注がれ
ていた。
あとは南窓に横一列にランダムな高さで野傍の泉池が
並ぶ。
光と奏で、灯りと奏で、風と奏でる。
午後昨年暮れ亡くなった太田ヒロさんの奥様が訪れる。
この時今回の展示<奏であう>が、鎮魂の詩を孕んで
いる感じを強くもった。
陽光の反射する雪明かり、気流の風が揺らすガラスの音、
内から発する灯りの灯籠。
これらが陽が落ちる夜、常夜灯のように奏であう刻(とき)
を刻んでいく。

高臣大介の千本を目指す「野傍の泉池」ー<奏であう>展。
鎮魂の優しい淵。
そんな展示と思う。

*高臣大介ガラス展「奏であう」ー2月14日(火)ー19日(日)
 am11時ーpm7時。
*中嶋幸治展「分母第二号販売展・特集メタ佐藤・包み直される風景
 と呼び水」ー3月4日(土)5日(日)
*吉増剛造展「火ノ刺繍乃道(ルー)」ー4月予定。

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# by kakiten | 2017-02-14 16:42 | Comments(0)
2017年 02月 13日

「奏であう」展示中ー湿地帯(2)

洞爺から到着したGLAーGLA4人、展示作業に入る。
先ずはインスタレーションの設定。
高臣大介、細かく指示しつつ気合いが入っている。
<奏であう<>・・どう表現されるのか。
川に例えれば、千本を目指す目標が海へと向かうものな
らば、今回は蛇行や岸辺との対話、澱みや淵のような
一房、一房の交感の展示と思える。
千本へという目標への志向から途中の過程を川の蛇行の
ように、せせらぐ(奏であう)空間を創るテーマと思う。
昨年10年ぶりに演奏してくれた太田ヒロの死への追悼
もあるかも知れない。
また今年1月フランスを訪れ他国文化との直接経験もあっ
たのだろう。
どちらにせよ、蛇行・淵・岸辺の時間を包含する事は、
千本という量(りょう)からプロセスという料(りょう)
への自然で豊かな呼気・吸気の流れだ。
「野傍の泉池」、発想の原点が目指した千本。
そして豊かさを孕む岸辺との触れ合い、澱み・蛇行・淵
の時空間。
響き合い、奏であう・・・せせらぎの時。
泉として湧いた一滴の源流がサクシコトニ川となり、琴似
川本流と合流し伏古川に注ぎ石狩川と出逢う。
そして河口から海へ。
その流れは直線ではない。
岸辺・他川との<奏であう>出会いの流れなのだ。
同じように高臣大介の今回の作品世界は、太田ヒロとの出会い
、別れ、親友谷口顕一郎琴似川彫刻作品との不思議な再会、
村岸宏昭白樺作品との再会等ここでの川の記憶も孕みながら、
あるたゆたうひと時を形象化する事だろう。

*高臣大介ガラス展「奏であう」ー2月14日(火)ー19日(日)
 am11時ーpm7時。
*中嶋幸治展「分母第二号販売展・特集メタ佐藤ー包み直される風景
 と呼び水」ー3月4日(土)5日(日)。
*吉増剛造展「火ノ刺繍乃道(ルー)」ー4月予定。

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# by kakiten | 2017-02-13 13:21 | Comments(0)
2017年 02月 11日

料理と量利ー湿地帯(1)

たまに肉を買おうかなと思いスーパーの肉コーナー
に行くと、色んな表示があって迷う。
たまたま見たレシピの肉材料の表示が思い出せない。
切り落とし?細切れ?バラ?薄切り?・・・。
牛か豚か鳥の違いは覚えていたが、切り方はうっすら
としか覚えていない。
料理の種類によって素材の切り方も違う事を初めて
知った気がした。
料理されたものをただ食べていた時、あれ食いたい
あれ食うぞ、と出来上がった食物のイメージだけが
先行していた。
この日もたまたま見たレシピに触発され、今日は
牛丼作るぞと思ったのだ。
しかし出来上がったイメージと作る・料理するとは
隔たりがある。
ひとつひとつの素材を計る料(りょう)の理(ことわり)
が、出来上がったものには見えないのだ。
味や食感を考える過程が無く、完成した結果を量として
享受する。
料理と量利の違いである。

生活に溢れているプラステック製品と伝統的な民芸の
道具を見て思うのは、この料理と量利の違いである。
民芸には道具ひとつひとつへの目的と作る過程が掌の
ように形となっている。
プラステック製品は型で大量生産されるから、用途の
形は先行し定型化している。
これも料の理と量の利の違いだろう。
大量に溢れているプラステック製品はその利便性が
大量生産・大量消費・大量廃棄を生み現在の生活のある
一面を支えているのも事実なのだ。
戦後特に日本は民主主義の名の下、この量利・民主主義
的に今があるような気がする。
「手仕事の日本」と柳宗悦が書いた民芸のような<民主>
主義ではなく、量・利に偏った民主主義である。
その傾向は社会全般に及んで、道具だけでなく住居も街も
交通も量・利を目的化している。
そして人間自身もスマホ頭脳を抱え込むプラステック的
人間に<量利>されつつあるのかも知れない。

*高臣大介ガラス展「奏であう」ー2月14日(火)ー19日(日)
 am11時ーpm7時。
*中嶋幸治展「分母第二号販売展・特集メタ佐藤ー包み直される風景
 と呼び水」ー3月4日(土)5日(日)
*吉増剛造展「火ノ刺繍乃道(ルー)」ー4月予定。

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# by kakiten | 2017-02-11 17:20 | Comments(0)
2017年 02月 10日

掌の木魂ー広い河口(23)

ギャラリーに着いて間もなく隣の大家さんが来た。
あの熊の本の人が来てこれ置いていったよ・・、
と本とパンの包みを渡された。
本は「北海道 木彫り熊の考察」(かりん舎刊)だ。
ケイタイが不調と聞いていたので、FBメールで
本の著者山里稔さんに御礼を送る。
返事が来た。
北海道立文学館の「"手仕事の日本”と民芸の思想」
展を見た事、そして連絡もせず訪ねた事のお詫び
さらに展示作品が、とにかく良かった、と書かれ
ていた。
北海道の木彫り熊を徹底的に初期から調査し、その
独自性を200頁フルカラーに2年前纏めた山里さん。
その労作本を是非秋田・海青舎の三浦正宏さんにも見
せたかったのだ。
そして山里さんにも今回の三浦さんの手仕事民芸の
展示を見て欲しかった。
届いた山里さんの木彫り熊の本は、三浦さんへ贈呈の
感謝の気持ちの表れであった。
・・・とにかく良かった・・・。
この一言だけでふたりの優れた手仕事研究家は、もう
会わずして心を通い合っている。
山里さんは三浦さんの蒐集した民芸品の数々を見て
感動し直ぐここへ直行したのだろう。
秋田の三浦さんにも早速この事を報告する。
まだ見ぬ本、まだ見知らぬ山里さんの事を彼もまた
いつものように控えめな言葉で喜んでいる。
展示搬出日には再び札幌へ来るというから、その時
ふたりの響き逢う時間が保てれば良いなあと、今
から楽しみに思うのだ。

先人の優れた掌(てのひら)の仕事を発掘し、蒐集し
記録し続けているふたりの掌(たなごころ)が、合掌
するように<奏であう>のだ。

高臣大介よ。
君のガラス<奏であう>は、こんな形でも鳴り響いているよ・・・。

*高臣大介ガラス展「奏であう」ー2月14日(火)ー19日(日)
 am11時ーpm7時
*中嶋幸治展「分母第二号販売展・特集メタ佐藤ー包み直される風景
 と呼び水」
*吉増剛造展「火ノ刺繍乃道(ルー)」ー4月予定。

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# by kakiten | 2017-02-10 13:34 | Comments(0)
2017年 02月 09日

奏であうー広い河口(22)

来週から展示される高臣大介展「奏であう」のテーマを
見ながら、パリで閃いたというこのテーマを考えていた。
「野傍の泉池」百一本から始まったガラス房の展示。
毎年百本づつ増やし千本を目指す4年目の今年は四百本
へと思っていたが、今回「奏であう」展では、別の構想
を抱いたようだ。
今回のテーマ<奏であう>は、<あう>が主題と思う。
逢う、遇う、会う、合う・・・。
他者との交響という新たな回路の発見が、新鮮な想いで
あったのだろうか・・・。
千本を目指すという数の目標の中で、今回は一本一本の
響きに耳を澄ます一対一の個に軸足を置いている気がする。

民芸の三浦正宏さんと再会し感じた事は、長年の継続と
一回一回の結晶の重さという事である。
継続は直線ではない。
一回一回の踵の連なりなのだ。
その珠玉の踵(かかと)時間が、継続の原点と思える。
鍬のように一回一回耕した時という場。
作家と画廊、作家と故郷、さらに作家と時代とは、そう
した<奏であう>関係にある。
本質的な意味で表現者にとって<場>とは、表現者の踵の
耕土だと思う。
爪先立って場の新奇さに惑わされている人間に、踵の場・
耕土は生まれない。
場・耕土(カルチャー)とは、培(つちか)うものでもある。
高臣大介展「奏であう」は、そうした意味も含めて今回は
千本を目指す爪先の時間から、個・場と作品が出逢う踵(かかと)
の耕土(カルチャー)の<奏であう>空間となるだろう。

*高臣大介ガラス展「奏であう」ー2月14日(火)ー19日(日)
 am11時ーpm7時。
*中嶋幸治展「分母第二号販売展・特集メタ佐藤ー包み直される風景
 と呼び水」ー3月4日(土)5日(日)。
*吉増剛造展「火ノ刺繍乃道(ルー)」ー4月予定。

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# by kakiten | 2017-02-09 16:46 | Comments(0)
2017年 02月 05日

凝縮した時間・抱擁ー広い河口(21)

土曜日午後、旧友工藤正広氏企画の北海道文学館
{「手仕事の日本」と民芸の思想}展を見に行く。
そして初日の三浦正宏氏講演を聞く。
柳宗悦時代の古い写真をスライド上映しながら、民芸
の時代と思想を語る。
変わらぬ訥弁だ。
長身に少し貫禄を増してはいるが、その口調は変わらない。
講堂は満員で見知った顔もいる。
講演終了後展示を見る。
懐かしい民芸品の数々が凝縮して並ぶ。
「点描・秋田・手仕事」「海青舎の民芸」展等毎年
展示し続けたエッセンスのような民芸作品が並ぶ。
柳宗悦の貴重な資料も多いが、殆どが三浦さんの収蔵
する民芸品だ。
遠く時間を経て毎年の展示の為に全国から蒐集した
彼の努力の結晶が輝いている。

展示室を出て入口近くに戻ると三浦さんの姿を見る。
挨拶に近寄ると、手を挙げて近づき握手。
軽く抱擁される。
一緒に来た津軽出身の美術家中嶋幸治さんを紹介。
講演を聴き興奮している中嶋さんが一気に語り出す。
そして自ら制作販売予定の手作り製本の冊子作品を
リュックより取り出し見せている。
三浦さんも同じ東北人の中嶋さんの人柄を直ぐに
感じたようだ。
その時ふっと顔を横にして”中森スピリットは健在
ですか”と聞いた。
”ええ、勿論”と中嶋君が応える。
すると三浦さんが再び私の方を向き、顔をくしゃく
しゃに笑顔で抱擁した。
時間が凝縮して跳んでいた。

 精神分析的には、男性は身体を持っていない。
 言い換えると、男性の身体は透明で、日常的には
 身体性をほとんど意識していないんです。
    (精神科医斉藤環対談集NHK出版)

文月悠光さんのエッセイ「洗礼ダイアリー」に引用され
ていた一文である。
三浦さんの二度の抱擁にその答えがある。
時を超えた今を抱く直接性こそが、男の身体性ではないか。
時空を超え同じ<志>に触れる、その触れる直接性。
その直接性こそが身体性なのだ。
一度目の抱擁で発した言葉は、”昔展示した作品ばかり
ですよ・・”
そして二度目の抱擁は無言。
それは中嶋君に変わらぬ友の志を確認をした喜びを呑み込ん
だ無言、そして抱擁。

短い時間の再会だったが、十数年の我々の空隙は豊かな時空
に抱擁されていた気がする。
円山北町時代、恩師菱川善夫先生の紹介で出逢った三浦正宏
さん、現在の北大傍のこの地で出逢った中嶋幸治さん。
このふたりを繋いで私は自分の今を抱擁している。
三浦さん、中嶋さん、そして今回の三浦さんの展示を企画し
てくれた旧友工藤正広、ありがとう・・・。

*高臣大介ガラス展「奏であう」ー2月14日(火)ー19日(日)
*中嶋幸治「分母第2号販売・展示「特集メタ佐藤ー包み直される
 風景と呼び水ー」3月4日(土)・5日(日)。
*吉増剛造展「火ノ刺繍乃道(ルー)」ー4月予定

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# by kakiten | 2017-02-05 16:34 | Comments(0)
2017年 02月 03日

風景というカルチャー(耕土)ー広い河口(20)

その地固有の風景も掛け替えのない文化である。
そこには先人の険しい自然と闘い、調和を獲得し
た借景の美がある。
月寒丘陵の台地に酪農の地を切り開き、今も美味
な牛乳と農作物を市民に直売している八紘学園の
敷地を野球球団に提供する話が札幌市から出ている
と報道された。
黒沢明の札幌を舞台とする映画「白痴」でも、その
丘の坂道の風景シーンは印象が深い。
八紘学園の坂道だけでなく、他にも多くの昭和20
年代の札幌の風景がこの映画には映されていた。
北大近くに在った有島武郎邸、札幌駅の陸橋、旧
札幌駅前、五番館、二条市場界隈、中島公園・・。
それらの風景は凍てつく太い氷柱とともに、不思議な
異国情緒の近代風景を画面に映し出していた。
北国の自然風土と近代モダニズムが融合した札幌という
街の固有の美しさがこの映画の大きな主役でもあった
と思う。
ドストエフスキー原作の白痴を札幌に置き換え制作さ
れたこの名作は、公開時大幅にカットされ黒澤明の怒り
を呼んだ。
しかし未発表のシーンも含め、この映画の大きな主役は、
かってあった札幌の都市と自然の織りなす稀有な風景で
あったと思う。
その時代を今に残す唯一と言っても良い八紘学園の敷地を
一プロ野球球団の練習場に売り渡せとは、どういう事なのか。
近くに在る札幌ドームとの兼ね合いと思うが、ドーム建設
時併設された野外美術群通称「アートグローブ」と同様に
なんらこの地の自然との融合性、文化の創造性が観じられ
ない。
この頃から際立って、自然との境を敬意と畏れを抱いて
界(さかい)を創るという借景の美学が絶えてきた気がする。
なだらかな丘陵地帯の特色を活かし、酪農の地を切り開いた
官の北大農学校とはまたひと味違う民間の酪農場。
その丘陵・酪農風景もまた札幌の風景文化遺産である。
そこには札幌東南部独特の月寒丘陵の自然が活きている。

荒々しい自然野生を借景とし、先人はカルチャー(耕土)
として風土を活かした。
機械力インフラに全てを委ね、自然への畏敬の念を捨て去る
人間の傲慢さをこの頃から突っ走って、今がある気がする。

*高臣大介ガラス展「奏であう」ー2月14日(火)ー19日(日)
 am11時ーpm7時。
*中嶋幸治展「分母」制作・販売ー3月4日(土)、5日(日)。
*吉増剛造展「火ノ刺繍乃道(ルー)」ー4月予定。

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# by kakiten | 2017-02-03 15:00 | Comments(0)