テンポラリー通信

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2017年 06月 10日

静かな余白ー泉=メム(8)

昨日薄いヴェールの丘が消えた。
砂袋何個になったのだろう。
郊外の塵芥処理場へ何度か運んで行った。
大野一雄の踊った石狩来札浜の砂、札幌郊外
自宅庭の土、実家のある釧路の湿原の石。
村上仁美さんが運び込んだ3ヵ所の砂・土・
石は、薄いヴェールの丘となって、鈴木余位
さんの制作した石狩河口の一粒の砂と水の動画
が砂丘頂きに瞬いていたのだった。
砂・土・石の生命のように、夕闇の濃さと共に
瞬きを増していた。
そして時の経過とともに、砂の中から新しい草
の芽が頭を持ち上げていた。
さらに砂中の虫の移動の跡ー道(ル)が、砂丘
の表面に顕れたりもしていた。
大画面とモニターに映る吉増剛造の脳胎内映像
と鈴木余位の砂粒・水の脈拍映像。
その映像が消えた後も薄いヴェールの丘は、昨日
まで存在していた。
そして円錐形の丘の逆芯のような、アフンルパル
螺旋遺構の旅があった。
これも薄いヴェールの丘の続きのような気がする。

静かで豊穣な余白。
そんな余韻が会場にまだ漂っている。

*三人展「なんのためにあるのか」ー6月23日(金)
 ー7月2日(日)am11時ーpm7時:月曜定休。
*及川恒平×古館賢治ライブー7月中旬予定。
*5人展ー7月25日ー30日:鼓代・チQ・藤川・岡田
 ・酒井。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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# by kakiten | 2017-06-10 12:03 | Comments(0)
2017年 06月 08日

咀嚼・分解・吸収ー泉=メム(7)

4人のアフンルパル探訪の写真・話を見聞きしな
がら、ふっと頭に浮かんでいたのは、「怪物君」
草稿とGOZOCINEの映像だった。
昭和25年26歳の吉本隆明が手で描いた枡目・
罫線の原稿用紙に記された詩集「日時計篇」。
その詩行を筆写しその草稿の上に絵の具が氾濫
する「怪物君」の吉増草稿。

 にんげんは再び穴居して
 かぎりなく視なければならぬ

例えばこの二行の詩を吉増の脳内臓は咀嚼し、反芻し、
分解し、吸収しようとする。
その咀嚼的視覚過程そのものが吉増の「怪物君」草稿
・GOZOCINEである。

アフンルパルの破壊され草で覆われた螺旋の窪みを
歩き入る4人の姿は、私には罫線・枡目が時代の草藪
の中で見えなくなる真詩を追う吉増の目と手の動きと
重なって見えるのだ。
脳中の知的五臓六腑全てで吉本隆明を咀嚼し分解し
本質の詩を吸収しようとする。
その過程がアフンルパルを歩き廻る行為・時代・自然
環境と重なるのである。
そして1950年{昭和25年)の朝鮮戦争後方支援の
特需景気、神武景気、やがて高度成長のバブルへと突っ
走る戦後近代の鳥羽口に対峙した吉本隆明思想の原点
草稿を逍遙し探求する吉増剛造の手足と重なるのだ。

ヒロシマ・ナガサキそして戦後チェルノブイリ・フクシマ
を経て今問われている自然宇宙と人間社会の本当の界(さ
かい)の原点を、吉増剛造の「怪物君」の仕事と古代遺跡
アフンルパルの位相は、どこか共通のトニカを時代に響か
せているように私は感じる。

*3人展「なんのためにあるのか」ー6月23日(金)ー7月2日(日)
 am11時ーpm7時:月曜定休。
*及川恒平×古館賢治ライブー7月中旬
*5人展ー7月25日ー30日:チQ・鼓代・岡田・藤川・酒井。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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# by kakiten | 2017-06-08 15:32 | Comments(0)
2017年 06月 07日

アフンルパルへー泉=メム(6)

4人で行ったアフンルパルへの旅。
その情報が染み入る様に入ってくる。
酒井君のリポート、村上さんの身体ごと感受した
風景の回路、帰京した余位さんの熱い火照りの
メール、山田君の深い眼差し。
自動車道で破壊された螺旋状の他界への回路。
そしてその窪地を取り巻く大きな自然地形の豊か
な環境回路の存在。
アフンルパル自体が、遠くの山並みも含めもっと
大きな風景の結晶の内に存在する、と聞きながら
感じていた。
何れの日にか吉増さんにも再訪して頂きたい、と
私の初訪問も含めて楽しみにしている。
スマホで撮られた半分破壊された螺旋の下を走る
車の姿。
この構造は今も我々の都市で日々見かける光景
なのだ。
墓地を切り裂き走る環状線。
神社の石段をぶった切る高速道。
古い屋並みを切り裂くタワービル。
古代の遺跡だけではない。
都市の効率主体の直線暴力構造は、まさに末期
近代の斧の痕。
自然界と人間世界の豊かで有機的な深い無数の
回路が、物流の利便一回線に矮小化される現代。
高速化・切り捨ての痩せた薄い回線なのだ。
海・山・森を包含してアフンルパル(入る・道・
口)という無数の回路を保つ宇宙体が在る。

そんな思いが募って「火ノ刺繍乃ル=道」を終え
「ー「石狩シーツ」の先へ」を思う。

1990年吉増剛造展「アフンルパルへ」ふたたび・・。
1994年「石狩シーツ」ふたたび・・・。

*3人展「なんのためにあるのか」-6月23日(金)-7月2日(日)
 am11時pm7時:月曜定休。
*及川恒平×古舘賢治ライブー7月中旬予定
*5人展ー7月23日ー30日

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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# by kakiten | 2017-06-07 14:54 | Comments(0)
2017年 06月 06日

薄いヴェールの丘ー泉=メム(5)

会場中央の村上仁美さんが築いた砂と土の丘が
半分消えた。
鈴木余位さんがトルコから帰国し、映像設営を
片付けている。
先月展示後撮影に呼ばれてトルコへ赴き今札幌で
搬出作業だ。
吉増さんは5月末オランダへ赴き、今月帰国し
札幌へ。
皆さん動きが国際的だ。

 薄いヴェールの丘にたち、静かに"病い”を待っている

         (「花火の家の入口で」ー吉増剛造)

撤去作業を終えた余位さん、村上さんたちを一日札幌緑の
運河エルムゾーンに案内する。
大通り公園西7丁目ー西8丁目間の通りを塞いで創られた
イサムノグチのブラックマントラからスタートする。
この螺旋形の滑り台は当初8丁目にあるなだらかな人工の
丘を潰してその地に予定されていたが、イサムノグチが
勿体ないとその手前の道路に建設を決めたと聞く。
なだらかな丘は、この地帯がかって木々が茂り遠くから
見ると鯨の背のように見えて、鯨の森と呼ばれていた事に
由来し創られたようだ。
鯨と螺旋の造形。
これは登別のアフンルパル(螺旋状のあの世への入口)と
フンペ(鯨)の地形関係に似ている。
そこからY電機ー札幌TV本社を経て植物園へ。
植物園を一巡りし、出て通り一つ隔てた伊藤邸を一周する。
もうすでにマンション建設が始まっていて、主の居ない
広大な庭は草木が勢いよく野性味を漂わせている。
植物園の大樹の梢と伊藤邸の大樹の梢が旧5号線を超え
上空で握手しそうな勢いである。
元々は同じ森の木々たちだ。
そこから偕楽園緑地跡井頭龍神を詣で、清華亭の春楡{
エルム)の巨木を見る。
さらに通りを渡り、北大構内のサクシコトニ川へ。
そして川沿いに北18条の遺跡公園まで歩く。
ちょうど北大祭の最中で大勢の人が歩いて屋台も多く
いつもの静けさはない。
それでも遺跡公園の近くは人もいなく静かだ。
そこからテンポラリーに戻り、登別のアフンルパルを
見たいという余位さんの為に酒井君に連絡し予定を
組んだ。
8年程前酒井君の優れたアフンルパウ探訪記を読んで
いたので、適格だと思ったからである。

翌日村上さんの車で余位さんたちが曇天雨の中聖地へ
と向かった。
2011年封印を解いた余位さんの8ミリカメラが
きっと優れた映像経験として何時の日か披露される
時もあるだろう。
吉増剛造展「火ノ刺繍乃ル=道」は8月「火ノ刺繍
ー「石狩シーツ」の先へ」へと連なり、静かな胎動
を続けている。

*3人展「なんのためにあるのか」ー6月23日{金)ー7月2日(日)
 am11時ーpm7時:月曜定休。
*及川恒平×古舘賢治ライブー7月中旬予定
*5人展タイトル未定ー7月23日ー30日:チQ・鼓代・藤川・酒井・岡田


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# by kakiten | 2017-06-06 12:44 | Comments(0)
2017年 05月 30日

「火ノ刺繍乃ru=道」展終わるー泉=メム(4)

最終日、雨・曇天。
その所為もあり、北壁一杯の大画面も明瞭に。
じっくり4枚の「怪物君」GOZOCINEと
新宿ピットイン大友良英・吉増剛造コラボ画像
を見ていく人が多かった。
まだ生まれて間もない赤子を抱いたYさんの姉妹
の人、初めてハイヒールを履いた写真家竹本氏の
愛嬢Uちゃんも来て吃驚。
朝一番浪江出身のH氏が再び帰京前に立ち寄って
くれて、とても会って二度目とは思えない濃い
時間があった。
午後6時過ぎ、最後に訪れた秋元さなえさん、中嶋
幸治君、響文社高橋哲雄氏が残り東京吉原氏から
送られたシャンパンを開け乾杯する。
今回響文社刊吉増剛造「根源乃手」を初めて預かり
販売したが、約20冊残部僅少で好評だった。
8月同じ響文社から出版される「火ノ刺繍」とともに
2011年から始まった吉増剛造の3・11戦後体験
の大きなモニュメントがここで生まれるだろう。
1994年「石狩河口/坐ル」展-長編詩「石狩シーツ」
2011年「石狩河口/坐ル ふたたび」展ー「怪物君」
前者には大野一雄の存在があり、後者には吉本隆明の
存在がある。
それは広い裾野を俯瞰すれば、明治近代と昭和戦後近代
の根源への吉増剛造全力の眼差しが、沸々とある。
その意味で今年8月札幌国際芸術祭で展開される吉増剛造
展の発表されたタイトルは象徴的で刺激的である。

「火ノ刺繍ー{石狩シーツ}の先へ」

再会、そして数多くの出会い。
9日から28日の萌える5月だった。
トルコから帰国の鈴木余位さんを待っている搬出までの
無人の会場。
今日中央の<薄いヴェールの丘>砂山から新しい草の芽が
噴き出していた。
ふっと「花人」と吉増さんが村上仁美さんの為に揮毫して
くれた文字を思い出していた。
花人の<人>に両点が入れば、<火>。
「花火の家の入口で」、「石狩シーツ」が収められた
詩集のタイトルだ。
人が火となる発火点のような9日から28日の5月だ
ったのかも知れない。
<花火の家の入口で>再会・出会い、多くの友人たち、
ふたたびの感謝を捧げる。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目斜め通り西向き
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# by kakiten | 2017-05-30 15:59 | Comments(0)
2017年 05月 27日

移民・難民・棄民ー泉=メム(3)

明治の近代化と昭和戦後の近代化の過程で、移民
移住していった人たち。
それらとは全く違う過程でフクシマの移住・移民
がある。
国内・国外の相違はあっても、移民状況の動機
も違う。
移住せざるを得ない故国・故郷の有り様。
移民ではなく棄民のような、深い心の痛手。
その時故郷・故国は時に愛おしい純化した結晶の
ように、心に抱かれ保たれる。
その故郷・故国の磨き上げられた存在に、はたっ
と立ち尽くす瞬間が我々にあるに違いない。

ある時友人のQ君が語った事を想い出す。

 最近知り合ったブラジル日系3世の友人と会うと、
 何故かほっと安らぐ気がするんだ・・。
 彼の日本語が凄く綺麗でね・・・。

両親、祖父祖母が大切に守った故国の言葉。
ポルトガル語やスペイン語が公用語の異国で、心の
棄民とならぬよう大切に保たれていた故国の言語。

この話を浪江出身のH氏にした時、彼は驚いたように
云った。
ブラジル移民の移住者の割合は東北浪江が多いのです。

海外移住と国内移住。
その移民者の故郷の心の距離。
移民・難民・棄民。
ノーモアヒロシマで終わった明治近代。
ノーモアフクシマをもたらした戦後近代。
私たちの時代は、故郷・故国の像を今後如何なるもの
として結んでいくのだろうか。

+吉増剛造展「火ノ刺繍乃る=道」ー5月28日まで。

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# by kakiten | 2017-05-27 13:03 | Comments(0)
2017年 05月 26日

心寄る日ーメム=泉(2)

ふっと魂集まるような日だった。
福島県浪江で復興の仕事をしている東京の出版社の
H氏が来る。
浪江の出身という。
吉増さんとも親しく、茅ケ崎のT氏に此処への訪問
を強く勧めた人でもある。
本人は来る予定は立たなかったが、T氏からの話を
聞いてたまらず訪れたようだ。
この日吉増さんからも電話あり、明日オランダへ
発つけれどH氏が訪問するからよろしくという伝言
も添えられていた。
奥の談話室へ招じ、これまでの吉増展への流れなど
を説明する。
そして現在の吉増さんのふたつの近代を軸点とする
石狩河口/坐ルー「石狩シーツ」1994年
石狩河口/坐ル ふたたびー「怪物君」2012年~
そこには1992年から94年のブラジル体験と
2011年3・11の経験が大きく在る事を話した。
何故H氏が吉増さんに惹かれているのか、その真の
部分が話している内に心の底から深く湧き上がって
きたのか、話の後半にはもう涙目そして号泣するよ
うに机に俯せ涙が止まらなくなっていた。
心撃たれる男の涙を久しぶりに見た。
福島県浪江出身でありながら、震災以降復興の仕事
をしていて感じた被災当事者との心の谷間。
その経験はきっと吉増さんがブラジル日系社会で感
じとった故国日本の落差と同質の苦悩ですよ、と私
が語った事がきっかけだった。
何故吉増さんに惹かれ、時に救われた気がするのか、
その疑問が同じ経験という言葉で深くなにかが弾け
色んな想いが一気に込み上げてきたのだと思う。
1994年ブラジル滞在を切り上げ、詩を止めよう
とまで思い込んでいた吉増剛造。
そこからの復活に「石狩シーツ」の誕生があぅた。
そして3・11以降のふたたびの復活。
そこで出会ったH氏は吉増さんの深い心の亀裂体験
をどこかで救いのように感受していたのだと思う。
その理由が自分自身の震災・原発を経た福島体験と
呼応し響きあっている事にはたっと得心したのだ。
地球の反対側まで遠く離れた移住者の故国への想い。
立ち入り禁止が続く難民の故郷への想い。
その当事者の深く重い心の位置は、同じ故国、同じ
故郷といえども同じ位相にはない落差がある。
H氏が経験しつつあるその故郷の落差は、1990
年代前半吉増さんが経験したであろうブラジル日系
社会人が保っていた故国でもあったと私は思う。

 震災後初めて吉増さんに会った時、ただただ黙っ
 て傍にいてくれました。それが凄く嬉しかった・・。

 復興のイヴェントで浪江で集会を開き、吉増さんの
 公演で当初は声が聞き取れなく800人ほどの
 聴衆たちが白け気味の後、吉増さんが浪江のある
 地名を大きく絶叫した瞬間会場の空気は一変しま
 した。前列にいた高齢者たちは涙を流していました。

 「怪物君」の草稿を初めて見せられた時、原稿を
 大事にしてほしいなあ、と感じながらふっとそこに
 見た<包む>という一字に何故か深く心撃たれまし
 た・・・。

 福島浪江復興の仕事をしながら、被災者と話すと
 なにか拒絶のような谷間を感じるのです。
 同じ故郷の出身なのに・・・。

同じ故郷・故国であっても心の想いの傷の深さには
ある落差がある。
それは経験・体験というものの形(かたち)の同一さ
ではない、もうひとつの容(かたち)。
内側の深度が在るからだ。
吉増さんのブラジル日系社会で感じた故国日本。
H氏が震災後に感じた故郷。
その落差を吉増剛造は闘いながら自分を追い詰め
克服してきた<・・坐ル><・・・坐ル ふたたび>
が在る。
H氏が惹かれ安らいだ吉増剛造は、その容(かたち)
経験の同質性なのだ。
そう感じた時溢れたのは、ただただ涙だった・・・
と思う。

その前余位さんの後輩Aさんも来て魂の話を零して
帰った。
一日魂が寄り添うような日だった。

*吉増剛造展「火の刺繍乃ル=道」-5月28日まで。
 am11時ーpm7時。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目斜め通り西向き
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# by kakiten | 2017-05-26 14:26 | Comments(0)
2017年 05月 24日

諸国人往来ーメム=泉(1)

色んな人が来る。
それぞれの出身地が立ち上がる。
勿論札幌もあるが、本州の各地九州、四国、沖縄
南の匂い、土の匂い、海の風がする。
それも初対面、知っていても初めて深く話した人
がほとんどだ。
その内のひとり、一作日初めて逢って昨日また来て
くれたT氏は、神奈川県茅ヶ崎の人だった。
彼は勿論吉増フアンであるが、私はその住所に惹か
れるものがあった。
あの明治の治水学者岡崎文吉の終焉の地茅ヶ崎が
閃いたからである。
早速その話をすると、なんと郷土の歴史的人物を
調べている人で、岡崎文吉の名前を知っていたのだ。
そこで死の一年前彼が自宅庭に建立した生前墓石の
話をしてその碑文を見たいと以前から思っていたと
話すとすぐ調べますと応えてくれた。
岡崎文吉について私の資料・映像を参考に話をする。
段々興奮して来るのが分かる。
またひとつ河口に流れ込む新たな川のル=道が見え
てきた。
1887年岡山県から札幌農学校工学部に入学した
岡崎文吉が治水学者として実践した最初の仕事が、
当時の石狩河口・茨戸に自然工法護岸跡として今
も遺されている。
今も変わらぬ主流の効率重視ショートカット工法に
よる河川改修は、自然の川の蛇行を重視した岡崎の
自然工法を退け岡崎は北海道を追われ満州へ赴く。
そして終戦間近な1945年横浜茅ヶ崎で死を迎える。
その前年生前墓碑を自宅庭に岡崎は建立するのだ。
その碑文を一度確かめたかった。
私のもうひとつの石狩河口の入口・出口である。
その茅ヶ崎に住む人が吉増剛造展に来た。
早速彼のSNSに岡崎の碑の写真が投稿されていた。
T氏は明日もまた吉増展を見る友人と来るという。
T氏の報告に刺激されこの友人も関東から来るという。

8月に「根源の手」に続き「火ノ刺繍」を出版する
響文社社主高橋氏との出会いも深く響くものがある。
これも今回の河口の出会いの一つだ・・・。

*吉増剛造展「火ノ刺繍乃ル=道」ー5月28日まで。

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# by kakiten | 2017-05-24 13:11 | Comments(0)
2017年 05月 21日

泉(メム)の時間ー暗渠(27)

夕刻から始まる及川恒平×山田航「傘」ライブ。
会場中央の村上仁美さんの作品もあり、あまり
人が多くては、と心配していた。
薄いヴェールの丘、砂土の小山は除ける訳には
いかないからだ。
しかも一連の山田航ドキュメントを撮影してい
る某TV局も取材で入るというから心配だった。
しかし早めに来た撮影隊のデレクターは旧知の
Y氏だった。
川俣正テトラプロジェクト時代の知人だ。
さらに唯一客として来たTさんは今は旭川局に
赴任中のTさんで、十年ぶりで再会した。
円山を退店当時取材してくれた優秀な記者だ。
今もその記事は十数冊のここでのファイルの一
番最初に切り抜いて保存されている。
姿形変わって気付かなかった私にY氏が紹介し
てくれ思わず声を出し再会を喜んだ。

そんな稀有な再会の環境で、撮影と及川・山田の
対話・ライブが始まる。
ふたりのテーマ「傘」の主題展開に始まり、山田
航の短歌朗読・及川恒平のフォーク歌唱が展開
された。
撮影隊3人、客ひとりの中で及川・山田の濃い
応答・歌・唄が淡々と進んだ。
最初から最後まで2時間近く収録は続いた。
最後に滅多にないというより初めて及川さんが
友人井上陽水の「傘がない」を歌った。
今回のテーマに添ってだ。
ひと味も二味も違う「傘がない」。
私はその後及川さんのオリジナル曲「雨」を
リクエストした。
撮影したTV局もひとりだけ訪れたTさんも
非常に贅沢な時間だった。
放映される番組ではほんの一部しか放映され
ないだろうけれど、完全収録された映像は後に
DVDにして送ると約束してくれた。
撮影隊も仕事を超えてこの場の時間を心から
楽しんでいた。
その意味では展示者の村上仁美、私、撮影隊
3人、新聞社のTさんも含め、6人が聴き手
だった。
それぞれが遠い縁で集まっていた。
こんなライブは及川さんも初めてだろう。
それは普段見れない、聞けない内容に凝縮さ
れていた気がする。
及川さん到着前奥の談話室でY氏、私、山田
と語り合う場面も撮影されているので、全体
が貴重な記録ともなるだろう。

吉増剛造展「火ノ刺繍乃ル=道」
不思議な時の泉(メム)の時間・・・・。

*吉増剛造「火ノ刺繍乃ル=道」展ー5月28日まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休。

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# by kakiten | 2017-05-21 13:38 | Comments(0)
2017年 05月 19日

一陣の風ー暗渠(26)

遠方より来訪者が相次ぐ。
京都のM氏、Mさん、S氏。
札幌国際芸術祭参加メンバーのようだった。
それぞれが映像・舞踏等の表現者らしいが、控えめで
爽やかな人たちだった。
最初に訪ねてきたM氏は、京都在住だが生まれは広島
で幅広い人脈と多分野の作家達と仕事をしている。
前回の国際芸術祭とはまたひと味違う人たちである。
藻岩山のわき水を淹れた珈琲を本当に美味しいそうに
飲んでくれてこちらも報われた気がする。
難しい話も良いけれど、こうした普通の心に人柄が出る。
大友良英のコンセプトが人選にも活きている気がした。
必ずもう一度来ますと午後7時半を過ぎて別れた。

酒井君と村上さんが色紙大フライヤー、最後の手入れを
行っている。
人にふたりの痕跡が入魂する事で、「火」。
「火ノ刺繍乃ru=道」のフライヤーの完成だ。
そこに吉増さんが宛名を書き郵送・手渡しで儀式が終わる。
国際芸術祭吉増剛造展タイトルは、「火ノ刺繍から石狩シ
ーツへ」。
2011年から続く展示のひとつのピークともなるだろう。
ノーモアフクシマ。
戦後という近代のひとつの結節点と思える。
ヨコハマから開いた近代の扉。
そしてノーモアヒロシマで終焉した明治近代。
さらにアメリカ占領で始まった第二のデモクラシー近代。
それが3・11フクシマで再び第二のノーモアとなりつつ
在るような気がするからだ。
吉増剛造「怪物君」の一連の仕事は、そのふたつの近代
の根本を見詰めている。

エルムの都札幌の「緑の運河エルムゾーン」のまん中で
吉増剛造は再び如何なる回路を切り開くのか、
8月以降が待たれるのだ。

*吉増剛造展「火ノ刺繍乃ru=道」展ー5月28日まで。
 am11時ーpm7時;月曜定休。
*及川恒平×山田航ライブ「傘」ー5月20日{土)午後5時~
 予約2500円。ーこの時間一時吉増展休廊します。

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# by kakiten | 2017-05-19 12:29 | Comments(0)