テンポラリー通信

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2006年 02月 10日

しゅつたつは告げられてある(6)

ネットが回復繋がった。もうネットカフエまで出かけなくてもいい。
インターネットまでここのところ<伏篭ーフシコ>だった。でも梁井さんの
ヘビ神社の思い出、kahiさんの二股峠の思い出ふっと湧き上がるように
伏し篭もっていた記憶が繋がってくる。人間の伏流水もいい。きっと何処かで
また合流する。そして深い濾過された感性が新たな命をもつ。作品が生れる。
そんな泉のような場所を今求めている。したがって歩く。再生する為に。
梁井さん、kahiさん感謝します。勇気戴きました。

さっぽろの闇は深い。まだまだ知らない事が多い。水車町、中の島の堤防から
見た札幌のビル壁群はショックだった。バカさっぽろと呟いた。この壁群は西へ
北へ南へと連鎖し増殖し続けている。二股峠の美しい泉がゴミ処理場になるよう
にいくつもの美しい場所が日常的に埋め立てられている。それは恐ろしい位淡々
と特別な事ではない。回復、復元は不可能と思ったほうがいい。懐古の香辛料
で誤魔化しても駄目だ。なにかをしなくてはいけない。何が出来るか。人が泉に
なる。人間が濾過し、再生することそれしかない。もう復元はない。だから今は
政治でも経済でもない。人間の泉ー文化力を全面に闘わなくてはならない。
そう思っている。記憶や思い出のなかに封印されている力を解き放つ小さな
しかし確実な場を創るためにーいましゅつたつは告げられてある。

久し振りに寒い仮の事務所でパソコンを叩きながら、隣のゲームをしている
お兄さんや出張中の背広のおじさんの騒音を気にしないでいる自分がいて
少しエキセントリックになったかもね。先月の引越しカーニバルの後寒く
孤独な時間が続く。看護士のおふたりから食事と生活の注意のメールが
届く。あの白樺の記憶がここに至る。なくなっても繋がるものがある。それが
文化だ。物ではないモノだ。消費ー消えて費やしていくだけでないモノの事。
その源流から開かれた海へそしていくつもの川たちと出逢いながら生きたい。
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# by kakiten | 2006-02-10 12:40 | Comments(0)
2006年 02月 09日

しゅつたつは告げられてある(5)

酒井博史さんと一日歩く。東屯田通りぞい東側を徹底的に歩く。華僑会館界隈、
行啓通りの交差する界隈に惹かれるものを感じる。南17条から幌平橋へ向かう。
連合や道議会議長公宅のある鴨々川注水口のある謎のデルタゾーンをみて、
幌平橋を渡る。そこから堤防沿いに水車町へ。ここから見る札幌はビル群である。
凄い摩天楼だ。壁のように連なっている。大きな高い木のあるのが見え堤防を降り
る。神社だった。雪深く名前が判らない。南大橋に出てそこを渡り、南9条へ出る。
ちようど、ぐるっとまわってきた。出発点は南6条だった。酒井さんのお店で一服し
福井の炭焼きコーヒーの店へ向かう。濃い街の空気から少し離れたくなったからだ。
朝陽が東の山を越えて午前中入ってくるという。コーヒーの焙煎人は嬉しそうに語る。
午後5時過ぎて、及川恒平さんに会う為居酒屋与太へ向かう。明日帰京するので
さっぽろ最後の夜だ。酒井さん、田中綾さんと四人で飲む。一月最後の最後まで
コンサート前の大事な時間を引越しに付き合ってくれた。ミニコンサートも含めて
4回である。名唱「地下書店」の話やら、ともに呼吸した記憶は時を忘れさせ話は
尽きない。私にはもう何もない。失うものはほぼすべて失った。いま新たな場を探し
ながらもふっと失ったものに引き裂かれ深い徒労感に陥る時もある。幌平橋の向い
側から見た厚い高い壁のようなビル群の下を、彷徨っている。きっとさっぽろを探し
ている。自分の生き抜く場所を信じて。背中に熱い友情の視線がある。自分の熱い
想いもある。しかし疲れている。そう感じる。もっと広い開かれたところに行きたい。
イプツ(その入り口)イパル(その入り口)呪文のように札幌の底で呟く自分がいる。
伏篭札幌浪漫。封印の力強し。
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# by kakiten | 2006-02-09 15:50 | Comments(6)
2006年 02月 07日

しゅつたつは告げられてある(4)

夕張のコメントを寄せてくれたkahiさんの言葉は心に沁みた。今はもうブログだけ
が唯一の他者との接点だ。朝仮事務所の寒い部屋で留守録のチエック、引越し
物の片付けネットはまだ繋がらないので、時間作ってネットカフエへ。それから新
たな場所の探索。少しあせりもあるなあ。相変わらず風邪は抜けないし。
時計台ホール及川恒平コンサートは、当日の雪のように深々と聞いた。ここへ
来たのはもう十年近く前だろうか、福島泰樹短歌絶叫コンサート以来だ。窓の外
にツララと雪が見える。そこだけ時間が止まってみえる。オーバーラップする。円
山北町の南窓、古い時計台、小学校があり、祖父がいて停車場通り、恒平さんの
澄んだ声が時間の櫂を漕いでいく。8時の鐘が鳴った。この鐘の音。かってはよく
聞こえた街中でも。今は地下街で、スピーカーから流す。カツコーも横断歩道の信
号音でしか聞かない。懐古がないなら、現代は現代の音でよい。時計台とカッコー
でなくていい。懐古はもっとラデイカルにあるべきだ。地下街が出来た時それを建
設担当した人が、一匹のトンボを見つけて思わず<小さい秋み~つけた>と歌っ
たという文章を読みその小さな善意とトンボを根絶する都市計画の仕事の落差を
批判したことがある。一匹のはぐれトンボで御祓いするなという趣旨だった。<個
>の善意に還元して一件落着するにはあまりに喪失したものは意図的計画的な
意志の結果だからである。時計台も移転の話が出た事がある。豊平館のようによ
り広い所へとである。しかしこうしてここに入り、鐘の音を聞き、木造の暖かい大き
さに触れれば、他のコンクリートのビルとは決定的に違う質の大きさを実感し、人
間にとっての大きさとは何かを実感できる。窓が美しく、屋根の勾配が美しい。周
囲の高さに沈んで見えても、等身大の人間には十分に大きいのだ。大きさが実感
できるのだ。これ以上の大きさは実感の外にある。首が痛くなって無関心になるだ
けだ。このふたつの大きさを同時に経験できるだけでも時計台がここにある存在価
値がある。だから小さな善意のような懐古の仕掛けはいらない。もし本当に懐古す
るなら、豊平館も含めて全部をゾーンとして残すべきだ。今は周囲との落差に対峙
し、人間にとって真の大きさを体感させる装置として開かれてあるのがいいと思う。
民では経済で押しつぶされるが、官ならせめてそれぐらいはできる。開かれたスペ
ースとしてもっと時間も公演にも余裕があつて欲しい。文化財だがここは使って、
感じて、開かれるところだ。もともと人がたくさん集まる場所としてあったのだから
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# by kakiten | 2006-02-07 15:15 | Comments(5)
2006年 02月 04日

しゅったつは告げられてある(3)

今日も雪。吹雪く。そして寒い。東京沼田康弘さんより留守録。加藤玖仁子さんか
らも。岩手県の菅沼緑さんから電話。木工の作家で何年ぶりか。岩手の展覧会カ
タログ送るという。夏さっぽろで個展したいという。初めて会ったのは、1980年代
だからもう20年以上前だ。ふいっと声かかる。人の付き合いは不思議だ。沼田さ
んは「風の旅団」という黒テントの脚本家と役者をしていてこの人とも1989年ころ
からの付き合いになる。この頃私は夕張に通っていて、特に真谷地の廃墟が好き
だった。その一番高い所にあるコンピユーター室は壁に計器盤だけが残っていて
書類、写真が放棄され山のように机の上下に転がっていた。何度か訪れているう
ちなにかしのびなくなり、いく通かの書類を手元に残した。その後この建物は破壊
され更地となった。初めて沼田さんに会ったのはその頃で、彼は札幌公演の場所
探しで訪ねてきた。話している内出身が夕張という事が分かった。その時ふっと、
持ってきたけれど手のつけ様のなかった夕張の書類を思い出した。こんなのある
けれど・・。といって沼田さんにみせると彼は、ものすごい勢いでその書類を触りめ
くり、やがて叫んだ。<俺のおやじの会社だ!>私が触れずにそっと保管していた
夕張の書類はこの時初めて本当に触れる人を得た。書類は只の納品書の類であ
ったが、それは沼田さんのお父さんの勤めていた会社のものだった。我々はそれ
から、夕張を熱く語りそれぞれの都市論を交えて話は尽きなかった。そしてその関
係は今も続いている。夕張という近代産業の象徴のような都市が石炭から石油へ
の移行とともに捨てられ、巨大な廃墟としてあった時私は札幌の明るい廃墟ー壊さ
れすぐ新しい街路そして新しいビルに取って代わる市街地と比べてある美しさを夕
張に感じていたのだ。時間と物の緊密でゆっくりと光っている一日が、夕張にいる
間はあった。そして人間や会社のエゴが離れたあと、物や建物が用を放棄され、
純粋に形として存在していた。こんなことは都会ではないことだった。あるいは都会
では<用>が剥き出しになるものは少なく、もともと消費の為に存在し、夕張のそ
れとは基本が違っていたのかも知れない。しかしそれまで、建物や機械を夕張で
見たように見たことはなかった。建物のガラス一枚にも、真鍮の水道栓ひとつにも
時間が息を潜めていた。階段も手擦りも巨大な機械もよく使い込まれ鈍い光を放
っていた。見えないが人がいた。そして物があった。したがって廃墟は優しかった。
書類の紙一枚にもそれはあった。沼田さんのあの叫びのような声にはその<優し
い>響きが篭っていたなあ。<俺の親父の・・・>つて。
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# by kakiten | 2006-02-04 17:03 | Comments(2)
2006年 02月 02日

しゅったつは告げられてある(2)

吹雪の日。引越しの時は吹雪かなかったのが、今日は久しぶりに寒く吹雪く。
疲れ出た。昼過ぎまでボンヤリする。午後2時過ぎに仮事務所酒井博史さんに
連絡。メールが気になりアクセスの仕方を聞く。すぐ来てくれた。彼も風邪で
前日熱あって寝ていたとか。うつしたのか知らん。ふたりでネットカフエに入る。
メール120通余、大半は迷惑系。それ以外は返事出したいがよく分からない。
しばらくはご無礼つづくなあ。パソコンも私も潜行する2月、1月とは対照的に
過ぎていきそう。少しひとりになり、歩き、考え、満ちてくるのを待つ。
でも毎日見上げるタワーは、本当にでかい。こんな風に毎日見るとは思っても
いなかった。ノッペラボーのすぐ傍の古民家、旧鬼窪邸跡、界川跡近くこの対
比は何だ!これも一種の暴力と思う。何故なら高さの分だけ地下にも穴を開け
いる訳だから地下水脈はもうズタズタ。古民家は陽があたらず多分対抗上同じ
高さを目指すか人のいない駐車場になるしかない。<輝ける額(ひたい)>を
意味するタリアセンの建築家ライトの影響を受けた田上義也さんの建築物が
多かったのは、円山ゾーンが正しく<輝けるひたい>の土地だったからだ。
今その額は輝きを喪い、ツノのようなノッペラボーの林立する場所となった。
さっぽろという美しい近代のそっと根付いた北一条円山ゾーンは、今まさに
喪失せんとしている。このかすかな正当な近代すら保たずして今ある現代
って何なんだろう。いつもピカピカか、そうでなくなれば壊すもの?時間という
いきものの保つ蓄積は少しも省みられない。時間は矮小化され、ニユーと
オールドを測る物差しとしてしか機能しない。額(ひたい)は蔭り、人間の為の
丘、低いが美しく豊かな山は街から消えていくのである。昔は<国敗れて
山河あり>といったが、今は<山河破れてノッペラボー建つ>だ。

                           
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# by kakiten | 2006-02-02 18:15 | Comments(0)
2006年 02月 01日

しゅったつは告げられてある

当分ネットカフエから発信。こんなことでもなければ来なかっただろうなあ。
電話の設定は無事に、しかしパソコンのインターネットは住所変わると2週
間かかるとはねえ、知らなんだ。メールのほうも改めて方策立てる積もり。
まだ過ぎて2日目だけれどいまだに余波が続く嵐のような、怒涛の1月だった。
最後の2日間はブログも打てず、入れ替わりに来て頂いた人も記憶が入り混
じり正確さを欠いた面も多々あるほどである。もう<ここ>という言葉ではなく
<あの>という言葉で場所を指し示さなければならない訳だが。

仮の事務所の整理とネットカフエ通い、新たな場所探しに1日終わる。
この古い一軒家の玄関を出るとすぐタワーマンシヨンが目の前にある。
首が痛くなるような高さだ。ふっと気づく。屋根がない!庇(ひさし)がない!
そうか、マンシヨンには屋根も庇もないのだ、ノッペラボウーなのだ。
神社の屋根、お寺の屋根そこには古代の日本人の顔が見える。鋭角で交差
する神社の屋根なだらかな曲線で地に広がる寺院の屋根。<荒ぶる><和
むる>心が見える。近代の洋館にも勿論日本の家屋にも屋根が家の印象を
造っている。ところが今屋根が消えたのだ。顔が無くなったのだ。
ヒユ~ザァーアネハナナンダ!
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# by kakiten | 2006-02-01 16:11 | Comments(4)
2006年 01月 31日

そして始まるーさらばと総括(9)

1月29日ー最後の荷物整理そして運搬。ガラスの高臣大介さん来てくれる。
中川潤さんと2台で運ぶ。前日は石田善彦さん丸島さん中山さんと2日続き。
今日で中川さんは3日連続だ。明日朝9時には執行官到着予定。ほんとに
ギリギリだ。野上、岡和田さん手伝いに来てくれる。及川さんも来てくれる。
その晩は大介さん、中川さん遅く来た陶芸の河合利昭さんと4人泊り。
夜大木さんも顔出す。
1月30日ー最後の後片付けそして引渡し。直後に田中綾さん来る。
中川、大介さんと私、隣の喫茶店で朝一番の客、モーニングセット頼む。
このメンバーでモーニングセットは初めて、そうそう有ることではない。
大介さん曰く「朝の田中さん見るの初めて」髭とやまあらし頭の2人に
囲まれ花のようでした。その後仮事務所に向かい電話とパソコンの設定
しかし電話は繋がったがパソコンは移転作業していなくて不通。
ネットカフエでブログだけ更新する事になる。
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# by kakiten | 2006-01-31 18:03 | Comments(0)
2006年 01月 28日

人とお酒絶えることなきーさらばと総括(8)

いよいよ荷物が運び出される。丸島均さん中川潤さん2台の車まづ資料と本と
作品で満杯。2回目花器華道具類で満杯。昨夜東京へ悪天候で引き返した藤田
さん到着し手伝ってくれる。陶芸の下沢さんも合流。友人賀村氏の倉庫へとりあえ
ず。しかし引越しは暴力だなあ。いらない物を選別する瞬時の判断にオーバーに
いえば人生の選択も入ってくる。そして捨てる物は<ゴミ>となり2度と戻らない。
その判断を迫るところが、引越しの暴力だ。そんなことを考えているうちに及川恒平
さん来る。来月から札幌ほかでライブ。早目に来たのはここの場に立ち会う為。
田中綾さん、松尾さん、引越しの終え戻ってきた中川さん下沢さん、藤田さんも
加わり自然の成り行き始まる。恒平さんが唄いだす。心に垂直に沁み込む声。
ここで糸田ともよさんの歌を元にできた「地下書店」は傑作である。
映像の大木裕之さん函館から今日は無理と連絡あり。そのうちガラスの高臣大介
到着。モエレ沼で作業終えた若いアーチスト達も来る。大木さんの「オカクレ」と
「メイ」新作を上映。当別の阿部ナナさんも来る。大木さんの映像と縁が深い。
酒井博史さんも顔出す。その間この日夕放映された札幌テレビの反響か稚内
の古いお客さんから電話来る。「まあ懐かしいあなたお父さんそっくりよ」其の外
問い合わせ。大介さん絶好調で喋りまくっている。中川さん上に眠りにいく。
私はセキがでてきた。風邪の気配。大介さんに任せ退参する。
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# by kakiten | 2006-01-28 11:34 | Comments(0)
2006年 01月 27日

25年がふふっと笑う(2)ーさらばと総括(7)

1月25日ーラストコンサート40人ほど集まる。古館賢治、有本紀さん燃える。
STV同時取材休憩時間にお客さんにインタビユーする。先々代からの華道の先生
美術の阿部典英さん、詩人の松尾真由美さん、陶芸の下沢トシヤさんを紹介
する。コンサート後しばらくTVスタッフも歓談。しばし雰囲気に酔い仕事は忘れる。
JAZZグループのエレガントピープル4人札幌地ビール(テンポラリー名入)40本
差し入れ、その外飲み物、手作りの食べ物沢山届く。まるで引越し祝いのよう。
このところ引越し作業そして宴の連続。そして毎回コアになる人々が違う。ここへ
の想いが連続して波状的に押し寄せる。コンサートラストソングの後堪らず挨拶
する。白樺の話をする。共に呼吸した時間。土に根を張り生きてきた。土地の所有
は社会上違うし訴訟上敗北したけれど、それとは別の次元で世界を共にしてきた
事を話した。少しうわづってしまった。ここでも改めて当日来て頂いた方々に感謝。
気持ちでチラシ寿司を差し入れてくださったお寿司屋さんその他数々のお料理
御酒、ひとつの時間のその空間への熱い気持ちが、波となって集まった。
敗北してここを去るけれども、敗北感はない。もうワイルドサイドにいる。
1月26日ーいよいよ梱包本格化。夕刻東京より大木裕之さんのマネージヤーの
今城恵子さん来る。もう一人藤田敏正さん飛行機悪天候で東京に引き返すとの
連絡あり。大木氏は松前で明日にこちらへ。明日は及川恒平さん、大木さん高臣
大介さんと3人クロスしそう。美術館の今井さん、江別の中山茂樹さん今城さんと
遅くまで話す。その間モエレ沼公園で作品制作中の野上君たち4人顔を出す。
軒下の太いツララを持っていくという。モエレ沼の雪の造形イベントにテンポラリー
のツララだといって使いたいという。これから徹夜の作業と帰っていく。気持ちで
遠くから寄ってくれた。大木裕之さんにも会いたかったんだろうが。ここをベースに
創った映像「オカクレ」そして10年かけて創ると言う「メ」その映像の中にみんなが
記録されている。大木裕之さんは鋭い作家である。ひとつの人生の変わり目、生き
目が記憶される。彼もまた立会い人なのだろう。私も撮られるな、その生き目を。
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# by kakiten | 2006-01-27 15:58 | Comments(4)
2006年 01月 25日

25年がふふっと笑うーさらばと総括(6)

昨夜は25年の間に集った原点のような友たちが来た。ダスキンの平川勝弘さん
本屋の小杉山竜一さんの天井桟敷グループ、登山家でアイヌ文化実践の中川潤
さんオタスケマン流星舎の金井孝次さん、気功の熊谷透さん大野一雄の石狩公演
ドキユメントを出版したかりん舎の坪井圭子さん高橋淑子さん等である。そのなか
ふっと夜勤前の看護士金丸裕子さんも顔を出した。痛み止めの湿布を持って
きてくれた。ケーキ工房ジュンの小川さんと妹さんさんより差し入れニユーヨーク
中岡りえさん実家の高知より司牡丹6本送られてくる。なんでしよう。これではもう
引っ越し祝いの宴のよう。事実そんな感じで始まった。ただみんなここの25年の
時間をそれぞれ泉のように湧き上げている。25年がふふっと笑っている。酔いも
回って民族音楽「南太平洋の島々」を流すと、小杉山さんと熊谷さんが踊りだした。
平川さんと私が台を太鼓に叩き出す。いつか見た風景。昔誰かのオープニングで
同じ曲をかけ同じように踊った。この曲はノリがよく、安斎重男鯉江良二も踊った。
ある時は美術館の佐藤友哉さん岡部昌生も踊り、隣のアパートの管理人がピンク
のネグリジュエ姿で急に現れ、怒鳴られたこともあった。気功の先生熊谷さんが
へばって本屋の社長小杉山さんのほうが続く。ともにへび系のクネクネダンスで
ある。熊谷さんそのうち回復して外に出て白樺の木に登りだす。落ちる。雪が受け
る。夜が深けた。夜勤の金丸さん帰った。白樺の木を2階からもゆっくりと見ていた
。彼女こそ今日は白樺の精かもしれない。この木が好きでここに来るようになった
人だから。
今夜は古館ー有本ラストライブSTVが取材。宴はこれにて終わりだ。
シニカルに言えば額縁にはまってからこそ、安心して人は「伝説」だの「惜しい」
だの言うのかも知れない。しかし立ち退き閉店の暗さはここにはない。みんな
ここでの<ふふっふふ>を思い出し楽しんで淋しがっている。表面は賑やかだ
が根にはそれがある。だから、ただの興味本位の無責任なお祭りではない。
もっともそういう類のものもこれからあるだろうが。それはそれだ。
電話その他の事務所機能は熊谷、金井さんの所へとりあえずお願いする。
荷物は賀村さんの車庫へ。もう2日で流浪のワイルドサイドのなかへと身を置く。 
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# by kakiten | 2006-01-25 12:07 | Comments(0)