テンポラリー通信

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2006年 02月 18日

しゅつたつは告げられてある(13)

北十五条から北大斜め通りを歩く。エルムトンネルの道を越えさらに進む。
左西側に住宅が続く。その後ろに北大第二農場の空間がちらちら見える。
その向こうに西の山並みが遠望される。昨日河田雅文さんに聞いた「トーン
」というカフエに入る。普通の民家を改造した造りで、同じく昨夜河田さん
に連れて行ってもらった「アジト」と同じコンセプトのカフエだ。2階の窓から
スパーっと景観が広がる。ビルの街から少し離れてこういう店がところどころ
あるんだなあ。この斜め道はやはり直線の市街地から少しずれている。そこに
ふっと古い等身大の家屋があり、ギシギシいう階段や床板の音が響く。
アジトという店は庭の木が防風林のように、生垣のように時間を留めていた。
オーガニックな食事とその木たちが空気を綺麗にしていた。トーンは北大第二
農場の借景が活きていた。この隠れ家のような存在は息抜きにはなるけれど
もうひとつコアがない。市街地の直線に疲れた神経を休める効果だけではそれ
自体で閉じてしまう。こういう店がポツンポツンと離れ小島のようにあつてオアシ
スの役割をしているのかもしれないが・・。市街地に対峙する<その入口>は
見えない。もう一度原点に戻って地質図をみて歩こうと思う。皮膚のように覆わ
れたスムースな街の下に広がる血肉のさっぽろを見透かして歩く。それが私の
円山北町で得た経験だ。私のさっぽろ体験であるから。明日以降は東北部
を攻める。今日は酒井さんが小1時間ほど付き合ってくれた。車のCDはいつも
大体懐メロでいつかは「東京ラプソデイー」や「トンコ節」等で私も幼少年に戻る
なあ。後はマージヤンした話でこれも学生時代に戻る。なにか毎日ほっつき歩い
て時間が朔行していく。ホントいいコンビの29歳だ。文句ではないのよ酒井さん
!感謝です。ともに生きる場所探しー夢よ叫べです。
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# by kakiten | 2006-02-18 16:24 | Comments(5)
2006年 02月 17日

しゅつたつは告げられてある(12)

病院に行く。畑俊一先生診療そっちのけでしばし語る。「残念です。私もマンシヨ
ン、ビルの反対運動をしていて、今の行政は・・・」に始まりまた是非戻ってきて下
さいというような事だった。思いがけず激励を受ける。「うんと怒ってどんどん書いて
下さい」そして血圧を測る。「う~ん中森さん怒っているから、今高目だな」腎臓は
あまりよくなっていない。まず血圧を下げること、そして食事だなあ。病院はあの店
の近くで退去した後だけに、なにか行きづらかったが逆にご近所の友情を感じた。
東京の映像作家石田尚志さんよりメール入っていた。<僕にとって中森花器店・
テンポラリースペースはこの2年間でもっとも重要な場所でした。(中略)一昨年
の身体の体験(踊り)そして空間の体験(インスタレーシヨン)はともにたった一日
ずつの出来事だったという事も重要な意味を持っていると思うのですが、なにか
今まで成し得なかった方法が初めて全開しえた瞬間でした。それが出来た唯一
の場所でした。何よりそれが成立し得たひとつの理由は、沢山の人の豊かなつな
がりその不思議な広がりでした。(中略)たった2回伺っただけですが、その場所
で出会えた友人との関係は一生続く事になると思います。(中略)そして中森さん
、いつか一緒に沖縄へも行きましょう。-僕は中森さんの所での仕事を今、東京
でやらなければいけないと思っています。自分が生活しているここで、あの仕事
をしなければ嘘だと思っています。>一部分の引用で失礼あったかと思うが、
一昨年吉増剛造さんが沖縄で石田さんに私を紹介した時から、2回の映像個展
を経て今の文章がある。きっとこれは文化の<その入口>が開いていたから
<沢山の人の豊かなつながり>を生んだのだと思う。勿論石田さん、あなたの
作品の保つ素晴らしい想像力、イマジネーシヨンを抜きにそれは語れません。
作品と人がなによりも開いたのです。昨年10月初めの一週間壁に直接描いた
映像とのコラボレーシヨン共に歩き廻った水の道そして寡黙な春日さんの明るい
お餅カフエの表情、忘れません。石田さんが惹き起こした作品と人の力は僕らに
記憶という掛け替えのない映像もまた残してくれた。3月はカナダで制作という。
なにか世界がゆるやかに見える。沖縄もカナダもいつでも行けそうだなあ。
その前に伏篭さっぽろ開かなくては・・!
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# by kakiten | 2006-02-17 12:43 | Comments(6)
2006年 02月 16日

しゅつたつは告げられてある(11)

ヨコハマのギターリスト益田洋さんからメール入っていた。なんとか
1月訪ねたかった残念という主旨である。毎年6月ギターソロで演奏。
優れた弾き手である。スケッチという名前でコンサートを開き熱心なフ
アンがいる。東京の及川恒平さんのホームページに先月29日のあの
場所の写真が掲載されている。白樺の木、窓に映った人、入口の雪、
グラスを持つふたりの手のショット、セピア色に沈んだ室内、引越しの
あるひととき、そこには限りなく愛惜に満ちた写す人の眼差しがある。
時間のフイルターの向こう、もう遠い一瞬が静かに留まっている。
<まっくらながらんどうの空間を覗き白樺に挨拶してきました>札大OB
吉成秀夫さんからブログにコメント入っている。今もまだ深いところで想い
が脈拍を打ち現在に血を送っている。これからもまだ遠く近い人からその
ノックは続くだろう。
北大の北15条から続く斜めの道を歩く。エルムトンネル近くの喫茶店に
入って途中車だったので通り過ぎたが気になり、歩いてみる。途中の
枝道にパイプで正面を塞がれた一軒家を見つける。いい感じだ。壊す
寸前かもしれない。田中綾さんがデジカメ選びに付き合う時間が迫り
この日は、ヨドバシカメラに向かう。綾さんは今刊行中の菱川善夫著作 
集のブログを立ち上げる為デジカメを買うという。資料を撮影し収録
するそうだ。菱川先生は自分の恩師でもある。また1980年代ゆいまある
という会を作り共に活動した事もある。ゆいまあるは沖縄の言葉で共に
仕事をするというような意味である。イザイホーの映像、木村雅信の「ア
イヌ舞曲集」とジャンルを越えて企画行動をした。今度の全集ではその
辺の事も収録されるようだ。今また田中綾さんという優れた編集者を得て
今の菱川善夫が動き出す。私もひそかに協力し”ゆいまある”復活を
思う。
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# by kakiten | 2006-02-16 13:07 | Comments(0)
2006年 02月 15日

しゅつたつは告げられてある(10)

初めて訪ねた洞爺の高臣大介さんの工房は、一度火事で焼失した。そしてその後
昨年9月に再建された。大介さんらしい骨太ないい建物だ。特に工房の命ガラスの
釜のある別棟はしっかりと機械が納まり常時炎が燃えている。着いた夜10時過ぎ
洞爺月浦は曇天、湖も見えず白い闇、しかし空気甘く暖かかった。以前このブログ
で<うちの嫁>発言で亜紀さんが不満という話を書いたがその時私は家を背負っ
て立つ大介さんらしいと書いたが実際にここまで来て見て本当にそう思いました。
深い雪と小高い丘のなあ~んにもない所で、ただガラスを創る為だけにある建物。
夏や秋には景色良く人もくるかもしれないが、基本はこの骨太な建物は物を創る
ためにある。それを背負って立つ生き方も含めて<家>なのだ。そこに愛する女
が居る。「嫁だ!」と思うよ。いいねえ、羨ましい。作品同様すっぱりと大介だ。そう
思いました。行って良かったです。今私のこの状況で再建を先に為遂げた彼の現
場を見る事は、勇気を貰うことでもありました。突然の行為のようだが行くべき時に
行ったと思うのだ。まあ一緒に拉致されたような酒井さん、熊谷さんには申し訳な
い気もするけれども。でもふたりとも午前三時まで呑んで唄っていたなあ。純子さ
んと私はこの下の茶の間で運転ないからガンガン飲んで、陣中見舞いで来てくれ
た看護士さんがチゲ鍋カードで奢ってくれた話に、私はカードないからといって大事
なメカス跋文の吉増剛造の写真集をくれたのは感謝です。大介さんの個展時作品
製作中点滴うって頑張った彼女は本当に素晴らしいスタッフと思う。大介の人徳こ
こにありですね。翌日も朝曇天。美しい風景は次の為にあるのかもしれないなあ。
私はこの建物と彼の生き方を実感できただけで充分満足した。熊谷透さんが
気功の団体名<風の船>にピッタリのガラス作品を見つけ、今度買いに来ると
喜んでいた。ここで買うんだ、ここにもう一度来て買うんだと言ったのが印象的だ
った。酒井さんは大介さんと会って約一ヶ月熊谷さんは今回初対面。ふたりとも
次を考えている。人と人の伏流水ーその入口をまた感じる。伏篭さっぽろ気満つ。
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# by kakiten | 2006-02-15 13:11 | Comments(0)
2006年 02月 14日

しゅつたつは告げられてある(9)

大介さんお酒もって来た。陣中見舞い。スタッフの純子さんも一緒だ。仮事務所
下の茶の間で飲みだす。気功の熊谷透さんも含めて話がいろいろ。そのうち
酒井博史さんも来る事になる。gla_gla展以来一ヶ月ぶりで大介ヒロシコンビ
顔合わす。純子さん土方巽、大野一雄、ジョナスメカスと話が白熱。酔った勢い
で洞爺のガラススタジオへ行こうという事になる。酒井さんの遠藤賢治「夢よ
叫べ」が熊谷さん、純子さんを痛く感動させたのが呼び水となった。3人とも
初めての洞爺月浦の大介さんの工房だ。私も何度か行きそびれていたので
この際良い機会と思った。酒井さん大介さん車2台で出発。着いたのは午後
10時過ぎ。洞爺は暖かく空気が甘い。炊き込み御飯をご馳走になり、歌と酒
の夜は更ける。翌朝6時過ぎ起床。熊谷さん気功の初歩講習しみんな体動か
す。心なしかすっとする。7時過ぎ洞爺を出発。10時頃札幌に着く。それぞれ
仕事へ。私は少し事務所で休み、北15条の紹介された歯医者さんの建物を
見に出かける。そして雨でぬかるむその界隈を歩き回る。1時を過ぎたので
歯医者さんを訪ねるのは遠慮しとりあえず外側から見るだけにする。2,3階
が空いているとの事だが、入口が歯医者さんと同じなのが気になる。北大に
近い性かわりとゆったりした環境だ。後日もう少し東側をあるいてみよう。昨日
の二条市場ー薄野東側とは違う。4時過ぎ仮事務所に戻る。少し疲れた。
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# by kakiten | 2006-02-14 16:06 | Comments(10)
2006年 02月 13日

しゅつたつは告げられてある(8)

灰色の空。白く寒い汚れた道を東へと歩く。市民ギヤラリー(旧一条中学校)から南
へそして北へ。やはりこの辺もビルが多い。建設中のもある。ふっと一軒の金物店
を見つける。中へ入る。ひとりの親父が奥から出てくる。”三上”と声を出すと変な
顔してすぐに昔の顔になる。”中森!おまえ店止めたのか、新聞で見たぞ。”いや
はや。ちやんと読めよ。すぐに何人かの名前がでてくる、あいつはいまこうだ、ああ
だとしばし昔話。ビルの狭間に中学時代のさっぽろがひよっこりと在った。それから
サッポロビールの方へ行く。この辺もビルラッシュ。赤いレンガの旧福山醸造の
倉庫をカフエにしている一角の裏、いい倉庫か車庫を見つける。これが今日の
発見。段々東に移動してきた。旧さっぽろ川ー伏篭川沿いのルート次は北へ。
頓宮神社やお寺こんなに近かったかしら。大人の目線、中学生の目線の違い
だけでなく、空が狭く建物がでかいせいもあるよ。さっぽろにある<その入口>
街にそれを探す。さっぽろの自然と繋がる接点。人工の入口は駅だが、もうひとつ
眠っている入口がある。人と自然が寄り添うように開かれた接点がある。例え
それが繁華で今はなくてもいいのだ。それが見えるまで歩く。こうしてさっぽろ
を歩くとタイムスリップする時間も歩いている。ぼくの過去のさっぽろ、どうしても
現在が暴力的に見えるのは単なるノスタルジーだろうか。でも現在に眠っている
開かれた場の発見に、自分の過去の回路も含めて今試されていると思う。寒い
けれど今しか出来ない。閉じようとするものと今闘っている。閉じようとするさっぽろ
に立ち向かう。記憶も含めて全部の自分が今そこにいる。

創成川ー36号線ー豊平川に囲まれたデルタゾーンを今日は歩く。ロイヤルホテル
の前で鴨々川は直線の創成川となる。ホテルとマンシヨンの合い間に古い街があ
る。黒澤明の「白痴」の舞台となった札幌の風景が残っている。しかし惨々たるか
なさっぽろ!もうすっかりひねくれているなあ。ここもいずれホテルとマンシヨン。す
すきのベッドタウンになるだろう。西へ下るとそこはすすきの。大きなお寺がやたら
目につく。顔のない汚いビルより屋根が顔を持っている。大きくともあまりひねくれ
てもいない。生れた場所ピヴオの前を通る。舗道の下にぬかるみのようなものを
感じる。足がずぶっずぶっと吸われる。ここに1897年から1970年までの家屋が
あった。その記憶が足を重くする。約50メートル6軒の店を感じると長く、実際は
すごく短い。出入り口とウインドウだけが過ぎていく。帰ってこのブログを打っている
と電話が鳴る。<今すすきのですよ、これからそっちへ行きます>洞爺の高臣大介
さんからだ。なんで薄野から電話くるの?今そこを歩いてきたばかりなのに。なつい
たかな、今深い処歩いてきたから・・・。
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# by kakiten | 2006-02-13 13:18 | Comments(0)
2006年 02月 11日

しゅつたつは告げられてある(7)

イプツーイパルその入口と記していたら、ある人が<出口>はなんていうの?
と聞いた。そうか、なぜ入り口といって出口と言わないのか。そう云えば不思議
。私なりの解釈では、開かれた新たな世界が見える時人はそこに入る感覚に
なるように思う。扉を開けて入るのである。出るのではない。出る感覚にはある
否定が伴なう。内向きには否定が前提とならないと、出ると言う言葉は生きない。
江別も夕張もある開かれた地点がある。大河石狩川に開き、石狩平野に開く。
しかし背後の世界の否定はない。もうひとつの新たな世界を望んで開き入って
行く。出口には近代の新旧のような序列、内的な自己否定の翳があるかもしれ
ない。例えば辛い状況の中で探すのは、そこからの出口であるだろう。しかし
例えば知らない街を歩いていて、ふっと目に止まった魅力的な路、建物に惹か
れた時人はそこに入っていくだろう。入る事である転換が経験される。風景には
そんな結晶する地点がある。いい街にもそれがある。そこまでのプロセスは山の
裾野、中腹のように穏やかに存在し暗い否定の翳はない。古代の人は風景の
そんな地点を<その入口>と呼んだのではないだろうか。私が今漂うように街
を歩き求めているのは、そんな街角ーその入口でもあるのだ。風景が消え出口
入口のみが支配する世界は巨大な室内化を地下に地上に出現させ、街全体が
ある閉塞感の中にある。だから人は時に郊外という名の風景を求めて、街を出る。
出口を求める。街には<その入口>と呼ぶ場所は深夜のコンビニエンスストア、
24時間営業のネットカフエの個室位しか今原風景としてないのかも知れない。
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# by kakiten | 2006-02-11 12:48 | Comments(0)
2006年 02月 10日

しゅつたつは告げられてある(6)

ネットが回復繋がった。もうネットカフエまで出かけなくてもいい。
インターネットまでここのところ<伏篭ーフシコ>だった。でも梁井さんの
ヘビ神社の思い出、kahiさんの二股峠の思い出ふっと湧き上がるように
伏し篭もっていた記憶が繋がってくる。人間の伏流水もいい。きっと何処かで
また合流する。そして深い濾過された感性が新たな命をもつ。作品が生れる。
そんな泉のような場所を今求めている。したがって歩く。再生する為に。
梁井さん、kahiさん感謝します。勇気戴きました。

さっぽろの闇は深い。まだまだ知らない事が多い。水車町、中の島の堤防から
見た札幌のビル壁群はショックだった。バカさっぽろと呟いた。この壁群は西へ
北へ南へと連鎖し増殖し続けている。二股峠の美しい泉がゴミ処理場になるよう
にいくつもの美しい場所が日常的に埋め立てられている。それは恐ろしい位淡々
と特別な事ではない。回復、復元は不可能と思ったほうがいい。懐古の香辛料
で誤魔化しても駄目だ。なにかをしなくてはいけない。何が出来るか。人が泉に
なる。人間が濾過し、再生することそれしかない。もう復元はない。だから今は
政治でも経済でもない。人間の泉ー文化力を全面に闘わなくてはならない。
そう思っている。記憶や思い出のなかに封印されている力を解き放つ小さな
しかし確実な場を創るためにーいましゅつたつは告げられてある。

久し振りに寒い仮の事務所でパソコンを叩きながら、隣のゲームをしている
お兄さんや出張中の背広のおじさんの騒音を気にしないでいる自分がいて
少しエキセントリックになったかもね。先月の引越しカーニバルの後寒く
孤独な時間が続く。看護士のおふたりから食事と生活の注意のメールが
届く。あの白樺の記憶がここに至る。なくなっても繋がるものがある。それが
文化だ。物ではないモノだ。消費ー消えて費やしていくだけでないモノの事。
その源流から開かれた海へそしていくつもの川たちと出逢いながら生きたい。
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# by kakiten | 2006-02-10 12:40 | Comments(0)
2006年 02月 09日

しゅつたつは告げられてある(5)

酒井博史さんと一日歩く。東屯田通りぞい東側を徹底的に歩く。華僑会館界隈、
行啓通りの交差する界隈に惹かれるものを感じる。南17条から幌平橋へ向かう。
連合や道議会議長公宅のある鴨々川注水口のある謎のデルタゾーンをみて、
幌平橋を渡る。そこから堤防沿いに水車町へ。ここから見る札幌はビル群である。
凄い摩天楼だ。壁のように連なっている。大きな高い木のあるのが見え堤防を降り
る。神社だった。雪深く名前が判らない。南大橋に出てそこを渡り、南9条へ出る。
ちようど、ぐるっとまわってきた。出発点は南6条だった。酒井さんのお店で一服し
福井の炭焼きコーヒーの店へ向かう。濃い街の空気から少し離れたくなったからだ。
朝陽が東の山を越えて午前中入ってくるという。コーヒーの焙煎人は嬉しそうに語る。
午後5時過ぎて、及川恒平さんに会う為居酒屋与太へ向かう。明日帰京するので
さっぽろ最後の夜だ。酒井さん、田中綾さんと四人で飲む。一月最後の最後まで
コンサート前の大事な時間を引越しに付き合ってくれた。ミニコンサートも含めて
4回である。名唱「地下書店」の話やら、ともに呼吸した記憶は時を忘れさせ話は
尽きない。私にはもう何もない。失うものはほぼすべて失った。いま新たな場を探し
ながらもふっと失ったものに引き裂かれ深い徒労感に陥る時もある。幌平橋の向い
側から見た厚い高い壁のようなビル群の下を、彷徨っている。きっとさっぽろを探し
ている。自分の生き抜く場所を信じて。背中に熱い友情の視線がある。自分の熱い
想いもある。しかし疲れている。そう感じる。もっと広い開かれたところに行きたい。
イプツ(その入り口)イパル(その入り口)呪文のように札幌の底で呟く自分がいる。
伏篭札幌浪漫。封印の力強し。
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# by kakiten | 2006-02-09 15:50 | Comments(6)
2006年 02月 07日

しゅつたつは告げられてある(4)

夕張のコメントを寄せてくれたkahiさんの言葉は心に沁みた。今はもうブログだけ
が唯一の他者との接点だ。朝仮事務所の寒い部屋で留守録のチエック、引越し
物の片付けネットはまだ繋がらないので、時間作ってネットカフエへ。それから新
たな場所の探索。少しあせりもあるなあ。相変わらず風邪は抜けないし。
時計台ホール及川恒平コンサートは、当日の雪のように深々と聞いた。ここへ
来たのはもう十年近く前だろうか、福島泰樹短歌絶叫コンサート以来だ。窓の外
にツララと雪が見える。そこだけ時間が止まってみえる。オーバーラップする。円
山北町の南窓、古い時計台、小学校があり、祖父がいて停車場通り、恒平さんの
澄んだ声が時間の櫂を漕いでいく。8時の鐘が鳴った。この鐘の音。かってはよく
聞こえた街中でも。今は地下街で、スピーカーから流す。カツコーも横断歩道の信
号音でしか聞かない。懐古がないなら、現代は現代の音でよい。時計台とカッコー
でなくていい。懐古はもっとラデイカルにあるべきだ。地下街が出来た時それを建
設担当した人が、一匹のトンボを見つけて思わず<小さい秋み~つけた>と歌っ
たという文章を読みその小さな善意とトンボを根絶する都市計画の仕事の落差を
批判したことがある。一匹のはぐれトンボで御祓いするなという趣旨だった。<個
>の善意に還元して一件落着するにはあまりに喪失したものは意図的計画的な
意志の結果だからである。時計台も移転の話が出た事がある。豊平館のようによ
り広い所へとである。しかしこうしてここに入り、鐘の音を聞き、木造の暖かい大き
さに触れれば、他のコンクリートのビルとは決定的に違う質の大きさを実感し、人
間にとっての大きさとは何かを実感できる。窓が美しく、屋根の勾配が美しい。周
囲の高さに沈んで見えても、等身大の人間には十分に大きいのだ。大きさが実感
できるのだ。これ以上の大きさは実感の外にある。首が痛くなって無関心になるだ
けだ。このふたつの大きさを同時に経験できるだけでも時計台がここにある存在価
値がある。だから小さな善意のような懐古の仕掛けはいらない。もし本当に懐古す
るなら、豊平館も含めて全部をゾーンとして残すべきだ。今は周囲との落差に対峙
し、人間にとって真の大きさを体感させる装置として開かれてあるのがいいと思う。
民では経済で押しつぶされるが、官ならせめてそれぐらいはできる。開かれたスペ
ースとしてもっと時間も公演にも余裕があつて欲しい。文化財だがここは使って、
感じて、開かれるところだ。もともと人がたくさん集まる場所としてあったのだから
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# by kakiten | 2006-02-07 15:15 | Comments(5)