テンポラリー通信

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2006年 01月 14日

酒井博史さんが来た、そして歌った。

高臣大介展ー4日目。人が切れ目無く来だす。大介さんもその応対に忙しい。
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横浜から移住してきた大滝教子さんも来る。3~4ヶ月ぶりかしら。野の花の
ような人で学生時代北海道にきてアイヌの考え方に興味をもち、二風谷に
しばらく滞在しレポートを書き上げ、とうとうご両親も含めてさっぽろに来てしま
った芯の強い女性である。私を川の老師と呼び、登山家でアイヌ研究の中川
潤さんを山の老師、画家で詩人の石狩の大島龍氏を海の老師と呼ぶ人である。
老師は年寄りの意味ではありませんと言われていたが、まあいいでしようと思っ
ている。大介さんとは初対面だが、以前から彼の作品をここで購入していてすぐ
話があう。彼女が帰ってしばらくして、オープニングパーテイーでギターを弾いた
酒井博史さんがギター片手に訪れた。一番好きな曲をという大介さんのリクエス
トで、彼は遠藤賢司の「夢よ叫べ」を唄いだした。いやあ~渋いねえ。深く篭った
ものがでてくるは、でてくるわあ。この人本当に29歳かしら、ドイツからメールを
くれた谷口顕一郎さん通称ケンちゃんと同じとは思えないなあと感じた。でも彼は
彼の鬱屈した物があって今日吐き出しているんだなあとも思った。「ここでこの歌
一度唄いたかったんです」とポソリと呟いた。何かが開いたーそう小山内さんの
いう<公共>という言葉を思い出した。大介さんがタクローの歌を彼の伴奏で唄
う。これはまた酒井さんとは正反対の、内に篭らない外向きの声である。何故か
ここでふたりで気が合い飲んで唄っている。作品の力たるや偉大である。私は
多分繋いでいる、場所とともに。白樺さんの幹がみえる。
そういえば、銀杏も和人の移住と共に北海道に移植されたと聞いた、もともとは
ここに無かった樹である。ここに植えられた白樺も、遠く銀杏もともに引越し組と
いうことになる。このふたつの樹に抱かれて随分と<気>を貰った。共に呼吸
してきた。今度はどんな樹と知り合いになるだろう。きっと固有種のハルニレかも
しれない。でもここで植えられともに過ごした白樺さんが、だれかの姿借りて
ふっとでてきたとすれば、それは、それはそうです、感謝です。ごめんなさい。
一緒に居れなくてね。力足りなくて、。
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# by kakiten | 2006-01-14 12:16 | Comments(3)
2006年 01月 13日

精霊の話ー続きの余波

高臣大介展3日目ー少しづつ人がまた来だした。オープニングパーテーで
あれだけいろんな人が来て、大介さんスタッフも凄い量の料理を作り、特に
カレースパゲッテイーは好評で大鍋が空に為ったほどで、2日目はその反動
か静かだった。そういう日に相応しくヒロさんの白い服の女性の話が出てきた。
でもあれは、ヒロさんでなければ、見ないよなあと大介さんと2人で話していた。
閉店後ふたりで飯を食いに、近くの居酒屋楽屋へと向かった。定食を頼みお酒
も飲みいい気持ちになった頃、東区の熊谷直樹さんが覗いて入ってきた。
白い精霊の話をしたら、白樺も綺麗だけれど、絶対にそれはKさんではないか
という。そう言われれば、MAさんでもMoさんでもSさんでもない、Kさんだよな
あと思えてくる。比較すればである。酔っ払いの与太話だから、そんな事で多い
に盛り上がった。とりあえず、白樺ヤスコさんという名前になった。

噂の白樺の木は、1981年にこの建物を設計した倉本龍彦さんが角地を角取り
して新た植えた木である。足元には紫陽花が同時に植えられた。当初2本の白樺
があったが一本は枯れ一本だけが今のように大きくなった。私は白樺よりも2階の
南窓に見える円山茶寮の銀杏の樹に惹かれていて、近くの円山、遠くの藻岩山を
借景に見えるのが好きだった。それと昔私の生れた家の中庭にも銀杏の樹が
あって、ここに来てそのことを想い出したこともあった。中学3年の冬スタンドの
光をふっと消して何気なく見上げた時、その銀杏は月光を浴びて黒々と凛として
立っていて背筋が一瞬すっとしたのを想い出したのである。普段何も意識してい
無かった樹が受験勉強の合い間ふっと見上げた眼に、急に生き物として現れた。
そんな感じだった。ここで毎日のように2階から銀杏の樹をみていて葉の形が
同じ事で気がついたのだ。それからここを流れていた暗渠の川界川を辿り、篠路
の竜雲寺で同じ大銀杏の樹を見た。その樹は札幌市の保存樹にも指定されている
大木である。私は3本の銀杏に導かれるようにさっぽろを旅してきた。そこから
見えたさっぽろは今まで自分の知らないさっぽろであった。

しかしここ2,3年白樺の木が気になってきていた。ここの立ち退きの
話が出てきたせいもあったかもしれないが、植えられた木だけに枝が
建物側には伸びず建物の反対方向にここを両手を上げて守るように
立っている姿を、愛着をもって見るようになったからだ。ああ一緒にこ
こで生きてきたんだよなあ、と思えた。今は夏の暑い日には日除けに
なってよく立ち話をしている人がいたり、待ち合わせの目印になって
いる。向かいの道路から見ると、鬱蒼と茂って美しい姿だ。


やはり白樺の精霊が、現れた気がするなあ~。
そのほうが納得できるし、嬉しい。
 
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# by kakiten | 2006-01-13 18:37 | Comments(0)
2006年 01月 12日

白い精霊が顕われたー太田ヒロさんの見た・・。

高臣大介展2日目。昨日とは打って変わって静かな一日となる。
相変わらず雪。夕方太田ヒロさん来る。自然と一杯入り昨日の話になる。
彼は打楽奏者である。只打楽といっても通常のパーカッシヨン奏者ではない。
かってはドラムを叩いていたらしいが、モトクロスの趣味もあってある日両足に
事故で大怪我をしドラムを叩けなくなりそれから既成の楽器を使わずに自分で
楽器を作るようになったという。その素材は、捨てられた金属の板や汽車のレー
ル廃屋の柱等多岐に渡る。その素材を金属なら一度川や海や山の中に埋めて
錆びらし、時期をみて掘り出し、削り、磨き楽器に仕上げるのだ。それ自体が
美しく一度お願いして個展をした事があった。また彼には若い美術の作家のフアン
も多く彼らの個展でよく演奏を頼まれていた。その時持参する楽器が、作品に
合わせていてそれ自体が彼の作品批評にもなっていた。あちこちの楽器保管場
所へその度に掘り起こしにいってそれが石狩川だったり、張碓だったり、裏山
だった。まるでリスのようなひとだな~と思う。餌を仕舞い込んでいるみたいだ。
オープニングでは完全にノリノリで2回も演奏して、その後夢遊病者のように
フラフラみんなの間を歩いていたがその内二階で寝てしまった。そして明け方
眼を覚ました時の話。「大介、誰かいたの。白い服着てズボンをはいた人が。
なんか悪いと思って声かけなかったけどさ。」「そんな人いないっすよ。やだな」
「え?だって少し俯き加減で真ん中の椅子に座っていたよ。長めの髪の若い娘」
「いないすよ。俺は酔つぱらって寝てましたから、いやだな~。でも本当?」
「本当だよ、はっきり覚えているんだ。てっきり大介おまえが、さあ」「そりやあ
ないっす!」

幻覚か酔っ払いの願望か分かりません。本当かも知れません。でも大介さんの
新婚の名誉の為に云っておきますがそれはありません。ただ私には思い当たる
のだ。彼女が白い服を着ていた事でそう思うのだ。一緒にここの時間を過ごして
きた25年前に植えた白樺の精霊のように。だってズボンをはいているのもそうだ。
ぼくらいつも見ているのは、枝、梢ではなく彼女の足元ー幹ですからね。
初日の熱い透明な空気が彼女を、リスのようなヒロさんに誘われてふっと姿を見せ
たくなったのでしよう。だってそれはヒロさんだけが見た話ですから。
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# by kakiten | 2006-01-12 13:19 | Comments(3)
2006年 01月 11日

白く、透明な光溢れる世界だー高臣大介ガラス展

吊り下げられた透明なガラスが350本ほど窓際に氷柱のように、そして房のように
束ねられてシャンデリアのように天井からぶら下っている。総数で700近いガラス
が様々な形で上に下に並んでいる。透明でありながらほとばしる熱気がそこには
渦巻いていて、無彩色の内側に無数の色が犇めいている。もしひとたび色を投げ
込めば、キラキラと色彩が結晶しスパークするかのようだ。高臣大介のこの展覧
に賭ける情熱そのもののような個展である。製作中助手の人がフラフラになり
点滴で凌いだと聞いた。初めてする今回のオープニングパーテイーは、作品同様
熱気の渦となった。最初に太田ヒロさんのライブがあり、それから酒井博史さんの
飛び入りのギターと歌あり、一番最後は碇氏のトランペットのソロとなった。この間
人が3度ほど群れで集まってきた。そして自然に歌が楽器の演奏が生れた。
渦が固まりほぐれそしてまた新しい渦となった。いい展覧会の時はいつもそうだ。
固まりが固定しない。自由な渦となる。人が人に逢う、どんどん新しい輪となる。
初対面なのに、初対面ではなくなる。作家の人と作品がそうさせる。自然にひとが
ひとを開くのだ。ここの最後の展覧会なあ~んていう感傷はどこにも無かった。
軽く私に問い掛けても、今のこの時間の熱気にすぐに乾いて消えてしまった。
みんな黙って分かっていた。そのことが何よりの応えだった。閉じる精神(こころ
)はないのだ。みんな開いていた。それが、高臣大介展であり私の気持ちでも
あった。そして、忘れないだろう。漆喰の白い壁に映る透明なガラスの影と
、人の熱い渦巻き、声、それらがひとつに揺らいでいたその夜のひと時を。

晴れた夕刻僅かな時間に、外の光と内の明かりが同じ光度になる時がある。
その時光は一体になって、内と外を透明な空気で繋ぐ。青味を帯びた光が
内と外を結び柔らかな透明な時だ。ガラスはそんな時間によく似合う。
きっと人と人の間にもそんな時間がある。心の透明な運河、心の船が走る。
高臣大介展の初日は、作品を通してそうした透明な時間をもって始まった。

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# by kakiten | 2006-01-11 16:15 | Comments(0)
2006年 01月 09日

いけばなの続き

花器店の血が騒いで少し続きを書きます。
<祈り>が人間の人間である所以であるというのは、他者を
思うという事だ。いつかTVでみたけれど、クロロマニヨン人と
ネアンデルタール人どちらが人類の先祖か、というテーマで化石を
調べた時傍にお花の化石が添えられていたほうを人間の祖先と考えた
番組があった。死者を悼む気持ちが花だとすれば人の始まりには<祈り>
が原点にある。花を添える、器に入れる、そして立てる。その時祈りが
形になる。奉るー立てる。祈りの形、両方の手を合わせている形である。
特定の宗教をここで意味するのではなく、勿論流派でもない。つまり心
の形としてである。それが日常にあるというのは、本当は凄いことだなと
思う。<祈り>を忘れてただキレイといって飾るのは、社会が豊かに
なったともいえるし貧しくなったともいえる。ただいけばなの原点は<祈り
>なのだ。ここが無くなる。その事を思う気持ちが伝わる。
いけばなを志す人が、<立てる>器をここの最後に決して安価ではない
のだが購入してくれるという。その気持ちが嬉しかった。それがいけばなに
ついて書きたくなった原因のひとつです。

洞爺より高臣大介来る。搬入展示である。4時過ぎHBCTV来る。明日
10日午後6時台ニユースで放映予定。外からもじっくり撮影。
ここの佇まい絵になる。夕暮れの光、大介のガラスに映えて美しい。
撮影終了は8時半過ぎ。いい絵沢山撮れたろうな。若い記者とカメラマン
の熱意を感じる。
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# by kakiten | 2006-01-09 12:25 | Comments(0)
2006年 01月 08日

よく降るなあ。今日も雪。

昨日に続き今日も雪。よう降るわあ。雪掻きをまめにしていて、電話の事忘れて
いた。支払期限切れていた。高臣大介さんから、ブログに連絡入っていた。
<電話切れてないっすかあ!>失礼した。メールにも2、3人からその旨。
失礼した。電話の音しないのは、雪のせいとばかり勝手に思っていた。もっとも
お金も不足していたので結果は同じ。今日開通しました。申し訳ありません。

石狩の石川亨信さん来る。美術の作家であり、お坊さんでもある。
いずしと賀状もって、陣中見舞いといったところ。テンポラリースペース
で個展したかったのだろうか。そんな感じがした。賀状には「惜」の一文字。
有り難う御座います。

江別と厚別の女性2人来る。ひとりはいけばなの人。もう一人はお友達。
大学が一緒とのこと。いけばなの人は、ガラス展の案内状を貰って閉店
を知り、残念がる。素直な、いけばなも古典をしっかりみている人だ。いけばな
は日常的なインスタレーシヨンとして、本来優れた日本の美術である。今は、
中川幸夫さんくらいしか、本格的な作家はいないかもしれないがもっと普通に
日々季節、行事、人の生死に合わせて活けられていた。それがいまとなっては
凄いと思う。私はいけばなは<か行>と思っている。つまり<いかす、いきる、
いく、いける、いきる>であって、<ら>行の<いらん、いります、いる、いれる
いれろ>ではない。いけるという内側からの視線から発するものと、いれるの外
からの視線の違いは、西洋のガーデンと日本の庭の違いに良く出ている。
<借景>という遠くの山を生かす日本の庭とシンメトリーにカットするガーデンの違
いである。いま流行りのアレンジメントフラワーはその類である。イヴェントであって
インスタレーシヨンではない。いけばなの始まりは、立てるにありそれは祈りの
形である。4歩足が2本足で立ち上がる位只入れることから、立てるというのは
決定的に変化がありその様式を確立するのに80年ほど懸ったと言われる。
その祈りの形は、日常的に様々な形を生んだ。それがいけばなである。
<祈り>とは何か。人間が人間である所以もそこにある。だから、<花>は
今でも<フラワー>とは違う。
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# by kakiten | 2006-01-08 19:19 | Comments(0)
2006年 01月 07日

あっという間に吹雪がきた

午前中病院へ行く。年末の検査の結果が出る。
心臓肝臓異常なし。ただ腎機能衰えあり。腎不全の恐れ。
来週栄養士の指導を受けるようにと。普段の食事は誰が・・
ちゃんとしてますか?答えはゴニヨ、ゴニヨ。

帰って突如吹雪ー真っ白な世界。
昨夜JAZZのトランペツター碇昭一郎氏来る。閉店のこと長内るみさん
から聞いてペット持って来る。2階のギヤラリーでしばし吹く。ここで
創ったオリジナル曲「ラストサマー」のテーマが響く。吹き抜けを通して
音が満ちる。高臣大介ガラス展の時来るかな~と呟く。彼のCDも2枚も
ここで録音された。しばしバーボンをストレート、岡島希久子さん差し入れ
のサカナつまみに飲む。彼とは長い付き合い言葉はあまり要らない。
トランペット持って来てくれ、ここで吹くだけで何もかも分かる。

彼の最新のCDにライナーノートを書いた翻訳家の石田善彦さんが
年末年始と連続してきた。この人は同じ早稲田出身だが、知り合った
きっかけは、田中民のCDでその後彼の力作「僕はアメリカ人のはず
だった」の翻訳出版パーテーイをここでしたときからの付き合いだ。
アメリカ生れの日系人の日本滞在記で、舞踏の大野一雄が出てくる。
大野先生はここで踊り、語り1991年一緒に石狩公演を実行したので
その事も石田さんとは縁となった。1週間に満たない間に2回も来てくれ
しかしだからといって何をしゃべったか取り留めなくなのだ。
南の沢の広い家にひとりで住んでいる。どうしようもない時は転がり込もう
かしらな~んて思う。明後日から高臣大介展搬入。そういえばその日TV
取材放映の予定。若い記者で大いにここを惜しんで張り切っていた。
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# by kakiten | 2006-01-07 12:33 | Comments(4)
2006年 01月 06日

再び根津からの手紙

前回のブログを読んで根津の小山内さんから再び便りがきた。

<公共、住民参加といった言葉が欺瞞的に聞こえてしまうのは、「上」
から一方的に与えられる、というニユアンスが含まれて使われているから
だと思います。が、本来あるべき「公共」とは相互関係ーある時は人を
介し、ある時はモノを介しーの前提の上に成り立つべきものだと僕は
思っていて、中森花器店の開かれ方にある種の希望を抱くのです。それを
「公共」と呼ぶべきかわかりませんが、中森さんは僕にその相互の関係性
の(僕は敢えて「公共」とよびたい)本来あるべき姿を提示してくれていた
のです。>以上が書こうと思った内容なのですが、メールで伝わればいい
ですね(笑)沖縄時代から住民参加という言葉に対し、ジレンマを感じ続け
ずっと引きずってきているのですが中森花器店のあり方にひとつの解を見る
気がするのです。>

小山内さんのこの場への深い想いを私は重く垂直に感じる。ひとつの言葉
へのこだわりが各々にあって、その拘りがひとつの言葉を深めて意識の
逆転を生む。たかだか言葉というなかれ。なんの変哲もないよくある言葉
ひとつにもその人の人生が懸っている。沖縄での生活も含めて<公共>
という言葉に小山内さんの今の建築設計の仕事も含めて彼の過去現在が
ひしめいている。それは、私自身も別のプロセスを通してそうである。
そのプロセスの違いは、生きてきた人生上の違いではあるけれど、その
求め、否定する現実上の眼差しは一緒だったのだ。と改めて今思う。
生れも環境も違う人と人が出会うのは、そういう時なのだ。その時オーバー
に少し言えば、意識の<革命>が起きる。言葉の<命が革(あらた)まる>
のである。この場所で出会った人、作品、生き方それらすべてを含めて
彼は<場>を語っている。そしてその場とは、具体的にはこの建物も含めた
ある拡がりの内にある。その拡がりとは円山北町を拠点としたさっぽろの
拡がりの内にある。<公共>とはそういう拡がりの内にこそ姿を現してくる。
そんなふうに、<公共>を感じた事はなかった。そんなふうに寄り添うように
顕われることはなかった。
<私有>する力との立ち退き訴訟に敗れた今、小山内さんのいう<開かれた
公共>は私を勇気付け、インスパイヤーしてくれる。
私たちは、別の次元で<私有>の闘いを<革めた>のかもしれなかった。
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# by kakiten | 2006-01-06 13:17 | Comments(0)
2006年 01月 04日

新年の手紙

昨年暮れ近く東京の根津に引越しした小山内裕二さんから小包届く。
彫刻家故若林奮の<銅・弧>という個展のカタログと藤原新也の<メメントメモリー
>サイン本の2冊が入っていた。どちらも彼とよく話していた作家であった。手紙が
添えられていた。中で<公共的>という言葉が胸を打った。何故か。私はしばしば
その言葉を否定的に使ってきたからだ。美術ではパブリックアートを批判する時に
また都市論では公共事業の直線の都市計画を批判する時に、基本的に対峙する
概念としてその言葉は私にはあったのだ。しかしここではそうではなかった。
こんなに寄り添うように<公共的>という言葉が使われ様とは思わなかった。

ー立ち退きの件、度々経過を教えてもらっていたので驚きというより、何か
 静かな悲しみを感じました。中森花器店との出会いは石田くん(映像作家ー注)
 の「フーガの技法」の展覧会でした。その後度々出入りし、中森さんと飲食し
 語り、批評し。。僕にとって大きな大きな意味を持つ「世界」でした。あの場所が
 なくなる、というのは僕にとってひとつの「世界」を失うことです。たくさんの人々
 が「憩い」を共有している場所であるということ、中森花器店は真の意味で「公共
 的」な場所である証だと思います。-

小山内さん!勝手に引用してごめんなさい。私はブログにも年末に書いたけれど
公共の名のもと市街地再開発で変質した所で生れ育った訳で、それが闘いの原点
のようにあって否定の影がこの言葉には付いて回っているのです。
勿論真の意味でと書かれていますが、私には逆転して使われていたものですから
少なからず”はあ~!”という感じでした。でもとても嬉しかったです。

ー同時代を生き抜く同士として、譬えお互いが息を潜めて世界を眺めていても
 その「想い」は同じです。「想い」を共有できる人が存在すること、それだけで生
  きている価値があるのでは、というのが最近感じることです。

彼にとっては一年と何ヶ月かのさっぽろだったが、石田尚志さんの映像がきっかけ
で知り合い、それからいつも彼は眼をキラキラさせて、ここに入って来た。
ここにくる時のあの眼の輝きは忘れ得ない。またふたりが共通する彫刻家若林奮
は私は詩人の吉増剛造さんを経由していて、小山内さんからはより美術の方から
の知識、資料を教示された。若林さんに限らず彼は掛け替えの無い鋭い美術の眼
の人だった。送って頂いた本はそのまま2人の眼の「想い」の証だったと思う。
距離や環境の違いに関らずこれからもまた、眼をキラキラさせた彼に逢うだろう。
私は私の<公共>を逆転してくれた彼の友情をわすれはしない。 
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# by kakiten | 2006-01-04 15:54 | Comments(4)
2006年 01月 03日

水天宮と若水

元日ー水天宮にお参りに行く。真新しいしめ縄。本宮と左横に中と小
のお宮。人は誰もいない。順番に祈る。
25年前の夏円山北町ー西28丁目で界川に遭う。大雨による増水から氾濫し
存在を知る。そして川の街さっぽろの大元締旧さっぽろ川を祭るところがここだ。
この日一日酒を飲む。

2日ー若水を取りに行く。モイワの麓。それから少し先の白龍大社を
詣でる。マンシヨンの駐車場の奥ひっそりと鎮座する。プレハブで囲われ
なかは見えない。かすかに木の波のような彫刻と鏡がある。これも水の
神様と思う。<千と千尋の神隠し>で<白>という龍が川で出てきた事を
思い出す。一緒に行ったハンコ屋さんの酒井博史さんが<こんなとこに>と
感心した。2人でそば屋探すが開いていなくて、ファミレスで飯を食い、店に
戻る。正月という事で酒を飲む。酒井さんのお父さんの話を聞く。職人さん
だったんだなあ。そういう人がある時代までいたなあと想う。竹の職人さん
簪を直す飾りやさん、木箱を作る箱やさん、ハンコ屋さんもそういう人達の
ひとりだったんだと改めて思う。街もそういう人の住む界隈があった。
看護士の2人が来る。ここを惜しみ、ここの白樺の木を好きな人たちだ。
仕事柄人間の生死に立ち会う事の多い人が、ここで寛ぎ、ここを惜しんで
くれることになにか例え様のないものを感じている。一般の仕事と違い日常
生と死に敏感な若い感性が深い所で真っ直ぐみっめているのがわかるのだ。
口惜しんで、惜しんでくれる、ひとりの人間の気持ちが伝わってくる。
なんの利害もなく純粋に、ひよつとして人の生死以上に個として。
4人でそれから取り留めない話をして飲んだ。酒井さんは健康を注意され
、僕もさりげなくたしなめられた。そうです。身体に気をつけ頑張れという
女神のお告げと思います。いい時間だった。
昨日今日と飲み、顔も洗っていない。女神さまに失礼したなあ。
顔洗って出直せとの御宣託かもしれない。
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# by kakiten | 2006-01-03 15:53 | Comments(0)