テンポラリー通信

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2006年 03月 04日

岸が見えてきたーふかぶかとさっぽろ漂流(9)

河田雅文さんと一緒に廻る。彼は優れたセンスのアーテイストだ。以前プラハの企
画で九州と札幌を結んだ交換シンポジュームがあり私は講演はせずパラト街道を
参加者と歩きその行為の中で各自が感受した事をテーマにした。その時参加し総
括を書いたのが彼だった。その後英国の美術家ロジャーアックリングの石狩望来プ
ロジェクトで作品記録を編集した時も一緒だった。3年程前マンシヨンのチラシだけ
で構成した展覧会「本日堂々完成」もワサビの効いたいい個展だった。前のギヤラ
リーの入口前にできたマンシヨンの完成を皮肉った批評精神あふれる展示だった。
また最近はビデオ作品を手がけていて携帯自転車で川に入り川の中を走りながら
撮影した未完のいい作品がある。彼の家はちようど界川と琴似川の合流点に近く
川の話でも私と気が合った。そんな彼が半日付き合ってくれた。自分以外の目線
が入るとまた少し見え方が変ってくる。見落としていた物がふっと見えてくる。この
日は狸小路の新しいスペース「スンクガーデン」にちらっと寄った後山鼻、北大付近
中心に廻る。道すがら河田さんの興味がやはり琴似川水系にあるのが分かる。水
源をさっぽろの西の山並みにもつ琴似川は現在のそれよりもはるかに広い範囲で
さっぽろの西南部から北東部を網羅した川である。札幌を造った三つの扇状地の
ひとつ<FK>のKは琴似川の頭文字。ちなみに<FT>のTは豊平川(旧札幌川
)<FH>のHは発寒川である。河田さんと話しているとすでに見た建物、新たな
ゾーンが別のふくらみをもって見えてきた。これでひとつ絞られてきたと思う。
一緒に歩く事の多い酒井さんも実は琴似川の枝に店がある。サカイだ、カワダと
私の原点の界川(さかいがわ)がいるみたいだった。まあこれはただのオジンギヤ
ル?ですがね。夜河田さんと別れた後事務所に帰ると村尾香妃さんからメールで
私が初めて見た夕張が中学の修学旅行で釧路で向かう途中の深夜だった話の
返事だった。真っ暗な夜汽車の窓に忽然として顕われた眩い光と機械音の渦。駅
の周りを覆うその光の空中都市は今もはっきりと脳裏に残っている。村尾さんは
釧路にも幼時期いて夕張と釧路が故郷という。たまたま私の夕張の記憶が釧路行
きの汽車だった事の不思議さを恒平さんの育った釧路との縁と共に語っていた。
彼女はこのブログに夕張の沼田さんを記した時コメントをくれた方である。及川恒平
時計台コンサートの主催者のひとりでもある。及川ー釧路、沼田ー夕張の線がまた
新たな出会いを生む。これも人の伏流水だな。私の中学時代の修学旅行がねえ。
記憶の伏流水が人に触れて、心の列車を走らせている。人の記憶の駅を巡るさっ
ぽろーその入口を思う。
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# by kakiten | 2006-03-04 13:52 | Comments(0)
2006年 03月 03日

徒労感と閉塞の狭間にーふかぶかとさっぽろ漂流(8)

2、3日ぼんやりすることが多かった。なにか緊張の糸が緩んだみたいだ。昨今の
お天気みたい。やはり3月、2月とは違う。3月1日千年鶴酒ミユージアムの高臣大
介展に顔を出す。キリリと眼を張った大介さんがいた。髪が伸びて横に束ね兵馬傭
に似ていた。秦の始皇帝のあれだ。試飲のお酒を昼から飲んで酔いが早い。つい
もう一杯今度は百円出して吟醸酒を頼む。これは溢れるようにお姉さんが注いでく
れたので思わず”3月3日みたいなお顔ですね”と言ったら笑っていた。白い台に透
明なガラスの作品が並び少し単調に見える。本人もそう思っていたと見えて、吊る
作品を増やすと言っていた。それからパラト街道斜め通りタマネギ倉庫ともう一軒
を見る。どちらも大き過ぎて私のイメージとは違う。ついでに同じ街道沿いにあるぷ
ー横丁で海鮮カレーを食べる。美味しかった。夜石田善彦さんと会う。田中綾さん
酒井博史さんも来て先日の石田宅のお返しである。高臣さんも誘ったが来なかっ
た。初日の晩いろいろあるのだろう。田中さん先に帰った後3人で小説家東直巳の
姉の店「小太郎」に行く。寿郎社の関係の人の誕生会とかで満員。でもなんとか入
れ石田さんからいつも聞いていた店に初めて腰を下ろした。ほどなくパーテイの人
が帰り3人だけになりママのマラソンの話(サロマ湖百キロマラソン参加)の96キロ
時点の最後の辛さと達成感が印象的だった。そういえば及川恒平さんも参加して
たなあ。南の沢まで酒井さんが石田さんを送って帰ったら3時過ぎていた。こういう
漂流はあまりねえ。ススキノは何年振りだろうか、でもやはりススキノはススキノ。
疲れたのが正直な感想。
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# by kakiten | 2006-03-03 14:06 | Comments(0)
2006年 03月 01日

鉄橋のように生きるーふかぶかとさっぽろ漂流(7)

2月が過ぎた。地図を片手に意識的に幻の大河さっぽろ川を辿った。そこで
見えたのは中心部の市街地化がどんどん侵食している事だった。琴似は琴似
円山は円山山鼻は山鼻という場の固有性が界隈性を喪失して同一の空を頂き
つつある現実だった。地域のグローバル化ともいえる。以前琴似街道や茨戸街
道を歩いた時道とともに風景も変化があった。三角山のゾーンが円山に変り円
山のゾーンは藻岩山のゾーンへと変化していった。古い街道には等身大の軸が
あった。茨戸街道には石狩へと向かう海への低い目線が転じて反対側の山並み
を迫り上げていた。風景と場所がキヤッチボールしながら呼吸していた。その呼
吸が今喪失しつつある。その事実を嘆いているのではない。街がたった一つのチ
ヤンネルの風景になってそれが豊かさと錯覚して街を改造する事に邁進して一体
なにがいいんだという怒りを感じている自分がいるだけである。私は私の呼吸を
他者の呼吸で代行する事はできない。他者の呼吸を私の呼吸で代行する事も
勿論できない。そんな当り前の事が街の風景には起こっている。それを誰もおか
しいと思わず発展と錯覚しているならそれはもっとおかしい。それぞれの街角が
亜流のいじけた名称と建物で埋まっている。公共の場所も民間のビルもマンシヨン
も駅名もふざけたネーミングがまかり通っている。ダジャレにもならないぜ。
一ヶ月が過ぎ見えない川の漂流はある輪郭を結びつつある。それは琴似川水系
と伏篭川水系の選択である。あの鴨々川の入り口に始まる南ゾーンから東北部
へそして円山北町の琴似川から源流南西部と北大と桑園の北東ゾーンである。
このふたつのゾーンを囲むようにジグザグと歩き呼吸する街角を探している。
そして3月4月そう、<鉄橋のようにわたしは生きるのだ辛い3月4月を終えて>
ー福島泰樹
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# by kakiten | 2006-03-01 12:51 | Comments(0)
2006年 02月 28日

風のように友が来たーふかぶかとさっぽろ漂流(6)

一日出歩いて外から帰って夕刻電話が鳴った。東京沼田康弘さんからだ。
今札幌です。近くです。外に出ると目印のタワーマンシヨン向かいに真っ赤
なヤッケを着た沼田さんがいた。仮事務所まで案内し一応中を見てもらう。
<いや~なんか学生時代の下宿の部屋みたいだなあ、>と第一声。いや
はや、ここは早々にして円山公園口の喫茶店へとりあえず向かう。歩きなが
らも話は止まらない。その後西28丁目の居酒屋楽屋へ行く。店主の松崎軍夏
(いさか)さんと同じ1957年生まれと分かりそちらも話が弾んでいた。
沼田康弘さんは現在役者としてまた脚本家として昨年は九州天草、東北青森
ドイツベルギーと活躍しているが、最初に会った時は「風の旅団」のテント公演
で札幌に来て夕張出身と分かりそこから話が合い友人となった。私が夕張の
廃墟から持ってきた書類を見て<親父の会社だあ!>といって触ってくれた人
である。今回は弟さんの病状悪化で夕張に帰っていたがとりあえず病状は危機
を脱したという事だった。天草の博物館で夕張のアンモナイトが沢山展示されて
いた話、夕張の錦沢でそのかって汽車がスウイッチバックした場所で母と弟
が立っている夢を見てそこを舞台に公演したいという話、また東京である公演を
企画して及川恒平さんと2時間近く話し恒平さんが出演を断念した話は世間の
狭さに吃驚した。沼田さんもなんで及川さんと私が繋がるのか知らず驚いていた。
これも人の伏流水の泉だなあ。沼田さんと会うといつもお互いの今をわんわんと
語りあいほとんど収拾がつかない。でも不思議と根っこの部分は一致しているの
だった。及川さんもそのいい例だったが、昨日は最後に楽屋で沼田さんが持って
いたCDを聞かせたいといって聴いた曲もそうだった。グレングールドのバッハ「平
均率グラビアー集」で、グールドのこの曲は私の座右の曲のひとつだったから。
時にジョンルイスの晩年のソロもバッハの「平均律」でどちらの演奏もあの店で
よく聞いていた。グールドは私が演奏者を選んで聞いた最初のバッハだったし
ジャズ出身で黒人のジョンルイスもピアノでバッハを弾き続けたグールドもともに
黒人がクラシックそれもバッハをとかチエンバロでなくピアノはバッハの時代にない
とか当時の常識をオーバーフエンスして自分のバッハを追究した演奏家であった。
なぜこの曲が沼田さんから昨夜顕われ、私に聞かせたいと思ったのか、なにも
決めた事ではなかった。他の居酒屋では出来なかっただろうし沼田さんがCD
ファイルから最後にグールドのこの曲を選んだのもただ彼の気持ちだったろうと
思う。楽屋を出てまた歩きながら話し続けじゃあと別れた。飲み代は引越し祝い
だった。収入ゼロの漂流者にはあり難かった。さっぽろ流れもの~の今の自分に
は。
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# by kakiten | 2006-02-28 12:39 | Comments(0)
2006年 02月 27日

東奔そして南友ーふかぶかとさっぽろ漂流(5)

地下鉄東豊線栄町まで行く。あまり乗った事の無い地下鉄なので一度終点
迄いってみようと思った。ここはなにもないと思った。烈々布神社のほうまで歩く。
アイヌ語のREP(れップ)ー川の中心からきたことばと思われる。地下鉄駅
周辺も見て回る。川のど真中のせいか<その入口>はない。諦めてふっと
思い出し昨年暮れ美術家の花田和治さんと訪ねた元町の佐々木芳斉さん
を訪ねた。暗い部屋にひとりTVをみてベットに横たわって佐々木さんがいた。
彼が出版していた1980年代後半の「美術ノート」の話やら1990年代初め
にもうすでに4回線を使ってインターネットでチャットをしていた話などを聞いた。
ほんとうになんでも早かったんだなあと改めて思った。もう癌で春か夏までだよ
とさして落ちこんでいる様子もみせず語っていた。元気な時はキザで歯に衣きせ
ず何度か頭のきた事もあったのにこうして今淡々とお互いの事をはなしあってい
る、不思議といえば不思議だった。人間の間にも伏流水のような付き合いがある
よなあと云ったら肯いていた。時間もたち暗くなったのでじゃあまたと辞した。
翌日南の沢の翻訳家石田善彦さんの家に向かう。以前から訪ねる約束をして
いて今回はあの店の引越し作業中知り合った酒井博史さんと田中綾さんも一
諸だ。気功の熊谷透さんも同行。酒井さんと田中さんは国民歌謡ラヂオ歌謡に
共通の関心が接点にあり、熊谷さんと酒井さんはいつかの洞爺大介さんのガラス
工房訪問以来である。石田さんの家に着きみんなで湯豆腐を囲み話は8時間以
上深夜に及んだ。しかしまあみんなどこかで繋がるものだ。話は多岐に渡り一度
には記せない。ただやはり酒井さんの歌声<そうだ!友よ夢を叫べ!>が石田
宅に朗々と響きみんな頭を垂れて聴き入ったことはいつものとおりだった。
20代30代40代あとは、ウン10代と年齢も生い立ちも違う5人が濃い時間の内に
いた。
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# by kakiten | 2006-02-27 17:00 | Comments(0)
2006年 02月 25日

ちよっと休息かな?-ふかぶかとさっぽろ漂流(4)

そろそろ人恋しくなってきたのかここのところ会おうという機会が増えてきた。
先日の平岸もそんな感じ。もう何年もまえ初めて下沢トシヤさんの工房を訪
ねて近くの居酒屋さんで飲んだことがあった。いいお店でなにより食材も店主
も品格があった。そう、家でいえば軒も庇も屋根もきちっとあるという感じだ。
その頃の私には薄野を中心にしたイメージが飲むところにはあって、ビルの間
をハシゴしていたせいかあまり屋根も庇(ひさし)も感じてはいなかったのだ。
それがビルの内、外でも同じだった。夜だけでなく昼もお店は屋根も庇もない
コーナーの連続のようにあった。大きな建物と地下へと続く通路に嵌め込まれ
るように店があった。そこを出入りする出口入り口は均等にあって用を足す為
のその口はすぐ消えた。沢山の店が昼も夜もあるのだが全体としてのっぺりし
た空間だったのだ。昨日のブログに思わず<平岸村>と書いてしまったがその
場に根っこのある店の存在感がそう感じさせるのだ。一軒の店に入るという
微かな緊張感と期待の快感があった。だから入り口と出口は均等ではなかった。
人間の住む街にも自然と同じようにかって<その入口>が存在した。それは
決して出口と均等ではなく、出口は入り口の属性にしかすぎなかったのだ。いつ
のまにか出口が重く軽い入り口が増えてきた。中心部の市街地に慣れた眼には
この時平岸は新鮮でどこか懐かしいものだった。私の生まれた駅前通りもかって
はそういう街だった。私の東京の学生時代6年間で根こそぎ変った。その渦中で
父さんひとり苦労したんだろうなあ、父の死後戻った自分の今に続く闘いはそこに
原点をもつとふっと思った。さっぽろの街を漂流しながら<村>のようなそこ固有の
街角が喪失しつつある、恐ろしいほどの勢いで今もますます消えていくのをみる。
でもこの間、この今唯一の窓口ーその入口であるブログを通してすら毎日ノックし
て入ってくる人と人の数は減らない。その事実にインスパイヤーされてまた歩く。
下沢さん、中川さんとの平岸村そんな時間でしたね。ありがとう。
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# by kakiten | 2006-02-25 13:27 | Comments(0)
2006年 02月 24日

平岸の宴ーふかぶかとさっぽろ漂流(3)

中川潤さんから電話ある。明日沖縄へ立つ。陶芸の下沢トシヤさんも会いたがって
いるのでどうということだった。夕刻地下鉄大通り駅で待ち合わせ平岸へ向かう。
陶工房下沢前の居酒屋で下沢さんを待ちふたりで飲みだす。強制執行前3日間
泊り込みで引越し運搬を手伝ってくれた。それ以来久し振りだ。あの最後の朝モー
ニングセットの髭面、大介さんとふたり前にいてヤマアラシの頭をみながらトース
トと目玉焼きをつついていた。話は今まで書いたブログのこと、その反応に始まり
沖縄の美術家豊平ヨシオさん、詩人の与那覇幹夫さんのことなど話していた。
そのうち下沢さんが来た。下沢さんにも2回引越し荷物の運搬を手伝ってもらった。
それ以来である。中川さんと下沢さんは石狩望来の鯉江良二モニユメント以来特
に肝胆相照らす仲だ。そのうち酔ってきてふたりでジャレだす。後から来た下沢さ
んのスタッフの多田昌代さんが面白がってさかんにカメラで写していた。髭面ふた
りの愉快なショットが沢山撮れた事だろう。話は5月出羽三山に3人で行き、月山を
登ろうということでお開きになった。山形はお酒もお蕎麦もいいし好きな干し柿も食
べたい。地下鉄最終に間に合い中川さんと大通り駅で別れる。久し振りの平岸村
だった。翌朝東京沼田康弘さんから留守録。札幌に来ているという。熱い男で夕張
の話がきっかけで友人となった風の旅団の脚本家と役者をしている。会うのが楽し
み。昨日は月末近く動きが鈍る。半日ブログとメールの返事身辺整理に追われる。
円山市場のケーキ工房じゆ~んの小川さんに会い、お知り合いの山中歯科さんに
北15条方面の情報提供の為会うように勧められる。小川知子さんは多満屋という
三越まえの古いパン屋さんの生まれでケーキつくりのプロだ。登山も趣味で山岳画
家熊谷榧さんの個展で知り合った。今回はいろいろとお世話になる。別れて市場横
の食堂で天丼食べたがまずかった。遅い昼飯。それから平岸へ向かった。
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# by kakiten | 2006-02-24 13:32 | Comments(2)
2006年 02月 23日

雪泥の道ーふかぶかとさっぽろ漂流(2)

ここのところの暖かさで雪泥の道続く。店を喪って三週間余。少し疲れたのかも。
<深々と札幌漂流>と書いてから本当に道が深々でした。そのかわり昨日は
うれしいメールや人の出会いがあった。昨年12月テンポラリースペース最後の
個展をした堀田真作さんからのメールで一月末からドイツへ行きその報告。<
先月から今月アタマまでドイツに行ってきました。ちようど月末はケンやあやち
やんたちと飲んでいました。中森さんと話そうと、盛り上がったんですがタイミ
ングが合いませんでした。少し残念です。中森さんのお告げの通りドイツでは
好感触で迎えられました。来年1月からハンブルグで個展をします。その前に、
豊田の個展がありますが、殺す気で攻めていく所存です。ドイツのギヤラリーの
ミキさん。中森さんのフアン(同志?)なのだそうです。-「それから、中森さんに
ぜひ堀田さんの作品について解説を書いてほしいのですが。(中略)堀田さんは
どう思われますか?」ーいかがでしよう。御一考ください。>なにかドイツにいる
谷口顕一郎通称ケンちやんと堀田さんの姿が目に浮かぶようだ。それにしても
まだ一度も会った事の無いミキさんが私のブログを読んで堀田さんの個展に
繋がるとは、世界が豊かに、柔らかく広がるなあ。<同志?>とはねえ。素直
にうれしいです。
もうひとつ、写真家で昨年7月テンポラリースペースで個展を開いた森美千代
さんがあの場所の最後の10日間を写真で記録していてくれた。ある緊迫した
空気が見事に撮影されていた。人も荷物も窓も非日常の日常にいた。改めて
濃い時間を思う。「あるギヤラリーの終焉」とでも題して充分展覧会ができると
思う。人の顔、建物の佇まい、梱包された荷物、動く人の気配、白樺の幹と雪
あの時間で無ければ絶対にない表情がそこには記録されていた。ひとつの
喪失が集中して、そこにあった凝縮した時間を掬い取っている。時間というもの
はそう云うものなんだなあとあらためて想う。その日東区本町の法邑へ行き、
ランチをおごってもらつた。彼女は同時に優れた主婦でもあるので、私には
豪華なランチも家庭料理の延長ねと呟いてさほど感心もしなかった。主婦は
凄いなあと私は単純に感心した。それにしても時にシビアな辛口の批判をあび
せられて防戦一方の私はこの写真と食事でもうなにも言えない。感謝です。

昨日のこのふたつの出来事で大分回復する。人は人によって傷つき人によって
勇気ももらう。その繰り返しかもしれない。またふかぶかとさっぽろを歩く。一年
で一番短い二月、そのヘソのような寒さと雪泥の二月の底を歩く。
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# by kakiten | 2006-02-23 12:08 | Comments(2)
2006年 02月 20日

ふかぶかとさっぽろ漂流(1)

北大斜め通りから北17条を東へ東区本町の「法邑」まで歩く。シャリバリという
雑誌で紹介されていたカフエギヤラリーが気になった。伏篭さっぽろ川筋で
法国寺近く、かってパラト街道を探索した時このお寺の大銀杏が印象的だった。
お寺正面の右奥にモダーンな大きな1階建ての建物を見つける。中に入る。入っ
てすぐカフエゾーン右奥にギヤラリー、シックで落ち着いた空間だ。ちようど昼時
スパゲッテイを頼む。量も味もよかった。ただタバコは駄目。広くて綺麗で清潔。
ただ禁煙だから言う訳ではないが毒がないな。ギヤラリーはショウルームではな
い。もう少し時間がたっていい汚れがついて欲しい。でもここを造った方の意気込
みは立派と思う。あとはもっと開くだけ。空間が大きく清潔なだけにそこの内に閉じ
篭もることが出来易い。カフエが広すぎるのかも知れない。1時間ばかり付き合って
くれた酒井さんもコーヒー飲んだ後寡黙だった。仕事のある彼と別れて雪泥の道
をさらに歩く。パラト街道に沿ってジグザグに道を辿る。今日は暖かいせいか道が
溶けた雪と氷でぐちゃツルルだ。さっぽろ東北部歩き廻るから歩き深めるに明日か
らギヤーチエンジする積もり。腰に疲れ溜まっている感じがする。パラト街道入り
口中央郵便局まで戻り札幌駅前コージーコーナーでコーヒーを飲む。
地質図と一万分の一の地図を見比べ歩いた所をチェツクする。今度は大正時代の
地図も持って歩こう。地質図により近づくから。
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# by kakiten | 2006-02-20 18:32 | Comments(3)
2006年 02月 19日

しゅつたつは告げられてある(14)

美術家の小林重予さんよりメール来ている。インドネシアから帰り元気そう。
インドネシア在住のメラジャスルマさんから伝言。<メラメラ燃えるメラの命・・>
という彼女個展の時の私のダジャレがとても気に入って忘れないというような
内容だった。オランダ人の良い作家で重予さんの紹介で数年前個展をした。
今あちこちで活躍、何かが彼女のなかで動きつつあると重予さんの報告だ。
同じオランダのモニカも良い作家だった。エミリーとモニカがふたり来て、アーテ
ストレジデンスでさっぽろに滞在帰る前々日だったが、滝を見たいというので、
2年前の今頃円山川の奥、不動の滝を雪を漕いで案内したことがあった。
最初はビビッテいたが、雪の中に入れば陽気なものだった。後日ハガキが
来て忘れられないさっぽろだった、もう一度必ず来ると書いてあった。4ヶ月
近くさっぽろにいて最後に近く一番さっぽろを感じたなんてどんなレジデンス
をしていたのだろうと思う。
仮事務所の家の熊谷透さんと飲む。洞爺の大介さんのところで朝した気功の
自然な動きに感心した話から、いま私が歩いているさっぽろの大きな地盤地質
図を見せる。すると彼はその地図の上に座り、あちこちを指差し始めた。こんな
ふうに地図を見たことがなかったという。ああ気功をやっているなあと瞬間思った。
大地のいわば人体血管図のようなものがこの地質図だから。作られた市街地の
下に広がる見えない川、扇状地、自然堤防等が現実を透視するように色分けされ
印刷されている。彼はその上に座り札幌を身体のように感じてくれた。気功もまた
身体の気を自然に回復させ、流れをつくる術だからこの地図にすっと入っていった
のだろうと思う。<熊谷さん、毎週一回気功の講習私が新しい場所見つけたらそこ
で開きましょう>といったらほんとに喜んでいた。私が<その入口>と呼ぶ場所は
気功の解放の仕方とある意味同じ性質のものである。水曜か木曜だろうなあ。
大介さんのところで初めて経験した<風の舟>熊谷透さんの気功は一枚の地図
によってテリトリーこそ違えその志はある共通性を持つていたのだ。彼は彼の仕方
で表現していく。見えない川筋に沿って気功の巡業をするのもいいな。大地と空気
がそっと回復し開いていく、身体とともに。風景が結晶し入り口を開く場所で人も
体も一緒に解き放つのだ。テンポラリースペースがもうひとつ豊かになるなあ。
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# by kakiten | 2006-02-19 17:18 | Comments(0)