テンポラリー通信

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2006年 04月 27日

もう四合目ー燃える街角(11)

どんどん行く。中川さん棟梁に河田さん清治さん四人で仕事進む。金井孝次さん
差し入れビールとジョージアコーヒーワンケース頂く。熊谷透さんと同居の流星舎
という企画会社の友人である。書店を営む小杉山竜一さんくる。早々とお祝い頂く。
森美千代さんと松信雅子さん来る。サザエのお握り差し入れ。ペンキとハケ外買い
に行く。屯田の大きな材料店に向かう途中夕陽が凄く大きく鏡のように光っていた。
晴れた日真横からビカッという感じで思わず運転中の河田さんに「すげえ~ぞ」と
言ったが運転中ですぐには横向けないと怒られた。暗くなって現場に戻る。廃材の
整理を終わるところだった。それから軽く近くの焼き鳥やで河田、清治さんと飲む。
出されたおしぼりはすぐに今日も真っ黒。3人で顔を見合わせ笑う。いいお酒だっ
た。明日は解体される予定のあるスペースの材料を取りに行く。これもREだなあ。
床、壁、棚と打ち付け仕上げに入る。電気の配線、水道の配管等は棟梁中川さん
よく熟知している。工事初日終了後ふたりで飲んでこれもいい時間だった。しばらく
は労働そして喉を潤すそんなシンプルな一日が続きそうだ。顔と頭は煤だらけで
手は打ち傷と擦り傷で少し角張ってきた。普段使わない筋肉が夜寝る時痛む。産
みの何とかでしょうか。
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# by kakiten | 2006-04-27 10:43 | Comments(0)
2006年 04月 25日

作業開始ー燃える街角(10)

築50年近い古い建物のまず1階天井部分を破り2階と空間を繋ぐ作業にかかる。
何度かの改装で弁当屋さんになったり縫製工場に使われたりしていた為天井も
壁も都度都度変えられているが、元の床の間の部屋だった頃の骨格が現れてく
る。美しい梁土壁が出てきて感激する。そして空間がよりシンプルになる。大家さ
んの岩澤さんも見に来て幼い頃を思い出しているようだった。天井の低さが2階を
落とす事ですっきりした。しかし約50年の積もった埃で頭も耳も鼻も真っ黒。棟梁
中川さん粛々と仕事進める。私は慣れぬのこぎり片手に天井の梁に掴まり不安定
な姿勢で余分な部分を切っていく。汗ダラダラ、洟も出る。そうこうして梁を残し天井
が開いた頃清治拓真さんが手伝いにきてくれる。若い美術家である。そして河田雅
文さんもくる。「おお!もう3分の1終わったなあ、早い早い!」と言う。それから4人
で黙々と仕事は進んだ。気がつくともう午後6時半を過ぎていた。古い家の上に色
々と被っていた見た目スマートな薄っぺらな板、沢山の余分な配線そしてその下に
あった本来の骨格それはまるで日本の近代のある側面そのもののようだった。
壊しながらその家が本来保っていた姿を発見していく作業をしていると美術のフロ
ッタージュという擦り出し作業のようにあるいは凹みの作家谷口顕一郎さんの傷跡
のトレースを思い出したりした。表面を被う皮膜の下に時代時代の衣装があってそ
の薄さと対照的な骨太な土壁、梁、欄間が普通の民家なのだが、保っていたのだ
。現代の家には後年こうした発見があるのだろうか。1日目の解体はこの家のRE
、命革めるの感がある。
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# by kakiten | 2006-04-25 11:21 | Comments(2)
2006年 04月 23日

春楡の梢ー燃える街角(9)

新琴似の賀村順治さんの家に行く。彼は本来歌人で20代で「狼の唄」という歌集
を出版しこれは今や幻の名歌集である。福島泰樹の短歌絶叫コンサートの創生
時から関り今は浜松にいる桑名正和さんと共に福島さんの北海道ツアーには必
ず参加してきた友人である。今回私の店の退去に伴なって大半の荷物は彼の自
宅倉庫に預かってもらっていたので新しい場所の報告と経営上の相談を兼ね訪
ねたのだった。麻生の地下鉄駅に着くとすでに迎えに来てくれていた。それから
彼の自宅まで歩いた。途中新琴似神社に立ち寄りしばし境内を見た。保存樹と
看板の立てられた樹が在りその見事な枝ぶりは遠くからすでに目立っていたが
その樹はなんとハルニレだつたのだ。見渡すと立派なこの神社のあちこちにハ
ルニレがあった。昨日書いたブログに北大寮歌として引用した<エルムの梢>
が晴れた春の空に正に雄々しく聳えていたのだ。其処を出てしばらく歩くと畑に
出た。村田さんという数少ないこの地の農家のものという。「ここは偉いよ、頑張
っているよ」と賀村さんが言った。その畑の向こうにゆったりとした稜線をみせて
手稲山山系が広がっていた。山頂のTVの送信塔が軍艦のマストのようにも見
える。いつもは南東の方から見ているので山の姿が違う。そして昨日書いたば
りのハルニレと手稲山に迎えられたようで嬉しかった。安春川に沿い賀村さん
の家に着いた。お預けしてある荷物を見てから庭のキトピロがもう大きくなって
いるのをみて少し吃驚した。家に入り奥様も交え今後の事を種々相談した。そ
の内ビールとスキヤキが出てそれに庭のキトピロが供されてなにも言う事がな
かった。苦境の時黙って荷物を預かってくれ今またこうして相談に応じてくれる
賀村順治さんもまた侠気のひとである。帰りに奥さんがスキヤキの弁当を作っ
てくれた。美味しい漬物と一緒にまだ暖かい弁当を持って心もお腹も満杯にな
って辞した。しばらく胃が滅多にない栄養で吃驚しているようだった。帰って熊
谷透さんがひとりポツンといたので彼にも分けてあげふたりで美味い美味いと
食べた。ハルニレと手稲山のようなゆったりと豊かな時間だったなあ。胃も心も。
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# by kakiten | 2006-04-23 19:41 | Comments(0)
2006年 04月 22日

手稲のいただき黄昏こめぬー燃える街角(8)

早稲田の学生時代「都の西北」という校歌はメロデイーは別にして歌詞が今ひとつ
ピンとこなかった。土地感が上京して間もない性かなにが西北か分からない事も
あり季節感がさっぽろとは、ずれていたからもある。そんな時コンパかなにかの集
りがあって北海道の歌か札幌の歌を唄えと言われて困ったことがあった。群馬の
人は「信濃国の国歌」とかいう昔の唱歌みたいな調子の歌を唄ってこれが故郷の
歌だと威張っていた。私は当時ゴキブリも知らず”カブトムシだ”と騒いで下宿の
笑い者にされたくらいだから逆に北海道出身と言う事をえらい意識していたが歌と
いわれてはたっと窮したのだ。その時ふっと思い出したのが北大の寮歌「都ぞ弥
生」である。特に3番の<寒月かかれる針葉樹林橇の音凍りてものみな寒く野も
せに乱れる清白の雪しじまのあかつきひひとして舞う>という冬の章はじ~んと
した。<ああその蒼空梢つらねて樹氷咲く壮麗の地をここに見よ>と終えると生
意気な横浜出身の学友が”なんか偉そうな歌だなあ”と冷やかすような一目置く
ような目で見た。それから奴とは親友になった。今新たな地を選んでそこが<都
の西北>であり決心したのが<都ぞ弥生>の3月であつたのは不思議な偶然の
ようにも思う。北大の寮歌ではあるがこの詩にはさっぽろの四季がすべて唄い込
まれている。今はもう喪われた自然がそこにはある。特に2番の秋の章にはそ
れがある。「豊かに稔れる石狩の野に雁はるばる沈みてゆけば羊群声なく牧舎に
帰り手稲のいただき黄昏こめぬ」は象徴的だ。雁はかりがねと読みこの雁はもう
北海道にはいなくてかって立松和平がどこかのTVで中国まで探索にいく番組を
見た事がある。羊群は近代外国の学者が日本に持ち込んだ近代の象徴である。
また手稲の頂上は現在TVの送信塔が林立していてゴルフ場スキー場と現代の
象徴と捉えられる。その後に続く「雄々しくそびゆるエルムの梢」は春楡の事で
かってエルムの都と言われたさっぽろを代表する樹である。アイヌ語ではチキサ
ニ、月寒の語源といわれ豊かな扇状地であるさっぽろに多い樹であった。従って
この歌にはさっぽろの自然、近代そして現在がすべて要素として入っているのだ
。今雁は消え、輸入された羊が観光用にその名も羊ガ丘というクラーク像のある月
寒の丘に。そして本来浜辺に咲くハマナスを生態系を無視して1000メートル近く
の手稲山の頂上に植え札幌の花だとPRする鉄塔の林立する手稲の山頂。<黄昏
こめぬ>とは皮肉ですらある。北大のある種のアカデミズムはこの優れた先人の
謳った自然を忘れひたすら<黄昏こめぬ>方向へ協力するパブリックアートや創成
川ネッサンス運動に血道を上げているのだから。さっぽろが文化として自立する為
にも「都ぞ弥生」は秀れて現代に対するさっぽろの基軸を歌で示していると思う。
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# by kakiten | 2006-04-22 15:49 | Comments(0)
2006年 04月 21日

さゆらぎて立つー燃える街角(7)

病院に行く。体調はほぼ順調。先生曰く「前の店まだ決まってませんね、何してる
のか・・」診察結果は半分励ましが半分心と体の応援である。場所と建物は申し分
ないから後はその物件への愛着と誇りでしょうと答えた。先日新たな場所の契約
を終えた。紹介して頂いたY医院にも挨拶してきた。どちらからも喜んで励まされた
。「私たちはマンシヨンにしないで頑張ってきてよかった、町内会費を集めても4人
だけであとはマンシヨンの住人。だから4年に一回は班長でね、でもこの場所で生
きここを動く気はないの、だから頑張ってね、楽しみにしている。」そんな話をベー
スに3時間近く話し込んだ。その夜は熊谷直樹さんのお誘いで「鮨たかくら」という
お店に行った。熊谷さんは札幌市にお勤めだが仕事を通して亜麻ロードを仕掛け
ている。さっぽろの歴史と現在をクロスオーバーさせ美しい亜麻の花を植え東区に
新たなスポットを作っている人である。またエレガントピープルというJAZZのリー
ダーの仲西さんの親友でともに以前の店でお世話になった。その彼の行き付けの
お店である「鮨たかくら」のご主人は前の店を気に入ってくれ閉店のラストコンサ
ートの時見事なチラシ寿司を差し入れて下さったのだ。そのお礼も兼ねて初めて
宮の森のお店を訪ねた。実は顔を合わすのは初めてだったが入った時からもう
すっかり寛ぎ美味しかった。この人は鮨もそうだが、魚の料理人である。魚をベー
スに味を作る職人なのだ。もしまだ店が決まってないなら夕方までここをつかって
くれてもいいと言っていましたよと熊谷さんがそつと教えてくれた。私はその日次の
場所を決めたばかりの性もありすっかりハイテンシヨンになってしまった。すると1本
ラフロイグというウイスキーの地酒ともいうべき名品が「たかくら」さんの差し入れで
提供された。気風のいい人だった。「オープニングの時は握らせていただきます」と
真っ直ぐな姿勢で言ってくれた。今度の場所の大家さんは服作りのテーラーさんで
蕎麦打ちが趣味。これに魚の味作りが加わって凄いことになるなあと酔った頭がさ
らに酔いを加速させ思った事だった。知らない所で知らぬまに人が見ている、感じ
ている、そして出会って初めてなのに初めてではない時間が巡ってくる。生業(なり
わい)を持ちそこに住む。服を作る、味を作る。そして心を握っている。そんな人と会
え幸福な1日であった。勿論そんな日ばかりではない。まだ辛い日の方が多いのだ。
翌日雨の日発寒川上流から茨戸まで酒井博史さんと北大生の村岸宏昭さんと歩く
発寒川は途中新川で分断されその河跡の探索が目的である。さっぽろの扇状地を
造った3本の川の内琴似川さっぽろ川の探索を終え発寒川を残していたからだ。こ
日雨多く車と徒歩を交互にしたので改めて全コースを後日徒歩で歩く事にして石狩
に着いた。それでも河跡探しで半日かかり石狩のアートウオームに着いたのは夕
方だった。
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# by kakiten | 2006-04-21 15:04 | Comments(5)
2006年 04月 15日

星影彩かにー燃える街角(6)

中川潤さんと会う。かって北海道の有数の登山家であったが今はアイヌ文化の
研究者としての顔の方がメインである。山岳画家熊谷榧さんの個展をした時知り
あった。もう20年位前になる。それ以来主要なイベント、ギヤラリー活動をともに
してきた。今度も次なるスペースの改装に力を貸してもらう。千歳鶴直営の居酒屋
で会い相談する。遅れて彼の勤務する大学の学生も連れて来た。現場は明後日
見てもらう事にしてその日は種々打ち合わせた。大学の3年の佐々木北斗さんが
どんどん話に乗ってきて将来魚の料理屋さんをしたいと夢を語ってくれた。10人
位のお客さんが入る小さいが美味しい魚を食べさせる店が夢だそうだ。いいねえ
近くにおいでよというと顔をくしゃくしゃにして喜んでいた。翌々日内装に詳しい河田
雅文さん、プラハプロジェクト主宰で建築家の大橋拓さん、中川さんとともに現場を
訪れ打ち合わせる。ゾーンと建物については概ね好感度よくほっとした。持ち主も
好意的で楽しみにしているようだった。2月3月とひたすら歩き琴似川水系のここが
今はベストと思う。無仕事無収入でただ歩き見詰めていた。それが自分に課した仕
事だった。後はこの建物を自分の色に染めていく、少しづつ仕上げていくだけ。そし
てそこからさっぽろに開いていく。開いて凝縮していくのだ。2月3月とはまた違う深
い歩みが始っていく。靴は磨り減ったが心は深々と内なる芯を見続けていた。蝋燭
の火の芯のように。お忙しいなか中川さん、河田さん、病気療養中の退院間もない
大橋さんありがとう!と別れた後、声に出さずに胸に声が落ちた。
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# by kakiten | 2006-04-15 16:58 | Comments(0)
2006年 04月 13日

歩き初め歩き深めるー燃える街角(5)

路面に靴が吸い付く。路面に平行に歩ける。ほとんどの路がそうなった。ほんの
何週間か前までの斜めの路上が消えた。前後ろの車の気配と足元と、間断なく気
を配り歩いていた。そんな風にして幾つもの街角を巡った。貧しい街角、郷愁の街
角、強圧的な街角、薄くフラットな街角、車とビルだけの街角。歩くを基本にした時
街は表情を変える。そして靴が鳴る道がある。歩き初めて歩き深まる道がある。そ
の道には発見がある。出口ではなく入り口がある。街角もひとつの入り口であった
。自分の情況を反映する時もある。着飾った街角、自己主張の強い街角、ただ俯
いて歩く。朝小松菜炒めトースト昼坂ビスケット夜おにぎりなんて日は特にそう。ひ
ねくれた街角、こちらもさらに落ち込む。表通りの虚飾が皺寄せのように澱んでい
る。貧の時心もより貧になる。直角の路を離れ斜めに伸びる道、カーブする道、歩
きを誘うような心開く道、樹が無言で語っているような道、そんな道には人の顔があ
り遠くにいる友の昨日の電話のような時間と距離がある。”やあ”と逢える一点があ
る。この<やあ!>はre。ルネッサンス、revolutionのre。だから歩き初めて、
歩き深まる道。人にも街角がある。いい街角で人に逢いたい。作品もまた抽象の
街角。いい歌も声の街角。美味しい物も舌の街角(勿論お酒も)。触れる街角。
俺のさっぽろ。歩き深める街角。

今朝事務所に出ると及川恒平の声が流れていた。熊谷さんが今日も聞いている
一枚のCDを聞き深めている人がいる。その影響なのかな今日のブログ。
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# by kakiten | 2006-04-13 12:02 | Comments(0)
2006年 04月 12日

旗の下にー燃える街角(4)

江別から中山茂樹さんが訪ねて来る。一月末の引越しの時黙々と手伝って頂いた
。私の4月4日のブログを読んで心配して尋ねてくれた。彼とはJAZZの碇昭一郎
のライブで知りあった。軽妙な司会で場を盛り上げてくれた。しかしその軽妙さとは
裏腹な地道なひたむきさを、彼の引越し作業の最中何度も私は感じた。2日間に
わたる彼の仕事振りは深く感謝の気持ちとともに印象に残っている。そんな彼が
心配してきてくれたのだった。これまでそんなに深い付き合いがあった訳ではない
。人はこうして何かあった時ふっと水位が繋がり心の運河に舟が走る、友情の舟
が。その晩は帰宅した熊谷透さんも交えてお酒が美味しかった。中山さんと熊谷さ
んは初対面ながらともに京都の大学でその点でも話が弾んでいた。翌日仮事務
所に戻り夕方、下の階からドヤドヤと人声がして呼ぶ声がした。下りると熊谷さん
中山さんがいる。昨夜はここに泊まり今日一日熊谷さんの気功の仕事を手伝った
と中山さんが言う。それからまた3人で話が始った。なんと結局は一緒に仕事をす
るかという所まで話が煮詰まってきた。中山さんが江別に帰ったあと熊谷さんはう
れしそうだった。5月の気功ライブを当別の実家の桜の木の下で及川恒平さんも
招きしたいと話していた。5月20日日曜日実現すればいいなあ。中山さんも私と
ともに汗をかき同じ方向を見詰めていい仕事ができればいいと思う。小さな旗の下
人が集まってくる、旗本退屈男かもしれないが・・・。たまに落ち込むのもいいもの
かも知れません。後は一瀉千里がむしゃらに行くだけ。新鮮な街角、開いた街角
を目指して。街角に心挿す。
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# by kakiten | 2006-04-12 13:24 | Comments(0)
2006年 04月 10日

続小さな旗ー燃える街角(3)

時間なく途中で昨日のブログは終えていた。今日はその続きです。T・nakamura
さんという方からコメントを戴いた。鷲田清一さんへの中身濃い批評と受け取った。
ただ私の意図した事は鷲田清一論ではなく堀田さんとの現状認識の差異が主たる
テーマで私自身の現在感じている共感度が基本にある。
落ち込んだ後遺症かブログの文章が固くなり、エッセイか小論文のようになってき
た。小さな旗として書きたかったのは<自分の本領をしっかり守っている>あるお
店の人の話。若いハンコ屋さん三代目の酒井博史さんは先日とうとうあのレトロス
ペースで待望の手刷り印刷機を使い名刺を印刷したのだ。3時間以上かかって刷
った。活字を自分の店から持ち込み館長坂一敬さんの名刺が刷り上った。印字さ
れインクの跡も瑞々しいその出来立ての名刺はインクが乾く前に触るとすぐに滲
んだ。今のハンコはコンピューターが主で活字を使った判はほとんど無いという。
印刷も然りである。彼は自分のブログに書いている。機械が古くなっててこずった
のではないない。機械は現役だった。現役でなかったのは使う側だったと。つまり
機械は今も<自分の本領をしっかり守って>いたのだ。使う人間がその技術を古く
錆びらせていた。レトロスペースに眠っていた機械はただの骨董展示ではなく本来
機能を発揮して館長の名刺として甦った。その事が私には小さな旗、現代文明へ
の小さな抵抗のように感じ思えた。大量印刷や時間の速度という点では勿論なん
の役にも立たない。経済的にも劣るのは自明だ。しかしそこには機械と職人の汗
がコラボレーシヨンのようにあった。対等に<本領>があった。現在の流通機構
が喪失してきた物と人間の濃い時間があった。そして機械が復活した。職人は手
の記憶を復活させた。今も活字で判を作る酒井さんの厳しい毎日は少しだけ報わ
れた。レトロという過激を保つ坂さんとまちの若いハンコ屋さんが手刷りの機械を通
し出会って出来たこの小さい名刺は、私にはやはりへんぽんとしてはためくふたり
の小さな旗に見えたのだ。
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# by kakiten | 2006-04-10 13:31 | Comments(1)
2006年 04月 09日

小さな旗ー燃える街角(2)

ー「この間のお店でまた飲もうね」と約束しても、そのお店はもうなくなっている
というのが、最近何度かあった。とにかくすごい勢いでお店が消えている。
                              (堀田真紀子「狭い土地から」)
ー都市はいまひどい空襲を受けている。空襲とはたいそうな言い草かもしれな
いが、わたしの想像力のなかではそうした言葉しか思いつかない。
                               (鷲田清一「夢のもつれ」)
昨日引用したふたつの文章の出だしである。ともに現実の街の様相から出発して
いる。<とにかくすごい勢いでお店が消えている><都市はいまひどい空襲を受け
ている>。現状の観察にそれほど大差があるわけではない。ただその後の展開は
空襲という想像力と自分の本領をしっかり守っているお店と目が転じていくことで結
論は随分と違ってくる。堀田さんはその後「私が通勤で利用する・・うなぎ一筋のう
なぎ屋さんだけだ。」とお店の区別化そして自分の本領という勤労の視線で自己完
結の方向に閉じていく。鷲巣さんは京都、東京を例に都市の構造上の障壁へと視
線を深めていく。それが商店街だけでなく住まいの問題とも関る都市の構造として
問題を提起する。堀田さんは札幌の街を鷲田さんは東京、京都を見ていて都市の
違いがあるようにも思えるがそれは私の経験上では関係ない事だ。同じなのだ。
首都古都それも現代という時代のうえでは関係ない事だ。地方も中央もない。<
顔の見えない暴力><ひどい空襲>は日常のなかにあるリアルな事実である。そ
の事実に気づきどう対峙するかどうかの問題である。このふたりの違いはそのまま
わたしたちの今を映し出している。個と個の問題に閉じていくか、個と他の問題に
開いていくか。
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# by kakiten | 2006-04-09 18:32 | Comments(4)