テンポラリー通信

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2017年 09月 15日

窪み・泉・川ー緑陰(25)

北大遠友学舎で吉増・今福、小篠さんのレクチャ
ーが昨夕あったという。
私はこの日一日ギャラリーにいて行けなかった。
夕方シャンソンの訳詩をしているM氏が来て
ここで受けた刺激をシャンソン訳詩の仕事に反映
させ一晩で書いたという一文を届けてくれた。
フランス固有の歌シャンソンを日本語化し歌詞に
するという仕事を続けているM氏。
できれば札幌固有の地名や言葉でシャンソンを
創りたいという。
そんな時私の話した日本近代における札幌という
テーマは刺激的だったようだ。
そこへ北大の講演会を聞き終えた友人たち5人が
一度に立ち寄る。
みんな良い意味で興奮気味だ。
吉増・今福の名コンビが北大という枠を超え
より本質的な話へと自由に飛翔したらしい。
吉増さんは前夜宿泊した北大傍ホテルの13階
から見た北大の地形を話の枕にしたらしい。
サクシコトニ川の水が溜まった池、大野池。
その窪みを語ったという。
ピシクシメム、ヌプサムメム、キムクシメム
の3つの窪地に湧いた泉。
そこから流れた川にはほとんどコトニの名が
付いている。
そして西部山岳地帯から流れ出た円山川、界川
等諸川と合流し総合的に琴似川となり、石狩河
口近くで伏古川と合流し石狩川に。
この伏古川も伏流水化した大河サッポロ川の
アイヌ語フシコサッポロペツを漢字文字化し
たもので時に伏籠と当て字されている場所もある。
琴似の語源がコッネイー窪地・になっている
・処というアイヌ語からきているから、琴似川の
名の原点は、三つのメムのあった北大植物園・
偕楽園・清華亭を源流とする窪地ゾーンが発祥地
なのだ。
吉増さんが北大傍のホテル13階から俯瞰した
窪地の感覚は、正に北大の広大な空間の原点を
見詰めていたと思う。
それは札幌という土地の<窪み・籠る>水の
大地、春楡(エルム)に代表される森の大地
の姿でもあるのだろう。
<19世紀後半まで><北海道が地球上で最も
美しい自然が豊かな島であったに違いない。>
(水越 武ー写真家 道新2002年12月3日
 夕刊記載)
と語られる自然が近代百余年前まで札幌にも
あっての今なのだ。
自然と直接対峙する札幌という近代。
北海道大学の広大なキャンパスとその界隈は、
そのまま自然を問い、近代を問い、札幌そのもの
を問うている。

吉増剛造、今福龍太、小篠隆生の3人が熱く燃えて
語ったコアにはその近代の厚い扉を叩く炎が燃えて
いたに違いないと思う。


「大野一雄の記憶ー公演ポスターを主に」ー9月24日まで
am12時ーpm7時{火・木・土・日)
am12時ーpm4時(水・金)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503


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# by kakiten | 2017-09-15 15:04 | Comments(0)
2017年 09月 13日

続アメリカ世(ゆー)-緑陰(24)

体制の中で慎ましく気丈に生きる民と公の差異が
如実に顕れるNHKの特番を見た。
今露わになった非公文書公開による沖縄の核装備。
日本本土は見て見ぬ振りの核米基地配置。
冷戦下本土優先沖縄切り捨ての政治論理。
沖縄のもうひとつのアメリカ世(ゆー)である。
人の論理よりも国家の論理が優先する現実社会。
Jimmy’sのパイやSPAM缶詰ポークを郷土
の味に定着させている民の健気さの方に愛情が湧く。
そして米軍の兵士たちも沖縄でタコスライスやCo
Coのカレーライスを好んで多く食べるという。
両方の好みが創ったハーフのような食べ物。
食を通した味の回路が、国家体制とは別に生まれ
ているのだ。
このふたつの人間の健全さこそが救いだと思える。
非公開文書が公開されて明らかになった<アメリカ
世(ゆー)の実態。
そして「アメリカのパイを買って帰ろうー沖縄
58号線に向こうへ」が明らかにした食としての
日米交遊。
食交流の文化と政治体制の落差。
この落差は沖縄だけの問題ではない。

*「大野一雄の記憶ー公演ポスターを主として」ー9月26日まで。
 am12時ーpm7時(火・木・土・日)am12時ーpm4時
(水・金)月曜日定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503

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# by kakiten | 2017-09-13 13:35 | Comments(0)
2017年 09月 10日

アメリカ世(ゆー)ー緑陰(23)

ー現代の沖縄は、三つの「世(ゆー)」を体験
してきたと言われている。最初は「うちなあ世
(ゆー)」と呼ばれ、琉球王朝が統治する独立国家
だった。しかし1879年廃藩置県により琉球は
処分され、王朝を失った沖縄は「大和世(やまとゆー
)」を迎える。・・・そして戦後は、戦勝国アメリカ
に支配され、「アメリカ世(ゆ)」となる。ー
    ー駒沢敏器「アメリカのパイを買って帰ろう」

この沖縄のアメリカ世(ゆ)時代は、本土より20年
以上長い1972年まで続くのだ。
民主主義という理念のアメリカの戦後日本近代化。
その近代化アメリカは、沖縄では理念より生活の<身>
の次元でもっと具体的に根付いている。
アメリカ直系の味覚、アップルパイ、ビスケット、
jimmy’sのソウルフード化がその一例だ。
もうひとつ代表的な例が、「SPAM」という豚肉の
缶詰である。
その他調理法も含めて、日常食生活にもアメリカが浸透
している。
日米戦争で最前線にあり、同時に戦後アメリカ占領時も
最前線でアメリカを受け止めた沖縄のふたつの世(ゆ)の
がある。
明治の文明開化とその破綻の近代、そして戦後という近代。
このふたつの近代の最前線にいつも沖縄という地がある。
サトマン君が土産に郷土の菓子として届けてくれた
jimmy’sのクッキーから、戦後近代のフイジカルな
食にまで達している近代の身を思ったのだ。
フイジカル{身も)メタフイジカル(心も)・・・。
私たちのデモクラシーは、そこまで骨肉化してあるのか。
安保条約上のアメリカではなく、本当のアメリカ発理念を
ソウルフードの一つとしてある沖縄のように近代を根付か
せているのか、と振り返るのだ。
20代後半私はショッピングセンターのみを主とする
研修に参加していた。
その時見たのは、タワービル都市(摩天楼)を創った
アメリカが、それをある面で否定し、ヒューマンスケール
という人間的高さに切り替える商店街ーショッピングモー
ル建設にひた走る現実だった。
多国籍民族の共通する夢、そのランド(国)建設。
その理念は日常的で<身>に即していた。
ひとつのnation{国家)より多民族のland
(国土)への夢が生きていた。
それが多種多様のショップ集合構造体ショッピング
モール建設に現れていた。
デイズニーランドもその夢の集合体の顕れと見えた。
そうした根のアメリカを私たちはどれ程身としているか。

サトマン君の沖縄土産はそんなアメリカを伝えてくれた
気がした。

*「大野一雄の記憶ー公演ポスターを主に」ー9月24日まで。
 am12時ーpm7時(火・木・土・日)
 am12時ーpm4時(水・金)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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# by kakiten | 2017-09-10 18:03 | Comments(0)
2017年 09月 09日

jimmy’sのクッキーー緑陰(22)

沖縄の吉浜聡さんことサトマン君がFBに私とふたりの
イエー!と決めている写真を載せている。
ロックミュージシアンでもある彼は、東京のM氏が名付
けた私のブログの愛称が気に入っている。
M氏<たまにテンポラリー通信を開くと膨大な量になって
苦労するわ・・>
私<ブログは日記だから、毎日書いてます、歯磨きだって
毎日の事でしょ・・>
M氏<そうか、これからはハミガキ・ブログと呼ぼう>
そこで<ハミガキ・ブ・ロック、イエ~!>と駄洒落が
生まれた。
ロック系ミュージシアンであるサトマン君はこれが大変
気に入って今回ポーズを決めてふたりの写真となったのだ。

彼から戴いたお土産の袋を開ける。
jimmy’sのトロピカルクッキーだった。
駒沢敏器の「アメリカのパイを買って帰ろう」という
書物を読んで記憶があった。
ジミーズとは戦後沖縄に根付いたアメリカ菓子である。
パイやクッキーというアメリカ文化の濃い記憶なのだ。
日本本土よりも長く占領下にあった沖縄の強かな同化・
消化力を強く感じさせる菓子だ。
サトマン君のロックもそうして彼に根付いた文化なのだ
ろう。
戦後という第二の近代化を考える時、沖縄という存在
をひとつの根として忘れるわけにはいかない。
それは<アメリカ>という存在に対し、物心両面で
ジミーズのような存在も含めて見据える事だと思う。
イデオロギーや観念だけではなく、ジミーズのような
物の側面にも<戦後・アメリカ>は在る。
理屈抜きに根付いているものの原形のように、沖縄の
ソウルフードとなったジミーズがあるようだ。

沖縄・戦後が、ロックやクッキーを伴って、サトマン
君が来てくれた。

ムラギシよ、
これも俺らの同時代の風景だぜ。

吉増剛造展も来年沖縄美術館で、という・・・。

*「大野一雄の記憶ー公演ポスターを主に」ー9月24日まで。
 am12時ーpm7時(火・木・土・日)
 am12時ーpm4時(水・金)

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# by kakiten | 2017-09-09 15:31 | Comments(0)
2017年 09月 08日

河の根ー緑陰(21)

日曜日夜、常磐の森を歩いていた事を想い出す。
芸術の森の<芸術>は闇に消えて、旧地名常磐の
森が立ち上がり私の五感を包んでいた。
森の奥の一室、洞窟のような空間で吉増剛造「石
狩シーツ」は朗読された。
石狩河口真昼の朗読とは対極の場所だった。
水のふたつのparent(親・根)をtrans
(貫き通して)「石狩シーツ」が浮き上がる。
そして1994年から2011年の時空も<ふたた
びの根>の姿を顕していた。
今あの夜の会場の道程がその一部だったように感じる。

沖縄からサトマンさんが来た。
2006年8月ムラギシと四国でヨサコイ踊りに参加
した友情から、こうして今もこの場所と繋がっている。
ムラギシ死して11年。
これもtransparent{透明な)シーツ。
同時代の時空の小さなシーツ。
帰りに大野一雄のアルヘンチーナのポスターの前で、
「ハミガキブログ、イエーィ!」と記念撮影したね。

*「大野一雄の記憶ー公演ポスターを主に」ー9月24日まで。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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# by kakiten | 2017-09-08 14:58 | Comments(0)
2017年 09月 07日

転位する「石狩シーツ」ー緑陰(20)

9月3日午後7時芸術の森イヴェント
吉増剛造×鈴木ヒラクセッションに行く。
地下鉄ーバスを乗り継ぎ山中の美術館入口。
徒歩で幾つかの野外階段を上り会場を探す。
木々の暗闇、漏れる灯り、響く水音。
夜の芸術の森訪問は初めてだ。
会場のアートホール大演習室では、すでに
多くの人と中央に大きな紙が敷かれロール
状の銅板が片側に伸ばされていた。
すでに吉増さんの語りが始まっている。
鈴木ヒラクさんは紙の上で自在に行為をし、
時に手元のカメラから会場正面の黒い幕に
投影させた描線を見せている。
吉増さんは口元の増幅変響マイクを通して
「石狩シーツ」の朗読を始めた。

山中の洞窟のような会場で、もうひとつの
「石狩シーツ」が浮上していた。
河口での朗読、山中の洞窟での朗読。
明と暗、河口と源流。
「石狩シーツ」の転位する根。
鈴木ヒラクが最後に描き上げた描線は、まるで
河のように大きな紙全体の中央に横たわって
時空を俯瞰し転位する宙からの描線だった。

 transーparent  透き通っている
 *transー・・を横ぎって、貫き通して
 *parentー親、根本、源。

この透明の原義を「石狩シーツ」が転位していた。
石狩河口での朗読。
山奥の洞窟のような場の朗読。
このふたつの「石狩シーツ」は、作品の深化・転位
の相貌に他ならない。
大野一雄と吉本隆明。
明治と戦後というふたつの近代の原点を垂直に深化し、
自らの<身体>のように、その根を見詰めてきた吉増
剛造の到達点なのだと思う。

もうひとつの「空間現代」とのコラボレーションの
吉増剛造を私はまだ経験していない。
音・響きを主体とするこのセッションに、多分この
後の吉増剛造の言葉の磁場が生まれるだろう、と
予感する。

*「大野一雄の記憶ー公演ポスターを主として」ー9月24日まで
 am12時ーpm7時(火・木・土・日)am12時ーpm4時
 (水・金」

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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# by kakiten | 2017-09-07 13:10 | Comments(0)
2017年 08月 31日

剛造六腑(Ⅲ)ー緑陰(19)

北大総合博物館吉増剛造展で見ていなかった映像を見に行った。
「石狩シーツ ふたたび」の大画面に気を取られ、他の3本は
充分に見ていないのだ。
特に石狩シーツ朗読の翌日ひとりで石狩へ行き、撮影された一篇
が気になっていた。
耳にイヤーホーンを当て映像を見る。
スターバックスの席で「怪物君」草稿を広げ始まる。
何時ものようにモノローグの語りと手回しカメラと右の手。
スターボックスのシンボルマークの女性が映る。
そして吉本隆明の「言語にとって美とはなにか」を書き写して
いる草稿上の筆・手。
原文をカタカナ化して丹念に一字一字手が文字を織っている。
筆写というより、文字を織る、という感じだ。
さらにそこに筆の色を変え、自分のその時に浮かんだ言葉が
加えられていく。
その後石狩新港の埠頭と思しき場所で、銅板を拡げハンマーで
点を打刻しながら、ひとり語りが始まる。
いつも持ち歩く様々な宿るものをぶら下げたピーチハンガー。
それを埠頭にあった大きなゴムタイヤーの前に吊り下げ、手前
のこれもそこにあっただろう太いロープがイナウ(御幣)のよ
うに置かれている。
それを祭場のようにして手前に故若林奮さんから戴いたロール状
の銅板を展げている。
ハンマーで点を打刻し昨日の「石狩シーツ」を振り返るように様々
に語られる。
埠頭で作業する作業員、荷物を移動するトラック、フォークリフト
・・。エンジンの爆音。
そして最後にフォークリフトに書かれたmitubishiのMに
話しかける。
あのMはMurakamiさんのM、yabuMaeさんのMかな
と呟いて終わる。
これを見終えて、イナウのようなピーチハンガーにぶら下がってい
たゴーギャンの女性の絵に、スターバックスマークの女性の映像が
重なりtransparentして根の像を結んでいた。
「石狩河口坐ル ふたたび」で始まった「怪物君」の径(みち)。
その<ふたたび>の深みにあるー<女坑夫さん>ー<織姫>が、
時代と詩作の根源のように顕れていた。
大野一雄の石狩公演の、アンコール<離れがたい>のように。

大野一雄・吉本隆明を通して吉増剛造は、ふたつの近代と対峙して
いる。
それは、精神(こころ・観念)から身体(み・実践)に及んでいる。
「怪物君」の草稿はその身体(み・実践)の表現の顕れなのだ。
内科医がコンピューター画面に映し出す内臓の映像のように、吉本
隆明の著作を吉増の手が一字一字書き写し、崩し、一面に着色し、
変容する。
<身も心も・・・>の<身(み)>の行為。
頭脳が手指を動かし、手が機械を操作する。
その反対だ。
手がすべてに触り、心を動かす。
GOZOCINE(カメラ)はそれを記録している。
内科医のコンピューター画面とは正反対の位相の身と心。
心(観念)より身{実践)を優先させている。
文字を一字づつ皮を剥き、確かめ、素材にする。
徹底的に手で触れ、目で確かめ、知の舌で味見する。
その仕込みの過程こそが「怪物君」の全仕事である。
そこに輝くものが、transーparent(函・根)
の透明な美。
カーリフトのMに幻想されるのは石狩の女坑夫さん・絹の
道の織姫なのだろう。

*「大野一雄の記憶ー公演ポスターを主として」ー9月10日まで。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503



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# by kakiten | 2017-08-31 19:25 | Comments(0)
2017年 08月 27日

同時代という”シーツ”ー緑陰(18)

「大野一雄の記憶ー公演ポスターを主として」を展示して
訪れてくれた人と何度か1991年の「石狩 みちゆき
大野一雄」石狩河口公演映像を見る機会があった。
原題は「石狩の鼻曲がり」だが、同年1月の吉増剛造「
午後7時の対話」で札幌を訪れた際大野先生に呼びかけた
一言、「先生、石狩河口へ一緒に行きましょう」「よし、
往きましょう!」この言葉に勇気を戴き、この年9月15日
の公演タイトルには<みちゆき>の四文字が入ったのだ。
都市の暗渠化された見えない河「界川」をテーマに約1ヵ月
様々な表現体で川を表現したアートイヴェントの後、私は
水の見える源流・河口へと心を繋いでいた。
そんな時お会いした大野先生にほとんど何かに導かれるように
提案したのだった。

後年吉増剛造の近代への眼差しの根(parent)とも成る
、この大野一雄公演舞台は、陽光の傾く午後2時から始まった。
風・波の音が響き、前日の台風の後の影響が残る河口野外仮設
舞台で大野一雄・慶人さんの鮭の雌・雄の生と死・誕生のドラマ
が夕陽の西に傾く河口・来札浜で演じられる。
私には何度見ても新たな感動と勇気を戴く舞台である。
そして今回新たな発見のように感じられたのは、最後の
アンコールの舞台だ。
鮭の雄・雌が産卵行為の後死を迎え、大野一雄はアルヘ
ンチーナの亡霊になって最後の踊りをする。
この世からあの世へ。
岸辺から仮設舞台を通り、あの世の水へと入水し落日の光
煌めく河中で踊るのだ。
そして水際に遺された古い棒杭の点々と黒く滲む水面から
両手を挙げ深々と終了の礼をする。
そして観客の為水面からずぶ濡れの身体を舞台に押し上げ、
その日共に過ごした観客の為アンコールの踊りを舞う。
最初は「エストレリータ」、そして自ら裏方に指示して
踊った「ラ・パロマ」。
この2曲目は、事前に観客も参加して踊って欲しいという
希望だった。
主役は舞台左に大きく寄り、まん中を大きく空かせて、観客
の人たちを舞台に誘う、ラ・パロマのメロデイー。
誰も舞台に上がる人はいなかったけれど、心は海抜ゼロの
河口の風の寒さを超えて、一緒に燃えていた。
後に大野一雄は書いている。

 エストレリータ、ラ・パロマを踊ったのは誰だったんだろう
 とんでもない踊り。でもこれとも離れがたい。アンコール。

 (石狩川河口公演記録集 大野一雄「石狩・みちゆき」より
             (かりん舎2002年10月刊)

今回新たに感じたのは、このアンコールの舞台である。
この舞台こそ、大野一雄の、素の小さなコンテンポラリー。
台風の過ぎた強風の残る河口の舞台を、共に共有した同時・間
(代)の人たちへの感謝のシーツ・舞台だった気がしたのだ。
「石狩の鼻曲がり」は、鮭の生誕と死を通してその再生を自らの
過ごした人生と重ねて表現した舞踏である。
戦前・戦中・戦後と刻まれた近代日本の荒波。
アルヘンチーナに憧れ舞踏を志した青年期。
そして太平洋戦争従軍期。
敗戦・命からがらの帰国。
40歳を過ぎてからの舞踏人生。
そうした幾多の経験がこの舞踏には底流として流れ、そして
誰よりも寒風・ズブ濡れの中、アンコール、二度・ふたたび 
踊った大野一雄。
ずぶ濡れの衣装で川面から這い上がり、<みなさん、寒かった
でしょう>と労いの葉を掛け南国ハワイの2曲を踊った大野一
雄のもうひとつの舞台。
それはこの日の、小さなコンテンポラリー・シーツ。
同時・間(代)、への友情のメッセージだった。
夕陽沈みつつある寒い秋の水辺。
その舞台は終了後の挨拶と共に、あの日あの時間刻んだ
conーtemporaryと呼べる小さな舞台だったのだと、
深く思うのだ。

  とんでもない踊り。
  でも離れがたい。アンコール・・・・。

*「大野一雄の記憶 公演ポスターを主として」ー9月10日(日)まで延長。
 火・木・土・日am12時ーpm7時:水・金am12時ーpm3時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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# by kakiten | 2017-08-27 16:47 | Comments(0)
2017年 08月 23日

<移>ル・故里ー緑陰(17)

写真家のT氏が個展終了後来廊。
個展の反響、愛娘Uちゃんの近況などを話す。
父娘二人三脚のようなふたりの人生の転換点。
こんな父娘も珍しく、幸せと思う。
Uちゃんは高校2年生にして、もう来月から
東京生活が始まるようだ。
石狩で裸馬に乗り喜々とする16歳。
同時に東京の最前線で自分の人生を切り拓いている。

夕刻旧ゆかりの名料理人CHIZUさんが来る。
閉店したゆかりの後は今、若い人が無農薬の料理と
お酒の店を開いているという。
今日一緒にどう、と言う。
同所で10年続けた宇田川洋さんの居酒屋ゆかり。
閉店以降界隈に近づいていないので、久し振りに
行く気になった。
閉廊後出掛けると、若い男のマスターがひとりで
切り盛りしていた。
料理は洒落た洋風で味も良く、お酒も日本酒から
ワイン、ウイスキーと揃い、一生懸命さが伝わる。
私も久し振りに一合桝になみなみとグラスで盛られ
た日本酒大山を二杯飲んだ。
控えめで無口な若いマスターの生まれを聞くと、
少し奥目の眼差しで、小さくフクシマと応えた。
それまでCHIZUさんと吉増展の話で何度かフク
シマの話もしていたので、一瞬吃驚する。
詳しくは聞かなかったけれど、男ひとり札幌へ移住し
ここで新たな生計を建てている。
宇田川さんの居酒屋ゆかりをリニュアルし、洋風
居酒屋として、無農薬の食材を標榜し開いたのだ。
旧店舗と比べながら、CHIZUさんが此処は変わり、
此処は前のまま活かしいる、と我が子の自慢をする
ように最初に説明してくれた。
無農薬食材の説明もその中に入っている。
閉店した愛着ある店の後釜新しいマスター兼シェフの
若者が気に入ってもいるようだ。

生まれが福島と聞いてから、私にはこの間の吉増展
2011年12月「石狩河口/坐ル ふたたび」から
始まった色んな想いが尚更のように浮かんできた。
そして今年出逢った浪江出身の男の涙、札幌国際芸術祭
ゲスト・ディレクター、福島生まれ大友良英に見た涙目。
吉増剛造の<ふたたび>が耕した<ふたたび>の耕土には
、再度という重複ではない、ふたたびの土壌が開墾され
ている。
国内市町村別で一番多くのブラジル移民者を出したのは
浪江という。
移動・移住・移民。
この頭の<移>が大きく増幅して動・住・民の根が希薄
・薄弱になりつつある現在を思うのだ。
<移>が漂流し根無し草となる<難>の時代とならぬよう
精神(こころ)は深く根を降ろす磁場を耕さねばならぬ。
久し振りのお酒に揺れる頭は考えていたのだ。
無口で静かなフクシマのマスターの目をどこか感じながら
・・・。

大野先生、ダンスを超え先生の舞踏という言葉が独り立ち
したように、難民の時代自分の生きる磁場が独り立ちしな
ければ・・と思っていました。
大野先生、吉本隆明さん、剛造さん、・・・、
そしてCHIZUさん、フクシマの青年に逢わせてくれて、
ありがとう・・・。

*「大野一雄の記憶ー公演ポスターを主に」ー8月27日まで。
 水・金am12時ーpm3時半。火・木・土・日am12時ー
 pm7時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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# by kakiten | 2017-08-23 14:17 | Comments(0)
2017年 08月 20日

ふたたび・再びー緑陰(16)

鈴木余位さんから芸術祭の吉増剛造映像が送られてきた。
北大総合博物館の個展会場大画面で見るのとはまた違って
TV画面に再生しじっくり見ていた。
1994年の「石狩シーツ」の朗読CD。
その時の声、その時の詩と違う石狩河口での今回の録画。
しかも野外の風・鳥、そして上空より近づいたヘリコプ
ターの爆音に晒されて声を上げ、強く語られる声音等が
鮮やかに撮られていた。
詩行の一部も変化しているのが確認出来る。
この二日三度ほど繰り返し見て、吉増剛造の3・11
を挟んだこの23年間を、鋭く胸に刺さるものとして
感じていた。
吉増さんのブラジル体験・フクシマ経験の深い心度を
感じていたのである。
問われているものは、私自身の今である。

河岸でなにをしているのか、と不審に思ったヘリコプター
が低空まで降下し、爆音が地上を叩く。
その爆音に、声を強める吉増剛造の声音。
その辺りから、吉増さんのテンションは高まり、詩行の一部
は新たな詩行となり声が突き刺さる。
もうこの「石狩シーツ」は23年前の再生ではない。
再びは今を映す新たな深度を保つ<ふたたび>だ。
そしてその心実は、今の私自身に鋭く突き刺さってくる。
さっぽろーイシカリ・故郷ー故国、そして近代という時代。
安心・安全のヘリコプター偵察巡回の爆音は、同時に安心・
安全の原子力が、その爆音の破壊的な音響によって、爆弾の
爆音にさえ転換する身近な日常近現代を顕在化するように
遇ったと思う。
原田洋二さんのフクシマ・ナミエの涙、大友良英さんの涙目。
私がこの間出逢ったフクシマの涙だ。
「石狩河口/坐ル ふたたび」。
吉増剛造とともに歩んだ2011年からの時間が、鈴木余位
さんの映像で深くディテールに刻まれ私を刺すのだった。

安心・安全・平和の底に睡る深い亀裂。
明るい光の内なる廃墟。
そこにすくっと「石狩シーツ」が立っていた。
孤高の出口を探すそれではない。
深い底流に根差した根のような「石狩シーツ」・・だ。

大野一雄の数々の公演ポスター。
正面にアルッヘンチーナの笑顔、郡司正勝・中川幸夫の
筆魂が浮かぶ。
そして1994年「石狩河口/坐ル」のフライヤー、
「石狩シーツ」初出詩誌・詩集。
2011年12月「石狩河口/坐ル ふたたび」フライヤー
と今回撮影現場数葉の写真、朝日新聞記事2011年4月の
石狩河口吉増剛造の姿。
「大野一雄の記憶」展にも多くの渦が渦巻いている。
そして今回鈴木余位映像が加わり、四半世紀の時が、深々と
流れ始めている。

*「大野一雄の記憶ー公演ポスターを主として」ー8月27日まで。
 am12時ーpm7時(火・木・土・日)
 am12時ーpm3時(水・金)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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# by kakiten | 2017-08-20 17:35 | Comments(0)