テンポラリー通信

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2017年 10月 13日

里帰りー最前列にして最後尾(17)

茨城県土浦と水戸にいるふたりの妹が尋ねて来る。
急な訪問で吃驚。
姉の方の妹は先年旦那さんを亡くした。
札幌に来るのは二十年ぶりだろうか。
しかも姉妹揃って、この今のテンポラリースペース
に来るのは全く初めてである。
私の今の職場という遠慮もあるのか、慣れぬ環境と
いうのもあるのか、ふたりは程無く帰った。

久しぶりの帰郷。
そこにふたりの故郷はあったのだろうか。
兄は見慣れぬ場所にいて、慣れ親しんだ家業にいない。
百十年余続いた父・母・祖父の家業ではない。
札幌の風景も大きく変わっている。
実家の家屋も今はない。
故郷の故(ゆえ)の根、郷・里は消去されている。
兄に会いに来る縁という<故(ゆえ)>だけである。
お墓参りはしてきたというが、きっと心から寛ぐ
場処はなかっただろうと思う。
ふたりが帰った後様々な感慨が湧いて来た。
小汚いマンションの私の一室。
そこに先祖を祀る仏壇がある。
祖父の代からの多くの精霊がいる場所だ。
お墓もあるが、仏壇背負って流転した長兄の一室も
尋ねてほしいなあ、と微かに思ってもいた。
そして僅かな小さな近況の話をしたかった。
自らの不甲斐なさも含めてそんな微かな痛みに似た
気持ちがあった。

逢いに来てくれた妹たちの<故ーゆえ>の縁は、細
い糸のように宙に浮いて、ほっと大きく寛ぐ里・郷
の風景は無かった。
その哀しみはきっとふたりの妹の心にも、小さな
痛みとして押し隠されてあっただろう。
妹たちには妹たちの故里を離れた<故(ゆえ)>が
ある。
私には私の<故(ゆえ)>があり、現在がある。
そのふたつの<ゆえ>を結ぶ、里・家はもう無い。
しかしそれはきっと見えないけれど在るのだ。
それを話したかった。
きっと男と女の相違はあっても、私が志して闘って
きた場処には見えないそれがある。
妹たちが嫁ぎ先の家を背負うように、私も何かを
背負って今が在るのだ。
駅前通りの家も宮の森の家も三代の家業も今は無い。
同時に生まれた街も家も時代とともに変わってき
たのだ。
そこを生きてる真摯なそれぞれを語り合いたかった。

お帰り
お前たちも色々あったなあ、
俺もこうだったぜ。
久しぶりの故郷・札幌を、どう思う・・・。
なんてね・・・。

語りたかった。

*野上裕之アーカイブー10月15日まで。
*菅沼緑展ー10月17日(火)-29日(日)
*ホピ&カチーナドール展ー10月31日ー11月5日

 テンポラリスペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503

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# by kakiten | 2017-10-13 15:12 | Comments(0)
2017年 10月 12日

手当て・診察ー最前列にして最後尾(16)

つい最近までアイスコーヒーが飲みたかったのに、
もう暖かい珈琲が恋しくなる。
身体感覚が鋭くなる季節の変わり目。

定期健診で心臓内科に行く。
繭のような大きな機械に寝たまま入り撮影された
自分の心臓画像を見せられる。
医師の説明を聞きながら血脈の流れに注目。
この間マウスを操作する医師と顔を合わす事はない。
透視され編集された心臓と血流が主役だ。
次なる指示を受け診察は終わった。

帰路ふっと思い出していた。
医師が患者の手の脈を取り、目を覗き話しかける。
そんな医師が減っている。
顔色・手首の脈・身体の触診等を経て、身体内部を
診察する。
そのプロセスが電気的機械力によって、手当ては
マウス操作に変わりつつある。
それによって飛躍的に進歩したものも確かにあるのは
事実かも知れない。
見えない身体の内部可視化もその顕著な例だろう。
しかしそれと同時に、人間の想像力に属する体全体
から人を診る診察力は痩せている気がする。

めっきり寒くなったなあと感じる身体感覚から、人は
多くの社会回路を生んだ。
飲み物・食べ物・着るものはじめとしてすべて身体に
関わる多岐な社会分野だ。

一方向の増幅・拡大は、時に隘路を生む。
身体宇宙を基体とする回路を忘れてはならぬ。


*野上裕之アーカイブー10月15日(日)まで。
*菅沼緑展ー10月17日(火)-29日【日)
*ホピ&カチーナドール展ー10月31日ー11月5日

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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# by kakiten | 2017-10-12 15:12 | Comments(0)
2017年 10月 10日

量理と料理ー最前列にして最後尾(15)

いつものパン屋でいつも買う品が品切れしていたので、
都心デパート地下のパン屋に行く。
長い大きなフランスパン。
レジに並び順番が来て、すぐ聞かれる。
お切りしますか・・?
私はその日の調子や気分で好きな長さに自分で切る。
そのままで良い。
支払いが終わり、後ろの客に急がされるように
パン屋を離れた。
よくある日常光景だ。
しかしこの日はmawという言葉の多義性・多様性が
頭に残っていたので、考えはそちらの方向に行く。
言葉が本来的に保っている多義性。
その自然性を考えていた。
maw(まゥ)-呼気・風・ハマナスの果実。
言葉の保つ拡がり、発酵のような有機的な淀みが先刻の
パン屋さんの時間にはない。
長くて持ち運びに迷惑だからカットするというある意味
客へのマニュアルはあるが、何故切らないか、何故店の
キャラクターの人物は長いパンを抱えているかといった
会話の糸口時間はカットされている。
閉じる<箱>の時間だなあと思う。

別の日、ある定食屋さんに行った。
初めての店だったが、夫婦ふたりの定食屋さん。
おかみさんがお冷やの量ひとつにも気を配り、
話しかけてくる。
量たっぷりの和風おろしハンバーグ定食。
此処を紹介してくれたMさんのジンギスカン定食は、
もっと凄い量だ。
食事時間はおかみさんの明るい声とともに、ゆったり
過ぎてゆく。
ここでは、開いた<函>の時間が流れていた。

この違いは量(はか)ると料(はか)る理(みちすじ)
の相違なのだと思う。
言葉でいえば量の利と料の理。
量利と料理。
現代は量利社会をまっしぐらに突き進んでいる。
カットされるのは、長いフランスパンだけではない。
線路も階段も建物も土地もそして時間も心も量の利に
ショートカットされる。
そして街も山も海も・・・。
美味しいパン、食事に代表される自然文化と対峙する
時代は、もう来ている。

*野上裕之展ー10月10日ー15日。
 火・木・土・日:am11時ーpm7時
 水・金:am12時ーpm3時
*菅沼緑展ー10月17日ー29日
*ホピ&カチーナドールー10月31日ー11月5日

 テンポラリスペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503

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# by kakiten | 2017-10-10 17:13 | Comments(0)
2017年 10月 07日

maw(マゥ)Ⅱ-最前列にして最後尾(14)

小樽人高橋秀明さんと赤岩岩壁を海岸から龍の胎内巡りコース
を歩いた事を思い出していた。
それまで気づかなかった陸の海側からの目線だ。
隆起した陸がすぐ海に迫る小樽の地形は、札幌にはないものだ。
扇状地の平坦な石狩平野とは違う山坂の迫る後志・小樽。
海は陸へ迫り、海の呼気は陸へ向かう。
自然の生命はすべて外界へと放たれる呼気の内にあるのかも
知れない。
逆に吸気を意識化した時から、人類の文明ははじまったのかも
知れないとふっと思った。
<箱>と<函>いう概念もそうだ。
閉じて終われるボックス(箱)。
溜まり溢れ出るトランス(函)。
アイヌ語でいえば、suop(スオプ)-両岸が絶壁で川床が
岩の箱の形になって青く水をたたえている処。
(知里真志保「アイヌ語地名小辞典」)
このハコの相違にも呼気を感じるのだ。
<入>の重視でなく、<出>の豊かさをこの差異に感じる。
<入>の重視概念は吸気優位の箱・領土・資本主義・国家体制
まで、<箱>という概念を膨らませてきた気がする。
一方<出>または<発>の<函>の豊かさとは、外界とともに
あって、決して閉じて攻撃的な負の側面ではない。
外界と交感し転位してゆくトランスー経由>の回路なのだ。
呼気は<出>の排除・排出の負の側にあるのではない。
発する<出>の呼気にある。
折しも故郷の川を目指す鮭の群れが海から源流へと向かう
時である。
そして川の奥で産まれた稚魚は、成長し海へと向かう。
河口は親も子も生命の向かう発する転位口である。
排出の出口ではない。

maw(マゥ)ー呼気・風・ハマナスの果実
良いなあ~!

*野上裕之展ー10月10日(火)ー15日(日)
 火・木・土・日am12時ーpm7時:水・金pm3時まで。
*菅沼緑展ー10月17日(火)ー29日(日)
 am11時ーpm7時:月曜定休。
*ホピ&カチーナドール展ー10月31日ー11月5日

 テンポラリスペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503



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# by kakiten | 2017-10-07 14:54 | Comments(0)
2017年 10月 06日

Maw(まう)の風ー最前列にして最後尾(13)

maw(まゥ)ー呼気:風:ハマナスの果実 
(知里真志保 地名アイヌ語小辞典から)

この季節になった。
呼気が風になり、ハマナスの赤い果実が揺れる季節。
石狩河口に広がる風景を思い出す。
人間が濃く自然的存在であった時代も思うのだ。
呼気が風と一体化し、赤い果実と同じ位相にある存在感。
世界が有機的に同時に繋がっている。
現代人の我々は、呼気があれば吸気もと、すぐ構造的に
知覚化しようとする。
しかし吸気という言葉は見当たらない。
息そのものが呼気に集約されるようだ。
だから風という言葉は多様である。
レラやフッサが思い浮かぶ。

人は社会的存在の要素が強くなれば成る程、安全・安心
・便利のインフラに包まれ、自然との多様な関係性を
忘却してくる。
それは自然を媒介とする命の繋がりを忘却する事に繋がる。
原自然の野生が剥き出しになれば、人は如何にか弱い存在
かが明らかになる。
界(さかい)に在った畏敬の文化が磨り減っているからだ。

パイプで繋いだショートカットの血菅が小さく痛んで
今日の小春日和に呟いている。

*菅沼緑展ー10月17日(火)ー28日(日)
 am11時-pm7時:月曜定休。
*ホピ&カチーナドール展ー10月31日ー11月5日

 テンポラリスペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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# by kakiten | 2017-10-06 13:25 | Comments(0)
2017年 10月 05日

冬が忍び寄るー最前列にして最後尾(12)

左腕血菅縫合の糸がまだ抜けない今日、テンポラリーの
電気が通じていない。
一通の封書ー送電停止の文字が・・・。
あっ、入院したりと遅れたままの電気代1万円弱。
ケータイがないので、外へ出て公衆電話ボックスからHさんに
電話した。
仕事中ですぐには来れない。
テンポラリーへ戻り悶々としていると、友人H氏がダスキン
モップ交換に来て、思わず事情を話し借りる。
コンビニで支払い、北電に電話する。
戻るともう点灯。
ピンポイントで通電回路は管理されていると改めて実感。
電気エネルギーは、通信・暖房・食事・照明・交通と生活
すべてに渡り関わっている。
公共基幹施設から個人生活領域まで、網の目回線だ。
血菅のように人間社会に張り巡らされている電気回路。
血菅は有機的で多目的な多様性を保っているが、電気回路は
直線的でショートカット。
現代社会の回路とどこか共通する。
言い換えれば現代社会とは電気回路社会ともいえる。
電気と血菅。
社会と身体の二つの回路。
両方の回路停止・接続。

甲斐性なしゆえ、これも試練。

*菅沼緑展ー10月17日(火)ー29日(日)
 am11時-pm7時:月曜定休。
*ホピ&カチーナドール展ー10月31日ー11月5日

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# by kakiten | 2017-10-05 15:47 | Comments(0)
2017年 10月 04日

人体の時間ー最前列にして最後尾(11)

一日入院した。
シャント手術で血菅縫合。
1時間半の予定が伸びて2時間半。
その後透析治療4時間。
そのまま病院で一泊し、翌日札幌国際芸術祭吉増剛造展資料
受け取り立ち合いにテンポラリスペースに戻る。
約2ヵ月ぶりに戻った1994年「石狩シーツ」草稿7点他。
まだ展示していた「大野一雄の記憶」展ポスター下に並べる。
大野先生とお出迎えだね。
大野一雄の展示ポスター下に並んだ「石狩シーツ」草稿。
写真に撮り藪前知子さん、鈴木余位さんに送る。
そしてロスアンゼルスから帰国した吉増さんに電話する。
みんなもう次の展開に心が跳んでいる。
みんな身も心も蛇行し流れている。
岡崎文吉さん、あなたの単床ブロックのようです。
人も作品も。
蛇行して豊かに流れています・・・。

夜NHKの特集「人体」再放送を見た。
五臓六腑の呟き・相互の伝達交感が初めて科学の目で画像化
され映像記録されていた。
心臓は腎臓へ、腎臓は心臓へと会話ライン。
私の透析治療のドライウエイト会話のようだ。
血菅というネットライン。
その回路を通して五臓六腑それぞれの発語・応答。
吉増剛造の「怪物君」草稿曼荼羅が、人体でも剛臓六腑の
ように日々時々刻々営まれている。
ひとつの身という宇宙・ひとつの国・社会。
身内宇宙の蛇行・ショートカット交信のような一日だった。
いや、剛臓六腑な一日・・。

*菅沼緑展ー10月17日(火)ー29日(日)
 am11時-pm7時:月曜定休。
*ホピ&カチーナドール展ー10月31日ー11月5日

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# by kakiten | 2017-10-04 15:05 | Comments(0)
2017年 10月 01日

晩夏ー最前列にして最後尾(10)

8月6日から始まった札幌国際芸術祭も今日で終わり。
夏の終わりとともに過ぎて行く。
次は札幌オリンピック、新幹線と東京後追い一極集中化
の動きは続くのだろう。
そうした主流の動きとは別に個々の作家の優れた仕事を
見れたのは個人的には嬉しかった。
7月石狩河口撮影、23年を経過した「石狩シーツ」再朗
読映像を主とする北大総合博物館吉増剛造展ー「石狩シー
ツ」の先へ。
そして9月3日夕刻芸術の森アートホール大練習室鈴木
ヒラクとの競演の「石狩シーツ」朗読。
河口と支流源流の山奥、昼の河口と夜の山、ふたつの
「石狩シーツ」朗読が非常に豊かだった。
その歴史を本人が語っている。

’92年からブラジルで過ごし、母国語が枯れるような
経験>を経て’94年帰国後<自分をギリギリの状態に追
い込んで帰ってきて石狩河口に坐り込み、「石狩シーツ」
を書いたんです。
(北海道新聞2017年9月25日朝刊掲載吉増インタ
ビューより)

2011年3・11を経てこの経験は、「石狩河口/坐る
ふたたび」として始まり、今回の北大総合博物館・芸森大
練習室でひとつの大きな節目を迎えた。
明治以降の近代と昭和戦後の二つの近代との闘いを、この
北の大地でひとりの優れた表現者の再生と出発として見守
る事が出来たのだ。
さらに新たなラスト・ランが11月足利美術館ー欧州巡行
で始まる。
さらに見届けていかねばならぬ。
そして前にも書いたが、大友良英と三岸好太郎の幸せな
競演も私には嬉しい事だった。
戦前モダニズムと戦後モダニズムのふたつの尖った先端
感性が、なんと楽しそうに”飛んで”いた事か・・・。
さらにその会場となった三岸好太郎美術館の土地の位相。
「都心にあった三つの泉」のひとつキムクシメム(山側
・を通る・泉池)の場処であったこと、それはもうひと
つのヌプサムメム(野・傍の・泉池)を水源とする北大
構内を流れるサクシコトニ川の流域北大総合博物館の吉
増展に触れて、ともにその先で合流するコトニ川本流へ
と繋がっていた事である。
三大河川扇状地札幌。
その一つコトニ川三つの水源のふたつの泉池は、同じ
流域の源泉であり、そこで吉増剛造展・大友良英×三岸
好太郎が近代モダニズムを起点に展(ひら)かれていた
のだ。
これは単なる偶然ではない。
札幌という都市が保つ優れて自覚すべき宿命なのだと
私は思う。
拓かれて百有余年の日本近代とともに存在する都市。
その宿命である。
吉増剛造がブラジル・サンパウロで体験した<母国語
が枯れていくような体験>とは、札幌と同じ百有余年
のブラジル移民日系社会の人が保っていた純粋日本語
の衝撃だっただろうと私は推測する。
遠い地球の裏側の異国で保たれていた故国・故郷への
純粋な想いが、二度の近代化の名のもとに本国では喪失
しつつあった日本を抱きしめていたのだ。
1945年8月そして2011年3月11日東日本大震
災。明治以降現在までふたつの半世紀にふたつの近代化
がまだ癒されず蹲っているのだ。
札幌が東京ではなく札幌で在り得るのは、この近代と
真正面から向き合う事である。
江戸を東京と言い換え、江戸城を皇居と言い換える近代
化ではなく、縄文自然の天地の上に建つ真っ白な近代と
して構築すべきなのだ。

その天地に相応しい幾つかの表現者の優れた営為を感じ
つつ、北の夏祭りは去ってゆく。

*菅沼緑展ー10月17日ー29日
*ホピ&カチーナドール展ー10月31日ー11月5日

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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# by kakiten | 2017-10-01 14:20 | Comments(0)
2017年 09月 29日

ふるさとー最前列にして最後尾(9)

<兎追いし><小鮒釣りし><如何にいますちちはは>
そして<いつの日にか帰らん>ふるさと。
そんな故郷という心の原点が都会ではすでに喪失が
日常化してある。
消去は日々早まり、記憶すら追いつかない変化が
都市の速度だ。
山、川、海に囲まれた自然の残る地域に、原発事故の
見えない汚染が広がり、都会とはまた別の直の現実と
して、故郷喪失の今がある。
<山はあおきふるさと、水は清きふるさと>は、山は
<あおき>まま、水は<清き>まま、帰還困難地域に
なる。
原子力だけではないのだ。
安心・安全・便利の戦後基幹構造は石炭・石油の自然
埋蔵エネルギーをフルに使い都市化、近代化を急速に
薦めて来た。
自然とともにあった故郷の原点とは別次元の開発さ
れた衣食住の大量生産・大量消費の拠点造りである。
そして人の心に在った<ふるさと>は姿を変え、
スクラップ&ビルドの消去・新規の繰り返す、心の
難民風景が拡がってきた。
ちちはは、やまうみ、かのかわに象徴される継続性
ある見えない根のようなふるさと帰還構造は、都市
の消去・新規の基幹構造に浸食されつつある。
基幹施設(インフラ)優位は、精神(こころ)の基幹
構造(ふるさと)を何時からないがしろにし失墜して
きたのか。
東京メガロポリス構造を追いかける札幌で、国際芸術
祭をオリンピック、新幹線とセットのように位置付け
ながらも、幾つかの優れた作家と作品のこの地での
<根>の<ふるさと誕生>を目の当りにして、出生と
はまた違う、作品の故郷を掴む事が出来る可能性を
信じたくなったのだ。
耕土(カルチャー)という原義の文化力を持続し、
心の帰還・基幹構造を共に開墾しなければならない。

*菅沼緑展ー10月17日(火)ー29日(日)
*ホピ&カチーナドール展ー10月31日ー11月5日

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目斜め通り西向き
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# by kakiten | 2017-09-29 14:05 | Comments(0)
2017年 09月 28日

作品のふるさとー最前列にして最後尾(8)

表現された音・絵・彫刻・言葉等にもその制作の故郷
(ふるさと)というものがあるのではないだろうか。

今月23、4日のASIAN MEETING Fesy
ival(芸術の森アートホール大練習室午後5時~)
を二日聞いた人が大感動していた。
10人近い国籍の違う演奏者が集まり開いた音楽会。
SIAFの大友良英も企画参加したこの演奏会場は、先日
吉増剛造と鈴木ヒラクの「石狩シーツ」のコラボのあった
場所でもある。
札幌国際芸術祭(SIAF)の吉増展メインの「石狩シーツ」
朗読映像とは真逆の時間と空間。
昼と夜、海傍と山中。
しかし朗読は違う様相を帯びつつそれぞれが深化して、ひとつ
であった。
違いには、場の位置、河口と源流、海と山、の相違が大きく
働いている。
1992年からブラジルで「母国語が枯れていくような経験
をし」94年帰国後「石狩河口に座り込み・・書いた」(吉増)
「石狩シーツ」。
その四半世紀の時にも変化はある。
しかし息づき根付き変化した、<ふるさと>は同じ。

もうひとつ大友良英と三岸好太郎の三岸好太郎美術館の展示
がそうだ。
この時代もジャンルも違うふたりの前衛表現者が、大きな泉
の地形跡に建つ美術館で、見事な交響・交感の場を築きあげ
ていたのだ。
場と作品の幸せな融合。
そこに新たな表現の場が発芽していた。

毎日新聞で3・11原発事故後の今を問う連載が始まった
と浪江出身の原田洋二さんがFBに転載している。
「故郷」という歌を自らに封印する被災地の人。

 兎追いし かの山 小鮒釣りし かの川

この歌詞が心を締め付け涙が止まらないという。
もう追えない、もう釣れない、 かの山、かの川。
汚染という現実が過去の見えない未来を、故郷喪失の想い
とともに胸に突き刺さるのだ。

時代を超え今に生きる芸術作品にも、生き物と同じ<ふるさと>
というものがある。
作品がこの地で新たな生命を生み、作品が<ふるさと>を
獲得している事も感じるのだ。

これから故郷喪失はさらに時代の風景となってゆくに違いない。
さらに故郷ー故国喪失の荒涼たる心の難民風景が世界を覆うか
もしれない。
作品が産まれ、育ち、息づく、作品<ふるさと>がまだある事
を私は信じる。

テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目斜め通り西向き
tel/fax011-737-5503

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# by kakiten | 2017-09-28 17:13 | Comments(0)