テンポラリー通信

kakiten.exblog.jp
ブログトップ
2006年 06月 20日

界目(さかいめ)を生きるー斜め通り界隈(5)

ここに来てはや一ヶ月以上たった。荒業の改装工事そして今はソフトの部分
が目に付く。二階の資料室はまだ未完、外回りの整備、看板とする事はまだ
まだ多い。展示も予定していた3人展が作家の家の事情で流れ今月は空い
てしまった。物を売るのと違って空間を満たす場なのでこういう時はシンとし
てなにもない。7月は今シンクガーデンで個展をしている藤谷康晴さんと村
岸宏昭さんの個展が続く。空間を造りふっと訪れたこの空白の時間は自分
自身を見詰める境目のような時間と思える。そう悠長なことは勿論言っては
いられないのだがやはりそういう時間に思える。仮オープンしたその日頃か
らネットが途絶えブログやメールを通した窓は光回線の帝国に封鎖された。
その見えない巨大な通信機構の谷間で皮肉な事に私が発しようとする言葉
も着信という光も共に奪われたのだった。かって市街地再開発という法によ
って道が拡幅され家屋はビル街となり、最近は住のビル群に追われるように
美しい白樺と蔦のある窓の店を去り、今またみえない通信の帝国の支配
する狭間を経験している。そういう運命なのだろうか、いつもある境を生きて
いるようだ。運命というより対峙する価値観の接点を生きているのかもしれな
い。少年時代は父と母の価値観の違いの中で悩んだ。最今はそれが自分の
内側でやっと統一されつつあるのを感じる時がある。英語で透き通るが<tra
nsparent>と誰かに聞いた時あっ!と思った。両親がペアレントならそれに
トランスという変圧機が関わる事でもうひとつ別の存在が成り立つ。その事
が透き通るという言葉に転位されると知った時すごく楽になった自分がいた。
父さんも母さんもぼくは透き通ることができましたよ、なんかそんな気持ちが
して嬉しかったのだ。<媒介>とか<実体>とか哲学用語で惹かれていた
言葉がもっと単純にすっと納得できたのだ。時に英語のもつ即物的な語法は
えらく物事を明快にしてくれるのだ。多分遠く父母から始ってふたつの価値
観の谷間をずーつと生きてきたのだな。その境に引き裂かれつつそこから
透き通るように自分が自分らしくなっていくその場をずーつと探し続けてきた
のかもしれない。探すというか少し格好つければ闘ってきたともいえる。だか
ら基本的に生き方の基底にそうして矛盾を抱え込み苦しみ外へ開こうとして
いる人には深い共感をもって接することが多い。他人事ではないと思えるか
らだろう。色々な表現の分野があってもその基本にはその共感を透明な木霊
のように保ちそこから同じ時代を生きるconーtemporaryな視線を形にしたい
と思うのだ。
[PR]

# by kakiten | 2006-06-20 14:48 | Comments(0)
2006年 06月 19日

8時間半彫り続けるー斜め通り界隈(4)

午前11時から午後7時半まで休みなく彫りつづけていた。それは職人魂とで
もいうべき集中力であった。熊谷透さんの気功の会の「風の舟」に始まり最後
の久野志乃さんの「幸」までずーっと彫りつづけ会場は見守る人も含め人の
切れ目がほとんどなかった。壁に捺印の試し押し完成印が貼られどんどん増
えていった。最後の「幸」の判の完成を待ちかねたように大家の岩澤さんの釣っ
た宗八鰈の揚げ物や奥様の焼きそばその他みんなからの差し入れが出され
乾杯、ご苦労様でビールが開いた。それからは10数人がわいわいと酒井博史
さんの1日を祝い慰労した。酒井さんは疲れはないと言っていい顔で笑ってい
る。ただ奥歯の食い縛る顎の付け根が痛いと言っていた。集中した時に歯を
噛み締めていた性だろうと思う。彼の落款彫りのライブは改めて人の手の技
が保つストレートな迫力物を造る素朴な感動を見る人に与えたと思う。いい時
間いい1日だった。4月下旬から改装工事に入りその間ともに労働した仲間が
この落款ライブを盛り上げていた。自然とそういう友人たちがコアとなっていた。
そしてハンコ屋酒井を応援していた。これからも何処へいこうとその磁場が彼の
地場となっていくに違いない。光回線に変えインターネットは回復したが5月12
日以降6月16日までのメール受信分はすべて失われていた。ADSLのメタル
回線で受信していたメールは光回線に切り替えられると同時に捨てられついに
見る事が出来ないのだ。プレオープンのご案内を出した後メールを送っていた
だいた方々には大変失礼をしたことになる。ご返事を出せないでいたのはそう
いう事情です。この場でお詫び致します。同じNTTなのにひどいなあほんとに。
大口の北大というゾーンに近い性かこの周囲は光ケーブル化が完了していて
それ以外は一切入れない4次元の帝国が存在しているのだ。北大の広大な
敷地に沿って斜めに伸びるこの界隈が保っているもうひとつの界(エッジ)で
ある。北大農場のもつさっぽろの原風景にぴったりと寄り添うように観えない
経済の帝国主義が張り巡らされていたのだ。これもいい経験だった。ハンコ
ひとつ手で彫るように自分もまた自分の身体ひとつでここでさっぽろを刻みつ
づけていく、それは人と人が新鮮に出会う空間という名のギヤラリーを続ける
事で自分が自分に架した仕事なのだと思う。開き、広がっていく精神の軸足は
自らの身体性と地場から発しようとするが<お客様のお住まいの地域はすでに
電話回線の光ケーブル化が完了>という非身体性の現実と日常的に向き合い
対峙している毎日をも併せ持っているのだ。少し疲れた頭で分析する今の自分
がいる。
[PR]

# by kakiten | 2006-06-19 12:49 | Comments(0)
2006年 06月 18日

てん刻のライブー斜め通り界隈(3)

今日1日酒井博史さんの石に落款を彫り続けるてん刻ライブが始った。3代目
のハンコ屋さんとして東屯田通りにお店を持って頑張っているが今回は実際に
注文された字を目の前で彫りその捺印した試作を壁に展示しながらのパフオー
マンスと捺印のインスタレーシヨンとなる。彼はすでに自分のブログに次のよう
に書いている。
<ここでハツキリのちのちまで残る形で宣言しておく。時代ノ最後尾ヲ独り逆走
スル宣言。今の店舗は近い将来移転します。場所は北区です。今までも「さら
ばあけぼの」といつてきたがここに推し止まっていたら絶対に根底からの決別
は出来ない。だから移転します。生まれた街は名残がないとはいわないが、今、
この街を捨てます。(中略)それから、自分の「作品」を前面に出します。今まで
自分のつくったものは「製品」としか考えていなかった。でも、これは「製品」であ
ると同時にオレの「作品」です。「作品」をつくり、展示します。そして販売します。
無謀と思われるかもしれないが、ここまできたら、捨て身で反攻するだけ。全精
力をここに突っ込みます。活字と印鑑と次の場所に、全部擲ちます。倒れるなら
そこで倒れます。以上時代ノ最後尾ヲ独り逆走スル宣言、終わり。>
今回のてん刻ライブはいわばこの宣言の実践という事になる。5月の高臣大介
展以来ケンちゃんの名刺に凹みを入れる古い機械を駆使してみせてみんなに
新鮮な感動を与えたり、お祖父さんの時代からの刻印の道具を持ってきて手で
ノミを使い石に判を彫り活字による印刷を披露してきた事が職人としての自信と
誇りにもなつてきたのだろうと思う。コンピユーター全盛の時代に手仕事としての
職を大事にしその事を理解する人たちが物を創る若いアーテイストを中心にいる
事もまた彼の自信回復に寄与しているのかもしれない。思えばこの街はいつの
まにか<農>ナシ<商>ナシ<職>ナシの街になってきた。農業の人は農を
捨て土地を貸すだけのマンシヨン屋になり商の人は自分の商売よりブランド物を
扱う転売屋になったり国内外のテナントの貸しビルの家主となり職人の手は
コンピユーターに取って換わられ機械を操作するだけの技術屋になっている。
固有の道具、固有の店、固有の農作物はかって当り前のようにその土地の顔
としてあったと思うがそれは個人の家にさえもそこ固有の味としてあったと思うが
今は外食が家庭の味、手作りの味を売り物にし本来の内食はチーンと電子レン
ジやインスタント、レトルト食品に取って代られている。酒井博史さんが本来の
<職>の人として宣言し立ち上がる事は当り前のことだがある種革命的なこと
であると思うのだ。<逆走スル宣言>は実は時代の風潮に対する正当な生き方
の宣言でもあるだろう。人間の個の部分を離れ逆走しているのは実は時代の方
なのだ。二三日前酒井さんと同じ年齢の吉成秀夫さんが来た。
彼も今勤めている古本屋さんを辞め独立すると言う。もしふたりが将来並んで
お店を開いたらここの界隈はまた新しいしかし正当な<職>と<商>が芽生え
てくるような気がする。さっぽろという掛け替えのない自分たちが生きていく場所
が内側からカルチベートし開かれていく事、私が歩き探した<志>の事もそこ
にあったから。
[PR]

# by kakiten | 2006-06-18 13:13 | Comments(0)
2006年 06月 17日

振り返ると一ヶ月ー斜め通り界隈(2)

高臣大介展が始って静かにこの場もスタートした。百本の吊りガラスをひとつに
束ねるように吊った<今、房々と北のガラス>という東京展のキヤッチコピーが
生きた作品は大介さんの想いが結集している様で嬉しかった。ひとつひとつは
バラバラの形だが百本を束にしてひとつになるとそれはまた別のオブジエのよう
になる。束にするという行為がそのことを可能にする。そして百本が次々と足され
て形を作っていくのを見ながらそれ自体がインスタレーシヨンで日常の物が非日
常に変っていくのが面白かった。そしてその行為自体に大介さんのここの場所
への深い気持ちを感じていた。以前と比べあるいは狭く、不十分な所を多分多く
感じながらも彼のその百本の束ねる行為に私はきっと感謝し、見ていたのだった
。会期中この百本の透明なガラスは朝、昼、夕の光を浴びて会場の中央でいつも
キラキラと輝いていた。ガラス工芸家として今は決して美術の抽象を望まない彼が
束ね重ねるという行為によってある抽象を造った。用の作品が非用の作品へと変
貌した。その転換点に我々の友情も想いも篭もっていたと今は思う。ちようどこの
空間がひとりひとりの釘打やペンキ塗りのひと刷けで出来てきたように。会期中
最初の展覧会が高臣大介展でスタートした事に間違いはなかったという確かな
ものを私は私なりに実感していたのだった。遅ればせながら大ちゃんありがとう。

振り返ると5月16日長野県での個展を控え超多忙な彼がとりあえず先に展示だけ
を済ませその日をこの場所の仮オープンの日としてこれまで手伝ってくれたみんな
と慰労とお披露目を兼ねて集まった日はまだ棟梁中川さんは床下の排水管の設
置に汗を流していた。縁の下の狭い空間に小柄な熊谷透さんが潜り込み最初設定
したが不備ですぐ外れ替わりに賀村順治さんが潜り込み完璧に排水管を取り付け
た。背広を脱ぎきっちりと仕事をした賀村さんは泥だらけだったが格好よかったなあ。
もういろんな人が集まりだして宴会の準備はどんどん進んでいたが狭い穴に潜り
仕事はまだ続いていた。東京から及川恒平さんもみえて周囲は華やかになってい
た。ドイツから一時帰国の谷口顕一郎さんことケンちやんもいてたくさんの料理や
飲み物が集まってきていた。東区の熊谷直樹さんが届けてくれたさっぽろの地ビ
ールはさっぽろの川の地図が印刷されていてそのビールで乾杯となった。そのうち
及川さんが唄いだし、酒井博史さんが吹き抜けの上で唄いだした。ライブを終えた
クラシックギターの村岸宏昭さんが待ちかねたようにギターを弾きだした。次々と
役者が変り音が唄が絶えなかった。仕事をし、終えたら飲み唄う、いつものパター
ンはこの日も変らなかった。いつもと違うのは料理の量とお酒の種類の多さそして
人の数の多さだったが基本的には同じだった。特別に構えているところはなにもな
かった。だからみんな自然と唄い飲み、聞き話していた。深夜12時近く大介さんと
ヒロシさんのデユエットは傑作で遅くにきた久野志乃さんとう薄木りなさんが黄色い
声をあげて喜んでいた。あの夜自体が<今、房々と>としたガラスのように光って
いたと思う。1週間後本当の高臣大介展の初日は明朝ドイツへ帰るケンちやんの
ハイローズの「月光陽光」の歌声が一年ぶりに会場のなかに響いていた。
[PR]

# by kakiten | 2006-06-17 12:29 | Comments(0)
2006年 06月 16日

やつと書けたー斜め通り界隈

北海道<帝国>大学に近い性だろうか、もう帝国などないはずなのにこの界隈
に別の帝国が存在していた。それも4次元の見えない光の帝国が支配していた。
ADSLは光へと回線を変えない限り接続はしないのだった。ヤフーだろうとなん
だろうと入れないのだ。この旧帝国大学ゾーンには光ケーブル化が完了してい
て<切り替えが不可能>と分るまで一ヶ月メールもブログも閉じたままだった。
さすが旧電電公社は民間となっても巨大な組織で北大のあるこのゾーンには
他の回線を受け付けないバリヤをめぐらしていたことも知らずえらい遠回りを
してしまった。沢山の書きたかったこと、伝えたかったことまた折に触れ発信し
ます。今日1日回線工事に立会い久し振りにパソコンと向き合い言葉少なし
です。メールアドレスもmarbleと変った。他は同じです。
[PR]

# by kakiten | 2006-06-16 18:14 | Comments(2)
2006年 05月 22日

やっとタッチー燃える街角(22)

電話の移転と同時にインターネットの移転も済むはずがなんやかんやと言われ
ついに今もって接続できない。スピードが自慢のインターネットがその基幹の部分
でメタルやら光やらいってさっぱり繫いでくれない。ソフトばかりが発達して肝心の
所は誠に遅れているのだ。電話より早いはずが根っこの所は電話より遅い。
そんな訳でブログは10日以上留守。これも合間見てやっとネットカフエで打って
いる。5月12日13日14日と16日の高臣大介展まで展示スペースの完成に追い
込みを掛け15日でほぼ完成。16日は大介さん長野での個展もあるため作品展
示のみを優先しこの場所の今まで手伝って頂いた方々とともにとりあえずのプレ
オープンニングを開く事となった。最初はそういう意味で内輪ぽかったのだが結局
は大勢の人が集まりまた飲み物食べ物もものすごい量が集まった。テンポラリー
スペース名入りの地ビール、お寿司の大鉢が三つ、手作りの料理が大皿に二つ
手打ちそばが茹でては5回ほかウイスキーワインお酒等凄かった。当日九州の
彫刻家阿部守さんよりアイルランドの名酒が送られてきてこのウイスキーの地酒
ともいうべき名酒がその他にも二本頂いた。寿司たかくらのご主人の握りの差し入
れも感動ものだったがこの場所を紹介して頂いた山中歯科のご夫妻が日本酒と
手料理を持って来て頂いたのも感動だった。それにもました家主のテーラー岩澤
さんの手打ちそばは圧巻だった。さらに大介さん、酒井博史さんの二階の窓傍か
らの歌の競演は見事だった。その前に来て歌っていただいた及川恒平さんも吃驚
していた。夜も遅く日付けの変わるころまで宴は続いた。
参加して頂いたすべての人に感謝。翌日は疲れ果て12時間眠った。
この十日間色々な事がありそれらすべてを今書くことができない。
改めてネット回復後書くつもりです。メールも失礼しています。
あらためてご返事します。

新しい住所は札幌市北区北16条西5丁目1-8電話は011-737-5503
テンポラリースペースです。
申し訳ありませんが今しばらくはブログも不定期になります。
[PR]

# by kakiten | 2006-05-22 10:01 | Comments(0)
2006年 05月 11日

談話室の工事ー燃える街角(21)

談話室の基礎工事ほぼできる。かって厨房のあった所。台所と言う事かな。
夕刻手伝いに来てくれた村岸宏昭さんと教育大の岡田さんが壁の剥しとペ
ンキ塗りをしてくれた。岡田さんは背が高く180センチ位あるが素直で明るい
体育会系の女性だ。一緒に石膏ボードを剥すと白い土壁が出てきた。この方
が余程きれいと岡田さんが声を出した。少し剥げてはいるがこのまま残したい
気持ちになる。前にも思った事だが土台の方がしっかりと手仕事がある。その
上の張りぼての壁そして時代と共に増えてくる電気の配線これらがいかにも
付けたしの文化なのだ。時間の経過とともに蓄積されるボデイのようなものが
ない。幹のない枝葉のようだ。樹は枝葉が枯れたり折れたりしても幹は力を蓄
え太くなっていく。そして新たな次の枝葉を開いていく。幹がガランドウではどう
しようもない。ある面でこの家を解体しながら再生につながる物と消費だけの物
とがはっきりと区分けされる。心の釘が打たれていないものは捨てられ消費され
る。大学四年の若い二人には多分いい経験だったろうなあとかってに思っていた
。夜10時過ぎまで手伝ってくれた。棟梁中川さんはここに泊まり朝5時頃から
仕事してくれもういい加減眠そうだった。ペンキで汚れたハケを綺麗に洗い後始
末をしてくれた若い二人の仕事振りは気持ちよかった。帰りはもう11時くらいに
なって田中綾さんの差し入れてくれたつまみとビールを飲んで別れた。及川恒平
さんがさっぽろに今日着いたらしい。熊谷透さんがこのところ、鼠のように2階を
走り歌を唄い飲んでいる。あまりはしゃぎ過ぎで気功のプロらしくないなあ。風小
憎鼠小僧だ。以前出てきた大黒鼠福鼠の霊が乗り移ったのかもしれない。
[PR]

# by kakiten | 2006-05-11 10:50 | Comments(4)
2006年 05月 10日

キトピロの宴ー燃える街角(20)

集まってきたキトピロがすぐジンギスカンとなった。テーラーさんが夕方鍋を出し
いい匂いが立ち込める。仕事が香りで誘惑される。「そろそろ焼けたよ~」と声が
かかる。ケンちやんが飛び出す。熊谷透さんが2階のペンキ塗りやめて酒井さん
とともに下りてきた。今日は壁の隅ペンキの斑を谷口顕一郎さんが得意の凹み
技術で修復。棟梁中川さんはカフエの基礎工事に入っていた。私は山中歯科の
ご自宅に挨拶に行ったりコンパネの新しい物をペンキ塗りとチヨロチヨロだ。先日
本格的にペンキ塗りを仕上げてくれたシンクガーデンの薄木リナさんのプロの技
を目で盗んだので早速応用する。上から一気に塗り下ろすのだ。釘の打ち方ひ
とつにも思い切りのようないっきさが必要だ。ぶれない事が肝要。この日は夕刻
テーラーさんのジンギスカンまで一気に時間が過ぎた。村上未央さんの父上の
差し入れ羊の肉とキトピロをみんなでぱくついていると陶芸家の河合利昭さんが
来た。石膏ボードを産業廃棄場に一緒に運んで以来だ。酒井さんがサダマサシ
のCDを流してテーラーさんの奥さんと盛り上がりだし熊谷さんが陽気になっ
てご主人のテーラー岩澤さんにからかわれだした。二度目のジンギスカンでもう
誰にも遠慮がなくなってきた。洋服の仕立てのようにそれぞれの生地が合わさっ
ていい時間の服が出来てきましたね、テーラーさん。中川、熊谷さんはお泊まり。
[PR]

# by kakiten | 2006-05-10 11:49 | Comments(0)
2006年 05月 08日

キトピロが集まるー燃える街角(19)

昨日から棟梁中川潤さん現場に泊まりだす。彼の家は石狩の知津狩だから
本格的に仕上げに入るため現場の方がいいのだろう。私は連休明けで事務所
で電話の移転準備や金策、支払いの算段をする。昼過ぎ現場に出ると優しい顔
の男性に「ここは中森さんですか?」と声をかけられる。村上ですと言われあっ
と思う。今朝のメールに石狩のアートウオームの未央さんから自宅と近くなった
と書いてあったので未央さんのお父さんだと分かった。以前から店の事心配し
ていると聞いていたのでわざわざ来てくれたのだった。キトピロと羊の肉をもって
きてくれた。大家さんのテーラーさんにおすそ分けすると「いやあ今朝女房が買つ
てきてねえ、これまたジンギスカンにしましょう」と言うことだった。程なくけんちや
んこと谷口顕一郎さんも来た。先日のお礼にテーラーさんにキトピロ上げたら「ヒ
ヤー今日は凄いな」と吃驚していたと言っていた。そのうちにダスキン桑園の平川
勝洋さんが来た。お祝いを早々と戴く。ちようどきつい時期感謝であった。入れ替る
ように賀村順治御夫妻が来る。スキヤキご馳走になって以来だ。賀村さん夫妻が
帰って間もなくテーラーさんがキトピロのてんぷらを持ってきてくれた。その前に
森美千代さんが差し入れてくれたビールがあったのでつい飲んだ。美味かった。
テーラーさんの話では先程ここを紹介してくれた山中歯科のご夫妻もみえて美味し
いトバを戴いたと言う。漁師さんの作った本格的な物らしい。今度それをねと言う事
だ。段々毎日が労働そして宴会のモードになってきた。1月の引越しの時もそうだっ
たが・・・。花の香漂う宴の筵も近い。
[PR]

# by kakiten | 2006-05-08 21:18 | Comments(0)
2006年 05月 07日

宴の筵ー燃える街角(18)

ケン(谷口顕一郎)チヤンと彼女のあやさん来る。早速壁の隙間部分を埋める為
細かい作業を手伝ってくれる。河田さんも来て久方ぶりのケンちやんとの再会。
熊谷さん来る。酒井さんも来てケンちやんとは初対面ながらブログで彼の情報は
知っているのですぐに打ち解ける。快晴暖かな陽射しの中仕事進む。夕方テーラ
ーの岩澤さんジンギスカンの準備。何年振りかで屋根に登り錆び止め塗りをして
汗かき飲もう食おうという事だ。店前の駐車場にセットしていい匂いが立ち込める。
みんなでわいわいと始る。棟梁中川さんひとり黙々と今日の仕事続ける。段取りが
あるのだ。やがて一緒に飲みだす。岩澤さんの奥さんがさだまさしのフアンと分り
がぜん酒井さんと話が合いだしふたりが盛り上がる。夜も更け宴は続いた。話すと
色々な共通点があるものだ。一番ハイテンシヨンになった酒井さんダウン。寝袋で
泊まる人もでそうだが私は少し先に帰る。この街角最初の宴の筵だった。
[PR]

# by kakiten | 2006-05-07 11:17 | Comments(0)