テンポラリー通信

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2017年 09月 08日

河の根ー緑陰(21)

日曜日夜、常磐の森を歩いていた事を想い出す。
芸術の森の<芸術>は闇に消えて、旧地名常磐の
森が立ち上がり私の五感を包んでいた。
森の奥の一室、洞窟のような空間で吉増剛造「石
狩シーツ」は朗読された。
石狩河口真昼の朗読とは対極の場所だった。
水のふたつのparent(親・根)をtrans
(貫き通して)「石狩シーツ」が浮き上がる。
そして1994年から2011年の時空も<ふたた
びの根>の姿を顕していた。
今あの夜の会場の道程がその一部だったように感じる。

沖縄からサトマンさんが来た。
2006年8月ムラギシと四国でヨサコイ踊りに参加
した友情から、こうして今もこの場所と繋がっている。
ムラギシ死して11年。
これもtransparent{透明な)シーツ。
同時代の時空の小さなシーツ。
帰りに大野一雄のアルヘンチーナのポスターの前で、
「ハミガキブログ、イエーィ!」と記念撮影したね。

*「大野一雄の記憶ー公演ポスターを主に」ー9月24日まで。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503

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# by kakiten | 2017-09-08 14:58 | Comments(0)
2017年 09月 07日

転位する「石狩シーツ」ー緑陰(20)

9月3日午後7時芸術の森イヴェント
吉増剛造×鈴木ヒラクセッションに行く。
地下鉄ーバスを乗り継ぎ山中の美術館入口。
徒歩で幾つかの野外階段を上り会場を探す。
木々の暗闇、漏れる灯り、響く水音。
夜の芸術の森訪問は初めてだ。
会場のアートホール大演習室では、すでに
多くの人と中央に大きな紙が敷かれロール
状の銅板が片側に伸ばされていた。
すでに吉増さんの語りが始まっている。
鈴木ヒラクさんは紙の上で自在に行為をし、
時に手元のカメラから会場正面の黒い幕に
投影させた描線を見せている。
吉増さんは口元の増幅変響マイクを通して
「石狩シーツ」の朗読を始めた。

山中の洞窟のような会場で、もうひとつの
「石狩シーツ」が浮上していた。
河口での朗読、山中の洞窟での朗読。
明と暗、河口と源流。
「石狩シーツ」の転位する根。
鈴木ヒラクが最後に描き上げた描線は、まるで
河のように大きな紙全体の中央に横たわって
時空を俯瞰し転位する宙からの描線だった。

 transーparent  透き通っている
 *transー・・を横ぎって、貫き通して
 *parentー親、根本、源。

この透明の原義を「石狩シーツ」が転位していた。
石狩河口での朗読。
山奥の洞窟のような場の朗読。
このふたつの「石狩シーツ」は、作品の深化・転位
の相貌に他ならない。
大野一雄と吉本隆明。
明治と戦後というふたつの近代の原点を垂直に深化し、
自らの<身体>のように、その根を見詰めてきた吉増
剛造の到達点なのだと思う。

もうひとつの「空間現代」とのコラボレーションの
吉増剛造を私はまだ経験していない。
音・響きを主体とするこのセッションに、多分この
後の吉増剛造の言葉の磁場が生まれるだろう、と
予感する。

*「大野一雄の記憶ー公演ポスターを主として」ー9月24日まで
 am12時ーpm7時(火・木・土・日)am12時ーpm4時
 (水・金」

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503


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# by kakiten | 2017-09-07 13:10 | Comments(0)
2017年 08月 31日

剛造六腑(Ⅲ)ー緑陰(19)

北大総合博物館吉増剛造展で見ていなかった映像を見に行った。
「石狩シーツ ふたたび」の大画面に気を取られ、他の3本は
充分に見ていないのだ。
特に石狩シーツ朗読の翌日ひとりで石狩へ行き、撮影された一篇
が気になっていた。
耳にイヤーホーンを当て映像を見る。
スターバックスの席で「怪物君」草稿を広げ始まる。
何時ものようにモノローグの語りと手回しカメラと右の手。
スターボックスのシンボルマークの女性が映る。
そして吉本隆明の「言語にとって美とはなにか」を書き写して
いる草稿上の筆・手。
原文をカタカナ化して丹念に一字一字手が文字を織っている。
筆写というより、文字を織る、という感じだ。
さらにそこに筆の色を変え、自分のその時に浮かんだ言葉が
加えられていく。
その後石狩新港の埠頭と思しき場所で、銅板を拡げハンマーで
点を打刻しながら、ひとり語りが始まる。
いつも持ち歩く様々な宿るものをぶら下げたピーチハンガー。
それを埠頭にあった大きなゴムタイヤーの前に吊り下げ、手前
のこれもそこにあっただろう太いロープがイナウ(御幣)のよ
うに置かれている。
それを祭場のようにして手前に故若林奮さんから戴いたロール状
の銅板を展げている。
ハンマーで点を打刻し昨日の「石狩シーツ」を振り返るように様々
に語られる。
埠頭で作業する作業員、荷物を移動するトラック、フォークリフト
・・。エンジンの爆音。
そして最後にフォークリフトに書かれたmitubishiのMに
話しかける。
あのMはMurakamiさんのM、yabuMaeさんのMかな
と呟いて終わる。
これを見終えて、イナウのようなピーチハンガーにぶら下がってい
たゴーギャンの女性の絵に、スターバックスマークの女性の映像が
重なりtransparentして根の像を結んでいた。
「石狩河口坐ル ふたたび」で始まった「怪物君」の径(みち)。
その<ふたたび>の深みにあるー<女坑夫さん>ー<織姫>が、
時代と詩作の根源のように顕れていた。
大野一雄の石狩公演の、アンコール<離れがたい>のように。

大野一雄・吉本隆明を通して吉増剛造は、ふたつの近代と対峙して
いる。
それは、精神(こころ・観念)から身体(み・実践)に及んでいる。
「怪物君」の草稿はその身体(み・実践)の表現の顕れなのだ。
内科医がコンピューター画面に映し出す内臓の映像のように、吉本
隆明の著作を吉増の手が一字一字書き写し、崩し、一面に着色し、
変容する。
<身も心も・・・>の<身(み)>の行為。
頭脳が手指を動かし、手が機械を操作する。
その反対だ。
手がすべてに触り、心を動かす。
GOZOCINE(カメラ)はそれを記録している。
内科医のコンピューター画面とは正反対の位相の身と心。
心(観念)より身{実践)を優先させている。
文字を一字づつ皮を剥き、確かめ、素材にする。
徹底的に手で触れ、目で確かめ、知の舌で味見する。
その仕込みの過程こそが「怪物君」の全仕事である。
そこに輝くものが、transーparent(函・根)
の透明な美。
カーリフトのMに幻想されるのは石狩の女坑夫さん・絹の
道の織姫なのだろう。

*「大野一雄の記憶ー公演ポスターを主として」ー9月10日まで。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503



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# by kakiten | 2017-08-31 19:25 | Comments(0)
2017年 08月 27日

同時代という”シーツ”ー緑陰(18)

「大野一雄の記憶ー公演ポスターを主として」を展示して
訪れてくれた人と何度か1991年の「石狩 みちゆき
大野一雄」石狩河口公演映像を見る機会があった。
原題は「石狩の鼻曲がり」だが、同年1月の吉増剛造「
午後7時の対話」で札幌を訪れた際大野先生に呼びかけた
一言、「先生、石狩河口へ一緒に行きましょう」「よし、
往きましょう!」この言葉に勇気を戴き、この年9月15日
の公演タイトルには<みちゆき>の四文字が入ったのだ。
都市の暗渠化された見えない河「界川」をテーマに約1ヵ月
様々な表現体で川を表現したアートイヴェントの後、私は
水の見える源流・河口へと心を繋いでいた。
そんな時お会いした大野先生にほとんど何かに導かれるように
提案したのだった。

後年吉増剛造の近代への眼差しの根(parent)とも成る
、この大野一雄公演舞台は、陽光の傾く午後2時から始まった。
風・波の音が響き、前日の台風の後の影響が残る河口野外仮設
舞台で大野一雄・慶人さんの鮭の雌・雄の生と死・誕生のドラマ
が夕陽の西に傾く河口・来札浜で演じられる。
私には何度見ても新たな感動と勇気を戴く舞台である。
そして今回新たな発見のように感じられたのは、最後の
アンコールの舞台だ。
鮭の雄・雌が産卵行為の後死を迎え、大野一雄はアルヘ
ンチーナの亡霊になって最後の踊りをする。
この世からあの世へ。
岸辺から仮設舞台を通り、あの世の水へと入水し落日の光
煌めく河中で踊るのだ。
そして水際に遺された古い棒杭の点々と黒く滲む水面から
両手を挙げ深々と終了の礼をする。
そして観客の為水面からずぶ濡れの身体を舞台に押し上げ、
その日共に過ごした観客の為アンコールの踊りを舞う。
最初は「エストレリータ」、そして自ら裏方に指示して
踊った「ラ・パロマ」。
この2曲目は、事前に観客も参加して踊って欲しいという
希望だった。
主役は舞台左に大きく寄り、まん中を大きく空かせて、観客
の人たちを舞台に誘う、ラ・パロマのメロデイー。
誰も舞台に上がる人はいなかったけれど、心は海抜ゼロの
河口の風の寒さを超えて、一緒に燃えていた。
後に大野一雄は書いている。

 エストレリータ、ラ・パロマを踊ったのは誰だったんだろう
 とんでもない踊り。でもこれとも離れがたい。アンコール。

 (石狩川河口公演記録集 大野一雄「石狩・みちゆき」より
             (かりん舎2002年10月刊)

今回新たに感じたのは、このアンコールの舞台である。
この舞台こそ、大野一雄の、素の小さなコンテンポラリー。
台風の過ぎた強風の残る河口の舞台を、共に共有した同時・間
(代)の人たちへの感謝のシーツ・舞台だった気がしたのだ。
「石狩の鼻曲がり」は、鮭の生誕と死を通してその再生を自らの
過ごした人生と重ねて表現した舞踏である。
戦前・戦中・戦後と刻まれた近代日本の荒波。
アルヘンチーナに憧れ舞踏を志した青年期。
そして太平洋戦争従軍期。
敗戦・命からがらの帰国。
40歳を過ぎてからの舞踏人生。
そうした幾多の経験がこの舞踏には底流として流れ、そして
誰よりも寒風・ズブ濡れの中、アンコール、二度・ふたたび 
踊った大野一雄。
ずぶ濡れの衣装で川面から這い上がり、<みなさん、寒かった
でしょう>と労いの葉を掛け南国ハワイの2曲を踊った大野一
雄のもうひとつの舞台。
それはこの日の、小さなコンテンポラリー・シーツ。
同時・間(代)、への友情のメッセージだった。
夕陽沈みつつある寒い秋の水辺。
その舞台は終了後の挨拶と共に、あの日あの時間刻んだ
conーtemporaryと呼べる小さな舞台だったのだと、
深く思うのだ。

  とんでもない踊り。
  でも離れがたい。アンコール・・・・。

*「大野一雄の記憶 公演ポスターを主として」ー9月10日(日)まで延長。
 火・木・土・日am12時ーpm7時:水・金am12時ーpm3時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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# by kakiten | 2017-08-27 16:47 | Comments(0)
2017年 08月 23日

<移>ル・故里ー緑陰(17)

写真家のT氏が個展終了後来廊。
個展の反響、愛娘Uちゃんの近況などを話す。
父娘二人三脚のようなふたりの人生の転換点。
こんな父娘も珍しく、幸せと思う。
Uちゃんは高校2年生にして、もう来月から
東京生活が始まるようだ。
石狩で裸馬に乗り喜々とする16歳。
同時に東京の最前線で自分の人生を切り拓いている。

夕刻旧ゆかりの名料理人CHIZUさんが来る。
閉店したゆかりの後は今、若い人が無農薬の料理と
お酒の店を開いているという。
今日一緒にどう、と言う。
同所で10年続けた宇田川洋さんの居酒屋ゆかり。
閉店以降界隈に近づいていないので、久し振りに
行く気になった。
閉廊後出掛けると、若い男のマスターがひとりで
切り盛りしていた。
料理は洒落た洋風で味も良く、お酒も日本酒から
ワイン、ウイスキーと揃い、一生懸命さが伝わる。
私も久し振りに一合桝になみなみとグラスで盛られ
た日本酒大山を二杯飲んだ。
控えめで無口な若いマスターの生まれを聞くと、
少し奥目の眼差しで、小さくフクシマと応えた。
それまでCHIZUさんと吉増展の話で何度かフク
シマの話もしていたので、一瞬吃驚する。
詳しくは聞かなかったけれど、男ひとり札幌へ移住し
ここで新たな生計を建てている。
宇田川さんの居酒屋ゆかりをリニュアルし、洋風
居酒屋として、無農薬の食材を標榜し開いたのだ。
旧店舗と比べながら、CHIZUさんが此処は変わり、
此処は前のまま活かしいる、と我が子の自慢をする
ように最初に説明してくれた。
無農薬食材の説明もその中に入っている。
閉店した愛着ある店の後釜新しいマスター兼シェフの
若者が気に入ってもいるようだ。

生まれが福島と聞いてから、私にはこの間の吉増展
2011年12月「石狩河口/坐ル ふたたび」から
始まった色んな想いが尚更のように浮かんできた。
そして今年出逢った浪江出身の男の涙、札幌国際芸術祭
ゲスト・ディレクター、福島生まれ大友良英に見た涙目。
吉増剛造の<ふたたび>が耕した<ふたたび>の耕土には
、再度という重複ではない、ふたたびの土壌が開墾され
ている。
国内市町村別で一番多くのブラジル移民者を出したのは
浪江という。
移動・移住・移民。
この頭の<移>が大きく増幅して動・住・民の根が希薄
・薄弱になりつつある現在を思うのだ。
<移>が漂流し根無し草となる<難>の時代とならぬよう
精神(こころ)は深く根を降ろす磁場を耕さねばならぬ。
久し振りのお酒に揺れる頭は考えていたのだ。
無口で静かなフクシマのマスターの目をどこか感じながら
・・・。

大野先生、ダンスを超え先生の舞踏という言葉が独り立ち
したように、難民の時代自分の生きる磁場が独り立ちしな
ければ・・と思っていました。
大野先生、吉本隆明さん、剛造さん、・・・、
そしてCHIZUさん、フクシマの青年に逢わせてくれて、
ありがとう・・・。

*「大野一雄の記憶ー公演ポスターを主に」ー8月27日まで。
 水・金am12時ーpm3時半。火・木・土・日am12時ー
 pm7時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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# by kakiten | 2017-08-23 14:17 | Comments(0)
2017年 08月 20日

ふたたび・再びー緑陰(16)

鈴木余位さんから芸術祭の吉増剛造映像が送られてきた。
北大総合博物館の個展会場大画面で見るのとはまた違って
TV画面に再生しじっくり見ていた。
1994年の「石狩シーツ」の朗読CD。
その時の声、その時の詩と違う石狩河口での今回の録画。
しかも野外の風・鳥、そして上空より近づいたヘリコプ
ターの爆音に晒されて声を上げ、強く語られる声音等が
鮮やかに撮られていた。
詩行の一部も変化しているのが確認出来る。
この二日三度ほど繰り返し見て、吉増剛造の3・11
を挟んだこの23年間を、鋭く胸に刺さるものとして
感じていた。
吉増さんのブラジル体験・フクシマ経験の深い心度を
感じていたのである。
問われているものは、私自身の今である。

河岸でなにをしているのか、と不審に思ったヘリコプター
が低空まで降下し、爆音が地上を叩く。
その爆音に、声を強める吉増剛造の声音。
その辺りから、吉増さんのテンションは高まり、詩行の一部
は新たな詩行となり声が突き刺さる。
もうこの「石狩シーツ」は23年前の再生ではない。
再びは今を映す新たな深度を保つ<ふたたび>だ。
そしてその心実は、今の私自身に鋭く突き刺さってくる。
さっぽろーイシカリ・故郷ー故国、そして近代という時代。
安心・安全のヘリコプター偵察巡回の爆音は、同時に安心・
安全の原子力が、その爆音の破壊的な音響によって、爆弾の
爆音にさえ転換する身近な日常近現代を顕在化するように
遇ったと思う。
原田洋二さんのフクシマ・ナミエの涙、大友良英さんの涙目。
私がこの間出逢ったフクシマの涙だ。
「石狩河口/坐ル ふたたび」。
吉増剛造とともに歩んだ2011年からの時間が、鈴木余位
さんの映像で深くディテールに刻まれ私を刺すのだった。

安心・安全・平和の底に睡る深い亀裂。
明るい光の内なる廃墟。
そこにすくっと「石狩シーツ」が立っていた。
孤高の出口を探すそれではない。
深い底流に根差した根のような「石狩シーツ」・・だ。

大野一雄の数々の公演ポスター。
正面にアルッヘンチーナの笑顔、郡司正勝・中川幸夫の
筆魂が浮かぶ。
そして1994年「石狩河口/坐ル」のフライヤー、
「石狩シーツ」初出詩誌・詩集。
2011年12月「石狩河口/坐ル ふたたび」フライヤー
と今回撮影現場数葉の写真、朝日新聞記事2011年4月の
石狩河口吉増剛造の姿。
「大野一雄の記憶」展にも多くの渦が渦巻いている。
そして今回鈴木余位映像が加わり、四半世紀の時が、深々と
流れ始めている。

*「大野一雄の記憶ー公演ポスターを主として」ー8月27日まで。
 am12時ーpm7時(火・木・土・日)
 am12時ーpm3時(水・金)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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# by kakiten | 2017-08-20 17:35 | Comments(0)
2017年 08月 15日

お盆・ふたたびー緑陰(15)

お盆という時間自体が、大きな<ふたたび>と思う。
そのお盆の前に、<ノオモア・ヒロシマ・ナガサキ>という
再びあやまち繰り返さないと誓う被爆の日がある。
<ふたたび>は慚愧と反省の過去を見詰める軸でもあるが、
時空を経て蘇る、心の拠点として顕れる新たな踵軸の場合
もある。
さっぽと芸術祭吉増剛造展の「石狩シーツ」がそうだ。
また網走の漁師画家佐々木恒雄の描いた海の絵もそうである。
夜空に月、一艘の小舟に独りの漁師、そしてその前には無数
の細波{さざなみ)が月光に煌めいている。

 ガソリンはタンク内部にさざなみをつくり僕らは海を知らない

山田航の歌集「水に沈む羊」を主題とする作家展で、佐々木は
この一首を撰び、日々自らが経験するオホーツクの海を描き、
対峙した。
一度は都会に憧れ離れた故郷の海。
ふたたび意を決して8年前故郷網走へ帰ったのだ。
父と同じ漁師の仕事で日付の変わる暗い朝から海へ出る。
その経験がさざなみひとつひとつの燦めきに籠められている。
オホーツクブルーの煌めく光ひとつひとつに、一度捨てた故郷の
海が新たな輝きを保って、目の前にある。
山田航の<ガソリン・さざなみ>の一首に、この無数の美しい
細波を描いて、彼は彼の<ふたたび>を屹立させたのだ。
ふたたびの故郷。
それは悔恨や懺悔の<ふたたび>ではない。

故郷やお盆という<ふたたび>は、本来再発見や再会の喜びを
保っている。
2011年3月11日を契機に志された吉増剛造の「石狩河口
/坐ル ふたたび」。
今年お盆初日の佐々木恒雄と絵を通したS医師のオホーツク 
ふたたび。
本来<ふたたび>とは、こうした新鮮な出会いに溢れ、あたかも
あの月下の海の細波のように、燦めき放たれるものだ。
しかし現実は、封印や回避を前提とするふたたびの時季でもある。

<ふたたび>を、煌めく細波へと取り戻さなければならない。
<ふたたび>の豊穣な土壌を喪いつつある現実に、私たちは
対峙しなければならない。
今年8月吉増剛造の石狩、佐々木恒雄の網走。
<ふたたび>は煌めいていた。

 あの丘はいつか見た丘
 ああそうだよ
 ほら 白い時計台だよ

好きな<ふたたび>の歌だな。

*「大野一雄の記憶ー公演ポスターを主に」ー8月27日(日)まで
 火・木・土・日am11時ーpm7時:水・金am12時ーpm4時

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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# by kakiten | 2017-08-15 14:09 | Comments(0)
2017年 08月 13日

お盆の火ー緑陰(14)

お盆過ぎたら海には入るな、という戒めがあった。
昨今の温暖化でそのリアリテイは薄れつつあるが、
12,13日と、どこか秋の涼しさが漂う。
まだこの後残暑が続くだろうが・・・。

美術館学芸員のY氏、京都の映像作家M氏と相次
いで訪れる。
北大総合博物館吉増剛造展を見ての事だ。
映像が絶賛されている。
会場構成も同様だ。
京都のM氏は今芸術祭一番と言った。
映像の専門家だけに、音響から映像細部に目が届いた
指摘が多く嬉しかった。
美術館学芸員のY氏も映像を絶賛した。
凄いね、あの映像!と、吉増さん朗読の石狩河口映像
に触れて、最初の一言・・・。
鈴木余位さん、二晩徹夜のご苦労、報われたね。
昨年6月の東京国立近代美術館で上映された飴屋さん
の草稿焼却映像、忍路遺跡と朗読翌日ひとり石狩河口
で撮られたGOZOcine、そして鈴木余位さんの
石狩河口吉増朗読大画面映像、と4本の映像が流れる。
会場ではそれぞれが単独で見られるように、音声の配置
が工夫されている。
音声技術牟田口さんの優れた会場音響構成だ。
余位さん撮影現場にも立ち会い、河口の空気・音を見事
に映像の背後で構成している。
また会場全体を統括し構成した東京・藪前知子さんの力
も大きいのだ。
<ふたたび・・・>の吉増剛造は、こうした多くの友情
にも支えられていた。
そして「石狩シーツ」は再び朗読され、再生したのだ。

お盆初日の今日、網走の佐々木恒雄さんが来る。
前から約束していた円山北歯科のS先生に連絡をし、
購入された彼の海の絵を一緒に見に行く。
休日にも拘わらずS医師は開けてくれ、診察台の前に
飾られた佐々木さんの絵を見せてくれた。
本当はこの後居酒屋にでも夕方から行きたかったが、
お盆でもあり、それぞれの用もあって今回は見送った。
診察台に坐り佐々木さんは大喜び、それを見ているS
先生も満面笑顔で嬉しそうだ。
ふたりの網走人が故郷の海の色を楽しんでいる。
患者さんの感想とかを言葉少なく紹介しながら、本当に
S先生も嬉しそうである。
1年ぶりに見る他の場所に飾られた自分の絵。
自分から離れて独自に独立して生きている絵。
感慨深く、嬉しく、何時までも治療台から動こうとしな
い佐々木恒雄だ。
これから向かう愛妻の実家、室蘭で報告すると言って
今度は写真を撮りだしている。
帰りにS医師から網走・みそパンをお土産に戴き、私と
佐々木さんは幸せな気持ちで医院を出た。

山田航の第二歌集「水に沈む羊」からの一首

 ガソリンはタンク内部にさざなみをつくり僕らは海を知らない

に触発された描いた漁師で画家の佐々木恒雄。
その一度出た故郷の海を今再びその海で働き描いた絵。
その絵を同じ網走出身の歯科医のS先生が治療台の前に飾って
患者と共に絵を共有し、診察後語り合っている。
その現場で作者佐々木恒雄は新たに自分の絵と対話し、発見し
ているようだった。
佐々木さんが愛妻の実家室蘭へ向かった後彼から戴いたお土産
のお菓子を見ると、こちらもS医師に頂いたメーカーと同じ網走
・古川製菓の「かにせんべい」だった。

ここにも人と人の、美しい<ふたたび>があったなあ。

*「大野一雄の記憶ー公演ポスターを主に」ー8月8日(火)
 ー27日(日)水・金am12時ーpm4時:火・木・土・日
 am12時ーpm7時・月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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# by kakiten | 2017-08-13 15:07 | Comments(0)
2017年 08月 11日

剛造六腑(Ⅱ)ー緑陰(13)

1994年ー2011年。
「石狩河口/坐ル」ー「石狩河口/坐ル ふたたび」。
前者には大野一雄、後者には吉本隆明。
そしてそのふたりの巨人の境に、3・11が横たわって
今の吉増剛造の仕事がある。
その過程を私はふたつの近代と、感じていた。
ノオモア ヒロシマ・ナガサキ。
強烈な破壊力原子爆弾2発で止めを刺された近代日本。
そして安心・安全と謳われた原子力発電事故で閉じつつ
ある戦後近代日本。
ノオモア フクシマへ伏流する現在。
そのふたつの近代の境目にふたりの巨人が立っている。
吉増剛造の必死の杭打ちは、全身詩人の名の通り、身も
心も草稿「怪物君」に溢れている。
脳内臓器を身とし、吉本隆明を咀嚼し吸収し分解する
すべての過程の記録「怪物君」。
時にそれらは残骸として焼かれたりもする。
1994年ブラジルから帰国後、自己閉鎖の穴から
救出の孤独な闘い。
大野一雄の舞踏が舞った海抜ゼロの河口傍に滞在。
そこから源流へ這い上がり、もうひとりの織姫女坑夫
さんと遭遇し心は救われる。
そして2011年3月11日東日本大震災後、戦後日本
を象徴する原発事故の地を訪ね、戦後近代そのものを
昭和25年吉本隆明26-27歳の処女詩集「日時計篇」
を噛み砕き、咀嚼し、吸収するかのように筆写し筆耕し
分解し始めたのだ。
2017年「火ノ刺繍」とは、吸収されたエネルギーの
炎の証、その火の刺繍だ。
日本百余年、ふたつの近代の裾野を、海抜ゼロの豊かな
裾野として、今から立ち上げていく新たな闘いが始まり
を告げている。
<火ノ刺繍ー「石狩シーツ」の先へ>・・・。

栃木ー沖縄ー東京と予定される今年末から始まる新たな
展開は、近代へのコンテンポラリーな裾野から中腹への
全身詩人吉増剛造の、身も心も挺した最後の闘いとなる
のだろう。
しかして1994年時とは相違し、conと呼び得る
<ともに>と信ずる友人たちもその裾野にはいると確信
するのだ。
フクシマの<涙>、イシカリの<ふたたび>がそうである、
と私は信じている。

*「大野一雄の記憶ー公演ポスターを主に」ー8月8日(火)ー27日(日)
 水・金am11時ーpm4時:火・木・土・日am11時ーpm7時
 :月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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# by kakiten | 2017-08-11 14:46 | Comments(0)
2017年 08月 10日

路傍の泉のようにー緑陰(12)

熱気と湿度の高さで、少し体力が落ちている。
血圧が低めでふらついた。
週末は特に週3日の透析治療の疲れが溜まる。
そんな週末遅れてギャラリーに着くと、ひとりの
青年がシュッターの前にいる。
中嶋幸治さんだ。
随分待ったよ~と第一声。
すまん、スマン・・・と謝った。
シャッターを開け展示の看板を出し、久し振りの
話を聞く。
北大総合博物館で展示の吉増剛造展を見て今日は
なんとしてもテンポラリーへ寄ろうと思って来た
という。
そういえば君のデザインした吉増展のフライヤーも
展示されていたでしょう、と言うと嬉しそうに頷いた。
4本の映像上映、その他に「怪物君」草稿「石狩シーツ」
草稿、ここでの2011年から毎年のフライヤー資料も
展示されているのだ。
津軽出身の彼は柔らかな外見に似ず、根は素朴で頑固な
津軽人である。
今年春、製本という形でひとりの写真家を本という作品
にした展示即売を2日間開いた。
人の目の前で製本を続け、その本を手にした人が購入する
という一種のインスタレーションである。
売価は3千円と昨今では本としては高価なものだったが、
完売し、予約も含めて百冊を超えるものだった。
辛抱強く手仕事の東北人らしい、良い仕事だった。
吉増さんの話、個人的な最近の生活の話などを聞いてると、
そこへ大丸「水に咲く」高臣大介展で挿花の手直しを終え
た村上仁美さんが来た。
そして写真家の竹本英樹さんも来る。
なにかこれまでの吉増展、今回の北大総合博物館の吉増展
のスタッフが揃ってきた。
竹本、村上さんは今回展示の主たる映像、石狩河口での
「石狩シーツ」吉増朗読シーンに鈴木余位さん撮影助手
として自らもカメラを回していたのだ。
当然3人の話は今回の吉増展を巡り弾んだ。
そうこうしていると、電話が鳴り、話題の本人吉増さん
からの声だった。
空港からで、これから東京へ帰るところという。
みんな関係者が来てるから替わりましょうか、と聞くと
先に用件といって、今年11月から始まる足利市立美術
館の吉増展「涯(ハ)テノ詩宴」の最終日にゲストで
来て欲しい、対話が企画されている、と言う。
今年末から来年にかけて、栃木県足利市、沖縄県立美術館、
東京松涛美術館等が予定されているのは聞いていた。
その一連の展示場所の最初は、映像鈴木余位さんの故郷
栃木県である。
これも不思議な縁と思えた。
ただ私は治療療養中の拘束がある。
昨年の東京国立近代美術館へも、悪友曰く・・死にそうな
顔をして・・いたそうだ。
ましてさらに対話となると、自信はない。
しかしこうして吉増さん本人から依頼されれば、出来得る
限りの事はしなればならない。
取り敢えずお受けし、他の人たちに順番に替わった。
なにかみんな嬉しそうで、楽しそうだった。
電話の向こうの吉増さんもそうだっただろう。
1994年「石狩河口/坐ル」の頃の孤独な個の追求
から生まれた長編詩「石狩シーツ」の時。
そして2011年3・11以降に始まった「石狩河口/
坐ル ふたたび」の時。
その節目ともいえる今回の石狩河口再訪・朗読撮影。
このふたつの間には、人という関係性が大きく変化し
個から<con>とも言える、<共に>という邂逅が
湧くように生まれている気がする。

北大総合博物館の在るかっての地形・・・
野傍の泉池(ヌプサムメム)のような時間だった。

*「大野一雄の記憶ー公演ポスターを主に」ー8月8日(火)ー27日(日)
 am11時ーpm4時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
 
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# by kakiten | 2017-08-10 18:32 | Comments(0)