テンポラリー通信

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2017年 10月 26日

両雄再会ー最前列にして最後尾(24)

佐佐木方斎さんが来る。
80年代方斉の編集した「美術ノート」にロックさんが
投稿していて久しぶりの再会だ。
ロックさんの岩手での土澤アートプロジェクト。
方斉の現代作家展キューレート。
ロックさんの街角美術館の企画編集。
方斎の「美術ノート」の編集。
そして本人自身の作品創作活動。
と、この二人には共通する点がある。
今回の菅沼緑さんの作品の保つ明快さと単色の色彩配置
などは、佐佐木方斎の初期作品「格子群」をどこか感じ
させるものもある。
勿論違うのだが、世界に対する活動の開き方に、同じ
DNAを私は感じていた。
しかし両雄ほとんど黙して語らず。
私は敢えて席を外し2階でパソコンに向かう。
時々耳を澄ましふたりの話声が途絶えつつも、ぼそぼそ
続いている事に安堵したりする。
時間差はあるが、このふたり最後は大喧嘩か肩叩き合う
仲となるだろう。
おっ、談笑の声・・・。

どちらもまだ真に希む真の作品は顕れてはいない。
ロックさんの木と剥き合った彫刻。
方斎の色彩と剥き合った絵画。

湘南カントリーボーイと道東カントリーボーイの
人生流浪のふたりは、ぼそぼそと声が途絶えつつ
今も話込んでいる。

+菅沼緑展ー10月29日まで。
*ホピ&カチーナドール展ー11月1日(水)-5日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き

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# by kakiten | 2017-10-26 16:53 | Comments(0)
2017年 10月 24日

故縁ー最前列にして最後尾(23)

茅ケ崎の竹中英俊氏が来る。
東大出版の仕事をしていて、出張の多い多忙な人だ。
5月吉増剛造展の時初めてお会いし、その時茅ケ崎と
いう彼の住所に明治の治水学者岡崎文吉終焉の地を思
い出し、その後竹中さんの友人浪江出身の原田洋二氏
と出会い、彼の故郷を想う号泣にも立ち会ったのだ。
不思議と人との縁を繋ぐ人だ。
実際彼とは同じ早稲田出身で、しかも下宿先が同じ戸山
ハイツだったりもした。
今回はさらに私の大学時代の先輩門倉弘氏と丸山真男の
仕事をしたと聞いて吃驚した。
私の新学年の頃の輝ける先輩だった門倉弘さん。
その懐かしい先輩の変わらぬ情熱と生き様が竹中氏の話
の中で晩年の様子から見事に浮かび上がゥてきた。
政治哲学と文学に造詣の深かった新聞会の先輩である。
今回は私の手元にある唯一残された新聞会集合写真を見
る事が大きな目的だ。
輝ける先輩達鈴木・門倉・山元・寺田・成沢他が写って
さらに少しトッポイ当時の松岡正剛の顔もある。

竹中氏と知り合い、私の内なる小さな国が見えてくる。
3年程前再発見した蛇行を基本とする自然工法護岸の
治水学者岡崎文吉。
その岡崎の昭和20年終焉の地茅ケ崎の縁。
早稲田出身で下宿先も同じ戸山ハイツ地域の縁。
そして福島・浪江出身で故郷の為に心魂注いでいる
原田洋二氏との出会い、その今年5月の号泣の縁。
そして今回は懐かしい先輩の晩年の変わらぬ活動姿勢、
最後の立ち位置まで髣髴とされる死直前の話も聞いたのだ。
僅か2,3度顔を合わせただけなのに、私の内なる心の郷
・土が呼気を発し胸を叩いている。

心の郷土、心の里。
そのランドは、私の内にあった。
久しぶりに古い友人・先輩・仲間との写真を見ながら、
今という時の故(ゆえ)、自分の心の故国を想った。

*菅沼緑展ー10月29日(日)まで。
*ホピ&カチーナドール展ー11月1日(水)-5日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503



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# by kakiten | 2017-10-24 17:30 | Comments(0)
2017年 10月 22日

色気ある人ー最前列にして最後尾(22)

菅沼緑展もあと一週間を残すだけとなる。
板で張られた様々な立体形に単色の強い色彩。
この単純明快さは、以前の工芸的とも思える
木の彫刻形態とは違う。
変わらないのは、ある種のユーモア感溢れる形象だ。
そこにあるユーモア感・色気のようなものは、変わらない。
そう書いて、あっこの人はニヒルだが、強い色気の
ある人だなあと思う。
その色気が柔軟な形象・色彩として、シンプルに
溢れている。
大学時代に色彩のある彫刻をしていた、と聞いた。
しかし彫刻の先生から、木彫の指導を受け褒められ
それに伴って色彩は姿を消したと聞く。
指導通り実践する素直な人でもあり、同時にそれに
反発する反骨の人でもある。
その素直さと反骨性が、多分鬩ぎ合って色気として
顕れている気がする。
1980年代に見た木を彫刻し、繋ぎ、ユーモラス
な形象を創っていたあの諧謔性は、その時代の彼独特
の色気だったという気が今する。
今は形象も色彩も隠さず堂々と色気に挑戦している。
ただ色気と言っても、隠されたそれではなく、明快
な明るい色彩と形の強い主張なのだ。
きっと近い将来、もうひとつ作品が変わる事だろう。
ある秘められたニヒルな視角が、怒り・墳怒として
新たに彫刻・彫りの刃が顕れるかも知れない。

*菅沼緑展ー10月29日まで。
*ホピ&カチーナドール展ー10月31日ー11月5日

 テンポラリスペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503



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# by kakiten | 2017-10-22 16:41 | Comments(0)
2017年 10月 21日

寡黙な手の人ー最前列にして最後尾(21)

菅沼緑展初日、自宅マンションのガス暖房が止まり、
一日半立ち合い。
ガス漏れ微量だが、ガス管取り換え作業が長引く。
管が旧形で今の管と交換するのにサイズが違い、埋め
込まれた壁内部を掘り返し外す手間ができた為だ。
先ず表面のタイルを剥がし、内部のコンクリートを
ひたすら削り、旧菅を露出させ新しい管に換える。
ガスという給湯・煮炊きの火のインフラも、土台と
なる設置構造は手仕事と実感する。
壁のタイルを剥がし、奥のコンクリートを壊し古い
管を取り外す途中、”あっ、鉄筋だ!”と作業員が叫ぶ。
<鉄筋コンクリート>という言葉を思い出す。
この鉄筋は管の取り換えに邪魔である。
鉄筋を取り除くのも手で、ヤスリを掛け切り落す。
30cm四方位の穴なので、十分に力が入らない。
ずっと立ち合い見守っている内に、ふたりの工事人
に不思議な友情のようなものが湧いて来た。
翌日モルタルで穴を塞ぎ終了。
帰りに吉増剛造展「火乃刺繍」活字凸版のフライヤー
を年配の手仕事人に差し上げた。
これも活字印刷という手仕事ですよ・・・。
するとそれまで無表情だった仕事人の顔が崩れ、柔ら
かく良い笑顔になった。
もうひとりの若い社員には好きだという手塚治虫の
ブラックジャック特集の漫画雑誌をあげた。
ドアの外に出て二人の少し燥いだ声が聞こえた。
嬉しそうで満足そうな声だった。

*菅沼緑展ー10月29日まで。
*ホピ&カチーナドール展ー11月1日ー11月5日

 テンポラリスペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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# by kakiten | 2017-10-21 16:56 | Comments(0)
2017年 10月 18日

菅沼緑展始まるー最前列にして最後尾(20)

岩手県在住の作家菅沼緑展始まる。
形象はシンプルで柔軟、色彩は強くて暖かい大小の
作品が舞う。
見上げる吹き抜けに在る作品も含めて、入った時から
色彩と形に抱かれるような気がする。
私の知っていたロクさんとは変貌していた。
小さな木の彫刻を数多く集合し並べ、木の繊細さ、闊達
さを表した作品群とは違う、
大きな単体で木材そのものの質感に拠らず、単色の色彩
の強さ、樹木が保っている柔軟性がより強く空間を掴んで
跳んでいた。
鎌倉で生まれた男の北海道・音威子府ー岩手・花巻と生き
る中で削ぎ落としてきた明るさと剛(つよ)さの明快さが
色と形に出ているような気がした。
クヨクヨしていないなあ、ロクさん。
お逢いした初めが、1980年代だったと思うけど、札幌
は音威子府を去る時の途中だった。
鎌倉の名家に生まれ北へと憧れ、挫折し、そして岩手へと
北志向の彫刻家は、その間何を得て何を喪ったのか・・。
その答えが、今回のシンプルにして強い単色の色の強さに
顕れている気がする。
紅葉の蔦の画廊で内から溢れ出るように、作品たちが
秋の光とともに煌いていた。

*菅沼緑展ー10月17日ー29日まで。
*ホピ&カチーナドール展ー10月31日ー11月5日

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503

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# by kakiten | 2017-10-18 14:32 | Comments(0)
2017年 10月 15日

秋の訪問者ー最前列にして最後尾(19)

夏が終わり短い秋が来る。
壁の蔦も一気に紅葉が進む。
もう山には初雪が降っただろうか・・。

茨木の妹たちに続いて栃木足利美術館のS氏が来る。
11月3日から12月24日まで開かれる吉増剛造展「涯テノ
詩聲(ハテノウタゴエ)」の打ち合わせだ。
札幌国際芸術祭北大博物館に続く足利美術館での展示。
2011年から始まった吉増剛造の3・11以後の仕事
ひとつの集大成に入っている。
来年は沖縄美術館もあるが、この足利美術館の展示がひとつ
の区切りと思われる。
その所為もあるのだろう、この展示の最終日のトーク
セッション「札幌の古・水・道(フシコ・ワッカ・ル)」
に私も招かれている。
1994年「石狩河口/坐ル」で始まり、2011年「石狩
河口/坐ル ふたたび」-「怪物君」に至る23年間に及ぶ
ひとつの節目。
私如き浅学菲才な者が博学多才な天才詩人とトークなど
考えられもしないが、唯々節目にいつも立ち会ってきた経過も
踏まえ、見て、聞いて、今回も立ち会う事が責務だろう、と
決心していた。
トークタイトルも多分吉増さんの意向で決められたと思う。
私は私の札幌で生きて来た自分のありのままを引っ提げて
そこに立つだけだ。
タイトルに札幌の二文字があるのも、その辺を見通しての
配慮と思われる。
12月24日の正式なご招待とその打ち合わせをS氏とする。

その二日後、札幌国際芸術祭で吉増さん他の展示キューレー
トをした東京現代美術館のYさんから不意に連絡が来た。
芸術祭の後始末があったのだろうか、今札幌で朝寄りたい
という。
テンポラリーに急ぎ着くと、もう玄関前に荷物と本人。
宿屋が近くだったと言う。
それから2時間弱終わった吉増展をはじめ色んな話をした。
聡明で柔軟な感性をもつYさんは、今回の芸術祭でも屈指
の優れた仕事をした人だ。
その自覚と喜びがきっとここへ来てくれるエネルギーな
のだと感じている。
大友良英氏とともに今芸術祭で得た忘れ得ぬ知己である。
他にも映像の宮崗氏、音響の牟田口氏とも長い付き合い
となる予感がする。

芸術祭運営自体には種々の批判もある。
それはそれで正当な場合もあるが、問題はいつも作品と
人である。
そして場の再発掘・再発見という場の問題も関わるのだ。
さらにその事はいつも自分自身のその場、今回の芸術祭
でいえば、札幌で生きている自分自身の場が問われる事
でもあると思う。
その意味でも足利美術館での私の出番のタイトルがすべて
を象徴している。

病躯・老躯に鞭打って頑張ろう・・。

*菅沼緑展ー10月17日(火)ー29日(日)
 am11時ーpm7時:月曜定休。
*ホピ&カチーナドール展ー10月31日ー11月5日

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503



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# by kakiten | 2017-10-15 16:55 | Comments(0)
2017年 10月 14日

心のランドー最前列にして最後尾(18)

ブログの欄外に出てくるランキング欄。
そこに11年前の「さゆらぎて立つ」という2006年
4月6日のブログが載っていた。
なんとなく開けてみると、テンポラリーを今の場所に
決めたばかりのある一日が綴られていた。
発寒川を石狩河口まで村岸、酒井君と3人で追尾した前後
の私の日常だ。
コメントも3通ほど入っていて、人の心の温かい地場が
感じられる。

昨日妹たちの訪問後、故里(ふるさと)の里・郷を考えて
いたから、ああ、この心の地場も小さな俺の故里だなあ、と
思った。
自然とともに共存した故郷ではなく、人はもうひとつ心の
片隅にランドのような磁場を保つ。
かって人は過酷な自然野生と闘い、そこに界(さかい)の
ような緩衝地帯を故郷として創ったのだ。
それを時に風土という言葉で表した。
生きる大地に固有の風景・村落・社会・文化。
日本ではそのゾーンを<お国>と呼んだ。
お国訛り、お国自慢、お国土産・・・。
世界的流通・物流網を基底に、時代はグローバルな世界と
なり、自然への畏怖を前提とする思考から、自然の克服・
制御・防災の社会概念へと変わってきた。
風土という自然と結びついた社会概念は後退し、都市という
人工環境に重点が移動してきたのだ。
個々の個人的風土<家>という概念も薄れ、モノとしての家
という家屋の存在感も都市化とともに消滅しつつある。
では人の心の地場はどこにあるのか。
故里(ふるさと)のように、風土として自然とともに存在し
た社会自然は急速に消えつつある。
しかし消えない、消せない何かがある。
心が意思し継続している源流と河口のようなもの・・・。
例え途中過程がいくらショートカットされようとも、湧き出
し流れて世界へ触れようとする心の泉のようなもの。
そうした見えない力の磁場。
そんなもうひとつのふる里・ランドを、人は今も造り続けて
いる気がする。

11年前今の場所に移る直前のブログを読み返し、思い返し
ていた事だ。

*野上裕之アーカイブー10月15日まで。
*菅沼緑展ー10月17日(火)ー29日(日)
*ホピ&カチーナドール展ー10月31日ー11月5日

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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# by kakiten | 2017-10-14 13:32 | Comments(0)
2017年 10月 13日

里帰りー最前列にして最後尾(17)

茨城県土浦と水戸にいるふたりの妹が尋ねて来る。
急な訪問で吃驚。
姉の方の妹は先年旦那さんを亡くした。
札幌に来るのは二十年ぶりだろうか。
しかも姉妹揃って、この今のテンポラリースペース
に来るのは全く初めてである。
私の今の職場という遠慮もあるのか、慣れぬ環境と
いうのもあるのか、ふたりは程無く帰った。

久しぶりの帰郷。
そこにふたりの故郷はあったのだろうか。
兄は見慣れぬ場所にいて、慣れ親しんだ家業にいない。
百十年余続いた父・母・祖父の家業ではない。
札幌の風景も大きく変わっている。
実家の家屋も今はない。
故郷の故(ゆえ)の根、郷・里は消去されている。
兄に会いに来る縁という<故(ゆえ)>だけである。
お墓参りはしてきたというが、きっと心から寛ぐ
場処はなかっただろうと思う。
ふたりが帰った後様々な感慨が湧いて来た。
小汚いマンションの私の一室。
そこに先祖を祀る仏壇がある。
祖父の代からの多くの精霊がいる場所だ。
お墓もあるが、仏壇背負って流転した長兄の一室も
尋ねてほしいなあ、と微かに思ってもいた。
そして僅かな小さな近況の話をしたかった。
自らの不甲斐なさも含めてそんな微かな痛みに似た
気持ちがあった。

逢いに来てくれた妹たちの<故ーゆえ>の縁は、細
い糸のように宙に浮いて、ほっと大きく寛ぐ里・郷
の風景は無かった。
その哀しみはきっとふたりの妹の心にも、小さな
痛みとして押し隠されてあっただろう。
妹たちには妹たちの故里を離れた<故(ゆえ)>が
ある。
私には私の<故(ゆえ)>があり、現在がある。
そのふたつの<ゆえ>を結ぶ、里・家はもう無い。
しかしそれはきっと見えないけれど在るのだ。
それを話したかった。
きっと男と女の相違はあっても、私が志して闘って
きた場処には見えないそれがある。
妹たちが嫁ぎ先の家を背負うように、私も何かを
背負って今が在るのだ。
駅前通りの家も宮の森の家も三代の家業も今は無い。
同時に生まれた街も家も時代とともに変わってき
たのだ。
そこを生きてる真摯なそれぞれを語り合いたかった。

お帰り
お前たちも色々あったなあ、
俺もこうだったぜ。
久しぶりの故郷・札幌を、どう思う・・・。
なんてね・・・。

語りたかった。

*野上裕之アーカイブー10月15日まで。
*菅沼緑展ー10月17日(火)-29日(日)
*ホピ&カチーナドール展ー10月31日ー11月5日

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# by kakiten | 2017-10-13 15:12 | Comments(0)
2017年 10月 12日

手当て・診察ー最前列にして最後尾(16)

つい最近までアイスコーヒーが飲みたかったのに、
もう暖かい珈琲が恋しくなる。
身体感覚が鋭くなる季節の変わり目。

定期健診で心臓内科に行く。
繭のような大きな機械に寝たまま入り撮影された
自分の心臓画像を見せられる。
医師の説明を聞きながら血脈の流れに注目。
この間マウスを操作する医師と顔を合わす事はない。
透視され編集された心臓と血流が主役だ。
次なる指示を受け診察は終わった。

帰路ふっと思い出していた。
医師が患者の手の脈を取り、目を覗き話しかける。
そんな医師が減っている。
顔色・手首の脈・身体の触診等を経て、身体内部を
診察する。
そのプロセスが電気的機械力によって、手当ては
マウス操作に変わりつつある。
それによって飛躍的に進歩したものも確かにあるのは
事実かも知れない。
見えない身体の内部可視化もその顕著な例だろう。
しかしそれと同時に、人間の想像力に属する体全体
から人を診る診察力は痩せている気がする。

めっきり寒くなったなあと感じる身体感覚から、人は
多くの社会回路を生んだ。
飲み物・食べ物・着るものはじめとしてすべて身体に
関わる多岐な社会分野だ。

一方向の増幅・拡大は、時に隘路を生む。
身体宇宙を基体とする回路を忘れてはならぬ。


*野上裕之アーカイブー10月15日(日)まで。
*菅沼緑展ー10月17日(火)-29日【日)
*ホピ&カチーナドール展ー10月31日ー11月5日

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# by kakiten | 2017-10-12 15:12 | Comments(0)
2017年 10月 10日

量理と料理ー最前列にして最後尾(15)

いつものパン屋でいつも買う品が品切れしていたので、
都心デパート地下のパン屋に行く。
長い大きなフランスパン。
レジに並び順番が来て、すぐ聞かれる。
お切りしますか・・?
私はその日の調子や気分で好きな長さに自分で切る。
そのままで良い。
支払いが終わり、後ろの客に急がされるように
パン屋を離れた。
よくある日常光景だ。
しかしこの日はmawという言葉の多義性・多様性が
頭に残っていたので、考えはそちらの方向に行く。
言葉が本来的に保っている多義性。
その自然性を考えていた。
maw(まゥ)-呼気・風・ハマナスの果実。
言葉の保つ拡がり、発酵のような有機的な淀みが先刻の
パン屋さんの時間にはない。
長くて持ち運びに迷惑だからカットするというある意味
客へのマニュアルはあるが、何故切らないか、何故店の
キャラクターの人物は長いパンを抱えているかといった
会話の糸口時間はカットされている。
閉じる<箱>の時間だなあと思う。

別の日、ある定食屋さんに行った。
初めての店だったが、夫婦ふたりの定食屋さん。
おかみさんがお冷やの量ひとつにも気を配り、
話しかけてくる。
量たっぷりの和風おろしハンバーグ定食。
此処を紹介してくれたMさんのジンギスカン定食は、
もっと凄い量だ。
食事時間はおかみさんの明るい声とともに、ゆったり
過ぎてゆく。
ここでは、開いた<函>の時間が流れていた。

この違いは量(はか)ると料(はか)る理(みちすじ)
の相違なのだと思う。
言葉でいえば量の利と料の理。
量利と料理。
現代は量利社会をまっしぐらに突き進んでいる。
カットされるのは、長いフランスパンだけではない。
線路も階段も建物も土地もそして時間も心も量の利に
ショートカットされる。
そして街も山も海も・・・。
美味しいパン、食事に代表される自然文化と対峙する
時代は、もう来ている。

*野上裕之展ー10月10日ー15日。
 火・木・土・日:am11時ーpm7時
 水・金:am12時ーpm3時
*菅沼緑展ー10月17日ー29日
*ホピ&カチーナドールー10月31日ー11月5日

 テンポラリスペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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# by kakiten | 2017-10-10 17:13 | Comments(0)