テンポラリー通信

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2017年 07月 27日

30,40代の風景ー緑陰(5)

昨夕の岡田綾子・鼓代弥生さんのライブドローイング
「マスク」は通院で残念ながら立ち会えなかった。
しかし今日会場へ来ると、なにか変化した雰囲気が
残っている気がした。
チQ君の作品が先日のライブペイン手イングで変化し
た所為もあるが、多分岡田・鼓代ふたりの女性の残り
香、羽ばたきの空気の痕なのだろう・・・。
F・Bに写真と動画が載っている。
鼓代さんがジャンベを叩き、岡田さんがマスクを描き
それを切り取っている。
岡田さんんの身の動きがなにか今回の展示と同じよう
に空を跳んでいる心地よさを感じた。
ある種の軽やかさが、軽薄ではなく、あるのだ。
そうか、その空気が会場に流れている。
30代、40代の踵の時間。
日常を地として、根の力踵に力の入る、5人の共通した
時間層が籠っていたのだ。
女性は20代とは違う羽ばたきの非日常を、
男はじっと凝縮する根茎の時を内に溜める・・。
このふたつの時間層が個々に閉じず、開いた空気層と
して小さな風を起こしていた。
これも小さな同時代。

個々の作品は場を共有する事で、次第に空間も変容し
風が立っていくようだ。
明日のライブでまたひとつ空間は広がるのだろう・・か。

*5人展「脈」-7月30日(日)まで。
 :28日(金)午後7時~ライブ「脈」トリオ演奏他
  参加費千円

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
会場写真 TemporaryーPhot
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# by kakiten | 2017-07-27 11:53 | Comments(0)
2017年 07月 26日

チQ・ライブドローイングー緑陰(4)

昨夕、チQ君のライブドローイングがあった。
高さ1・8m、幅90㎝の3枚の板が並び、左右2枚は
すでに描かれている。
左は四十歳の誕生日に描かれた最近作。
右は8年前沖縄へ移住を決意した時ここで描かれた作品だ。
その二つの絵に挟まれた無地の板に描いていくライブパフ
ォーマンス。
かって沖縄移住を決め、断念したこの間を見詰める、チQ
君の今がこの先を含めどう描かれるか。
8年前虎が黒い縁取りで浮き出るように描かれた作品は、
ここで板を横に設置し描かれたものである。
今回は3点の同サイズの板が、縦に並んで設置されている。
先に描かれた両脇の2点も含め、どんどん絵の具が重ねら
れ、3点一体の交わりの中で、真ん中の作品も埋められ
ていった。
8年前沖縄へ行くぞ、という爪先に力の入った強い気持は
黒い描線に顕れていたが、今回は肌色の中間色が主色と
なって3枚を繋いでいる。
そして出て来た縦の描線と黒を含んだ赤の黄色い塊が、精子
のように上へと立ち上がって見える。
1時間程のライブペインテングはそこで終了した。
後は会期終了時まで左右を切り捨て真ん中だけに集中して
黒を加え終える予定という。
8年前と同じ場所でのライブドローイング。
爪先の時から踵の時間へ。
そして横軸の空間から縦軸の空間へと描画の対象も変化
してきた。
好漢チQの人の良さだけでは救いきれない生きる軸心
の方位。
8年前のここに残されていた「白虎」と名付けた秀作
を土台に、今回何が見えたのだろうか。
「白虎」はもう塗り潰されて、なにも語ろうとはしない。

*5人展「脈」-7月30日まで。
 平日12時ー午後8時 (土)11時ー午後8時
 (日)11時ー午後6時。
 :26日午後7時~ライブドローイング「マスク」
  鼓代弥生・岡田綾子:参加費五百円
 :28日午後7時~ライブ「脈」酒井博史他:参加費
  千円

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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# by kakiten | 2017-07-26 13:47 | Comments(0)
2017年 07月 25日

5人展「脈」始まるー緑陰(3)

鼓代弥生・チQ・岡田綾子・藤川弘毅・酒井博史の
5人展「脈」始まる。
それぞれの今が見える。
しかし何故5人なのかは、見えない気がした。
5×1=5という、<×1>が見えない。
タイトルとなる<脈>が、本来そうなのだろうが、
脈は前段階にしか感じられない。
それぞれがある種才能を保っている事は、紛れもない
事実として作品の個性に感じる事は出来る。
しかし何故自分以外の他者と表現の場を共有し発表する
のか、その不可視の可能性への試行・視座が薄い。
多分その事を象徴するのは、チQさんの作品だ。
8年前の沖縄へ移住を決めた時、友人の佐佐木恒雄さん
とふたり展の最終日会場で完成させた作品。
それと最近作を左右に置いてまん中に同じ大きさ・同じ
材質の板が置かれている。
ここに会期中作品を仕上げる予定という。
8年前佐々木恒雄さんは、故郷網走への帰郷を決意し、
チQさんは沖縄への移住を決意していた。
その南北に別れるふたりの移住の決意。
その時以来佐佐木さんは、故郷網走で家業の漁師を継ぎ、
画業も切れる事なく作品を描き続けている。
チQさんは、その後沖縄から帰郷し、今だ遠くを見たりが
近くを見たり定まらぬ。
そうした意味でも、今回の設定はもう一度8年前を見据
える決意のようなものが漂っている。
しかしそれは個人の問題で、他の4人と同じとは言えない。
岡田綾子さんの様々な表情の縫いぐるみのような動物、人
の面形は、作者の喜怒哀楽を活き活きと伝えて、彼女の今
を宙に跳ばし、会場に陰影を刻んでいる。
この岡田さんの作品が一番会場に脈絡を施し盛り上げている。
酒井さん、藤川さんの作品は、それぞれ一点づつで、寡黙に
現在の今の自分を独白しているような自己凝視の作品だ。
藤川さんは、古びた掛け軸に廃品から人の足がはみ出ている
時代の死を凝視するような絵画作品を描いている。
酒井さんは「掌」という文字を篆刻し印字した作品。
その前に彫刻家の野上裕之との数年前の合作、野上さんの両手
の彫刻手首断面に篆刻した作品を置いている。
掌の復権がテーマという。
鼓代さんは板に彫りこみを刻み色彩を施した板画抽象作品。
こうしてみると、岡田さんの吹き抜け1,2階を自由に跳んで
いる作品が唯一場と関わっている作品だ。
5=5の並列化を救っているのは、岡田綾子さんの跳んでいる
ような面・縫いぐるみ・妖精のような立体作品であるだろう。

作品とは不思議なモノ・・。
個々の作者はバラバラでも、作品同志がどこか寄り添って
意図せぬ<×1>を醸し出してもいる。
この後行われる3日間のライブで、会場はまたどんな<×1>
を産み出すのだろうか・・・。

*5人展「脈」ー7月30日まで。
 :25日(火)チQライブpm7時~五百円参加費
 :26日(水)ライブドローイング「マスク」pm7時~
  鼓代弥生・岡田綾子ー参加費五百円
 :28日(金)ライブ「脈」pm7時~jazz・唄他
  参加費千円

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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# by kakiten | 2017-07-25 17:25 | Comments(0)
2017年 07月 22日

「石狩シーツ」の先へー緑陰(2)

北海道大学総合博物館吉増剛造展{火ノ刺繍ー「石狩
シーツ」の先へ}の展示準備が始まる。
それに先だって長編詩「石狩シーツ」誕生の石狩河口
で吉増さんが全編朗読を試みるという。
23年ぶりの新たな朗読。
「石狩シーツ」は再びどんな姿を見せるのだろうか。
地球の裏側で明治以降故国を深く抱きしめていた
ブラジル日系移民社会の人たち。
1992年その中で深い亀裂を感じた現代日本吉増
剛造の孤独。
そこから立ち直る為1994年初夏約半年石狩河口
に滞在し、この詩を書いたのだ。
ブラジルへ旅立つ前年秋見た大野一雄の石狩河口
公演「石狩の鼻曲がり」の舞台。
その記憶が傷心の吉増さんを招き寄せたと思う。
今回の「石狩シーツ」朗読は、鈴木余位さん撮影、
牟田口景さん録音で収録され、会場で流される筈だ。

そんな時石狩の主のような、吉増さんに大切な存在
中川潤さんとやっと連絡が取れる、
生粋の山男で北海道を代表する登山家のひとり。
そしてアイヌの自然観を実践する生き方を保ち、今は
石狩知津狩川口に住む男だ。
ちょうど週末は石狩に居るという。
昨年他界した英国の美術家ロジャーアックリングが
滞在制作した時も彼が寄り添ってくれた。
ロジャーは安心して彼に制作撮影を託してくれた。
ロジャーの死後英国で追悼本が編集出版されたが、その
中に私の文章とともに彼の撮影したロジャーの制作風景
も載せられている。
この本の編集者はこの写真に驚き、他の全てのロジャー
の写真を見たいと連絡が来た、
奥さんとふたりの海岸での制作風景は珍しいという。
作家に信頼される大きな包容力。
それは彼の生き方そのものが醸し出す包容力なのだろう。
吉増さんの詩にも何度か登場する稀有な存在である。

中川さんが来るというので、待っていると郵便屋さんが
色紙大の黒い吉増展のフライヤーを配達していった。
あれ、今頃なんで・・・?と思い見ると、吉増さんの
特徴ある文字が英字で躍っている。
うん?とさらによく見ると、なんとニューヨークの
ジョナス・メカス宛のものである。
住所不在で今頃フライヤー住所に戻ってきたのだ。
しかも不思議な事にこの日私は鈴木余位さんのニュー
ヨーク土産に戴いたメカスのTシャツを初めて着ていた
のだから・・・。
メカスと吉増さんの親交は深いものがある。
現在の「怪物君」草稿もニューヨークでメカスが購入
してくれたと聞いた。

「石狩シーツ」の先へ。
大野一雄、ジョナス・メカス、中川潤、石狩と大きく
宇宙の裾野が螺旋系の渦を巻き出したような気がする。

*5人展「脈」ー7月25日(火)ー30日(日)
 pm1時ーpm8時:鼓代弥生・チQ・岡田綾子・藤川弘毅・酒井博史

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
 
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# by kakiten | 2017-07-22 13:46 | Comments(0)
2017年 07月 19日

身{自然)も、心(観念)もー緑陰(1)

ベルリン帰国前日、谷口顕一郎さんが来た。
明年の札幌個展の打ち合わせをした。
私からの提案は、<ケン&アヤ>である。
以前からそういうサインで作品を発表したい
と彼は言っていた。
ただ彩さんの方が少し引いて遠慮している
らしかったのだ。
14年前サハリン経由で札幌から欧州へ向か
ったふたり。
その道中を日々記録した彩さんの日記は、今も
好評で何よりもふたりの大切な精神の糧ともな
っていると私は感じていた。
途中撮られた写真記録とともに、これはふたりの
大切にして原点ともなる記録である。
その事を誰よりも強く感じているのは、他ならぬ
ケンちゃんだ。
従って自分の作品のサインに、<ケン&アヤ>
と命名したい気持ちはよく分かるのだ。
私は来年の個展を機にそれを実現する展示を考え
たらどうか、と提案したのだ。

私は現在週3回腎臓5時間の治療を続けている。
この時間を私は自分の身体集中時間と考えている。
健康時意識が薄かった身体時間。
そのギャップを深く意識して感じるようになった。
例えば正月や祭日も内臓は休み無く働いている。
その為に決まった治療を時間集中して受けなければ
ならない。
すると多くの健康な普通人は訝しげに問うのである。
何故休日なのに通院するのですか・・?
祭日・休日は人間社会が決めた決め事である。
身体の時間は自然時間で、社会的なものではない。
人間は社会的存在であると同時に、先ず身体を保つ自然
的存在であるのだ。
心身一如、心身一体と言葉で表しながら、心という脳内臓
に主眼がいって<身>の方は軽視されがちなのだ。
<身も心も>と身を先に考えるのが、本来の順序という
ものである。
男と女という二つタイプの人間は、いわば<心・身>
というものを内包する人間を顕していると思う。
女性は身(自然ー内臓言語)をベースに、男性は脳(
社会ー筋肉言語)をベースに生きる生物と思える。
そのどちらかに偏重しても、人として不完全なのだ。
人は<身>という自然存在の言葉にも耳を傾けなければ
ならない。
同時に<心>という社会的存在の観念言語にも従わねば
ならない存在だ。
機能低下した腎臓代行治療という通院に、祭日でも?と
いう疑問は、この<心・身>の分離・社会的存在への偏重
から起きる素朴な疑問なのだ。
そうした考えもあった所為か、男性性・女性性の考えも
<身も心も>の問題と感じていたのである。
<ケン&アヤ>とは、男女平等という観念ではなく、人と
して生きるという観点で、最も人間らしい行為と思えた。

クリスト&ジャンヌという先輩もいるじゃないか。
堂々と<ケン&アヤ>で生きて下さい。
ねえ、ケンちゃん、アヤさん・・・!

*5人展「脈」ー7月25日(火)ー30日(日)am12時
 ーpm8時。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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# by kakiten | 2017-07-19 12:35 | Comments(0)
2017年 07月 16日

剛造六腑・・・ー泉=メム(22)

札幌国際芸術祭に吉増剛造さんが参加する事で、こちら
にも色々な余波・波及がある。
2011年から毎年連続した「怪物君」の流れがあるので、
当然といえば当然なのだが、私自身はずっと国際芸術祭に
は距離を置いて来た。
新幹線・オリンピックと並ぶ都市一極集中化の流れと位置
付けていたからだ。
札幌は北海道の東京にならなくても良い。
東京化という近代化とは、一線を画すべきと思うからだ。
しかし吉増剛造となると、彼の今邁進している仕事は、その
近代の裾野を抉る五臓六腑ならぬ剛造六腑の脳内臓腑消化・
吸収・咀嚼開示の全身行為で、その真摯な表現に嘘はない。
3・11以降「石狩河口・坐ル ふたたび」で始まったここ
での展開は、明治開国と昭和の敗戦のふたつの日本の近代化
の裾野を問い、立ち上げる全身全霊のラディカルな仕事だ。
六番目の臓器・脳の、知の咀嚼・分析・吸収を、自らのカメ
ラで生々しくドキュメントのように記録し提示する全身・全
霊の実践記録。
それは正に知覚による心の食物を、脳の唾液・胃液・腸液が
咀嚼・分解・吸収する詩人の格闘現場に立ち会う稀有で露わな
内臓言語の磁場宇宙であるからだ。
吉本隆明の最初期詩集1950ー51年「日時計篇」を、戦後
近代の原点素材として詩人は全身全霊の咀嚼・吸収を実践して
、今という時代を噛み砕こうとしている。
この非常にラディカルな行為の記録は、立ち会う事にこそ意味
がある。
描かれた草稿は身体の食材のように、残骸化し晒される。
吉増剛造は1994年「石狩河口/坐ル」展で、明治以降の近
代化の原点と向き合い、2011年3・11以降戦後昭和近代
とふたたび向き合い、対峙している。
それは自らの、産まれ生きて来た時代そのものを裾野から問い
立ち上げる孤独で直向な個の公開行為なのだ。
私はただただ立ち会うしかない。
そこには国際も芸術祭もない。
あるのは札幌という近代を生きてきた自分自身の現実の総体・
すべてである。
この間札幌響文社より出版された「根源乃手」に続き、同
出版社より続編ともいえる「火乃刺繍」が今秋出版される。
出版不可能と思われたこの数年の一連のここでの仕事が、見事
な造本・製本により2冊の書物となる。
そして札幌国際芸術祭での展示は北大総合博物館で来週にも
展示が始まる。
タイトルは「火ノ刺繍ー石狩シーツの先へ」。
大きな円環を見せるように、「石狩河口・坐ル」展で生まれた
長編詩「石狩シーツ」の彼岸を見据えている姿が見える。
大きな螺旋構造を感じる。
全身詩人の、喉の奥の螺旋だろうな・・・。

*5人展「脈」-7月25日(火)-30日(日)
 am12時ーpm8時

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き 
 tel/fax011-737-5503

との格闘現場
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# by kakiten | 2017-07-16 15:49 | Comments(0)
2017年 07月 15日

心身ー泉=メム(21)

漢字で書くと、<心身>・・と心が先に置かれるが、
ヤマト言葉で書くと、<身も心も・・>と身が先に
置かれる。
意味する事からいうと、後者の<身も心も>の方が
なにかしっくりくる。
時に英語で、フイジカルーメタフイジカルなどと云
う事があるが、その意味の説明には<身も心も・・>
が一番しっくりくる感じがする。
文字が中国から輸入され、ヤマト言葉は初めて文字を
もち表現される。
その時音訓両用の使い方が生まれ、文字もまたひらかな
仮名文字が生まれた。
ただの真似・模倣ではなく、消化し工夫した文化の力だ。
もし私が先に記したように<心身(シンシン)>よりも
<身も心も(みもこころも)>により共感性を感じると
すれば、私の中のヤマト言葉が生きているからだ、と思う。
ましてフイジカルーメタフイジカルという英語よりもっと
体温に近い。
そうした身体に本来馴染む言葉を、我々は随分粗末にして
はいないだろうか。
横文字を使ってなにか最新で格好良く浮き足立っている。
大体<横文字>という言葉ももう死語となりつつある。
解らない言葉の代名詞の総称がヨコモジだったが、街中
横文字表記だらけの時代である。
日本語すら縦書きは少なく横表記が全盛なのだ。
言葉の魂の種子が日常の土壌に深く深化せず、流行りの風
に吹かれて空に舞い、消えてゆく。

言葉だけがそうした状況に在るわけではない。
<心身共に>そうした状況に、自然・社会両環境において
置かれている気がする。
<身>は、この異常気象の常習化に、<心>は両極の貧富
差そして再びの<ノーモア>と横文字化される戦後近代の
不安に晒されている。
移動・移住・移民の主体性を喪失した心の難民状況が、都市
に始まり村落にまで、ノーモア・フクシマの戦後近代の波は
押し寄せているのだ。
<身も心も>挺して、私たちはその最前線で闘わねばならぬ。
極めて日常の個的最前線で、その闘いは闘われてあるのだ。

*5人展「脈」ー7月25日(火)ー30日(日)
 am12時ーpm8時

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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# by kakiten | 2017-07-15 15:46 | Comments(2)
2017年 07月 14日

歯医者さんー泉=メム(20)

朝のフランスパンに始まり、歯応えあるものが
好きだ。
おかずを挟みガリガリ噛みしめる。
そして熱い紅茶をグビリ・・・。
一気に固いフランスパンが柔らかく溶ける。
そんなある日固い異物が口に残った。
被せた奥歯が外れたのだ。
いつもの歯医者さんに治療に行く。
円山時代徹底して予防治療を教示してくれた
敬愛する歯医者さんである。
網走出身で同じ網走の美術家佐々木恒雄さんの
月夜の漁師と舟の絵を今年購入してくれた。
その絵は今も治療台の前に展示されている。
そこで昨日は約2時間新しく被せる歯を調節し
嵌め込んだ。
何度も微調整し噛み合わせをスムースにする。
欠けた元の歯の亀裂に沿って幾度も幾度も調整
が繰り返される。
あくまで自歯を基本に補強する姿勢は、歯ブラシ
の磨き方、糸クロスの使用と予防を重視した
最初の治療姿勢と今も変わらない。
何度も歯の亀裂に合わせた調整作業、小走りに
治療台と研磨台を往復する先生を感じながら
ふっと谷口顕一郎さんの凹み彫刻を思い出して
いた。
路上や壁の亀裂をトレースし彫刻に仕上げる
彼の姿が、どこか歯医者さんの真摯な作業と
重なっていたのだ。
勿論目的は違う。
しかし亀裂を見詰めその形容をひたすらに
見詰め再生する姿勢は同様の真摯さが感じ
られるのだ。
芸術の事をファインアートと呼ぶ場合がある。
この時アートとは職人芸という意味で、それに
ファインがかぶさって、用のものではない美、
芸術という意味となるのだろう。
彫刻家と歯の医師は、アートの部分では同じ位
真摯に凹み・亀裂に対峙している。
何時かこの治療台に谷口さんも座したら良いな
あ~と勝手に思っていた。
オホーツクブルーの佐々木恒雄の絵画の前で
谷口顕一郎さんや中嶋幸治さんが目を瞑って
口中の海を漕ぐ歯医者の櫓の捌きを感じつつ
背を立てて見開いた目の前にオホーツク海の
青が広がる。
手仕事の真摯さを共有する不思議な治療経験
となる気がする。

*5人展「脈」-7月25日(火)ー30日(日)
 am12時ーpm8時

 テンポラリスペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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# by kakiten | 2017-07-14 12:52 | Comments(0)
2017年 07月 09日

離れていても・・・ー泉=メム(19)

ベルリンからT君夫妻の訪問。
インド、台湾の仕事の流れで札幌にも里帰り。
13年前サハリン経由で欧州へ向かったふたり。
昨年札幌でもH・S賞を受け彫刻美術館で個展も
開いている。
そして茅ヶ崎在住のT氏も岡崎文吉繋がりで、友人
のK氏とともに訪れたいと連絡がある。
そういえばT君の個展では、旧琴似川を辿り、茨戸
に遺る岡崎文吉の自然工法護岸跡も作品の素材とな
っていた。
T氏から添付された岡崎文吉終焉の地茅ヶ崎自宅に
遺された死一年前1944年{昭和19年)建立の
生前墓碑の写真。
遺族に了解をとってあらためて全碑文の写真を私に
送りたいと記されていた。
私はご遺族にT君の茨戸での岡崎遺跡作業写真と仕
上がった作品展示の図録を送りたいと返事する。
百年の時を超え岡崎文吉の自然工法護岸の痕跡と現代
の彫刻作品が交響する。
茅ヶ崎ーベルリンが札幌を経由し、それぞれの作品が
響き逢うのだ。
<想いは現実、現実は想い>(大野一雄)
大野先生、♪ テーク、マイハンド、ですね・・・。

T氏とは残念ながら今回時間が合わず会えなかったが、
T君夫妻とは二度会い、話が弾んだ。
奥さんのAさんは10日にはドイツへ帰国し、T君は
札幌での仕事打ち合わせで17日まで居るという。
Aさんとはベルリンでの彼女の仕事もあり、そう何時も
札幌では会えない。
今回は特に最初に訪れた時展示の三人展「なんのため
にあるのか」のひとりIさんが彼女の書いたサハリンー
シベリア大陸横断の日記を読み興奮して迎えてくれた事
もあり、印象深い故郷だったと思う。
帰り際いつもよりジッと見詰めていてくれた姿が心に残る。
今回二年ぶりだったが次は何時になるかなあ。
K&A、素晴らしい夫婦コンビである。
そして時空を超えて明治の治水学者岡崎文吉の川の蛇行を
基本概念に置いた自然工法護岸跡と平成の彫刻家の作品が
魂の交流を交わす機会が生まれた事も嬉しかった。

真の国際交流とは<おもてなし>ではない。
作品が人が境を越え、魂の交流を交感する事だ。

*5人展「脈」ー7月25日(火)ー30日(日)am12時
 ーpm8時予定。参加作家:鼓代弥生・チQ・藤川弘毅・岡田
 綾子・酒井博史。
*及川恒平×古館賢治ライブー7月中旬


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# by kakiten | 2017-07-09 14:14 | Comments(0)
2017年 07月 04日

過ぎてゆくものー泉=メム(18)

なにかで読んだ事がある。
人は何時人となったのか。
人類以前のふたつ猿人の化石を調べ、そのひとつに
添えられた花の化石が見つかったという。
弔う気持ち、それが人類の先祖の証(あかし)と
書かれていたように思う。
事実かどうかは別にして、なんとなく納得した記憶
が残っていた。

過ぎゆくものを惜しみ悼む気持ちは、人特有の精神
と思うからだ。
人は人だけではなく共に過ごす日常のさまざまなモノ
たちにも、そうした愛情を抱いてきた。
そこに新旧の過激な差別・区別はない。
新しいモノは新しいものとして、古くなったモノは
古くなったものとしてそれを愛おしんだのだ。
きっと人は人と同じ命をそこに見ていたからだろう。
絹の衣装にも木の箱ひとつにも、人の手が重なり人の
手が触れ創っている。
その過程の記憶が、モノに命を宿らせるのだと思う。
ある時代まで人は、間違いなくそうして自らの生の
日常と重ねてものと接してきた気がする。

先日終わった三人展「なんのためにあるのか」のひとり
桑原菜穂さんは、群馬の出身で生家の実家にはかって
お蚕(かいこ)さんの棚が在ったという。
絹の故郷だ。
日本近代初期唯一の輸出産業が絹織物である。
絹の道を経て横浜へ。
それこそ異人さんのもとへ海を渡ったのだ。
やがて安価で大量生産の化学繊維に押され廃れるが
、絹織物を培った女工さん、織姫たちの手の命は、
桑原さんの展示した百余年前の打ち掛けに間違いもなく
宿っていた気がする。
蚕と人の手が糸で繋いだ絹の纏いもの。
その過程こそがきっとモノに命を宿らすのだろう。

森羅万象、すべてが過ぎゆくモノである。
しかし過ぎゆく<時間>すら、記憶の炎となって
時空の小宇宙に命を宿すのだ。
白い空き函の中で、ふっとそんな事を思っていた。

*5人展「脈」ー7月25日(火)ー30日(日)
 正午ー午後8時。:鼓代弥生・チQ・岡田綾子・藤川弘毅
 ・酒井博史。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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# by kakiten | 2017-07-04 15:28 | Comments(0)