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2016年 11月 30日

集中力ー茨(イバラ)・戸(ト)(10)

6年間毎冬続いた吉増剛造展、「怪物君」に至る展示。
今年その集大成、東京国立美術館での大個展を控え、札幌は
中止と予告されていたが、ここに来てさらなる飛躍が見え始め
急遽次回展示の申し入れが最近あった。
ネオ怪物君の制作も始まり、札幌での大きな展示も今夏予想
され新たな展開に至ったようである。
2010年「石狩河口/坐ル ふたたび」から展開された
連続展のテンポラリースペースでの新たな展開でもある。
この並外れた集中力に惹き連られたのか、もう一つの恒例の
冬の定番ガラス作家鷹臣大介氏の千本を目指す「野傍の泉池」
展の日程を空けておく配慮がこの間不足していた。
結果的には吉増展は二転三転し1月末からの展示は消えたのだが、
1月末か、2月初めにいつも予定されていた高臣大介展は今年パリ
行きで跳んでしまう事となる。
パリ行きはパリ行きとして祝うべき事だが、10年以上続いている
真冬のガラス展が途切れるのは、彼のライフワークとも絡んで誠に
不本意を覚えるものである。
高臣大介氏には詫びねばならぬ・・・。

それにしてもある種天才の集中力は凄いと思う。
ご指名の共同展示者S氏とMさんも引きづり回された感があり、
S氏は飛行機予約直前で展示期変更通知が間に合った。
Mさんは二度にわたる打ち合わせ訪問予定に合わせ、極上ワイン
を購入しそれがお釈迦になっておかんむり・・・。
その事を伝えたら、3通の未着faxに留守録、そして速達を
含む2通の手紙が届いた。
極上ワインとMさんにも強い執着力をみせるエネルギーに、私は
心撃たれ、唯々感心するばかりだ。
どんな高名な大美術館より、小さなボロ画廊に筋を通す原則力、
そして集中力・執着力・・。
さらにワインと美女に見せた畳み込むような通信量力。
真の天才とはこうしたものか・・と感慨を禁じ得ないのだ。

この力を借りて茨・戸への邁進力を、暫し得た気もする。
個の力、身体エネルギーは偉大である。
身体外ー疑似エネルギーに、この力はない。

*川俣正TETRAーHOUSE326展ー12月22日(日)まで。
 am11時ーpm5時:月曜定休。
*森本めぐみ展「百年の予定」ー12月29日ー1月3日
 am11時ーpm5時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
 TEMPORARYーPHOTOーtemphoto.exblog.jp
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by kakiten | 2016-11-30 14:48 | Comments(0)
2016年 11月 29日

恒なる闘いー茨(イバラ)・戸(ト)(9)

生命を維持する五臓六腑は、身体内部で食物を吸収し分解し体全体
に供給し続けている。
そして身体を取り巻く外部環境は、社会的インフラとして光・水・
熱を網羅・供給する。
その維持管理総体が生きる事の根源にある。
五臓の一つを患い闘病生活を送りながら、腹筋・両脚倒立、足首
回転と寝ながら出来うる事を欠かさない。
しかし社会的インフラの血液ー金銭の欠乏は時として供給遮断の
容赦ない処置もある。
そして身体内部ー外部両域の闘いの上に、意識・思想という第六
の人間にとって欠かせぬ精神上の闘いがある。
身体維持次元の固有な病の闘いと、社会次元の同時代の闘い。
人間はこのフイジカル・メタフイジカルの両面の闘いを人生と呼ぶ。

今東京現代美術館が長期改修工事で休館中、美術館の位置する
深川ー清澄白河ゾーンを主題に町中であちこち展示を企画して
いると聞く。
首都の上から目線で、最近地方創生とか声高なかけ声が聞こえるが、
東京自体江戸という自らの地方を見詰めるべきだと思っていた。
江戸城が皇居となり、江戸が東京となった明治近代。
そこから軍国主義の国粋化が進み、東京は帝都と呼ばれた。
今も東京主体の帝都・首都構造はそんなに変わらない。
首都・東京を起点に、新幹線だ、五輪だ、国際化だと帝都・東京
にすり寄る地方植民地現象が多いのだ。
札幌などはその最たるものと思う。
固有の自然・風土が磨り減って、同じファッションの都市風景が
風俗と化している。
個々の身体が保つ固有の内部環境より、外部環境の総体性にばかり
眼を注いでいるからである。
先ずは自らの身体性に立脚すべきと思う。
自らに合う水・光・熱。
言い換えれば生きている場・風土の水・光・熱の再発見だ。
江戸には江戸の水・光・熱がある。
その風土性・身体性こそが固有の文化・地方である。

東京現代美術館が一年間休館中、自らの足元、深川ー清澄白河を
見詰め街のあちこちに出没し展示してゆく試みは良いと思う。
文化は自耕する、cultureは耕地が本来の意なのだから・・。
そして身体も、個固有の内なる耕地である。

電気(光)水道(水)ガス・灯油(熱)切られても、身体は負けないぞ!

*川俣正TetoraHouse326展ー12月22日(日)まで。
*森本めぐみ展「百年の予定」ー12月29日(木)ー1月3日(火)
 am11時ーpm5時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
 TEMPORARYーPhotoーtemphoto.exblog.jp
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by kakiten | 2016-11-29 14:13 | Comments(0)
2016年 11月 26日

一点突破ー茨(イバラ)・戸(ト)(8)

ぽっんと点のように生きている。
しかし断絶はしていない。
滲みが世界に触れている。

吉増剛造さんから速達封書が届く。
展示会期延期の提案。
来年3月後半以降との事だ。
今回展示の信頼するパートナーの予定が詰まっている
のが最たる理由だ。
早速こちらも1、2月展示恒例のガラス作家高臣大介
さんに電話する。
すると今札幌なので、これからこちらに来るという。
金髪高足下駄の大介氏、1月末からパリへ行くという。

なにかみんな動き出している。
予定は未定、未定は新たな予定となって、今年年末から
明年にかけ、なにか象徴的な「百年の予定」展が始まる。

ぽつんと点が滲むように生きている。
滲んだ回路に触れる世界がある。
茨(パラ)戸(ト)。
一点突破ー広い海へ。
俺の年末・年始ー戸口に触れているー滲み・・。

*川俣正TETRAーHOUSE326展ー12月27日ー1月22日
*森本めぐみ展「百年の予定」ー12月29日ー1月3日
 am11時ーpm5時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2016-11-26 14:54 | Comments(0)
2016年 11月 25日

kuma3clubの集いー茨(イバラ)・戸(ト)(7)

久し振りに山里さんの「北海道の木彫り熊」出版に
合わせ結成されたkuma3clubの集まりに出る。
10年を機に今年一杯で閉店する居酒屋ゆかりに集合。
店主の宇田川洋氏に山里さん所有の木彫り熊を贈呈し
みんなで記念撮影する。
2006年テンポラリースペースが5月、ゆかりは6月
と相次ぐこの地での偶然があった。
自然と展示オープニング後の二次会はゆかりとなって、
多くの想い出を育んだ。
中でも、伊藤邸高層ビル化に反対する「札幌緑の運河
エルムゾーンを守る会」の結成と反対署名運動では、宇田
川さんと、深い絆で行動を共にしたのが忘れられない。
木彫りの熊も美術家山里稔さんが、ひとりこつこつと初期
中期の木彫り熊を蒐集し、一冊の本に纏めかりん舎より出版。
そして本の即売と木彫り熊の展示をテンポラリーで催した。
初日から驚くほどの反響で、開廊前から人が前に並んで、高額
な本が会期中数十冊も売れるという事もあった。
そうして展示と作家の二次会はいつも居酒屋ゆかりで、美味な
お総菜、良いお酒とともに忘れられぬ流れがある。
初めて行った吉増剛造さんは、もう今日はここに泊まるかな~
と冗談を言い、砂沢ビッキの彫刻を撫でながら寛いでいた。
当時高校生だった文月悠光さん、久石ソナ君は入口前で私達は
失礼しますと、心残りを見せながら踵を帰したのも今は懐かしい。

東大名誉教授でもある宇田川氏の心意気と、色んな分野の志ある
人の心とが、名脇役千鶴さんの料理・名酒と合わさって展示や
ライブの後の緊張感を快く解く場であり続け発信地のひとつでも
あったと思う。
フォーク歌手の及川恒平さんや明年三浦綾子文学館の館長にもなる
田中綾さんの寛いだ笑顔の写真も残っている。
10年一昔、濃い10年だった。
病を得てからここ1年居酒屋から遠のいた私だが、久し振りに飲ん
だビールの味は喉に沁みた。
引退の無い私は酒は断ってもライフワークの今の仕事に終わりはない。

*川俣正Tetra-House326展ー11月29日ー12月25日
*森本めぐみ展「百年の予定」ー12月29日ー1月3日
*吉増剛造展ー1月21日ー2月19日予定。

 テンポラリースーペス札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2016-11-25 13:34 | Comments(0)
2016年 11月 24日

寒気廊ー茨・戸(イバラ・ト)(6)

降り積もる雪は少ないが、寒気鋭く身に刺さる。
画廊の水道管が今季初めて凍結している。
2台ある石油ストーブの一台が電源コードが千切れ
役に立たない。
Mさんが中古店で大型のアラジン式石油ストーブを
見つけ持って来てくれた。
野外で工事の人が使うというものだ。
早速これに点火し暫くすると、凍結した水道蛇口から
水が滴りだし回復する。
気持ちが落ち着いて、昨日遅れ夕刻来てくれたN君と
展示を終えた「川俣正テトラハウス326」展を改めて
見渡す。
フイルムネガを拡大コピーし繋ぎ貼り合わせた巻物状
の記録写真だ。
一軒家の内外に廃材を張り巡らす作業の人と状況が活き
活きと展開し浮き上がる。
丸められて癖の付いた端々を虫ピンや画ピンで押さえ、
壁に拡げた。
乾燥し撓み、丸まっている紙の表情が、時の経過を伝える。
しかし古びる感じはしない。
人の熱気が活きている。

何時の間にか都市構造の中で分離され閉じられていく<住む>
という生活行為。
人間にとって最もラデイカルなこの行為の原点に風穴を開け
るように、川俣正のインスタレーション行為が存在した
からである。
<住む>を剥離された都(みやこ)を都心と呼び、<住>は
郊外へと分離・分断される。
そうした郊外住宅地の一軒が内も外も廃材インスタレーションで
再構成された空間。
そこに人が集い小さな村のようになって、あたかも<住めば都>が
復活したかのように、<住>の地軸が復権していたのだ。
<住む・棲む>という行為の内側には、人間の<生活>の原点がある。
<生>は内なる中心に即した<生きる>であり、<活>は外界へと向か
<活きる>で活動・生業と思う。
そこが一本の主軸となって<住む>は<都>という中心軸となるのだ。
川俣正の仮設行為・インスタレーションは、ひと夏その都ー中心軸を
創っていたと思う。

美術・芸術それ自体がひとつの仮設である。
しかしそれは夢・幻ではない。
人間本来が保っている正夢なのだ。
時代・社会が時として、この正夢を分断する。
今の時代で言えば、住むのは都外、仕事は都心と都が分離されるのが
現実である。
そこでは人が住むという価値観より、経済価値という土地価格が
棲み着いて席巻しているからだ。
そこから<住む>が空洞化した<都心化>現象が起きる。
同時に<住む>が<棲む>化した郊外団地・住宅地が構成される。
そうした状況下で川俣の仮設行為は、<都>という中心軸を<住む>
行為の内に脈打たせ、顕したのだ。

茨・戸ーパラトーパラ(広い)ト(沼・古語で海)へ向かおうとする今、
川俣正のプロジェクトを私は多分時代の風穴の原点として見詰めている。
戸口を求めて、茨(イバラ)の戸口へ。

*川俣正Tetra-House326展ー11月29日ー12月25日
*森本めぐみ展「百年の予定」ー12月29日ー1月3日:月曜定休。
*吉増剛造展ー1月21日ー2月中旬

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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by kakiten | 2016-11-24 16:19 | Comments(0)
2016年 11月 22日

氷雨降るー茨・戸(イバラ・ト)(5)

川俣正テトラハウス326プロジェクトドキュメント展の準備をする。
住宅街の一軒家を廃材で梱包した1983年インスタレーション
の記録である。
このプロジェクトは川俣の作家としての出発点の一つともなった。
そしてそれは同時に何の変哲もない日常風景が、一夏風穴を開け、
熱い疾風のような時をもたらした稀有な時間・空間でもあった。
私にとっては暗渠化された見えない川・界川の豪雨による氾濫という
自然現象とこの川俣正の家を梱包した作品過程の経験は、その後の
生き方の基盤ともなった事件である。
今新たにパラトへという石狩への茨・戸への視野が、吉増剛造の
「ネオ怪物君」とともに浮かんでいる時、その原点には界川の氾濫
と川俣のテトラハウスがある。
この原点を札幌の真の意味での入口・出口、茨戸(パラト)で
再構築して見てみたい。
そう思って今川俣正を展示している。

30余年も前の写真図録はもう丸く癖がついて思うように壁に
定着しない。
寒さで手が固まり、難儀する。
頼んだN君は今日の氷雨で来れないようだ。

*川俣正テトラハウス326プロジェクト展ー11月29日ー12月25日
*森本めぐみ展「百年の予定」ー12月29日ー1月3日
 am11時ーpm5時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503 
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by kakiten | 2016-11-22 15:54 | Comments(0)
2016年 11月 20日

際(キワ)を知るー茨・戸(イバラ・ト)(4)

円山地区を中心に円山村ー藻岩村ー桑園と酒井博史
さんの案内で消えた村境を歩くツアーがあったという。
こうした試みは、身の回りの小世界がかって固有の空間
として、のっぺり均一化した世界ではなく、文字通り
際(キワ)立つて感じられる貴重な経験となっただろう
と思われる。
大上段に国際芸術祭などと構える前に、自分自身の
身の回りの小さな国(クニ)際(キワ)を認識するべき
なのだ。
さすがタウンボーイ、活字職人・酒井博史と思う。
活字文字ひとつを拾い組み立てるように、街角の
曲がり道ひとつにも心の手が通う。
そうした歩行の一足に消えた村境の点が浮き上がり、固有
の見えない地形・自然が息づいてくる。
境界は隣界(村)との自然の有機的関わりに存在する。
今は微かに感じられる土地の高低差が川の流れを生み、
引いて俯瞰すれば山岳地帯と低地・平野地帯の境目とも
成ってゆく。
デイテールの差異から、マクロの際(キワ)が見え
てくる。
ミクロからマクロへ、それは人間の最も優れた有機的な
感知能力なのだ。
デイテールに触れる毛細血管のような、手仕事・足仕事
を機械に任せ身体移動の結果だけでは、本当の<際(キワ)
立つ>経験は見喪われる。
新幹線だ、自動車だ、地下鉄だ、で際が立ち上がる事はない。

自然が生む境界のひとつ、川。
都市化によって消えた川跡を主題に、それぞれの表現者
の作品を繋いで、川の流れを再生する試みを1989年
に催した事がある。
「’89アートイヴェント界川遊行」である。
暗渠化され、ショートカットで分断された川の流れを、
かってその傍に暮らした住民の記憶、建物、川の道を繋ぎ
約1キロ道沿い参加作品が流れを創った。
それらの場・作品を見る為に費やされた多くの人たちの歩行
の足跡こそが、水ー流れる川となっていた。
そしてその後真に水の見える源流へ、河口の海へという行動
を招き寄せ、上流の村、下流の村、延いては石狩国という
マクロな視座を保ち、源流の山岳地帯、下流の石狩・日本海
へと作品制作の泉・磁場は展開してゆく。
それはそのまま、このテンポラリースペースの歴史でもある。
タウンボーイ酒井博史さんの、活字職人らしい、街のデイテール
を埋める消えた村境を案内する話を聞いて、27年前の事も想い
出していた。

*森本めぐみ展「百年の予定」ー12月29日ー1月3日
 am11時ーpm5時。
*吉増剛造展ー1月21日ー2月12日予定。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2016-11-20 15:23 | Comments(0)
2016年 11月 19日

頭を上げて・・・ー茨・戸(イバラ・ト)(3)

文月悠光さんの初エッセー集「洗礼ダイアリー」、
久石ソナ君の第一詩集道新文学賞受賞の「航海する雪」
森本めぐみさんの育児ブログ、そして一作日送られてきた
吉増剛造さんの新たな「ネオ怪物君」映像と、どれも触れ
なければと思いつつ気が散っている。
週末、週3回の透析治療の疲れが溜まっているようだ。
ブログ小見出しトランプ現象は鬱陶しいので、茨・戸(イ
バラ・ト)と変える。

茨戸とは、消えた札幌川が地下から顔を出し伏籠・伏古川と
して姿を顕す処。
そして石狩川と合流し河口となるパラト(広い沼)・茨戸。
明治の治水学者岡崎文吉の自然護岸工事跡単床ブロックが
遺る処でもある。
毛細血管のように西南の山岳部に発した札幌の大小の川が
扇の要のように茨戸に集結して、大動脈・大静脈石狩川と
合流するのだ。
河口は、入口・出口、動脈・静脈を司る心臓のようだ。

文月さんが「洗礼ダイアリー」に書いている。

 多くの男性は女性のように日常的に身体性を自覚する
 機会がない。言ってしまえば、男性は身体性が限りなく
 薄いのだ。

以前内臓から発する言語を女性言語、筋肉から発する言語
を男性言語と分類し書いたことがある。
百年以上前に河川の氾濫災害を防ぐ為、治水学者岡崎文吉は
自然河川の蛇行を活かした自然工法で護岸工事を行った。
しかしその自然工法はより工期の短いショートカット工法に
負け北海道を去る。
英文で学会に発表されたその自然工法論文は後に敵国となる
アメリカ・ミシシッピー川で即座に採用され、今も造られ使
われ続けている。
岡崎の自然に沿った工法が言わば自然の身体性に添った工法
であるなら、女性的とも言える。
そして効率を重視したショートカット工法が、川の自然蛇行を
無視した身体性の薄いものとすれば、男性的とも言える訳だ。
しかし岡崎文吉の自然への畏怖・敬意という哲学として考えれ
ば、そこに男性性も女性性も関係ない思想の問題が浮上する。
百余年前の治水学者岡崎文吉の挫折とその栄光は、今も我々の
目の前に突きつけられている普遍的な同時代の課題である。
アメリカの次期大統領トランプ現象に顕れた民意は、痩せた
中腹・裾野からの頂上部へのストレートな逆襲とも思える。、
それは言わば貧富のショートカットを目指した底・中間層から
の氾濫だったとも思えるからだ。
裾野・中腹が痩せ細り頂上部と繋がるタワー状の形態とは、正に
ショートカットされた河川の姿である。
自然の身体性を重視すれば、自然の野生が露わになる。
効率を重視する知性には、自然を無視する暴力が生じる。
そのふたつの界(さかい)を熟思する思考を知恵と言うのではないか。
治水学者だろうと、俳人だろうと画家だろうとジャンルではない。
生きていく人間の深い知恵・哲学である。
社会的に言えば里山も故郷もそうして造られて先人の文化なのだ。
その優れた中間ゾーン・界(さかい)の喪失こそが、今も同時代の
主題であり、男女を問わぬ人類の課題であるだろう。

かって河口は新世界を目指した移住者の入口・出口だった。
ネーション(故国)を去って、新天地(ランド)を目指した人たち
にとって、そこは大きな広い世界への夢の戸口でもあった。
そして同時に苦難と困難の続く茨の道でもあった筈だ。
今新天地(ランド)はランドフイルの地となり、内陸の塵芥場、ペッ
トの焼却炉とも成っている。
入口・出口はショートカットされた、より都市に利便性の高い飛行場
や駅に取って代わられ、内陸中心部と直結している。
ショートカットの思想は、河川だけに留まらない。
建物・交通・通信を含め都市構造そのものがショートカット構造
に満ちあふれているのが現実だ。
中間層の崩壊とは、このショートカット構造そのものの結果でもある。
近代をこの視点から、もう一度再構成するように茨・戸口から見つめ
直してみたい、そんな気持ちが猛然と湧いてくる。

*森本めぐみ展「百年の予定:ー12月29日ー1月3日
 am11時ーpm5時。
*吉増剛造展ー1月22日ー2月12日予定

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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by kakiten | 2016-11-19 16:31 | Comments(0)
2016年 11月 16日

野望と希望ー茨(イバラ)・戸(ト)(2)

見上げれば首の痛くなるような高さ、タワービル。
最上階に住む事がステイタスだ。
しかし身体はどうやってそこに上るか。
電気力の力を借りて指先操作で上る。
身体消耗は極力温存・制限。
そしてその内部は風も光も電気力で調整されている。
生活も交通も電気エネルギーに支配され、人はそれを
快適と信じ成功者の証と見る。
壁のように聳え立つタワービル。
瞼のない眉毛のない平面的な窓ガラス群。
垂直昇降装置、調整された空気・光。
人間自体が冷蔵庫・温蔵庫の中の生鮮物のようだ。
そうした環境に夢見る憧憬を希望とは呼ばない。

新幹線に特化される交通網。
タワービルに特化される都市構造。
すべてが高く、すべてが速く、直線的な構造である。
山の形態で言えば、裾野・中腹に林立する痩せた電波
中継塔の姿をしている。
そんな意識構造を人間も保つなら、その人間の憧憬を
希望とは思わない。
それは希望ではなく、野望というものだ。

人のエネルギーは基本的に身体にある。
その身体エネルギーの延長上に道具という物が存る。
しかし何時の間にか、身体エネルギーの延長ではなく、
道具自体が身体エネルギー以外のエネルギー源に依拠し
膨大な力を保つようになった。
石炭・石油・原子力等地球資源に拠る電気力である。
人にとっての欲望はやがて人間の身体エネルギー以外の
エネルギー支配を目指す方向性に向かって行く。
希望は野望と代わり、痩せた裾野・中腹は上部と下部に
引き裂かれトランプ現象を胚胎し、裾野・中腹の陥没現象
が社会・自然の至る処で勃発し出しているようだ。
過剰な便利・快適に逆らい、どこかで人は人のエネルギー
に立ち戻らなければならない。
文化・芸術・哲学こそ、その原点があるはずだ。
効率・利便原則の対極に位置するヒューマンスケールを
磁場とする思想こそが必要なのだ。

宮崎駿とコンピューター動画の制作者との怒りの対話を
TVで見た。
宮崎曰くー生命への尊厳が感じられない!ー
生命とは正に身体エネルギーそのものへの尊厳である。
我々は本質的に怒らねばならない。
瞼の消えた眉毛の消えた頭部の見えないタワービル群
途中駅とともに裾野・中腹切り捨て新幹線。
生命の尊厳・身体エネルギーの尊厳・身体の命(ミコト)
への尊厳・人間尺度の復権・・・。
それは人間以外のあらゆる生命体・自然現象の回復にも
直結する回路・際(キワ)の回復に繋がるのだ。
ショートカットされない蛇行する河川、社会と自然の間
の森・山、昆虫、鉱石、樹木の分布といった際(キワ)の
界(さかい)・・・。
身の丈を知る、界という世界の回復である。

*森本めぐみ展「百年の予定」ー12月末~1月初旬
*吉増剛造展ー1月中旬~2月初旬

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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by kakiten | 2016-11-16 14:49 | Comments(0)
2016年 11月 13日

トランプ現象・陥没ー茨(イバラ)・戸(ト)(1)

アメリカ大統領選挙トランプ勝利の内側には、隠れトランプ
が大勢いたと報道されている。
それは従来中間層と呼ばれた人たちのようである。
この層が声もなく地滑りするようにトランプに投票した。
なにかイメージとして、福岡博多の道路崩壊が浮かぶ。
そして杭打ちの不足した高層マンションや、生産地偽装の
高級料理、その他の空洞化した色んな分野の共通する現在
を思う。

かってトーストにハムエッグ、トマトジュースのような
アメリカ中流家庭の普通の朝食がまぶしかった時代があった。
夫婦・子供のキラキラした平均的な家庭。
家電製品に囲まれ、陽射しの入るベランダ、緑の芝生。
そんな等身大の豊かな中間層の暮らしが、アメリカの象徴とも
思われた。
その中流層が崩壊し、貧・富に引き裂かれてきている。
富の差が剥き出しに貧に対峙し、摩擦が激化する。
自然もその野生を剥き出しにしてくる。
人間社会と自然との緩衝地帯故里・森林の喪失がそうした自然
災害を引き寄せる。
なにか地球規模、社会規模でこうした中間ゾーンの崩落が始ま
って来ているようだ。
夫婦と子供という等身大に反映したアメリカではなく、巨大な
富の固まり・タワー摩天楼・巨人しか見えてこない。
トランプ本人もそうした富裕層の代表不動産王のひとりである
からだ。

中間層からの没落、下層から上層への逆襲が隠れトランプ現象
であり、上層に属するクリントンへの隠れ拒否と成ったのだろう。
トランプ当選後、反トランプデモが続発しているという。
どちらもが感情の野生を剥き出し始めている。
心の中間地帯が喪われつつある。

人類が営々として築いてきた掌(てのひら)のような中庸文化が、
巨大な何かによって喪われつつある。
それもまた人間が造ったなにかである。
人間自身の内なる自然、野望という野生と希望という知性の
闘いが国家規模・地球規模で今始まりつつあるのかも知れない。

*森本めぐみ展「百年の予定」ー12月末ー1月初め。
*吉増剛造展ー1月中旬~

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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by kakiten | 2016-11-13 14:46 | Comments(0)