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2016年 07月 30日

蜂の巣ー回路(31)

ふわっと両掌に余る程の薄茶色の網籠のような物が
入口前に落ちていた。
傍でよく見ると、五、六角状に内側が半透明な壁で
小さく仕切られている。
蜂の巣だ。
昨年蜂の巣が壁の厚い蔦の中に在るのは気付いていた。
あまり気にせずにいた。
そしてその内蔦の葉が枯れ、蜂もいなくなった。
その昨年の蜂の巣が枯れて、今年落ちてきたのだろう。
そっと手に取り、とりあえず赤いダイヤ型の菓子缶に入れ
入口右の大野一雄石狩河口公演ポスターとその記録集のコ
ーナーの下に置いた。吉増剛造一昨年オープニングの際
酔って頭突き、高臣大介ガラス「野傍の泉池」破損破片を
下に展示してある一隅だ。
ふわふわと綿のように軽く脆く、五・六角状に分離した
小部屋が密集している蜂の巣。
その繊細で半透明な壁が、ふっと東京・吉増展の薄い紗の
カーテンの仕切りを想い出させたのだ。

この場で10年。
自然が、夏緑の蔦のスーツと秋緋色のドレスを仕立ててくれた。
そこに巣ごもった蜂の家。
それも自然からのメッセージだろうと思う。
繊細で軽やかで機能的な織物・編み物のような小函。
小さな宇宙のようだ。
蔦のスーツがポケットから取り出して、今回の展示に贈り物を
してくれたのかも知れない。

*「石狩・吉増剛造 1994」ー7月31日まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休。
*ムラギシ没後10年展ーー8月9日ー14日。
 14日・午後5時追悼ライブ。

 「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」ー8月7日まで。
  am10時ーpm5時;月曜定休。
  東京国立近代美術館 東京都千代田区北の丸公園3-1

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2016-07-30 12:38 | Comments(0)
2016年 07月 28日

俯瞰する時ー回路(30)

そういう時が訪れているのだろうか。
黒澤明の「白痴」の舞台となった時代の札幌の街。
その時代の事が記憶と共に、甦る。
北海道新聞数日前の特集記事。
戦後、美術への志向をいけばなに置き換え、自らの再生
を図った父。
戦後モダニズムの波に乗り経済優先の時代に乗った母。
その父・母の心の境目が、私の札幌の改変時と重なる。
私は父・母の分かれた価値観に引き裂かれ、翻弄された。
父の遺した北大構内と思われる近代建築と巨樹の絵画。
その絵に籠められた戦後解放の夢は、市街地再開発という
街の市街地ビル化で、喪われていった。
根を保ったコアとしての街は、消費の多彩なパック化・
ビル化で住・民の根は、固有の風土とともに消える。
同時期摩天楼の高層ビル街を捨て、ヒューマンスケール
を志すショッピングモールを展開したアメリカとは真逆
の方向だった事に誰も疑問を抱かなかった。
大きい事は良い事だ、隣の家が小さく見えます。
そんなコマーシャルが世を席捲していたから。
父・祖父が育てた店という小さな文化の根。
周囲のそれぞれの専門店にも、そうした文化のコアが在った
と、今振り返り思う。
エルム(春楡)の都と呼ばれた、札幌の土壌・風土と確かな
接点を保った商店街という一角が、私の知らなかったそれぞれ
の町内にもあったのだろう。
最近東屯田通を語る酒井博史さんの文章や、西の旧国道沿い
で頑張る坂さんのレトロスペースでの奮闘ぶりにそれを感じ
ている。
きっとまだまだ別のそれぞれの街角物語は在るに違いない。
同じブランド。有名企業の出店・支店が入れ替わり軒を並べ
浮いては消える。
アメリカ屋靴店、キディーランド、三峰、日本堂、デルコ
私の記憶する店名だけでも、その位はある。
みんな優秀な支店長がいたが、根を張り骨を埋める人の記憶
は無い。
従ってそれらの店が、地に根差した固有の歴史・文化を今語る
なにものも残っていないのだ。
現在田原書店の田原洋朗さんが続けている「富貴堂物語」のよ
うに、一誠堂物語も平野煙草店物語も丸美帽子店物語も生まれ
る街角と市街地パックされたビル群とは違うものなのだ。

文化の根・磁(地)場とは、小さなコアの存在である。
とりあえず何気なく在るテンポラリーな街角が、地域固有の
文化の根となる。
エルムの都・エルムの学園とはその総称なのだ。
高水位を好むエルム・春楡の並木を、地下鉄工事で葬り去り、
根の浅いオオバボタイジュに切り替えると同じように、人の
文化の根も抜いてこの半世紀近くがあった。

川俣正の三笠、吉増剛造の福生。
それぞれの地域の物語に根差して表現の根の俯瞰が生まれている。
歳月を経て、今人生そのものを俯瞰しつつ新たな土台・ステージ
を創らんとしている。
自分自身の人生が、生き方が、風土ともなる、人生のちゃぶ台
返しでもあるのだ。
父・母からの生に自立して、もう己自身がひとつの風土だ。

私自身もその小さな貧しい人生の、そういう岐路に立っている。

*「石狩・吉増剛造 1994」展ー7月31日まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休(都合により水・金午後3時閉朗)
*ムラギシ没後10年展ー8月9日ー14日:12日追悼ライブ。

 :「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」ー8月7日まで。
  東京国立近代美術館 東京都千代田区北の丸公園3-1

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2016-07-28 13:32 | Comments(0)
2016年 07月 26日

身体の同時代性ー回路(29)

<前から見たいと思っていた。行きます、>
即日パリから返事が来た。
吉増さんはじめ関係者2,3の人にも即連絡した。
川俣正と吉増剛造。
このふたりの対話が実現すれば、多分同時代の筋肉
言語と内蔵言語の幸せな顕在化・実現となるだろう。
川俣さんが都市空間の中でインスタレーションとして
展開してきた多くの仕掛け・装置。
それは時代の内なるコミュニケーションの顕在化だった
と思う。
個々の身体・風土から発する固有の回路。
それが現代は、都市構造の物流や流通の回路に埋もれ、
身体回路は電気端末の指先操作に閉じられる。
川俣正は木材を駆使して内も外も縦横に張り巡らせた
異空間を、突如都市の一角に出現させる。
そのダイナミックで大胆な作品は、どこか深く人の心を
捉えてきた。
炭坑街うまれの川俣正。
炭鉱労働者の街の筋肉言語の純粋化形象と思う。

吉増剛造の今展示の基調低温(トニカ)のひとつは長編
詩「石狩シーツ」である。
この詩篇の最終行は「女坑夫さん・・・」のリフレーン
で終わっている。
多摩の絹の道を経て、明治の絹織り物の担い手・織姫と
重なるように、石炭産業の担い手・女坑夫さんの発見が
この詩のクライマックスに顕れている。
吉増剛造は、近代のより深い内部に分け入り普遍的な
人間の回路を尋ね探し続けている。
それは今回吉増の<声ノマ>として全開し空間となっている。
会場内コーナーを繋ぐ<声>は、川俣正の室内外を廻る
木材と同質の回路存在なのだ。

川俣さんの炭坑労働者のような隆々たる筋肉言語回路に比し、
吉増さんのより内面的な深い呟きのような身体性言語は、より
身体の内臓言語に近い。
しかし共に時代の最先端でその身体言語を駆使し表現を深めて
いる第一線の表現者であることに変わりはない。
むしろ一見他ジャンルに属するかにみえて、その世界への視座
は、非常に同時代であると私は感じている。
今回の東京国立近代美術館の展示は、誠に千載一遇の機会と思う。
詩人が目に見える形象で、その本体を美術館で晒す機会など、そう
あるものではない。
近年川俣作品は俯瞰する視座から発する事が多い気がする。
あの身体を室内外全体で揺さぶり、世界を既成回路から解放した
内と繋がる筋肉回路が、頭脳の俯瞰する風景・光景へと優しく退い
ているような気がする。
そして吉増剛造もまた今回の展示で自らの原風景を、ラジオ。新聞
自叙伝等至る処で語り出している。
これもある種の原風景の俯瞰行為と思う。
そんな今だからこそ、ふたりは対話すべきなのだ。
同時代を代表する筋肉と内臓として・・だ。

*「石狩・吉増剛造 1994」展ー7月31日まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休(水・金 都合により午後3時閉廊)
*「ムラギシ没後10年」展ー8月8日ー14日:12日夕刻追悼ライブ。

 :「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」ー8月7日まで。
  am10時ーpm5時:月曜定休。
  東京国立近代美術館 東京都千代田区北の丸公園3-1

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2016-07-26 12:51 | Comments(0)
2016年 07月 24日

閑中忙有りー回路(28)

いくら東京で優れていると思う展覧会があっても、ここは
ここだから、その草の根展と自負してもそれほど人が来る
訳でもない。
疲れもあるのか、一日が誰も来ず夕暮れ。
不意に電話が鳴り、尾道の野上君からだった。
来月のムラギシ没後10年展で連絡したかったので話をする。
私の近況から東京吉増展の話にもなり、吉増展の各コーナー
が作家の表現の道具により分かれ、かつ有機的に繋がっていた
事を説明した。
そしてその道具達が、もう一時代前の時代の裾野にある物達だっ
たと話した。
尾道で船大工をしている野上君には、身に染みる話題だった
らしく今のご時世では機械化が進み船大工も相当減ってきて
いると話す。
それでもこの仕事は続け、かつ彫刻も創り続けたいと言う。
ムラギシ展にもなにかをと応えてくれ電話は終わった。
そこで少し元気が湧き、東京へ仕事で出掛けた写真家のY君に
電話する。
彼は行く前にわざわざ吉増展を見てくると電話くれていたからだ。
Y君はどうだったと聞くなり、声を上げ”良かった、すごかった”
と言う。
なにか心が明るく開く。
明日また・・と電話が終わり、帰り支度をしていると、女性の
声がする。
市役所のキャリアウーマンYさんだった。
土日でやっと見に来れたと言う。
ふたつの電話で気合いの入った私は、一気に今回の展示の経緯
を語り出した。
閉廊時間を過ぎ、帰路同じ方向地下鉄なのでそのまま地下鉄の中
でも話は続いた。

夜寝床でもその高揚が脳に残っていたのか、ふっとパリの川俣正
と吉増剛造の対話のイメージが浮かぶ。
「声ノマ・・・」の声とは同時に会場全体を繋いでいた血液のよう
な存在だった。
あれは、一種のインスタレーション。
川俣さんの家全体を囲み込んだ木材の回路と同じだ。
そう感じた。
木材が家の内部にも縦横に張り巡らされ、その中に居ると不思議
と和み落ち着くのだった。
その感覚を思い出していた。
あれは炭住という石炭労働者の住民が保っていた親密な心の回路。
その回路の存在を顕していた気がするのだ。
そして東京・吉増展の薄暗がりの全会場に流れていたカセットテープ
の<声>もまた、ジャンルの分離を繋ぐ同じ存在ではないのか。
見えない声の回路を視覚化すれば、川俣さんのインスタレーション
も声の木材になる。
ふたりの創造空間はコンテンポラリーな同質性を保っている。
そうすると、若い時面識のあるふたりを今あの会場で対話させたい
と急に大きな期待が高まってきた。
明日パリの川俣さんに連絡してみようと思う。
時間がもうあまりない。
会期が来月8日までである。
NHKの日曜美術館とかTVの特集で企画しても良いよなあ、と
勝手に熱が上がる。

ふたりの優れた同時代人が、真にコンテンポラリーな時代の基調
低音(トニカ)を奏でたら最高である。
2009年目黒美術館企画「文化資源としての”炭鉱”展」でも
ふたりは同時期展示していたのだ。
その企画者正木基氏も吉増展レセプションに来て、展示をもう一度
さらに見てくれている。
もっと早く気付くべきだったと川俣さんにメールした後思う。

*「石狩・吉増剛造 1994」展ー7月31日まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休(水・金都合により午後3時閉廊)
*ムラギシ没後10年展ー8月8日ー14日:12日夕刻追悼ライブ

 :「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」ー8月7日まで。
  am10時ーpm5時:月曜定休。
  東京国立近代美術館 東京都千代田区北の丸公園3-1

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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by kakiten | 2016-07-24 13:43 | Comments(2)
2016年 07月 23日

人というシーツ(舞台)ー回路(27)

何気なくF・Bを見ていら、友人のNが写っていた。
北海道ではないようだ。
一緒に写っているTさんがそうだ。
先日電話したが出なかったので、少し冷やかし気味に
コメントを入れた。
するとTさんから、南ですと返答があった。
あっ、奄美大島だなあ、と気付く。
現代の淺市は、南かと思う。
淺市とは登山家大島亮吉と石狩川源流遡行に同行した
アイヌの案内人である。
この時の大島亮吉の名エッセイは、吉増剛造の「大病院
脇に聳え立つ一本の巨樹への手紙」の重要なモチーフと
なっている。
長編詩「石狩シーツ」においても、淺市という名が印象的
に出てくる。
そして実はNという実名も出てくるのである。
彼は1994年当時、吉増剛造にとって大島亮吉の淺市のよ
うな存在だったと私は思う。
彼には是非東京・竹橋の吉増展を見てほしい。
この展覧会は「石狩シーツ」が基調低音だぜ、と伝えたい。
そして他のコメントにもうひとり懐かしい人の名を見つけた。
A・太郎である。
彼もNの顔を見つけ思わずコメントしたと見える。
登山画家の熊谷榧(カヤ)さんの個展が毎年続いていた時、
当時H近代美術館の学芸員だったAと、榧さん、Nと何度か
冬山登山に行ったのだ。
画家熊谷守一の娘である榧さんは、冬の山をモチーフに絵画
を描き続けていた。
制作のモチーフに来たら必ず冬山へ登っていた。
その記録エッセイは、「北海道の山を登る」という一冊
の絵とエッセイの本となっている。
私やN、Aも絵画素材となってこの本に収録されている。
このエッセイの中でも傑作は、Nと二人だけで登った時の
榧さんの心境と彼を描いた絵画だろうと思う。
登山家の一度入山した時の純粋さと絵描きの絵を描く為と
いう心の中心の対立が山中で明白に顕れる部分だ。
嵐の避難小屋でここから一歩も出ないというNと、もう絵
は無理だからサッサと下山しようと焦る榧さん。
その気持ちが、眠るNを描く素描にありありと出ている。
それは翌年油彩の絵画となって発表された。
今も眠るNの素描デッサンのコピーは私の手元に残っている。
顔だけの描写が実にリアルだ。
普段榧さんは山中の人物をこんなにリアルに描くことはない。
大荒れの山中で山小屋での対立。
その凝縮した空気に満ちている絵画だ。
榧さんはきっと一旦山には入ると梃子でも自分の信念を曲げな
い頑固な山男をその寝顔を丹念に描く事で対峙している心境だ
ったのだろう。

そんな根っからの山男を吉増さんも尊敬したのか、「石狩シーツ
」の中でも実名で登場する。
大野一雄の石狩河口の舞台も彼の尽力に拠る処が大きい。
そんな彼にも是非竹橋・吉増剛造展を見て欲しい。
あの展覧会の見えない杭のひとつは間違いなく彼でもあるからだ。

*「石狩・吉増剛造、1994」展ー7月31日まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休(水・金都合により午後3時閉廊)
*ムラギシ没後10年展ー8月8日ー14日:12日夕ライブ。

  :「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」ー8月7日まで。
   アm10時ーpm5時:月曜定休。
   東京国立近代美術館 東京都千代田区北の丸公園3-1

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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by kakiten | 2016-07-23 16:09 | Comments(0)
2016年 07月 22日

箱と函ー回路(26)

清流というか、渓流というか、身体にもそうした流れを
取り戻さねばならぬ。
肩に水が溜まるというのは、函ならぬ箱の状態が生まれて
いるからだろう。
自然の川のように、谷川には函と呼ばれる淵がある。
大函・小函と当て字されるが、そのまま箱と記される場合
も多い。
違いは流れが基本にあり、箱は閉じる状態だ。
一方の函は、溜まりつつも基本的には緩くも確実に流れがある。
人の体も同じである。
溜まりつつも流れている。
溜まりっぱなしでは、病となる。
身体にも貯水ダムのような筋肉や、流れを司る吸収・排水機能を
腎臓が担っている。
血液・体液の集散地のようなものと思う。
腎臓は箱ではなく函なのだ。
身体の川も流れ続けなければいけない。
閉じた箱になれば病となる。

若い時韋駄天と呼ばれた時期があった。
暑寒別岳に登った時、帰路雨が降り出し急ぎ雨竜沼湿原から一気に
登山口の山小屋まで駆け下りていった。
途中傘を差しながら登山路脇の渓流をゆったりと見下ろしている
夫婦がいた。
その傍を一気に駆け下りて、登山小屋に着き休んでいた。
程なく先刻の夫婦が到着して休んでいる。
その時何気なく話しているのが聞こえる。
ああいう韋駄天みたいな時代もあったなあ、あれはあれで
楽しかった・・・。
そう聞こえた。
そして私は反射的に道端のふたりの姿を想い出していた。
ゆったりと谷の下の渓流を眺めていた。
すでに紅葉の忍び寄る雨の渓川を。
一瞬、ああ良いなあと感じた事を想い出していた。
心の函の時間だなあ、・・。

跳ぶように、まるでスキップするように山道を駆け下る
のもすごく楽しいことだった。
あれは身体の渓流の時間。
そして同時にどこかで、あの夫婦のように雨の中ゆったりと
傘を差し渓谷の渓流を眺めている姿にも心惹かれている自分
が居たのだ。
私の暴力的韋駄天歩行にも批判的ではなかった。
ああいう時もあったなあ~と懐かしんでいた。
それが今何故か急に想い出される。

胎内の渓流、水の函、韋駄天、病。
時にあのふたりのように、時に傘を差してゆったりと自分自身
の渓流を見詰めて見よう、と思う。
閉じた箱にはならず、開いた函として・・・。

*「石狩・吉増剛造 1994」ー7月31日まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休(水・金 都合により午後3時閉廊)
*ムラギシ没後10年展ー8月8日ー14日:12日ライブ

  :「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」ー8月7日まで。
   am10時ーpm5時:月曜定休。
   東京国立近代美術館 東京都千代田区北の丸公園3-1

  テンポラリースペース札幌市帰宅北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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by kakiten | 2016-07-22 12:30 | Comments(0)
2016年 07月 21日

ラジオ深夜便ー回路(25)

二晩に渡って放送された吉増剛造のラジオインタビュー
の録音が小樽の橋本氏から送られてきた。
声だけで展覧会の事、幼少期の事、与謝野晶子、折口信夫
の声についてなど語っている。
吉増さん、これまでの人生裾野全開だなあ。
5歳の時に聞いたラジオの空襲警報の記憶から始まって
記憶の襞、身体に残る裾野の感覚がラジオならではの
声ノ保つ身体感で語られるリアリテイがある。
今展示中の東京国立近代美術館「声ノマ 全身詩人、
吉増剛造展」を機に、週刊現代、ラジオ、10冊近い各社
出版物と時代の裾野から津波のように立ち上がっている。
3・11という自然の怪物性に立ち向かう為、糸を縫う
手仕事のようにデテールから集積した仕事という織物を
引っ提げてて全身で時代へと立ち向かっている。
もう個人的名誉ではない。
時代・社会全体に向き合っている。

私は力及ばなかったけれど、自分なりにひとつひとつの
糸を文章の中に織り込む事に拘って、字数制限に悪戦苦闘
した方向性は間違っていなかったと、少しほっとしている。
ふたつの近代という大テーマと、ここで継続した6年間5回
の展示のデテールを、織り込み不足は否めないものの方向性
は守れたと感じる。

膝ならぬ肩に水が溜まって、腎臓も含めた身体全体で何故か
水の脅威と闘っている。
これも体内の津波・地震との闘いだろうなあ。
身体の堤防がガタガタと音を立てている。
二晩に渡る長時間のラジオ録音に勇気づけられた。
橋本洋輔氏には深く感謝だ。

*「石狩・吉増剛造 1994」ー7月31日まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休(水・金 都合により午後3時閉廊)
*ムラギシ没後10年展ー8月8日ー14日:8月12日夕刻ライブ。

 :「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」ー8月7日まで。
  am19時ーpm5時:月曜定休。
  東京都国立近代美術館 東京都千代田区北の丸公園3-1

 テンポラリースペース札幌市帰宅北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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by kakiten | 2016-07-21 18:05 | Comments(0)
2016年 07月 19日

右肩に水が溜まるー回路(24)

右肩が熱を持ち腫れている。
ン十肩かなとそれまで素人判断でやり過ごしてきた。
でも腫れて熱を帯びている。
これはもう一度診て貰おうと整形外科に行く。
2年前手首骨折以来だ。
注射針を刺され60cc程抜かれる。
乳白色の液体だ。
液体検査をして明日またという事で帰る。
腎臓が機能低下すると色々な合併症が出てくるという。
カルシュウムかなと先生が呟いていた。
腎臓が精製するカルシュウム、ビタミンDが不足すると
その影響が出る。
肩に死に水背負っているのかも・・・。

東京にいる娘から電話が来る。
来月18日頃立ち寄るという。
留寿都、洞爺辺りを家族旅行という。
チョウヤの梅酒のコマーシャル、♪オレンジジュースかソーダか
なんとなんと美味い味、チョウヤ、チョウヤ、チョウヤチョウヤ
チョウヤ~などと口ずさんでいた子がもう立派な大人だ。
実家らしい事は何も出来ず不甲斐ない私だが、子は育つ。
それでも少し部屋の中は掃除しておこう。

吉増さん、大野先生、溝端さんと、時間を超えて今が生まれる。
記憶の裾野が現在を豊かにする。
どれだけそんな記憶を蓄積出来得るかが、今という時間の根だ。
肩に溜まった水と勝負だな。
プレスリーを聴きながら、人を世界を愛する事を思う。

*「石狩・吉増剛造 1994」ー7月31日まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休(都合により水・金午後3時閉廊)
*村岸宏明追悼展ー8月8日ー14日:12日追悼ライブ、

 :「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」ー8月7日まで。
  am10時ーpm5時:月曜定休。
  東京国立近代美術館 東京都千代田区北の丸公園3-1

『現代の眼』618号
  [On view]「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」
  根の精神─「怪物君」への道  
  下記リンクから読むことが出来ます。
http://www.momat.go.jp/ge/publications/newsletter/

  テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
  tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2016-07-19 15:16 | Comments(0)
2016年 07月 17日

大野慶人の夕ー回路(23)

東京・吉増展レセプションで久し振りにお会いした
大野一雄さんのご子息慶人さんの札幌ソロ公演に
ご招待頂く。
土曜日夕刻会場まで出掛けた。
地下鉄琴似駅の地下にあるPATOS。
会場入口で25年ぶりに照明・マネージャーの
溝端俊夫氏に会う。
向こうも私とすぐ識別できなかったようだ。
私も金髪の溝端氏は直ぐに分からない。
そんなに何度も会っている訳でもない。
25年前も大野一雄石狩河口公演時に2,3度顔
を会わせただけである。
それでも無事大野先生の公演が終わって、初めて
見た溝端さんの笑顔を忘れない。
そして公演のポスターくださいね、と声を掛けて
くれたのも忘れてはいない。
それから25年、この日初めて約束を果たしポスター
2葉と残っていた手つかずの入場券を渡した。
笑顔で握手。
そこに25年の歳月は一瞬にして消える。

会場は半円錐形の構造で、舞台は前方に高さなしで
広がる。
私は前から二列目の椅子席。
一列目は座布団席である。
右横通路を挟んで関係者席と貼られた席が2っ続く。
先に来て選んでくれたGさんは一列目の座布団席に
座り、私の席は特等席な気がする。

「花と鳥」公演が始まる。
こうして通しでソロの慶人さんの舞踏を見るのは
初めてである。
女形になるのを見るのも初めてだった。
やはり半裸で大野先生とは対照的な動きの静かな
慶人さんが私は好きだ。
しかし出だしの音楽が、石狩河口の出だし、慶人
さんの登場時に流れていた曲と同じなのに気付く。
衣装は違っているが、手の動きが同じように感じる。
細江英公の「へそと原爆」上映も含めて2時間近い
上演が終わる。
そしてアンコールの最後にふたつの指人形が幕間より
姿を現し、プレスリー曲の「好きにならずにいられない」
が流れた。
指人形は大野一雄だ。
そしてこの曲は大野先生が石狩河口公演後いつも稽古場
で流していたと聞いた事がある。

 Like a river flows surely
 to the sea
 Daring so it goes some things
 are meant to be
 Take my hand、take my whole life
 too
 For I can’t help falling in love
 with you

思わず胸が熱くなった。
小声で曲に唱和し歌った。

”先生、石狩河口へ行きましょう!”
”行きましょう!”

そう即座に応諾してくれた大野先生。
その事の感謝から、石狩河口公演ポスターは「石狩 みちゆき 大野一雄」
と名付け印刷したのだ。
正式な演目は「石狩の鼻曲がり」である。
後にかりん舎から発行された記録集で、この名称で文を記しているのは
私と大野先生だけである。
そして公演後横浜の稽古場でいつもこのプレスリーのこの曲を流して
いたと後に聞いていたので、より一層ジンときたのだった。

海へと確かにそそぐ川のように、流れに身をゆだねるべき時もある・・。
さぁ、手を取って、この命を捧げよう

やはり私には、大野一雄だったなあ。
慶人さん、溝端さんに感謝しつつ、この曲を口ずさみつつ帰路に
ついたのだった。

*「石狩・吉増剛造 1994」ー7月31日まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休(水・金 都合により午後3時閉廊)

 :「声ノマ 全身指示、吉増剛造展」ー8月7日まで。
  am10時ーpm5時:月曜定休。
  東京都国立近代美術館 東京都千代田区北の丸公園3-1

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2016-07-17 14:19 | Comments(0)
2016年 07月 15日

治療と仕事ー回路(22)

通院のある日は、治療時間が一日の3分の1を
占める。
その時間に気持ちの比重が負けそうになる時もある。
仕事への集中力が低下した時だ。
勿論身体も大事である。
すべての基本である。
しかしその上で、続け、やらねばならぬ事もある。
今はどちらかにも偏り過ぎぬよう、切り替えに
集中する。
透析治療中は、じたばたしても始まらない。
ひたすら左片腕は注射針の血液循環に任せつつ、
右手を頭部後ろに当て、腹筋や腰を浮かす体操
を2時間に一回したりしている。
後は無念無想、妄念妄想・・・。
午後9時半過ぎに終わって帰路につき、家に帰って
どっと疲れが出る。

身体エネルギーを整え、今している仕事に集中力
を傾ける。
そこで弱気が出ると、次の治療に心が奪われて
折角回復した身体エネルギーが無駄になるのだ。
まるで試合前のボクサーのように、筋力と水分に
気をつけ、過剰なるものを排しエネルギーを保つ。
そして仕事がゴングである。
だから出来る限り身体代換えエネルギーは使わない
方が良い。
しかしそういうインフラは都会に溢れていて、時間
との関係もあり、使わざるを得ない。
そういう事に敏感になってきた。
身体以外の化工エネルギーが身の回りに溢れている。
電気・石油等が増幅するインフラである。
身体エネルギーの消費を抑え、これらが代行する
巨大エネルギーは人間の脳まで代行するように将来
なりつつあるのが現実である。
もうその兆候は見えている。
スーパーで買い物しても、そこに物を通して伝わる
心の掌(てのひら)は、もう喪われつつある。
指先操作が主で、レジスターの代行操作が主役だ。
その内駅の改札口のように、すべてが完全自動機械
化が進むのだろう。
身体エネルギーは地球資源を原資とする巨大エネルギー
に取って代わり、人間はその効果だけを享受する快楽的
便利至上主義のダルな存在となってゆく。

身体エネルギーで脳を使い手足を動かす。
その基本が、電気・石油エネルギーを指先で操作する行動
パターンへと変化しつつあるのだ。
掌(てのひら)から指先へ、手の縮小化が始まっている。

身体は正直である。
治療後歩いて帰ると、身体がどんどん循環して体調が回復
してくるのを感じる。
しかし電車・地下鉄の乗る帰路は、足を動かさず移動する
だけなので、回復の実感は得られない。
勿論時に疲れ切っている日もあるので、それが有難く感じる
場合もあるのだが、基本的には身体エネルギーの充実・充足
感のある方が、心地良い。

日々の小さな体験だが、前足が両手となった脳内人間の身体
エネルギーとの対話は、とても大事なテーマと今感じている。

*「石狩・吉増剛造 1994」ー7月31日まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休(水。金 都合により午後3時閉廊)
  
 :「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」ー8月7日まで。
   am10時ーpm5時:月曜定休。
   東京都国立近代美術館 東京都千代田区北の丸公園3-1

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2016-07-15 13:07 | Comments(0)