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2016年 06月 30日

大病院脇に聳え立つ・・・-回路(12)

「現代の眼」618で浅瀬に乗り上げていた「根の精神(こころ)ー
「怪物君」への道」を少しずつ補足してみようと思う。
東京展に併走してその草の根「石狩・吉増剛造 1994」を展示
しているからである。

現在の「怪物君」への道を思う時、その始まりを予感させる2冊の
著書がある。
その一冊は1975年から書かれ始め後に小沢書店より出版された
「透谷ノート」であり、もう一冊は1981年中央公論社文芸誌「海」
に連載した「大病院脇に聳え立つ一本の巨樹への手紙」である。
「透谷ノート」は狭い螺旋階段を上ってゆく塔の描写から始まる。
そして透谷が自殺する半年前に書かれた「一夕観」と「漫罵」との
対比に至る。
それは近代の夢と現実を見詰め透谷に刻まれた深い裂断を感受して
いる一文だ。

 今の時代は物質的の革命によりて、その精神は奪われつつ、あるなり。
 その革命は内部に於いて相容れざる分子の衝突より来りしにあらず、
 外部の刺激に動かされて来りしものなり。革命にあらず、移動なり。

                        (透谷「漫罵」)

「怪物君」に至る吉増剛造の明治の近代化への第一の視角が、この「透谷
ノート」から始まっていると私は感じる。
そしてその後に出た「大病院脇に聳え立つ一本の巨樹への手紙」では、
さらに近代以前の自然への視座とより明確に視座が深度を帯びる。
その書き出しの一章。

 何故、始原やはじまり(詩第一行)を翼なき者が翼を求めるように
 追い求めるのか、追い求めてきたのか。

その問いかけは登山家大島亮吉の名随筆「再び石狩川の本流へ」との
出会いによって形創られてゆく。
その中でも印象に残るのが、何度も途中に出てくる「八王子実践」
という言葉だ。
大島亮吉の名文に誘われるように、吉増は都市の見えない川を登行路
のように歩き出す。
そして森の木の記憶となる。

 樹皮をまとい、夢を孕み、天を摩す。
                   (北千住行)

 樹幹を裂き、夢の坑口をのぼる

                   (緑陰と稲妻)

これらの言葉はその後の「石狩シーツ」を予感させるようにある。
源流から河口へ。
<何故始原やはじまり(詩の第一行)を苦しみ追い求めるのか、追い
求めてきたのか>という問いは、透谷に象徴される明治の西洋化と戦後
のアメリカ近代化というふたつの近代の根を問う「怪物君」の仕事と
そこに立つ大野一雄・吉本隆明という巨樹の存在との深い交流となって
いると思う。
その意味で「大病院脇に聳え立つ一本の巨樹への手紙」というタイトル
は、今象徴的である。
大病院とは近代であり、傍に聳え立つ巨樹とは大野一雄、吉本隆明とも
読めるからだ。

 根幹を裂き、夢の坑口をのぼる
 鬱然、静寂の中、樹々は立ち

 幾人もの影となり、私は下った
 あるいは川(その影響)の源流


*「石狩・吉増剛造 1994」展ー7月31日まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休(水・金 都合により午後3時閉廊)
+「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」-am10時ーpm5時:月曜定休。
 東京都国立近代美術館 東京都千代田区北の丸公園3-1

 『現代の眼』618号
  [On view]「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」
  根の精神─「怪物君」への道 ◆中森敏夫(テンポラリースペース主宰)
  下記リンクから読むことが出来ます。
  http://www.momat.go.jp/ge/publications/newsletter/

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503 
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by kakiten | 2016-06-30 17:56 | Comments(0)
2016年 06月 29日

熱い日ー回路(11)

栃木のY氏から、澄んだ渓流のような便りが届く。
思わず瞼の裏に泉が湧いた。
文中にも出てくるMさんY君にもその話をすると、是非
読んでみたいという。
見せるとMさん、暫し無言。
こんな優しさに溢れた文、読んだ事ない・・・。
Y氏にはこの場とそこで知り合ったMさん、Y君、N君
すべて含めて大切な自己発見の場所なのだと思う。
この6年間吉増剛造展を続けて、この友人たちの熱い支えを
この場所の回路から抜かす訳にはいかない。
そうするとK氏やS君の事も当然触れねばならぬ。
あ~!直ぐに字数がオーバーするのだ。
吉本隆明、大野一雄に繋がる「根源乃手」という吉増さんの
視角と同じ回路にみんなも私には存在する。
その6年の回路の向こうに大野先生がいて、吉本隆明がいる。
それがここでのYさんも含めたみんなの「根源乃手の回路」なのだ。
今回「現代の眼」もうひとりの書き手、酒井忠康さんのように
「実にさりげなく」語る事は出来なかった。
酒井さんと最初保坂さんから聞いて、思わず”あっ、日章堂の・・」
と聞き返した程、視野が狭いのである。
勿論酒井忠康氏の事は存じ上げている。
あの語り口調にも北海道人として親近感を抱いている。
しかし自分の場での仕事の話となれば、どうしたってブンタ事酒井君
の事が先ず頭に浮かぶのだった。
フライヤー一枚にも何度も深夜まで集中し、さらにそのデザインも心血
注ぎ印刷に立ち合ったK氏N君。
私はそうした穴から世界を見る。
それが変転して来た現在の私のモラルなのだ。
しかしそれが一般世間に通じるかどうかは別である。
その落差を感じながらも、曲がりなりにも不十分ながら通した、という
気迫は残っている。

そんな時Y氏の一文は本当に励ましと勇気の暖かさを与えてくれた。
感謝だなあ・・・。
今日来たM氏のメールのさり気ない配慮もまた・・・。

*「石狩・吉増剛造 1994」-7月31日まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休(都合により水・金午後3時閉廊)
*「声ノマ 全身詩人、吉増剛造」展ー8月7日まで。
 am10時ーpm5時:月曜定休。
 東京国立近代美術館 東京都千代田区北の丸公園3-1

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2016-06-29 13:50 | Comments(0)
2016年 06月 28日

現代の目618-回路(10)

昨日東京の正木氏がコピーしメールに添付してくれた
「現代の眼」618号。
その本体が今日届いた。
ここまで遅れたのは多分私の所為だろう・・・。
表紙の写真は船着き場の夕陽を背に打刻した銅板が
翳されている写真だ。
最終頁に表紙写真吉増剛造「石狩河口/坐ル」より1994年
とあった。
これを見てこの間の心身ボロボロ状態と原稿不燃焼の気持ちが
救われた気がした。
原稿の基本的方位は間違っていないという得心である。
制限された枚数字数の中でこの6年間の連続展示の事、さらに
「石狩河口/坐ル ふたたび」と始まった<ふたたび>の考察。
さらには吉本隆明の「日時計篇」を書き写し、そこを下地に
万華鏡のように展開される色彩・語りのNEWGOZOCINE
それらを1991年の大野一雄野外舞台公演を軸に展開し、同時に
吉本隆明の戦後の出発をもうひとつの近代化アメリカ占領下に触れ
大野一雄と吉本隆明の内包する明治と昭和二つの近代の契機につい
ても触れたかった。
書きたいテーマは重く大きく浅学菲才の私には難行苦行であった。
それに連れ文章は破綻し、停滞し、疲れ果てた。
今回書く事を誘ってくれた美術館主任研究員の保坂健二朗氏が
後記で「大野一雄と吉本隆明の吉増における意義を大胆に語る
このエッセイ・・・」と暖かく記してくれた事は、救いだった。
文章上加筆・訂正・補筆の欲ばかりが目につくが、方位はなんとか
よろよろ保ち人前に出たと思う。


*「石狩・吉増剛造 1994」展ー7月31日まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休(都合により水・金午後3時閉廊)
*「声ノマ 全身詩人、吉増剛造」展ー8月7日まで
  am10時ーpm5時:月余定休。
 東京都国立近代美術館ー東京都千代田区北の丸公園3-1

 
『現代の眼』618号
  [On view]「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」
  根の精神─「怪物君」への道  ◆中森敏夫(テンポラリースペース主宰)
  下記リンクから読むことが出来ます。
http://www.momat.go.jp/ge/publications/newsletter/

 テンポラリスペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2016-06-28 13:56 | Comments(0)
2016年 06月 26日

裾野と高嶺ー回路(9)

共にかって雑誌などを出していた友人に電話する。
吉増展レセプションで顔をあわせ、その前に民芸
研究家のM氏とともにテンポラリーを訪ねてくれ
たからだ。
彼の東京での吉増展の感想も聞いてみたかった。
”ありゃ、駄目だ。あんな広い処で・・。お前の
処のほうが余程良い・・・。”
この一言で、もう何か話が続かなくなる。
優れた翻訳家であり某外国文学の一方の雄でもある
Kだが、お互いの生き方の相違は薄々感じてはいた
が、やはり現実だった。
今回の吉増展は、詩人としての作品を主に展示して
いる訳ではない。
勿論作品も含まれてはいるが、その作品の地場を
道具たちやメモ帳・日記帳・録音カセットと作品を
生む裾野をモノとして顕在化し、作家の生きた時代
を根の風景として展開・展示されているのだ。
個々の作品評価は現代詩・文学の世界で評価され
幾多の賞も受賞しているから、今回の美術館での
展示はもっと直接視覚的に声・映像・打刻銅板・
原稿用紙草稿等を通して時代を生きる作家の全身を
主題として展開されている。
いわば高嶺の白雪を見る視座ではなく、山裾から
山全体の存在を問う展示なのだ。

現代はふたつの視座に価値観が分かれているのかも
知れない。
アベノミックスの果実を裾野まで、という喧伝が
参議院選挙で与党側から盛んに口にされるが、これ
も先ず高嶺の視座から裾野を見る思想である。
有名産地の偽装メニューとか、足場の杭を抜かした
豪華マンションとか、社会現象にもなっている裾野の
より高嶺の評価からものを見る風潮が生まれている気
がする。
新幹線の速さとかオリンピックの経済効果とか超高層
ビルの乱立とかも高嶺の白雪効果を主にに喧伝される。
結果優先の尖端社会構造は、地味で緩い時間の裾野
の無名な根元の風景を軽んじる。
もし痩せた裾野、痩せた尾根の高嶺を想像すれば、
それはタワーか送電塔のようなひどく貧しい風景の
高嶺となるだろう。
森の有機的な豊さもなく、ただ先鋭に痩せて直線に
限りなく近づく、山とは言えぬ世界である。

一方で裾根の世界から自らの時代を耕そうという
視座もある。
吉増剛造の真摯さ・凄みはこの一点にある。
自らの時代の裾野を掘り返し、もう一度根から裾野
からの頂きを再構築しようとする行為であるからだ。
その果敢な試みに満ちているのが今回の美術館での
個展でもある。
その視座をばっさりと無視し、展覧会を否定した
古い友人に、私は暫く寂しく憂鬱だった。

*「石狩・吉増剛造 1994」展ー7月31日まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休(水・金 都合により午後3時閉廊)
*「声ノマ 全身詩人、吉増剛造」ー8月7日まで。
 am10時ーpm5時・月曜定休。
 東京都国立近代美術館ー東京都千代田区北の丸公園3-1

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2016-06-26 14:50 | Comments(3)
2016年 06月 25日

深い便りと声ー回路(8)

東京吉増剛造展レセプション出席時の写真が続々と
送られてくる。
見た人が容赦なく言う。
”死に顔みたい・・・”
更には”死人顔だ・・”ととうとう死人になってしまう。
久しぶりの背広ネクタイもこれでは散々である。
すれ違った女子高校生がぽっと顔赤らめ胸ときめかした
のは遠い昔か・・。

そんな死に顔にも拘らず、深く暖かい便り・声が届く。
正木基さんの熱い声とメール。
石田尚志さんの感極まる吉増展の思いのメール。
そして今日の大野一雄舞踏研究所の溝端俊夫さんの声の便り。
1991年9月大野一雄石狩河口公演以来だ。
それぞれ出会い交友を深めた時間が、伏流水の泉のように
ふっと今に繋がり心潤す。
溝端さんとの25年の歳月は水泡の如く消えて、ついこの間
のように話が弾む。
これも吉増剛造展へ出た船出の波・風であろうか。
写真の死人顔とは反対の嬉しい旅先からの応えなのだ。

人もまた川のように時とともに流れ移るが、地に湧き出る泉
のように、声となって、便りとなって出会うのである。
これも「声ノマ」なのかも知れないなあ~。

*「石狩・吉増剛造 1994」-7月31日まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休(水・金 都合により午後3時閉廊)
*「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」-8月7日まで。
 am10時ーpm5時:月曜定休。
 東京国立近代美術館 東京都千代田区北の丸公園3-1
*レトロスペース・坂会館 札幌市西区二十四軒3条7丁目3-22

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2016-06-25 16:38 | Comments(0)
2016年 06月 24日

ふたつのレトロ・ランドー回路(7)

書物の大きさ・厚さで掌に受けた時、ある種心地よい
質感を感じる事がある。
英国で出版されたロジャー・アックリングの追悼本も
そうだったが、吉増剛造展で出版された画集もそうである。
掌(てのひら)全体で受け留める厚さ・大きさなのだ。
かって道具も物もそうした掌心を保ったモノたちであった
気がする。
現在坂ビスケット本社と立ち退き闘争を闘っているレトロ
スペース坂会館に展示されているモノたちも、みなそうし
た感触を保つあらゆる分野の道具たちモノたちである。
玩具とか人形とか一種類に偏らず雑誌・嗜好品・学生運動
関連・調度品・生活用具と、今は生活から遠のきしかし
未だ十分使用できる同時代の裾野に零れたモノたちである。
とりあえず、身近に在ったこれらのモノたちが、何時の間に
か消去され記憶の片隅に追いやられていた。
それらが一種多彩で多種に層を成してレトロスペースに
蓄積され並んでいるのだ。
これは現代という大量生産・大量消費・大量破棄の消費社会
に対する同時代の裾野からのモノたちの逆襲・対峙の世界
でもある。

東京国立近代美術館の「声ノマ 全身詩人吉増剛造」展と
共通するのは、この道具・モノたちがある意味で主役となっ
て基底に存在する事だ。
吉増展の各コーナー(桟敷)の仕切りは作品を生み出す道具
による区分である。
作家の掌の<たなごころ>の延長として道具があり作品が
生まれ、それらが展開・展示されている。
一方レトロスペースは、すべてモノたちが主役で坂館長自身
が創作したわけではない。
しかしその手元に集まってきたモノたちは、作り手も所有者
も掌(ななごころ)で愛しむ感覚が生きている時代のモノたち
である。
従ってこのふたつの世界に共通するのは、非常にラディカルな
モノ・道具への愛ともいうべきサカ・ヨシマスランドの形成
その世界観・価値観の結集体である事だ。

この価値観・世界観の発露は、最初に超高層ビル群摩天楼を
見切って新たにショッピングモールを創造したある時代の
アメリカを想起させる。
真に人間らしい買い物空間として、建物は地上二階地下一階
を設定し、内に川を流し、小さな森を造り、陽光が射し、あり
とあらゆる店舗形態を集合する。
それがヒューマンスケールだと決めて造られたのだ。
多種民族移住者国家アメリカのそれぞれの故国に無い自由の女神
の迎える超高層ビル群摩天楼の大都市風景。
その風景の実現の上で、ヒューマンスケールというショッピング
モールへの展開がある。
日本の現代は依然として摩天楼志向であり、同時にショッキング
モールも取り入れ、恰も時代の最先端の如く錯覚している。
もともと日本にはショッピングモールなど門前町、寺前町、駅前
通りという伝統的な商店街スタイルとして存在していたものだ。
そういうレトロは捨て去り、大企業主体のショッピングモール
形式だけを衣装の如く羽織ぅている。
元々の血の通ったレトロは切り捨てられ、町や道具たちのモノの心
の声を聞こうともしない。
鹿鳴館以来日本の近代化とは、一面で官民あげた欧米コスプレ状況
なのだ。
その危さを、全身詩人吉増剛造とレトロスペース坂一敬は同時代の
裾野を持ち上げ闘っているのである。

札幌と東京で図らずもふたつのランドがコンテンポラリーな闘いを
それぞれのランドとして顕在化している。
根底的で先鋭な坂ランドとヨシマスランドは、現代日本が生んだ
極めて知的なデイズニーに負けぬこの地の夢の国(ランド)なのだと思う。

*「石狩・吉増剛造 1994」-7月31日まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休(水・金・都合により午後3時閉廊)
:「声ノマ 全身詩人 吉増剛造展」-8月7日まで。月曜定休
 東京国立近代美術館ー東京都千代田区北の丸公園3-1
:レトロスペース・坂会館ー札幌市西区二十四軒3条7丁目3-22

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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by kakiten | 2016-06-24 13:34 | Comments(0)
2016年 06月 22日

蔦のカーテンー回路(6)

今年も蔦が緑のカーテンを掛けている。
秋の緋の衣となるまで、緑の毬藻のドレスはさらに
厚くなるだろう。
窓を睫毛のように縁取り外界・内界の界(さかい)を
優しく彩っている。
ここで10年頑張って得た自然の緑の礼服だろうか・・。

ふっとまた東京の国立近代美術館吉増剛造展を思い出していた。
館内の薄いヴェールの紗のカーテンで仕切られた各コーナー。
見事な図録にも表れているが、その区分けは身近なかっての
道具たちによって分かれ繋がっている。
日記・覚書ー声ノートー銅板ー写真ー映像(GOZOCINE)
自筆原稿ー怪物君草稿。
大学ノート、メモ帳、ハンマー鏨ー多重露光フイルム、そして
罫線も自ら引いた原稿用紙。
「根源乃手」と吉本隆明への想いを吉増は語っているが、この手
の道具たちが展覧会を構成する鍵ともなっているのだ。
従って<手の届く>範囲で空間は遮断されず音・視覚・空気で
朧に繋がり呼吸していた。

緑の蔦のカーテンに染まりながら、その事を思い出していたのだ。
朝・昼・夕・晩と緑の濃さを変える蔦のカーテンの内側で
1994年の「石狩シーツ」草稿が呼吸している。
大野一雄の鮭の産卵を通し現した生と死、そして再生の舞踏。
さらに自らの生と死・再生を踊ったアルヘンチーナの亡霊の入水。
そして溢れんばかりの愛・感謝を込めて観客の為に踊ったエストレ
リータ、ラ・パロマのアンコールの舞踏。
その心の舞踏舞台の再現こそが、「声ノマ 全身詩人吉増剛造」展
の太い骨格・思想の根であるだろう。
1994年「石狩河口/坐ル」-2010年「石狩河口/坐ルふた
たび」を貫く死と再生のテーマである。

<根源乃手>の道具たちが創り出した眼・耳・口の創造世界が
ひとつの宇宙・ランドとなって<手を離れた>指示表出の機能都市
と対峙している。
「反政治・無思想」という人もいるが、それは当たらない。
今回の空間自体が最もラジィカル(根底的)にそれらすべてと
対峙しているからだ。
同時代の裾野に置き忘れられ見捨てられている道具たち。
痩せた時代の尾根を突っ走り、使い捨ての工作物のランドフイル
(ゴミ埋め立て場)を増やし続ける現代社会。
同時代の裾野に追いやられた道具たちの叛乱・手の道具のちゃぶ
台返しともいえるラジィカル(先鋭な)空間なのだ。

*「石狩・吉増剛造 1994」展ー7月31日まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休(水・金は都合により午後3時閉廊)
*「声ノマ 全身詩人、吉増剛造」-6月7日ー8月7日:月曜定休
 am10時ー17時。
 東京国立近代美術館ー東京都千代田区北の丸公演3-1

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2016-06-22 14:44 | Comments(0)
2016年 06月 19日

黙々と・・・-回路(5)

<サンパウロ滞在二年目の日々も蟄居。ほとんど外出せず
・・・自己幽閉の状態であった。>(吉増剛造「裸のメモ」
1994年ー木浦通信324頁)
その為2年のサンパウロ生活を切り上げ帰国。
その後も心的混乱は続き詩作の放棄まで考えると記されて
いる。
その頃である、石狩に滞在し銅板を打刻し「石狩シーツ」
制作に集中したのは・・・。
現在展示中の7葉の草稿は、その途中経過を記録として展示
した原稿である。
タイトルは「石狩河口/坐ル」。
この時点でこの名作のタイトルはまだ決まっていない。

何故今東京国立近代美術館で開催中の吉増展に並行して
この展示を企画したかといえば、この草稿の書かれた時
こそが現在進行中の「怪物君」の原点と思うからである。
ブラジルへ旅立つ前年石狩河口で見た大野一雄の舞踏公演。
その鮮烈な記憶が<詩作の放棄>まで考えた吉増剛造を奮い
立たせたと思う。
従ってその時の大野一雄の公演ポスター、公演記録集を入口に
展示し、「石狩シーツ」未完草稿を展示した「石狩河口/坐ル」
展フライヤー7種及び完成後制作された本人朗読CDそのポス
ター、初出掲載誌1994年ユリイカ12月号等を2010年
「石狩河口/坐ル ふたたび」展DMと続けて展示した。
さらに2012年から毎年続く「ノート君ー古石狩河口から書き
始めて」「怪物君」「水機ヲル日。・・・」「怪物君歌垣」まで
のフライヤーを展示した。
そして今回の東京展フライヤー及び図録も最後に掲示した。

貧しい展示だがこれらはみなテンポラリースペースが所蔵する
資料であり歴史である。
ここでしか出来得ない草の根の資料である。
東京国立近代美術館の壮大で重厚な展示に、その草の根として
少しも恥じる事のない展示と思っている。
そして今だからこそ集中して、展示という陽の目をあてるべき
時と思うのだ。

東京吉増展最後のコーナーは裏方の廊下のように物が積まれて
その突き当りに大画面で川岸で草稿が炎を上げ燃えている画面
が流れていた。
美術家飴屋法水氏の映像である。
図録によれば「ノート君」までの草稿の大部分を使っていると
いう。
石狩河口の岸辺で燃やし撮影したとも聞いた。
「石狩河口/坐ル ふたたび」展と「ノート君」の間には
2011年の3月11日があり、この年は展示はなされていない。
「ノート君」展示は翌年2012年12月からである。
その間書かれた草稿をたぶんすべて飴屋氏に吉増さんは託した
のだろう。
飴屋氏の映像を右折すると、かってNHKが制作した釧路湿原
の大野一雄と吉増剛造の共演映像が映し出されている。
これは1994年秋にNHK衛星放送で放映された映像だが、
新たに未放映映像も含めて鈴木余位さんが再編集したと聞いた。
その中で吉増さんが銅板に「石狩シーツ」と文字を打刻して
いるシーンが再生されていた。
”これが今書いている新しい詩のタイトルです・・”
そう呟いていた。
このコーナーだけは図録にも載せられていず、吉増さん自身
の作品でもない。
すべては飴屋氏の事前に申し入れた

  今回の展示は、吉増さんの詩(文学)ではなく、あくまで、
  視覚的な、ものを中心に、、

という趣旨を吉増さんが受け入れ草稿を提供し撮影されたものだ。
会場の順路最後に舞台裏の物置のようなシチュエーションの通路
の突き当りに原稿用紙草稿が燃えて灰になっている映像が流れて
、次なる本当に最後のコーナー(桟敷)では、あの大野一雄と
「石狩シーツ」の銅板を打刻する吉増の映像が待っている。
焼却という消失と再生を賭けた石狩シーツの誕生予告。
そこで吉増剛造展は、麻のような布のカーテンを引き上げ外に出る。
現代社会に対する深い予告と予感に満ちた会場構成・作品である。
この原点を再度確認するように私は今回の展示をしばらく続けよう
と思う。
遠く石狩・札幌から吉増桟敷・ランドへのエールとして。

*「石狩・吉増剛造 1994」7月31日まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休(水・金都合により午後3時閉廊)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2016-06-19 16:14 | Comments(0)
2016年 06月 18日

東京からー回路(4)

年に一度の排水管定期点検が午前中ある為遅れてテンポラ
リースペースに着く。
すると笑顔が少年のような小柄な青?小?年が前にいた。
見たいんです・・と言う。
急ぎシャッターを開け、中へと入れる。
コートを脱ぎ留守録を解除し何やかやと準備を終え
会場を見ている人に声を掛けた。
東京から来たと言う。
そして昨年も見たと言うのだ。
え?と問うと、昨年は髪も長く赤い服を着て来たので
もっと女らしかったと言われ、微かに記憶が蘇る。
そうか、多摩美大の鈴木余位さんの後輩というAさん
だと思い出す。
そんなに話していなかったので、記憶が曖昧だった。
しかも髪をばっさり短く切って本当に少年のようである。
今は俳優の仕事もしているという。

東京からわざわざ尋ねてくれ、お待たせし少年と間違えたり
と二重に失礼したので昨年彼女も見た「水機ヲル日」の吉増
さんから送られた映像を見せる事にした。
この6年間テンポラリーで展示を続け深まった若い友人たち
に爆発的に呼びかけた展示最終日に向けて撮られたNEW
GOZOCINEの一巻である。
Aさんが映像の吉増さんのハイテンションに驚き喜んでいる
のを感じ、引き続き今度は大野一雄の石狩河口舞踏「石狩の鼻
曲がり」を見せる。
最近こういう機会が多く何度も見ているが、少しも見飽きない。
見る度に新鮮な発見がある。
初めて見るAさんはその感動がよりダイレクトで体を時折震わせ
”きれい!”と声を上げている。
途中で自分は今俳優のような仕事もしていると、ぽつりぽつりと
近況を話してくれた。
Aさんが色々悩んでいる話を聞いている時、吉増さんが映像の中
で呟いていた。
”どうして姿という字は女の上に次があるのだろう・・不思議だね”
と言った。
それで樹木麒麟のNHKファミリーヒストリーで自分の母の強い生
き方を見て発した言葉をAさんに伝えた。
”女に台が着いて<始まる>という字なのよ”。という言葉である。

ふたつの映像を連続して見ている間ぽつりぽつりと色んな話をしたが、
なによりも大野先生と吉増さんの保つエネルギーにAさんも力を注入
された事だろう。
贅沢な時間だったわ、と笑顔を見せてくれ夕刻別れた。

私は今回も大野さんのすべての場面に新たな感動を感じていた。
特に最後のアルヘンチーナの亡霊の衣装のまま川から舞台へ這い上がり、
「エストレリータ」と「ラ・パロマ」を観客の為に踊ってくれた場面に
見る度に感じる感動を今度も感じていた。
そして最後に挨拶で観客に語り掛けた言葉。
”今日はみなさんと一緒に此処で踊ったんです、”
友人・同志たちみんなで造った河岸の仮設舞台。
その周りで、刻々と変化する空・風・陽・河面の色彩。
そこに溶け込むように生命の誕生と死の舞踏が大野一雄の身体を通して
流れていた。
死すら沈む夕陽とともに無限の一瞬の美を放っている。

Aさんの訪問のおかげで私はまた大野先生とお会いし、励まされている
自分を感じ、幸せだった。

*「石狩・吉増剛造 1994」展-7月31日まで
 am11時ーpm7時:月曜定休(水・金は都合により午後3時閉廊)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503 
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by kakiten | 2016-06-18 18:54 | Comments(0)
2016年 06月 16日

梅雨空ー回路(3)

空梅雨などといわれながら、今日は梅雨入りのような日。
東京行きの疲れが出たのか、先日は12時頃まで眠り扱ける。
吉増さんからレセプション出席のお礼の電話が留守録に残って
いた。
展覧会の評価はこれから会期中2ヵ月の間どんどん広がって
行く事だろう。
私の中でもそのラディカル(根・根本的なー根底的・過激な)
な印象は、札幌に帰った今も心に広がっている。
テンポラリースペースで開かれた6年間5回の連続個展。
その重さもあるが、さらに遡る1994年「石狩シーツ」誕生
時までの1991年大野一雄石狩河口公演ー1989年見えな
い暗渠の川界川のイヴェントでの吉増さんとの出会いも含めて
<根>の道程は深い。
現在の「怪物君」に至るこうした根の道行きを限られた枚数の
原稿用紙に埋める事は難行だった。
現在展示中の「石狩シーツ」草稿7葉を初めて公開した1994
年「石狩河口/坐ル」展。
そして2010年の「石狩河口/坐ルふたたび」
さらに3.11を経て始まる「怪物君」への展開展。
その間の現在に至る根と水との関係のように吉増剛造の世界と
多くの関わった人・事象・時代を抜きに本質的な命題は語り尽く
せぬものがあるのだ。
大きくは日本の近代の二つの位相・明治開国と昭和敗戦。
そこに現在につながる日本の近代化の根源的問いが横たわり、
吉増剛造が今最も深く巨樹の根として近代の基底に敷いている
吉本隆明と大野一雄に触れずしてこのテーマは語れない。
さらにそれらに先立つ1983年中央公論社刊「大病院脇に聳え
たつ一本の巨樹への手紙」という自己の根への深い洞察力に満ち
た名作についても触れておかねばならない。
かつテンポラリー4回目の展示「水機ヲル日・・・」で爆発する
ように顕れたこの場で交感した友人たちへの呼びかけ。
これも大切な5回の展覧会の歴史なのである。
もう最後は編集者に任せたが、吉増さんからの留守録にもどうなっ
たかという拙文への問いかけも含まれていて、心重いのである。
大筋においては間違っていない自信はあるが、細部はまだいくら
でも加筆・改行・添削がある。
そうした中で通院も抱えながらの東京行きで本当に疲れたのだ。
そんな中遠くからずっと見つめていてくれた東京のM氏が、在京
中も暖かく迎えてくれ、かつ吉増展を高く評価しお祝いのメッセージ
まで私に送ってくれた事は深く感謝するのだ。
そして今日もう一人の敬愛する美術批評家Kさんから今回の吉増展
に関する某出版社の書評コピーが送られてきた。
今回の展覧会紹介も兼ねた新刊みすず書房「怪物君」の書評「詩は
遂にここまで到達した!」である。

どこか連れ添うように、道行きするように、ある面で吉増剛造という
天才と繋がってきたが、基本的には私は私の足元で穴を掘り・根を張っ
ているだけである。
あまり吉増剛造に寄り過ぎて大野一雄を、吉本隆明を非知・非力で触れ
てはいけないのかも知れない。
私自身の土俵で、吉増さんが新GOZOCINEで呼びかけたブンタ、
マサさん、中嶋さん、仁美さん達を同量で書き進めていたからである。
しかし有名無名を問わず、それがここテンポラリースペースで起きた
草の根の生命だったと思うのだ。
覚悟決めて今は出版を待とう。

*「石狩・吉増剛造 1994」展ー7月31日まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休(水・金は都合により午後3時閉廊)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2016-06-16 16:19 | Comments(0)