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2016年 04月 03日

強風そして春風ー鉄橋(9)

強風雨に寒気。
そして今朝は曇天にそよ風。
一日の変化が激しい。
しかし路上の凍結は確実に消え春は進んでいる。

写真家のY君が来る。
先週台湾に行っていたという。
今年正月台湾でたまたま屋台で知り合った台湾人
から自作映像の日本語ナレーションを依頼されたという。
声に惚れられたのだなあ。
彼はその声で本職の写真以外に、プロレスのリング
アナウンスもしている。
そして彼のスマホに録音した月一回催されるという
台湾のお祭りの音声を聞かせてくれた。
爆竹が響き、歓声が上がり、銅鑼が鳴る。
大地が揺れ人がうねり乾いた熱い空気が波打つ。
地球の南の熱気がすぐ横に感じられる。
映像でなく音だけで浮かび感じる風景がある。
音には他の感覚にない喚起力があるようだ。
そしてふっと思った。
聴覚と視覚を普段分離して特化していないか。
視覚表現と聴覚表現。
映像と音楽。
死んだ村岸君が最後の個展で表した、音が主役の
その為の空間設置。
川の源流山裾から運び込んだ白樺の幹を中央にぶら下げ、
そこにその白樺の立っていた森で録音した川の水音、風の
音を幹に耳を当てると聞こえるように設置していたのだ。
聞く人は白樺の幹を抱き、木肌に耳を当てる。
自然と目を瞑り、耳を澄まし、森・川を想う。
音が風景を呼ぶ。

Y君に話した。
君の写真も音を原点に意識して、写真撮ったら・・と。
最初に見た彼の写真は、ある大きな窓のあるホールの室内を
撮ったものだった。
その窓の抜けた空の空間には、シンとした静けさと窓外の広が
りが表現されていた。
あれも音が主役だったと今想う。
開かれた大きな窓から入射する午後の光、それを満たす広い
木造の室内。
無音の音たちが燦々と満ちていた。
あの時あの写真で音を感じていたのだなあ、と思う。
東南アジアの国を巡り、そこに暮らす人々を撮った写真でも、
そこに人のざわめき、笑声等が聞こえていたのだと思う。
映像のアテレコに、初めて旅して屋台で偶然隣り合わせた人から
声がかかった偶然は偶然ではない。
声という君の発する音声が引き寄せた必然かも知れない。
きっと今までも音の発する源に惹かれ写真に撮っていたのだ。
そう話した。
村岸君とは逆の方向だ。
村岸君は風景の音を自分の音楽に取り込んでいる。
地下鉄のアナウンス音や乗客の話声さえ取り込んでいた。
Y君は音を写真に取り込んでいる。
ふたりの差違は、村岸君の方がよりその事に自覚的だったと
いう事実だ。
村岸遺作集を一冊Y君に贈呈した。
生前の演奏、ノートに残された未発表の楽譜を再現演奏録音
したCDが入っている本だ。

百聞は一見に及かず、というけれどその逆もある。
創造・創作の世界である。
視覚で世界は完結し、世界は自閉する。
まして現代は居ながらにして映像が世界を伝える時代だ
皮膚を震わす音の現場からは逆に遠ざかっている。
音にはその場の空気震度を伝える身体性が在る。
音の震度を視覚にと、この日の話は終わった。

*「記憶と現在」展ー4月10日(日)まで。:月曜定休・水・金午後3時まで。
*それぞれの八木保次・伸子展ー4月12日(火)ー22日(金)
*鼓代弥生木彫平面作品展「駅」ー4月26日(火)-5月1日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2016-04-03 16:31 | Comments(0)
2016年 04月 01日

光ラン・ランー鉄橋(8)

<銀の滴降る降る>から
光の滴降る降る、の季節が来た。
ほっと、陽だまりの時間。
喘ぎ喘ぎ上った坂の上、一瞬息を抜く時。
吉増・カミユのいうシジフォス幸福の時間かな。
昼が過ぎ、西向きの玄関・窓から陽射しが伸びて来る。
正面壁の八木保次・伸子、村岸宏明の作品が、陽射し
に煌めいている。
取り巻く時代と自然の彩りが今の自分を映し出す。
命燃え出す春は、死者を想う時季でもあるのだろうか。
今回展示した作品の内5人が故人である。
佐々木徹、菱川善夫(奥様の絵)。
別に意図したわけではない。
自然にそうなったのだ。
そんな時6月東京国立近代美術館吉增剛造展への原稿
正式依頼状とともにW大時代の友人の奥様から丁寧な
お手紙が届く。
毎年正月普通の葉書に近況を文字だけで記した賀状を
くれていたM。
今年は便りがないので、心配していたら、昨年亡くなった
という懇切なお便りだった。
晩年故郷の千葉の村の歴史を探る座談会の司会進行
をした記録冊子とともに送られてくる。
大学新聞部時代同期で野武士のような風貌と頑固真っ
直ぐな性格に、私は少し距離を保っている仲だった。
にも拘わらず卒業後も札幌まで訪ねてくれ、毎年文字だけ
の近況を記した賀状をくれた。
彼の中ではもうひとりの友人Mとともに大事な友だったの
だろうと想う。
先鋭な学生運動から卒業後も労働運動に関わり活動を
続けていた彼が最後の仕事として郷土の歴史を掘り起こす
足下の仕事をしていたのは知らなかった。
死ぬ間際この座談会の冊子を見て嬉しそうだったという。
世界を俯瞰する若い時代の眼差しから、足下の無名の
歴史を見詰める晩年。
彼らしいある意味で一徹な人生だったと思えるのだった。
もう一度会いたかった。
そうすればきっと、お前、ちゃんと生活しているか。
またどうしようもいない事に手を出していないか、と説教
するに違いない。
現状の私などぼろくそに評されるに違いない。
でもそれが彼の頑固で真っ直ぐな生活目線第一の生き方
だったのだ。
それは学生運動の中でも社会へ出ても変わらぬ立ち位置
だったと思う。
生活とは体制順応という事ではない。
反体制運動の中でも生活目線で理念に溺れはしない頑固
で実直な生き方なのだ。

今展示にまたひとり見えない死者が参加した気がする。
哀悼して、想う。

*「記憶と現在」展ー4月10日(日)まで。
 月曜定休:am11時ーpm7時但し水・金は午後3時半まで。
*鼓代弥生木彫平面作品展ー4月27日ー5月1日

 テンポラリースペース札幌市北区来た16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2016-04-01 14:47 | Comments(0)