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2015年 09月 30日

mataーpa(冬・年)の始まりー花(22)

典型的な秋の一日が過ぎて、冬の気配、冷気が漂う。
もう上着の下の半袖も寒い。
奥の談話室で友人を待っていても寒さが沁みる。
展示室へ移動し、一段高い上がり場に腰掛ける。
日差しがちょうど射して暖かく気持ち良い。
日向ぼっこの縁側のようだ。
背を伸ばし仰向けに寝ると、硝子戸の向こうに
視界いっぱい青空が広がる。
吊ってある高臣大介作のガラス「あふれでる」が
陽射しを浴びて七色に光り揺れる。
雲が走り、西側の空に黒い縁が広がっている。
何時の間にか黒い影が空を覆い、雷響き束のよう
な雨。
夏、終わりだよ~終わりだよ、
冬が来るぞー、来るぞー。
とリフレーンするようだ。

空気はすでに冬の雲を含んでいる。
光は木々の葉に色を忍ばせている。
これからは色彩の季節。
一気に紅葉が来るのだろう。

色彩の季節。
佐佐木方斎の未発表初期作品群1972-1974が
来週から予定されている。
美術の世界へ初めて手を染めた色彩の世界。
数学の専門分野に入学し、期待された人間が、初めて
美術の扉を叩いたのは、ペインテイング色彩を使う事だった。
そしてその初めての色彩群が、美術界デビューの扉を開けた。
しかしこの残された色彩群は、先輩画家の評価を生んだまま
公式に発表はされず、40年近くアトリエの奥に眠っていた。
長い雌伏の時を経て、色彩に目覚めた最初の行為が今蘇える。
色彩だけで画面を構成し、初めて挑んだ絵画の世界。
その初心は40年を過ぎて今、熱く問いかけるのだ。
絵とは何か、
色彩とは何か。
何故、色から始まったのか。

夏の年の終わり、
冬の年の始まり、
色彩に終わり、色彩に始まるこの時期こそ
方斎の今の冬の年にこそ相応しい色彩展で
あるのかも知れない。

方斎よ、
君のmataーpa(冬の年)
新たな年が始まるのだ。

*佐佐木方斎展「Housai’s Early worka」-10月6日(火)-
 18日(日)am11時ーpm7時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2015-09-30 13:24 | Comments(0)
2015年 09月 28日

雷鳴って雨ー花(21)

ドン、と雷が鳴って、ザァ~ッと濃い雨。
朝、トイレの貯水タンクの水止まらず洗面所の水バルブ
断水して業者の手配をマンション管理人に頼み出てくる。
画廊に着きメールその他を点検返事等の用を済ませている。
そしたら雷雨。
これも水難だなあ。
夕方通院時までに止むだろうか。
昨晩お風呂に入って久しぶりにすっきり。
こちらは暖かい水の恵み。
本当に水という自然は快い恵みと怖い畏怖の両面である。
水だけでなく、空気も光も同様だ。
あらためて内臓言語、コワ~イーカワァ~イィを思い出す。

と書いたら、急に雨が止んだ。
気紛れな秋の天気。
しかし確実に世界は秋から冬の世界へ進んでいる。
気紛れと思うのはこちらの勝手な気持ちで、気紛れではなく
これも有機的な季節の移動の活性化プロセスなのだ。
女性のお喋りみたいなものかも知れない。
言わば季節の筋トレだ。
季節の内臓のお喋りだ。

窓を開けるともう青空が広がり、けらけら笑うように日が射している。
空気は、そこはかとなく冷たく潤って甘く匂う。
いよいよ短い秋本番。
もうすぐ壁の蔦も真紅に燃え出すだろう。

*佐佐木方斎展「Housai’s Early works-1972-1974」
 10月6日(火)-18日(日)am11時ーpm7時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2015-09-28 14:09 | Comments(0)
2015年 09月 27日

水難・金難余話ー花(20)

自宅の水道費が何度か通常より高いので水廻りを点検する。
トイレの排水バルブが甘くなっているようだ。
水が切れていず、ちょろちょろ流れ続けている。
上の蓋を持ち上げ浮き玉を調節すると一時的に治まるが
戻すとまたチョロチョロ。
何度も蓋を持ち上げ蓋を片手で固定し内部を点検する。
手洗い用の排水口が蓋の上に出て中と繋がっているので
蓋を片手で宙に浮かせ内部に触るので無理が生じる。
陶器製の蓋を勢い良く落とすと、その反動で水が止まった。
その時勢いが強かったのか、蓋の端の方が割れる。
拳くらいの断片が落ちて、合わせると隙間無く繋がった。
今朝また水が細く流れ止まらないので、合わせた断片を
外し蓋全体を持ち上げ、片手で宙に固定し内部を覗き込み
何度かして水を止めた。
手が疲れていたのか断片を戻す時、蓋の方の切り口に指が
触れ出血する。
部屋に戻り急ぎ絆創膏を探し止血した。
血を見て泡食ったのかその間随分手間取った。
身体の治水の腎臓病に連動するかのように、自宅の治水にも
苦労して修復しなければならない。
身の内外水難続きだ。

少し落ち込んで財布の中身の話を書いた所為か、すぐに
T君が来て学生時代から貯め続けていた開かずの貯金箱を
持って来てくれた。
これ、使ってよ。割れば良いよ。
何ぼ入っているか、分からないけど・・。
と言う。
ちょっと胸が熱くなった。

水難・金難続くけど、世界は難ばかりではない。
ノブひとつに排水を任せ切りにしていた日常も、体内の水と
栄養素の見えない管理を一臓器に任せ切りにしていた日常も
難にあって気づくものがある。
身体内から住居大へ、住居から社会のインフラ、そして自然の
大きな循環へと日常の日々が水を通して繋がっている事である。
そして金銭という社会の血液もまた友情の貯金箱へと変身し、
腎臓のように姿を顕すからだ。
水の銀行・貯金箱のように腎臓は水を貯め濾過し、使い道を得て
出てゆく。
T君は友情の使い道の為に貯金箱を全部差し出したのだ。
一種の臓器提供だ。
自分の為から他者の為にと。

世界は些細な日常の困難でさえ繋がって、存在している。
水難・金難はこれからも続くだろうが、併せて勇気という有機的
栄養素も頂いているような気がする。

*佐佐木方斎展「Housai’s Early works-1972~ 1974」
-10月6日(火)-18日(日)am11時ーpm7時月曜定休

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2015-09-27 14:05 | Comments(0)
2015年 09月 26日

薄日射してー花(19)

薄日射して、空気冷涼。
sak-kes(夏の終わり・末)だなあと思う。
先住民の感じた北海道の秋。
秋が夏に属している。
古アイヌは一年を交互に来る夏の年、冬の年と数えたという。
森が主役の夏と雪が主役の冬。
そう捉えれば、世界は冬の白と夏の緑の交互の世界。
秋は緑が深く枯れて紅葉し落ち葉となる
夏の末・終わり。
春は緑が萌し煙るような緑の初め・夏の序奏。
春秋短く雪の深い北国ゆえの直裁な季節感だ。
そんな秋が深い今日だ。

*佐佐木方斎展「Housai’s early works 1972~
 1974」ー10月6日(火)-18日(日)am11時ーpm7時月曜定休

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2015-09-26 14:52 | Comments(0)
2015年 09月 25日

無心ー花(18)

恥ずかしながら、財布に126円しか残っておらず、
佐佐木方斎氏に無心の電話。
次回会場費の一部をと依頼する。
程なく来てくれ5000円前借りする。
電気電話代で消える。
志は高くても、これが現実。
そしてこれもまた最前線。
物心両面の二重の最前線が人を取り巻いて生きている。
胃と心の空腹が、あらゆる生活インフラと連動し
時に日常を締め付け奮い立たせる。
心の飢餓もまた社会的な増幅をして、文化のインフラ
として志を締め付け奮い立たせる。
そんな事の連続で日々があり、低い場末の都市の裾野
から青い空、嶺の頂を熱く見詰めている。
それは固定されてはいない。
幾つもその繰り返しで、峰を越えて来たのだ。
ここまで。

方斎氏が来てまもなく、山田航さんが来る。
カルチャーセンター講義前のいっとき、吉増情報が気に
なったのだろう。
そして新札幌人、移住して3ヵ月の成清裕太君が来る。
6月の方斎展の頃移住してきたので、ふたりとは顔馴染
の仲だ。
特に方斎とはお酒を通した飲み仲間。
山田さんが講座開始の時間で去った後、ひょっこりと
写真家の竹本英樹氏が来る。
来月パリでの写真展参加に向けて忙しそうだが、すっきり
とした感じだ。
今まで勤めていた会社からフリーとなった所為だろうか。
初対面の成清君に竹本さんの作品集を見せる。
映像作家を志している成清君は興味が湧いたようで、熱心
に写真集を見入っている。
8mフイルムの一瞬を画像化し、写真として定着構成する
竹本さんの写真に映像を本職としたい成清君は質問を続けた。

方斎と成清君が居酒屋へ向かい、竹本さんがバイクで帰る。
吉増さんの電話訪問から、色んな今を抱える前線が来た。
方斎の北大時代最初の色彩挑戦「earyworks」
理数系専門から美術への転進の第一歩の作品群だ。
これらを今革めて見詰め、日蝕のように色彩の重奏化を
新作で試みたいという。
格子群・余剰群のような空間構成の知的枠を取り、純粋に
色彩だけの構成を試みたいのだろう・・。
吉増さんの今回の「怪物君」の最終ヴィデオの言葉ではないが
、この歳になって、俺もとうとう詩人になったぜ!が、方斎に
も今訪れようとしているのかも知れない。
曰く 俺もとうとう画家になったぜ!

いいね、それぞれの第一線・最前線。
私も侘しい第一線ではなく、何かの第一線と叫びたいものだ。
きっとこんな風だろうなあ。

俺もとうとう・・・ホントの自分になったぜ!

ふっ、そんなとこかな・・。

*佐佐木方斎展「Housai’s early works」-19月6日(火)
 -18日(日)am11時ーpm7時;月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2015-09-25 14:14 | Comments(0)
2015年 09月 24日

もうひとり最前線ー花(17)

昨夕も透析5時間闘って家に帰り、朝の内に作っておいた
茸カレーを温め食べる。
2キロ程路面電車降りてから緩い坂道を歩いてきたので
食欲は健在だ。
しかし胃が満たされると、どっと疲れが出る。

翌日画廊に出てFBのMさんの情報を見て思い出す。
昨日・今日は吉増剛造さん札幌に来る日だ。
北海道文学館で講演と聞く。
ここにも帰る前寄るかな、と談話室を改めて掃除した。
そこへ電話が鳴る。
吉増さんからで、背後の音がどうやらもう飛行場のようだ。
帰る前に声だけでもと前置きして、今年年末の「怪物君 歌垣」
の展示構想を語りだす。
その内私の受け答えを聞きながら、うん 声に力があるから
大丈夫!と言った。
昨日は通院日で伺えず申し訳ないと伝えると、あれは公式の
ものだ、と応える。
公式と謙遜的に言うが、最近の吉増剛造の視座において見逃
せない方向性を保っている講演だ。
聞けた人見れた人は幸せと思う。

台風みたいにハイテンションの電話の声が去った。
4年連続の年末・年始の吉増剛造展。
今年は五回目で、ひとつの集大成に入っている。
そして来年6月には、東京の国立の美術館で大個展というから
吉増台風の目の一つとして、テンポラリースペースも最前線と
なる。
先ずは、声に力が無いなどと言われぬよう、シジフォスの苦行
に日々を闘わねばならぬ。

これもまたふたりのもうひとつの最前線の現場だよ。

+佐佐木方斎展「Housai’s early worksー1972~1974」
 -10月6日(火)-18日(日)am11時ーpm7時。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2015-09-24 14:34 | Comments(0)
2015年 09月 23日

最前線3人ー花(16)

連休帰省中の文月悠光さんから連絡がある。
午後3時頃訪問という。
そこでふっと思い付いて高校3年のT君に電話した。
応答が無かったが、その後すぐ連絡が来た。
今図書館で大学受験の勉強をしているという。
あなたの先輩の文月さんが来るので、もし良かったら
来ないかと伝える。
しばし沈黙して、行きますと答える。
その後間もなくT君が来た。
随分早いね、と聞くと、自転車ですと言う。
5キロ強あるのにさすが若いなあ、と感心する。
3時にはまだ時間があるが、その間ここで受験勉強
の続きをさせて欲しいと言って教科書参考書を出した。

珈琲を出し私は2階のパソコン室へ、邪魔せぬように
消える。
T君が来たならと、さらに電話する。
T君を最初に認め褒めた来月まで帰国中の谷口顕一郎
さんだ。
ちょうど在宅中でちょっと遅れて行くと言う。
3時過ぎたので下の談話室に降りる。
参考書とノートから顔を上げたT君に、文月さんは会っ
た事あるの?と聞いた。
無いと言う。
だけど美術部の壁に彼女の活躍等が貼られていて興味ある
と言った。
その内間もなく文月さんも来る。
最初自分より若い現役高校生の登場に吃驚した文月さんだ
ったが、後輩のT君とすぐ打ち解けて、美術部の今の様子
など聞いている。
その内に谷口さんが汗かいて到着。
こちらはランニングして来たようだ。
文月さんには今年最初の吉増剛造展のGOZOCINE最終
版を見せる。
映像の中で吉増さん自身がハイテンションで、文月悠光よ、と
叫んでいるシーンがあるからだ。

映像を見終えて話は結局3人の今の話になる。
10代、20代、30代と夫々の最前線の話だ。
T君は来年の大学進学の志望校の選択。
文月さんは大学を出て詩人として自活していく今の悩み。
谷口さんはベルリンに住み自身の彫刻と外国で向き合う事の
苦労と成果。
そんな夫々の第一線の悩みと志の話が、時として夫々の環境
を超え交叉し互いに忠告・提言が交わされる。
状況も年齢も志す仕事もみんな違うけど、その根の処で生きて
ゆく最前線という立位置は重なっているようだった。
あっという間に外は暗くなり7時を過ぎ、じゃあ、また、と
ちりじりに別れた。

今を生きるそれぞれの最前線。
その話が集中して面白く良い時間だった。
何時の間にかT君が手折った折り紙が2点机の上に残っていた。
理数系の大学進学で京都と札幌を受験する予定のT君は、どちら
を第一志望とするかでも迷っていた。
そして彼独自の折り紙という造型にも心惹かれている。
そんな彼がふたりの人生の先輩と話していて、無意識の内に手は
折り紙をしていたのだろう。
京都・札幌。
理数系学問・折り紙美術。
進むべき方向性の悩み・迷いが沢山有る事は幸せな事だと思う。
それがTの最前線。
高校時代に第一詩集が権威ある賞を受賞し、早稲田に進学し
今は東京で詩人として自活している文月さん。
若くして世に出たその後の悩み。
20台終わりに恋人とともにサハリンを経由し陸路で欧州に
入り、凹みと自ら名付けた彫刻を欧州中心に制作し続けてきた
谷口さん。
あらためて今、自分の彫刻と故郷で向き合い新たな展開を探る
第一線の悩み。
これらの人生を左右する今が、気張らず自然に3人夫々が吐露した
心に残る良い時間だったと思う。
そして密かに私もまたもうひとつの最前線だよ、と呟きながら参加
していた気がする。

+佐佐木方斎展「Housai’s Early works」-19月6日(火)
 -18日(日)am11時ーpm7時;月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2015-09-23 14:18 | Comments(0)
2015年 09月 22日

形(かたち)と容(かたち)-花(15)

以前にも触れた事があるが、形容という文字で表される
ふたつの<かたち>・形と容。
<形>は外在的要素条件から形作られ、<容>は、内在的
要素条件から容作られる。
顔を表現すると解り易い。
容貌と美形である。
よく幼い頃美形でも、歳と共に変わる場合がある。
これは食生活や生き方という内在的要素が顔を変えるのだろう。
勿論その逆もある。
年齢を重ねて良い顔になる人もいる。

内在的要素というのに内臓も加わっている気がする。
外在的要素には、筋肉の存在もあると思う。
「何でも鑑定団」という番組を見ていて、骨董や美術品を
持ち込むのは男性が多い気がする。
そしてその大半は奥さんである女性が否定的である。
男は外からの権威付けに依拠する。
女性は小汚いとか薄気味悪いとか体内生理感覚で否定する。
これらの相違は、外に向いている筋肉言語と内側に一旦飲み
込むような内臓言語の相違だろうと思える。
予想に反して高額な判定が出ると、奥様方は大喜びでその後
これを売って旅行や美味な物を食べたいと反応する。
内臓が喜ぶものを素直に求めるのだ。
<形と容>のふたつの<かたち>と同じ事が言えるような
気がする。
精神的な頭脳の内臓言語もあるけれど、もっと即物的な内臓
言語もある。
五体五感・五臓六腑でかき消されている第六感・第六臓。
その第六の脳と霊感が生み育て形容(かたち)化するもの。
それらの一つが容貌という自らの経験が造る顔であり、作品と
も呼ばれる芸術・文化なのだと思う。

内臓と筋肉がともに協調しあって人は何かを創り続ける。
その価値は第六番目の形容(かたち)を生む事だ。
fineーartともconーtemporaryともいう
超・チョーなのだ。
幻夢の実体化である。
従ってその最もプリミテイブな個的様態が恋であり、子供を
産む行為だろう。
内臓言語の具現化だ。
そしてあらゆる芸術・美術の創造だ。
それは時代の内臓言語と筋肉言語生む創造ともいえる。

内臓言語の本能的欲望に追従せず、筋肉言語の暴力的増幅に屈服
もせず、偏らず一体・身体となって、時代を形容(かたち)作らなければ
ならない。

+佐佐木方斎展「Housai’s Early Works」10月6日(火)
 -18日(日)am11時ーpm7時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2015-09-22 13:13 | Comments(0)
2015年 09月 20日

体内自然と地球自然ー花(14)

体内自然と地球自然の不思議な合致。
それは本当は不思議でもない気がする。
体内の水分比率の塩分は、海のそれと同じ比率だと
言うし、出産の時間は月の満ち欠け、満潮時に多い
と聞くし、きっと体内自然はもっとどこかで地球と
同調してあるような気がする。
以前医療関係の友人が腎臓は寒気に敏感で、冬の臓器
とも別名で言うのよ、と教えてくれた。
主要な臓器に季節の名前があるなら、他の臓腑にも
季節の名前が付いているのかも知れない。
早春の盲腸とか晩秋のリンパとかもあるのかも知れない。
そういえば高校時代の数学の教師の仇名は盲腸だった。
青白く神経質で少しドモリだった気がする。
怒ると向きになって甲高い声だった。
生徒の人望はあまりなく、風貌と合わせて盲腸という仇名
になった由縁かもしれない。
この年代の見方は、ドキッとするような大胆性がある。
化石という仇名の理科の教師もいた。
これもそのままの謹厳実直で潤いのない印象だった。
小柄で面倒見の良いモダーンジャズ好きの国語教師は、
苗字一字をとってスガチビといった。
この年齢位まで容姿を容赦なく仇名に例える傾向がある。
内臓を仇名にするなんて全く先見性がある、と今思う。
きっと縄文時代には、そんな大人が真面目に縄文土器など
焼いて内臓模様を入れていたのかも知れない。
時代が進み人は内臓の記憶を喪失して大人となった。
それでも性格や容貌以外の特徴を時に肩の辺りがお父さん
とそっくりなどと話す事もある。
肩も身体の一部だから、見えない内臓の形も肉親の誰かに
似ていても不思議ではない。
そういう見えない物を見得る感覚が、きっと教師に内臓の名前
を付けた年台にはまだ生きていたと、今思う。

*佐佐木方斎展「Housai’s Early works」-10月
 6日(火)-18日(日)am11時ーpm7時;月曜定休。

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by kakiten | 2015-09-20 14:15 | Comments(0)
2015年 09月 19日

堤防ー花(13)

今も河川氾濫の水抜きが終わってはいない。
福島の原発事故後の地下水と汚染水の処理も
一日何万トンも出てその処理に4年経ってまだ本質的
処理は終わっていない。
水は恩恵と同時に大なる脅威でもある。

体内でも同じ事がいえる。
私は週3日透析で体内の水の浄化をしている。
腎臓の機能が低下し、水の歯止めが落ちているからだ。
体内の堤防が決壊しているようなものだ。
溢れて他の臓器に浸水する水をポンプで排水する。
それが透析治療だ。

水を管理する護岸・堤防。
自然は森や山を自然の護岸・堤防として絶妙に配している。
人は体内に腎臓や筋肉を内蔵して、有機的に川のように
血管を廻らせ心臓とともに循環させている。
海や湖、山や森のように貯水し皮膚という土・肌を潤す。
そのコントロールの大元が腎臓である。
そこの機能が落ちると、水は溢れ侵食を始める。

この外的自然構造と体内自然の構造は、本質的には同一と
私には感じられるのだ。
身体だけではなく、社会構造として考えれば、やはり本質的
には同じ構造が考えられる。
護岸・堤防・貯水ダム。
この歯止めが崩壊すれば、浸水・洪水という水の氾濫となる。
ここでも歯止めが重要だ。

そして人間にはもう一つの氾濫がある。
精神の叛乱である。
ある精神的な高揚は、ファシズムや極端な宗教崇拝という激情
を生む。
激情は歯止めがなくなると、溢れ出て氾濫し他者・他国を侵略
する。
ここにも理性・思想といった、精神の堤防が必要なのだ。
蟻の一穴という。
決壊はそうした日常の小さな油断・不摂生から始まる。

戦後70年は戦争放棄の憲法とともに、かっての国家社会決壊を防
ぐ民主主義という名の堤防であった。
そこに解釈変更という蟻の一穴が開けられ歯止めが失われんという
状況が生じている。
津波や台風と同じように、決壊し氾濫した遠い記憶を忘れて3・11
も再び経験されたのである。

近年続く自然災害や原発事故の気の遠くなるような浄化処理は
自然からの人間の体内自然も含めた大いなる緊急警告だと、私は思う。

+佐佐木方斎展「Housai’s Early Workus」-10月6日(火)
 -18日(日)am11時ーpm7時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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by kakiten | 2015-09-19 14:34 | Comments(0)