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2015年 08月 31日

料理補遺ー窓(33)

料理のレシピを見ていると、よく小匙1とか小匙2分の1とか
書いてある。
そしてその前にグラム数が併記されている。
その際ふっと気づいたのは、同じ小匙の分量でもグラム数が
異なる事だ。
それで量と料の、リョウの違いを意識した。
素材によって重さの量数が異なるという事である。
例えば端的な例でいうと、綿1キロと鉄1キロは重さは同じだが
嵩(かさ)は違うのである。
同様の事は醤油と油でも起きる。
素材から割り出される<リョウ>が料であぅて、重量だけを基準
とする<リョウ>が量であるのだ。
従って<ハカル>もまた量ルと料ルとに区別される。
量理と料理の違いを見ればその相違は明快だ。
様々な調味料そして食材と対話しながら、その個々の個性と向き
合い構成していくプロセスが料理である。
塩と胡椒でも重量だけで一律には決められない。
すべての調味料・食材にそれがある。
この量数よりそれぞれの個性を大事にする姿勢は、下手な民主
主義よりうんと本物の料理民主主義だ。
量数にかまけて横暴になる政治経済の現代に煎じてやりたい。

量数が優位の国家主義や富の量数が優位の資本主義や多数の
利便性が優位の自然破壊文明や多数を嵩に着た人間社会の愚は
枚挙に暇が無い。
調味料一滴、食材ひとつにも謙虚に学ぶ事は、多く在る。
人類の中の日本とは例えば野菜の一種の人参で、他にも大根さん
、じゃが芋さんもいる。
根菜という種類だけが食材ではないから、お肉氏も茸さんも、魚くん
たちもいる。
さらに地球生物の多様性の中では、人類という一種でしかないのだ。
料理の素材を通して、生物の多様性とその付き合い方を<料>で
学び<理>としなければならない。
それが文化芸術という調味料、素材の美味を追求する役割だ。

その小さな試み「花とガラス」展が、明日から始まります。

*村上仁美・高臣大介展[Water Fallー花とガラス」ー9月1日(火)-
 6日(日)am11時ーpm7時。1日午後7時~酒井博史ソロライブ
 投げ銭参加。
*加藤玖仁子講座「対話の試み・私たちと芸術」-9月12日(土)午後3時~
 入場料3000円。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2015-08-31 11:09 | Comments(0)
2015年 08月 30日

料理の話ⅱ-窓(32)

7年程前Tさんに頂いた腎臓病に良い料理本。
それが今頃熱心に読んでレシピを習得している。
頂いた時から実践していれば良かったのに、と
今更思うのだが現実はそんなものだ。
その本のレシピ通りの場合もあるけど、時に
自己流にアレンジして試している。
そうなると色んな処に添えられている簡単なレシピ
にも目がいく。
一昨日は肉じゃがを作った。
これはすき焼きのたれの外側に載っていたレシピ
を応用した。
カレーもそうだが、量的に多く作って余す場合がある。
その話を昨日来たT君に話すと、カレールーを加えると
いいよ、と教えてくれた。
自分もよくそうするそうだ。
また別味のカレーになるよ、と言う。
早速昨夜実践。
夕食で肉じゃがを食べた後、残りにカレールーを加えた。
肉じゃがでもない、普通のカレーでもない新たなカレーである。
確かにこの工夫ひとつで毎日同じ物を食べずに済むのだ。
味加減、匙加減。
この加減こそが量るではなく料るで、料理の料なのだ。

東京や遠方にいる人たちが先日の料理の話を読んで、安心した
と聞いたので、時々拙い料理情報を伝えてみようと思う。
五臓六腑の命が喜んでくれるような料理をしなきゃ・・・ね。

いよいよ明日花とガラスの展示作業が始まる。
こうしてしばらくまた、通院と展示の二足の日常が始まる。

+村上仁美・高臣大介展「Water Fall」-9月1日(火)-
 6日(日)あm11時ーpm6時:1日午後6時~酒井博史ソロ
 投げ銭ライブ。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
  tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2015-08-30 14:03 | Comments(0)
2015年 08月 29日

内臓とスマホー窓(31)

腎臓を病んでから、内臓を意識する日常だ。
お陰様で食事も自ら考えるようになり、料理の意味も
門前の小僧ながら少しは理解するようになった。
山と川すら筋肉や血管に見えて、体内と外界が同じような
構造で呼応している気がしている。
街行く人を見ても内臓に手足頭が生えて移動している
ような気のする時も間々ある。
誰かは直腸系とか胃腸系とか思うと可笑しくなる。
赤ん坊は特にその様相が顕著で、正に内臓に手足が生えた
姿そのもののようだ。
内臓から頭が自立し出すと、大人となる。
その頭の自立は見えない所で内臓が支えている。
内臓回帰の大人は時に無意識の内に姿を見せる。
地下鉄車内などで時々見る手鏡を覗く若い女性。
あれは顔を見て化粧をチェックしているというより、
内臓の様子を覗き込んでいるように思える。
チェックの目付きが真剣で、美しいとは縁遠いからだ。
そして次はスマホをひたすら触る。
これも世間という世界の内臓をチェックしているようだ。
スマホはもう一つ外側の手鏡なのかも知れない。
筋肉言語の多い男性よりも、内臓言語の多い女性の方に
内臓を意識するのは自然なのかもしれない。
一番身近に存在しながら、普段一番見えない内臓世界。
頭という頭脳が自立し外界が主役となって、背後に退いて
いた五臓六腑が、外界に接する五体五感の外界機能に埋もれ
、身体の内と外を分断しているのが現代だ。
しかし五体五感は身体の外側の世界ばかりと交信して繋がっ
ている訳ではない。
身体の内側とも本来深く繋がっている。
そしてそれは脳という六番目の臓器、第六感という霊感感覚
を通して人間に固有の表現という創造物の第六体を与えている
事でも証明される。
五体五感を通して内と外が繋がり、内臓と外界が交流する本来の
回路を閉ざし、外界だけに目を向け、時に自閉的に内向きだけに
偏る状況が時代の病と思える。

病を得て如何に内臓世界が生命を司る根本にあるか、という事
を感じるのである。
始終スマホを覗き込んでいる彼氏、彼女よ、
その内なる手鏡を自己中心の呪縛の身体から解き放ち、本来の
内臓言語の外線回路にも切り替え給え。

*村上仁美・高臣大介展「Water Falー花とガラス」
 am11時ーpm7時:1日午後7時~投げ銭ライブ酒井博史
 ソロライブ。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2015-08-29 13:37 | Comments(0)
2015年 08月 28日

通り・界隈・町の根ー窓(30)

酒井博史さんがフェースブックで東屯田通りにあったサウナの
思い出を書いている。
父親に連れられて遊んだ入浴の記憶。
その場所がそのまま放置され残っていたというのだ。
東屯田通りの申し子・タウンボーイヒロシの独壇場だ。
4,5歳の時の記憶が鮮やかに蘇えり、昨日の光景のように語られ
彼の今は亡き父の背中が見える。

通りも界隈も違う私にも同様な記憶がある。
サウナではなく、銭湯の記憶だ。
そして何故か父ではなく、祖父の記憶だ。
私の生まれた駅前通りの裏にも風呂屋があった。
そこへ何故か泣きじゃくりながら、祖父と銭湯にいた。
背中を流してくれ、泣くなとばかりにゴシゴシと背中にタオルを
あて擦ってくれた祖父。
逞しい明治の男の優しさが肌を通して伝わっていた。

街に住がしっかりと根付いて生業とともに在った時代。
そこには通りと界隈が店の形をして、銭湯のように点在していた。
物流だけではなく、人と物、人と安らぎ、人と住まいが有機的に
連なり構成されてもいたのだ。
銭湯がサウナとなっても、まだ酒井さんの時代まで、サウナも
父と一緒に行ける銭湯的要素を残して、東屯田通りはあったの
だろう。
私の記憶では、サウナはもう大人の社交場のようで、子供の
姿の記憶は無い。
当時オーム真理教が社会的に問題となって、そこでサウナに
いた浅原という友人が語っていた話。
急に呼び出しのアナウンスがあり、お客様でアサハラ様、アサ
ハラさま、お電話が入ってますと呼ばれた。
彼は自分の名前に敏感になり、しばらく時間を置いてからカウ
ンターへ向かった、と笑い話にして話した。
サウナが街の中に出現した頃はもう私の生まれた通り・界隈から
住の構造は消えかけていたと思う。
東屯田通りは、街の中心部から少し西寄りの薄野と山鼻住宅街
の中間に位置していてシテイ(市街地)と高級住宅街の間に
広がるタウン(町)のようなゾーンだった。
住まいとビジネスが分離していく寸前の、住まいと生業が共存し
かつ部分的にサウナのようなビジネス領域も進入してくる新旧グレ
ーゾーンでもあったのだろう。
だから判子職人で住と店が一緒の酒井さんの家のような人にも、
サウナはいわばモダーン銭湯のように父と子の癒し場でもあった
のだと思う。
その意味で東屯田通りとは、商店街から人の住と生業の分離が始
まるその境目の位置に存在し、酒井さんの記憶に残されたと思う。
住を含んだ生業の通りは、生業がショップとなり住の匂いをかき消し
、高層化したエレベーター・エスカレーターの上下構造となり、さらに
はタワー化しドーム化して、消費の囲い込み・囲繞地というプラザ
化が進むのだ。

亡き父親との記憶に存した懐かしいサウナ。
そのまま残されたそんなサウナに奇跡的に出会った酒井さんは。
商品の背後に根付く人の<住>の語り部として、今後も活字印刷
の伝道と歌い手として生活の根の情感を伝え続けて欲しいと願う。
どちらも君にしか出来ない、町の根の仕事だよ。

*村上仁美・高臣大介展「Water Fall-花とガラス」-9月1日(火)-
 6日(日)am11時ーpm7時。1日午後7時~投げ銭ライブ酒井博史
 ソロライブ。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2015-08-28 14:13 | Comments(0)
2015年 08月 27日

風・水・音ー窓(29)

酒井博史さんの参戦が決まって、俄かに今回のふたり展
が集中味を増してきた感がある。
酒井さんも今までのような展示の副次的存在ではないライブ
となる予感がする。
先日届いた展示案内状の花とガラスの表題の真ん中に記さ
れた言葉が予兆のように響いてくるからだ。
まだ酒井さんの参戦の話が無い中で作られたDM。
その真ん中の言葉「花は風 ガラスは水 感じる音」
三者が揃っているではないか。
水の根のような「あふれでる」透明なガラスシリーズを百一本
からスタートし、将来千本を目指すという高臣大介。
花人として吉増剛造の驚異の傑作「怪物君」の展示に巨大な
根を掘り起こし展示した村上仁美。
ふたりの創造の原点は根である。
見えない泉をテーマにした「野傍の泉池ーヌプサムメム」展で
泉という水の根を意識した事が高臣大介のこのシリーズの起点
となったのだ。
一方村上仁美さんは花を生ける事を追求し、流派に所属しない
某著名花人に私淑し長年ひとり花を見つめてきた。
そして高臣大介を感動させ、吉増剛造をして絶賛させた昨年末の
吉増展での作品が木の根だったのだ。
地下深く水を求めて伸びる根。
地下深くより地上へと溢れ出る水の根ー泉。
ふたりのライフワーク・主題が磁力となって、今展示を引き寄せた
のだろう。
そして根の国の男酒井博史が根の声となって唄う。
これはもうヒロシーダイスケの友人関係だけでは収まらない
根の競演となる筈だ。
Water Fallー花とガラスに声が入って異世界へFallする。
そして季節は北の短い秋(Fall)がくる。

展示前の妄想第二弾である。

*村上仁美・高臣大介展「Water Fall-花とガラス」-9月1日(火)
 -6日am11時ーpm7時。
 *酒井博史ソロライブー9月1日午後7時~入場料投げ銭。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2015-08-27 12:22 | Comments(0)
2015年 08月 26日

岳樺ー窓(28)

展示の為の素材を山に探しに行った村上仁美さんが寄る。
朝里岳の方面に行って来たという。
凄かったわ、と岳樺の話をした。
亜高山地帯に立つこの木には記憶がある。
何年も前早春の朝里岳頂上近くに通い詰め、岳樺の雪解け
とともに表われる全貌を見続けた記憶だ。
樹木の版画を描き続けているF氏を案内し同行した結果だ。
強風と高地の所為で低く枝が地を這い、雪面に出ている枝は
山スキーで訪れた時はちょうど一休みするのに都合の良い
腰掛けのような状態だが、雪解けとともにそれは大きな木の
梢であってやがて奇怪な横に広がる全身を露にしてくる。
その姿を画家は葉の茂る前スケッチし作品に留めたかったのだ。
そのお供に何度も通ったのである。
結局この画はある事情で完成されなかったが、そのスケッチの
最終的なものをカメラに収めてある。

岳樺、アイヌ語でカムイタッニー神の皮の木。
平地の白樺などとは違い、荒々しく豪快で凶暴なその姿は正に
カムイの名に相応しいものがある。
高山の森林限界線に生える最後の樹木。
その上は這い松と笹藪が広がる。
その過酷な世界で光を求めて風と雪に対峙し、のたうつ様に
枝が伸び幹が支える。
まるで地中の根の先がそのまま顕現したかのような姿である。
根は水という光を求めて地中に根を張り、梢は光という水を
求めて空に根を張る。
そんな地と天を繋ぐ樹木の強烈な生命力を感じさせるのである。
Water Fallー今回の展示のテーマの素材を求め使えるか
どうかは未知だが、村上さんが岳樺に感動したのは分かる気がする。
滝という水の根と木という光の根が、きっと同じ位相で顕在化し
表出して感じられている筈だ。
すっと素直に伸び美しい曲線で梢・枝が広がる世界ではなく、
耐えに耐え命の禍々しさそのまま剥き出しの強烈さで這うように
立つ。
そこに今回のテーマの<Fall>の力を見たのだろう。
地を這い、空に這う。
Fallとは光と水の天地の回路の事だ。

展示前に私の中ではすでに妄想が膨らんでいる。
それがどう変わり、どう響きあうか。
見る者と創る者との作品を境にした対峙の時間は始まっている。

*村上仁美・高臣大介展「Water Fallー花とガラス」ー9月
 1日(火)-6日(日)am11時ーpm7時

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2015-08-26 14:06 | Comments(0)
2015年 08月 25日

酒井君参戦ー窓(27)

来週から展示予定の村上仁美・高臣大介展「Water Fall
ー花とガラス」に急遽酒井博史君が参加する事になった。
最初は別件で話していたのだが、最後に近々ライブをここで
やらして欲しいと頼まれる。
あれ、それなら大介と村上さんの時にやれば・・と言って
すぐふたりに連絡を取った。
高臣大介単独の冬の展示時はいつも恒例のように酒井君の
ライブがある。
今回は珍しくも大介さんが声を上げ指名してのふたり展
だから酒井君も遠慮し遠回りしていたのかもしれない。
おふたりは、即快諾で初日に行われる予定だ。
酒井君の胸に染み入るようなソウルな歌声は、きつと
村上さんの根の花にも通じるものがあり、今回の水の根の
展示にも通底してゆくだろう。
彼の歌声は時として最後に内から溢れ出るように絶唱する。
まるで胸の底から噴出する滝のようにだ。
上から落ちる滝ではなく、地中から溢れ出る湧く湧泉の、
水の根のようにだ。

期せずしてある種同類のような過激な3人が揃う。
勿論個々は全然違うのだが、なにか必然のように酒井君が
参戦する事で共通の根を感じるのだ。
地上に表出する前の、地中の内臓のような光と色と音が、
歌となり花となりガラスとなって、溢れ出るだろう。
深い根の三人。
水の根・滝となって溢れ出る。
そんな予感のする初日の夜だ。

*村上仁美・高臣大介展「Water Fall-花とガラス」
 9月1日(火)-6日(日)am11時ーpm7時。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2015-08-25 11:54 | Comments(0)
2015年 08月 23日

料理の話ー窓(26)

以前小袋に入った炒め物の調味料を衝動買いしたのが
あったので、使って調理したらお腹の具合が悪くなった。
やはり自分で作った方が良い。
料理の意味が気になって、漢和辞典で調べると、
<料・りょう>というのは(はかる)の意で、量を量るの
(りょう)は重量・重さを測るの意で、料は嵩(かさ)の
多少をはかるを意味するという。
<理>はおさめる・すじ・すじみちだから、素材や調味料
の嵩の加減の筋道を料理というのだと分かる。
自分好みの味加減の工夫その過程が料理そのものと言える。
既成の小袋にパックされた調味料は自分にあった理・すじに
おさまっていなかったのだろう。
つまりは料理方法は違っていたという事である。

そんな訳で再び自分流の味加減に調味料・素材を料をはかり・
料理した。
すると体調はけろっと回復した。
調子こいて深夜3点料理する。
エノキ・山芋・オクラの和え物、チンゲンサイと山芋の塩和え
・アスパラ・ジャガイモ・にんじんのゴマ和えだったかな・・。
これらすべて塩・醤油・油等の嵩加減で味が治まるのだ。
ニンニクの切り方もジャガイモの切り方も切り方ひとつで味の
食感が違う。
すじみち(理)があるのである。
生命という本質を支える、食の美味いという現象を生む料理と
いう実体・媒介・過程は、目に見えない所で苦闘し闘っている。
そこを既成のもので手軽にクリアーすると、料理という大切な
過程を喪って本質(生命)をも見失う事もある。

拙い私の料理体験は、現象・実体・本質の実体という料理の位
相をスポイルした事で、身体的にも胃腸の不具合という結果で
見事に料理と同じ位相の臓器の不機嫌な反応を学習したのである。

ある人からの要望で真面目な理屈ぽいあまり美味しさを感じない
料理論で申し訳ない。
ある親しいお方、これで許してくれますか・・ね。

*村上仁美・高臣大介展「Water Fallー花とガラス」ー9月1日(火)-
 6日(日)am11時ーpm7時。

 テンポラリーすぺース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2015-08-23 17:50 | Comments(0)
2015年 08月 21日

暑の戻りー窓(25)

そう簡単には夏は去らない。
寒の戻りならぬ暑さの戻りである。

そんな日沖縄の弦楽器を弾き謡う東京の川戸郷史君が来た。
いつも一緒の東欧人君も一緒だ。
今夕ライブがあるという。
ここへの訪問は今年初めの吉増剛造展以来だ。
いつも思いがけずふっと現れる。
あまり時空を感じさせない座敷童子のような人たちだ。
暑さが戻りその気温とともに現れたのだろうか。
9月の沖縄石田尚志展にも行くと言う。
その他東京吉増情報とかも教えてくれる。
信州で舞踏の大野慶人と吉増さんのコラボの話も聞く。
石狩の香がテーマという。
大野一雄亡き後大野先生を追悼する世界中の人たちからの
招きで多忙だった慶人さんの久し振りの石狩を主題とする
出番である。
心動くものがあった。
これも見に行って動画外情報を送ります、と川戸君が言う。
私は慶人さんと亡くなった歌舞伎学の権威郡司正勝先生の
話をする。
郡司先生が慶人さんの為に遺した戯曲。
それを踊る予定の打ち合わせの時郡司先生が死去し、急遽
参拝に札幌へ来た慶人さんくを先生自宅まで案内した事がある。
その帰路前の円山の店舗近く、北一条通りの洋館鬼窪邸前を
通り、ふっとこの辺りを主題に白秋の「この道」の歌ができたと
話すと慶人さんは吃驚していたのだ。
その後彼の最初の舞踏でバックに使われた曲だった事、そして
郡司先生の遺作を最初に公演した時も結局「この道」が使われ
た事が判る。
この郡司先生の遺作は未だ札幌では公演されていない。
札幌ススキノ生まれの先生の為にも、百余歳で亡くなった大野
一雄さんの為にも、そして勿論大野慶人さんの為にも札幌で
この遺作を上演実現したいと思っていた。
北原白秋の「この道」に因む場所も考えていた。
大野一雄が札幌と深く魂を交流させた野外公演「石狩の鼻曲がり」
の石狩河口から遡るように鮭がかって産卵した源流域である。
そんな場所を、かって鮭の養殖場もあったという泉湧く泉池に建つ
明治の洋館清華亭辺りと思っているのだ。
川戸君の訪問でその情報から今まで封印していた気持ちが再燃
してくるのを感じる。
暑の戻りは季節だけではないようだ。

*村上仁美・高臣大介展「Water Fallー花とガラス」ー9月1日(火)ー
 6日(日)am11時ーpm7時。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2015-08-21 14:48 | Comments(0)
2015年 08月 19日

夏の末ー窓(24)

どこかもう秋の気配がする。
ー秋とは夏の年(sak-pa)の中に含まれ、春はsak-paの初め
秋はsak-paの終である。それでシズナイやシャマニでは秋の事を
sak-kes(夏の・末)とも言うのである。

                  知里真志保「地名アイヌ語小辞典から

1年を夏・冬で数えた先人のこの地での体感感覚が生きている季節感。
均等な四季ではなく、短い春・秋を含んだ夏。
そして長い冬。
最近の地球温暖化で少しズレてはきてるが、北海道では大きくは
今でも二季節に集約されるのかも知れない。
短い春の夏の始まりが色彩で言うなら、福寿草の黄であるなら、秋は
どんな色だろうか。
やはり紅葉の始まり橙色か赤だろうなあ。
テンポラリーの壁を毬藻のように覆う今年の蔦も、やがて橙色から
深紅の燃えるような朱に染まる。
1週間程の短い秋のsak-kes(夏の末)だ。
人と共生してここ3、4年、壁の蔦がびっしり生育した。
お金や人の手では不可能な自然の装飾。
髪茫々を咎めるように、切りますか?とお節介やく人もいる。
また自分の家では蔦が育たないので、種をくれと言う人もいる。
無人の廃屋のようだった時には、細い蔦の蔓だけの壁だったが、人の
往来があり家屋の温度湿度が高まった所為だろうか、一緒に喜んで
美しい緑と深紅のsak-pa(夏の年)を迎えてくれるのだ。
お金をかけてキンキラ・ピカピカの外装を飾るよりも、なんと自然の
共生という共住生活だろうか。
家屋全体を覆うような旺盛な蔦の生命力だが、それは決して原始林
の荒々しいそれではない。
人の生活・活動と共に生きている親しい境界の生命力なのだ。
明治の治水学者岡崎文吉のように、人間に都合の悪い一部分だけを
そっと手を加え共生する自然主義を、川だけではなく植物にも適用し
たい気がする。
川の蛇行も植物の曲線も同じ自然の生命の律動・リズムなのだ。

テンポラリーの外壁の話の次は、内側の話である。
来月1日から始まる村上仁美・高臣大介展は、昨年末から今年初め
に展示された吉増剛造展で村上さんの活けた木の根に感激したガラス
作家高臣大介さんの強い意思により実現した展覧会である。
村上さんの巨大な根の作品は当事者の吉増剛造をして感服絶賛の
声を上げさせた。
そしてもうひとり絶賛したのが、高臣大介その人だった。
ふたりの稀有な作家に認められ、それこそ地中の根のように表立たず
静かな力を蓄えていた花人村上仁美さんの登板となった経緯がある。
村上さんの表示した展示タイトルは大介氏の賛同も得て「Water Fall」
となった。
sak-kes(夏の・末)に相応しい水の根の落下・滝の展示となるだろう。
ふたりの天才を深く感動させたあの巨大な自宅庭の木の根。
根は今、水という光を求めて地中の空に梢のように掌をのばしている。
その水を主題に地中から空へと繋ぐWater Fall。
根は巨大な龍ともなって水を遡り空へ虹のように向かうのかも知れない。
透明な水と光と空気の存在感を高臣大介の透明なガラス造形が
燦々と寄り添う事だろう。

sak-kes(夏の末)の水の花火、
ガラスと花の競演が楽しみである。

*村上仁美・高臣大介展「Water Fall-花とガラス」-9月1日(火)ー6日(日)
 qm11時ーpm7時。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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by kakiten | 2015-08-19 13:42 | Comments(0)