テンポラリー通信

kakiten.exblog.jp
ブログトップ

<   2015年 03月 ( 23 )   > この月の画像一覧


2015年 03月 31日

陽が翳ってー歩行(25)

陽が翳って薄墨色。
少し寒さも戻る。
高向さんの鉛筆画と書の墨の色が空気に滲んでいる。
敢えて照明は点けず自然の光のままに。
晩い冬の残る曇天の空気が道の灰色の光と融けて、
まだ微かな春の色彩を消している。
光は直進せず柔らかに全てを包んで、鉛筆画の濃淡、
書の濃淡をそっと浮かばせる。
静かな2週目の初日。

昨日の透析治療で急激に血圧が下がり、疲れが残る。
水との闘い。
随分と体重も減った。
ドライウエイトー明日のジョーのようだ。
筋肉は水のダム。
減量しつつ筋肉は鍛え維持しなければならない。
その過程で肉体も薄墨色の淡い体力の中。
高向さんの花の写真のように、心だけは真っ赤に燃えて
前を見ている。
腎臓が冬の臓器なら、きっと心臓は真っ赤な夏の臓器。
心腎一体の相関関係というから、夏と冬は南極・北極のように
、対極の磁場・肉体を生むのだろう。
太陽の光・熱と地球の水・冷の両極が人間の命という星を
守っている。
体内の命(ミコト)は他にも沢山あって、今は亡き父のように
母のように友人のように、この肉体という星に住んでいるに
違いない。

心や精神を形象する表現と同じように、見えないものは
体内にもミコト(命)の形象で存在している気がする。
心臓は父さんか爺さんかな・・。
母さんは肝臓で・・。

*高向彩子書画展ー4月5日(日)まで。
 am11時ーpm7時。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
[PR]

by kakiten | 2015-03-31 12:32 | Comments(0)
2015年 03月 28日

柔らかな風ー歩行(24)

春を告げるような優しい風が吹く。
光も水も緩む。
女性達の内臓的言語で言えば、”カワイイ~”季節である。
これが春一番の強風や寒気の到来となれば”コワ~イ”と
なるのだろう。

羆もそろそろ冬眠から目覚め近隣に姿を現す頃だ。
最近白熊が高値で動物園に売買されていると聞く。
白熊は女性や子供に人気があるという。
これもカワイイ~の為せる人気だ。
地球温暖化で白熊の数が減っているというデーターもあり、
その意味ではコワ~イ話でもある。
可愛い花嫁が頭に角隠しをするのは、そうした自然や野生へ
の先人たちの知恵だろうか。
アイヌ語でもカムイとは神性と魔性の両方を表す。
カムイワッカとは澄んだ毒の水を意味する。
楯の両面のようにカワイイ~とコワ~イは水にも光にも風にも
当て嵌まるのだ。

先日尋ねてきた作者の友人という女性がいた。
元気な人で梯子を身軽に昇りじっと下の鉛筆画を見ている。
傍に行き声をかけ作品の感想を聞いた。
以前作家から絵画を見せてもらった事があるという。
その時も驚いたが、今回来てさらに感慨を深めたという。
命をラップした切り身の魚。
その向こうに生命の鼓動を描いている。
そんな話をした。
色々話している内に頭が前に俯き、目が涙目になっている。
なにか人生上の経験で心に響くものがあったのだろう。
身体の部位毎に切断され、切り身として透明なラップに包まれ
販売される。
その部位の向こうに在る命をこの鉛筆画が描こうとしている。
その意思の力に彼女は心打たれたに違いない。
1階の蛸足、鮭の身、海老の全身。
そして2階正面に鯛の頭部が目を開けて2つ並び、もうひとつは
頭の無い海老の身。
その左北壁には色鮮やかなカラーの花の写真が並んでいる。
下と上の作品構成の違いは、作者の精神的な身体性の位置でもある
のだろう。
見詰める現実と見詰めている心の位置だ。
位置というより位相といっても良い。
書の方の配列にも同じ事が言える気がする。
臨書と呼ぶ名立たる書家をお手本とする書。
5本の掛け軸に書かれた5種類の臨書に対峙するように砂漠の
ような荒れた大地の岩山に斜道を貫通させ祝った記念碑の碑文。
そこにはその地に生きる人々の誇りと喜びが感じられ、風景さえ
も見えるような素朴な文字である。
対面する5本の掛け軸に匹敵するような大きさでこの文字を選び
展示した意図には鉛筆画と同じような無名の生命への作家の意思
が篭められていると思える。
2階北に飾られた花の写真21葉は彼女の心の炎でもあるだろう。
そしてその炎は現実の透明なラップで分別された切り身の命を
燃えるような視線で見詰めている。
生命を愛しむ心と分断され切り身とされた現実の間を見詰める。
それはコワ~イとカワ~イイのどちらにも流されまいとする強い
意志が彼女の作品力を支えている。
高向彩子書画展は書道・絵画・写真というジャンルで語られる
べきではない。
作家自身が日々感じた現代への批評精神の顕現として、そのナイ
ーブで強い心の発露として感受すべきなのだ。

涙目をした先刻の女性はなにか吹っ切れたような表情で帰っていった。
その微かな満足感、何かを埋めたような満ち足りた表情が全てを物語
っていた。良い個展である。

*高向彩子書画展ー3月24日(火)-4月5日(日)am11時ー
 pm7時;月曜定休。

 テンポラリースペースっ札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
[PR]

by kakiten | 2015-03-28 14:45 | Comments(0)
2015年 03月 27日

風のキッスー歩行(23)

夕方A氏が来た。
公務員の彼は多忙な毎日の中ドラム奏者でもある。
その彼が2007年のスイングジャーナル10月号の
切り抜きを持参してくれた。
読者通信の富樫雅彦追悼である。
格好良いドラマーだよ、それで切り抜いてとってあった
んだ、と言う。
初めて見るドラム奏者富樫雅彦。
少しA氏にも似た面影がある。
早速吉増さんからの手紙も見せた。
黙って読んだA氏はタイトル文字も含めてコピーさせて
欲しいと近くのスーパーへ向かった。
何も言わずとも全て分かったのだろう。
富樫雅彦への尊敬が間にあった。
吉増×富樫×A。そしてA×富樫×吉増。

もうひとつそんな魂の交叉を感じる事があった。
昨日のブログを打ち込んで直ぐメールが来た。
秋元さなえさんからで、資料届けに近日伺いたいという。
及川さんの江別・飛鳥山をブログに書いたばかりだった。
秋元さんは故郷飛鳥山をテーマに初個展を2年前開いている。
ここでも及川×江別×秋元と何かが動いている。

今朝ニューヨーク・トルコ留学1年の滞在を終えた鈴木余位
さんから宅急便が届く。
中には2つのバッグと一枚のTシャッと絵はがきとメモ。
山田さん村上さんと私へのお土産である。
私へのTシャッはチェルシーホテル前に立つ若き日のメカス
の柄。
村上さんにはトルコの大詩人ヒクメットのイラストが入って
山田さんには同じ詩人の写真が入っている。
メモには<僕も同じお揃いを持ってます!!>と書かれていた。
余位さんが初めてここを尋ねて来た時私以外で最初に会い親
しくなったのがこのふたりである。
札幌の3人への深い友情がこのお土産に込められている。
それを思うと心が熱く胸にこみ上げるものがあった。

 前略 ただいま帰りました。出発からちょうど1年となりました。
 ・・・アメリカ、トルコ、そしてフランスと世界の今の中心に居
 ながら隅を目指しました。頭より僕の足の方がよく知っているで
 しょう。その声を聞きながら、冒険を続けます。・・・

1年ぶりのなにか肉声を聞くようにこの文を読みながら、再び胸を
熱くする思いがあった。
これも余位×何かなのだろうなあ~。

風が触れるように、キッスするように、人が心の風で触れてくる。
遠い友人同士が心の風で触れている。
吉増さんも余位さんもA氏も秋元さんも及川さんもそれぞれの心の
風を飛ばしている。
高向彩子展3日目夕方から4日目昼の風の出来事だ。

 *高向彩子書画展ー3月24日(火)-4月5日(日)
 am11時ーpm7時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
[PR]

by kakiten | 2015-03-27 13:24 | Comments(0)
2015年 03月 26日

気付くものー歩行(22)

フォークソングの草分けの人及川恒平さんが来る。
5月に山田航さんとのduoを予定しその日程の打ち合わせの為だ。
程無く山田さんも見え打ち合わせが始まる。
山田さんより提案があり、どこか一緒に歩きましょう、そこの風景
から歌と唄を創りそれをテーマとしたい。
山田さんはD新聞に連載中の札幌を主とするモノローグ紀行で
尋ねた色んな場所が頭にあるようだ。
すると及川さんがふっと呟くように言った。
”ぼく本籍は江別なんだ、そこで生まれたけど記憶は無いよ”
及川さんの澄んだ歌声は確かに北のものだ。
九州生まれの陽水と比べると良く分かる。
山田さんは江別を何度か取材し歌を書いている。
生まれたのは江別の飛鳥山の辺りらしいんだ、と及川さんが言う。
今年から自身の音楽活動の拠点を北海道に移す積りという。
その再出発のスタートに山田さんとのコラボを選んだのだ。
ここでは三回目となるDUOだが、今回はより深い意味を保つだろう。

そこへ吉増剛造さんからの手紙が届く。
開けると和紙の便箋が3葉あり、2葉は故富樫雅彦氏への思いの
深さが記されていた。
GOZOCINE「怪物君」でいつも背後に流れている奏者の名
である。

 「怪物君」は、故富樫雅彦氏と高橋悠治氏の演奏に聞き耳を
 たてるようにして生きて来ているのを、驚きとともに発見して
 いました。・・・今日で606葉、・・・これがどうやら「怪物君」
 の魂のいちぶぶんらしいのです。

次回吉増展YAMADA(歌)余位(フイルム)仁美(花)という
吉増さんからの提案に、ドラム奏者A氏をと私が提案した事への
気持ちの返事と思う。
私はこの3人のゲスト参加の場面でA氏の音を考えていた。
でも主役は吉増さんの草稿と映像である。
そして今は亡き演奏者に対する深い想いが再発見されている事に
こちらも深い感銘を覚えた。
他の音は考えられないのだ。

そして同封されていたもう1葉は次回展示タイトルの筆の黒文字。
これが凄かった。
横にすっと伸びた筆先がドラムのステックのようだ。
富樫さんの音が乗り移ったその形象のようだ。
もう何も言う事は無い。
ただ黙って山田さんと及川さんに見せた。
すると及川さんが言う。
知ってるよ、足を刺された後富樫さんは足でドラムを打てなくな
り、しかしその後の演奏が凄かったんだ・・。
現場で富樫さんの演奏を見て聴いている人がいた。
不思議だなあ、そういう人がいる時にこんな手紙が届くなんて・・。
喪った人の再発見、記憶に無い生まれた場所の再発見、と及川、
吉増さんの心の旅はこれからも続くだろう。

夜遅れて来た中嶋幸治さんが吉増さんの文字に興奮していた。
前回吉増展の「水機ヲル日、・・・」をデザインした彼は大いに
次回への構想が沸いてきたようだ。

高向彩子展初日ー不思議な魂出会いの初日でした。

*高向彩子書画展ー3月24日(火)-4月5日(日)am11時ー
 pm7時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503 
[PR]

by kakiten | 2015-03-26 12:17 | Comments(0)
2015年 03月 24日

初日ー歩行(21)

高向彩子書画展初日。
あいにくの冷たい氷雨。
寒の戻りで凍える。

会場正面に切り身の蛸の絵画が3枚ある。
その手前に自ら制作した台が二つあり、その上に海老と鮭の
切り身の絵画が置かれている。
左北壁正面には中国後漢の時代の道開拓の記念石碑の文字
拓本を書き写した大作が展示されている。
その対面北壁に5本の掛け軸に5種類の臨書の文字が並ん
でいる。
吹き抜け2階壁には同じ紅い花の写真が9葉3段組で飾られ、
もう一方の壁はそれぞれが違う13種の花の写真が吊られて
いる。
さらに2階正面には下と同じ2枚の鉛筆画の魚の切り身の絵画
が、吹き抜けの下からも見える位置に飾られている。

良く出来た会場構成だ。
今の高向さんの心象がすべて出ていると思う。
紅い花は特に彼女自身の熱い心の反映なのだろう。
そして切り身と漢書の石碑の文字は、遠い時代を超えて感じる
人間の息遣いへの共感そして切り身の絵画は透明なラップの向
こうに在る生命への凝視であろうか。
共通するのは生命を遮断・分類する現実を超えて命を凝視し
分離する境を透視しようとする強い眼差しである。
書道・絵画・写真といったジャンルもすべては自分という心の
表現の一手段でしかない。
書を通し鉛筆画を通し写真を通し会場構成を通して浮かび上が
るのは、高向彩子の現在であり、如何なる方向への逃避でもない。
中国古代の書を通して時の向こうに逃避する訳でない。
花の写真で花の持つ美しさに身を預ける訳でもない。
ラップされ切り身とされた魚介類の現実に、その透明な分断の
向こうに身体の命を凝視する。
時代やジャンルで分別・分断される現実を自分自身の感受する
現実として再創造、再構成する、それが作者の意思であり表現
なのだ。
今回の展示はそうした作者の思いが全開している個展である。
この先にどんな選択があり、どういう表現手段を選んでいくかは
分からないが、今した事は大きな強い足場となるだろう。

ジャンルでも、時代の違いでも、生物の分類でもなく、輝く生命
が在る事。
そこを見詰めて表現する高向彩子がいるという事は確かだ。

*高向彩子書画展ー3月24日(火)-4月5日(日)
 am11時ーpm7時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
[PR]

by kakiten | 2015-03-24 12:22 | Comments(0)
2015年 03月 22日

展示中ー歩行(20)

高向彩子さんの展示作業が始まった。
最初に大きな石碑の碑文の書が飾られた。
中国後漢の時代、斜道の開通を称えて彫られたものという。
時を経て忘れられ見捨てられていたのを、後世再発見
され修復されて今は博物館に保存展示されていると聞く。
漢文の一見稚拙とも見える文字だが、道を切り開いた
人の喜びが道の向こうの風景と共に目に浮かぶような
活き活きとした筆跡の文字だ。
部分的に読み取れる一文字一文字がその喜びと興奮を
伝えてくれる。
これは決して皇帝とか偉い人を称える碑文ではない。
むしろ無名の道路開拓に関わった人々の開通の喜びが
全体から伝わるような字体と文字なのだ。

パックされた切り身の魚介類を元の生き物として
その生身を彷彿とさせる鉛筆画に描く高向さん。
彼女が書を通して見詰めているものもやはり書の向こう
にある生々しい人の生活、生き様である事が良く解る。
書とか絵画を問わず高向さんの表現の核心には、生き
ている物への時代や生物の分類という分別のベールの
向こうにある生命への関心・愛着ではないかと思える。
鉛筆で細かく大胆に描かれたスーパーの切り身。
透明な膜に包まれた蛸や魚。
それらが鉛筆とは思えぬ生々しい感触で、生きた色彩
をも感じさせるような存在感を保って表現される。
この鉛筆画の感性は多分書とも共通する描線と白黒の
彼女の描彩なのだろう。
芯の強い人である。
まだ若いだけにそうしたジャンルを問わず自分を主張する
事に警戒心も強い。
書画展という平凡なタイトルにもその用心深さが出ている。
当初は「汽水」という境界を表すタイトルだったが、それを
止めて書画展とした経緯にもそれがある。
しかしDMに蛸の鉛筆画を載せデザインした中嶋幸治さんの力
で、この展覧会の真の意図は見事に伝えられている。

少し及び腰ながらも、凛々しく初々しい船出。
全ての作品を並べ終った時一番最初に満帆の喜びを堪能する
のは、他ならぬ作者本人である事は間違いない。
展示された作品群の内に新鮮な自分を見つけ、他者と共に分か
ち合う脱皮した自分がいるに相違ない。
それは恰も彼女の描く透明なラップに包まれた切り身の魚介が
その分類・差別から解放されるように・・・。

*高向彩子書画展ー3月24日(火)-4月5日(日)
 am11時ーpm7時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fac011-737-5503
[PR]

by kakiten | 2015-03-22 13:36 | Comments(0)
2015年 03月 21日

歩き染め、歩き深めてー歩行(19)

もうあの韋駄天と呼ばれた歩きはない。
けれど私の人生は、歩行が基本にあるような気がする。
いつも大事な変わり目の時に歩行があった。
今の場所を探した時も4ヵ月近くほぼ毎日の歩行があった。
地質図と古地図と今の地図を片手に歩いた。
20代の終わりの頃登山の魅力に嵌り高山・低山を問わず
歩き回った。
そこで鍛えられた地図を読む力が、地質図を通して今の街
の下に眠る地形を読む方向へ導いてくれた。
山だけではなく何の変哲も無い街路の下に眠る川や丘の起伏
を見る目を見つけていたのだ。
ある時代まで人は間違い無く自然の起伏とともに集落・町
を造っていた。
その事実は足で歩くと良く分かる。
かっての村境が自然の地形と共に在り、川や山の存在と密接
に繋がってある事が分かる。
時としてその境で風も雨も天候さえ違うからだ。

祖父・父の仕事を継いだ後よく道外へ窯元の仕入れの旅に
出た。
その時も見知らぬ土地を歩き回った。
自分で見つけた作品をその作者のいる土地を訊ね歩き、人と
作品と土地の風を感じた。

歩行はなにも新奇な見知らぬ場所ばかりではない。
いつも歩く道にも新たな発見がある。
見過ごしていたものが見える時がある。
歩き染めて、歩き深まる道がある。
そうした魅力的な道は概して古い道が多い。
人馬を基本とした路幅の道。
人を基本とした小路、仲通。
自動車が中心となってからは、人の蛇行が省かれる直線の
ロードとなって目的地へ繋ぐ線となっている。
物を運ぶには最適だが、歩行ではない。
最近そんな車のような早足のスタイルと歩行を見る。
街路が地上に地下に整備されてそのリズムが反映している。
街に韋駄天・飛脚が増えている。
みんなS急便の飛脚のようだ。
山で韋駄天だった時は足下も定かでない山道での瞬間的
反発力が楽しかった。
足元から目も耳も両手も全身の筋肉が山の自然とともに
躍った。
山の懐で山の自然と一体となる。
それが楽しかった、
運搬や移動だけではない汗の行動が歩行にはある。
早さも遅さも目的ではない。
どちらもそのリズムで味わう過程であって、それは歩行の
範疇なのだ。
だから韋駄天も否定はしない。
しかし現代の道路構造は移動を基本とする。
それは速度に重点を置いた構造である。
タワービルに地下鉄に自動車にエレベーター。
高速電車に新幹線。
物理的距離は短く縮まるが、足元に眠る未知は消える。
目的へ向かう直向(ひたむき)な感性の足が消える。
道から未知が消え、足が溶けてゆく。

それではまるでお化けじゃないか・・。

*高向彩子書画展ー3月24日(火)-4月6日(日)am11時ーpm7時
 月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503 
[PR]

by kakiten | 2015-03-21 13:29 | Comments(0)
2015年 03月 20日

もうひとりの少年ー歩行(18)

山田航さんの文章絶賛の吉増さんの文章の前にひとつ少し気に
なる一文があった。
 
  戻ってその日が3/13の高見賞にて、K・Mさん来て下さ
  って久々でした、・・・。

K・Mさんとは私の古い友人で彼のデビュー以前からの友人だ。
今回の吉増剛造展にも連絡し、来てくれるように伝えた。
しかし顔は見せず少し残念な気持ちが残っていた。
彼は詩も書き絵も描く才能ある文学者で、今回の吉増展の絵画と
文字と語りの映像を是非見て欲しかったのだ。
文学界の一方の雄ともなった彼とは大分疎遠が続いている。
しかし会えばすぐ復活する遠い友情がある。
来られない事情もそれぞれ時にはあるから、それっきり忘れて
いたが、吉増さんの記した一行でふっと思い出したのだ。
会う場がもう違ってきたのかなあ~という感慨である。
高見賞とは吉増さんが選考委員をしている高見順賞の授賞式の事
と思われ、今のK・M氏と出会う場の違いをふっと感じたのだ。
ある意味当然といえばそれまでだが、少し寂しさも湧いた。
一方で彼より遥かに短い期間の付き合いしかない山田航が書いた
一文に深い友情を感じていたからである。

 テンポラリースペースという「場」は、札幌が生んだ一つの奇跡
 だとすら思う。少なくとも、吉増剛造が毎年決まって展覧会を開
 くギャラリーが、地方都市にあるというのは異例の状況だ。・・・

誉め過ぎで照れる気もあるが、吉増展は紛れも無い事実である。
そうであればこそ、K・Mには来て欲しかったのだ。
その思いが蘇ったのである。
友情を交感する場が変わってきている。
仕方の無い事なのかもしれない。
K・Mを批判している訳ではない。
沢山の色々な自分を削ぎ落として裸のような行為だけとなった今、
ふたりの新旧の友との出会う場の違いがそのまま顕れたと感じて
いる。
しかし新旧とか立つ場に変わらぬ友情もある。
それがあの路上の病のぼろぼろ歩行の時声をかけてきた少年に
似たもうひとりの少年の存在が在るという事だ。
両方の違う場の中心に吉増さんが立っていて、それが私の中の
何かを突いたのだ。
身に纏う色んな衣装を削ぎ落とせば落とす程困難な状況と志だけ
の裸身に近い歩行になる。
その時出会う友情は年齢でもジャンルでもない同時代人として
出会う道・回路の路傍である。
その回路を保って場が創られてきた。
そこで出会う友がいるという事だ。
思えばみんな路傍のあの少年と同じ顔で立っている。
同時代という裸の路傍。
吉増さんの何気ない一行にいつの間にか別の離れた路を歩行して
いる旧友を感じた自分がいたのだろう。
削ぎ落とすものにも小さな傷口はいくつかある。
感傷という傷口もまたあるさ・・・。

*高向彩子書画展ー3月24日(火)-4月5日(日)am11時ーpm7時
 月曜定休。
 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
[PR]

by kakiten | 2015-03-20 14:31 | Comments(0)
2015年 03月 19日

便り有りー歩行(17)

フランスから帰国したばかりの吉増さんから便りある。
現代詩手帖3月号の山田航さんの吉増剛造展に関する文章を
読み絶賛の言葉が踊っていた。

 十日程仏蘭西へ。「水機・・」舞台版にて、驚きのようなものが
 湧き上がっていたようです。・・・・
 戻って初めて山田航氏のこれ以上のバランス感覚は考えられよう
 がないと感じさせる、深い滋味掬くすべきとてもいい文章に接し
 ました。こんな佳文が書けるひとはそういない・・われらも倖せ、
 スタッフもみな・・・でした。いいなあ!

この文章は私も出版されてすぐ読ませてもらったが、昨年暮れか
ら今年初めまで展示された吉増展評は前半3分の1程で、残りの
3分の2は私と吉増さんの交渉史とその分析に充てられていた。
3年ほどの交流で山田さんは実に深くよくみているなあ、と感激し
ていたが、一方の吉増さんがどう感じているかは未知だったので
なんらかの反応があるまであまり触れずにいた。
それが今日フランスから帰国し最初に読んだ感想を頂いて嬉しく、
私も<倖せ>を感じた。

最近遠い昔の路傍の少女を思い出し、それがごく最近の路傍の少
年と重なっている事の原因を思っている。
共通なのは私自身が精神的に素裸のような歩行の状態にあった事だ。
若年で心が素裸だった時と全てを無くした老年の心の素裸。
そうした素裸の精神で歩行している時周囲に若い年齢の友人が
顕れてくる。
そんな気がしたのだ。
かっての友人達はそれ相応の社会的地位と肩書の中にいる。
それはそれで立派な仕事をやり遂げた結果である
そんな友人たちの多くは今は疎遠である。
それに換わるように山田さんのような若い友人が多い。
これは私が素裸に近く為れば為る程近づく友人の年齢も下がる
という現象である。
不思議だなあ、遠い昔の少女の記憶と重なって自分自身の生き様
が見えてくる。
そんな中で近い年齢の同時代人として吉増さんとの交流が嬉しい。
今回の便りは直ぐ山田さんにも伝えた。
嬉しいです、と即返事が来た。
書いた人も幸せ、読んだ人も幸せ。
素裸に近く心が通うのは、今を生き抜いている歩行の証しだ。

 ・・・われらも倖せ、スタッフもみな、。いいなあ!

吉増さんがあの少年のように見えてきた。、
今度こそ、珈琲でも飲むか、みんなで一緒に。。。、

*高向彩子書画展ー3月24日(火)-4月5日(日)am11時ーpm7時
 月曜定休。
 テンポラリスペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503


 
 
[PR]

by kakiten | 2015-03-19 16:06 | Comments(0)
2015年 03月 18日

春の風ー歩行(16)

卒業式の始まる季節。
漂う春の気配に思い出していた。
父の死で故郷へ帰る事を決めた大学4年卒業の春。
その断念の穴を埋めるように横浜郊外の見知らぬ家を
初めて尋ねる為歩いていた。
雪は無く乾いた路面。
北国では見られぬ赤い花が咲いていたような気がする。

東京に暮らして最初に感じたのは春の長さと植物の違い。
下宿脇の竹林と柿の木が珍しかった。
白熊さんとか、熊出るんでしょうとか、熊に関した北の
話題が下宿のおばさんに言われる事が多かった。
生まれた場所が札幌の中心だったので、熊が話題になる
事はほとんど無い環境だったから、思わずむきになって
否定した事も思い出す。
そしてそれまで絵本でしか見た事の無かった柿や竹の日
常的な風景が新鮮だった。
今の季節は桃や梅の木が順番に咲き、秋には柿の実が
赤く色づいた。
その順番が長くゆったりとして春も秋も北国より長く感じ
られたのだ。
同じ春でも路辺に残雪の腐れ雪の残り、真ん中だけが乾い
たアスファルトの札幌の道とは違う。

しかし何故か、見知らぬ街を住所を確かめつつ突き詰めた
思いで歩いていた時と、病でふらふらしながら初めて行っ
た病院の住所を確かめつつ歩いていた時とが、路傍の少年
少女の記憶として不思議なリンクをして甦ったのだ。
初冬と早春の違いはそのまま私の人生の春と冬の季節の距離
でもある。
しかし少年と少女は同じ10歳前後の年齢だっただろう。
あのふたりは早春の春の象徴のように、困難な状況と開く意志
の境界に現れた座敷童子だったのかも知れない。
冬の始まりと冬の終わりの境界の軋めく季節の光の花のように。


*高向彩子書画展ー3月24日(火)-4月5日(日)am11時ー
 pm7時:月曜定休。
 
 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
[PR]

by kakiten | 2015-03-18 14:13 | Comments(0)