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2014年 11月 30日

具象と抽象ー街灯・霜月(13)

木彫りの熊という具体的なものに触れながら人はより抽象的
な思いを抱いている。
岩見沢から所蔵の熊を持参して見せてくれた人がいた。
内側の筋肉が盛り上がるような下向きの熊。
もうひとつは彫線が鮮やかな外へ向かうような熊。
後者は気が外へ向いて木彫作品としては未完なところがある
が、なにか訴えるものがある。
居わせた人たちはふたつを見比べて、やはり後者の未完成の
ような外に気の溢れている方を手に取り眺めている。
彫線のひとつひとつが彫る人の心の高ぶりを伝えて、その時
の生活感まで溢れてくるようなのだ。
作品としてはその溢れるもが勢いあり過ぎて未完成の面があ
るが、それが逆に見る人の心をそそるのである。
もうひとつの内側に力を蓄えているような筋肉と毛の大き目の
熊は技術的にも完成度が高く彫刻として優れてはいる。
しかし彫りの内向きな力が目をそこで留めさせる。
もうひとつの多少荒削りの外向きの彫りの熊は、見る人の心
をそそり手に触れたくなり色々語りたくなるなにかを内包して
いる。
木彫りの熊という非常に分かり易い具象を通して、人は深い
心の抽象を感じている。
それは作品の保つ木彫りの彫刻の一鑿々の線が惹き起す回路
が繋げている心の描線でもあるのだろう。
個々の木彫りの熊の保つ彫刻としての作品力を抜きにこの多く
の人の会話は語れない。
具象を通して人は深い心の抽象に触れる。
その具象が生活の根を保ち、鑿跡が心の襞に深く触れる時
個が開放されて他者へと語りだす普遍性の階段を上りだす
のだ。
作品が個へと届きだすのである。
抽象とは本来そうした具象へと及ぶものの事ではないのか。
木彫りの熊という具象を通して人は解放され、安心して自分
という個を振り返っている。
そしてその解き放たれた自分を他者へと語りだす。
聞く人もまた同じ思いを共有して自分という個を語りだすのだ。
木彫りの熊はスマホのように存在し、かつもっと他者に開かれ
る存在だ。
街でケイタイ・スマホを覗き込んでいる人を見て、そう思った。
木彫りの熊一体のほうがあの電子機器よりより一層広角度で多
機能である。
芸術作品とは本来そうした深い本質的な伝達物なのではないのか。

今日で「山里稔と木彫りの熊展」も最終日。
開場と同時に今日も人が来て絶える事が無い。

*山里稔と木彫りの熊展ー11月30日まで。
 am11時ーpm7時。
*吉増剛造展「水機ヲル日、・・・・」-12月9日ー1月 11日。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel.fax011-737-5503
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by kakiten | 2014-11-30 12:53 | Comments(0)
2014年 11月 29日

熊の巣ー街灯・霜月(12)

一日に何度クマという声を聞くだろうか。
低い語尾の発音もあれば甲高い最初の音を強く発する人
もいて様々である。
木彫りの熊に触発されてさらにその時代の忘れられた
言葉が飛び交う。
ガンガン、カンカン、バクル、押入れ、下駄箱等々。
見に来る人はそうした時代の自分を語ってもいる。
従って話が止まらないで長くなる。
これは老若男女を問わないから不思議だ。
若い人には若い人の過ごして来た時間がある。
それはそれなりに長い語りを生むのである。
そんな多くの人の歴史を織り込んで今日も朝から
人が続いている。
お相手する山里さんも席を暖める暇が無い。
明日最終日。
打ち立ての蕎麦の差し入れで打ち上げである。

萬鉄五郎美術館から連絡があり、吉増展の作品を送荷
するとの事だ。
熊に続いて水を主題とする「水機ヲル日、・・・」が始まる。
養生しながら自分自身の身体の水とも向き合って闘わねばならぬ。

*山里稔と木彫りの熊展ー11月30日まで。
 am11時ーpm7時。
*吉増剛造展「水機ヲル日、・・・」-12月9日ー1月11日
 
 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2014-11-29 14:39 | Comments(0)
2014年 11月 28日

ふたつの黒ー街灯・霜月(11)

寒さも増して街では黒っぽい服装が増える。
特に女性は時代の先端のファッションを装う。
地下鉄や電車に乗る機会が増えて特にその足元に目が行く。
先の尖った靴に黒のロングソックスかパンタロンのような
無駄の無いシャープな足元が多い。
時代の価値観を象徴するようにスピードがあって余計な物
のないシャープな鉛筆の芯の先のようなスタイルである。
毎日切れ目の無い熊フアンの会場にいて、熊のずんぐりし
たスタイルとその色が多くは黒である事を思った。
熊フアンには若い女性も多い。
そのファッションは黒の網タイツに先の尖った靴の人もいる。
熊の色と形とは対照的なものである。
この女性のファッションに代表される新幹線のような鋭角的
な無駄の無い直線的な価値観と熊の保つずんぐりした黒とは
ふたつの異なる価値観の象徴ではないのかと思った。
もし実際に熊が街に出没すれば大騒ぎになる。
しかしその危険な熊が木彫りとなれば愛される存在となる。
木彫りの熊は、自然(野生)と人間社会の緩衝物としてある。
緩衝物とはもっと広い意味で言えば緩衝地帯=故郷・里山とも
いえるだろう。
人々が木彫りの熊を愛するのは、自然と人間の緩やかだった
時代へのノスタルジーなのではないだろうか。
人間と自然の間が緩衝地帯を喪失して鋭角的な破壊の時代への
どこか後ろめたい贖罪とノスタルジーがこのふたつの黒と形の
共存にはあるような気がする。
ずんぐりしてどこか緩い動きに見える木彫りの熊。
先端の尖った鉛筆の先の芯のような黒いソックスの足。
このふたつの黒の様態の共存に人間の一元的には量れない価値
観の存在を見るのだ。

山里稔展は、その編著「北海道木彫り熊の考察」とともに読売新聞
全国版書評にも取り上げられ全国から反響が寄せられている。
先の尖った直線的なスマートな黒と並存するずんぐりした太い黒。
その対照的な黒への嗜好に木彫りの熊に潜む都市と自然の対峙を
感じるのだ。

*山里稔と木彫りの熊展ー11月30日(日)まで。
 am11時ーpm7時。
*吉増剛造展「水機ヲル日、・・・」
 12月9日ー1月11日

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-637-5503
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by kakiten | 2014-11-28 12:56 | Comments(0)
2014年 11月 27日

通院と通勤ー街灯・霜月(10)

通勤と通院の日常生活のリズムに少し慣れてきた。
ギヤラリーを窓口に見る世界、
病院を窓口に見る世界。
身体的弱者が管理され集う場所。
精神的表現者が発する場所。
その環境の相違が人を見る位相を変えている。
通う回路も変わって世界も変わる。
ほんの少しの相違が人との触れ合いをも変えるのだ。

身体の中で水との闘いが続いている。
身体にも護岸や堤防が必要なんだなあ。
腎臓を患って初めて分かる身体の自然。
そして内臓から見る健康。
それまで病とは外側の目線から多く見ていた。
見えない臓器が如何に四六時中休まず働いているか。
水や空気や光と同じように透明な不可視の存在として
掛け替えの無い存在として臓器も在る。
体内の水を管理する腎臓が身体の護岸装置ならば、その
身体の治水と今向き合っている事になる。
私自身が自分の岡崎文吉となって身体の川の水と向き合
っていかねばならない。
熊が身体の健康を象徴するなら、文吉は病を象徴する治療
のような気がしてきた。
今年は文吉と熊の水難の年である。

そしてこの後吉増剛造の「水機ヲル日、、、」が続く。


*山里稔と木彫りの熊展ー11月30日(日)まで。
 am11時ーpm7時。
*吉増剛造展「水機ヲル日、、、」-12月9日ー1月11日

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 yrl/fax011-737-5503
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by kakiten | 2014-11-27 12:04 | Comments(2)
2014年 11月 26日

低い位置ー街灯・霜月(9)

山里さんと来訪者の談笑が絶えない。
同じ目線で熊談義が続くので、通常の個展とは
違う気易さもあるようだ。
様々な木彫りの熊を通して、同じ方向の目線で
語り合い、時が流れる。
熊、恐るべし。こんな造形物が他にあるだろうか。

たかが土産物という低い位相から、実は幅広く
人種を問わず性別年齢を問わず人と繋がる存在と
して木彫りの熊がある。
彫刻としての優れた木彫の優劣も勿論話題の要素に
はなっている。
その彫刻としての技量への尊敬もまた話の促進剤
になっているのだ。
三百点を超えるコレクシヨンの中から選ばれた30
体ほどの木彫りの熊。
その秀逸な作品力がまた人を惹きつけて話に力を与
えている。

木彫りの熊の位相と同じ病という低い位相から社会
に触れると人の見え方が少し違って見えてきた。
同じ人の群が市電と地下鉄でも違う。
人間が潜在的に保っている様々な回路。
それが見えてくる。
健康な時自転車で経験していた世界との回路。
その時感じていた歩行の街との違いが、今はまた
違った見方で街の人を見ている。
週3回長時間の通院を重ねて治療を続け、様々な
福祉保護を受ける身となって見えてくる弱者の位相
に表れる人の世界があるのだ。
その優しさと友情、その冷たさと傲慢さの在り様は
健康な時には見えなかったものである。
熊にも似たような位相がある。
今まで家の片隅に見捨てられていた低い存在が、忘れ
られない時代の象徴として今を照らす。
その思いがけない喜びが人の心の胸襟を開く。
病にも時として同じ事が起きるのだ。
弱者だからこそ開く世界もある。

そんな風に木彫りの熊との同時共感を感じている。

*山里稔と木彫りの熊展ー11月30日(日)まで。
 am11時ーpm7時。
*吉増剛造展「水機ヲル日・・・」-12月9日ー1月11日

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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by kakiten | 2014-11-26 13:47 | Comments(0)
2014年 11月 25日

役所内廻りー街灯・霜月(8)

病を得て種々の申請をせねばならず、半日役所内を
回る。
番号札を持ち順番を待ち時間が過ぎる。
午後種々の申請を終え画廊に顔を出す。
東京のM氏よりメールが届いていた。
元気になってブログの再開を望む事と「北海道木彫りの
熊の考察」の本を東京で買ったとの内容だった。
札幌で学芸員時代熊の木彫りはお土産物としか見ていな
かった不明を恥じていた。
優れた美術の学芸員であるM氏の言はとても嬉しい。
そしてこの雑文のブログを高く評価して励ましてくれた
事にも深い感謝の気持ちが湧いた。

日の射す会場には相変わらず人が絶えない。
先日会場でライブをしてくれたWさんが来る。
「熊の巣」というオリジナル曲を歌ってくれた熊好きの
女性である。
将来熊カフエを造りたいという。
彼女の家の近くでは今も熊が出没する。
森があり熊が出る百万都市。
そんな所は札幌くらいしかないだろう。
その木彫りの伝統は大事にしなければならない。

*山里稔と木彫りの熊展ー11月30日(日)まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休。
*吉増剛造展「水機ヲル日・・・」-12月8日ー1月11日

 テンポラリーうペース札幌市北区奇や16条西丁目1-8斜め通り西向き
 tel/tax011-737-5503
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by kakiten | 2014-11-25 15:18 | Comments(0)
2014年 11月 23日

熊賑わいー街灯・霜月(7)

朝から熊フアンで賑わっている。
自宅の奥に忘れられていた熊の木彫りを抱えて
持参してくる人も多い。
日頃私蔵され忘れられていた木彫りの熊を表に
出す事で自分の生きた時代を語りたいのだ。
床の間や下駄箱そして押入れといったかっての
アナログな生活空間とともにあった木彫りの熊
なのである。
従って来客者の滞留時間は総じて長くなる。
その間に新たな客が来るから切れ目がない。
ひとつの地域の一つの時代を象徴する物として
熊に代わるものがはたしてあるのだろうか。
さらに床の間や押入れのようなアナログな空間
が消滅した現在熊に取って代わるような時代の
記憶を語る物が今あるのだろうか。
若い世代にも前の時代の記憶の象徴として、かつ
可愛いをキーワードにして熊を愛でている。
そんな老若男女の流れが絶えないのだ。
この現象が南の沖縄で起きるとは思えない。
この現象はこの熊の生息する北の大地だからこそ
生まれるのだろう。
国際化とか現代アートとか言われるものは、こうし
たその地固有の際を保った作品を見失ってはいない
のか。
時代もまたそうである。
その時代固有のなにかを固有性として記憶の底に
磁場のように生じさせ得る事。
そうした縦軸の行為を大切にしなければならない。
移り変わるものの多い現在。
木彫りの熊が発するメッセ-ジは奥が深いものがある。

*山里稔と木彫りの熊展ー11月30日(日)まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休。
*吉増剛造展「水機ヲル日・・・。12月9日ー1月11日

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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by kakiten | 2014-11-23 16:08 | Comments(0)
2014年 11月 22日

通院と通勤ー街灯・霜月(6)

通院と通勤を交互に繰り返し、「山里稔と木彫り
ぼ熊」展が続いている。
病院は自宅や画廊からかなり遠いので、地下鉄と
路面電車で通っている。
地下鉄と電車の違いは外の風景が見える事である。
それだけでも周りの人の感じが違う。
ケイタイやスマホに集中しているだけの閉塞感が
薄いのだ。
電車の方が車内は狭いのだが、人の圧迫感は電車
の方が薄い。
他人同士への思いやりが自然である。
運転手さんと客の距離が近い所為もあって、移動
機械が人間的な緩さを保っている。

自転車、歩行、地下鉄、路面電車と交通媒体の違い
によって見える風景が違う。
風景だけではない。
出会う人との触れ合いも違うのである。
病という自然環境を抱え込み、そこから外界と触れる
事となって世界はまた少し違って現れる。

人間には様々な回路が潜んでいるのだろう。
熊という回路に、もう画廊に入る前から笑顔の人を見る。
沢山の話したい事を抱えて尋ねて来るのだ。
その溢れるものがもう入り口前から見えるのだ。
熊もまた人間のひとつの回路なのだ。

病を得て病をひとつの回路にして生きてゆく。
病もまた身体的自然が保つ人間の回路なのだ。


*山里稔と木彫りの熊展ー11月18日ー30日
 am11時ーpm7時:月曜定休。
+吉増剛造展「水機ヲル日。・・・」ー 12月9日
 ー1月11日。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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by kakiten | 2014-11-22 12:19 | Comments(0)
2014年 11月 19日

熊という名の風景ー街灯・霜月(5)

木彫りの熊がもたらす記憶はひとつの時代の
記憶でもあるのだろうか。
下駄箱や床の間、街角の土産物屋の店頭風景、そ
れらのある時代の風景の記憶が蘇るのか、長く自
分の話をしてゆく人も多い。
昭和の時代が蘇るのである。
一方若い世代にはキャラクターとして熊を見る。
可愛いをキーワードにして木彫の毛の線のリアルさ
に感動している。
熊とは北海道の風土の象徴でもあり、日頃意識の外
にある自然そのものの象徴でもあるのだろう。
時代と自然と今生きている場を老若男女を問わず惹
きつける熊の保つ魅力は不思議なものだ。

体調を崩してから見える世界がある。
身体もまた自然そのものである。
そこに視点が主体となると社会的視点よりも、身体
という自然的視点から世界を見る事が多くなる。
身体の弱さを通して人に触れ世界に触れる。
珈琲でも飲むかと声をかけてきた少年の存在のよう
に、弱った身体という自然に世界は別の視角を保って
広がってくるのだ。
熊という象徴もまたこの自然的身体の象徴でもある
のだろう。
人もまた熊を通して老若男女を問わず、自分の内なる
自然を語り出すのだ。

*山里稔と木彫りの熊展ー11月18
日-30日
 am11時ーpm7時:月曜定休。
 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1目斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2014-11-19 13:08 | Comments(0)
2014年 11月 18日

初日ー街灯・霜月(4)

反響が大きいようである。
全国紙にも取り上げられるようだ。
市井の一フアンから、美術愛好家にいたる
幅広い人達が来ている。
熊の木彫りの持つキャラクターの所為でも
あるのだろう。
早速訪れた年配のお客さんに山里さんが対応
している。
大正時代八雲にスイスからもたらされた木彫り
の熊が北海道固有の土産物として独自の彫刻へ
と成長してゆく、そんな歴史を語りあっている。

生活の為こつこつと身近な野生動物である熊の
姿を活き活きと彫りこんだ無名の彫刻の数々。
今のようなアートとか言う概念ではなく、ひた
すら生活の為客に気に入られるように彫り込んだ
製作者の呼吸が息づいている。
見ていると彫りの線ひとつにも、そんな生活者
の息が根付いているようだ。
こんなふうに生活を感じさせるように美術を見る
事は今あまりない。
山里さんのモダーンな現代美術作品が、その熊作品
の暖かさを吸収しているかのようだ。

現代美術とは何なのか。
一方に土産物という範疇にあった木彫り作品があり、
一方にアートを標榜する美術作品がある。
しかしその存在感はその範疇の差異を超えているの
である。
ひとりの人間が創った呼吸の彫りの線は、今も生きて
呼吸している。
土産物の熊の木彫りがすべてそうである訳ではない。
山里さんの選び展示された作品にはそうした時代を超
えた生活の根のようなものが潜んでいるのだ。
この地固有の風や光、そしてそこで生きる人の呼吸。
そんなディテールが木彫りの熊の世界に彫りこまれて
いる。

*山里稔と木彫りの熊展ー11月18日(火)-30日(日)
 am11時ーpm7時:月曜定休。

 テンポラリースペーース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tei/fax011-737-5503
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by kakiten | 2014-11-18 12:21 | Comments(0)