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2014年 05月 29日

訪問客ー陽炎・皐月(18)

相変わらず体調はいまいちだが、札幌国際芸術祭の関係者が
訪ねて来るというので会う。
今回のキューレターのひとりS氏、マネジャーのH氏に参加
作家のM氏である。
3人とも本州からの参加で、札幌の水脈とか私の過去の仕事
に興味を持って来たようだ。
M氏は清華亭を展示会場に選んだようで、その辺の話から初
対面の固さが解けてくる。
1989年の「界川遊行」の映像を見せる頃はもうすっかり
興奮して話が弾んだ。
札幌人でなくいわば外人部隊であるこの人たちが、札幌国際
芸術祭に主導的に参加し、なにをどう展開してゆくのか、不満
はあるが、メニュー満載の過積載とならぬように時にはどんどん
批判し肉薄していく事も大事だと思う。
食わず嫌いじゃないけれど、会わず嫌いになる事は辛うじて
回避できたと思う。
依然として基本的なところで芸術祭自体への疑問・批判はある
けれど、人対人として良い仕事が出来得るように少しは役に
立つ事があるのかも知れないと思う。

吉増剛造さんとニューヨークにいる鈴木余位さんから便りが
ある。
吉増さんは怪物君草稿488葉でまもなく500葉寸前という。
ロンドン展、パリ展の後、集中している様子だ。
余位さんの詳細なご報告では、パリで石狩シーツ朗読と仏訳さ
れた同書に行列が続いたという・
石狩河口で生まれた作品がこうして国際的な脚光をあびている
、この事こそが国際的というものであるだろう。
グローカルな国際化ではなく、個別な際(キワ)の深化こそが
真の国際というものだと思う。

*佐佐木方斎展ー6月3日(火)-15日(日)
 am11時ーpm7時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel.fax011-737-5503
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by kakiten | 2014-05-29 17:54 | Comments(0)
2014年 05月 24日

五月病ー陽炎・皐月(17)

鼻水が止まらない。
風邪を引いたようだ。
体力も落ちて気分も落ち込み5月の病。
山と同じで見る位置によって姿が違う。
ひどくいい加減な自分も見えてくる。
そう気づかされた視覚に出会って落ち込んで風邪。
内に閉じる心のリラ冷え。

心の戦線立て直し。

*佐佐木方斎展ー6月3日(火)ー15日(日)am11時ーpm7時
 月曜定休。
*谷口顕一郎展ー7月22日ー27日
*斉藤周展ー8月1日ー10日
 
 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2014-05-24 11:56 | Comments(0)
2014年 05月 22日

舗道の下ー陽炎・皐月(16)

石狩河口の岡崎文吉の自然工法遺跡を見る為に友人たちと
待ち合わせした札幌駅に行く途中久し振りに見た駅前通り。
遠い記憶が眠っていた。
拡幅された道路の下、覆うビル群の背後の空。
そういえばいつもこの通りの下を通っているのだ。
地下鉄か地下歩行空間を・・・。
<住>を喪ったこの空間は、消費と勤務先が主体の移<動>
する空間である。
都市の加速化は驚くほど被災地の仮設構造に似てくる。
移<動>を前提とする遮断と仮設の構造である。
そこに<住>という根、<民>という実は無い。
歩行者も地下鉄も店舗もただひらすら移動を続けて変化する
軸にある。
垂直な縦軸ではなく横軸の移動する時空間だ。
そのギスギスした尖った環境を臭い消しのようにアートという
名の緩衝装置が盛んである。
通りという有機的な関係性を無くした直線の流通路に、高層ビル
の空への直線構造にそれらは配置され目の臭い消しとなる。
全てを否定はしないが、本質的には都市の化粧である事は否定
できない。

かって学生運動盛んな頃、産学協同反対のスローガンを掲げて
運動があった記憶がある。
学の独立という純潔の要求があった。
しかし今や産学協同は当たり前の事になっている。
芸術・文化も同様で、産業経済政治と独立どころか、むしろ蜜月
情態が横行しているではないのか。
そうした土壌にアートという名の芸術・文化が寄り添って並走し
てあるような気がする。
街の通りが地下パック化され、ビル内パック化されて、通りを
構成した<住>と<民>が消えて、仮設と遮断の時空間が拡大
している。

都市が住と民の土壌を喪失しつつある時、自然の側から風土と
して土壌を考察し再生を願う中で闘ってきたエルムゾーンの砦
伊藤邸の高層マンシヨン化計画は具体化が進み陳情書の撤回
まで追い詰められる状況となっている。
昨日のK氏からの報告である。
かっての小樽運河全面保存運動と同じように、部分保存で折り
合うような約半分だけ保存で残りは高層ビル化という展開にな
る可能性が見えてくる。
札幌の住と民が創りあげた通りという街の文化も守れず、春楡
・エルムの繁る緑の運河も守れず、移動と仮設・遮断のただの
華やかな物流消費空間に均質化するグローバル化という魔物が
故郷という街を覆っているかのようだ。

*佐佐木方斎展ー6月3日(火)-15日(日)まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2014-05-22 14:42 | Comments(0)
2014年 05月 21日

三婆の通りー陽炎・皐月(15)

先日石狩へ行く際他の友人達と待ち合わせの為、久しぶりに
駅前通りを通った。
真新しいビルが続々建っていて、一瞬別の街にきた様だった。
かって五番館の在った場所は空き地になって閑散としている。
停車場通り、駅前通りと呼ばれたゾーンは通りというより
ストリートかロードとでも呼んだ方が良い地域となっている。
それだけビルが主体の街区となっている。
固有の店舗が消えてビルパック主体の街である。
通りという有機的な関係性が消滅して、何番街と呼ばれるよ
うな幾棟ものビルの塊りが街区を形成している。

そこで昔噂で聞いた遠いエピソードを思い出したのだ。
4丁目の三婆、駅前通りの三婆という噂である。
当時名物だった女傑のお婆さん三人衆の事だ。
具体的には忘れたが、G美容室の女主人やHビルのオーナー
Iパーラーの女社長等をそう呼んだと思う。
まだ駅前通りが健在で人の顔をして街があった時代の挿話
である。
戦後のある時期女性の経済人が際立った時代でもあった。
花嫁修業で身に着けた書道や華道・俳句といった伝統文化に
裏打ちされた女性と事業に才覚を見せた女性といったそれまで
にない女性の活躍が際立った時代でもあった証である。
私の母も父の死後そうした女性の方向をめざしたかと思う。
市街地再開発事業の影響で駅前通りから郊外の一軒家に住居
を移転し、建てた瀟洒な住宅には芝生に池があり小便小僧の
噴水があって2階には庭に面してヴェランダが伸びていた。
郊外の山に近い別荘地のような場所だったので、冬は雪が多く
これらの絵に描いたようなモダーンな造りは2年程で花壇や
畑に変わり、ヴェランダも雪溜めにしかならず塞がれてしま
った。
駅前通りの古い木造の商家から移転し住宅を建てたその夢の形
に近代化の上澄みの表層部分を見る事が出来る。
伝統的な文化を軸とした時代の受け方とは対照的な方向である。
母は4丁目の三婆のひとりとはならなかったが、方向性において
そちらの方を見ていたこちは間違いない。
駅前通りが消える最後の時代の花火のような近代化の夢である。
母の晩年の枕辺の本は「四番街の歴史」という嫁いだ場所の
歴史を記した記念誌だった。
母には祖父の時代の停車場通りや父の時代の駅前通りよりも
やはり四番街の方が自分の時代として愛しく感じていたのだろう。

*佐佐木方斎展ー6月3日(火)-15日(火)まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2014-05-21 15:03 | Comments(0)
2014年 05月 20日

石狩番外地ー陽炎・皐月(14)

定休日の昨日、友人達と明治の治水学者岡崎文吉の遺した
コンクリートブロックを見に行く。
川の自然な蛇行を生かし敷き詰められた岡崎式自然主義
工法の護岸遺跡は、アメリカを除きここにしか残っていな
いのだ。
アメリカ・ミシシピー川では今も延々と建設されている
らしいが、それはさらなる改良を加えられ、オリジナル
なものは最初の施設地である石狩河口にしかないのである。
場所は運河が造られショートカットされた旧石狩河口の
茨戸である。
茨戸ーパらト(アイヌ語で広い沼、海)を意味する場所。
札幌の川のすべてがここで石狩川と合流した場所である。
かってここから内陸へと入植した移住者の上陸地点にも
程近い地だ。
バブルの頃競艇場や飛行場を目論み、それを目当てに拓銀
がホテルリゾートに過剰融資を重ね倒産、行政は札幌の東北
部開発で道路拡幅を茨戸まで整備し、文化事業では創成川ル
ネッサンス運動を展開した場所でもある。
今はパークゴルフ場が広がって、その近現代の夢の跡の残る
土堤に水草と時の経過を示す欠けた岡崎式ブロックが規則
正しくひっそりと波に洗われて敷き詰められていた。
思ったよりも小さな長方形の単礁コンクリートブロックだ。
岡崎文吉の時代とは川の環境も風景も大きく変化してこの
地はあるのだろうが、百年近い歳月を経て今も岸辺を守り
川と一体となってその護岸の跡は水と会話しているようだ
った。
そこからさらに遡ってこの工事の竣工記念碑を探した。
風の透き通るような野原の続く一角にそれはひっそりと建っ
ていた。
川岸のコンクリートブロックと同じ形に敷かれた台座の上に
岡崎文吉の名が刻まれていた。
かってはこの辺まで石狩川が迫っていたのだろう。
途中の農家の一角にコンクリートブロックがまるで薪のよう
に無造作に積んで放置されていた。
岡崎が満州へ去った後川のショートカットが急速に進み、川
は短くなり乾燥地が増え、かっての岸にあったブロックは打ち
捨てられて陸に上がったのだろう。
帰路茨戸街道にある龍雲寺のかって境内にあった大銀杏の樹
を見て帰る。
茨戸へ向かう道路拡幅事業で境内から道路脇に追い出された
樹齢百余年の銀杏の大木である。
その直ぐ傍をどぶ川のように細く寂れた琴似川が伏古川との
合流地点となって消えている。
札幌の扇状地を形成した三大河川の寂しい末路である。

岡崎文吉の自然工法が川の蛇行を基本として考えられ、結局
は誰にも認められず近年になってようやく再評価が進んできた。
しかし未だ3・11の後も国土強靭化計画などと時代は変わら
ずショートトカットの直線化の効率重視の思想は続いている。
茨戸を後に都心へと向かいながら、ふっと浮かんだ言葉。

 振り返れば最前列で最後尾 背後には黒々と街の灯

*佐佐木方斎展ー6月3日(火)-15日(日)まで。
 am11時ーpm7時;月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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by kakiten | 2014-05-20 13:44 | Comments(0)
2014年 05月 18日

ネットも電話も不通ー陽炎・皐月(13)

何が原因か昨日一日ネットも電話も不通だった。
ウインドウズXPからノートパソコンへの切り替えも
まだ完全に移行していなかったので、その所為かもし
れない。
この地域は電話もネットも光回線で繋がっているので、
不具合があると両方ともおかしくなる。
今朝いつの間にか回復していて、昨日一日は一体なん
だったのか不明である。
寒気が戻って昨日は一日雨。
気持ちも落ち込んで思考も停滞する。

*佐佐木方斎展ー6月3日(火)-15日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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by kakiten | 2014-05-18 14:18 | Comments(0)
2014年 05月 16日

父の系譜2-陽炎・皐月(12)

何故父なる世代は傷そのものを抱いて生きてきたのか。
それは明治の急速な近代化とその後の超国家主義、そして
敗戦後のアメリカ民主主義の移入という大きな価値観の変
化に対応しきれぬまま時代に加担し時に加害者として時に
その被害者として、総括し見極め精神的に対自化し得ぬ
まま現実に追われ生きてきたからではないのか。
それに比し女性達母なる世代は、時代の加担者の立場より
少し遠い位置にいて伝統文化に根を下ろし揺るがず時代の
変化をモダニズムとして受容し展開させていた。
全ての男性女性の生き方に共通する事ではないが、八木家
松本家私の家の父なる母なる時代を見ているとそんな気が
するのである。
時代との断絶を主体的な総括の断絶として、意思的に変化
に対し<さようなら>と言い切れなかったままの傷口を抱
いた世代。
そんな風に父なる世代を思うのである。

移民多民族国家であるアメリカを訪れ感じた事は、故国を
捨ててきた断絶の意識の明瞭な国という事実である。
摩天楼の大都市を造りその非人間性に気付くと、新たに低
層構造の郊外ショッピングセンターを造りだす。
故国を捨てた多民族国家の神話は独創的な遊園地のランド
神話としてデイズニーランドを創り出す。
ここには明確な旧と新の断絶を意思する思想が働いている。
主体的に新たな価値観の創出・体現を実行する意思が明白
なのだ。
傷口を抱いたままの女々しさの影は薄いのである。
それに比し日本の場合は個人の主体的意思よりも国家の上
からの意思が顕著である。
摩天楼的都市計画も郊外ショッピングセンターも同時並行的
に再開発として実行される。
そこに摩天楼的高層ビルへの決別という断念が意識化されて
郊外へ展開する段階の意識が存在してはいない。
デイズニーランドという夢の国にしても、そこには移民多民族
国家であるひとつの故郷への断念が、ランドとしての神話を遊
園地という形で創出してあるからだ。
私達が今深化すべき事は、ひとつの断絶を主体的にかつ決定的
に徹底する事であるだろう。
断絶が新たな出発となるような、分別・分類ではなくその違い
が開かれた相違となるような界(さかい)の筋力を持たねばな
らないと思う。

*佐佐木方斎展ー6月3日(火)ー15日(日)
 am11時ーpm7時;月曜定休。
*谷口顕一郎展ー7月22日ー27日
*斉藤周展ー8月1日ー10日
*小谷俊太郎写真展ー8月末~9月初旬
*秋元さなえ展ー10月28日ー11月9日


 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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by kakiten | 2014-05-16 14:16 | Comments(0)
2014年 05月 15日

父の系譜ー陽炎・皐月(11)

3回目の八木保次・伸子追悼展を終えて、ふたりの生きた
時代のバックボーンが少しづつ見えてきた気がした。
近代札幌のシテイ・タウン層のモダニズムである。
そしてその中心に華道と俳句そして書の伝統的な文化を
核とした優れた母の存在があった事である。
八木保次さんのご母堂敏さんは、俳号一紅女を名乗り
小原流華道の師匠としても名を馳せた才色兼備の女性
だった。
伸子さんのご母堂はかな文字書道の松本春子さんで、一
時代を画した書道の大家である。
札幌シテイ層とタウン層から生まれたモダニズムの根に
このふたりの母親の存在が大きなバックボーンとして在
ったと思われるのだ。
そして思う事はもうひとつの父なる存在の影が薄いという
事である。
そう思いふっと気づく事があった。
私自身の父への思いである。
八木保次・伸子さんに拘って毎年追悼展を続けるのは、勿論
作品に惹かれる所為もあるが、おふたりとの交流に私の家の
記憶、父なる祖父なる交流の記憶がはたらいていると気付い
たのだ。
八木家を通して私は父を見詰めていたのではないか。
明治の祖父と明治の八木敏さんは祖父の仕入れた目利きの
作品を通して深い信頼関係にあったと思う。
私が大学を出て札幌に帰った時敏さんの言い放った言葉が
今も忘れられない。

 何のかんの言っても 四郎ちゃんはお爺ちゃんの下で
 好きな事やってたのよ

父の事をちゃん付けでこんなにもスパっと言い切る人は他には
いなかった。
美術志向のあった父が止む無く家業を継ぎ、戦後の前衛華道に
棹差して流派を超えた協会を創り多くの人と交流を重ねていた
時代。
しかしその心中には満たされぬ戦後の価値転換の大波の中、多
くの傷を抱えていたと今は思う。
明治の祖父と比べて大正昭和の父には、癒されぬ傷が傷のまま
あって生きたと思うのである。
八木さんたちを通して父なる世代を思う時、それは傷を傷のまま
見詰め、苛立つ孤独な時代が続いていたのではないかと思える
のだ。
戦前戦後を通して、父なる男の時代は傷を抱いたまま生きた
と思う。
女性の母なる凛々しさに比し男の影が薄いのはその所為である
という気がする。
傷を見詰め<さようなら>と決別する事から戦後の新たな出発
は始まろうとして、未だその作業は芯化していない。

*佐佐木方斎展ー6月3日(火)-15日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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by kakiten | 2014-05-15 14:24 | Comments(0)
2014年 05月 13日

ブルーメイー陽炎・皐月(10)

快晴の母の日の後、自分の誕生日が来て曇天。
心もブルー。
素寒貧のすってんてんで、青ざめた5月だ。

「緑の運河エルムゾーンを守る会」設立の契機ともなった
伊藤邸のマンシヨン容認が先日示され、高さ百メートルの
高層賃貸マンシヨンが建てられる方向だ。
1万4千平方メートルの敷地に6割の緑地保全が義務付け
られたと報道されているが、植物園ー偕楽園緑地ー清華亭
ー北大構内と繋がる水脈の源泉に在る伊藤邸の自然はもっ
ともっと保全されなければと感じている。
伏流水が湧き出て泉となり川となって流れていた源泉の地
である。
高層ビルは同時に高さの分だけ基礎を地下深く掘らねばな
らない。
新幹線の誘致も決まり、その線路の拡幅も隣接しているの
で影響があるだろうし、マンシヨンなら駐車場も必要にな
るだろう。
流れは新幹線ー札幌冬季五輪と第二の東京に続く都市改造
へとその方向性を暗示していて、自然や文化を第一にする
方向へは向かっていないと感じるのだ。
新幹線や高層ビルといったショートカットの直線構造が示
唆するものは、効率本位の自然保全とは対極にある価値観
だからである。
その目的の為にスポーツというカルチャーやアートという
芸術が大義名分として掲げられ巻き込んでゆく。
国際という名のグローバリズムの大波となって、土地固有
のナシヨナルな風土を喪失させていく。
それは札幌オリンピックの後に広がった風景でもある。
この地にはこの地の顔があれば良いので、なにもどこかと
同じ顔を持つ事が進歩でも発展でもなんでもないのだ。
札幌は別に第二の東京などにならなくても良いし、別の風土
の中にあるのは自明の事だ。

透明な大輪のシラネアオイやオオバナエンレイソウが咲き誇
る今の季節、この花たちの育つ風土の独自性、美しさを忘れ
てはいないか。

*大木祐之「メイ」映像個展ー5月中旬以降予定。
*佐佐木方斎展ー6月3日(火)-15日(日)
*谷口顕一郎展ー7月22日ー27日予定
*斉藤周展ー8月1日ー10日

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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by kakiten | 2014-05-13 14:41 | Comments(0)
2014年 05月 11日

母の日ー陽炎・皐月(9)

八木保次・伸子追悼展最終日。
暖かい五月晴れの母の日だ。
3回目の追悼展で初めて今は無人の空き家となった
八木宅の風情ある手書きの表札をお譲り頂き展示に
添えたのだ。
八木敏 保次 伸子と3人の名前が書かれた昭和40年
代の時を経た竹の表札。
一昨年相次いで亡くなられた保次・伸子さんに加えて
表札に記された敏さんを偲んで今回初めて花を添え展示
した。
そんな八木家に連なる人の記憶を辿る事は、同時に札幌
の古き良きシテイ・タウンの歴史を深く感受させてくれる
事でもあった。
敏さんの記憶が展示に加わる事で保次さんの母の時代明治
のモダニズムと伝統的な日本の粋の文化が近代札幌モダニ
ズムの裏打ちのように奥行きを与えてくれた。
これに伸子さんの母上かな文字書道の大家だった松本春子
さんの書が加われば、さらにふたりを通したシテイとタウン
の優れた清流部分を提示できるような気がする。
次回の課題である。
保次さんと伸子さんのふたりの優れた母である敏さんと春子
さんの花・俳句と書。
今回の展示最終日が偶然今年一番の天気に恵まれた母の日
であるのも偶然ではなく、運命(さだめ)なのかも知れない。

それにしても 父よ!
父の影は薄いですね・・・。

*八木保次・伸子追悼展ー5月11日(日)まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休。
*大木裕之「メイ」映像個展ー5月中旬以降予定。
*佐佐木方斎展ー6月3日(火)ー15日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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by kakiten | 2014-05-11 12:44 | Comments(0)