「ほっ」と。キャンペーン

<   2013年 08月 ( 20 )   > この月の画像一覧


2013年 08月 31日

鮭・熊・大野一雄ー梢心・葉月(20)

昨日はAさん、Y君と大野一雄の石狩河口公演「石狩の鼻曲がり」の
ヴィデオを見ていたら、熊の木彫りを蒐集し作家や制作年代を系統立
て資料化している山里稔氏が来た。
その後網走の漁師で画家の佐々木恒雄氏からチルド冷凍の鮭が届いた。

大野一雄の晩年の願いは、父・祖父が働いていたオホーツクの海を渡り
カムチャッカの島で羆の踊りを実現する事だった。
舞踏を志した青年時代、時勢はそうした舞踏を許さない超国家主義の時代
であり、父の存在もそちらの価値観に属していたのだろう。
したがって大野一雄の舞踏活動は戦後になって初めてその国家の呪縛から
解放されて花開く。
しかしながらその舞踏の軸心には、母や戦友、そして舞踏を志す原点と
もなったアルヘンチーナへの思い等があっても父の存在が顕れる事は
なかったのである。
この海に近い石狩河口の公演を経て数年後初めて大野一雄は、父への思い
を語りだす。日本海の波風に直接触れる野外舞台を経験する事で、きっと
この時函館から日本海とオホーツクの海を越えて働いていた父の背中を大
野一雄は肌で感じ、国家に侵食されていた父の存在を復権させていたので
はないだろうか。
カムチャッカで熱く踊りたいと願った父への賛歌、追慕の舞踏は羆の踊り
だったのである。


  大野一雄:これからこういう舞台を演るのです。(創作スケッチを
  とりだして)カムチャッカのヒグマです。
  ・・・・・
  家は船を三艘持っていて、カムチャッカで漁業をしていました。
  ・・・カムチャッカの漁業は、初めは非常に調子が良かったけれども、
  そのうち世界恐慌が起こり、敗戦で樺太は取られ、あっちこっち返さ
  なくてはならなくなりました。それまで長い歴史をもつ漁場が二ヶ所
  ほどあったのですが、2,3年前に親戚の伯母さんからの手紙でそこ
  がどこなのかを知ったのです。
  ですから、カムチャッカのどこに行って踊りたいかはちゃんとわかって
  いるのです。
  ・・・・
  父が窓から見たヒグマというのは、漁師たちにとって内輪といいますか
  、人間同士と同じように親しい関係なのです。

    (大野一雄・吉増剛造対談「FRONT」1999年8月号初出)

この時語られたヒグマの舞踏とは、懐かしい父の働く背中そのものと思える。
父が国家に略奪されて精神(こころ)から喪失してきた時代。
その時代の延長に我々もまた生きている。
父は戦後不在であり、パパと化した生活インフラとして時に<父さん、元気
で留守が良い>と揶揄されつつ存在した。
精神的存在としては影が薄い存在なのだ。
一方母なる存在は過剰に重みを増して、寺山修司や三島由紀夫のように重く
深く戦後の精神に沈み込んである。
大野一雄が初めて口にした父への想いとは、同時代の深い処で深く勇気を与え
るなにものかであったと私は思う。
このカムチャッカ公演は病に倒れる事でついに実現はできなかったが、この対
話に残された生き生きと嬉しそうな大野一雄の表情を私は忘れることはない。

昨日偶然にも見た石狩の夕日と風と波の中で鮭の一生を踊る大野一雄の姿。
そして熊の木彫りを蒐集している友人の訪問。
さらにその後届いたオホーツクの海の鮭。
遠く冥界から大野先生の贈り物のように、時が流れて来た。

*常設展「記憶と現在」-9月15日(日)まで。am11時ーpm7時:
 月曜定休。
 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
[PR]

by kakiten | 2013-08-31 12:50 | Comments(0)
2013年 08月 30日

オホーツクの海からー梢心・葉月(19)

網走の漁師で画家の佐々木恒雄さんからチルドの鮭が送られて来る。
久しぶりの便りだ。
オホーツクの海で頑張っているのだろう。

今日は朝から写真家Y氏と織りの作家Aさんが来て、話し込む。
その後熊の木彫りを蒐集し系統立てて歴史的に整理し資料化している
篤実な山里稔氏が見えて、オホーツク文化とアイヌ文化の権威宇田川
洋氏と市の文化財課のK氏に連絡を取り、会う約束をする段取りをした。
道南八雲の徳川家の殿様がスイスから持ち帰った木彫りの熊は、この地に
根付いて独特の造形として伝わっている。
今では土産物の定番から外れつつあり、かつ作品も機械彫りのパターン化
したものが多いが、ある時代まで独創的で斬新な造形作品が遺されている。
それをこつこつと蒐集し系統立てて一冊の資料として纏めようと山里氏は
この2年半ほど奮闘しているのだ。
本家のスイスではもう熊もいなくなったが、ここ北海道では今も熊がいて
熊の木彫りも続いている。
和人もアイヌも共通してこの熊の木彫りを続けた百年に満たない時間に残
る彫刻群は今やいつ消えてしまうか分からない時にある。
今貴重な作品を記録し保存する事は、北海道独自の民芸としても大切な文化
の仕事なのだ。

熊の話をしていたら、オホーツクの海から鮭が届く。
そしてその前に写真家Y氏と織りの作家Aさんとが見ていたのは、大野一雄
の石狩河口舞踏公演「石狩の鼻曲がり」だったのだ。
不思議な連続である。
大野先生はこの公演の数年後、羆の踊りをカムチャッカで父の為に踊りたい
と熱く語っておられた。
その願いは病に倒れ実現できなかったけれど、この国境を越えたオホーツク
の島で踊りたいと喪った父への思いを初めて人に語ったのは、熊の舞踏だっ
たのだ。

そのオホーツクの海から鮭が届いた。

  切り傷は直線をなすアフリカの幾つもの国境にも似て

佐々木恒雄さんが「さよなら バグ・チルドレン」展で山田航歌集から選んだ
一首である。


*収蔵品展ー9月15日(日)まで。am11時ーpm7時:月曜定休。
 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
[PR]

by kakiten | 2013-08-30 17:57 | Comments(0)
2013年 08月 29日

蛇行と直進ー梢心・葉月(18)

川は何故蛇行するのか。
その川の生理を徹底的に調べ、最低限の改良を川に加える。
その自然工法は遠くアメリカ南部の大河ミシシッピ川で花開いていた。
直進のショートカットを優先する当時の国家体制は、この工法を採らず
失意の中岡崎文吉は道庁を去ってゆく。
そして新たな開拓の拠点満州で新たな治水事業に13年間従事する事に
なる。
しかしその痕跡は現在何も残ってはいない。
そして日中戦争の激化とともに体調を崩し帰国し敗戦の年にその人生を
終える。
北海道や満州という新たな開拓・侵略の一環として治水という国家事業
があった時代である。
その中で純粋に水の流れを考え、自然とともに川を考えた岡崎文吉の
自然工法は国家体制の枠を超え、当時敵国であったアメリカでその理論
が正当に評価され実行されていたのだ。
超国家主義の下北海道や中国において開拓という名の植民地化を直進す
る国内体制においては、蛇行の自然理論よりも直進の直線構造が勝って
いたのである。
この社会の意識構造は体制こそ違え、今も変わらぬ意識であるかのよう
に思える。
入り口と出口を最短距離で結ぶ物流構造は、超国家主義の支配する権力
構造と同質の直線的なショートカットの暴力を保っている。
川は何故蛇行するのか。
その本質は人の生き方とも深く関わり、生と死の、呼気と吸気の、間の
世界を内包するものだ。
山から発して海に至る。
始まりと終わりはそれだけの事かもしれないが、その過程は千差万別で
多様性に満ちている。
人も同じように、生の始まりと死の終りの間の世界こそが、生きる価値
であり人生なのだ。
川も同じである。
ひとつの川の流れを徹底的に見詰め、石狩川の治水に努めた岡崎文吉の
理論とその工法は、この北の大自然と深く関わり生まれた人と自然の回路
に拠るものと思う。
この回路を生んだ哲学を等閑にして、今に繋がる近代と現代の病根がある。
かって里山と呼ばれたこの自然との回路がゾーンとして存在し、さらには
もっとささやかな庭木があり坪庭があり床の間の花木があった。
これらは愛樹とも呼び得る森と人間社会の回路でもあったと思う。
川にも水の神として龍神様の祠があって、これもまた小さな自然との回路
の象徴であったと思う。
それらの文化を哲学として受け継がず、効率性で切り捨てて発展してきた
のが、近代から現代に至るひとつの流れである。
川をショートカットし、森を伐採して世界の効率化を追及して今がある。
治水とは征服する事ではない。
治めるとは和らげる、乱れを直す事の意である。
猛烈な大自然に対し、和らげしずめ直す方途を言う。
原始林に対する里山も同じ山の原始に対する治林なのだ。
そうした<治癒>が<治療>が回路として喪失される時、川は蛇行を喪失
して直線化してゆく。
道も大地も人間も同じだなあ。

 この道はいつか来た道
 ああ そうだよ
 あかしやの花が咲いてる

これはきっと人間の歩行の蛇行だよ・・・。


+収蔵品展ー9月15日(日)まで。am11時ーpm7時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
[PR]

by kakiten | 2013-08-29 13:17 | Comments(0)
2013年 08月 28日

岡崎文吉の治水工法ー梢心・葉月(17)

治水の事を知りたいとY君が言っていたので、ふっと古いヴィデオ
録画したのを思い出した。
STV40周年記念番組で、明治時代に石狩川の治水で自然と人が
共生する「自然主義工法」を提唱した水利学者・岡崎文吉の生涯と
業績を辿った番組である。
1999年頃にヴィデオで録画したので、それ以来見ていなかった
ので劣化を心配したが、映像は鮮明で問題ない。
ちょうど前日NHKの番組で宮崎駿の「風立ちぬ」の制作ドキュメン
タリーを見た後だったので、その時代の共通性と主題に驚いた。
「風立ちぬ」の飛行機製造の夢と川の治水の夢とはジャンルこそ違え
、その夢を原動力とする行為の質において相通じるものがある。
岡崎文吉は北大で工学を修め、石狩川の大洪水を機に治水に打ち込む。
川の流れを変えず、自然の蛇行を生かしながら独自のコンクリートブロ
ックを敷く工法を考え出す。
その工法は今も石狩川に遺され立派に役割を果たしている。
当時この独自の工法はあまり認められなかったのだが、その理論は遠く
アメリカ・ミシシッピ川で採用され今でもこの工法を採用していること
が後に分かるのだ。
関東大震災や日中・日米戦争の時代を背景に、ひとりの純粋な科学者が
自らの夢を現実と闘いながら成し遂げてゆく姿が「風立ちぬ」の主人公
と重なるところがある。
明治から大正、昭和を生きた近代の夢・ロマンの真摯でひたむきな姿が
心を打つのである。
特に岡崎文吉の通った当時のまま残る北大の四季の映像が美しい。
そして川岸で自然と一体化して遺されている自然工法の護岸もまた
美しいのだ。
そしてアメリカの学会で発表された彼の理論がその後実際に実践され、
本人も知らぬまま死んだ後もアメリカでその工法で今も護岸工事続けら
れそれとともに記録された彼の名前が流れる映像が心を打つのである。
この番組は1999年制作のものだが、3・11以降の今の世界に少し
も古さを感じさせない。
むしろ今だからこそ、この明治大正そして昭和初期のロマンの質を今に
問うものがある。
その重要な舞台として札幌や北海道の大地が在ったことを、あらためて
深く感受するのだ。
緑の運河エルムゾーンの広がる北大構内の巨木のシーンが、春から冬
へと変わって岡崎文吉の一生を追う番組は終わる。

風立ちぬ・・・、樹立ちぬ、
川立ちぬ・・・。

*収蔵品展「記憶と現在」ー9月15日(日)まで。am11時ーpm7時
 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
[PR]

by kakiten | 2013-08-28 15:30 | Comments(0)
2013年 08月 27日

雷鳴響くー梢心・葉月(16)

雨は見えないが空は黒く雷鳴が鳴り響く。
朝晴れていた青空は、もうどこにも見えない。
バリバリとさらに近く雷が鳴る。
でもまだ雨は降ってこない。

郡山から帰った吉増剛造さんからfax来信ある。

 ようやっと、・・・幽かに”シハ(ワ)スの足音”が聞こえて
 くるときがやって参りました、・・・。
 ”どうぞ、少し太らせて下さい”。 
 さて、こおりやま「ふくしま教室」二日でへとへとになり戻りまして
 大兄のファクシミリに接しておりました。
 ”賛成!”・・・
 これで、紅葉のような古系(古径)が見えました。

年末予定の吉増剛造展のプランニングが交互に交されてその回答である。
ここ1年、「’古石狩河口から書きはじめてーノート君」の草稿展の
次回への交流が今日の雷鳴のように濃く間断なく続いている。
机の上には手紙・葉書・ファクシミリ・草稿のコピー等が山のように
積まれている。
今、とうとう雷鳴は雨粒となり強烈に屋根と地面を叩きつけてきた。
まるで吉増さんの通信のようだなあ。
驟雨・雷鳴・剛造・・・。
ガタピシの雨漏りだらけの痩せた屋根のような自分だが、なんとか
雨露を凌いで風雨に耐えていかねばなるまい。
追伸に先日来廊した川戸君と郡山で会ったと書いてあった。
大野一雄の石狩河口公演のヴィデオを一緒に見たのが、もう遠い昨日
のようである。

河田・山田・文月系に石田・余位系さらには川戸系も加わって、雷鳴の
ように空間を切り裂き、大草稿の宇宙が浮かび上がる事を今から磁場を
濃くして想雲を溜めてゆく。
風立ち、雲立ち、雨立ちぬ。

*常設展「記憶と現在」-9月15日(日)まで。am11時ーpm7時。
 月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
[PR]

by kakiten | 2013-08-27 12:49 | Comments(0)
2013年 08月 25日

ガリガリと雨ー梢心・葉月(15)

昼から急に雷が鳴り強い雨粒が地面を叩く。
最近は晴れていても、天気が急変する。
いわゆる秋の空、というのと違う激しさがある。
熱帯系の気候の所為だろうか。
北海道ですらこうなら、本州では如何ばかりかと思う。
竜巻にゲリラ豪雨である。
地球温暖化が進み、人間はそれに拍車をかけるように
電気や石油のエネルギーを消費して、快適さを貪欲に
追求している。
その10倍返しが、TVの番組「半沢直樹」ではない
けれど自然界から為されているのかも知れない。
一度この番組を見るともなく見てから、次第に毎回見て
しまう自分がいてあまり人に話した事はなかったのだが、
先日小樽へ同行してくれたMさんがその話題を出し
たので、自分以外にも見ている人がいると知った。
そんな中TVの報道番組で驚異的な視聴率をこの番組が
上げていると知り、二度吃驚した。
金融社会の現代を象徴するような経済弱者と強者の戦いが、
ひとつのカタルシスになっているのだろう。

どかっと降って、雨が止む。
まだ雷が遠くに鳴って完全に雨雲が消えたわけではない。
なにか天気のガリガリ君みたいで、そういえばこの夏はよく
この氷菓を食べた。
先日も箱入りの梨味7本セットを購入して、被せた歯を外し
危うく呑み込むところだった。
翌日いつもの歯医者さんに飛び込んだら、直ぐに被せて直し
てくれた。
網走出身の腕の良い歯医者さんである。
円山時代からもう長い付き合いで安心感がある。
かって親知らずがよく腫れて顔が変形した事があった。
その親知らずも今はすっかり成長してもう外に出ているという。
なにも痛まず、元気で表に出た奥歯となっている。
そんな親知らずの昔話をして治療は完了した。

急な雷雨・ガリガリ君・歯医者さんと3題話みたいだけれど、
キーワードは<ガリガリ>である。
少し涼しくなってきたから、この秋に向けガリガリと頑張ろう。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
[PR]

by kakiten | 2013-08-25 12:50 | Comments(0)
2013年 08月 24日

ビルの屋根ー梢心・葉月(14)

平岡正明の名著「横浜的」(青土社)の第一章にーひばり「東京
キッド」の観点で横浜をロケハンするーという一文がある。
戦後の昭和20年代後半までの都市風景が語られている。

 空を見たけりゃ、ビルの屋根
 もぐりたくなりゃ、マンホール
そして

 右のポッケにゃ夢がある
 左のポッケにゃチュウインガム

当時の浮浪児で孤児の生業は靴磨きとガム売りだったという。
その孤児が見上げた空に、ビルの屋根が映っている。
地上には土管が転がって、そこがねぐらとなってある。
そしてここで歌われる空にはもうすでにビルが見える。
しかしその高さはまだ屋根が見える高さなのだ。
地上の空き地に土管が転がっている事もなくなり、空にビルの
屋根が見える高さも失われて、こうした浮浪児も消えて今がある。
しかし同時に、<空を見たけりゃ>という空も、<もぐりたくなりゃ>
というマンホールも無くなって、代わりに大規模な地下通路がホームレ
スのネグラとなっている。
そして左右のポケットには夢もガムも何も入ってはいないだろう。

屋根が見えるまでの時代というものが、後世になって語られるように
なるのかも知れない。
屋根が見えるという空の位置が喪われて、人は世界の輪郭を巨大な
室内風景に収納されて衣食住をパック化される。
そうした物質文明の先駆者アメリカでさえ、地上2階地下1階までを
ヒューマンスケールとするショッピングセンターを摩天楼から脱出させ
造りだしてきた。
そこはショップの夢のランドとして、ありとあらゆる小売形態が集合し
人工の川を流し遊歩道を廻らしていた。
エンターテイメントとしては、夢の国が展開するデイズニーランドが
遊園地として創られ貧しい生活の身近な友である鼠と鵞鳥がその国の
友人としてキャラクター化されミッキーマウスとドナルドダックとして
表れる。
摩天楼の国、屋根を見えなくした国のもうひとつの再生の流れでもある。

この両端のせめぎ合いが文化の役割であって、デイズニーランドもショ
ッピングセンターもアメリカの文化の胎動である事を見逃してはならない。
日本においてはこのアメリカの模倣ばかりが先行して、その本質的な根の
ところを見落としてはいないだろうか。
生まれた国を去り故郷を喪失した人たちが、その貧しさゆえ経済本位で
摩天楼を築き上げ、さらにその喪失感からデイズニーランドもショッピン
グセンターも新たな夢のランドとして創造されたという故郷喪失感が根底
にあるという事実である。
それはあらたな故郷・故里をランドとして創らんとする夢の力が為せる
ものなのだ。
何故ならこの空間・ランドには、見上げれば屋根も空もあり、マンホール
ならぬもぐりこむ隙間があるからである。
例えそれがショップと遊園地の空間であろうと、その独自性はアメリカの
物質文明の夢の果てに生まれた独自な文化であるのは事実である。

痩せたね、と隣の大家さんが家賃を集金に来て呟いた。
私は右のポッケにある夢の話しをした。
顔が和らいで、後からカレーライスを届けてくれる。
もう少し太れよ、ということのようだった。
今度は左のポッケの稼ぐガムの話をした。
がんばります・・ね。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
[PR]

by kakiten | 2013-08-24 14:04 | Comments(0)
2013年 08月 22日

小樽行ー梢心・葉月(13)

小樽文学館で展示中の「北原白秋の小樽・サハリン旅行」展を
見に行く。
大正14年8月に九州人北原白秋は小樽を経由して樺太を巡った。
その旅を通して「この道」という歌が生まれている。
南国の人白秋に北の大地はどのように映ったのか。
その事に興味があった。
展示は丁寧にこの旅の記憶を拾い上げていて、南と北の風土の
違いが生じる新鮮な発見の一端を伝えてくれる。
この時の白秋の著した紀行文「フレッド・トリップ」はまだ未読
だからなんともいえないけれど、私としては「この道」に表れた
札幌の空気をこの展示から感じてみたかったのだ。
九州とは異なるサハリン・北海道の風土の経験を通して、その違い
がより開かれた未知の発見として白秋の中できらり輝くものとして
歌に醸成されたと思えるからだ。
場所柄もあり、樺太以外は小樽に関する展示が主であり、札幌の展示
は「この道」を発表した初版本の展示のみに止まっていた。
実際にあまり札幌を歩いたという事実も無いようだから、「この道」
は、この旅で感受した北への憧憬がその母胎になっていたと思える。
展示の記述の中に「我は南国人なり」という一文があって、この事は
逆に南を強く意識しその違いを新鮮に感じていた事実を感じさせるの
である。
風土の違いが白秋の感受性の深いところで新鮮に揺れていたと思える。
違いが区別・差別として閉じる事無く、違いが新鮮に開くものとして
在ったことに、大正期の開かれた浪漫を同時に感じるのだ。
今は国家によって分断されているサハリンと北海道は本来は同一圏の
風土を有している。
幕末の古地図ではサハリンから津軽に及ぶ視点で地図が作成されている。
地名においてもほとんどがアイヌ語地名でいわゆる北方領土も含めて
同一の風土圏内である事が分かる。
九州が朝鮮半島や大陸に近い南の風土圏にあるとすれば、ここはシベリア
大陸に近い北の風土圏にある。
その相違を肌で感じて、白秋は「この道」のような浪漫を歌にしたので
はないだろうか。
違いという境が新鮮な戸口として界(さかい)という世界を創る。
差別や分断・区別が生む中央ー地方の線引きとは違う入り口を保つ界
(さかい)なのだ。
この根となる感性をこの展示から吸収して感じてみたかった。
この後館を出て、瀧口展以来久しぶりに堺町本通りをぶらぶら歩く。
アーケードもなにもない2、3階建ての個性的な建物がずっと続いて
通りに連なっている。
歩行する人もゆるゆると歩いていて、直線的な速歩の人は見当たらない。
札幌の狸小路は空が塞がれ、同じくらいの距離だがこの解放感はない。
地下街に至っては、建物それぞれの固有性もないのだ。
狸小路も地下街も固有の建物の保つ魅力がないのは、単純にいって屋根
が見えないからでもある。
屋根の見えない町並みとは、ショップの商品の陳列パック店(棚)と
化して商品の街路樹のようである。

屋根が空と繋がり、道が風景と繋がる。
そうした世界があって「この道」の歌も生まれたのだろう。

  この道はいつか来た道
  ああ そうだよ
  あかしやの花が咲いてる

  あの丘はいつか見た丘
  ああ そうだよ
  ほら 白い時計台だよ

ここには屋根が見え、樹木が見え空が見える。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
[PR]

by kakiten | 2013-08-22 15:19 | Comments(0)
2013年 08月 21日

元気びとー梢心・葉月(12)

山田航さんが弾けている。
地方区全国区の賞を総なめし、最近はNHKのライブ放送に1時間
作家高橋源一郎と対談し好評で、今度は道内のHBCラジオ9月1
日に午前9時半から「元気びと」に出演という。
さらに来月発行の「文学界」にもエッセイを書いたという。
そんほかにもいろいろと書いたり顔を出したりと多忙なようである。
ラジオの番組「元気びと」に選ばれて、本人は最も元気と縁ない人間
だが、と苦笑していたが世間はそうは見ていないのだ。
そのギャップがなんとも可笑しかった。
最近はいつもエルムゾーンを歩く時も同行してくれて、文学界の原稿
にもその事を書いたという。
孤軍奮闘の「緑の運河エルムゾーンを守る会」の運動だが、心強い
賛同者として彼が今加わってくれている。
駅前産業経済ゾーンに対峙して西南から東北にかけて伸びる川の道
そしてエルムを代表とする森のゾーンを、近代と前近代を繋ぎ現代
へと通じる文化の回路として位置づけ、そこから札幌の独自の文化
位相を母胎として正統な近代の浪漫を育てたい。
そんな思いを熱く志している。
開拓使の時代から育まれた夢の系譜は、戦後の中川つかさに至るまで
今も脈々としてこの地の底流に流れている近代の正の部分である。
瀧口修造の小樽を第二の故郷とする近代のシュールレアリズムの母胎
としてもその系譜の流れはあった筈である。
薩摩藩の夢のサムライ村橋久成に始まり、洋の東西を問わず多くの
優れた先人が夢を繋いだ土壌として、北海道の都市はある。
その面影を深く遺すゾーンとして札幌では、この緑の運河エルムゾーン
があり、その奇跡的な存在は決してタワー系の高層ビルで分断させては
ならないものである。
辛うじて深く根を張り地下水脈に触れて生きている巨樹たちの水の梢を
絶ってはならないのだ。
根は水という光に触れ地に根を張り、梢は光という水に触れ空に根を
張っている。
この天地を繋ぐ垂直な生の立ちかたこそが、グローバルな物流の横軸
に対峙する文化の尺度である。
個が個として深く生き、その志の綿毛が飛んで独自な文化という森を
創る。
同じ樹木を移植し街路樹にするのとは違う世界なのだ。
500mに特化したり、館という室内に特化したりする街路樹の並木
のような都市の美観と裏腹なあるいは保存を目的とした収蔵品庫的な
役割も否定はしないけれど、本質的な創造の土壌とはもっと荒々しい
矛盾に満ちた磁極の火花が散るものと考える。
南北の対極する磁場があってこその東西という広がりであり、この
対極・南北・天地という矛盾を垂直に孕んでこその東西の広がりな
のだ。
横軸の東西ばかりに目を向けて、人は欲の悪無限的相対化に堕す際
(キワ)にいる。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
[PR]

by kakiten | 2013-08-21 13:13 | Comments(0)
2013年 08月 20日

雷・驟雨ー梢心(11)

京都から帰省したKとMさんをいつもと逆のルートでエルムゾーン
を案内して3日が過ぎた。
休廊日を挟んで休んだので、身も心もゆるゆるとだれている。
かえって疲れが澱んでいる。

案内した日はここに集合してクラーク博士の時代の農場が保存さ
れているモデルバーンから歩き出し、巨木の茂るエルムトンネル
の上を通り、遺跡公園を抜けて大野池からサクシコトニ川沿いに
中央ローンへ出て、そこから北大構内を抜けて清華亭に入り偕楽
園緑地から伊藤邸、植物園を抜けヤマダ電機を経由して大通りの
イサムノグチのブラックマントラ、そこからTV塔傍の7階テラス
の在る喫茶店まで3時間ほど歩いた。
KとMさんはすっかり札幌を満喫したと満足そうだった。
今日もう帰った京都からお礼のメールが届いている。

今朝は朝から晴れていたが、途中から雲が厚くなりざあっと音を
立てて雨が降り出す。
雷が鳴って一気に雨粒が道を濡らし、乾いた路面が黒く濡れる。
自転車を飛ばして競馬場の横を走っていると、少し雨が小降りに
なって一息つく。
画廊に着いてまもなくMさんから電話が来て、後から水を届けて
くれるという。
その電話の直ぐ後に東京の川戸君から電話で、今札幌なので昼か
ら訪ねると言う。
吉増さんの生徒さんで澄んだ笑顔のミュージシアンである。
久しぶりに集中してブログやら今後のスケジュール等を考えたか
ったが、そうも行かない。
やがて川戸君と日本語の達者な外人が来る。
程なく山田航さんも合流して、Mさんも水を持って来る。
なんという事無く自然に大野一雄の石狩河口舞踏公演の映像を
見せる。
今夕に東京へ帰るというので、エルムゾーンを案内したかったが
時間的に無理なので、「石狩・みちゆき・大野一雄」の映像に
したのだ。
約2時間見終えて、ほっと笑顔のみんなだった。
大野先生の最後の挨拶が何度聞いても心を打つ。
夕日に向かって生命の踊りを終えて、心から感謝のメッセージで
ある。
二度にわたるアンコールの踊りとともに、この映像は永遠に私の
心にいつも新鮮な感慨を見るたびに齎すものだ。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
[PR]

by kakiten | 2013-08-20 12:23 | Comments(0)