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2013年 02月 28日

密度と閉塞ー燃える如月(18)

地下鉄に乗っていてふっと思い出していた。
先日の東京から帰省中の詩人文月悠光さんの話。
東京ではあまり他ジャンルの人と会う事がないけど、
その分野には濃い人が多いよ、という言葉だ。
冬の通勤中、人の密度は道も電車も濃くその分人は自分の
世界に閉じ篭る。
車中手元のスマホに見入る人が半分以上で、他は無念無想
の瞑目状態である。
自転車や歩いて通勤の時は、世界はもっと緩く開かれて
周りがある。
人と人の量的密度が濃い程、人はその間を遮断して自分の
世界に閉じ篭るような気がする。
東京の文化風土がもしこの人口密度と同じ関係性にあるの
なら、自分の分野だけに閉塞する傾向が予想できるのである。
勿論分野の専門深化が閉塞だけとは限らない訳だが、一般
的に地下鉄や都市の他者との関係性に近い閉塞状況も充分
考えられるのである。
人は人が量的に濃い環境では、他者への警戒心や自己防御
の為、関係性を閉じて自己の城に篭るのだろうか。
絶え間なくこちらに発信される広告情報や注意情報が、都会
では眼・耳に鋭く突き刺さってくる。
その外部との密度が濃い渦の中に人が密集しているから、
人は遮断して内に自己防御的に閉じるのだろう。
その社会環境構造は文化環境にも通底してあるのかもしれない。
というかもともと文化はエッジから生まれ、中央に攻め入ってゆく
ものである。
人間の身体だって五感は外部と接するエッジにある。
内側に溜まれば、メタボという内臓肥満である。
都市のメトロポリス化は、時に外世界に鈍感なメタボ化とも思える。
地下鉄の中の他者との遮断状況に、そんな事を思っていた。


*今田朋美・久藤エリコ展「ハツゲン」-3月2日(土)まで。
 am11時ーpm7時:3月2日午後4時~5時蛇池雅人(as)・
 長沼タツル(gt)×今田朋美(書)・久藤エリコ(切り絵)
 ライブパフォーマンス

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737ー5503


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by kakiten | 2013-02-28 13:38 | Comments(0)
2013年 02月 27日

寒気緩んでー燃える如月(17)

寒気が少し緩んで、融けた氷に斜漏りがする。
凍結の後水が滲む。
トイレの排水弁も緩んで、これも凍結の後遺症だ。
豪雪・寒気の後は、水の後始末である。

朝、暗渠となった細い川跡の路を歩くと、接するマンシヨンの
敷地との境が1・5m程高低差がある。
マンシヨンの敷地はロードヒーテイングで平らだが、細い小道
には雪が堆積して高くなっているのだ。
もう一方の隣接する民家の屋根が目の前に見える。
朝、屋根よりも深々と歩いている。

昨日春休みで帰省中の文月さんが来る。
展示中の書の今田さん、切り絵の久藤さんを紹介する。
その後写真家の藤倉翼さんも来て、暫し歓談。
次回山田航展の打ち合わせもする。

山田航歌集「さよなら バグ・チルドレン」より気に入った一首
を選んでそれを自分の作品で表現する作品展に、藤倉さん
も出品する。
その写真作品を持参してくれる。
今日は藤谷康晴さんが同様に選んだ一首と絵画を持参。
少しづつ作品が集ってきた。
短歌を他のジャンルの作品で表現する試み、どういうメンバー
でどう表現化されるか、楽しみである。

文月さん曰く、東京ではあまり他分野の人と出会う事がないと
言う。
詩を書いていると言うと、ふ~ん?とそれで終る。
その代わり同じ分野では濃い人が多いという。
分野別に専門化が深いのが、東京、という事のようだ。
人口密度と比例するようで、ここにも都市と地方の差異がある。
言葉では同時代(conーtemporary)とはいうけれど、中味は
同分野の濃密化という事だろうか。
一長一短があって、こちらの方が分野に対して緩いともいえるし、
自由ともいえる。
ただ本質的にはもう一分野だけで収斂される時代ではない、と
私は思っている。
漁師が海の為に山に木を植える時代である。
これも都会ではないからこその現象である。
この分野の跳梁もまた、時代の必然と思う。

山田航さんの短歌に何かを感じ共感できる感性が事実なら、それは
どこかで自分の創る作品と共有するものがある筈である。
それを互いの感受性のキャッチボールとして交感できうれば、百の
批評に優ると私は思う。
優れた作品であるならば、それは絶対にジャンル内に終る筈はない。
その可能性を思うのである。

次回展示は「歌集さよなら バグ・チルドレンを廻る変奏」展である。
絵画・彫刻・写真・書・音楽等によるそれぞれが選んだ一首の変奏と
なる。

*今田朋美・久藤エリコ展「ハツゲン」-3月2日(土)まで。
 am11時ーpm7時:3月2日(土)午後4時~5時ライブパフォーマンス
 蛇池雅人(as)・長沼タツル(gt)×書・切り絵。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2013-02-27 14:46 | Comments(0)
2013年 02月 26日

翳が立つー燃える如月(16)

今田朋美の書に久藤エリコの切り絵のパフォーマンスが、
初日の夕方ミチトのギター弾き語り演奏の中で行なわれる。
初めて見る音と切り絵と書のライブパフォーマンスである。
黒い大きな紙の上に這いつくばり、久藤エリコが紙を切り
裂いていく。
今田朋美はミチトの歌と演奏の間を計り、一気に敷かれた
紙の上に大きな筆を走らす。
白い紙と黒い紙の対比の中で、鋏で切り裂く行為と筆で切り
刻むように書く行為とが燃え上がり、床に深い翳を顕す。
ふたりの情念世界が一気に空間を変える。
晴れた雪道に黒い影がくっきりと浮かぶように、日常の見え
ない翳の部分が、ふたりの情念の炎によって立ち上がる。
切り絵に対して今まで抱いていた童話的な部分は消えて
翳に顕在化する情念の炎のような激しさが感じられた。
書に対しても同じような情念の存在を感じていたのである。
このふたりが、陰陽反対の手法で表現する翳の世界は非常
に情念的な女性世界でもあると思われる。

先週まで展示した秋元さなえの世界が、風景から自らの存在
を問う作品行為だったとするなら、今回のふたりの作品はより
個人的な内面の情念にその存在の根を求めている。
日常の奥底に潜んでいる翳の炎、そのマグマを顕在化する事。
それもまた激しい自己の存在証明の方法のひとつでもある。
風土から自らを見詰める方法と自らの内側に深く潜む情念を
炎として顕し、日常に対峙させる。
人は自分が何処から来て何処へ行こうとしているのかを
問わずにはおれない存在なのだろう。
その問い方の様々な様態を今回も深く感じている。
タイトルに使われたカタカナ「ハツゲン」とは、発現であり発言でも
あるような、発せざるを得ない内なるものの表意でもあろうか。

*今田朋美・久藤エリコ展「ハツゲン」-3月2日(土)まで。
 am11時ーpm7時。
 :3月2日(土)午後4時~蛇池雅人(as)長沼タツル(gt)×切り絵・書

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向

 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2013-02-26 13:24 | Comments(1)
2013年 02月 24日

書と切り絵のふたり展ー燃える如月(15)

観測史上二番目という寒波が来て、今日も雪。
白い銀世界に墨書のモノクローム、虫ピンで留めた
切り絵が白い光の中に浮かぶ。
今田朋美さんの書と久藤エリコさんの切り絵展が
始った。
墨書の文字の躍動感と小さく切られた人物や葉が
白い壁に飛んでいる展示は、雪の白い光に浮き上が
り馴染んでいる。
今晩、その中でギター弾き語りのミチトさんのライブが
行なわれる。

*今田朋美・久藤エリコ展「ハツゲン」-2月24日(日)-3月2日
 (土)am11時ーpm7時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2013-02-24 11:52 | Comments(0)
2013年 02月 22日

秋元さなえ展終るー燃える如月(14)

江別の小丘飛鳥山をテーマとした秋元さなえ展が終る。
若い秋元さんが、生まれた場所の風景の根を辿る。
コンセプトのはっきりした良い初個展だった。
テーマとしては地味なものである。
多くの人が見向きもしない一郊外の小丘。
そこに焦点を絞り、命名の由来から移住者の望郷を見、
東京北区荒川沿いに立つ同じ名前由来の小丘を探索
した経緯が、今回の個展の軸となっていた。

風土という言葉は、風と土から成立している。
本来は相反する性質の概念の言葉である。
しかし文化とは、風のように舞い降りてその地に根付くもの
と考えれば、風土とは正にそうした様体を表しているのだ。
東京北区荒川に立つ飛鳥山が、北海道石狩川の江別に同じ
名を保って在ったのは、移住して来た人の望郷の所為でその
地に根付いた名前でもある。
その根付き方に、風土の保つ風の文化がある。
まだ20代前半の若い秋元さんのような人が、こうした移住者
の歴史から故郷を見詰めるのは、

 emigrateー(他国へ)移住するーという移住者から
 immigrateー(他国から)移住してくるー移住者へと

その移住の(へ)→(から)への転位を十分に感じさせるものなのだ。
石狩・江別に移住してきた人は、その故郷を思い出して似た地形に
立つ小丘に同じ名前を付けたという。
emigrate(他国へ)という<移住>者は、この時immigrate
(他国から)の<移住>者として、心は遠く離れた故郷の丘を
思い出したのだろう。
その逆過程を今回の展示では試みているのである。
「121年前のよろこび」というタイトルはそのようにして発想された
と私は思っている。
秋元さんが見詰めた故郷と異郷の小丘は、その意味で<風>の
系譜に属する風土の文化である。
この後秋元さんも含めて我々北海道で生まれた人間の向き合う
問題は、この<移住者>の位相から<定住者>=土の文化と
して如何なる視座を持ち得るか、という問いの現在にいる事と思う。
遠い時代の歴史を知る事も、何も知らず生きてきた人間にはそれ
自体が風のように未知の世界を飛ぶ事でもある。
植物の繊毛や綿毛のように、風に乗って飛んだ後には土壌という
土との対話が始る。
世代は違うけれど北海道に生まれ育った私たちは、百余年を経過
して今、風から土の時そういう<風・土>の時代を生き始めている。
他国<へ>でも<から>でもなく、新たな文化の移住者として、
風立つこの大地を意識して、それはもう始っている筈である。

*今田朋美・久藤エリコ展「ハツゲン」ー2月24日(日)-3月2日(土)
 am11時ーpm7時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2013-02-22 16:10 | Comments(0)
2013年 02月 21日

70kmの夕張ー燃える如月(13)

夕張の上木和正氏から昨年暮に頂いた手紙がある。
 
 70km離れた地のちいさなスペースで絶えることなく
 火が燃えている
 燃やし続けている人がいる
 何よりの励ましとなっていること 多謝感謝

70kmの距離だったのだ、札幌と夕張。
そこに札幌とは違う風土の<夕張界>がある。

昨日東京・吉増剛造さんよりfaxが届く。
1月、ここから飛び立った270葉の大草稿集、岩手・北上市から
万葉の奈良へと旅を続けているという。
現在304葉という。
愛着を篭めて吉増さんは、この草稿集を”決して着地せぬ隕石君”
と書いている。
北関東に流星が飛び、ロシアに隕石が落下しと、このところ急に
隕石のニュースが続くけれど、これと吉増さんの大草稿集隕石君
と不思議と繋がるような気さえしてくる。
今年末にこの草稿集はいったい何百葉となってここに戻ってくる
のだろうか。
界(さかい)を超えて飛翔し続けるもの。
見えない界(さかい)を感受させるもの。
the republic of Yuubari (夕張界)
the republic of Sapporo (札幌界)

界(さかい)が明らかになる事で、それぞれの場の固有性
への親愛感もまた明瞭となる。
それゆえ飛翔する感性もまた存在理由がある。
男女のようなものかも知れない。
違うから惹かれる。
違いは、界(さかい)は、差別ではなく惹き合う磁場なのだ。
その磁場を飛翔するものが、友情であり愛であり作品の
ような隕石・流星なのだ。
界(さかい)のせめぎ合いその緊張感が一方に偏する時、
世界は界(さかい)でなくなり、グローバリズムの物量の
大小の世界に閉じるだろう。
70kmの世界が消滅すれば、夕張は札幌圏に組み込ま
れてその固有の世界を消去する事となる。
その札幌圏さえ、リットル・トウキョウ化するなら、固有の
札幌界もまた消去される事となる。
違いが違いとして魅力的である為には、界(さかい)の輪郭
を喪失してはならない。
僅か70kmの界(さかい)の友情は、掛け替えのない個々
の固有性を感じさせる大切な距離なのだ。


*秋元さなえ展「121年前のよろこび」-2月21日(木)まで。
 am11時ーpm7時。
*今田朋美・久藤エリコ展「ハツゲン」-2月24日(日)-3月2日(土)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
 
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by kakiten | 2013-02-21 11:58 | Comments(0)
2013年 02月 20日

故地とは何かー燃える如月(12)

昨夕の道新夕刊に前夕張美術館館長の上木和正氏が
「夕張美術館崩壊から一年」と題した一文を寄せている。
昨年の豪雪で屋根が崩れついに雪の重みに耐えかねて、
夕張市美術館が崩壊。
その一年後の気持ちが率直に綴られている。

 美術館の壊れ方を見て、建物自体が仮設作品だったのか、
 夕張そのものが国家と資本が百数十年かけてプロデュース
 したインスタレーシヨン(架設空間展示)なのではないかと
 思った。・・・・20世紀のスクラップ&ビルドは、現在と将来
 にその意味と意義を提起し続けるだろう。

 財政破綻のまちに図書館はいらない、美術館などもってのほか
 という道庁、総務省の方針にあらがうすべもなく閉館が決まる。
 そんな中なんとか夕張リゾートが指定管理者となって持ちこた
 えていた。

収蔵庫の作品たちは地下に在った為無事だったという。
優れた炭坑全盛時代の作品たちの行く末もさる事ながら、美術館
という建物の崩壊に象徴される都市の崩壊を思うのである。
「財政破綻のまちに美術館などもってのほか」という都市構造とは
何んのか。
この対極に存る東京圏で来月催される「生息と制作」という展覧会
では、如何にこの夕張も属する北海道が美術にマイナーな環境で
あるかが前提となって企画されている。
この前提で考えれば、北海道は勿論の事東京圏以外の被災地も
含めた日本のほとんどの地域が、マイナーな条件下にある事にな
るだろう。
財政破綻の夕張市と対極の豊かな都市が東京圏とするなら、これ
を前提として美術環境の優劣を考える思い違いに都市帝国主義的
病根がある。
故郷を喪失し続ける自らの故地(ホームランド)を棚に上げて、イン
フラの整備条件の優位性に信を置く過信が問題なのだ。
私の乏しい経験からいっても、1980年代の石炭産業衰退時の
夕張という都市は、充分に美しい豊かな場処であった。
近代産業遺構建築物とそれを取巻く自然の環境は、スクラップ&
ビルドの急激な変化の進んでいた明るい廃墟のような札幌の都市
化に比して、多くの作家たちに刺激的な風景を提示してきたので
ある。
その一端は2009年11月に企画された目黒美術館「’文化’資源
としての<炭鉱>展」において、展示されてもいる。
岡部昌生のフロッタージュ作品、吉増剛造の長編詩「石狩シーツ」、
佐藤時啓写真作品等がその時展示された作品である。
これらは当時都市としては対照的な道を歩んでいた札幌と夕張と
の明暗の回路から生まれた作品たちでもある。
夕張を舞台としながら、明るい廃墟としてスクラップ&ビルドの激し
く進む都市というが切り口に存したのだ。
スクラップ化の進む夕張とビルド化の進み札幌とが都市の裏表・
明暗のようにひとつとして捉えられていたのである。
ふたつの都市は夕張川で繋がる同じ石狩川の地域にある。
しかし冬季オリンピックの時代を境にして、このふたつの都市の
在り様は対照的なものとなる。
石炭から石油へのエネルギー資源の転換による街の衰退と冬季
オリンピック開催による都市の膨張と、ふたつの都市は全く両極の
位置にあった。
しかしながらこの時ふたつの都市に共通して進んでいたのは、本
来の故郷の空洞化というランド喪失の共通性である。
都市化の肥大によって喪失するもの、都市の衰退によって喪失
するものとが、この時その故地の固有性の喪失という一点におい
て激しく近似し、すれ違っていたと思う。
いってしまえばスクラップによる故地喪失と、ビルドによる故地喪失
である。

東京圏自体も実はそうしたスクラップ&ビルド化によって巨大化し
た都市圏である。
その弊害は、今回の3・11以降にも顕著に顕われている。
地震による液状化、渚現象は、谷地や浜の埋め立てによる都市化
の結果である。
さらに今回明らかになった東北の電力基地化はその象徴ともいえ
るものだ。
消費電力のメガロポリス過剰集中を補う供給基地として、地方が
ある。
地方が地方としての固有性を喪失して、大都市圏の電力補助地位に
組み込まれて在る。
東北には東北の固有の故郷があり、首都圏の東京には武蔵野という
一地方の故地があった筈である。
都市と故郷の喪失というこの相対峙する命題に真摯に向き合う事が、
今一番問われる事ではないのか。
上木氏の<夕張そのものが・・・架設空間展示なのではないか>と
いう問いに、そう応えるものがあるのである。

*秋元さなえ展「121年前のよろこび」-2月21日(木)まで。
 am11時ーpm7時。
*今田朋美・久藤えりこ展「ハツゲン」-2月24日(日)-3月2日(土)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2013-02-20 14:48 | Comments(0)
2013年 02月 19日

ランドという入口ー燃える如月(11)

北海道の総人口の半分近くを占める札幌市に近く、その都市圏
メガロポリスの一隅として在る江別市。
しかしながら札幌都心部よりも歴史的に古い固有の歴史を有
している場所でもある。
その事実を飛鳥山というこの地域に立つ小さな丘を主題に探求し
た秋元さなえの展示も会期が半ばを過ぎた。
明治開拓期に重要な商業圏として栄えた江別市は、石狩川の
水運と鉄道の陸運の要地として繁栄したようである。
しかし大正・昭和になると、新たに札沼線の開通、夕張鉄道の開通
等の内陸鉄道網の完成により衰退の途を辿る事になる。
かって旭川・小樽に次いで栄えた江別商業圏は衰退してゆく事と
なる。
物流の拠点だった江別市がそのグローバルな位置を喪失し、今
や札幌メガロポリスの衛星都市のようにひっそりと存在している。
そんな地域の歴史的・地理的固有性を掘り起こして、秋元さなえは
何を表現したいのか。
故郷に閉じている歴史を綴りたいのだろうか。
あるいは新たな町興しとして郷土史を発掘する事に主眼が
あるのだろうか。
そのいずれでもないと思える。
しかしその辺りの曖昧さを包含しながら今回の展示はある。
今後の方向性がもし郷土史から町興し的な方向性を選ぶなら、
それは故郷というローカルな地平から新たな物流のグローバル
な位相へと転換する、敢えて言葉で言えば、グローカルとでも
いえる方向性である。
しかしながら、この地の固有性を美術として文化の方向性で捉える
ならば、それは物流のグローバリズムに裏打ちされる方向性ではなく、
風土というランドの視点から深化するインターローカルな方向性が問
われてくる。
風土から生まれるインターローカルな視座とは何か。
それはその場が保つ固有の風景を基底とするある普遍性への試み
とでもいえるものだ。
例えばセザンヌにとっての故郷の小さな山へのような視座である。
今の時代にそのような風景としての故郷=ランドとしての視座を
再び獲得でき得るかどうか、というのは私たちには重い問いとして
存在する。
秋元さなえが見詰めた故郷の小丘飛鳥山が、ランドとして真に再生
でき得るかどうかは、今後の彼女の生きる方向性そのものとも思える。
その意味で今回の初個展は、江別の原意(イ・ぷッ:川口・入口)の
新たな転位のイ・ぷッ:入口:江別に作家自身が立っているともいえる
と思う。
そしてその入口への位相とは、私たちの時代のそれぞれの場において
問われるべきランドへの<入り口>の問いかけとも思われる。


*秋元さなえ展「121年前のよろこび」-2月21日(木)まで。
 am11時ーpm7時。
*今田朋美・久藤エリコ展「ハツゲン」-2月24日(日)-3月2日(土)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2013-02-19 12:42 | Comments(0)
2013年 02月 16日

雪の土ー燃える如月(10)

夜半に降り積もった雪が純白の大地を造る。
その上に青空が広がって、世界は白と青に静まる。
雪掻きをする人影が路傍を横切って、時に雪の軋む音。
空中の汚れ・音を雪が吸い取り、清浄な光が街を満たし
ている。
踏み跡を辿りながら、不安定な路を歩く。
眼は白い雪面に眩しく遠近を喪い、路の凸凹を見失う。
全身でバランスをとりながら、眼以外の身体機能を路に
注いで歩く。
雪道の歩行は時に格闘技のようでもある。
大きな車道に出ると、車の轍が路面をさらに不安定にする。
背後に迫る車が来て、前後左右に身体は緊張するのだ。
道の曲がり角に雪に埋もれた公園が時に在ったりする。
そういう時に公園の中に立つ古い樹木が、ふっと一時眼の
休息を与えてくれる。
歩行も緩んで、梢の視線に空を見る。
短くこの時人は樹と対話している。
百のインフラ施設より、この一瞬の方がどれ程人は人らしく
世界と向き合っているか。
雪を土として世界と向き合う。
そんな風土の保つ視座が、雪の無い土地には無いなりに別の
回路で在るに違いない。

東京北区王子に伝わる飛鳥山の様々な資料を秋元さんから
見せて頂いてそう思った。
この小さな丘が人々の暮らしに与えた里山のような豊かさは、
多分今の時代に考えるよりもうんと深く大切なものだったように
思う。
都市のインフラ施設のみが、その比較対照の要件のように比較
されるが、本質的にそれは表現の絶対条件ではない。
風土が保つ固有の環境こそが、作家の固有性を生む筈である。
そこをメガロポリス(大都市圏)のインフラの視点から地方を見る
ような芸術文化の視座は、都市帝国主義の虜としか思えない。
東京電力が東北に電気供給基地を設け、関西電力が北陸に電
気供給基地を設ける。
そうしたメガロポリス帝国主義の延長線上に芸術文化の地平を
設定するなら、固有の風土はマイナーな植民地経済と変わらな
いものとなる。
雪には雪の土がある。
そこに風が吹き、世界は広がる。
雪の土は風とともに新たに固有の風土を創ってゆく。
その見えない風を、文化と呼ぶのではないのか。
土だけでも文化は生まれない。
風とともに、綿毛のように世界に飛ぶ。
そしてそこに新たな土壌を創ってもゆく。
それを真に文化と言う筈だ。

*秋元さなえ展「121年前のよろこび」-2月12日(火)-21日(木)
 am11時ーpm7時:月曜定休。
*今田朋美・久藤エリコ展「ハツゲン」ー2月24日(日)-3月2日(土)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2013-02-16 14:14 | Comments(0)
2013年 02月 15日

梢が触れているー燃える如月(9)

雪の後晴れて、青い空が広がっている。
公園の真中に立つ樹木が美しい。
放射状に枝を広げて、白い翳の梢を伸ばしている。
梢の先端が風に揺れる。
私もこんな姿で世界を見て歩きたい、と思った。
五感を梢の先のように世界と関わりながら光や風に
触れて、身体の外の光景・風景を歩く。
地下電車や直線の舗道の街では喪ってきた感覚なのだ。
坐っても立っていても、歩いていてすら手元の電子盤を
見詰める人が多い中で、一本の樹の梢のアンテナの豊か
さを思う。
冬、白い雪景に裸木の立ち姿は、いつも本質的である。
私にはそう思える。
大枝・小枝・幹だけが、黒々と白い雪の中に立つている。
その有機的な生命の姿に同じものはひとつとしてない。
葉が落ちた冬の裸木の立ち姿は、より本質的な命の姿を
顕すものと感じられるのだ。
冬は寒く冷たく凍りつく季節だが、時にこんな晴れ渡った日
に、ふっと樹木が命の炎の姿を見せてくれる。

大河の川傍近く立つ小さな丘から感受性の梢を広げて、
五感に触れる世界を真に感受するように秋元さなえ展が
ある事を祈るように、今朝の梢の震えから思ってもいた
のである。

*秋元さなえ展「121年前のよろこび」-2月12日(火)-21日(木)
 am11時ーpm7時:月曜定休。
*今田朋美・久藤エリコ展「ハツゲン」-2月24日(日)-3月2日(土)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2013-02-15 12:25 | Comments(2)