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2012年 03月 31日

冷たい雨雪ー風骨・3月(24)

雨かな、と思って外に出たら細かな雪だった。
灰色の濡れた細雪。
傘をさして歩く人にも雪は見えず、姿は濡れて黒く沈んでいる。
滑り止めの黒い粉末が路面を斑(まだら)にして、融けた雪の路面を
さらに灰色にしている。

齋藤玄輔展もあと一日。
大雪山の麓、旭川の結晶するような内陸の地。
寒気厳しく夏は暑さも厳しい処と聞く。
寒暖の差が激しい、石狩川の源流域に広がる盆地。
そうした気候風土と齋藤玄輔さんの世界は、どこか交錯している気がする。
久野志乃さんの海、森本めぐみさんの火山。
それぞれが海の青、火山の赤であるような色彩の彩(いろ)がある。
齋藤さんにはその色が、凝縮する結晶の彩(いろ)のように感じる。
植物を素材としながら、暗闇に植物の有機的な命の姿を光に投射する。
押し花の枯れた明視の陽画を暗視に転換して陰画として浮き上がらせる。
その篭(こも)り方が、旭川の盆地のように濃いのである。
雪の結晶が天からの手紙であるならば、この植物の結晶はどこからの
手紙であるのか。
大地の水からなのか、天の光からなのか。
その両方と天地を繋ぐものが植物であるならば、齋藤さんの今後の展開も
その両方に深く関わってくる筈である。
植物の部位にその美を偏らせる事なく、植物総体の有機的な美しさを作品の
主体に置いて表現された斎藤さんの作品には、植物の総体の有機的な生命
の姿と根底において深く関わってくるものと思う。
植物は光を求めて空に根を張り、水を求めて地中に枝を伸ばす。
それが植物の生の姿である。
その総体を光の暗視の内に浮かび上がらせた今回の作品は、結晶する姿だけ
で完結するものではないと思う。
もし草花紋のデザイン美に閉じた世界で停まるなら、植物からの手紙はもう届か
ないで、美の紋章となって終る。

*齋藤玄輔展ー4月1日(日)まで。am11時ーpm7時。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2012-03-31 13:36 | Comments(0)
2012年 03月 30日

風の便りー風骨・3月(23)

ふっと思い立って長万部の薩川益明先生に電話する。
私の高校時代の恩師である。
化学の先生で詩人。今は札幌を離れ長万部にお住いである。
一時札幌生れの先生とよく札幌中を歩き回った。
バラト街道、琴似街道、奥三角ー磐渓ルート、古石狩川筋江別ーモエレ沼
モエレ沼ー石狩河口、石狩海岸旧道等々。
先生は中島公園近くで生まれ、古き良き札幌を知っている。
その先生の記憶と私の発見・探索したルートを重ねて歩いたのだ。
その中で一度奥三角山ー磐渓ルートを歩いた時、八木保次さんのアトリエへ
先生と一緒に立ち寄った事がある。
ふたりは同じ中島公園界隈に生まれた幼馴染だった。
久し振りに会った二人はすぐに何十年も前の少年に戻り、やっちゃん、まっち
ゃんと当時の愛称で呼び合っていた。
その事を思い出して先生に八木さんの死をお知らせしたのである。
先生は奥様の体調が悪く、今はあまり外出もままならないと言う。
やっちゃんは、自分より3歳上で餓鬼大将だったという。
あの時会えて本当に楽しかったなあと、思い出すように呟いた。
ふたりで円山温泉の位置を荒井山裾の旧拓銀資料館の辺りではないか、
と楽しそうに往時を思い出して話していたのを思い出した。
しょうちゃん人形が立っていたなあ、と言う。
当時のマスコットキャラクター人形の事である。
あの時のふたりの談笑の様子は、今も写真に残っている。
私よりさらに若い小川智彦さんも一緒だった。
後に小川君と先生の詩と絵画のふたり展もこの小さな旅から生まれている。
最後に一度長万部まで先生に会いに行きますと伝えて電話を終えた。
八木さんとも晩年は一度もお会いしていなかった。
今の場所に引っ越してから、何故か遠くなっていた。
心では一度会いに行かねば、と思いながら時が過ぎてしまった。
思った時に人は会わねばならない。
先生にもそんな気がしていたのである。

*齋藤玄輔展ー3月20日(火)-4月1日(日)am11時ーpm6時。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2012-03-30 12:25 | Comments(0)
2012年 03月 29日

風のようにー風骨・3月(22)

朝Mさんが来て齋藤玄輔展を賞賛。
会場写真を今日ブログに掲載してくれた。
昨日昼過ぎ旭川から齋藤玄輔さん来廊し、作品撮影し風のように去る。
その後かりん舎の坪井さんと高橋さんが見える。
藤谷康晴さんのカタログテキストを出版したばかりで、その出来映えは
見事なものである。
作家を交えて簡単な出版記念会をしよう、と話した。
そこへ岩見沢から札幌に引越しをしたばかりの教育大生の瀬戸くんが来る。
それから次々と人が来て、時が過ぎた。
途中八木保次さんの死去を新聞のお悔やみ欄で見つけて連絡をくれた
友人のK氏がふらりと来た。
八木さんの奥さんの伸子さんのお別れ会が来月あるが、その会に自分も
出席したいから案内状を見せて欲しいと言う。
この会の発起人に連絡をしたいという。
最初は奥さんの伸子さんのお別れ会だったが、今では保次さんのお別れ会
にもなっている。
いつもふたりで展覧会をしていたおしどり夫婦である。
お別れ会もそうなってしまった。
遅れたけれども、今からでもお別れ会に出席したいというK氏の気持が
よく分かったのだ。
他にも人がいたのでゆっくりと話は出来なかったが、私とK氏の八木さんの収蔵
品を合わせて、ふたりの追悼展をしようと立ち話をした。
K氏はかって大きな郊外型の書店を経営していて、その一角にギヤラリーを
設けていた事がある。そしてそこに八木さん夫婦の作品を常設展示していた
のだ。以前から八木保次さんの個人的フアンで、絵画だけではなくその人柄に
も惚れ込んでいたと思う。
今回も彼が小さな毎日掲載のお悔やみ欄に保次さんの死去の情報を見つけて
くれなければ、何も知らずにいたところだったのである。
後日また追悼展について打ち合わせをしようと話して、K氏は去っていった。
次々と風のように人が来て、去って行く日だった。
みんなそれぞれに事情を抱えてぽつりと話して去っていった。
再就職の面接を受けたHさん、引越しをしたSくん、仕事に追われて会場に
束の間顔を出した齋藤さん、出版社の多忙な業務の合間に顔を出してくれた
それぞれがすれ違うように話し込んで、ふっと集まり散じたのだった。
風骨・3月。
今正に季節の変わり目である。

*齋藤玄輔展ー3月20日(火)-4月1日(日)am11時ーpm6時。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2012-03-29 12:44 | Comments(0)
2012年 03月 27日

入口の山ー風骨・3月(21)

父が死に東京から帰省したと同時に住んだ宮の森の山奥の家。
それまで駅前通りの繁華街で生まれ育った自分には、この新しい
環境は見るものすべてが新鮮だった気がする。
緑の濃さ、空気の美味さ、朝の鳥の囀り、夜の深さ。
そして同じ頃東京から故郷の札幌に戻った八木保次・伸子さんの家も
同じ山の上の方にあったのだ。
小別沢トンネルに続く山道に沿い、琴似川の源流域に聳え立つ奥三角山
を裏山にした八木さんの家には、よく遊びに行った。
そしてふたりでこの裏山界隈を縦横に歩き回ったのだ。
道は無く、急斜面の山裾を小枝や蔦に掴まりながら攀じ登り、畳一疊程
の小さな頂きを目指した。
そしてそこから尾根伝いに盤渓や大倉山の方まで、秘密のルートを放浪し
日暮れまで森の中を歩いていた。
春には小さな谷の両側に一方から鶯の鳴き声が響き、もう一方の谷から
は郭公の鳴き声が響いていた。
その鳴き声の競演を聞き、名も知らぬ花の咲く草叢の中でお昼寝をした。
そんな森の空気を知るにつれて、街中のビル内の生活からの脱出願望が
生まれたと今思う。
後年この山裾を入口とする場所へ、生活の場の移動を実践したからである。
それは奥三角山と繋がる琴似川の中流円山北町がその場処だった。
この時初めて住居と生業の場が有機的に繋がったのを感じていた。
本当に札幌という土地と共に暮らし出した入口のように、この八木さんの家の
裏山存在が、私には在るのである。

*齋藤玄輔展ー3月20日(火)-4月1日(日)am11時ーpm6時。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2012-03-27 12:49 | Comments(0)
2012年 03月 26日

休廊日出勤・八木保次さんの死ー風骨・3月(20)

作家から届いてから分かった事だった。
齋藤玄輔展案内DMに月曜休廊の記載が抜けていた。
すでに送られた後でDMを見て来る人もいるかと思い、月曜日も開ける
事にして出勤する。

曇り日、風寒い日。

どこか体が休みモードでぼんやりとしていた。
そこに友人のKから電話が入る。
読売新聞で読んだけど、八木保次さんが死んだよ、と言う。
もう葬儀も終ったという。
先日奥さんの伸子さんが亡くなり、来月お別れ会があると連絡があった
ばかりである。
その案内状では、保次さんは入院中と記されていた。
ひょっとしたら、伸子さんのお別れ会で、会えるかなあ、と思っていたのだ。
おしどり夫婦で展覧会もいつもふたり展をしていたから、ひとりになって
保次さんの事は心配していたのである。
休みの日に出勤してこの訃報が届くのも、何かの虫の知らせなのかも知れない。
朝久し振りに円山で工事中の空き地の向こうに奥三角山を見ていた。
そしていつも口癖になっている言葉を山に向かって呟いていた。
”マイ ラブ!”
この山裾に八木さんのアトリエがあり、かって私の家もこの山近くにあったのである。
端整な独立峰をもつこの山は、当時東京から帰郷した時の懐かしい札幌の象徴で
もあった。
元々の生家が在った駅前通りの住居から引っ越して、新築された住居と
父亡き後の新たな生活が始った場所である。
同じ頃東京から戻って来た八木保次・伸子夫妻がいて、親の代からの
お付き合いもあり、親しくさせて頂いたのだった。
八木家とは色んなご縁があったけれど、保次さんと一緒に登った奥三角山の
記憶は忘れられないあの場所の記憶である。
それまで街っ子で札幌の山を知らなかった自分に、小さくとも山の持つ魅力を
全身に沁み入るように教えてくれたのは、あの山である。
その時先導し一緒に歩いてくれたのが、八木保次さんである。
もうあの界隈に私の住居は無くなったけれど、今でも今日の朝のようにふっと
遠くから奥三角山が見えると、札幌への愛のように”マイ ラブ”と囁くのである。
保次さんと奥三角山は、掛け替えのない私の札幌ともいえる記憶である。

保次さん(保っちゃん!)、ありがとう。
もう一度あの山を、一緒に歩きたかったです。
またふたりで逆立ちして、あなたのアトリエでご来光を見たかったです。
本当にありがとうございました。

合掌。

*齋藤玄輔展ー3月20日(火)-4月1日(日)am11時ーpm7時。
 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2012-03-26 13:53 | Comments(0)
2012年 03月 24日

粉糠雪ー風骨・3月(19)

粉糠雨(こぬかあめ)のように、湿雪が降っている。
濡れた灰色の雪片が、細かく路面を濡らしすぐに消える。
雪も、冬と夏の界(さかい)に降る雪がある。
世界を真っ白に覆う雪ではもうないのだ。

昨日なにかの拍子に首を捻って一日首が痛んだ。
手<首>に続く、頭<首>。
今年は、<首>の不運が続く。
頭を廻して道の左右を見る時、寝返りをする時、胴体ごと移動して
位置を決めなければならない。
首が回らない、とはこの事だ。
まるで鞭打ち症のようだったが、一晩経って直った。
体が固いなあ。
自転車通勤に早く戻りたい。
早く野山を歩きたい。

齋藤玄輔展5日目。
ここでは珍しい暗闇の中の展示。
青白い光の花が、ステンドグラスのように浮き上がっている。
外に面した扉も遮蔽されているので、休廊と感違いする人もいるようだ。

*齋藤玄輔展ー3月20日(火)-4月1日(日)am11時ーpm6時。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2012-03-24 12:16 | Comments(0)
2012年 03月 23日

ふっと集まる日-風骨・3月(18)

ブログに鈴木余位さんの8mm映像の事を書いたら、早速反応がある。
ひとつはニューヨークの美術家中岡りえさんからメールで、次回来日時
是非見せて欲しい、というものだった。
同じ8mm映像で作品を創る中岡さんには、興味が惹かれたのだろう。
もうひとりは写真家の竹本英樹さんで、こちらはすぐ翌日訪ねて来た。
奥の談話室で映像を見せる。
そこに友人の山内慶さんが訪れた。
さらに鈴木さんの映像にも映っている花の村上さんも来る。
すると間もなく本人の鈴木余位さんが、顔を出した。
ニ風谷、石狩河口と2日間の旅を終えて帰って来たのだ。
そして同時に活字印刷の酒井博史さんが来る。
鈴木さんをみんなに紹介して、それぞれを鈴木さんに紹介した。
鈴木さんは、ニ風谷のアイヌの家(チセ)体験、石狩河口の寒風体験を
ぽつりぽつり話している。
それから8mmカメラを取り出して、齋藤玄輔さんの会場を撮らして欲し
いと言って撮影を始めた。
8mmカメラの回転音がカラカラと響いている。
この撮影フイルムを後で見るのが楽しみである。

昨年暮の吉増剛造展以降、それまで封印していた8mm映像の仕事を
再開した鈴木余位さんは、今回二度目の札幌・北海道訪問で何を掴んだ
のだろうか。
映像作家石田尚志の片腕として、その才能を石田尚志に嘱望される鈴木
余位さんの今後の展開は、今年末予定の吉増剛造展の展開ともどこか
触れ合いながら進行していく気がしている。
先日フランスへ旅立った吉増さんから届いた手紙。
旅のスケジュール記載の上部に朱筆で太く<12月石狩へのタビです>
の文字が書かれていた。
フランスへ行こうと、心は三千行の大作に集中している。
そんな気配が漂う手紙と思えた。

*齋藤玄輔展ー3月20日(火)-4月1日(日)am11時ーpm6時。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2012-03-23 12:49 | Comments(0)
2012年 03月 22日

濡れ雪ー風骨・3月(17)

朝降っていた白い雪は、家を出る頃濡れた雪に変わっていた。
黒いアスファルトが光って、土の混じった氷の路面を濡らしている。
暖気を秘めた灰色の空。
冬と夏の境がゆっくりと進行している。
工事現場のような、3日間の会場設営と作品展示の修羅場が夢のように
齋藤玄輔さんの作品は静謐な青い光の世界に浮かんでいる。
そのひた向きな展示・製作過程を微塵も感じさせない会場風景を見ている
と、ある種の職人のような完成度を思うのだ。
活字職人の技に、決して活字の痕を見せない事と聞いた事がある。
最近では故意に活字の凹みを際立たせる要求があると聞いたが、本当は
そうした痕跡を見せない事が本当の職人技と聞いた。
齋藤玄輔さんの完成度もその技に似たものがある。
美術の評価というものに、絶対的評価がある訳ではない。
その価値基準は極めて個人的なその時、その時代の個の生の現場
において判断される。
作品の実用的な分が稀薄であればあるほど、美というものは極めて
恣意的な部分に属してもいる。
一草の命の揺らぎを、多大な時間と手をかけて再現する労力と執念は
単純に技という言葉では収斂されないものがある。
しかしその優れた職人のような仕事の汗の痕を見せない潔さは、時に作品
の完成度というそれ自体の自己完結性に閉じて行く場合もある。
活字の話でいえば、活字職人としては邪道である活字の凹みを、時に
美術的意味に強調してその技術を使う場合もある。
その相違は、見せる価値観の位相の違いから生まれるものだ。
その価値観の相違にファインアート(芸術)がファインである所以も潜んでいる。
ひとつの卑近な例が汚れた被災地の家族写真のような例である。
写真館で撮影されたその家族写真は、技術的に完成された記念写真である
だろう。しかしそれが津波に流され泥だらけになり毀損して発見され、その写真
を持ち主が抱きしめるのを我々が見る時、もうその写真は単なる個人的な記念
写真ではないものを、その汚れ破れた写真の存在に感じるのである。
汚れ毀損しているからこそ、その状況において感受する写真の存在がある。
ファインなものとは、そうした位相にこそ浮かび上がってくる。
個人の記憶に閉じることなく、個から発して他を撃つ存在位相にファインな
虹が生まれる。
それは今回の東日本大震災のような、ある特別な状況においてそうなのだから、
それは状況論であって、美とかファインという虹と関係はないというひともいるの
かも知れない。
しかしこれは単なる状況論ではない。
何故ならこの一枚の写真の存在を抜きにこの状況は語られないからである。
この汚染し破れた一枚の写真の存在のように、作品が状況を媒介し他者に開く存在
と生り得ることを、今思うのである。

*齋藤玄輔展ー3月20日(火)-4月1日(日)am11時ーpm6時。

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by kakiten | 2012-03-22 12:57 | Comments(0)
2012年 03月 21日

燃える8mm映像と静謐な炎ー風骨・3月(16)

初日の朝7時まで展示に集中して疲れただろう、齋藤玄輔さんは午後から
ホテルで休息し、夕方前早目に旭川へ帰って行った。
その後ベルリン在住の谷口顕一郎さんから、電話が入る。
お祝いの電話だったが、残念ながら本人はいない。
一昨年の<昆>テンポラリー展の時、谷口さんと一緒に展示した森本めぐみさん、
山田航さんがちょうど会場にいたので電話に出てもらう。
しばらく一年半ぶりの旧交を暖める3人の会話が続いた。
その後主役不在のまま個展初日の夜が過ぎる。
そこで前日訪れた鈴木余位さんの8mm映像をみんなで見る事にした。
昨年末の吉増剛造展の映像である。
8mmフイルム独特の肌を保った映像が炸裂する。
冒頭の数分間は、この建物を通りの向こうから全体を撮った映像である。
夕闇に明かりが窓から漏れて、全体が炎のように揺れている。
さらに内部にカメラが入って、光源の向こうに透けて銅板が濡れたように揺らぐ。
私がこの会期中記録したブログをプリントして吉増さんに送った時付けたタイトル
は、「燃えあがる銅板小屋」であったが、正に鈴木余位さんの映像は、<燃えあ
がる銅板小屋>そのもののようであった。
8mm映像独特の手持ちカメラの保つ激しい動き、そのタッチは荒ぶる光の
絵筆のようだ。
齋藤玄輔さんの静謐な植生の保つ有機的な形態とは、真逆の動的な
映像である。
斎藤さんは自身が生活する周辺の自生する植物を採取し押し花にしたもの
を版にして、その上にカーボン紙を載せインク面を綿などで削り落とし版画に
して、その作品に裏から光を透過させ作品を浮かび上がらせる。
すると藍を基調にした背景に白く抜かれた花々の姿が暗闇に浮き上がるの
である。
植生の光と水を求めて天地に垂直に伸びる有機的な姿が、静かな炎のように
闇に浮いている。
鈴木余位さんの激しく揺れる光の映像とは、真逆の静謐な炎なのである。
この対照的な世界を今回同じ時に見る事が出来たのは、不思議な因縁と
思える。

*齋藤玄輔展ー3月20日(火)-4月1日(日)am11時ーpm7時。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2012-03-21 13:06 | Comments(0)
2012年 03月 20日

青い光の花ー風骨・3月(15)

休廊日、病院へ行き左手首骨折の最終検査を終え、ギヤラリーに向かう。
齋藤さんが展示最後の仕上げに励んでいる。
正面に業者の方が来て大きな額装のLED装着の作品を取り付ける。
フイルムの撓みがあって、なかなか上手く固定しない。
それでもどうにか3人がかりで、無事に展示が決まる。
青い光に花の形が浮かび、幻想的な作品である。
会場はすべて光を遮断し、青い光に花々が浮かんでいる。
2階吹き抜けも含めて、8点の作品が灰暗い空間に浮かんでいる。
大きな作品が据えられ一段落したところで、後は作家に任せて私は
帰る事にした。
そして外に出ると、ちょうどこちらへ来た人に声をかけられる。
鈴木です、と言う。
なんと東京多摩美大の鈴木余位さんだった。
昨年暮、吉増剛造展で来廊して以来の訪問だった。
その時撮影した8mmフイルムの記録を、DVDにして持参したという。
ブログ読んでたまらず、時間が出来たので札幌に飛んで来たという。
早速また会場の戻り、斎藤さんに紹介した。
ちょうど良い時に良い人が来たと思う。
斎藤さんの作品は、ある意味美術作品とフイルム映像作品のちょうど
中間に位置する作品とも思えるからである。
動画ではないが、花のフォルムを暗闇に光に浮かび上がらせて見せる
シチュエーシヨンが、映像作品の空間構成に近いからである。
鈴木さんも敏感にその事を感じ取ったらしく、凄い気合が入ってますね、
会場に精気が満ちていますよ、と呟いた。
その後この遠来の友人と連れ立って、居酒屋へ向かい旧交を暖めた。
鈴木余位さんはしばらく滞在し、石狩河口、ニ風谷に向かうという。

今日の齋藤玄輔展初日、鈴木さんも加わった新たな出会いが楽しみである。

*齋藤玄輔展ー3月20日(火)-4月1日(日)am11時ーpm7時。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2012-03-20 12:31 | Comments(0)