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2011年 11月 30日

展示苦労するー烈々布(11)

柔らかくて滑りやすく、そして重い。
銅版長尺(36・5×478)。
大きな広い会場なら床に敷いて見せられるだろうが、
ここはそんな広さが無い。
唯一吹き抜けの高さはある。
そこで天井から吊って展示と思うのだが、これがなかなか滑って
留まらない。
かといって繊細な薄い銅版である。
傷付けたら大変だ。
長さが5m近いので、縦に垂らすと結構な重さになり、
挟む金具が表面を滑るのである。
河田雅文さんと四苦八苦する。
それで昨日は一日暮れた。

今朝一面の銀世界。
銅版が雪明りに鈍く赤銅色に光っている。
夜の電気の照明とはまた違う表情である。
挟んで傷付けず滑らないよう器具を探し、今日も一日展示集中。
柔らかく、重く、存在感ある色調。
銅板というものは、まるで作者の吉増剛造のようだ。
そして何故か懐かしい。
前の店舗の壁が、この銅板で覆われていたからだ。
時間とともに、鈍く渋味を出して色も深味を増す。
鉄板にはない銅板の良さである。
その銅板の長尺にびっしりと詩行が、打刻されてある。
時々の日付・場処も入って重厚である。
この文字の絵巻物が、ぐるりと壁に周り、かつ一本上からぶら下がる。
日中の光の変化と共に、文字も銅板も何事かを語り光に揺れる。
「石狩河口/座ル ふたたび」展。
銅板は時の流れに棹差して、烽火・旗竿のように時の川面を映し出すのだ。

*吉増剛造展「石狩河口/座ル ふたたび」-12月1日(木)-31日(土)
 am11時ーpm7時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2011-11-30 11:37 | Comments(0)
2011年 11月 27日

銅版長尺4巻到着ー烈々布(10)

踊るような朱色の達筆な文字とともに、吉増さんの銅板長尺4巻到着する。
さあ、これで来週からの展示の準備は出来た。
梱包を解いて開けるのが今から、わくわく・・。
そして、どう展示するか・・・。

前座の’94「石狩シーツ」草稿を主とする展示も今日で終了。
昨夜は6年ぶりに後志のNさんが見え、今回の展示も見て頂いた。
その後Nさんも旧知の宇田川洋さんの店へいく。
道東・常呂時代の宇田川さんをよく知っていて、一度札幌の店を訪ねた
かったという。
人の縁とは不思議なもので、こうして今時空を超えて繋がるのである。

*吉増剛造展
 前期「’94石狩河口/座ル 石狩シーツ誕生」-11月27日(日)まで。
 後期「石狩河口/座ル ふたたび」-12月1日(木)-31日(土)
 am11時ーpm7時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1ー8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2011-11-27 11:54 | Comments(0)
2011年 11月 26日

寒気鋭くー烈々布(9)

昨日は冷え込む。
ちょうど灯油も切れて、寒気に体が固まる。
訪れる人も無く、依頼された原稿に集中する。
大きな呼気の入口・石狩河口から、小さな吸気の入口・川の源流まで。
17年前の界川と夕張川の石狩河口からの旅を、呼気と吸気の間・身体の
ようにして経験した、<石狩>を思い出していた。
そしてそこから生まれた長編詩「石狩シーツ」の誕生に、遠い奥多摩と石狩の
<ランド>の交感をも感じていたのだ。
絹の道<女工さん・織姫>と石炭の道<女抗夫さん>の奥地の近代の子の
ように。

来週から、「石狩河口/座ル ふたたび」展が始る。
土中の見えない固い種子のように、注目を浴びる訳でもなく、場末の寒い
小さなギヤラリーで、綿毛のようにふわふわとここまで流れ飛んできた
17年が、また小さな蕾をふくらませ、時と出会うのである。
その時この場もまた、ささやかで小さな<ランド>である。
遠い時間の呼気と吸気を繋ぐ<身体>として、テンポラリー<ランド>は
吉増剛造<・・・・ ふたたび>展を迎える。

*吉増剛造展
 前期「’94石狩河口/座ル 石狩シーツ誕生」-11月27日(日)まで。
 後期「石狩河口/座ル ふたたび」-12月1日(木)-31日(土)
 am11時ーpm7時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011ー737-5503
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by kakiten | 2011-11-26 12:43 | Comments(0)
2011年 11月 25日

<ランド>の再生ー烈々布(8)

都市を主体とする社会構造に対し、フイジカルな自然の身体を主体とし
現実を再構成する試み。
それが吉増剛造の「石狩シーツ」誕生に関わる大きな動機である。
夕張川の源流域に拓かれた近代産業の炭都。
その夕張が’80年代以降急速に衰退し、巨大な産業遺構物を抱えたまま
廃墟化しつつあった時、札幌は消費都市として拡大の一途を歩んでいた。
このふたつの都市を有機的な川の回路を辿る事で、海の縁(エッジ)から
源流域の縁(エッジ)を結んで、その境界の内に、身体としての石狩ランド
を再生する試みが、’94の「吉増剛造展石狩河口/座ル」である。
そしてその結晶として生まれたのが、長編詩「石狩シーツ」である。
そこには発見された石狩をランドとして、その土壌の中から吉増自身の
ランド・奥多摩の種子が芽を吹き、絹織物の織姫(女工さん)と炭鉱の女抗夫
さんとが、日本近代のラデイカルな底流として交流し鳴り響いたのだ。
イシカリランドが日本近代の基底としてさらに大きな近代ランドを奏でた稀なる
作品と、私は思っている。
北海道の<ランド>としての視座は、近代明治日本が官による開拓として
拓かれたものである。
それ以前は、海の視座・昆布ロード、鰊ロードとして外縁の海側が主であった。
明治以降初めて内陸開拓の視座が設定され、アメリカ人を始めとするお雇い
外国人の登用によってその内陸事業が進むのである。
その展開は開拓使の置かれた札幌を中心とした都市主体の構造である。
その流れは今も変わらず、ランドとしての石狩国や十勝国を通底せず都市を
を中心に展開される都市中心構造なのだ。
明治の急速な近代は対外的には国家帝国主義の様相を深め、同時に国内的
には都市帝国主義の様相を保って、東京一極主義を地方にも及ぼしていく。
その構造は、小さな東京的な一極が多くの地方の<庁>所在地に集中した
構造に見る事が出来る。道庁所在地である札幌もまたその代表的な例である。
その結果石狩国・札幌という視座は稀薄になり、札幌という都市だけが突出する
現象を生む。
人口数にその事実が如実に現れて、北海道の総人口の半分近くが札幌圏に集中し
ているのがその証左である。
都市圏が肥大化し、ランドとしての石狩国は衰退する。
それはなにも札幌圏だけではなく、東京圏はさらに肥大化して東北地方の福島まで
もその傘下に電力供給基地として在った事実は、今度の東京電力の原発事故でも
明らかになった事である。
この都市主体の近代の流れを断ち、固有の地域(国)としてのランド(故郷)を再生す
る闘いこそが、今最もラデイカルに問われている命題と私は思う。
吉増剛造の「石狩シーツ」は、その意味でこの闘いの嚆矢ともなる記念碑的な
作品といえる。

*吉増剛造展
 前期「’94石狩河口/座ル 石狩シーツ誕生」ー11月27日(日)まで。
 後期「石狩河口/座ル ふたたび」-12月1日(木)-31日(土)
 am11時ーpm7時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2011-11-25 11:56 | Comments(0)
2011年 11月 24日

雪は無いが風冷たくー烈々布(7)

吉増剛造さんより手紙来る。
朱筆の文面、沖縄、京都、大阪とGOZOCINEの旅が続いている
との内容。さらに現在校正中の増補「裸のメモ」中、一昨年暮れの
目黒美術館「’文化’資源としての<炭鉱>」展所収対談に割り込み
原稿の依頼が書かれていた。
正に今展示中の「’94石狩河口/坐ル石狩シーツ誕生」展の時期
の事である。
石狩河口から夕張へ向かった時の前後事情を補完する文となる。
この時目黒美術館では、テンポラリー関係を一コーナーとして、他の
夕張関連展示佐藤時啓・岡部昌生・畠山哲雄・吉増剛造「石狩シーツ」
等の作品を一区画として展示していた。
同時に美術館のキューレーター正木基氏と吉増さんとの対話があった
のだが、その対談中夕張へ向かう部分の補完する文を私が記さなけ
ればならない。
こうして今進行中の吉増さんの増補版「裸のメモ」と今展は同時進行し、
一気に17年の歳月の今を浮かび上がらせてきた。
夕張へ行く前、当時石狩に滞在中の吉増さんを随行し、その原点でもある
「’89アートイヴェントイン札幌界川游行」の舞台であった界川源流域を
案内している。そして界川川筋を経て、石狩河口へと移動した。
この小さな川の旅を経て、もうひとつの川の源流である夕張へと向か
うのである。
札幌エリアを流れる川の源流域で唯一近代都市の遺構を保つ場処。
それが炭都夕張である。
この時の考えは、札幌というエリアの端(エッジ)を極める事であった。
川筋をひとつの道筋として、その始まりと終わりを河口から源流と繋ぐ
事で、見極めようとしたのである。
界川では山中の奥深くひっそりと飛瀑している小さな滝まで案内し、
夕張川の原流域では石炭産業の拓いた近代の遺構を案内した。
名作「石狩シーツ」誕生には、このふたつの川の旅が大きな影響を
与えている。
古い記憶を辿り古い手帳を開いて、その事実を確認する。
夕張で「女抗夫さん」の発見がこの詩篇に大きな比重を与えているが、
その前に小さな暗渠の川界川源流を歩いた事も大きな前提与件とし
て在る。
詩篇の中の<北石狩衛生センター><牛頭馬頭観音><大優婆ユリ>
という詩句は、この界川源流域から一気に石狩河口へと辿った一日の
行程で出会った風景が起点である。
石狩大橋が出来る以前の渡船場経由の古道に建つ牛頭馬頭観音像
ともこの時に出会っているのだ。
札幌の中心部に聳える藻岩山を源流とする暗渠の川・界川。
そして札幌の南東周縁に沿う丘陵地帯の奥を源流とする夕張川。
その深奥の源流域をひとつの縁(へり)として、海の河口の縁(へり)と
を結んだ境界に、札幌は都市の下に隠されたフイジカルな身体を顕すのだ。
そこを土壌として、吉増剛造独自の「石狩シーツ」が産まれて来る。
吉増さん自身の故郷奥多摩・福生・横田基地等の固有の種子が、その土壌
に触発され、詩として花咲くのである。

*吉増剛造展
 前期「石狩河口/坐ル 石狩シーツ誕生」ー11月27日(日)まで。
 後期「石狩河口/坐ル ふたたび」-12月1日(木)-31日(土)
 am11時ーpm7時・月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503 
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by kakiten | 2011-11-24 12:15 | Comments(0)
2011年 11月 22日

寒波襲来ー烈々布(6)

休廊日、久し振りに街へ出る。
札幌大通地下ギヤラリー500m美術館を見る。
その後地下の蕎麦屋で昼食、珈琲屋でコーヒーを飲む。
見ても、食べても、飲んでも、どこも時間のリズム<矢印・→>。
留まる事が禁止されているような、足早な諧調。
気になる作家の作品もそうした場の流れの中で見ると、う~んだな。
無機質なコンクリートの通路の壁だけを見せられるよりは良いのかも
知れないが、BGMと同じように音の匂い消し、眼の匂い消しの効用が
大きいと思う。
アートはここでも、ふりかけ調味料のようにある。
<矢印・←→>の街の刺々しいリズムを和らげるように。
個々の作品の力はそれなりにあるけれど、絵巻物のように500mも
並んでいては、それ自体が独立して立ち上がる事はない。
どこか地下鉄看板のように←→に流れていく。
何故なら立ち止る事をどこかで拒否する本質的に通路だからである。

<矢印・←→>の道路に疲れて、その後古い木造家屋を改装した
某スペースに向かう。
民宿だったという家屋の吹き抜けに飲食スペースと画廊が併設された
空間である。
木の床にストーブが燃えて、時が停まったようなレトロな雰囲気である。
地下通路のギヤッリーとは対照的な緩いリズムが支配している。
ここでは時間の<矢印・↓>が下を向いている。
矢印<→><↓>の変化は、<←→>の時間空間に穴ポコのように
身を潜めて逃避する、矢印時間の匂い消しのようにある。
街の足早な物流の流れから一時の逃避・安息。
どこか懐かしい昭和の過ぎ去った空間。矢印<↓>。
でも対極・対峙の界(さかい)は見えない。
このふたつの矢印は相互補完する関係性を保って磁場の磁極を
形成するまでには至っていない。
<→・←>の挾間こそが、真に創造的なラデイカルな磁場ではないのか。
<↓>の休息は、<←→の>補完でしかない。

このふたつのスペースがともに、今を象徴するアートシーンの現場風景である
なら、その相違は本質的には時間衣装の差異である事を思うのだ。
懐旧の穴ポコ・<↓>。
物流の足早なスピード・<←→>。
時間軸の矢印・<↓・↑>と物流の横軸の矢印・<←・→>の交叉する交点
の磁極からこそ、真に創造する磁場空間が生まれる。
地下通路画廊も古民家画廊も都市空間の補完しあう現象の具現に過ぎない。、

対蹠的なふたつの空間に身を置いて、そのどちらもが都心の只中に在る事に
いわゆるアートの風俗的な現在の位置を思い知るのである。
どちらもが真に対峙すべきものからの、臭い消しの効用を担っている。
効用の有る事を否定はしないが、作家のアイデンテイと作品の起爆力は
弱体化している。


*吉増剛造展
 前期「’94石狩河口/坐ル 石狩シーツ誕生」-11月27日(日)まで。
 後期「石狩河口/坐ル ふたたび」-12月1日(木)ー31日(土)
 am11時ーpm7時・月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2011-11-22 14:51 | Comments(0)
2011年 11月 20日

消えた文字ー烈々布(5)

17年前の3冊のファイルを見ていると、当時の吉増さんとのfaxの
遣り取りが熱い。
だがしかし、そのfax紙は時間の経過と共にもう文字が消えかけている。
途中でコピーしていなければ、元の紙は白いペラペラな紙片でしかない。
今ならメールが主となるのだろうが、当時はまだまだfaxが主であった。
ここには手紙と同じように、筆跡という文字の息遣いが漂っている。
頂いたお手紙も多く保存されているが、即時性の高いfaxの遣り取りに
当時の文字による会話の呼吸が聞こえるようだ。
時が経過して、今記録としてこれらを見ていると、メールにはない空気感
が行間に濃く漂っている。
ワープロでもなく、直筆の文字の感触がそうである。
しかしそのfaxの紙面も時と共に薄れて、もう大半が消えかかっている。
こちらから送信したfax原稿はそのまま残っているが、送られて来たfaxは
幽霊のようにぼんやりと光っているだけだ。

会場に展示された草稿の一番最初の日付は、’94 6 14となっていて
最後の7枚目には’94 9 1最終稿前の文字がある。
約3ヵ月石狩に滞在し、長編「石狩シーツ」を書上げた。
その前後の半年間のfaxと手紙の遣り取りだけで、ファイル3冊の分量がある。
一編の詩の産土の資料である。
当時レジデンスという言葉もまだそんなに一般的ではなかったが、これは
間違いもなく滞在制作(レジデンス)による、作品完成だったのだ。
そしてそれから17年。
今回の「石狩河口/坐ル ふたたび」展は、決して繰り返しや懐旧のそれ
ではなく、再生のReーとなる<ふたたび>と思う。
faxの感光紙は、時と共にもう消えかけているけれど、石狩河口から発する
光の種子は、また新たな<ふたたび>の芽を生むだろう。
文字を喪った白いfax紙を見ながら、そこには見えない文字が<ふたたび>
今日の産土に芽生えてくる白紙の明日のようにも見えてくるのだ。
時と共に消える光の文字もあれば、時と共に消えぬ光の文字もある。

前座としての吉増剛造展「’94石狩河口/坐ル」も、はや一週間が過ぎる。

*吉増剛造展
 前期「石狩河口/坐ル 石狩シーツ誕生」ー11月27日(日)まで。
 後期「石狩河口/坐ル ふたたび」-12月1日(木)-31日(土)
 am11時ーpm7時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2011-11-20 12:41 | Comments(0)
2011年 11月 18日

’94名作長編詩「石狩シーツ」の記録ー烈々布(4)

吉増剛造展前期「’94石狩河口/坐る 石狩シーツ誕生」展示品
の明細です。

長編詩「石狩シーツ」草稿(’94 8月「石狩河口/坐ル」展展示品)

  ’94 6・14日付の草稿1点
  〃7・31日付の草稿1点
  〃8・3日付の草稿1点
  〃日付無しの草稿3点
  〃9・1日付最終前(スグ)の記載草稿1点  (以上計7点)     
                       
詩誌「ユリイカ」’94年12月号11月16日付け著者校了原稿コピー。
手製「石狩シーツ」詩全篇・(1/10冊)の一冊。
同上「ユリイカ」’94年12月号初出掲載誌。
「石狩シーツ」詩行に関係有る銅板写真12点
吉増剛造写真「figura」カラー大判プリント:266×404(a)+266×405(b)
(a)(b)組写真1点。
「石狩シーツ」朗読CD発売記念大判ポスター3点
同上CD初版と普及版
「石狩シーツ」後の銅板写真22枚
’94年6月ー12月石狩滞在前後の往復通信資料ファイル3冊
’94年8月「石狩河口/坐ル」展用制作ポストカード7点。
同展示会場写真ファイル3冊。
関連展示’94年12月「百葉・界川・宇宙函」展記録写真12冊。

一編の優れた詩の誕生に作者と共にこれだけ深く関わる経験は、
そうそう訪れるものではない。
そして何よりも一編の詩を生む土壌として、札幌そして石狩が存在した
という事実を、17年の時を経た今も新鮮に受け止めている。
そしてこの17年前の展示を基底として、次なる邂逅が始ろうとしている。
続く次回の「石狩河口/坐ル ふたたび」展である。

今展示からの引き続きのご高覧を諸姉諸兄に熱く願う者である。

*吉増剛造展
 ・前期「’94石狩河口/坐ル 石狩シーツ誕生」
 11月15日(火)ー27日(日)
 ・後期「石狩河口/坐ル ふたたび」
 12月1日(木)-31日(土)
 am11時ーpm7時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2011-11-18 12:18 | Comments(1)
2011年 11月 17日

銀世界ー烈々布(3)

とうとう降った。
朝、真っ白な銀世界。
出かける頃はもう、斑模様のあんかけ道路。
今季初めて灯油の補給を石油屋さんに頼み、ぐちゃぐちゃな雪溜まりを
避けながら歩く。
ギヤラリー到着後すぐ、これも今季初めての雪ハネ。
湿って重たい雪だ。
シャッターを開けて中に入ると、雪映えの白い午前の光が廊内を満たす。
下からの反射光が会場の吉増草稿文字を柔らかく象(かた)どっている。
冬の光と雪ならではの、光効果である。

朝の歩行と雪ハネの軽い汗の後、熱い珈琲を淹れて飲む。
吉増展初日友人のYくんが持参してくれた豆である。
以前私が買っていた珈琲屋さんからわざわざ購入してくれたのだ。
最近は別の珈琲豆にしているので行っていないが、店主は覚えて
いたという。
フレンチ系の濃い目の豆で、それをYくんが持って来てくれたのだ。
Yくんがなんと言ったか知らないが、その店主はこう言ったそうだ。
あ、あのもじゃあもじゃあ頭の教授みたいな人。
そんな風に人からは見えるのか・・。
教授?もじゃもじゃ頭?(ふっふ・・)
もう何年も床屋さんに行っていないから、しょうがないか。
最近は帽子被っているんもんね。
もじゃ、もじゃ頭見えないもんね。
夏の朝、自転車に乗っていると進行方向に日を浴びて影が映る。
その影の頭は確かにスフインクスのようだった。
♪ハミガキブロック、イエ~!と鼻歌混じりにスフインクス頭で走っていたっけ。
外見も大事です。
何年ぶりかで床屋さんに行こうか知らん。
最近は床屋も少なくて、美容室みたいで緊張する気がする。

昨日久し振りにふらっとガラス作家の高臣大介さんが来た。
長い髪を切ってトンガラシみたいな頭だった。
そして以前モヒカン刈りにした時の写真を見せて欲しいと頼まれる。
ドイツにいる谷口顕一郎さんとふたりでモヒカン刈りをしている写真が
確かにあったのだ。
奥から探して見せるとすぐに自分のケイタイで撮影した。
いずれ彼のブログに載る事だろう。
あの時自分もモヒカン刈りにと誘われたが、次の日の事を考えて
断わったのを思い出した。
まだ堅気の事業者でしたから。
来年2月の展示の話をしばらくして、その後飄然と大介さんは帰っていった。
相変わらず一歩足の高下駄である。
あれにモヒカン刈りとなれば、案山子みたいで面白いかも知れない。
足下gla_gla、グラグラのカカシ大介。
ヘアースタイルも大事な第一印象である。

*吉増剛造展
 前期「’94石狩河口/坐ル 石狩シーツ誕生」
 11月15日(火)-27日(日)am11時ーpm7時:月曜定休。
 後期「石狩河口/坐ル ふたたび」
 12月1日(木)-31日(土)

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by kakiten | 2011-11-17 12:25 | Comments(0)
2011年 11月 16日

時の櫂を漕ぐー烈々布(2)

17年のビットウイーン、時の櫂を漕ぐ。
オールの起す細波が、過去と今を繋いでいる。
この小さな細波が、「’94石狩河口/坐ル」から今年の「石狩河口/
坐ル ふたたび」へと触れて2011年ー1994年を新たな波動へと
変えていく。
この時間は、極めて個人的な人生上の激変も含めて、
私には貴重な連続性である。
削ぎ落とすように親身な状況が喪われて、丸裸の歩行だけが
続いていたから。
かってあった親身な状況とともに喪われた多くのもの。
その喪失の果てに、透徹した鋼のように凝縮するものがある。
そして今、綻びた時の穴を縫鋳込むように、資料の糸を編んで
会場空間を創っているのだ。

朝、西の山並みには白い縁取りが澄んだ青空に刺さっていた。
街に雪はまだ積らず、乾いた枯葉が舞っている。

*吉増剛造展前期「’94石狩河口/坐ル 石狩シーツ誕生」
 11月15日(火)-27日(日)am11時ーpm7時:月曜定休。
*吉増剛造展後期「石狩河口/坐る ふたたび」

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2011-11-16 11:26 | Comments(0)