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2011年 06月 28日

齋藤周展最終日ー夏日幻想(16)

齋藤周展最終日は、最高の天気。
風も柔らかく、光燦々。
齋藤さんの奥さん曰く”彼は晴れ男”だ、そうだ。
前日に続き人の絶える時がない。
ひとつには、滞在時間がゆったりとしている事もある。
2階吹き抜けに上がり、床に座り足をぶらぶら。
ゴロ寝している人もいた。
こうして見ていると、展覧会慣れして会場に来るような人ほど
滞在時間が短い。
作品→人と固定した視座から見慣れている人には、変則的な会場となる。
梯子や階段を使って、視座の移動があるからだ。
横に広がった展示空間ではなく、縦の上下空間だから、見る人が体を横では
なく、縦に移動しなければならない。
しかも吹き抜けを見下ろし、下の透けた板の上を歩く。
これだけでもう、不安であり、安心感がない。
しかし体を使って自らが動き、視座を変えて作品を見る事で、新鮮な作品との
タッチが生まれる。その事を発見した時滞在時間は長くなるのだ。
人→作品というアクテイブな関係が生まれる。
これは必ずしも年齢差だけではない。
心の能動性の問題でもある。
美術館での鑑賞風な視座に慣れて、このギヤラリーに訪れる人は
すぐに飽きてしまう。
梯子や階段なぞ登って、作品を見ることに違和感がある。
据え膳上げ膳の、見る位置を固定した場の設定が、入ってすぐ終るからだ。
横に広く、ゆったりと照明に照らされた特権的空間ではない。
自然光が注ぎ、時に翳り、光が移動する。
固定した人工照明は、夜だけである。
展覧会を見慣れたプロっぽい人ほど、なんだという感じですぐ帰る。
こういう人たちは、作品そのものよりも、その周りの額縁世界を逍遥する。
なんだ、これは!という驚きを受けなければ、展覧会の意味もない。
なんだ、で終らず、なんだこれは!と感受すれば、自然と時間も長くなる。
<センスオブワンダー>の不在は、展覧会そのものの不毛である。

齋藤周展最終日は、そうした<センスオブワンダー>に満ち満ちて、
陽光が移動し、人が移動し、話が飛び交い、最後は床に座ってビール。
日暮れの長い所為もあり、豊かな夕暮れとなった。
最後に外へ出て、道の向こう側からみた会場は、ひとつの舞台のように見えた。
作家にとってひとつの転機となるいい展覧会だった。
今月は何もなく、今夕作品搬出。
来月予定は西田卓司展を打診中。1年ぶりの展示を期待している。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2011-06-28 12:59 | Comments(0)
2011年 06月 26日

印鑑の話ー夏日幻想(15)

週末の土曜日、最終日前日は朝から人、人・・・。
齋藤周さんも在廊日なので、彼の恩師やら生徒やら、友人やら取引先やら
卒業生やら父兄やらと多種多様の人が来る。
そんな中パソコンのに向かう間もなく夕方近く、NくんK湖さんが来る。
ちょうど来ていたふたりの同期のIさんにも立ち会ってもらう。
そして「信じなさい」のキリスト役マサさんが来て、さらに仕事を終えて
駆け付けてくれたこれもNくんたちと同期のまるちゃんが、お花を持って来る。
急遽花束贈呈式になり、会場にいたみんなから拍手が湧き起こる。
するとキリスト役のマサさんが、周さんにアイサツしろと焚きつける。
さすが先生である。即座に軽妙なスピーチがある。
思わぬハプニングで、NくんK湖さんも照れながらも嬉しそうだった。
私はといえば、朝から落ち着かなく証人に使うハンコを探して泡くっていた。
最近印鑑なぞ使う事ないので、シャチハタ以外の実印は、どこかに仕舞い
込んでいた。奥のアタッシュケースを久し振りに出して、いつもそこにある筈
と思い込んでいた。そこにはなくて困る。
以前の生活では実印といえばいつも大事に保管し管理するのが当然だった。
その意味では生活の在り様が変わったのだ。
実印・銀行印は勿論、親兄弟の実印も管理し、神経を使っていた。
今はそんな印鑑生活から解放されて、ほとんど印鑑を意識する事はない。
今回は久し振りに印鑑を意識した。
どちらが幸せなのか、分かれるところである。

今日で齋藤周展も最終日。
朝から生徒・父兄・友人と賑わう。

*「これから降りていこう/斎藤周」展ー6月26日(日)まで。
 am11時ーpm7時。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011--737-5503
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by kakiten | 2011-06-26 11:58 | Comments(0)
2011年 06月 24日

結ばれる話ー夏日幻想(14)

朝、足に湿布を貼り替えて靴下に足を入れたら、湿布が捲れてやり直し。
焦るほどに上手くいかず、靴下そのものを別の大き目のものに替えたら、
なんとか・・。
そんな事して出発が遅れる。
外は曇っていたが、雨はない。
自転車に乗り走り出すと、風が強い。
正面から吹くので、速度が出ない。
足も気にしながら、ペダルに力を加える。
すると横から楽器を背負った学生らしき男が、すっと追い抜いていった。
こうなると負けん気に火が付く。
それからエルムトンネルの北大構内まで、抜きつ抜かれつつ。
途中の横断歩道の信号待ちがスタートラインで、
何度も同時に並んで、スタート。
おかげさまで、強風に負けずいい汗をかいた。
変なおっさんが、いつも前横後に居て楽器を背負った学生も焦ったろうなあ。
ギヤラリーに着いてしばらくして電話が鳴った。
美術家のNくんからだった。
今月末一緒に生活しているK湖さんと入籍をすると言う。
先日K湖さんの十勝の実家に行き、正式に許可を頂いたという。
ついては証人になってくれという依頼だった。
Nくんは東北出身でこちらに身寄りがいる訳ではない。
K湖さんは実家が十勝で、札幌の人ではない。
他にもふたりには勤務先とかそういう人がいない訳ではないだろうが、
敢えて私を選んでくれたのは、光栄である。
悪い方向への証人にしかならないかもね、とふざけたら、
それも含めてです、とNくんが応えた。
近日ふたり揃って来るというので、承知して待つ事にした。
その後ふっとある人を思い出した。
もうひとりいるよなあ、っと思い出したのが通称マサさんである。
Nくんとも仲が良く、ふたりの信頼も厚い。
先日来た時も居合わせた女の子に、キリストみたいと言われていた。
そうだ、彼にも立ち会って貰おう。
私だけだと悪い方向へ逸れる恐れがある。
マサさんにも傍に居て頂き、先日女の子がキリストみたいと言った時のように
彼には”信じなさい”と両手を開いて応えて貰いたいのだ。

齋藤周さんも入籍して間もない。
野上裕之さんは昨年で、佐々木恒雄さんはまもなく3年。
おめでたい話が毎年続いている。
そしてみんな優れた作家たちである。
昨日来た写真家のF氏の妄想が、早く正統な想像となる日を期待する。
F氏のスイーツ・ハートよ、何処に?
スイーツ・アートなんぞより、余程良いわ!

*「これから降りていこう/齋藤周」展ー6月26日(日)まで。
 am11時ーpm7時。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2011-06-24 14:15 | Comments(2)
2011年 06月 23日

妄想とスイーツー夏日幻想(13)

久し振りに写真家の藤倉翼さんが来た。
いつもの愛車トヨタのセリカではない。
車検で今調整中という。
彼のトレードマークでもあるちょっとレトロな美しい青の車。
こいつがないと、出かけたくないんだと、ぼやいていた。
持参した昼食ホッケ弁当をパクっいてから、おもむろにじっくり会場を見る。
その内会場正面S百号の前に椅子をどっかと据え、暫し沈黙。
やはりこの最新作が気になったようだ。
案内状のDMに使われているので、気になっていたと言う。
後ろ向きの頭部のアップである。
私は最初見た時、女性の後頭部と分からなかった。
何か別の物体に思えていた。
土の塚とか、中世の騎士の兜とか。
藤倉さんは最初から濃い黒髪の頭部と感じていたという。
濃い黒髪はこんなふうに緑ポク見える時があるんだ、だから頭と思ったと言う。
そして、この絵の後姿は真っ直ぐ後から描かれている。
他の絵の後姿とは違うと言う。
私はこの絵の後姿の背筋にそれを感じていたが、彼はそれを頭部に感じている。
写真を撮る人の対象との距離感、その確かな視座をこの時感じた。
最近彼は、詩人の文月悠光さんの顔をアップで撮り続けている。
この写真も顔を正面から身動ぎもせずバサっと撮る。
最初の見た彼の作品、ネオンサインの看板もそうである。
団地の建物もそういう視座から、建物全体をケレン味なくバサっと撮る。
今回の齋藤周さんの絵画に対しても、この後姿の人物を頭部の位置から
真正面と捉えている。
後の真正面である。
この位置の視座は、やはり藤倉翼のカメラを構えた時の視座でもある。
この対象との緊張感ある距離の間合いの感覚は、正に写真家のものと思う。
そんな話をしながらなおもじっと、椅子に座ったまま正面から作品を見続けて
いる。
この位置は、彼の撮影時のポジシヨンだなあ、と思った。
う~ん、妄想が湧くなあと呟いて、椅子から離れたのはもう大分時間が過ぎて
の事だった。
トキメキの好漢、藤倉翼はこの時何を妄想していたのかは不知である。
ひょっとして、恋人(スイーツ・ハート)を思い出していたのかも・・。
折りしも夕立のような驟雨が二度ほど訪れ、地面を叩く雨音が鳴り響いた。
あれは彼の妄想の激しさの所為だったのかも知れない。

妄想とスイーツついでに触れるが、最近送付されてきたアートイヴェントの案内
には呆れる。
「織姫たちのスイーツ・アート」とかいう、「楽しい現代美術入門」というふざけ
た企画である。
女性ばかり13人の美術家が網羅されている。
みんな、そこそこの実力ある作家たちである。
中にはスイーツどころか、毒饅頭みたいな毒を含んだ作品を創る方もいる。
というか作家は、本来みんな毒を含んで表現している。
そこも含めて敢えて、スイーツ・アートと言っているのかも知れないが、
この人選を見れば、ある程度は美術を良く知る人間の選択である事が判る。
今の時期こういう形で頭を使う悪達者な、才能というか小才というか、これだけ
お金と場所と時間をかけるなら、もっと今やる事があるだろうと腹が立つ。
以前にも場所だけは中心部一等地で、時代に追い付かず古くなったビルに
作家を寄せ集めザ・ビギニングだの、下支えだのとほざく、こうした類の小才の
器用なアートブローカー的な企画屋の企画展が、札幌にはなんと多い事か。
個々の作家の才能を思う分だけ、より腹が立つのである。
街興しに使われる「サッポロスイーツ」といった洋菓子のキャンペーンと七夕に
引っ掛けた「織姫たちのスイーツ・アート」美術展。
昨夜TVで見た被災地の向日葵種まきの話と比較すると正に妄想と想像の質
の差がある。
津波による塩害から畑の土質を回復させる為、その荒廃した土地に玉蜀黍か
向日葵を植えようと試みる話である。
当事者のリーダーは迷わずそれを向日葵に決める。
そして言う。
ここが一面の黄金色になったら、どんなに勇気づけられる事かと。
それが希望に繋がるのです、と言う。
これが余程本来の美術の力、想像の力に近くはないか。
住民みんなが鳥に啄ばまれないように、土饅頭にして種を植えていた。
その表情の明るさ。
そこにある困難との闘いの向こうにある、まだ見えぬ向日葵の黄金の色彩。
この想像の、救いのような光の色こそが、美術本来の原点ではないのか。
なにが織姫たちのスイーツ・アートだ。

*「これから降りていこう/齋藤周」展ー6月26日(日)まで。
 am11時ーpm7時。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2011-06-23 14:02 | Comments(0)
2011年 06月 22日

教授とアイドルー夏日幻想(12)

10歳になった結音ちゃんが来ていった。
2階でパソコンに向かっていたら、ひょいと梯子を登りカーテンを開けて
顔を出した。ハイタッチで挨拶。
すぐ膝の上にのり、一緒にパソコンを覗く。
それからいつものようにお絵描きが始った。
ここ2,3年で描き出す絵が変わってきている。
今度はより構造的な大きな樹の絵だった。
そこに小さな人が飛んでいる。
最初来た頃は、専門学校の10代の4人展だったが、2時間程かけて
60点ほどの作品すべてにタイトルを付けていった。
亡くなった齋藤紗貴子さんの風船を使った展示では、風船と一緒に遊んで
いた。そして後から齋藤さんが亡くなった事を知った時、泣いてくれた。
いろんな意味で、この子はここのアイドルである。
そしてここ1、2年は来た時いつも絵を描いてもらう。
これがなかなか天才的である。
幼女から女の子に変わる時期が絵画に表れる。
齋藤周さんの世界も楽しそうだった。
ただこの時間は、多くの人がいて、特によくある画廊の飲み会的なお仲間
雰囲気でお酒、おつまみ持参の人もいたので、居場所が限られた。
そんな中でも、一生懸命に絵を描いていた。
それが大きな樹木に小人のように人が飛んでいる絵である。

昨日Mの恩師北大の北村清彦教授が来る。
先日の道新に3回連載で、イサムノグチの父野口米次郎について
書かれている。
その話をした後、Mの遺作曲「撓む指は羽根」の有山睦さんたちの演奏を
聞かせた。
メロデイーを口ずさみながら、いいねえと、褒めてくれる。
見かけに寄らず、身が軽く、すっと梯子を駆け上がり、2階のベンチに
腰掛けている。
これでMの高校の恩師と大学の恩師が、同じ空間に肩を寄せた。

足の故障も大分軽減する。
今日も自転車で出勤。
階段の上下も何とかスムースに。
まだ多少痛みは残るが・・。

*「これから降りていこう/齋藤周」展ー6月26日(日)まで。
 am11時ーpm7時。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2011-06-22 12:18 | Comments(0)
2011年 06月 21日

孤高の渡航者ー夏日幻想(11)

軽い痛みが左足の甲にあって、その夜脹れてきた。
何時打ったのか記憶にはない。
多分土曜日の夜、酔って帰って寝たベッドの中。
大きく寝返りを打って角にぶっつけたと思う。
月曜日は一日湿布をして休む。
段々脹れてきて、歩くのが大変。
火曜日の今日は大分落ち着いてきたので、足の甲に負担の軽い
自転車に乗る。
降りる時、着地に気をつける。
体重が片足に負荷されるからだ。
階段は四ッ足で登る。下りの方がきつい。

昨日道新朝刊に山田航さんのエッセイが載っていた。
「孤高の渡航者 山田秀三」である。
11歳の時札幌郊外の実家の最寄駅名「釜谷臼」が、新しく造成されたニュータウ
ンの名称に変わったショックから、その後出会ったアイヌ語地名学者山田秀三の
本との出会いが語られている。

 そんな鬱屈した時代に出会った本が山田秀三「アイヌ語地名を歩く」だった。
 ・・・地名の由来となった地形そのものを求めて歩く!
 ・・・ガリバーよりもトム・ソーヤよりも、山田秀三こそが少年時代の私の胸を
 最も高鳴らせてくれた冒険家だった。

 (山田秀三は・・・)農土ではなくアイヌ語地名を掘り起こし、北海道の歴史と
 精神性を「開拓」した。
 屯田兵の精神を純粋に受け継げるのはいつだって、駅名を簡単に捨ててしま
 えるような子孫たちではなく、山田秀三のような孤高の渡航者だ。

釜谷臼(カマ・ソ・ウシ・イー平たい・岩・ある・処)という消えたアイヌ語地名は、
こうして山田秀三の本と出会う事で、意味を保ち甦った。
11歳まで過ごした丘珠の街には、まだ入植者の文化が残っていたという。
しかしこのニュータウンは

 住民はみなただ都心部に通勤するためだけに家を建て暮らしていた。
 いうならばそこは、集合住宅を地上に平面化した空間だった。

そうした環境の中で、<釜谷臼>という駅名はきっと不思議謎の響きをもって
いたのだろう。その地名が何の変哲もない地名にある日突如変わる。
その喪失感を、山田秀三の本が救ってくれたのだ。
私も同じ経験をもつ。
デジタルな直線の街路の下に眠っていた固有の地形、その歴史。
その手引きの書となったのは、やはり山田秀三の本である。
その結果、なんと魅力的なさっぽろが開かれた事だろう。
今もその歩行で確認した地形がフィールドワークとなって、その後の様々な仕事
最近では「緑の運河・エルムゾーンを守る会」の運動の母胎ともなっている。
私より若い世代が、大規模地下通路の電気的装置ばかりに眼が行くので
はなく、こうした地道で固有の札幌を見る視座を保っている事に勇気を貰う。
都心部の郊外に広がる、のっぺりした集合住宅空間。
都市部に去勢されたようなその空間を、きちっと見詰め返し事。
<観光都市としての側面にデジタル文化やクリエイテイブとの化学反応が
起これば、世界を動かすほどの現象・・ワクワク>(創造都市さっぽろの未来)
と、試験官ベイビーみたいなクリエイテイブ、インタラクテイブ文化の都心と
対峙するように、郊外の普通の土地の歴史と精神が見詰められている。
新たな機械的電気的インフラの増設が進む都心。
そのバーチアルリアリテイと対極にある土の記憶は、消されてゆくばかり
である。
どちらが真に歴史を作り、伝統を受け継いでゆくのか。
どちらが真に文化の土壌となり得るのか。

孤高の渡航者とは今も、なにも山田秀三さんだけの位相ではない。

*「これから降りていこう/斎藤周」展ー6月26日(日)まで。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2011-06-21 15:45 | Comments(0)
2011年 06月 19日

梯子を登るー夏日幻想(10)

さすが高校の先生だ。卒業生、現役と、教え子さんが多く来る。
もう母になってお子さん連れで来る人もいる。
その内のひとり、2歳の男の子が梯子を登りだした。
覚束ない足取りで、しかし確実に一段一段と登る。
付きっきりの親の心配を他所についに上まで到達した。
その得意そうな顔。
こうなるともう止まらない。
また裏の階段を降りてから、再度挑戦する。
どんどん慣れて、上を走り回る。
そして決して作品に触ったり、乱暴したりはしない。
体全体で作品を感じ、ちゃんと一目置いているのだ。
先日は一歳の女の子で、二日かけて梯子を2段征服した。
2歳ともなると、もう相当運動能力が発達している。
この頃はまだ言葉がままならぬ。
その分行動で語っている。
大人になると、行動よりも言葉が先行する。
梯子も恐いという意識が先行して、行動をとらない。
そして言い訳をする。
曰く、高所恐怖症だからとか。
もし本当に恐怖症なら、絶対の登らない筈だが、そう言いながら
登るのである。
そして、男女問わずキャアーキャアーと五月蝿い。
子供の方が黙って行動する。

多くの人が渦巻いて作家在廊の一日が過ぎた。
体調を回復した齋藤周さんが、今夜は飲みましょうという。
ゆかりへ行きたいという。
宇田川さん、千鶴さんにも会いたいという。
それじゃあ、と閉廊後ゆかりへ行く。
最後に来た森本めぐみさん、山田航さんと4人で行った。
早速齋藤さんが、噂の千鶴さんの出汁巻き卵を注文した。
それから、銘酒真澄といい時間が過ぎた。
帰り際、カウンターをふっと見ると、Mの遺作本がそっと机の上に
置かれてあった。
MのK高校時代の恩師だよと、紹介した事に気を配っていてくれたのだ。
札幌駅で恵庭と藍の里へ帰る森本さん、山田さんと別れ、齋藤さんと私は
円山方面に向かった。
齋藤さんがぽつりと言った。
二度も恵庭と藍の里から来てくれて、居酒屋にも付き合ってくれ感謝だなあ。
若いふたりが、二度も来てくれたのはやはり作品の力だよと、言葉を返した。
これも百の言葉より、ひとつの行為・行動である。
散財させたよなあ、と先生は先生らしく若い人の事を考えていたのだ。

*「これから下りていこう/齋藤周」展ー6月26日(日)まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2011-06-19 12:25 | Comments(0)
2011年 06月 18日

透明な回路ー夏日幻想(9)

体調が回復して、久し振りに作家が来る。
今日明日の土日会場に常駐予定。
昨日と違い今日は曇天、雨模様。
昨日遅くミュージシアンの有山睦さんが来る。
Mの高校時代の美術の先生だよと、齋藤周さんの事を教える。
Mの遺作曲「撓む指は羽根」を今は定番にして演奏している有山さんは、
ゆっくりと作品世界を逍遥していた。
こちらも風邪で体調を崩していたという。
”落ち着いてゆったりできるなあ”と感想を漏らす。
そういえば、先日山田航さんが来ている時齋藤さんのK高校時代の教え子
が来ていて、と話す。
その人はMとK高校同期だった。そして詩人文月悠光のフアンの今田智子
さんのお姉さんで、とその繋がりの偶然に吃驚した話をした。
文月悠光さんは斎藤さんの今のA高校の教え子である。
その文月さんの関係で今田智子さんを知っていたが、その人のお姉さんが
Mと同級生だったのだ。
早速有山さんたちの演奏したMの「撓む指は羽根」を今田さんのお姉さんに
聞かせたら、突如一緒に聞いていた山田さんが、言い出した。
僕はこの演奏を聞いてから、Mの事を深く感じるようになったのです。
最初遺稿集を読んだ時は、まだそんなに身近な存在として感じていなかった。
この演奏を聞いた時からですと、どこか決然とした口調で言い放ったのだ。
その話を有山さんにすると、顔がいっぺんに崩れて笑顔となった。
”嬉しいなあ、・・・”
ふたりとも生前のMに会ったことは無い。
その遺作曲を同期だった今田さんのお姉さんと、死後音楽を通して繋がっている
山田さんとが同じ場所で、有山さんが最初にフイーチヤーしたMの曲を聞いてる。
不思議な時間でしたよ、と有山さんに話した。
齋藤周展は作品を通して人と人が繋がり、同時に教え子がまた人を繋げていた。
久し振りに来た齋藤周さんに、そんな居ない間の出来事を話した。

作品とは、こうした見えない回路で人と人を結ぶ。
その透明な磁場を会場が生んでいる。

*「これから下りていこう/齋藤周」展ー6月11日(土)-26日(日)
 am11時ーpm7時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2011-06-18 13:56 | Comments(0)
2011年 06月 17日

圏谷・村ー夏日幻想(8)

少し風邪気味で、体が重かった。
せっかく晴れたのに、昨夜は自転車を置いて帰る。
寒暖の差が激しい。
今日も夏の陽射し。雲ひとつなく晴れ。
午前の光が明るい翳を生んでいる。
圏谷(カール)の緑が映える。
芦別岳だったろうか、こんなカールの風景があった。
大きな窪みの別世界。
下っていく毎に、世界は深まり広がる。
大きく抱かれる世界。
下界にもこうした地形がある。
そこに里山、ムラの世界がある。
今作家が引っ越した新居の位置もそうした場所である。
偶然だが、かって私はそこを通って円山北町へ通勤していた。
琴似川沿いの古い小道。
風が抜け、鳥が集い、かって近くを川のせせらぎが聞こえた。
十二軒通り脇のこの路には、さり気なく美しい庭が多かった。
その内のひとつは、いつも春一番に福寿草が咲く。
そこの家近くに、Nさんという画家の家がある。
いつも通っていたので、Nさんは私の事をよく覚えていた。
齋藤周さんが今年初めにこの近くへ新居を構えた時、Nさんは
齋藤さんに先ずその話をした。
福寿草といつもそこを歩いていた私の事を。
展示中の吹き抜け上の北側に展示されたF百号の山の絵は、まさにこの
地形を連想させるものである。
この古い小道の西側には、奥三角山の秀峰が見える。
この山の頂きを目印に道が拓かれたのか、そこを源流とする川に沿って
道が続いたのか、山とその裾野に広がる地形は小さな圏を作っているのだ。
今は住宅が密になって、本来の地形は隠れているが、こうした古い小道を
歩くと、自然とその地形が実感され、川や山と繋がって有機的な圏が構成
されている事に気付く。
そしてこの圏に繋がる古い地名の十二軒通りや二十四軒、八軒等のムラのコア
が感受されてくる。
デジタルな条・丁目の数字に、この感触は無い。
宮の森の山奥から、翳のように有機的な小道を歩いた。
その体感した現在は、今も変わらず街の背後の暗渠のように、私の歩行の
基調低音(トニカ)となってある。
今朝も齋藤周さんの絵画に囲まれて、ふと思っていた。
風景がここまで来てくれたのかしら。追いかけて、追いかけて。
もう朝あの道を通ること無い私の所まで・・。
ふっ、幻想・・。

*「これから下りていこう/齋藤周」展ー6月11日(土)-26日(日)
 am11時ーpm7時:月曜定休。

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by kakiten | 2011-06-17 12:29 | Comments(2)
2011年 06月 16日

圏谷(カール)の世界ー夏日幻想(7)

U字の世界を降りていく。
決して垂直な下降ではない。
緩やかな広い斜面は左右に広がり、目の上下にも世界は広がっている。
声が木霊する空間。遠くを走る人の背からも、声が聞こえて来そうだ。
こちらを見ている人はいない。向こうに向かって走ったり、歩いたり。
圏谷(カール)は緩やかにカーブして、お花畑のように人が点々と咲いている。
いや、走っている。
画面手前にひとりの後姿。背筋が伸びている。
この人物が起点である。
そこからプレリュードが始まり、フーガのように眼の音楽が奏でられる。
初日前日徹夜で描き上げたS百号。
この絵の圏谷には、そのU字の向こうは無い。
他の作品には、U字形の向こうに空が、海がある。
特にもう一点、1階左壁のF百号中央には、年配の男の後姿がある。
あれはきっと父親の後姿。
そしてU字の向こうは海。
しかし正面S百号の圏谷(カール)の向こうには、抜けるものはない。
父の背中も、山も、海もない。
「これから下りていこう」
このタイトルに一番素直に、描き上げたのがこのS百号である。
この絵が正面にきて、個展空間は収斂した。

久し振りの青空が来た。
昼の陽射しが射すまで、明るい翳が会場を包んでいる。
次第に午後の陽射しが注ぎ始め、このS百号を照らす。
燦々と光が溢れて、入ってきたDさんが歓声を上げた。
展示初日まで完成せず、展示を迷っていたこの作品。
最後に描き上げた圏谷(カール)世界。
氷河の侵食で削られた圏谷(カール)。
夢の傷痕の谷間。
今その圏谷は自立して、初夏の花園のようだ。

*「これから下りていこう/齋藤周」展ー6月11日(土)ー26日(日)
 am11時ーpm7時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2011-06-16 14:51 | Comments(0)