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2011年 05月 31日

汚れちまった悲しみにー燃える春楡(24)

写真家のM・佐藤さんが、東北仙台行の訪問記を今日のブログに記している。
先祖のお墓を初めて尋ね、その後被災地を回る。
そこで出会った瓦礫の中で写真アルバムを拾い、一枚一枚洗浄を続けている
ひとりの被災者の話が記されていた。
自分の写真という訳ではない。
誰とも知らぬ他者の写真を洗い復元しているという。
本業はイチゴ農家の方という。
写真家であるM・佐藤氏は、この作業に深く心を打たれていた。
TV報道等で、流された家族の写真を瓦礫の山の中から探している人、
瓦礫撤去の際こうしたアルバム等を分別して撤去作業をしている姿を
見た事はあった。
しかしこうして実際に見聞した人の話を読むと、さらに深く伝わる
ものがある。
普段どこか机や押入れの片隅に眠っているこれらの写真。
日常、何の役に立つものでもない。
また普段人に見せるものでもない。
しかしこうして何もかもが喪われた時、人は掛け替えのない自己証明
のように、一枚の写真と出会っている。
その極めて個人的な一枚の写真を洗浄し乾かし復元している。
その行為をする人も、誰の為という目の前の目的がある訳ではない。
見も知らぬ人の写真を、ただただ洗い乾かし復元しているのだ。
汚れた写真もそれを洗浄する人も、全く個人的な理由で存在し、行為がある。
この時、一枚の写真も洗う行為も、我々が属している日常から見れば、
全く無為に存在しているはずのものだ。
しかしこの全く個人的な行為・存在が、今私達の心を深く打つ。
有用のインフラに囲繞された利便な日常が逆転して、非実用の存在・行為が
人の心の根底を支えている心的構造が見えてくる。
一枚の写真はひとつの記憶であり、その記憶は過去に属し今ではない。
今という曖昧なものが正に消去されようとする時、過去という記憶が今を
支え、根として甦る力を溜めて存在してくるのだ。
まるで植物の花が枯れたり、嵐で枝が折れたりした後の根のように。
人間も樹や草と同じように、見えない土の下に根を張り生きている。
記憶とは、その見えない世界に根を張る繊毛のようにある。
一枚の写真とは、その記憶という根の繊毛そのものではないのか。
汚れた写真を洗う人もまた、同じ時代の同じ場所を生きている人である。
もしこれらの写真がすべてインクジェットなら、洗浄も適わず汚れ消去され
何も残る事は無いのだろう。
写真一枚にも、文明と文化の記憶の質の差異がある。
私たちは私たちの生の個人的な理由(わけ)を深く抱きしめ、深く開いて、
深く問い直さねばならない。
大量消費し大量消去する記憶の今を、個の記憶の根毛としてを甦らせ、
同時代の根として再生する為に、何かを洗い落とさなければならない。
一枚の写真を洗浄する行為は、その本質的行為を深く示唆していると思える。

*鉄・インスタレーシヨン 阿部守展ー6月5日(日)まで。
 am11時ーpm7時。
*斎藤周展「これから下りていこう」-6月11日(土)-26日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2011-05-31 12:51 | Comments(0)
2011年 05月 29日

曇天・有機的直立ー燃える春楡(23)

湿った空気の所為か、風邪気味になる。
クシャミが出て寒気。
ズボンが新しくなり下半身はすっとして、上半身はグズグズ。
変なの。

黒い有機的な直線の鉄柱が、揺れて縒れて捩れながら立っている。
これは、樹ですか?と、聞く人も多い。
いえ、鉄ですと言うと、触ってもいいですかと聞く。
そして触って、ああ、鉄だと納得する。
黒く塗装し凸凹のない滑らかな直線なら、誰もが鉄棒と思うのだろう。
叩き、凹ませ、捩れながらも直線である立方体は、有機的な線であるゆえに
樹かと思わせるのだ。
作者が表わしたかったものがその線である。
今回初めて敢えて表面を黒く塗装し、鉄の素肌を隠した意図でもある。
この直立する黒い有機的な鉄柱は、私には見えない身体の骨髄のように
感じられるのである。
作家はフライヤーの中で、<touch the core of wind>と記したが、
この<core>が正にそれを意味すると思える。
毎年北の地を辿り、そこで感じた風景の芯のように、風景の根を表現定着
させたかった。
その結果の労作と私は思う。
この作品を評して、もっと高くしたらとか、もっと量を多くしてとかいう俗論を吐く
輩もいたが、そういう量的な問題は少しも本質的ではない。
一本の樹に深い森の命の原点を見るように、この作品はある。
同じく記されたフライヤーの出だしの一節は、
<in one iron walk>と始っている。
one iron walkとは、作家自身のこれまでの孤独な歩行をも意味し同時に
今回の作品の一本の直立する作品展示そのもののコンセプトも表意している。
今回の来道で道北をひとり旅した作家は、数々の野外設置された作品見て
少ない言葉で感想を呟いていた。

私ならあんな素材との対話の無い鉄の作品は創らない。
設置した場所の自然が美しい。作品は必ずしもその場とは対話していない。

場所が保つ自然風景もまた環境としての素材である。
作品の鉄素材、場としての風景素材、そのどちらとも向き合っていない。
その結果作品というものが、浮き上がって自己主張ばかりの展示物になっている。
よく見る野外のパブリックアート物である。
ぽつりと漏らした遠く九州から毎年来るこの作家の何気ない感想に、住民票だけ
がこの地を生きている証明にはならない<touch the core>を感じていた。
阿部守は間違いも無く、北を基点として作品の芯を創り続けている。
大規模地下通路・パルコ2・美術館等に群れるアート化集団と比し、はるかに
孤独で個的に風土と素材と対話し創造している。
個々の創造行為をアートムラ的に群れて何が真に生まれるというのか。

鈍い曇光の中、作品は一本寡黙な黒い髄のように立っている。
滑らかで機能的な直線で構成される都市の鉄筋構造群に対し、
それは対峙するかのように立っているのだ。

*鉄・インスタレーシヨン 阿部守展ー5月20日(金)-6月5日(日)
 am11時ーpm7時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2011-05-29 13:10 | Comments(0)
2011年 05月 28日

生暖かい空気ー燃える春楡(22)

沖縄では台風直撃に備えていると、マイミクのS氏が書いている。
この北の地まで、なにかもう風が生暖かく吹いて来る。
南風の後にはきっと雨が来る。
五月晴れの爽やかな風ではない。
湿気を帯びた重たい空気が混じっている。

昨年の阿部守個展で、リクルートスーツを着た3人が面接の緊張を
解くかのように、作品に触れたり中に入ったりして遊んでいた。
そんなひとりが、もうすっと大人ぽくなって昨日来る。
就職もし、少しふっくらとなって、レデイである。
吹く風と同じように、この年齢の女性はふっと変わる。

日章堂印房の酒井博史さんが夕方来る。
大分元気になって、久し振りにゆっくりと毒舌を聞く。
今日の彼のブログ「新古い日記」の地下通路批判は痛烈である。
サッポロタウンボーイの面目躍如と云う所だ。
この毒舌の刃は、この街に生まれ生きたものが保つ正統な刃である。
水と光を喪失した空間には、街路樹すら立つ事はない。
あるのは電気的装置のみである。
それを観光とデジタル文化のクリエイテイブ化学反応などという。
カルチベート(耕す)事無き文化とは、正に化学反応のような試験管の中
の観察行為のようだ。
デザインがアート化という化学反応を起して、電気的増幅装置を風景と化し
都市パックのカプセル化をさらに増幅させている。
3月12日がこの地下通路のオープニング式の日だったそうだが、歴史は
誠に皮肉なその前日3・11を用意したものである。
この3.11大震災の後「手の力を取り戻そう」(森まゆみ)と、正にこの
電気的増幅と対極の原点が語られるようになった。

 逆に「技術的に優れており良い」とされたものが不便だった。例えばオール
 電化住宅。停電になると、お湯すらわかせない。震災による停電でエレベー
 ターが使えなくなった都内の超高層マンシヨンの37階に住む知人は、子供
 の送り迎えだけで疲れ果てていた。
                       (道新4月5日夕刊「震災を考える(2)」

この事態の本質に対し、デジタル文化を基底とするクリエイテイブ論者は、
以前にも引用したが、同じ新聞のコラム欄で「芸術の説得」と題して
<この震災復興に大きな貢献を行なうのは、芸術文化の活力である>と、
破廉恥にも宣言している。
自らの芸術文化への根底的概念のズレに気付きもせず、もう復興の方へ
と視座を調整しているのだ。

 大きな悲劇の前に短歌は無力です。被災者の言葉はときに、どんな優れた
 一首よりも強く人の心を揺さぶるでしょう。・・・詩とは、失語によってもたらさ
 れるものです。>(山田航「かばん」後記)

ここにあるような<失語>の深い心の根が見えない。
一方は、状況に合わせてデザインする小細工しか見えない。
カルチベート(自耕する)基本の根が無いのである。
最も地下通路に相応しいといえば、それ相応である。

 あの場所にそれ以上の機能を持たせたといっても、所詮はただの通路である。
 私の生まれた札幌の表通りは、あんな壊死した空間ではなく、駅前通りであり
 その先に広がる中島公園である。(酒井博史)

これが札幌に根を張る樹のような人間の本音である。

*鉄・インスタレーシヨン 阿部守展ー5月20日(金)-6月5日(日)
 am11時ーpm7時:月曜定休。
*斎藤周展「これから下りていこう」-6月11日(土)ー26日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2011-05-28 12:45 | Comments(0)
2011年 05月 27日

南風吹くー燃える春楡(21)

台風の余波か、強く暖かい風が吹いている。
円山マンシヨン街、ビル風も加わり、帽子が飛ぶ。

昨日、帯広の岡和田直人さんが来る。
6月から勤めに出ると言う。
これまで父親の仕事を手伝っていたが、これからは会社勤務。
仕事の内容は同じらしいが、親から離れ他人の飯を食う。
なにか気持ち良く痩せて、きりっとした感じだ。
野上裕之さんの正月個展以来で、その時見ていなかった大きな皮手袋の
「鳥」の作品を見せる。
ふたつの皮手袋を親指付け根の辺りで縫い、鳥の羽根のように編んでいる
野上さんの写真も見せた。
なんか顔が変わったなあと、岡和田さんがそれを見て言う。
野上さんもそうだが、岡和田さんもそうである。
人は意志的環境によって、顔が変わる。
だから容貌という。
容は<かたち>とも読み、内的な要素が働いて生まれる<かたち>の事だ。
形は外的な要素が主となって出来る<かたち>である。
形容とは、このふたつの要素を併せていう<かたち>の事だ。
内なる意志が外にも顕われる。
岡和田さんも野上さんもそういう顔である。
勤務した後も、いずれ映像活動を再開し、いつかここでまた個展をしたいという。
そんな心の位置を伝えに、ふいっと訪れたようだ。
阿部守さんの作品も見たかったと言っていたから、この作品の背景にある
石狩河口の経験を話すと、目が輝いた。
岡和田さんも何故か石狩の風景に惹かれ、撮影を続けているからだ。
いずれお金を溜めしばらく逗留して撮影をします、と言って去って行った。
岡和田さんの帰り際、かりん舎のふたりが訪ねて来る。
村岸宏昭の追悼本を新たに10冊持って来てくれる。
まだ少し在庫はあったが、私がよくこのブログで、Mよと書いているので
嬉しかったのだろうか・・。
山田航さんが先日Mについて東京新聞に書いた文章を、見せてあげた。
黙って読んでいたふたりは、読後どちらからともなくぽつりと呟いた。
お母さんがきっと喜んでいるね。
さらに山田さんが編集長を勤める短歌誌「かばん」の編集後記を、坪井
けい子さんが声を出して読んだ。
この雑誌には、野上裕之さんの作品に啓発された山田さんの短歌が掲載されて
いる。その歌にも感動したようだが、さらにこの雑誌の山田さんの編集後記に
坪井さんは心動かされたようだった。

 詩とは、失語によってもたらされるものです。一旦すべての言葉を喪ってから
 発せられる言葉にこそ、真実の詩があると言えます。われわれは日々、何を
 目の前にして言葉を喪っているのか。何のために失語の向こう側で言葉を
 紡ぎ続けるのか。

朗読歴何十年来月21日149回目の朗読会を迎える坪井けい子さんが、
山田さんのこの言葉を朗々と読み上げた時、久し振りに彼女の声を聞いて、
私は一瞬震えが来たような気がした。
大きな悲劇の前に短歌は無力です、と始るこの文章に坪井さんの心は反応して
思わず朗読というかたちで声に出ていたのだ。
この文章の頭にある詩とは、表現の本質と置き換えてもいいものである。
今回の大震災から、深く内なる言葉を見詰めているひとりの表現者の真摯な
姿勢に、優れた出版人でもあるかりん舎のふたり坪井さんと高橋さんの心は
敏感に即座に反応していたのだ。
そして机の下に無造作に置かれた一冊の雑誌はこうして声となって立ち上り、
まるで舞台の素適な台本のようにきらりと輝き、一瞬のステージのように
光った時間を生んでいた。

*鉄・インスタレーシヨン 阿部守展ー5月20日(金)-6月5日(日)
 am11時ーpm7時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2011-05-27 13:27 | Comments(0)
2011年 05月 26日

青空微風・風の芯ー燃える春楡(20)

沖縄の青が跳んできたかのように、札幌の青が広がる。
こちらは、新緑若葉の青。
気温も上がり20度を超えそうだ。
阿部守さんが帰り、ほっと気が緩んだのか、やたらと眠い。
寝坊して開廊時間ちょうどに、自転車飛ばして到着。
さすがにもうトックリセーターは脱ぐ。
半年間黒とモスグリーンのセーターを、取っ替えては着ていたから。
机の上も少し整理して、心入れ替え、先送りしていた原稿書かねばならぬ。

先日10年前の阿部守展の作品写真が出てきた。
鉄を叩き、しのらせ、板状に固い昆布のように延ばして重ねた作品である。
黒い鋼鉄の足の台座の上に、その有機的な土色の鉄は載せてあった。
この頃は鉄素材の本質を追求すると言っていた記憶がある。
今見ると、線と面の側から鉄の柔軟性をドローイングのように表わしていて、
近年の質感あふれる存在感に乏しいのが良く分かる。
作品自体の量感厚味が違うのだ。
阿部さんに見せたら、一瞬にして、見たくないなあと言った。
この頃だっただろうか、石狩河口の棄てられた古い桟橋の錆びた鉄柱を
見て感動していたのを思い出す。
風雨に晒され、黒い錆び止めも剥げ、鉄が赤く錆びて土に戻ってゆく。
そんな鉄の存在が荒涼とした海と河口の風景の中に在った。
北を基点として捉える阿部さんの原点とは、この風景と思う。
この風景の中から、鉄の本質的量感・質感を再生する表現の示唆を得てきた。
その10年に渡る志向が昨年の春楡を呼び寄せ、ひとつの風景を再生した。
緑の運河エルムゾーン再生への起動力となった作品である。
本質的芸術作品とは、そうしたものと思う。
個としてひたすら孤独な追求美の作業。
そのひとつの成果・結果が、波及して波紋のように風景を招く。
そこに社会も関わり、動きが生まれる。
作品自体はただただ存在して、本質的な磁場を生む。

今回の髄のように立つ黒い鉄の作品は、ただ単に直立しているようには
見えない。
叩き、伸ばされ、緩み、廻り、捩れて、垂直である。
それは人間の骨髄のように、有機的に直立している。
今回のフライヤー裏面に記された英文のメッセージには、こう記されていた。

 in one iron walk we touch the core of the wind

この<one iron walk>とは、正に石狩河口の風景から歩き出した阿部さん
自身の作品の歩行であり、<the core of the wind>と表現された
<風の芯>とは、風景の奥に彼自身が触れた<髄>の事と思われる。
当初の線的面的表現は量感ある質的表現へ、そしてさらに内なる見えない
<core>へとその表現は深化しつつ、今回の直立する作品は風景の深部
<風の髄>のようにして、在る。
それはただ垂直に立って、決してアートの効能を口走ったりせず寡黙である。


*鉄・インスタレーシヨン 阿部守展ー5月20日(金)-6月5日(日)
 am11時ーpm7時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2011-05-26 13:00 | Comments(0)
2011年 05月 25日

オキナワの青ー燃える春楡(19)

昨年会えなかった阿部守作品の友人たちと作家が初めて昨夜会う。
そして来年2月高臣大介さんとの二人展のイメージが炸裂する。
とてもファンキーな夜だった。
毎年札幌と北を旅して個展をし、新たな出会いを重ね、展示後作品が
作家が居ない間に広げた波紋を、こうして次の年に味わっている。
一回ずつ切れて終る事はない。
昨年5月の阿部作品と春楡の出会いは、人の出会いを生み、
次回への夢にまで膨らんだ。
こうしたファインでファンキーな人との出会いほど、面白いものはない。
そんな余韻をふたりで話しつつ、昼前阿部さんを福岡へ見送ったのだ。
6月5日まで作品展示は続き、また新たな物語を紡いでいく。

阿部さんが飛行場へ向かってまもなく一通のハガキが届く。
沖縄に今居る石田尚志さんからだ。

 20年ぶりの沖縄での個展も無事終わり、やっと重く重く残りつづけていた
 大きな宿題が完成した感じです。
 とても時間がかかりましたが、この発表の中にも、遠くサッポロからの光を
 感じ、大切に想い出す事が出来た日でもありました。

美しい珊瑚礁ブルーの沖縄の岩礁海岸の絵葉書とともに、次なるサッポロでの
個展への始まりの予感が、この後に綴られていた。
南と北の磁極のように、阿部守さんの九州帰国と同時に届いた沖縄からの葉書。
何かが深い処で繋がり、胎動している。
サッポロ難民、孤独な場末の小さなギヤラリーに、大きな波動が間違いも無く
連鎖して蠢いている。
澄んだ青い波がふっと押し寄せて、心が洗われたような気がした。
スウイングして、ファンキーな一夜が明け、朝の青い波が飛沫のように降る。
Mよ、
僕らの友人さとまんさんが繋いでくれたのだね。

*鉄 インスタレーシヨン 阿部守展ー5月20日(金)-6月5日(日)
 am11時ーpm7時;月曜定休。
*斎藤周展「これから下りていこう」-6月11日(土)-26日(日)

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by kakiten | 2011-05-25 12:15 | Comments(0)
2011年 05月 24日

リラ冷えなる・・ー燃える春楡(18)

沖縄では映像作家石田尚志さんの個展のようすが、マイミクのさとまんさん
の日記から伝わってくる。
と同時にその夜恋人から送られたという「白い恋人」とサッポロビール黒ラベル
を飲んだというさとまん日記に、思わずにゃりと笑みが洩れる。
昨年ドイツの谷口顕一郎さん里帰り展に偶然来ていたさとまんさんの涙を、
思い出した。
この時たしか、北の恋人に会いに来た旅だったはずだ。
あの涙は何だったのだろう?

阿部守さんは道北への旅を終えて、今日帰札。
そして明日九州へ帰る予定だが、今夜は札幌最後の夜なので、
昨年会えずにいた清華亭関係者にも会わせたい。
昨年、阿部作品に惚れ込んだ人たちである。
サッポロ芸術村の村長のような人が率いるアート団体が当時唱和していた
「パブリックアートの地産地消」。
この掛け声に九州の作家阿部作品は排除された訳でもないだろうが、
昨年5月の新聞紙上には、声高らかに「地産地消」が、謳われていたのである。
さらにサッポロアート団地のニュータウンリーダーは、大規模地下通路と原始林
を国際芸術展開催の烽火のように打ち上げていた。
そして奇妙な事に、このふたりのリーダー的存在は同じ展覧会に顔を揃え、
「地産地消」の旗印の下にいたのだ。
国際芸術展と地産地消。
よく分からないアートの野合である。

これらアート系の人たちは実は’80年代に阿部守さんに出会っているのだ。
’80年代に佐佐木方斎がリードした北海道現代作家展で、初めて阿部守は九州
から来道し展示している。
こうして毎年阿部守展があり、本人が来ていても、顔も見せない。
作品を回路として繋がるよりも、人間関係を主としてムラを形成しているゆえ、
それがニュータウンであろうと村であろうと、その意識は変わらない。
個として作家の基点を希求し、北へと巡礼を続ける単独行の阿部守とは、
立ち位置があまりにも差があり過ぎるのだ。
九州アート村の村長に収まらない個としての、作家精神を少しは煎じて飲んだ
方が良い。

*鉄・インスタレーシヨン 阿部守展ー5月20日(金)-6月5日(日)
 am11時ーpm7時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2011-05-24 11:20 | Comments(0)
2011年 05月 22日

そして翌日ー燃える春楡(17)

初日宴会の翌朝、開廊とほとんど同時に高臣大介さんが来る。
昼の自然光の中で作品をじっくり見たいからと言う。
宴会の夜には、人もいてゆっくりと作品と向き合えなかったからだ。
程なく同じ昨夜の宴会にいた旭川彫刻美術館のTさんも来る。
それぞれ札幌に一泊し、朝再び会場に来たのだ。
午前、正午、午後の光が射し込む中、ふたりはゆっくりと作品に触れたり、
撮影したり、メモをとったりと作品との対話に余念がない。
阿部守さんは、この日道北音威子府に出かけて留守だったが、こうして
作家は居なくとも作品との真摯な対話は日を跨いで続いた。
余程作品に魅了されたのか、高臣さんが午後洞爺へ帰った後もTさんは
残り熱心に作品を見続けていた。
夕方美術家の森本めぐみさんがお花を持って、阿部さんとの昨年来の
再会に訪れる。
彼女の作品は昨年阿部さんの目に触れ、今年阿部さんに紹介された九州
福岡の画廊で個展の予定である。
高臣大介さんと阿部さんは来年2月、ここでガラスと鉄のふたり展を予定
している。
作品だけではなく、こうした人と人の繋がりが、新たな展開を生んでいる。
Tさんは森本さんとほとんど初対面のようだったが、森本さんの作品は
知っていて、すぐに話が打ち解けて話し込んでいた。
結局閉廊時間まで話は続いた。
その後ふたりを誘って居酒屋ゆかりへ向かい、昨夜の続きを解消する。
結局二日続いた初日という事かも知れない。
飲み歌う宴会だけではなく、翌日酒井博史さんも再度見え、もう一度
きちっと作品と向き合ってくれたのが嬉しかった。
作家の人間性もそうだがそれだけには止まらず、そうした魅力ある作品である。
九州福岡の芸術村の村長に納まる事なく、単身毎年作品を引っさげて勝負を
賭けてくる阿部守さんの心に、受け手である札幌もきちっと受けなければならぬ。
その意味で札幌に一泊して、作家と共に初日を迎え、かつ翌日作品と向き合って
くれた人がいた事が嬉しく、お酒は進んで気持ち良く酔ったのである。

*鉄・インスタレーシヨン 阿部守展ー5月20日(金)-6月5日(日)
 am11時ーpm7時:月曜定休。
*斎藤周展「これから下りていこう」-6月11日(土)-26日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2011-05-22 13:06 | Comments(0)
2011年 05月 21日

酒とともに去りぬー燃える春楡(16)

阿部守さん来廊して3日目。そして展覧会初日。
連日飲んでいたので、いささか疲労気味。
まして個展初日ともなれば、自然とオープニングとなる。
2日間はふたりだけで気ままに飲んでいたが、
初日ともなると色んな人が来る。
少し引けて奥に居た。
酒井博史さんが久し振りにギター担いで登場。
宴会コンビのgla_glaの高臣大介さんも洞爺から駆けつけ、
午後8時過ぎに唄が始った。
酒井さんは声に張りもあり、入院していた病気の後遺症は感じられない。
延々と3時間以上も続いただろうか。
最後は高臣さんの強い希望で、遠藤賢治の「夢よ 叫べ」で終了。
もうこの頃は声が限界直前か。
初めて聞いた人、久し振りに聞いた人、楽しみにしていた人と
みんなそれぞれに酒井君の唄声を充分に堪能しただろう。
個人的には中島みゆきの「ファイト」が聞きたかった。

九州美術界の第一人者でもある阿部守さん。
こちらでいえば、阿部典英氏や国松明日香氏のような人だろうか。
遠く北の地まで来て毎年個展を続け、こうした酒井君や歌人の山田航、
ガラス作家の高臣大介、美術批評のTさん、美術鑑賞家のS、美術家の
田村さん等々が集り、少し淋しい人数と思うが、阿部さんの柔和な笑顔は
絶えない。
私はあまり一緒に飲みたくない某氏が五月蝿く、2階でパソコンに向かっていた。
阿部さんに比べ人間が出来ていないのである。
昔接待でお酒を飲んだ嫌な記憶があり、嫌を堪えて酒は飲みたくない。
マスター酒無いよと、おどけて大介の声がした。
はい、はい、ワインでよろしいですか・・。

*鉄・インスタレーシヨン 阿部守展ー5月20日(金)-6月5日(日)
 am11時ーpm7時:月曜定休。

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by kakiten | 2011-05-21 13:17 | Comments(0)
2011年 05月 20日

阿部守エルムと会うー燃える春楡(15)

昼過ぎ作品到着。早速展示。
黒く塗装された3m強の骨の髄のようなシンプルな作品。
真っ直ぐ吹き抜けを突き抜け立てる。
梁に輪環を打ち付け、固定する。
最初は床に穴をあける予定だったようだが、これだけで充分自立する。
また足下に塩を固め補強する展示プランも止め、黒い床面からすっと
立ち上がる、それだけで姿が決まる。
土から生まれた鉄の豊かな包容力。それが昨年の作品だったが、
今年の作品は直立する黒い髄である。
円柱とか棒のような直線ではなく、途中平たくなったり、捩れたり
有機的な黒い直立である。
それが、黒い骨の髄のように私には見える。
鉄の筋肉の柔らかさから、骨の髄の強靭な有機性。
それが出た。
2階へ繋ぐ梯子も今回は外す。
有機的に立つもの。
それだけがシンプルに空間を締める。
作家は深化している。
その現場に立ち会えることは、幸せである。

展示完成後、昨年阿部さんが見る事がなかった清華亭の春楡・エルムに
会う為出かける。
大通りまで地下鉄で行き、大通り西8丁目・西7丁目の間に立つ
イサムノグチの彫刻ブラックマントラまで歩く。
そこから北へヤマダ電機を抜け植物園前を通り、伊藤邸庭を見て、
偕楽園緑地を抜け、清華亭に向かう。
ちょうどもう閉館の時だったが、頼んで中を見せてもらう。
そして庭の春楡の巨木と阿部さんのご対面。
この樹の前に昨年作品が設置されたかも知れない場である。
いい樹だなあと、しばし嘆息。
実現はしなかったけれど、その思いは充分に伝わっている事が、
阿部さんの表情から分かる。
閉館時間の過ぎた事もあり、心残しつつも清華亭を去り、道を渡り
北大構内に入る。
サクシコトニ川沿いに歩き、エルムという名のカフエに入り休む。
こうしてトータルに歩くと、見え方が部分部分で見ていた時と違うと
心の底から感じているのか、遠い目をして語ってくれた。
その後もう夕暮れ近くなったので、会場には寄らずまっすぐ居酒屋ゆかり
へ向かう。
宇田川洋さん、千鶴さんと会い、美味なる名酒真澄、キトピロ醤油漬け
、鮭の山漬け、出汁巻き玉子等々に囲まれ幸せだった。
先日の及川さんとの宴の写真を頂き、再び及川恒平論に花が咲く。
なんだろう、このふたりは、本当に及川恒平フアンなのだ。
宇田川さんが先日会場で購入した及川さんのCDを流すと、他の客が
これは外国語ですかと、酔って聞いた。
娘さんがオペラの作曲家であるという顔見知りの人だった。
明菜のお父さんと、いつも私に声をかける変な人だ。

阿部守展示前日。
昨年からの宿題、清華亭の春楡との初対面も叶い、
阿部守展初日始る。

*鉄・インスタレーシヨン 阿部守展ー5月20日(金)-6月5日(日)
 am11時ーpm7時:月曜定休。
 
 テンポtラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011ー737ー5503
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by kakiten | 2011-05-20 12:57 | Comments(0)