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2011年 03月 31日

卯月へーland・fall(30)

<酷い3月だった>とGさんが「弥生末日」と題するブログに記している。
3・11・大地震・大津波・原発同時多発テロのような月だった。
明日から4月・卯月。
<卯>とは門を開いた形の象形文字という。
門を開けば、中にこもっていた陰気が外に出て、陽気が進み入る。
そんな4月であって欲しい。
ここ北の地ではまだまだ冬の末、春には遠い。

「記憶と現在ーそのⅡ」展はアーカイブスの第二部で、前回展示に加えて
西雅秋「AIR HIROSHIMA」を、さらに2階には神内康年の「untitled」、
アキタヒデキ「破船」、上野憲男「海の外側に沿って」、藤木正則「行為・
記録」を展示した。
特に2階吹き抜け回廊部は海を意識し、1階部分の都市・大地との対比を
意図したものである。
久し振りに収蔵庫から持ち出した作品たちである。
これで一原有徳・村上善男・坂口登・安斎重男・佐々木徹・岡部昌生
野上裕之とあまり同時に見られない作品の競演となった。
今回の<祈り>をテーマとする展示は、作品たちの個性が主題に沿って
不思議な調和をもたらしている。
日々伝えられる心痛む報道に、作品たちも反応してメッセージを発して
いるかに思える。
普段倉庫の奥に眠っている作品たちが表に出て、内なる声を解放し
ギヤラリーという回路から溢れている。
これはこれで私の持つ小さな蓄積のこの場での発露なのだ。
支援チャリテイーを急遽開く方法も多々あるようだが、それはそれとして
この場で出来得る唯一単独の行為もまたあると思える。
大きな国際展を目指すプレビエンナーレ展、その下支えを意図した若手中心
the beginning展、大規模地下通路開設と、もし3月の大災害がなければ
札幌は街ぐるみ忙しい状態だった事だろう。
昨日の新聞によれば、このプレビエンナーレ展企画イヴェント
「芸術はビジネス」フォーラムを中止し、新たにチャリテイーイヴェントにしたと
報道されていた。
要するに早い話がどっちもマネーの話である。
マネーであれば多いほうがいい。
量数に軸心を置く本質が透けてみえる。
今回の大災害の教訓をもっと本質的に個々の軸心において、一本の樹木
のように垂心を深める事こそが今必要な時ではないのか。
安直にチャリテイー慈善事業を施す事が、文化・芸術の行為とは思わない。
まして国際芸術展を志す理念から出ているとは思えない。
チャリテイーそのものを否定する気は毛頭ないが、芸術・文化にはその立場
での痛みを伴った裏打ちが見えて然るべきである。
個々の作家の内部で闘われてあるその位相を収斂し打ち出す主題が、よく
見えない。「美術館が消える9日間」とタイトルされているが、それが主題とは
思えない。反美術館というなら、館外に出て、街や自然の中で企画すれば
良い事だ。美術館を消すという事に何か深い意味があるのだろうか。
反抗期の少年少女でもあるまいし、親を消すとでも意気がっているのか。
思えばここでいう美術館とは<近代>美術館が正式名称だから、現代美術
を標榜する為の駄々ッ子の所為とも思える。

*「記憶と現在ーそのⅡ」展ー3月22日(火)-4月10日(日)
 am11時ーpm7時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2011-03-31 14:41 | Comments(0)
2011年 03月 30日

人間の背丈ーland・fall(29)

半分まで「スモール イズ ビューティフル」を読み込む。
今も変わらぬ大量生産・大量消費を目的とする産業経済社会の
合言葉がある。
「もっと多く、もっと遠く、もっと早く、もっと豊かに」
(ヨーロッパ経済共同体・シッコ・マンスホルト博士)
この考え方に対峙するように、工業技術を大量生産ではなく大衆生産という
人間的な中間技術を提唱し実践している例があげられている。
また現代農業でも土地に多大な化学薬品を投入せず、土壌と動植物と人間
の基本的関係を調べ成功した土壌協会の成功例をあげている。
この考え方の基本をシューマッハは次のように語っている。

 私は技術の発展に新しい方向を与え、
 技術を人間の真の必要物に立ち 返らせる事ができると信じている。
 それは人間の背丈に合わせる方向である。
 人間は小さいものである。
 だからこそ、小さいことはすばらしいのである。
 巨大を追い求めるのは、自己破壊に通じる。

                    (第二部・資源第五章「人間の顔をもった技術」)

この<巨大さ>を追い求める状況を我々は今も日々経験している。
<もっと多く、もっと遠く、もっと速く、もっと豊かに>とは、現代社会のすべての
状況に見られる状況である。
例えば大規模地下通路、新幹線、タワービルの林立、大規模ショッピングビル
等巨大な施設が発展と進歩の象徴のようにメガロポリス(超大型都市)化の
志向が今も進行中である。
札幌・緑の運河エルムゾーンにおいても、その有機的な森と川近代建築物
の景観が、一企業の高層ビル化さらには新幹線誘致用地として破壊されよう
としている。
さらにかって村と村を結んだ産地街道・琴似街道を形成した市場群。
その市場、通称なんまる(南円山公設市場)と円山市場が昨年・今年と
消えたのだ。
生産も消費も中間はなく、巨大の波に沈んでいく。
円山市場は小洒落た巨きなショッピングビルに変わり、なんまるは
大手スーパーの陰に消える。
どちらも地域に根ざした生鮮食材が豊富でシューマッハーのいう中間が
生きていた市場である。
遠いヨーロッパの話ではない。
我々の住む札幌の話である。
<もっと多く、もっと豊かに>の志向は、人間的背丈にあった市場(いちば)
を消す。
<もっと遠く、もっと速く>の志向は、新幹線の誘致を懇望し緑の運河を
分断する。
この志向のどれもがさらなる巨大な市場(マーケット)と、さらなる巨大な
道都圏(メガロポリスエリア)を望んでいる。
その結果メガロポリス(超大型都市)という札幌都市肥満体(メタボ)は
北海道島の一部分の特殊な巨大化症状として、自己破壊していく。
これがE・F・シューマッハ「スモール イズ ビューティフル」が、
札幌の私に伝える警告である。
翻って巨大事業に嬉々として従う芸術・文化とはなんなのか。
そこには<スモール>ならぬ「ビッグ」礼賛の<もっと、もっと>アート亡者
の姿しか見えてこないと思うのは、言い過ぎだろうか。

*「記憶と現在ーそのⅡ」展ー3月29日(火)-4月10日(日)
 am11時ーpm7時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2011-03-30 13:50 | Comments(0)
2011年 03月 29日

小さなものが美しいーland・fall(28)

春の陽射しが降りそそぎ、小雪が光って舞っていた。
日曜日の午後及川恒平ライブがひっそりと開かれる。
震災の影響か、横浜から送ったというメール便が不着で、
フライヤーは届いていなかった。
2日前及川さんは急遽震災救援コンサートを札幌で開き、
沢山の人が来たという。
そんな事もあって聴衆はいつもの半分以下の人だったが、
ここを定点コンサートと位置付ける及川さんの歌う姿勢はゆるぎなく、
淡々と深く沁み入るように始った。
昨年発売のCDに収録された「水のカノン」と初期の傑作「雨」を続けた
歌唱は、この日のハイライトだっただろうか。
おりしも、光が射しこみ外には小雪が舞っていた。
澄んだ声がその中を流れ清冽な北の時間が満ちる。
聞き手の為というよりも、自分の声の在り処を確かめ声を紡ぎだす
唄人(うたびと)の真摯な自己確認の行(ぎょう)のようにライブがあった。
円山北町時代の7年前から続いている北の拠点。
その志の持続。
それは場所と仕事こそ違え、同じ方向を見詰めている友情と思える。
ここはまた及川恒平の声の展示、そのギヤラリーでもあるのだ。

翌定休日の午後市役所1階ロビーで開かれている琴似屯田兵村
「屯田兵屋改修工事記念」展を見に行く。
今週末長歌朗読ライブをする山田航さんがちょうど居て、
ロビー内のカフエで昼を一緒する。
展示は唐牛幸史さんの彫刻大作・資料群と多彩で多くの人が
初日から集まっていた。
山田さんと別れ久し振りに書店に寄る。
前日新聞コラムで引用されていたE・F・シューマッハの「スモール
イズ ビューティフル」を探す為だ。
福島原子力発電所が建設された年に出たこの本はすでに原発の危険を
鋭く説いているという。
また現代文明の巨大信仰を痛撃し、経済学の立場からこの物質至上主義
を産業社会の病根として抉っている。
ただ私が何よりもこの本に惹かれたのは、その題名にも拠る。
「スモール イズ ビューテイフル」。
経済学者が、小さなものに美を見る。
そこにこの本のすべてが凝縮していると感じていたのだ。
ただの経済学ではなく、そこに哲学があると感じたのだ。
本を求め読み進むと、これは誠に熱い本である。

 いかに経済がそれで繁栄するからといって、「安全性」を確保する方法も
 わからず、何千年、何万年の間、ありとあらゆる生物に測り知れぬ危険
 をもたらすような、毒性の強い物質を大量にためこんでよいというもので
 はない。そんなことをするのは、生命そのものに対する冒涜であり、その
 罪は、かって人間がおかしたどんな罪よりも数段重い。

                (第二部<資源>第四章「原子力ー救いか呪いか」)

 現代人は、自然との戦いなどというばかげたことを口にするが、その戦い
 に勝てば、自然の一部である人間がじつは敗れることを忘れている。
 ・・・・
 われわれを取り巻く生きた自然という資本を無駄遣いすると、危険に
 瀕するのは生命そのものである。

                (第一部<現代世界>第一章「生産の問題」)

今ランダムに気づいた文章を引用しても、この本は警告と示唆に満ちた
優れた啓発の書である。
40年近く前この本が啓示した現実が今日々目の前にある。

*「記憶と現在その2」展ー3月29日(火)ー4月10日(日)
 am11時ーpm7時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2011-03-29 13:56 | Comments(0)
2011年 03月 26日

真の公共ーland・fall(27)

量数の多寡を主とする物質主義の価値規準から、今問われているのは
真の公共という事である。
福島県原子力発電所が人口の多い首都圏の為に在った事は、もう周知の事
なのだ。
さらに同じ東太平洋側のもうひとつの女川原子力発電所は同じように
地震・津波の人的被害を受けながらも発電所破壊を免れているという。
こちらは福島に比べ首都圏から遠く、規模も福島より小規模であるが、
耐震設備を改善し最大想定災害に備えていたという。
電力とは社会生活のライフラインであり、公共料金のひとつである。
支払いを遅らせれば、容赦なく電源を切る公的力も持っている。
その公共的なるものが、資本の論理で災害を低く見て耐震強化の設備投資を
怠っていた疑問が指摘されている。
人災だという批判も出ている。
人が多いところには経済も集中する。
他方過疎の人口密度の低い所は、経済活動も停滞する。
資本の論理からいって当然と言えるのだが、そこを個々の人間の論理から
みるとズレが生まれる。
このズレを埋めるものが<公共>概念ではなく、資本の論理である事が
悲劇なのだ。
今このライフラインを断たれた被災地の救援活動を支えていものは、
個々への視線を保つ<公共>の精神と行為である。
ひとりひとりのライフライン、生命を守らねばならぬという精神の行為である。
ひとりひとりの人間価値が、人口数量を規準とする量的価値観に<公共>概念
がズレ込んだ時、東京首都の為の地方福島県というズレが生じる。
そのズレを補っていたのは、多分莫大な資金・場所代の投入である。
この資本の論理が優位性をもてば、その帰結は当然資本の経済管理効率が
優先していく。
一ヶ所に6基もの原子力発電を集中させ、その防災管理を女川原子力発電所
級に設備投資すれば莫大な資金がいる。
その投資を遅らせるものは、個々の人間の価値観に立つ<公共>概念では
なく資本の多寡の公共価値観であるだろう。
この傾向はなにも東京電力に限った事ではない。
すべての分野の基底に根付いている。
例えば文化芸術といったこの価値観の対極に位置するはずの分野でも
同じ傾向が見られる。
平気で芸術はビジネスと標榜し、アート運動を行なっている。
ビジネスとは資本の論理である。
個々の価値観にその基礎を置くものではない。
物質的量数の多寡が生命線である。
表現者自らが個々の価値を基底にラデイカルに類としての<公共>を
志す視座を放棄して、なにが芸術文化なのだ。

極めて限られた空間の放射能汚染が次第に風に乗って広がる様相を
呈している。
これは皮肉な陰画である。
本来一本の樹木のようにその地に深く根を張り、思想の種子を、美の綿毛を
風に飛ばし、人類としての森を有機的な宇宙のようにを創る精神文化の世界
こそが本来の風なのだ。
風もまた風土を創る。
そのようにして表現者は個として、一本の樹木のように生きるのが王道である。
表現の綿毛は内から溢れて類として真の公共を同時代の森として創る。
一本の樹木が大地に根を張らず、量的多寡を求めてパブリックなどと戯言吐き
アートが資本を追いかけている根本には、量数の多寡を基本とする物質主義
社会の価値観が根を張っている。
ここにも類としての同時代を志す個の価値観、真の公共への視座は
欠落しているのだ。

*及川恒平フォークライブ「まだあたたかい悲しみそのⅡ」ー3月27日(日)
 午後4時~予約2500円・当日3000円。
*「記憶と現在そのⅡ」展ー3月29日(火)-4月10日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2011-03-26 13:30 | Comments(0)
2011年 03月 25日

屯田兵と訪問者ーland・fall(26)

4年ぶりだろうか、デザインの仕事をしているYくんが来る。
昨年盗難にあった名自転車をTさんとともに寄贈してくれたYくんである。
しばらく体調を崩していたと聞く。
展示中の岩手の物故作家村上善男のフアンで、やはりいいなあと呟く。
さらに尾道の野上裕之さんの作業手袋を縫い合わせた「鳥」の作品に
声を上げた。”これもいいねえ!”
そして正面にある鏡面ステンレスの3点組みの一原有徳作品には、
絶賛の声を惜しまない。
鏡面ステンレスの上にアセチレンで焼き付けられた歪みは、まるで
メルトダウンした炉心のようである。
下部の黒いフォートエッチングの重なりは津波の痕のようである。
並ぶ3枚のステンレスの鏡面は、そこに映る風景を歪ませ非日常を造る。
この一原作品の下の床には、ゴム布に描かれた佐々木徹のコラージュ
作品が広がっている。
都市の衣装の皮膜のようにも見えるこの作品は、硬質な一原作品世界と
対照的に都市を呼応して在る。
こうして会場の作品群を通して会話のキャッチボールが弾む。
するともう我々の4年間の空白は消えた。
奥の談話室で珈琲を淹れ四方山話に入った時、入口で若い声がした。
東京から帰省した文月悠光さんとその友人だった。
水道水の汚染やらでさらに帰省が伸びるという。
帰省は年末吉増剛造さん来廊時以来だ。
東京生活にももう馴染んだ様子の文月さんだが、今回の東北沖大震災
の余波は精神的に大分堪(こた)えているようだった。
そこへ来週から始る「DIVE・DOCUMENT-琴似屯田兵村」展示チラシを
持参して市役所のK氏が来た。
会場は札幌市役所ロビーで、琴似の屯田兵屋改修工事竣工に併せた
札幌の歴史を今に問う企画展示である。
チラシ両面にコピーされた何百人が重なり横一列に並ぶ
当時の屯田兵の写真が凄い。
これを拡大して、最近開通した札幌駅ー大通り間の大規模地下通路に
展示したら凄い迫力と思う。
下手なパブリックアートなど、吹っ飛んでしまうだろう。
正に地下通路にこそ相応しい屯田兵群の列集である。
個性的な当時の無名の人々の顔、顔、顔・・。
細かく見ると、誰やらに似た顔が在る。
宇田川洋さんだ、中川潤さんだ、やれ誰それだとしばらくそんな話となる。
服装もまちまちで、みなこちら正面を見ている。
立ち姿もそれぞれに個性的である。
これが地下通路の壁に等身大で並んだら、ちょっと凄い。
よくある記念写真と違って気取りなく日常のまま、ぬっと立つている。
百余年前の日常が仁王立ちして、地下通路壁に立ち並ぶ。
現代の日常と際立つように、百余年前の日常が対比される。
急ぎ足で流れる現代人を、横でじっと見詰めて立つている普段着の屯田兵。
正に地下通路にこそ相応しい北の兵馬傭・歴史群像隊列ではないのか。

来週から市役所1階ロビーに展示されるこれらの資料とともに、山田航さん
の長歌朗読も予定されている。
帰省が伸びた文月さんも参加が決まり、演奏の文月トリオ大塚くん、瀬戸くん、
有山さんも張り切ってふたりの朗読を盛り上げる事となるだろう。

*テンポラリースペースアーカイブス「記憶と現在」展ー3月25日(金)まで。
*「記憶と現在ーそのⅡ」ー3月29日(火)-4月10日(日)
*及川恒平フォークライブ「まだあたたかい悲しみその2」-3月27日(日)
 午後4時~予約2500円・当日3000円。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2011-03-25 14:23 | Comments(0)
2011年 03月 24日

「橋上の人」ーland・fall(25)

ふと思い出して鮎川信夫の「橋上の人」を読み返した。
1947年戦後の廃墟の中で書かれた詩である。

 橋上の人よ、
 あなたの内にも、
 あなたの外にも夜がきた。
 生と死の影が重なり、
 生ける死者たちが空中を歩きまわる夜がきた。
 あなたの内にも、
 あなたの外にも灯がともる。
                   (Ⅷ)
 「ポケットのマッチひとつにだって
 ちぎれたボタンの穴にだって
 いつも個人的なわけがあるのだ」
                    (Ⅳ)
 たったひとつの死にも
 多くの時と多くの場所と
 さらに多くのものがかかっている
                    (「父の死」)

久し振りに個人的な場所を歩いた後だけに、これらの詩行が心に沁みる。
灯の量も人の量も物の量も建物の大きさも、すべてが私の幼少期とは
比較にならない程豊かな街である。
巨大な電力、石油燃料が集中しているこの場所では、昼人口と夜人口に
大きな差異がある。
いわゆるドーナツ化現象である。
この街角は人も物と同じように量的に密集するが、個人の顔は消えている。
連日のTV画面に見られる被災地は、このインフラが破壊され電力・石油力
が喪失して街角は消滅した光景である。だがそこには人の顔が見えている。
ここでは<たったひとつの>ものに<多くのものがかかっている>光景がある。
都市という巨大インフラカプセルが破断した時、個が顕われる。
逆に衛生・安全な巨大カプセル内では個が見えない。
戦後破壊と廃墟の中で書かれた鮎川信夫の詩が心に沁みるのは、
そうした経験を今どこか追体験しつつあるからではないか。
ひとつの優れた芸術作品は、いつもある個人的体験を根として生まれる。
だからその<個人的なわけ>を軽んじてはならない。
あの見えない廃墟の準備をしていたパルコ別館ビル内で、原子炉の中の
放射線のように蠢(うごめ)いていた作品たちには、多分個々の作家の
<個人的なわけ>の熱量がある。
その見えない灯たちが、あの場所の不毛を救っている。

 たったひとつの死にも
 多くの時と多くの場所と
 さらに多くのものがかかっている

今となれば中途半端な5階建ての地下1階だけのあの小さなビルにさえ、
<多くの時と多くの場所とさらに多くのものがかかっている>。
このビルの北側には、かって少年たちの遊び場だった仲通りがある。
今はシャワー通りとかいう奇妙奇天烈な名前が冠されている。
路地裏が消え裏通りが物流の搬入口と化して、子供も人も消えたのだ。
時代は変わり街も変わる。
その事自体を回顧で否定する気は毛頭ない。
ただどんな場所でも<個人的なわけ>がある。
表現を志す人には、その<個人的なわけ>が自らの表現の根にも必ず在る事を
思うのだ。
そしてその個の根をパルコパックカプセル内で拡散し、瓦解させはならぬ。

*テンポラリースペースアーカイブス「記憶と現在」展ー3月25日(金)まで。
 am11時ーpm7時
*及川恒平フォークライブ「まだあたたかい悲しみその2」-3月27日(日)
 午後4時~予約2500円・当日3000円。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

 
 
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by kakiten | 2011-03-24 12:44 | Comments(0)
2011年 03月 23日

廃墟を歩むーland・fall(24)

素裸の「個」が、愛や誠実、やさしさ、勇気といった、いまあるべき徳目の
真価が問われている。
・・あきれるばかりに単純な命題は、いかなる修飾もそがれているぶん、
かえってどこまでも深玄である。
                           
                          (辺見 庸「水の透視画法」)

昨日の道新夕刊、2008年から随時連載されてきた辺見庸の最終回の
文章が載っていた。
宮城県石巻市出身という筆者の被災地を見る痛切な文である。

 若い日に遊んだ美しい三陸の浜辺。
 私にとって知らぬ場所などどこにもない。

そんな文章に誘発されたかのように、私は私の生まれた場所を
昨夜偶然歩いていた。
「the beginning」展のある場所である。
そこは昔丸美デパート、後に三愛ビル、今のパルコ別館である。
その向かいが私の生まれた場所である。
その場所は市街地改造第三地区として高層ビル化がなされ、
パルコビルは市街地改造の最初の第一地区なのだ。
その5階で20人のアーテイストが展示していた。
私はパルコ本館の裏通りにあるパレードビルと場所を勘違いしていた。
もし先にこの場所を正確に知っていたら多分行く事はなかっただろう。
東側に隣接するごく近い場所とはいえ、かって自分が闘った場所の
真向かいと知れば、そこでアートなど見ようという気持にはならないからだ。
いくら半数の知人・友人が出展しているとはいえ、個人的な気持として
あの場所界隈は棄ててきた場所である。
中通りにあるパレードビルに入りここではないと気づき、ふと三愛ビルを
思い出したのだ。今は確かパルコだったと。
ここまで来て帰るのも癪である。気持を決めて駅前通りに出て入り口に
向かった。
何十年ぶりだろうか、この狭いひとり乗りのエスカレーター。
地下街をまだ想定されていない地上5階地下一階のこじんまりしたビル。
私の幼少期にはまだ一軒の大きな瀬戸物屋さんがあり、その店の名前
が、丸美であった。
そして市街地再開発により5階に高層化され、丸美デパートとなる。
その後そのオーナーは自死したと聞く。
専門店がデパート化した無理の悲劇である。
この第一地区がこの界隈の難民化の始まりを告げる。
第二、第三、第四と次々と高層ビル化が行なわれ、現在のビル街の基礎が
出来る。
維新堂という大きな文房具店の辺りは4プラビルに、富貴堂という書店は
パルコに、ギンザ洋装店の辺りはコスモビルに、丸惣河関瀬戸物店辺りは
エイトビル(後にアルシュエ)に、私の生まれた所は中心街ビル(ピヴォ)と
ショッピングビル街となるのだ。
この他サンデパート(ドンキー)シルバービルと道路は拡幅され、市電は
廃止されて、高層ビルが立ち並ぶ街となる。
通りの名前も祖父の時代には停車場通りと呼ばれ、父母の時代に駅前通り、
今は4番街と呼ばれようになるのだ。
このビルパック群を抜け、あたかも難民のように生きてきた自分がいる。
この個人的な理由から今のこの界隈には何の魅力も感じてはいない。
その気持を押し殺して会場に入ると、個々の作品たちが息を凝らすように
迎えてくれる。
知人の姿が見え、それを機会に早々に会場を後にしたが、個々の作品は
力作が多かったと思える。
やがて解体されるというこのビル。
この界隈では一番古いビルの最後に相応しく、まるで壊れた原子炉の中の
放射線のように、蠢(うごめ)く何かがあった。
そしてその事実が私には救いだった気がする。
参加した作家がこの場を意識して作品がそうなった訳では決してないだろう。
多くはこの場の歴史など何も知らず、ただ都心のパルコ5階全フロアーを
好きなように使える事に満足しただけかも知れない。
しかしその伸びやかな気持ちが、この草臥れかけたビルパックのカプセル
内を少しだけ若いエネルギーで充填していたのだ。
企画者の思惑が例え予定されている<札幌ビエンナーレを下支えできる環境
を整えていく事>にあったとしても、今回の展示の何点かは、そんな思惑を超え
て在ったと思う。
知人のFくんと一緒に帰りにその事実を熱く語り得たことは、行く前には思えぬ
収穫の事だった。

*テンポラリースペースアーカイブス「記憶と現在」展ー3月25日(金)まで。
 am11時ーpm7時。
*及川恒平フォークライブ「まだあたたかい悲しみその2」-3月27日(日)
 午後4時~予約2500円・当日3000円。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2011-03-23 16:58 | Comments(2)
2011年 03月 22日

風と土のRepublicーland・fall(23)

福島県の酪農家の方が廃業を決めた様子がTV画面に映されていた。
原子力発電所の事故による影響である。
折角息子さんも仕事を継ぎ牛舎も増設した矢先の出来事である。
飼っている牛も屠殺するしかないと悲痛な表情だった。
放射線を風が運び、土に触れ草に染入る。
公的には人体に直ちに悪影響を及ぼすものではない、と言われても
出荷は制限されている。風評もある。
もう牛乳は投棄するしかない。先行きも見えない。
まだ事故の根本的処理は終らず、新たに黒煙が出たり、放水も続いている。
石油燃料の不足は続き、電気不足も続く。
この原子力発電所の事故によって、自然災害に加わる人為災害の様相を
紙一重の安全カプセル内にいる他の地域にも、正に他人事ではない状況を
もたらしつつある。
思えばつい最近まであった九州の鶏や牛のウイールス災害もまた、
人為的大規模装置の弊害がその被害を増幅させていた。
大量消費の利便性を保証する大規模装置・大規模飼育構造が、負の方向に働く。
原発も電力の大量消費の装置であり、それが負の方向に働いて今の事故状況
がある。
大量生産・大量消費の産業経済機構の装置そのものが、個の生活と対峙して
人為的大津波のように牙を剥いている。
そしてこの余剰なるものに慣れきった生活原理そのものが今問われているのだ。
人間尺度が量的尺度に取って代わって、マスを主体とするパック・カプセル万能
思想原理が社会構造の基底にある。
大量収納装置としての大規模地下通路・地下電車・タワービル群もまた
そうした構造的様態である。
衣食住すべてにそうした構造原理に貫かれて現代の社会生活がある。
その根幹が今問われている。
そして一方で被災地の現場からくるニュースは、勇気ある小さな個人の
光景である。
少年が80歳の祖母を守り救助された話。
暖かい炊き出しのお握りひとつに心から喜ぶ笑顔。
人と会うことがこんなにも嬉しいとは、と語る人。
マスとは正反対のミクロの個の姿が主役となっている。
この事実こそが本来あるべき無名にして共同なる人間尺度なのだ。
そこを基底としてもう一度社会機構の根底を問う視座を抜きに
我々の明日は、あの酪農家の方の悲嘆と同じように何も見えない。
量的多寡を基軸にする産業経済軸と対極にある個を主体とする文化軸の
深化する視座こそが、今真に<公共>をReーpublicする事を問われている。
従ってビルパック・地下通路パック・美術(館)パック等のカプセル装置に依拠
し、パブリックアートを標榜する安直なアート運動こそReーpublicされ、
本質的に問い返さなければならない対象である。
真の意味の風土、その風と土を我々は取り戻さなければならない。

*テンポラリースペースアーカイブス「記憶と現在」展ー3月15日(火)-25日
 (金)am11時ーpm7時:月曜定休。
*及川恒平フォークライブ「まだあたたかい悲しみその2」-3月27日(日)
 午後4時~予約2500円・当日3000円。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2011-03-22 14:03 | Comments(0)
2011年 03月 20日

それぞれの現場ーland・fall(22)

ブログの回線が昨日は一日繋がらなかった。
発する手段を失いじっと会場を見たり、来た人と話していた。
旧パレードビル(パルコ)解体前の空間を使って今展示しているグループ展
出展の森本さん、今月末市役所1階ロビーの琴似屯田兵舎展示に出展する
山田さん、写真集団三角展を同じく月末に控えている写真家メタ佐藤さん。
交互に顔を出して話し込んでいった。
こんな時は人に直接会わなくては、気が滅入るよと、メタ佐藤さんが言った。
メールやケイタイではないんだなあ~と呟く。
3・11以降何か本質的なことが変わる。
そんな期待も話したのだ。

朝地下鉄入口でスピーカーを片手に被災地募金の呼びかけが始っていた。
あまり大きな声で拡声器を使って呼びかけられると、傍を通るのが辛い感じ
がした。もっとそっと寄り添うように、声を掛けられないものだろうか。
誰もが心を痛めているのだ。
連日の報道で、みんな疲れている。傷ついている。心配している。
寄り添う事である今は。

今回の祈りを込めた「記憶と現在」展は、作品たちが見事な交響を奏でて
祈りで空間に満たしている。
あらためて展示構成の意思的統一が如何に大切かを、学んだ気がする。
私は私の現場第一線で出来得る事をするしかない。
私の個人的漂流時にも四散せずついて来てくれたこれら作品たち。
今祈りを主題に構成した時、それぞれの個の思いが凝縮したこれら作品
たちが一つになって響きあっている。
作品の奥に潜むそれぞれの作家たちの個の現場と同じように、この大災害の後に
訪れるのは、個々の厳しい現場・第一線である。
この困難を通して共有した無名にして共同なるものの兆しを、個々のコアとして、
真にパブリックなるものを同時代の地平に再生し、築いていかねばならぬのだ。
私は私の個人的体験を通して、共に漂流したこれら優れて美しい作品たちを今
<祈り>をひとつの主題に展示して、その事実を思うのである。

*テンポラリースペースアーカイブス「記憶と現在」展
 3月15日(火)-25日(金):am11時ーpm7時(月曜定休)
*及川恒平フォークライブ「まだあたたかい悲しみその2」
 3月27日(日)午後4時~予約2500円・当日3000円。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2011-03-20 13:10 | Comments(0)
2011年 03月 18日

人と人の間ーland・fall(21)

人と人の間を繋ぐもの。
その為の社会的インフラ装置が破断された時、人は最も直接的な行為として
人と人の間を繋ぐラデイカルな行為を見せる。
そのような無名の人たちの多くの行為が、被災地の連日の主役と思える。
一方で福島原子力発電所火災で連日報道される消火作業。
その光景に重なる風景は、かってあった路地の焚火の消火の素朴な風景
である。バケツで水をかけ火を消す。
煎じ詰めればそれと同じ行為を大規模に行なっているのだ。
本質的なもの、基底的なものが露出してせり上がって来ている。
人と人の間、つまり人間という無名にして共同的なものが市井の一個人の
直接行為として主役になり、大規模インフラ装置の根元にある素朴で
直接的なものが主体として顕われている。
そこにはほんの1週間前まで主役であった有名個人・名所の姿は見えない。
民主主義という言葉がもし文字通りの民を主とする意味であるならば、
今回の被災はすべてにおいて民という無名にして共同的なるものが主で
ある事を現実は伝えている。
人と人の間を繋ぐもの。
その為のさまざまな間接的増幅装置が破断されて、人は人と人の間をその最も
基底的な直接行為として実践している。
逆に言えばこの個々の為にこそ、大規模インフラ装置もあるという本来の事実
を生活現実として体験しつつあるのだ。
ひとりひとりの人間的な無名にして共同的なものが、増幅機能操作を経ず
ファインな輝きを保って直接垣間見られる事を、今は素直に信じたい。
人と人の間を繋ぐもの。
つまりは人間というものの存在を、他者と自分・自分と他者を繋ぐ回路の、
その無名にしてラデイカル共同体の位相を地場として位置付ける事。
そこを基底にして人間社会が再生する事。
そしてその最も純粋な結晶体である文化・芸術の根も、
そこを磁場として存在する事。

*テンポラリースペースアーカイブス「記憶と現在」展ー3月15日(火)-25日(金)
 am11時ーpm7時:月曜定休。
*及川恒平フォークライブ「まだあたたかい悲しみその2」-3月27日(日)
 午後4時~予約2500円・当日3000円。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2011-03-18 12:31 | Comments(0)