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2011年 01月 30日

睦月から如月へー螺旋する時間(7)

川俣正「テトラハウス326」展も今日で終る。
折りしも川俣正の来札・来廊とも重なり記念すべき展示となった。
同時に今日で終る札幌芸術の森美術館の「さっぽろ・昭和30年代」展
ー美術評論家なかがわ・つかさが見た熱き時代ーも長く記憶されるべき
Y学芸員渾身の企画展である。
有島武夫ー木田金次郎ーなかがわ・つかさに繋がる近代モダニズムの
系譜。そこから1960年代ー2000年代へと繋がる時代の架け橋を深く
考えさせられたからだ。
偶然とはいえこの展覧会の会期中に佐佐木方斎展、川俣正展と重なった
のは正に私にとっては、’80年代’90年代へと繋がる美術上の軌跡でも
あったのだ。
さらに年末・年始にかけて尾道の野上裕之さんの初の里帰りとも
いうべき個展があり、そこに詩人の吉増剛造さんが来廊して今年末に
銅板の全作品里帰り展の話があり、川俣さんにも繋がるテンポラリー
スペースの大きな意味での軌跡・<里>帰りが意識された時でもあった。
風景の根としての里は日々喪失の時代だが、このような形で自らの生きて
きた軌跡の内に(里)を見る事は、幸福とも思え同時に身震いをするような
責務と視座そのものを問われる覚悟も験される思いがする。
今という場(里)を問われるのである。

睦月から如月へと時は動き、冬の底へと季節は向かう。
来週から始る千葉の人、今は洞爺のガラス作家高臣大介さんの「雪調
(ゆきしらべ)」展もまた、別の意味でひとりの北を生きる男の生き様が
明白な形を顕す個展となるだろう。
茨城から北へと移住したなかがわ・つかさのロマンの、ある意味凝縮した
透明な意志を、同じように北へと移住してきた高臣大介の冬のガラス表現
に見るのである。
昨年の「冬光(ふゆひかり)」展以降、作家の冬への志向はさらに明白に
なって、今回のタイトルにも顕われている。
吹きガラスによる透明な彼の作品は、北のモダニズムを風の結晶のように
その今を問うものかも知れない。

*高臣大介ガラス展「雪調(ゆきしらべ)」-2月1日(火)ー6日(日)
 am11時ーpm7時。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2011-01-30 15:24 | Comments(0)
2011年 01月 29日

風景の根・記憶の根ー螺旋する時間(6)

一枚の写真から記憶の根が喚起されるように、
自然の風景にも都市の風景にも
記憶の歯根のようなものが埋もれている事がある。

 すぐれた地相には急所というものがある・・・そこに立って四方を眺め渡すと
 地相の趣意が一気に析出し、風景として結晶する。
                    (中村良夫「風景学実践篇」)

人間の造った都市風景の中にも、この<風景の結晶>があったのだ。
Mさんが感動した雑誌の一枚の写真はまさにそうした風景の一葉でもあった。
記憶の歯根が埋もれている自分の暮らした風景である。
こうした風景をかって人は故郷と呼んだ。
しかし今私たちの多くは、この<風景の結晶>を喪失して、
綿のように明白で曖昧な、柔らかい独裁の風景に囲まれている。
デジタルハイビジヨンのような明瞭な風景。
そこはひょっとして埋め立てられた川の上。谷の底。
地相は消去され平らな分譲地となる。
風景は結晶せず析出する何物もない。
都市と自然から風景の根を喪った私たちは、かってのボートピープルの
ように故郷を喪い漂流を繰り返す。
ケイタイやパソコンという小さなボートに乗り、行き先の見えない発信を送る。
私たちが日常に見る風景とは、そうした漂流者の風景ではないのか。

川俣正の「テトラハウス326」展を展示していて感じていたのは、この作家の
力業が一時書き割りの都市風景に破調をもたらし、そこの一角が熱く渦巻いて
疼くような歯根を保っていた事である。
それは記憶の風景の歯根のように今もある。
自然の地相と同じように、人もまた風景を析出し結晶させる事が可能なのだ。
かってそれは故里として故郷として顕現していたが、川俣正はそれをある種の
装置として顕在化させたのだと思う。
芸術家がその最も傑出させる力を発揮するのは、こうした日常風景に対峙する
非日常を顕在化させ得る時である。
森を伐採し、山を削り、谷を埋め、海を埋め、川を消し市街地化する都市の構造
は今後も変わる事無く世界中で続く事だろう。
この<風景の結晶>を崩壊させる世界に、人は本質的に何を為す事が
可能なのか。
風景を喪った心のボートピープルとなって永遠に漂流する運命なのか。
自然も社会も薄い液晶TVの画面のように明瞭だが不透明な、柔らかい綿の
ような独裁の時代に、私たちは根底で対峙する歯根の疼きを獲得出来得るか。
今は駐車場の平坦な空き地・空白地となったあのテトラハウスの記憶の根は、
そう今も問い掛けて止まないのだ。

*川俣正アーカイブス「テトラハウス326」展ー1月30日(日)まで。
 am11時ーpm7時。
*高臣大介ガラス展「雪調(ゆきしらべ)」-2月1日(火)-6日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2011-01-29 15:08 | Comments(0)
2011年 01月 28日

一枚の写真ー螺旋する時間(5)

Mさんが来てある雑誌に載っている写真を見せてくれる。
見開きいっぱいに北大中央ローンが広がり、中央を横切る川が流れ、
右側近景にはひとりの外国人と背後に大きな樹が重なっている。
ルクレジオと冬の北大構内だ。
ハルニレと思える大樹と人間の翳が、白い風景と川の曲線に映えて美しい。
この風景だなあ、と思う。
異国人の風貌と北大構内の建物、そして巨樹。
黒く曲線を描くサクシコトニ川と白い岸のゆるやかな対比。
エルムゾーンの象徴的な風景だ。
サッポロという街のこれが原風景ではないだろうか。
近代が保ったあるロマン。
その真っ白なキャンパスに、先人の夢のかけらが散りばめられ、
一枚の写真にそれが溢れている。
こうした風景が今もこの街には眠っている。
ハイビジヨンのデジタル画面のような、鮮明だが翳のない書き割りの都市
風景の奥に、ひっそりと降る雪を湛えて今も深々と森と川が潜んでいる。
そこに人が翳のように立つと、世界はなんと深い奥行きに満ちてくることだろう。
冬の白い影の世界だからこそ見える骨格のような世界もある。
樹木も川も建物も丘もその美しい骨格を露わにする。
強靭な曲線、無駄を省いた最小限・最大限の命の形。
冬は命の根を顕在化する季節だ。
命の必然に裏打ちされた曲線ほど、美しい線はない。
効率化を至上命題とする都市の線は、命の有機性が喪失している。
分別・切り捨ての直線構造には、地相の保つ結晶が消えている。

Mさんがこの一枚の写真に惹かれたのには理由がある。
左の奥に映る4階建ての白い宿舎の2階はかっての住居だったからである。
過ぎ去った長い時間が、この一枚の風景に鉱石のように結晶している。
夏も秋も冬も朝も昼も夕暮れもすべての過ぎ去った時間が、
この一枚の写真から喚起される。
何故ならこの写真には、この場の地相の保つ析出された風景が
結晶するようにしてあるからである。
その結晶する地相に引寄せられるように、このエルムゾーンの風景は
私にも波及してくるのだ。
冬の午後の曇り空。その白い翳に満ちた何百秒の一瞬。
そのたったの一枚の一瞬に、風土が保つ膨大な時間が結晶している。

真の風景とは何か・・・と、今改めて深々と思うのだ。
私たちは、私たち個々の風景を奪還しなければならぬ。
街の奥に深々と眠るその原風景を。

*川俣正アーカイブス「テトラハウス326」展ー1月30日(日)まで。
 am11時ーpm7時。
*高臣大介ガラス展「雪調(ゆきしらべ)」-2月1日(火)-6日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2011-01-28 14:13 | Comments(0)
2011年 01月 27日

朝の寄り道ー螺旋する時間(4)

朝札幌市資料館へ向かう。
大通りは雪祭りの準備で、中は通れない。
方形の公園、方形の街角。
直線で折れてつまらない道。
東正面に向いて大通り公園を遮るように、札幌軟石の堅固な洋館が見える。
旧高等裁判所の札幌市資料館である。
正面玄関を入り螺旋階段を2階に上る。
AからDまでの4室それぞれが、展示会場である。
正面右に先に入ると、そこは森本めぐみさんの展示で「くぼみ火山」。
恵庭で生れた自分の土地の記憶を、支笏火山の凝結溶岩札幌軟石
を使って造型している。
土と火の記憶から故郷を再構成しようとする力業である。
遠い昔大きな山が爆発しその窪みが支笏湖になり、飛び散った溶岩は
凝固して軟石となったという。
この壮大な大地のドラマに比し、作品は今いちぼんやりしたぬるい
感じである。
寝起きの森本さん、といったら失礼だろうか。
彼女の絵画の特色である強烈な赤と線が、今回の立体展示にはない。

秋元さなえさんは「芝生の川にいる魚」。
散漫な感じがして印象が薄い。
しかし廊下に資料として置かれていた江別・早苗別川のデッサン・写真
文章の冊子が面白かった。

太田理美さんは、古い記念写真にある自分の輪郭部分だけを
チョコレートで塗り込め展示している。
タイトルは「”られる”のチカラで造られる」。
他者との関係性の中で造られる可塑性の自分というコンセプトだろうか。

もうひとり中村絵美さんは、鹿皮や鯨の骨を使って開拓時の自然との
物語をイメージしているようだ。
彼女は長万部出身という。

4人が4様に生まれた場所を意識した作品で、その視線の先にどう
今が構成されているかはまだ不分明である。
札幌出身の太田さんは、人間関係という社会性から今を見詰め、
他の3人はそれぞれの出身風土から、今の自分を見詰めようとしている。

作品としてのまとまりからいえば、太田さんが一番見やすい。
しかしそこにある環境は、家族や級友といった人間関係の中の自分
である。
それは正にチョコレートのように、外界の温度によって左右され得る
受動的な<私>社会構造である。

他の3人は自然風土との関りから今の自分を再構成しようとする
環境への構造的な契機を持っている。
未消化なあいまいな部分が多々あるとはいえ、後者の視座にある可能性
を期待するものがある。

昨年の3人展以来で期待していた展示だったが、
そう簡単に作品は結晶しない。
それぞれの主題が深まるように今後も見守っていくしかない。
そしてやはりこの後は個展として見たいと思う。

展示者の来ていない会場を出て再び大通り公園に出る。
雪に埋まった公園脇を抜け、車に気をつけながら歩く。
運び込まれた雪で見通しがなく、道もない。
左右に並ぶ方形の建物に圧迫感がある。
明白だけど遮断するような立方体だ。
デジタルTVの大きな画面が林立しているような。
地下鉄に乗ると人もまたデジタル画面のように、林立して並ぶ。
明白だけど、匂いも奥行きも消えている。
大通り公園の積まれた雪も同じ顔をしていた。
ふと作品と空間の関係性を考えていた。
旧高等裁判所のあの会場で、作品たちは原告?被告?
どちらに立つか戸惑いながら林立していただけじゃないのか・・と思える。
もっと濃く、強く、衝撃を放て!


*川俣正アーカイブス「テトラハウス326」展ー1月30日(日)まで。
 am11時ーpm7時。
*高臣大介ガラス展「雪調(ゆきしらべ)」-2月1日(火)-6日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2011-01-27 12:19 | Comments(0)
2011年 01月 26日

根不足ナシー螺旋する時間(3)

福島県のK氏のご好意で、大野一雄石狩河口公演のヴィデオが、
DVDに再編集されて送られてきた。
これでもう劣化の心配をしないですむ。
あらためて最初から点検も兼ねて見ていると、
宇田川洋さんと千鶴さんが来る。
ちょうどいいと、映像の前に誘う。
出勤前の時間を割いて、とうとう最後まで見させてしまった。
川俣正展も見なければならず、忙しい思いをさせた。
しかしなんとも贅沢な時間ではないのか。
’80年代の川俣正、’90年代の大野一雄を一堂に見れるなんて。

この日から始った教育大4年の卒業制作展「居間」。
会場の札幌市資料館で展示を終えた森本めぐみさんが寄る。
彼女は生まれた場所の恵庭を主題に、支笏火山を作品にしたという。
秋元さなえさんは、生まれた江別を流れる川早苗別川を主題という。
さらに太田理美さんは、より内向きの自分の内と外を繋ぐ人との関係性を
主題という。
昨年「触れるー空・地・指」展として、3人がここで発表したテーマのさらなる
深まりを、今回のそれぞれの主題設定に感じている。
その意味でも見に行く事をとても楽しみにしている。
初日朝に行く積りだったが、体調不良でこの日は断念。
川俣展と同じ会期なので、朝来る前に寄らねばならない。

大野先生の映像を見てパワーを頂いたのだろうか、
帰りにマーボー豆腐+春巻き定食を食べる。
食欲復活である。
そして夜ついついサッカーの日韓戦を見入る。
しかし寝不足はなし。
食欲復活・根不足ナシ。
おいら、ケッコー単純・単細胞。

*川俣正アーカイブス「テトラハウス326」展ー1月30日(日)まで。
 am11時ーpm7時。
*高臣大介ガラス展「雪調(ゆきしらべ)」-2月1日(火)-6日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2011-01-26 12:40 | Comments(0)
2011年 01月 25日

心と体ー螺旋する時間(2)

休廊日にも出ていた所為か、寒気と吐き気に襲われる。
やはり疲れていたのか、寒気の所為か・・。
心の昂揚と体のバランスが崩れたのかも知れない。
28年を一気に心は走っても、体はガタガタかな。
川俣正さんとこうして私の生活の場で会うのは本当に28年振り。
他の場所で会ったのは、2,3回だろうか。
ただお互いの音信は切れ目なく繋がっていた気はする。
多分1983年以来の川俣資料も揃っている。
そして今回直接本人から初めて聞いた言葉。
”大体読んでますよ、ブログ、だから何を考えているか分かってるよ。”
嬉しかった反面緊張するなあ。
この拙文を、正木基さんが冷やかして言った<ハミガキブログ>。
そのように、ただ毎日歯を磨くように綴っているだけだから。
それでも一昨年暮、目黒美術館に行った時のブログを、もうパリへ帰国
していた川俣さんが、リヨンへの深夜急行列車の中で私の川俣展評を
読んで喜んでくれた話を正木さんから聞いた時は感動したものだ。
通信媒体の速さもあるが、変わらず繋がる人の心の内なる媒体に
感動したのだ。
その事を今回は直接本人から聞いた時、心はもう28年間を超えて
あるがまま今であった。
しかし心が突っ走った分だけ反動が来たのか、この北の場末の寒気は
現実に身に沁みるのである。

尾道に「i・NU」の作品が無事届いた野上裕之さんが今回の個展を
しみじみと振り返るようにブログに書いている。

 だからこれからは自由に、星を求められる

鳥の造型、犬(i・NU)の造型を通して彼が今回得た事を誠に素直に
<星>という言葉で語っている。
見えないもの、手元にはないもの、そこを人は求めて確信する。
その確信の結晶を時に作品と呼ぶのだ。
記憶の連続、螺旋する時間の捩子が今を巻く。
その心の結晶も時間の作品である。
それを決して追憶と呼んではならない。
それは今を裏付ける時間の土なのだから。

*川俣正アーカイブス「テトラハウス326」展ー1月30日(日)まで。
 am11時ーpm7時
*高臣大介ガラス展「雪調(ゆきしらべ)」-2月1日(火)-6日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2011-01-25 12:08 | Comments(0)
2011年 01月 24日

遠い時間は螺旋し今という時を巻くー螺旋する時間(1)

休みの今日、昨日の片付けにギヤラリーに寄る。
昨日は朝から多忙。
朝早くデジタル切り換えで、新しいTVが着く。
薄くて軽いのに驚く。
大きさに比しこの軽さはなんなのだ。
画像は鮮明である。しかし画像の鮮明さと本体の軽さのギヤップ。
鮮明であればあるほど何か現実感覚が狂ってくる。
これまでの小さな画面、厚味のある受像機。
どこか画像機械といえる道具としての脇役性。
これが大きな顔をした主役のようになる。
こいつに食われたらやばいなあと思う。
鮮明で、その実不透明な時代の象徴のようだ。
前の機種が小さくて、今度の受像機が特別大きい訳でもないのだが
もう部屋の主のようである。
取り付けが終わり出勤するとまもなく十勝のKさんたち3人が来廊。
昨日川俣正のレクチャー、シンポジュムに出席したという。
今日のワークショップは出席せずこれから十勝へ帰るという。
それから市役所文化課のK氏、Yくん、Aさんが見え、川俣帰りの人が
多く切れ目なく来る。

夕方川俣さん一行が車で到着。
久し振りと、再会の握手を交わした。
いいね、と展示を見て喜んでくれ、早速梯子を登り2階吹き抜けに上った。
この辺りは、テトラ時代の川俣正・漂泊の大工的身の軽さは変わらない。
それから奥の談話室で小1時間話が弾む。
テンポラリー通信は大体読んでいるよ、と言われちょっと嬉しく、恥ずかしい。
その所為か会っていなかった空白は少しも感じられない。
「札幌・緑の運河エルムゾーンを守る会」の話もすぐ反応してくれ、
署名してくれる。
話はその他多岐に渡った。
2日間続いた美術館でのレクチャー他の仕事の打ち上げ宴会が
この後あるというので、外へ出て見送った。
終始ご機嫌な表情の川俣さんは、美術館に行く途中エルムゾーンを
回ってみるという。
夜の白い雪を被った高い梢を見て欲しい。
葉が繁っている時とはまた違う幹と梢の林立が、直線の道路を跨ぐように
ある様子を夜の薄明の中で感じて欲しい。
そして車に乗り込む川俣さんに、ここも私のテトラハウスですよと声をかける
と照れたような声で、
いやあ~、まあ~まあと応える顔が誠に嬉しそうだった。

遠い時間は螺旋し、今という時を巻いていたなあ。

*川俣正アーカイブス「テトラハウス326」展ー1月21日(火)-30日(火)
 am11時ーpm7時。
*高臣大介ガラス展「雪調(ゆきしらべ)」-2月1日(火)-6日(日)

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by kakiten | 2011-01-24 14:29 | Comments(0)
2011年 01月 23日

里はあるかー同時代の森(24)

夕方2本の電話が入る。
ひとつは川俣正さんからで、予定が込んで今日は伺えないという
電話だった。
この日は午後から道立近代美術館でレクチャー、シンポジュム
懇親会と立て続けのスケジュールである。
懇親会の前に寄ろうとしたのだろうが、人が多く無理のようだった。
出席したOとKから当日の模様が伝えられる。
川俣さんの話はテトラ、テトラとテトラハウスの話が多かったという。
そして掌から煙が出ている出席者が多かったよ、Kが皮肉な口調でいう。
今や世界的な現代アーテイストとして高名な人である。
北海道出身という事もあり、地元意識で詣でる人も多いのだろう。

もうひとつの電話は尾道の野上裕之さんからで、
作品が無事着いたというものだった。
やれやれ、良かったと電話口でお互いに肩を叩くようにして喜んだ。
ちょうど来ていた山田航さん、瀬戸くんとも替わって話してもらう。
現代短歌の山田さんは、野上さんの作品に触発されて短歌を創っている。
その歌を贈られた野上さんは自身のブログの表紙に掲載している。
今回の個展で出会ったふたりは、もう作品を通した心友である。

川俣さんはあらためて今日伺うという事だったが、今日も朝から
夕方までワークショップである。
時間が取れるのだろうか。
今回の川俣正「北海道インプログレス」は、北海道で現代アートの
プロジェクトを考えると題されある意味で川俣自身の満を持しての
里帰りプロジェクトの模索である。
その原点が1983年のテトラハウス326プロジェクトにある事は
間違いない。
しかしそれは、そこへ懐古し戻る事ではない。
北海道の幾つかの地域で同時に立ち上げる広域の構想を今は
持って望んでいると思う。
ひとつひとつの地域を凝縮しつつ、俯瞰する視座が感じられるのだ。
その視点が彼の満を持した北への里帰りである。
それは多分生まれ育った大地への再上陸であり、ランドの再生ともいえる
構想であるはずだ。
かって住宅街の一角が彼のプロジェクトによって発熱し、日常が非日常へ
と転位したように、その規模をもっと広範囲な北海道<ランド>として
仕掛ける大志を保って、川俣は今回里帰りを果さんとしている。
その視座の端緒を私は一昨年暮れの目黒美術館「”文化”資源としての
<炭鉱>展」での彼の展示に感じていたのだ。
それは従来の濃い密度の横軸の視座から、より俯瞰する視座の転位と
してあったからである。
北海道島を俯瞰するランドの再生とでもいえる今回の北への里帰りである。

昨年暮の吉増剛造さんの’90年代の銅葉<里帰り>展発言に引き続き、
’80年代川俣正さんのテトラハウス里帰り、野上裕之さんの2000年代の
里帰りと今年は、私たち自らの現在・<里>をスパイラルに問われる年である。
心して向き合わなければならぬ。
そんな気がしている。

*川俣正アーカイブス「テトラハウス326」展ー1月21日(金)-30日(日)
 am11時ーpm7時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2011-01-23 14:22 | Comments(1)
2011年 01月 22日

繋がるものー同時代の森(23)

今朝早く、札幌来札の川俣正さんからメールが届いている。
本日来廊という。
再会に今からわくわくする。
遠い時間、そして切れないもの。
今回の川俣正アーカイブス「テトラハウス・326」展をして良かったなあ
と思う。
一昨年暮れ東京目黒美術館「”文化遺産”としての<炭鉱>展」で
川俣正の新たな展開を確認し、今回北海道での川俣さんの新たな
プロジェクトの模索に共有するなにかを今感じているからだ。
これは今に生きる我々の新たな<テトラハウス>の磁場創出である。
川俣さん、もう一度一緒に同じ大地で汗を流しましょう。

*川俣正アーカイブス「テトラハウス326」展ー1月21日(火)ー30日(日)
 am11時ーpm7時;月曜定休。
*高臣大介ガラス展「雪調(ゆきしらべ)」-2月1日(火)-6日(日)
*佐々木恒雄新作展ー2月22日(火)-3月6日(日)

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by kakiten | 2011-01-22 14:13 | Comments(0)
2011年 01月 21日

ランドvsランドフイルー同時代の森(22)

<republic>の語源はラテン語で、<res(もの)+publica(公共の)>
とある。また定冠詞theを付けてthe republicは、・・界となる。
この<もの>と<界>を、いわゆるパブリック(公共)からいかに抽出するか。
数多のインフラ・パブリックワーク、それに付随するかのようなパブリックアート
から、真の公共とはを今問わなければならない。
<公共>は本来<類>への視座をその土壌に胚胎している筈である。
「札幌・緑の運河エルムゾーン」を考えながら、この春楡(エルム)の森を
ゾーンというよりひとつのランドとして思うのだ。
このランドとは、国でもあり陸地でもある。
社会体制としての国家ではなく、ランドである。
日本語でいう<お国>のようなものだ。
有機的な環境としての<お国>である。
・・圏といってもいい。
これは、英語の<the republicー・・界>に匹敵する。
そして<界>とは、ある独立した圏内をいう筈であり、場の保つ
独自性、身体性に基づくと思える。
地球が成層圏を保ち他の惑星と違う独自の星である事と同じである。
エルムゾーンとは、ここ固有の自然の身体性であり、ひとつのランドを
形成している。
今自分が生きている場の固有性とは、本来は春楡界であり、そうした
固有の国でもある。
そこから発するrepublic(公共のもの)を、形成創出する事は可能で
あるのか。
形・容の<形>が外からの要素で成立する<かたち>であるなら、
形・容の<容>は、内からの要素で成立する<かたち>であるという。
<かたち>とはこの内・外の両方の要素を保って<形容(かたち)>
なのだとすれば、内なるエルムゾーンとは、<容>の姿でもある。
公共事業的<公共>が、外からの<形>の整える整形だとすれば、
republicなる<公共のもの>とは、内なる<容(かたち)>からの
姿の整容である。
自然・風土はその容(かたち)をランド(国=風土)として形成してきたのだ
とすれば、そこを基底(ランド)として、固有のrepubulicな世界を人もまた
形成できないものだろうか。
今このランドという美しい言葉には、背後にぴったりと貼り付く対極の
リアルがある。
それはランドフイル(landfill)-埋め立て式ごみ廃棄場という言葉だ。
春楡界を生きようとすると、その事の可能性の為には、このlandfillという
現実と対峙し挑まなければならない。
このふたつのランドの様態の挾間にこそ現代のリパブリックが存在する。

川俣さん、そう思いませんか?

*川俣正アーカイブス「テトラハウス・326」展ー1月21日(金)-30日(日)
 am11時ーpm7時:月曜定休。
*高臣大介ガラス展「雪調(ゆきしらべ)」-2月1日(火)-6日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2011-01-21 13:42 | Comments(0)