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2010年 12月 30日

戻り雪ー同時代の森(5)

湿った雪が積っている。
雪掻きをしてもスコップに雪がへばりつく。
戻り雪だなあ、と思う。
さらさらとパウダー状のふんわりした寒気の雪ではない。

札幌を深く生きる。
し残しの仕事を振り返る。
「札幌・緑の運河エルムゾーンを守ろう!」の署名活動も続けながら、
まだ、本質的な問題は年を越してゆく。
ふたりの巨樹の里帰り展。
それとどう向き合っていくか。
起点はもう遠い時間の過去にあるのだが、あらためて問われているのは
間違いもなく懐古ではなく、今現在である。
続いているよ、と声が掛かっている。
そう、見えない川のように水脈は続いている。
流れる川のように、今は今の一瞬をせせらぎ、波立って続いている。
今を流れつつ、今に流されず、客観的に見詰める今。
今日も今日とて時は流れ、明日へ来年へと突き進んでいる。
きらきらと今を閃き、今を生きる。
そして来し方と過ぎ去った時と繋がる。
如何なる<里>を明日に築くか。
過ぎ去った過去ではない。
今を煌く波のように時を刻むのだ。

*野上裕之展「鳥を放つ」-12月21日(火)-1月16日(日)
 am11時ーpm7時:月曜・元旦休廊。
*高臣大介ガラス展「雪調(ゆきしらべ)」-2月1日(火)ー6日(日)
*佐々木恒雄展ー2月8日~(予定)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2010-12-30 11:58 | Comments(0)
2010年 12月 29日

里帰りの展示ー同時代の森(4)

定休日に届いていた吉増剛造さんのfaxに、<里帰りの展示>
という言葉があった。
同時に届いた現在浦和市うらわ美術館で開催中の
「これは本ではないーブックアートの広がり」展A3版百頁弱の
素晴らしいカタログ。
この中には若林奮さんほかとともに、吉増さんの銅板オブジェが43枚が
収録されている。
詩行の一節を銅板に打刻した懐かしい作品である。
’96年12月に前のスペースで「百葉/界川/宇宙函」展として
展示された事がある。
当時吉増さんの手元にあった銅板のすべてを展示したのだ。
それが百葉の意味である。
それからさらに銅板は増え、もう何枚になっているのだろう。
掲載の中には初めて見る銅板もある。
この銅板たちを来年<里帰り>の展示をして見たいというのが、
今回届いた吉増さんの意向である。
そして昨日朝一番に訪ねてくれた美術館のK氏が持参したフライヤーは、
川俣正の来年早々に始る「北海道インプログレス」の案内だった。
その中で川俣正は、

 1983年に札幌の住宅地で行った「テトラハウス・326プロジェクト」を
 思い出しながら、20数年ぶりに北海道の地でアートプロジェクトを行う
 ことが可能かを、今回のトークとワークショップで探りたいと思ってます

と書いている。
これもある種の<里帰り>だなあと、思って読んでいた。
’80年代の川俣正、’90年代の吉増剛造とふたりの巨人が今また、
帰ってくる。
それは、<里帰り>と呼ぶ心の実家が札幌にあるという事でもある。
その実家はすでに廃屋となった実家であるのかも知れないが、
新たな故郷として私たちの今が、新年に向けて問われてある事は
間違いない事実なのだ。

展示中の野上裕之展「鳥を放つ」もまた、今一番新しい里帰り展である。
このふたりの巨樹の遠い時を隔てた里帰り展の情報。
それは明日尾道から帰郷する野上さんへの大きなはなむけ、
励ましとも思えるものだ。
そして帰省先の実家としての私たちを、叱咤し奮い立たせるものでもある。

*野上裕之展「鳥を放つ」-12月21日(火)-1月16日(日)
 am11時ーpm7時:月曜・元旦休廊。
*高臣大介ガラス展「雪調(ゆきしらべ)」ー2月1日ー6日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2010-12-29 13:06 | Comments(0)
2010年 12月 28日

バタバタ師走ー同時代の森(3)

ばたばたと何かと気忙しい。
さすが師走。
昨日は歯医者さん、2カ月一回の定期検診H内科と病院へ。
帰って掃除機で掃除し、洗濯したら日が暮れた。
今朝は休日に着信の吉増さんからのFAX、、美術館のK氏、M夫人と
、野上さんへの荷物と次々と来て、落ち着かない。
次回個展の高臣大介展タイトル打診の電話も来る。
タイトルは、彼の提案通り一発で決まる。
高臣大介ガラス展「雪調(ゆきしらべ)」である。
日曜日に珍しく来て、閉廊まで酒を飲んだ。
この時はまだ個展の方向性に迷いがあったか思うが、
この後心に期すものが浮かんだのだろう。
前回の個展タイトルは、「冬光(ふゆひかり)」、今回は「雪調(ゆきしらべ)」。
いい感じである。
明後日には野上さんの札幌入りもある。
さらにばたばた、年の瀬が続き今年も終る。

*野上裕之展「鳥を放つ」-12月21日(火)-1月16日(日)
 am11時ーpm7時:月曜・元旦休廊。
*高臣大介ガラス展「雪調(ゆきしらべ)」-2月1日(火)-6日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2010-12-28 14:04 | Comments(3)
2010年 12月 26日

クリスマスも終わり・・-同時代の森(2)

アリヤマサンタとイマムラシズカなイブも過ぎて、
いよいよ歳末・師走も押し迫る。
昨日の道新夕刊に大きくルイス・ベーマーの記事が載っていた。
日本のリンゴ栽培の基礎をつくり、ワイン、ホップの基礎をつくったドイツ系
米国人である。
余市のリンゴのルーツを辿ってベーマーを発掘した余市出身の方が
ベーマー会を立上げ研究誌を昨年から発行している。
私は「札幌・緑の運河エルムゾーンを守る会」の署名活動の過程で
この会の方と知り合い、来年発行の3号に寄稿を依頼されている。
造園家でもあったルイス・ベーマーの残した庭が、エルムゾーンの一角
清華亭の庭でもあった事が縁である。
この後の庭には今も巨樹のエルムが立っている。
<夢の系譜>として、1960年代のなかがわ・つかさに至るまでの、
国籍を問わぬこの地で繰り広げられたthe republic of dreamsの
系譜を書いてみたい、そう思っている。
アメリカ的なものを追い求め、アメリカ的なものに頽廃しつつある現在、
真にその理念として夢の形であった<アメリカ>的なものを
見詰め直すいい機会と思っているのだ。
荒地の詩人鮎川信夫が戦後すぐに発表し、さらにその後封印した
長編詩「アメリカ」に後年付け加えられた深く印象的な詩行は、
今こそ時代の主調基音として重く響いている気がする。

 「アメリカ・・・・」
 もっと荘重に、もっと全人類のために
 すべての人々の面前で語りたかった
 反コロンブスはアメリカを発見せず
 非ジェファーソンは独立宣言に署名しない
 われわれのアメリカはまだ発見されていないと

この<反コロンブスはアメリカを発見せず・・・>以下の詩行は
初出から封印後20年を経て新たに加えられた詩行である。
この戦後間もない時期よりさらに遡った明治の初期に、この北の大地に
多くの若い米国人たちとともに若い日本人も描いた、国家を超えた夢の系譜
そこに、真の<アメリカ>が埋もれている。
そんな気持がするのである。
鮎川信夫がこの3行を付け加えた1960年代に、23歳のなかがわ・つかさ
が木田金次郎に触発され、北海道へと移住して来るのだ。
この夢の系譜こそが、今見失われている真に<アメリカ>的なるものの系譜
ではないのか。

*野上裕之展「鳥を放つ」ー12月21日(火)-1月16日(日)
 am11時ーpm7時:月曜・元旦休廊。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503 
 
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by kakiten | 2010-12-26 12:42 | Comments(0)
2010年 12月 25日

ふたりのサンター同時代の森(1)

クリスマスイブ前日の、
なにかおそろしく大きなサンタが来たような夜があって、
本当のイブは静かな一日だった。
吉増剛造さんとの熱い夜を思い出していると、ふと
「大病院脇に聳え立つ一本の巨樹への手紙」(中央公論社・昭和58年発行)
という彼の名詩集のタイトルが浮かんだ。
<同時代の森に聳え立つ一本の巨樹の年譜>
そんな連想である。
静かなイブの夕方に、有山睦さんがお酒を持って訪ねて来る。
野上さんの「i・NU」の前足の指を見て、いいなあと呟く。
さすがドラムを叩く人である。
指先に神経がいく。
しっかりと大地を踏みしめるかのような2本の前足。
その指先に力がある。
そして高く首筋を伸ばし、上を見上げる顔。
その視線の先に飛ぶ丸い鳥の群れ。
正面の顔を見て、野上さんにそっくりと言った人がいた。
吉増剛造さんも今回の作品を見て、いいねと言ってくれたのを思い出した。
芳名録にもサインを残してくれたが、これもあまりない事である。
親友だった彫刻家若林奮はじめ砂澤ビッキと多くの美術家との親交のあった
だけに、美術にも造詣が深い人である。

奥の談話室で有山さん持参のお酒を熱燗にして飲む。
遅れてギター奏者で歌手の今村しずかさんも来て、3人のイブが始った。
ふたりは岡部亮の置いてある「種子」の彫刻も触り、その感触を楽しんでいる。
野上さんの作品もそうだが、彫刻の作品は触れるのがいい。
特に木の彫刻は、暖かく柔らかである。
静かだったクリスマスイブは、こうして有山サンタさんがお酒を持って現われ
穏やかで暖かいイブとなったのだ。

+野上裕之展「鳥を放つ」-12月21日(火)-1月16日(日)
 am11時ーpm7時:月曜・元旦休廊。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2010-12-25 12:34 | Comments(0)
2010年 12月 24日

ヨシマスな夜ー夢の系譜(26)

オーノな日から一夜明けて、まだその余韻が残っている。
前日資料庫の奥から出てきた古いヴィデオテープ。
その鮮やかな再生画面を、映像の中の一方の当事者である
吉増剛造さん本人と見たこと。
そしてこの映像の年に産まれた文月悠光さんの不意の帰郷訪問。
さらにこの甦った前夜祭映像の翌日の石狩河口大野一雄公演の映像が、
このふたりを今に繋いでいたこと。
私は、吉増さんが「裸のメモ」と題した詳細な大部の年譜を読み、そのあまりに
精緻な記録にもう自らの経帷子を編み込んだのかと感じ、伝えた直後の訪問
だった事から、そう発した自分の言葉の重さに迎える側として、物凄く緊張して
いた自分がいたのだった。
しかしこの幻の映像出現と文月さんたちのお陰で、その緊張は杞憂に終わり
素晴らしい時間を共有することが出来たのである。
この前夜祭映像記録はあらためて吉増さんの手で、将来大野一雄の歴史として
後世に遺されることになるだろう。
今回「裸のメモ」のさらなる重層が予定されていると聞いた。
これはもうメモなんていうものではない。
さらに2・5倍の千頁を超える年譜となる予定という。
森だなあと思う。
吉増剛造という一本の大樹は、さらなる人との関わりを意識的に深める事で、
今有機的な森となる。
生涯を賭けた最終・究極の大作である。
そう思う。
帰省したばかりの文月さんと別れ、その後我々は山田航さんも含め3人は
宇田川洋さんの居酒屋へ向かった。
店に置いてある砂澤ビッキの木彫の作品を見て、吉増さんが懐かしそうに
声を上げた。
それからそれを席の傍に置き、何度も撫でながらお酒が進む。
それは、今は遠い親友との再会を楽しんでいるかのように思えた。
大野一雄、砂澤ビッキ、そして吉増剛造の魂の交流が垣間見えた
貴重な一夜であったのだ。

*野上裕之展「鳥を放つ」-12月21日(火)-1月16日(日)
 月曜・元旦休廊。

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by kakiten | 2010-12-24 15:17 | Comments(0)
2010年 12月 23日

オーノな夜ー夢の系譜(25)

小樽美術館の仕事で来道中の吉増剛造さんから電話があったのは、
3日前である。
22日の夕方来廊を約束する。
今度ゆっくり会おうと約束したのは、9月パルコの森山大道展でお会いした
時だった。
その後渾身のご自身の年譜「裸のメモ」(「木浦通信」(矢立出版)が出版され、
まるで本人ご自身の書いた経帷子のようですと感想を送った。
その年譜1989年10月の章に、拙文を書かせて頂いている。
「’89アートイヴェント イン界川游行」での関わりで、吉増さんの人生の
縦糸に絡む横糸のように織り込ませて頂いたのである。
他にも何人かが札幌関係で横糸のように書かれていて、今回はそのお礼
行脚かなと思っていた。
それにしても現在地に移転してからは、ゆっくりと夕刻に前もって決めて
訪問されるこ事は滅多にないので、緊張した。
なにかおもてなしをと考え、大野一雄石狩河口公演前夜祭大野ー吉増対談
のヴィデオを探す事にした。
この時の対話は、後に出版されたかりん舎の公演記録集にも収録されて
いない幻の対談である。
ヴィデオの映像はあったが、音声がほとんど聞き取れず断念した経緯が
ある。
もう一度見てみようと思い、ヴィデオテープの入った段ボールを探す。
するともう一本、薄く能量寺とだけ書かれたヴィデオが出てきた。
川俣さんという方の撮った映像である。
これは撮影者がせわしなくたえず動き周り、記録としてどうかと思い
打ち捨てていた記憶がある。
とりあえず再生してみると、20年近い歳月にもかかわらず、テープの劣化も
なく活き活きと当時の光景が甦る。
撮影位置の動きも逆に会場の臨場感を高めていて新鮮である。
これは吉増さん喜ぶぞと思った。
当時86歳の大野一雄が活き活きと甦えって、語り、踊るのである。
ちょうど来た歌人の山田航さんが、吉増さんも若いと、声を上げた。
吉増さん訪問の前日の事である。
当日昼に東京の詩人文月悠光さんからメールが届く。
早めに札幌に帰省するので26日に大塚軟膏くんと訪ねたいとの事だった。
折り返し今夕吉増さん来るので残念だねと返事を送った。
すると実は今日が帰省日で、夕方千歳空港から直行しますと返事が届く。
大学入学前の今年3月、ここで大野さんの石狩の映像を見て感動し詩に書き
その詩が現代詩手帖の文月悠光特集の吉増ー文月往復書簡の主たるテーマ
ともなっている。
これはここでふたり会えば、吉増さんも喜ぶわと思った。
約束の6時吉増さんが時間通り来訪し、暫しふたりで種々話す。
そしてお見せした石狩前夜祭の映像に吉増さんは驚愕し喜ぶ。
その後空港直行の文月さんも来て、大塚くんと山田航さんも見えて
話は盛り上がった。
若く優秀な表現者に囲まれ気をよくしたのか、こんなにご機嫌にお酒を
飲む吉増さんを見た事がない。
20年ぶりに甦った大野一雄前夜祭映像の流れたこの日、
間違いもなくオーノさんも来て、この映像の年産まれた文月さんも呼び寄せ
ご一緒してくれていた、と思える奇跡的な夜だった。

*野上裕之展「鳥を放つ」-12月21日(火)-1月16日(日)
 am11時ーpm7時:月曜・元旦休廊。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2010-12-23 14:22 | Comments(0)
2010年 12月 22日

「鳥を放つ」ー夢の系譜(24)

初日の午後、遅れて申し訳ないですとトラック便が着く。
尾道から作品到着。
頑丈な木箱に梱包されて、「i・NU」と題された縦横1m強の立ち犬の彫刻。
「鳥」と題された小さな木の彫刻が11個入っている。
「i・NU」は斜め前方を仰ぎ、位置は2階吹き抜けの西窓に向けて会場
中央に置くように指示がある。
その視線の先に「鳥」を梁から吊って宙に浮かせる。
大きめの「鳥」を2個2階窓に吊り、下の「i・NU」との間を他の「鳥」が
散らばるように吊る。
細かな位置の決定は、多分作者が最終的に決めるだろうと思いながら、
私なりに展示を完了する。
途中心配したのだろう、尾道の野上さんから電話が入る。
先ずは無事着いたことに安堵したようだ。
30日帰省という。
展示を終え、あらためて作品を見る。
素直な作品である。
「i・NU」は文字通り精悍な焦げ茶の犬である。
立ち上がり斜め前方上を見詰めている。
その視線の先に小さな木の鳥たちが浮いている。
西窓の光を仰いでいるこの犬は彼自身の表象でもあるのだろう。
精悍で引き締まった黒い身体。
それは日々労働に勤しむ自らの日常の肉体そのものに見える。
しかしその視線は中空を望み、窓外の光を追っている。
鳥たちはその視線の軸を顕す、まあるい光の魂のようである。

 今回の製作は本当に楽しかったです。
 30日、増やすかもしれません。

末尾に作者はそう書いていた。
野上裕之さんは、身体性の強い表現者である。
学生時代は「ぼくでん」と題して、ひたすら自転車のペダルを漕ぐ
自家発電のパフ―マンスをしたり、大学近くののグランドをひたすら
穴掘りをして、そこから出てきた廃棄物を展示する「もぐら」展をしていた。
転機となったのは映像作家の大木裕之との出会いで、自らの身体の
形を床に象り、そこを蝋燭で埋め炎で埋めたインスタレーシヨンを
見せた時である。
身体そのものを使うパフオーマンスから、その身体を一度外側から
対自化する視座へと転位したのだ。
さらに最近の作品は、溶かした鉛を巨大な木型に流しこみ、そこで
造られた形を壁に展示していくという、よりモノの創生に近付いた表現
行為を見せている。
今回の作品は、身体や溶かした鉛という素材の直接性からさらに、
具象的で抽象性を帯びた心象性の濃い作品となっている。
それは彼自身の生活上の変化とも重なって、地を踏みしめて立つ
「i・NU」の造型の力強さと、その視線を顕す「鳥」の造型として一体化
されている。
多分この作品の眼目は、「i・NU」と「鳥」の間にある宙を見詰める見えない
磁場にこそあるのだろう。
極めて身体性の強いこの作家は、今回ある意味初めて見えない身体を
視線として表現化しようと試みているのかも知れない。
それは彼自身が今生活に根を下ろし、その上で視線というメタフイジックス
を、内から梢の先のように宙に放っているからである。

+野上裕之展「鳥を放つ」-12月21日(火)-1月16日(日)
 am11時ーpm7時:月曜・元旦休廊。

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by kakiten | 2010-12-22 12:50 | Comments(2)
2010年 12月 21日

船大工と漁師ー夢の系譜(23)

野上裕之さんが今日のブログに書いている。

 親分が「大工は日が暮れる、で銭呉れるじゃないで、
 腕がなければ話にならんで」 ・・・・。
 そんなふうに仕事して家に帰ってこつこつコサエてきた作品
 ぼくが船大工になって、初めて真面目に仕事しながら<作れた>モノたち。

その作品の到着が遅れている。発送も遅かったというから仕方がない。
尾道で船大工の仕事を選び、伝統的な職人の技術を学びながら、
なお彫刻の志を貫かんとする第一歩の個展である。
そうそうスムースにはいかないのが当たり前。
荷物の遅れくらいは、織り込み済みである。
先日オホーツクの海で漁師をしている佐佐木恒雄さんと電話で話した。
正月に顔を出すと言う。
2月洞爺の高臣大介ガラス展の後、彼も漁師になって初の個展を予定する。
現代の木田金次郎。南の海と北の海のふたり。
とても楽しみにしている。
本物の木田金次郎は、岩内で漁師を続け60歳の時が初個展だ。
その前年に茨城県から来た23歳の青年は木田に会い衝撃をうけ
翌年から北海道へと移住してくる。
そして10年、彼は北海道の美術シーンを牽引し、今芸術の森美術館で
その功績が再評価され、「美術評論家なかがわ・つかさが見た熱き時代」
展として開催されている。
このなかがわ・つかさの活動の切っ掛けになったのは、木田金次郎の
生き方と風土である。
しかし時代は、木田金次郎的な芸術家の生き方と逆の都市化の方向へ進み、
なかがわ・つかさの美術批評を通した孤独な闘いは、そうした時代との闘いを
根底に秘めて、34歳までの10年間を疾風のように闘って終るのである。
生死を板子一枚に賭けるようなシンプルな生活の現場は、かって体験的
経験的に生活の各階層に巾広く存在し、個々の生活現場で職人のように
存在した。
都市の分業化、工業化が進むと、その現場感覚は切れ切れの部分のように
パック化して希薄化している。
例え街の駄菓子屋さんでも、売るプロとしての職人感覚が在ったが、
今はブランド商品のマニアル知識を販売手法にして展開される。
売る方も作る方もある種の職人的なものが生きていて、その職人(アート)的
の土台が、フアイン・アート(芸術)を育む土壌にもあったのだと思う。
東京に近い茨城で生まれ、戦後間もない東京で大学生活を送っていた
なかがわ・つかさが、岩内の自然とそこに根を張って生きる木田金次郎の
生き方と作品に衝撃を受けるのは、破壊された近代首都東京と正反対に
ある風土と芸術の生活の本来の在り様でもあったと思う。
その生活というものの根の部分を、根底的に問われているのが現代である。
なかがわ・つかさを今問い返すとすれば、正にその生活の根本の転換期に
闘った端緒をもう一度見詰め直す事でもある。
等身大の全人間的行為として、生活の根本が在り得るのか。
私が野上裕之さんや佐佐木恒雄さんのような生き方に注目するのは、
こうした根本的生活の眼差しを保って、作品を作ろうとしているからだ。

みんながみんな船大工や漁師になれる訳ではない。
都市にいて都市を通底し、都市の上げ底文化をなんらかの形で突破しな
ければならない。 
野上さんも佐佐木さんも船大工であり漁師ではあるが、一歩引いて日常現実
を見れば彼らもまた間違いもなく都市生活者の一員でもあるはずだ。
風土という自然環境と、都市生活という社会環境の挾間から、かれらの作品は
生まれてくる。
そこが、なかがわ・つかさの闘った精神と現在が通底するものと私は思う。

*野上裕之展「鳥を放つ」-12月21日(火)-1月16日(日)。
 am11時ーpm7時:月曜・元旦休廊。

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by kakiten | 2010-12-21 12:51 | Comments(0)
2010年 12月 19日

晴れた朝ー夢の系譜(22)

穏やかな日曜日。気温も上がり青空が広がる。
こんな日は少し滑りながらも、凍った路面を踏みしめ歩く。
地下箱の閉じた空間にいるより、心も開く。
誰でも良かったと言って無差別に人を刺した若者の惨劇がニュースに流れる。
閉じた自意識をさらに取りまく遮断された見えない壁。
それを壊したかったのだろうか。
都会にはそうした壁がある。
他者と関わる、外界と関わる回路が分別されてある。
分別された果てのうめくような、閉じた行為。
誰もが大なり小なりそう感じていながら、どこかでやり繰りをしている。
閉じたまま鬱病になったり、発作的にこのような外界の壁に八つ当たりする。
分別の際(きわ)自分以外の他者が存在しない遮断意識。
個が根付けない社会とは何か。
植物が土壌に根付くように、心の根毛を伸ばし葉先を広げる孤独な
ひとりひとりの営為も存在する。
それぞれの生きている環境の内で粘り強く、したたかに営まれているそんな
行為の形に出会う時がある。
美術行為やあらゆる創作行為には、そうした人と人の間を回復させてくれる
回路がある。
間(あいだ)を無くして孤立するから、人は非人間的となる。
人間という言葉の意味する所である。
この<間(あいだ)>を諫早湾のギロチンのように遮断すれば、そこには
干拓された心の乾燥地が広がるのだ。
その結果は一方の片側利害だけしか生まない。
遮断という行為は諫早湾だけに留まらず、同じ結果となる。
勝ち負けはゲームやスポーツの世界だけではなく、
生活次元の主軸ともなっている。
<間(あいだ)>とはもっとナイーブで豊かな世界だった筈である。
人間の五感の背後に在る粘膜の存在のように、欠かせない中間地帯なのだ。
<間(あいだ)>の存在が希薄になれば、遮断が強まる。
地球と宇宙の間には成層圏があり、紫外線を遮り保護する。
これも地球の粘膜のような<間(あいだ)>の存在である。
人と人の間にも本来的には、社会という間(あいだ)が在る。
これが希薄になれば、露骨な遮断が相互に自己防御的に働く。
その粘膜の強度を高めるものが、体のビタミン・ミネラル的なものなら、
文化・芸術の存在もそこに拠る。
一方に偏るものではない。間(あいだ)に拠るのだ。
勝ち組みと呼ばれる産業経済軸に偏ったものに、真の文化・芸術はない。

遠く長い歴史を有する瀬戸内海の港町で、船大工を学ぶ野上裕之さんの
その生活の中から生まれた個的営為、その作品の到着が遅れると連絡がある。
ぎりぎり初日には間に合うかも知れない。
故郷を遠く離れた野上さんの孤独な土壌創りに、私たちは彼の地と此処の地の
遮断ではない如何なる<間(あいだ)>を見るのだろうか。

*野上裕之展「鳥を放つ」-12月21日(火)-1月16日(日)
 am11時ーpm7時:月曜・元日休廊。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2010-12-19 12:43 | Comments(0)