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2010年 11月 30日

白い大地ー夢の系譜(5)

一気に天地が白くなる。
真っ白なキャンバスのような世界が広がる。
百四十年ほど前、この白い大地に夢を描いた異邦人たちの
夢の痕を辿れば、きっと彼らの心の中にもこんな大地が
広がっていたに違いない。
そこには薩摩人村橋久成も、米国人ルイス・ベーマーにもあった
見えない歴史の夢の<fromとto>がある。
西村英樹著「夢のサムライ」に、ルイス・ボーマーの名で日高・沙流郡で
野生のホップを発見したと記されている人物は、現在ルイス・ベーマーと
して余市のリンゴの生みの親として注目されている人である。
このベーマーの功績を発掘し研究する為に、2009年「ベーマー会」が
余市のリンゴのルーツを探る中から生まれた。
この会の存在を私は、「札幌・緑の運河エルムゾーンを守る会」を立上げ
展開していく中で知り、ベーマーが造園家として清華亭庭園、豊平館庭園等
の優れた庭園を遺した事も併せて知ったのである。
薩摩人村橋久成の札幌麦酒に賭けた情熱も、このベーマーのホップの
存在がなければ叶わなかったに違いない。
この時代の夢の形には、外国人・本州人を問わぬ若い人間の夢の力が真っ白
なキャンバスの最初の鮮やかな筆跡のように、この大地に描かれている。
後に有名なクラーク、ケプロン、ブラキストン、イザベラ・バード以外にも
こうした無名の若い異邦人の姿が、歴史の最初の<from>に隠されている。
社会構造がいまだ固まらぬこの時代には、洋の東西を問わぬ<from>が
自然の濃い大地に印されているのだ。
そして開拓使の時代の終わりと共に、より強固な明治の国家体制社会が
確立すると共に、夢の<from>は村橋久成の出奔のように消えていく。
しかし一旦消えたかに見えたこの夢の土壌は、百年を超えた昭和30年代に
有島武郎ー木田金次郎ーなかがわ・つかさの系譜として消えずに続き、
かつベーマー会としてもその地熱は冷めずに繋がっていると私は考える
のである。

<歴史は、fromとtoを内包している>(西村英樹)

この言葉の保つ真の<from>の発掘から、その当初の夢が孕んでいた
真の<to>の方向を見極める努力が今最も私たちに必要な時代と思われる。

今日から岡部亮展が始る。
7年の沈黙を経て、小さな一歩が印された。
新作の豆の莢のような、細長い彫刻作品がいい。
これもまた彫刻家岡部亮の<to>を指し示す、新たな<from>の始まり
と思える。
会期中も仕上げ途中の作品は、作り続けられるという。
新作豆本とともに、雪の朝個展が始った。


*岡部亮展withシミー書房「詩の本と彫刻」-11月30日(火)-12月12日(日)
 am11時ーpm7時:月曜定休。
*野上裕之彫刻展ー12月21日(火)-1月16日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax-11-737-5503
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by kakiten | 2010-11-30 13:30 | Comments(0)
2010年 11月 26日

バックミラーという歴史ー夢の系譜(4)

故西村英樹さんの遺した「夢のサムライ」を読み、その「あとがき」の熱い
思いに触れていると、どうしても生前会った時の不完全燃焼が、
今更ながら悔やまれる気持が残るのだ。
2度目の最後に会ったのは、これも故人となった忠海光朔さんの仔羊亭
で偶然だった記憶がある。
この時初めて私は西村さんが利尻島の出身である事を知った。
しかし私はまだその時も、彼の「夢のサムライ」の存在を知らなかった。
もし読んだ後彼と会う事ができたなら、その時のふたりの話はまた違ったもの
になっていたに違いない。今あらためてそう思うのである。

 歴史は、過去を振り返るためだけにあるのではない。
 車のバックミラーにたとえてみるとわかりやすい。
 前に進むためにこそ、バックミラーはあるのだ。
 歴史は、fromとtoを内包している。
 過去から未来に向かってたえず動いている。
 その悠久の流れのど真ん中に現在(いま)がある。

 故郷を遠く離れてこの地に根を下ろしていった開拓者たちは、
 いったいなにを糧に厳しい自然と闘い、なににつき動かされて
 がんばり抜いて生きてきたのだろう。
 「いまは、つらい。貧しい。苦しい。それを背負って、とにかく・・・」
 というただひとつの思いではなかったか。
 原野に咲いた、夢である。
                   (「夢のサムライーあとがき」から)

西村英樹はこの本を遺す事で、私にとって彼はひとつの<歴史>ともなり、
彼のいう<バックミラー>ともなって、今存在するのだ。
<fromとtoを内包している>歴史の夢とその挫折について、
我々の現在(いま)に即して、熱く語りたかった。
人は何故夢を抱き、生きるのか。
夢幻(ゆめ・まぼろし)という振り返る夢ではなく、
現実に生きる糧として、何故そこに夢を抱き、闘うのか。
それが一度ゆめ・まぼろし(夢幻)と挫折した時、
さらなる夢の継続は可能なのか。
今に映像として残る1945年を境とした少年少女の瞳の明と暗。
そして百年の時間差を超えるなかがわ・つかさと、村橋久成の北の大地に
描いた同じ23歳の歴史の夢の後先。
その<fromとto>について、我々の現在(いま)はまだまだ語り尽くせぬ
ものがある。そう思うのである。

 歴史は海のようだ。歴史という海は、あらゆる文明や国や社会を浮かべて
 たゆたっている。すべての民族や文化や伝説をつないで、地球をまるごと
 くるんでいる。それは、圧倒的な質量である。生まれて、生きて、みずからの
 生命を全うした無数の魂の累積である。
                                    (同上)

歴史の海が無数の魂の累積ならば、彼の魂もまた彼の故郷利尻島の
ように、海の荒野のど真ん中に<fromとto>という歴史を発して進む、
夢のバックミラーの花を咲かしている。

*一原有徳追悼展ー11月26日(金)まで。
*岡部亮展withシミー書房「詩の本と彫刻」-11月30日(火)-12月12日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
          
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by kakiten | 2010-11-26 12:48 | Comments(0)
2010年 11月 25日

夢のあとさきー夢の系譜(3)

1998年に出版された西村英樹著「夢のサムライ」(北海道出版企画センター)
を読み返していた。
西村さんとは2度ほど会っただけだったが、その後亡くなられたと聞いた。
利尻島出身の優れた編集者だった。
彼が晩年渾身の調査・研究をして著わした著作が、北海道にビールの始まり
をつくった薩摩人村橋久成の生涯の記録「夢のサムライ」である。
この本は次のようなプロローグの記述から始る。

 明治25年(1892)9月25日。
 神戸市葺合村六軒道。
 場末の道である。鳴きしきる蝉のこえに麻痺したまま、あたりの風景は
 塗り固められた一枚の絵のように微動だにしない。
 陽炎のように、路上にたちこめているのは、とんぼの群れだった。
 そのむこうに、倒れて伏す男の姿があった。

この行き倒れで発見された男が、村橋久成である。
23歳で薩摩藩からイギリスに留学し後に函館戦争で軍監として指揮をとり、
旧幕府軍に降伏を勧告、戦争を終結に導くキーマンとなり、さらに維新後は
開拓使に入り、札幌に麦酒醸造所を開業させた人だった。
その5年後突如職を辞し、その10年後に神戸の路上で死んでいるのが
発見されるのである。
この忘れられたビールの恩人の生涯を、西村さんは徹底的に調べ、
その生涯を明らかにしようとした。
村橋久成の功績が世に認められるようになったのも、この西村さんの
力が大きいのである。
村橋久成はルイス・ベーマーの札幌にできたポップ園を基盤にして
札幌ビールを成功させ、その生産が軌道に乗った明治14年5月に
突如職を辞すのである。
その間の事情を西村さんは次のように書いている。

 麦酒醸造所建設のころの村橋のなりふりかまわぬ、ほとばしるような
 情熱はとうに燃えつきていた。
 気がついたとき、周囲には維新で成りあがった政治家や経済人、そして
 官僚たちの野心と利権が渦巻いていた。開拓使の廃止の方向が明らかに
 なるにつれて、・・・村橋にとってはなによりも、開拓使の廃止そのものが
 ゆるされなかった。
 いまやっと芽吹いた新しい産業の芽を、なぜ摘みとり放棄するのか。
 こころざしは、どこへいってしまったのか。・・なんのための開拓使だった
 のか。
                    (第3章「開拓使の挫折」166頁から)

その後一切の消息を絶った村橋久成の行方を追いながら、この本は
優れた薩摩人の夢の後先を実証していく。
2003年に死去した西村秀樹は、多分この若きサムライの夢の跡を
追いかけながら、自らの利尻島で生まれ北の大地に生きる事の意味をも
探っていたような気がするのだ。
この本の「あとがき」には次のような文字が踊っている。

 つい100年ほど前まで、この島には太古の自然が広がっていた。
 そこには根も葉もなく、いきなり近代がはじまってゆく。<原初>の自然
 風景と、<近代>の草創が直接、隣り合っている。・・・
 しかし、その歴史が短いかといえば、決してそうではない。・・・
 「北海道の歴史が短い」のではなく、近代の歴史が浅いのだ。
 (これは北海道だけにかぎったことではない。日本のすべての地域に
  まったく同じことがいえる)。

村橋久成を通して、この若きサムライの数奇な運命に日本の近代の夢の
後先を辿る事は、古くから昆布ロードとして拓かれた利尻島出身の西村さんの、
もうひとつの自己検証のようにも思える。
近代の草創期に育まれた夢の挫折史は、西村さん自身の1990年代の夢の
検証とも思える。
さらに、昭和30年代美術批評家なかがわ・つかさの壮絶な北の10年と
村橋久成の夢の跡の10年も、どこか私には夢のあとさきとして重なって
くるのである。

*一原有徳追悼展ー11月26日(金)まで:am11時ーpm7時。
*岡部亮展withシミー書房「詩の本と彫刻」-11月30日(火)-12月12日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向。
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2010-11-25 15:17 | Comments(0)
2010年 11月 24日

<定点>と呼ぶ森ー夢の系譜(2)

昨夕4時から及川恒平ライブ「まだあたたかい悲しみ」があった。
展示中の一原有徳3点組みステンレス鏡面作品の横に、唄う場が設定される。
吹き抜け上部に小型のスピーカーを置き、マイクテストを入念に繰り返す。
音が吹き抜け天井に反射し、自然な音が醸し出される。
会場空間を良く知る及川恒平の技である。
全国多くの場所でコンサートを開く及川さんが、ここでのライブを定点と位置付け、
自分の現在を見詰める機会と話している。
自らお客さんに出す軽食、飲み物も調達してきて、手作りコンサートのように
会場の空気を作っていく。
2005年3月前の場所で始った及川恒平ライブは、年に2,3回のペース
で毎年続けられて来た。
以前とは違う現在の狭い空間でも変わらずこうして続くのは、場と聞き手の
関係を敏感に感受し、その事を及川さんが大切にしているからに違いない。
場とは歌い手にとって、聞き手としてそこに集る人間への友情の事と思える。
昨日も及川さんを私に最初に紹介した短歌評論の田中綾さん、
及川さんの最新CDに詩と歌を提供した詩人の糸田ともよさんが来ていた。
会場には他に宇田川洋さん、千鶴さん、歌人の山田航さんも見えいて、
今回初めての人も多くいる。
唄は静かな中にも緊張感を保って、流れるように2時間の時を刻む。
そして及川さんがこの場を定点コンサートと位置付ける理由が、少しだけ
私にも理解できた気がする。
ここでは聴衆におもねる必要が、限り無く少ないからである。
歌い手に聞き手の生き方を含めた顔が、同時代性として見えるからである。
その中で自分自身の来し方を振り返るように、今を確認していると思える。
聞き手に新旧の入れ替わり勿論もあるのだが、そこには今が無理なく
息づいていて、心の水位は自然と通ってくるものがある。
それは固定した定点ではなく、流動しつつ定点であるからなのだ。
及川さんの今が聞き手の今でもあるように、歌手と聴衆という舞台の境が
淡いのである。
フオークソング勃興期先頭にいた及川恒平が最盛期の商業主義の現場を去り、
10年の歳月を経て再び歌の世界に復帰した、歌への深い夢がそこにはある。
唄うとは何か、声とは何か。ソングを通して人は如何に人と繋がるのか。
商業主義的なヒットとはまた別の、声の求道者として人との間を開く夢の回路
を追求する及川恒平の生き方がある。
この人の声の質、声音には北の匂いが紛れもなくあって、その本質とは何かを
ここ10数年唄の中で追求していた気が、私にはするのだ。
その試行錯誤の中で少しづつわたしたちの生き方がクロスし、場を創り出して
きたと私は思っている。
建物の大きさ、広さ、立地の利便さ、聴衆の多少に関わらず、この場が
定点としてあるとすれば、それは私たちの生き方そのものが顕れる場の
確認とも思えるである。
きっとそれは一本の樹木の梢や根と同じように、それぞれが生きる深さと高さを
求めて顕われた群れる事のない場、他の樹木と共に繁る森を定点と呼んで
いるからに違いないと思えるのだ。

*一原有徳追悼展ー11月26日(金)まで。am11時ーpm7時。
*岡部亮展withシミー書房「詩の本と彫刻」-11月30日(火)-12月12日(日)
*野上裕之彫刻展ー12月21日(火)-1月16日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503で
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by kakiten | 2010-11-24 15:33 | Comments(2)
2010年 11月 23日

星影冴(さや)かにー夢の系譜(1)

23歳の青年は何故北へと移住して来たのか。
本名中川良。昭和27年岩内の画家木田金次郎の元を方言の研究の為
訪れたこの青年は、10年後死の一年前次のように回想している。

 興奮し、それから憧憬した。北海道という自然、木田のような画人が苦もなく
 育った風土に。同じ空の下で、こんなにも人間が生きて見える土地がどこに
 あっただろうか。関東にも関西にも、そして九州にもなかった。
                               
                          (「月刊さっぽろ」昭和37年3月)

現在芸術の森美術館で開催されている「札幌昭和30年代ーなかがわ・つかさ
が見た熱き時代」展の主人公中川良ことなかがわ・つかさの見た<北>である。
私は今回一原有徳展とともに、横浜のKさんから寄贈された亀井文夫の映像
を見て、この青年の夢の形が少しは分かるような気がしている。
なかがわ・つかさは、昭和4年茨城県の生れである。
亀井文夫が記録した「日本の悲劇」(昭和21年制作)及び「生きていてよかっ
た」(昭和31年制作)の10年間は、日本が物質的豊かさを追求しつつも
内なる廃墟が深化した時代でもある。
多感な青春時を、戦争時そして敗戦時の心の荒野の時代を過ごしたであろう
なかがわ・つかさが、<こんなにも人間が生きて見える土地>と木田金次郎
の生きている北の風土に感動したのは、荒廃した日本の内面風景がその
背景に在ったからだと思える。
その風景とは正に亀井文夫が記録した日本の心の荒野の風景と思えるのだ。
本州の都市に比べ、比較的空襲等の被害の少なかった北の大地と、そこに
漁業を生業として画業に精勤した木田金次郎の生きた姿になかがわは、
傷つかぬ真っ白な夢の大地を見たのではないだろうか。
さらに木田金次郎には有島武郎に繋がる日本の近代の開かれようとした
自由への夢の系譜が潜んでもいる。
東京へは出ず、岩内に根を下ろし画業を続ける事を木田に示唆したのは
有島である。
その有島自身も狩太村に牧場を持ちやがて農夫に解放する明治・大正
の自由な浪漫に生きようと実践した文学者である。
木田の背後には有島に象徴される日本近代の開かれた浪漫がある。
白樺派の武者小路実篤の新しき村運動や当時の西洋に開かれた自由の
系譜がある。
昭和27年木田と出会った23歳のなかがわ・つかさがこの時感受した
ものは、この日本の近代の正統な自由の系譜の存在であった気が
するのである。
それは傷つき廃墟と化した本州の都市にはない風景である。
<興奮し、それから憧憬した。・・・同じ空の下で、こんなにも人間が生きて
見える土地がどこにあっただろうか。>
この手放しの絶賛の背景には、亀井文夫が記録したようななかがわの
内なる荒野・廃墟の現実が潜んでいるのだ。
今あらためてそのような憧憬の北を、そこに生まれ育った我々が自覚的に
受け継ぎ、継承しようとこの北の大地を位置付けているのかと、問うのである。
なかがわ・つかさの孤独な闘いは、その後美術界への批評活動として
10年間闘い続けられるのだが、34歳の夏死ぬ1年前に遺された前記回想文
に篭められた憧憬の北の大地・夢の系譜は、美術の問題としてだけではなく、
広く時代の深部に疼くように今も発熱していると思うのである。
その事はこの北の大地に生きる我々が、心して受け留めなければならない
先人たちからの遺言でもある。
the republic of dreams。
そうした隠された近代の夢の十字架をこの北の大地は背負ってもいるのだ。
それは、夢のサムライー薩摩人村橋久成やお雇外国人ルイス・ベーマーに
も連なる開拓使の時代から続く近代の夢の系譜でもあると思える。

*一原有徳追悼展ー11月26日(金)まで。
 am11時ーpm7時。協力:かりん舎・中川潤。
 :及川恒平ライブ「まだあたたかい悲しみ」-11月23日(祝)午後4時~
  予約2500円・当日3000円。
*岡部亮展withシミー書房「詩の本と彫刻」-11月30日(火)ー12月23日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2010-11-23 12:50 | Comments(0)
2010年 11月 20日

亀井文夫と一原有徳ーNovember step(21)

横浜のKさんから亀井文夫監督のDVDが送られてくる。
1946年制作の「日本の悲劇」と1956年制作「生きていてよかった」である。
前者は当時の首相吉田茂の逆鱗に触れたという生々しい反戦ドキュメント。
後者は被爆後10年を経たヒロシマとナガサキの被爆者の今を撮影している。
ともにモノクロームのドキュメント映像で、このふたつの映像と現在を比較すると、
そこには今を漂白するように激しく貼り付くものがある。
私は初めて見た時の一原有徳の作品を思い出していた。
白と黒の不思議な廃墟の風景。高度成長期の都市風景の中で、最初に見た
一原作品は、見えない都市の廃墟をイメージさせるものだった。
しかし今回初めて見る亀井文夫の映像は、ドキュメンタリーであり、当時の
現実の風景であるのだ。
被爆後間もないヒロシマ、ナガサキの茫漠たる荒野の都市。
10年を経て再開発されながらも、そこを歩く被爆者の心に映る荒野。
モノクロームであるがゆえになお、そこに10年の大きな相違は感じられ
ないように見えるのだ。
最近ではバブル後の喪われた10年という言葉がある。
しかしこの亀井文夫の記録した1946年から1956年の10年とは、
もっと時代の深部に在る喪われた10年と思える。
バブル後の10年とは、物質至上主義のマネーに踊った後の喪失である。
亀井文夫の記録した戦後の10年とは、精神の喪失の10年である。
同じDVDに収録されていた戦中の昂揚した少年・少女の精勤する映像。
1941年制作「空の少年」、1945年制作「わたし達はこんなに働いている」
は共に亀井文夫の「日本の悲劇」の5年以内前のものである。
この2作品には、一心不乱に目的をもって仕事に励む人たちがいる。
その目的が飛行機乗りになる事だったり、海軍衣糧の作業だったりするが、
描かれている姿は、ある目的の為に献身する精神的営為の姿なのだ。
この後の亀井文夫の記録した喪われた10年とは、この精神の喪失の10
年の姿でもある。
そして、その精神的肉体的喪失・廃墟の渦中から、その喪失を意識的に形にし、
人前に晒す決意から、<生きる>事の基底をささやかな行為として立ち上げる
母子の姿を、映像は希望のように記録している。
本当に深く傷ついた者のみが保つ喪失から生きる行為への転換。
戦後の喪失の10年。
この精神的喪失の傷痕は、決してインフラ整備のみで癒されないものである。
その原点の世界を亀井文夫の映像は保っている。
バブル時代の前夜、一原有徳の作品が鮮やかに表出したものとは、正に
この癒されざる内部の荒野、その喪失した10年の原風景だったような気
が今するのだ。

*一原有徳追悼展ー11月17日(水)-26日(金)am11時ーpm7時。
 月曜定休:協力かりん舎・中川潤。
 :及川恒平ライブ「まだあたたかい悲しみ」-11月23日(祝)午後4時~
 予約2500円・当日3000円。
*岡部亮展withシミー書房「詩の本と彫刻」-11月30日(火)-12月12日(日)

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by kakiten | 2010-11-20 14:45 | Comments(0)
2010年 11月 19日

晩秋ーNovember step(20)

壁の蔦に残る実にカラスが二羽、三羽と群れ、音立てて
枝葉を散らす。
11月も半ばを過ぎ、室内も室外も荒涼たる冷気が漂う。
今年11月は母の13回忌だったが、特別な事もせず
ひとり仏壇に手を合わせた。
兄弟もバラバラで、みんな遠くなった。
父の命日も11月。
11月は、私には死者の匂いがする。
茨城にいる妹に電話すると、命日を覚えていて、
良い思い出はない11月と応えた。
もうひとりの水戸にいる上の妹は、旦那の介護で病院に行き留守だった。
長い介護生活で毎日病院通いで大変と聞く。
時々小荷物を送ってくれるのだが、それは佃煮とパンツの詰め合わせだったり
、時に干し芋がどっさり送られてきて、困惑する事もある。
東京の学生時代、母親からもよく小荷物が送られてきたが、その中身は
細やかで色んな物が入っていた記憶がある。
その頃付き合っていた彼女は、チョコレートとか可愛らしい甘い物を札幌から
手紙と共に送ってくれた。
母親、妹、彼女で、それぞれ送る物が違う。
きっとそれは愛情の角度の違いである。
死者を思う時も、同じようにそれぞれに角度がある。
11月は私には死者の季節で、一原有徳追悼展をしながらも他の多くの
死者が訪れてくる。
夏と冬の界(さかい)の世界は、生と死の界(さかい)でもあるようだ。

*一原有徳追悼展ー11月17日(水)-26日(金)am11時ーpm7時。
 月曜定休:協力かりん舎・中川潤。
 :及川恒平ライブ「まだあたたかい悲しみ」-11月23日(祝)午後4時~
  予約2500円当日3000円。
*岡部亮展withシミー書房「詩の本と彫刻」-11月30日(火)-12月12日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2010-11-19 13:20 | Comments(0)
2010年 11月 18日

風邪ーNovember step(19)

久し振りに風邪をひく。
一原有徳追悼展展示後、中川潤さんと飲みに行った時
喉元に妙な感触があった。
疲れにお酒は、体力を奪う。
いっぱい着込んで、掛け布団も一枚増やして寝る。
するとチーズの夢を見た。いいチーズだとみんなに薦めている。
発酵して上等である。
咳き込んで目が覚めた。
喉が乾燥して、くっ付く感じがする。
龍角散を飲んだら、喉の奥が楽になった。
朝、外は快晴。
自転車は昨夜テンポラリーに置いてきたので、歩くことにする。
ケンから借りた自転車にも大分馴染んできて、
こんな晴れた日は乗りたいところだが、
昨夜は無理しないでギヤラリーに置いて帰ったのだ。

一原展初日、帯広の美術家池田緑さん夫妻が来る。
十勝石・黒曜石の話をする。
支笏火山の凝灰石札幌軟石と十勝の黒曜石を素材に来年の
企画を話した。
そういえば一原さんも石が好きで、登山の折りさまざまな石を蒐集して
いた記憶がある。
以前、登山家としての一原有徳と美術家としての一原有徳を併催した
展示をした事がある。
その際一原さん蒐集の色んな変わった石も展示したのだ。
一原さんの山関係の本も併せて展示に加える。
中川潤さん所蔵の日高山脈の版画の前である。
一原さんは俳句の人でもあり、登山家の大先達でもある。
一原さんに限らず、人は人と関わる時、ある自分の角度からその人に触れる。
従って追悼も、その角度は追悼する側において一様ではない。
結局は生きている側からの自己反映でもある。
会期中それぞれの一原さんが、ここに溜まればいい。

*一原有徳追悼展ー11月17日(水)-26日(金)am11時ーpm7時。
 月曜定休。協力:かりん舎・中川潤。
 :及川恒平ライブ「まだあたたかい悲しみ」-11月23日(祝)
 午後4時~予約2500円・当日3000円。
*岡部亮展withシミー書房「詩の本と彫刻」-11月30日(火)-12月12日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2010-11-18 13:50 | Comments(0)
2010年 11月 16日

一原有徳展展示ーNovember-step(18)

収蔵している「鏡面ステンレス+アセチレン焼+モノタイプ」3枚組みの
一原有徳作品を会場正面の飾りつけ、1991年と1996年、2種類の
カタログテキストを積み揃える。
そうこうしている内にかりん舎の坪井圭子さん、高橋淑子さんが見えた。
ふたりの収蔵像作品を持参してくれる。
あとは中川潤さんの収蔵作品を待つ。
こうして一原さんに想いある人が一原さんの作品を持ち寄り、
先月百歳で亡くなられた一原有徳追悼展が始った。
いずれどこかの美術館で、大規模な回顧展が開かれるのだろうが、
私の今出来ることは、テンポラリースペース2度の個展をベースに
ここでの一原有徳を提示する事だ。
それぞれが持ち寄り展示される作品には、持ち主の作品と過ごした
これまでの時間が保水されている。
その作品と共に在った時間もまた、私には大切な一原有徳展と思える。
死者を思うこととは、生き残った人間の現在を映す鏡でもある。
時にナルシスのように閉じる場合もある。
時に死者の遺した精神に撃たれ、自らの今を凝視する場合もある。
しかし作品それ自体はもう死者から離れて存在し、自由である。
そして、恣意的ですらある。
作家の意図からも離れて存在している。
作品を所有する者が、こうしてそれぞれの一原作品を持ち寄り、
一堂に並べると、生き残っている人間の内なる一原有徳が語り出すのだ。
それが供養と思う。
死者の一生をひとりで語り尽くすなどと言うことは不可能だから。
こうして明日からここでのささやかな一原有徳展が始る。

*一原有徳追悼展ー11月17日(水)-26日(金)am11時ーpm7時。
 月曜定休:協力かりん舎・中川潤。
 :及川恒平ライブ「まだあたたかい悲しみ」-11月23日(祝)
 午後4時~予約2500円・当日3000円。
*岡部亮展withシミー書房「詩の本と彫刻」-11月30日(火)-12月12日(日)
*野上裕之彫刻展ー12月21日(火)~1月16日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2010-11-16 15:51 | Comments(0)
2010年 11月 15日

最終日の風景ーNovember step(17)

佐佐木方斎展最終日。
かって「美術ノート」に時評を書いていた佐藤真史さんが来る。
川俣正のテトラハウスプロジェクトに唐牛幸史さんたちとも一緒に参加し、
その後美術批評の方で健筆を奮っていた人である。
多分この時の川俣経験によって唐牛さんと同様人生の舵を変えたひとり
なのだ。
しかし今は体調を崩し批評の仕事を止め、教師ひと筋の人生を歩んでいる。
彫刻家の唐牛さんといい、この佐藤さんといい、今こうして佐佐木方斎の
復活に付き合うようにぽつりぽつりと姿を表わして、旧交を暖める風景は、
なんともいえない気がする。
私は、方斎・真史のツーショウットをカメラに収めた。
佐藤さんが帰ってから、夕張美術館の前館長上木和正氏が見える。
先日同美術館の源藤隆一さんの訃報を知らせてくれた人である。
ここに移転してからは初めての来廊で、思わず肩を抱き合い再会を喜ぶ。
ブログ上で一部始終を読んでいて、私の近・現況は詳知しているという。
文章から空間をイメージし、今回はなんとしても見に来ようと真っ直ぐ夕張
から来たという。
佐佐木方斎を上木さんに紹介し、例によって彼の旧作3部作、美術ノート等
を見てもらった。
性急に感想を求めたくもなったが、じっくり丁寧に見てくれるその姿が嬉しく、
そんな気持を背後に押しやってしまったのだ。、
上木さんにしても、新たなテンポラリースペースと佐佐木方斎の画業と
一度に両方の感想を求められてもその時言葉に出来なかったに違いない。
さらに彼の同志ともいうべき源藤隆一さんとの積る想い出話もある。
一段落して奥の談話室でぽつりぽつりと話が深まる。
多くの言葉が胸の奥で反芻する中、それにもかかわらずこの場所の運営
についても、細かな配慮を頂いた。
そしてその会話には、衰退した夕張での苦労の実感が短い言葉の背後に
も篭もっていて、私には心に沁みいる気遣いに感じられた。
同席した短大2年のマルちゃん、活字印刷の酒井さん、歌人の山田航さん
といった若い友人たちとともに、佐佐木方斎展最終日は新旧の魂が集うよう
に、暖かく静かに幕を下ろした。
環境も世代も仕事もまったく違う6人が、最終日の最後を共に過ごし、
振り返ればそこは、とても柔らかくいい時間が流れていたのだ。

*一原有徳追悼展ー11月17日(水)-26日(金)am11時ーpm7時。
 :月曜定休。
*及川恒平ライブ「まだあたたかい悲しみ」-11月23日(祝)午後4時~
 予約2500円・当日3000円。
*岡部亮展withシミー書房「詩の本と彫刻」-11月30日(火)-12月12日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2010-11-15 16:57 | Comments(0)