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2010年 03月 31日

春めく日ー夢界(ゆめさかい)(27)

先入感はなく、その分囚われず、自由に感じたまま体全体を使って
表に表わす。そんな子供のリアリテイー溢れる批評なり、行動を、
時に天才少年の演奏として聞く事もある。
キーシンの13歳の時演奏したショパンのピアノ協奏曲がそうである。
この演奏を聞くまで私はこのショパンの曲が、甘ったるく感じられあまり
好きではなかった。旋律が甘く過剰にロマンテックに聞こえたからである。
しかしキーシンの弾くピアノの音は違った。
前奏のオーケストラの響きが雨雲のように次第に高まり濃くなった時、
突如雨滴の一滴のように、キーシンのピアノの一撃が振り下ろされる。
その後は、流れとなり、渓流となり、伏流水となり、泉となり、海へと向かう
川の流れのように、一気に演奏が続くのである。
この演奏には、大人の感傷的な情緒が排除され、身体全体で弾く子供の
エネルギーが溢れていたように思う。
その結果私のショパン観は、劇的な変化を遂げた。
先日の9歳の少女の名付け行動は、そんな13歳のキーシンの演奏を
思い出させてくれた。
技術的な事は解らないが、キーシン少年の弾くショパンは、身体の自由な
解釈、動きを抜きにその演奏の冴えは語れないと思うのだ。
自然の水の現象そのものを、活き活きと感じさせるその演奏に、
ロマンテイックな思い入れも感情移入もなかったからである。
ただただ少年は音譜が示す音を、全力で体全体を使って演奏していた。
その結果曲の保つ律動、旋律は活き活きと曲本来のリズムで、
雨滴の一滴から、渓流、大河そして母なる海の中へと溶け込んでゆく。
海は陸へと波動し、河は海へと波動する。
そのふたつの波動は違いつつも、やがて一体となりしばし漂う。
アイヌ語でいう<れップ・沖>の感があるのだ。
キーシンはこの時技術的なことはさて置き、本人はきっと楽しかった
に違いないと思う。
楽譜の音の世界のたくさんの入口を見つけ、全身で遊んだのだ。
結果という出口を考える大人と違う世界を、子供は身体の自然として、
保っている。
知力と身体としての自然力、このふたつを表現者そして批評者が喪失した時
批評も表現も片寄ったペダンテイックな一方的な押し付けに片寄る事だろう。

秋元さなえさんが、さらにもうふたつ下に鳥を増やす。
吹き抜け空間の下と上への流れを考えた結果である。
宙に舞う鳥たちが、これで下の太田理美さん、森本めぐみさんの作品と
一体に空間呼応するようになった。
秋元さん本人が結音ちゃんとの付き合い以来、一段と活き活きとしてきた。
きっと少女のエネルギーが、彼女に身体活力を与えてくれたのだろう。

*「触れるー空・地・指」3人展ー秋元さなえ・太田理美・森本めぐみー
 4月4日(日)まで。am11時ーpm7時。
*藤谷康晴展「ANALOG FLIGHT SAPPORO→」
 4月13日(火)-25日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2010-03-31 13:01 | Comments(0)
2010年 03月 30日

名付け親ー夢境(ゆめさかい)(26)

写真家のT氏が愛娘結音ちゃんと一緒に来る。
故斎藤紗貴子さんの個展、高臣大介さん個展、宍戸優香莉さん個展と
もう4度目だろうか。
来る度に大人になっている。8歳から9歳になった。
今回は、秋元さんの鳥に注目し、先ず一羽づつ名前を付け出す。
次に太田さんのみみずにもひとつづつ名前を付け、
森本さんのピーナツの殻と指の素描にも、名前を付け出した。
この間3時間余り、すべての名前を芳名録に記す。
いやはや、子供のエネルギーは凄い。
それぞれ個々の特色を言葉で表わし、記載した。
作品空間で遊びながら、百近い展示物にネーミングした。
父のT氏も半ばあきれながら諦めて、その姿をヴィデオ撮影に収めていた。
最近ではこの9歳の結音ちゃんが、一番熱心な鑑賞者ではないだろうか。
子供がいると、展示会場によっては嫌がり大人しくさせる所もあるようだが、
子供の感受性を大人の枠で推し量ってはならないと思う。
彼等彼女等は、時として大人以上の批評眼を保っている。
それを体で表現する事が多々あるのだ。
毀損したらとか、大人はその時必要以上に気を使う。
美術への世間体である。
しかし子供は、本能的に作品の位置を知っている。
決してそうそう毀損には至らない。
先ず楽しむのだ。その楽しみ方が、彼、彼女等の批評である。
今回のように知っている言葉の凡てを動員して名付けるというのは、
ある意味鋭い批評でもあり、彼、彼女等の直感的作品評価なのだ。

秋元さんの鳥の名前一例 ハン、ミエネ、キレイ・・。
太田さんのみみずの名前一例 うね、ふう、ぴう・・
森本さんの指とピーナッの殻の名前の一例 くろピー、モロピー、ふぴ・・。

この調子で百個近くのネーミングが完成した。
昨年10月末初めてここへ来た時は風船に吊らした写真展で、その作者
斎藤紗貴子さんが今年1月不慮の死を遂げた時には、その事を聞いて
泣いてくれたという。
ただ遊んでいた訳ではないのだ。
きちっと作家を覚えていて、作品と共に見ていてくれたのである。
こうした子供の感性を締め出し、押さえつけるようなアートなどは
大人の自慰めでしかない。
そんなエネルギーに満ちた感想を与えてくれた結音ちゃんが帰った後、
秋元さんと顔を見合わせ思わず、う~ん疲れたねと、ふたりで呟いたのだ。

*「触れるー空・地・指」3人展ー秋元さなえ・太田理美・森本めぐみー
 4月4日(日)まで。am11時ーpm7時:月曜定休。
*藤谷康晴展「ANALOG FLIGHT SAPPORO→」
 4月13日(火)-25日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2010-03-30 14:33 | Comments(5)
2010年 03月 28日

出立の季節ー夢境(ゆめさかい)(25)

先日琴似川沿いを一緒に歩いたYさんが来る。
文月悠光さんと待ち合わせという。
程なく明後日東京へ発つ文月さんが見える。
小説を書いているという大塚軟膏くんと一緒だ。
学校は違うが、ともに有島武郎賞を受賞した仲だという。
Yさんは同年代の文月さんに興味があり、今日初めてご対面。
ふたりは上の吹き抜けベンチに腰掛け、なにやら話し込んでいる。
私は初対面の軟膏くんと奥で話す。
4月から東京に進学で、仏教哲学を専攻したいという彼の話を聞いた。
仏教といっても、僧侶になりたい訳ではない。
漱石とか近代の基底となった哲学を確かめたいらしい。
「則天去私」という漱石の言葉の意味などを話す。
話していて段々持論の近代論に熱が入った。
見ると軟膏くんの顔が紅潮している。
意外と心動かされていたようだ。
こうして10代後半の人たちが、今の大人たちよりはるかに基本的で
本質的な根っ子の問題に興味を保っている事に、勇気を貰う。
自らの際(きわ)さえ見えないブンカおとなが多い中、彼らの視線は
もっと目先の現象を超えて、余程大人の視座にある。
軟膏くんが下宿するという立川市、その奥多摩地方の話をする。
羽村市のまいまいず井戸、福生市と書いてフッサ市と読むアイヌ語との交感。
横浜へと続く絹の道、そこに渦巻いた自由民権運動の嵐。
さらには北村透谷の話、横田基地と吉増剛造と話題は続いた。
4月から住む奥多摩地方への視軸を、東京繁華街に吸い取られないように
彼の志向する近代との関係性を思ったからだ。
翌日マイミク申し込みのメッセージが届く。
現代短歌の山田航さんといい、軟膏くんといい、硬派の男が出てきて、
いいインスパイアーを貰う。

今日次回展示の藤谷康晴さんが来る。
ここでの展示の後、大阪AD&Aギヤラリーで個展という。
気合が入っている。
この時は大阪まで行かねばなるまい。
昨年1月のドイツ谷口顕一郎展以来の訪問となる。
あの時以来彼地のスタッフと会うのも楽しみだ。

*「触れるー空・地・指」3人展ー秋元さなえ・太田理美・森本めぐみー
 3月23日(火)-4月4日(日)am11時ーpm7時:月曜定休。
*藤谷康晴展「ANALOG FLIGHT SAPPORO→」
 4月13日(火)-25日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2010-03-28 14:25 | Comments(0)
2010年 03月 27日

一生(所)懸命ー夢境(ゆめさかい)(24)

「一生のお願い」という一文を、文月悠光さんが過日道新の夕刊に寄稿していた。
友人の女の子に”一生のお願い”と頼まれて”いいよ”と頷いてしまう自分を
振り返り、彼女は呟く。(あの子のように、私も”一生のお願い”ができたら
いいのに)。

 自ら”一生のお願い”を発すること。それは本当に生涯にたった一度あるべき
 で、「いつ願うか」に固執してしまうと、私は結局それを言い出せなかった。

”一生のお願い”を多発する現在というのは、ただ単に女の子の問題だけ
ではない気がする。
<一生>どころか、<多生>のバーチアルな現実がゴロゴロしているから。
<一生>という言葉に触発されて、<一生懸命>という言葉も思い出した。
普通は一生と書くけれど、時に一所懸命とも発音する気がする。
この一所も今は多所の感があり、その分バーチアルな現実が
先行している気がする。
”一生”とか”一所”の<一>が多岐化し多発的にあるかの如き
バーチアルな薄く軽いリアリテイーこそ自問し、疑うべきなのだ。

先日バッハ作曲の演奏を何曲かある人に聞かせたら、
こんなにも多くのバッハ演奏があるのかと、感心された。
それを聞いてふっと思った。
生涯宮廷音楽師として生きたバッハは、言ってしまえば
一所を一生、生きた人である。
現在のような世界のグローバルな広がりの中を生きた訳ではない。
にもかかわらず、この多種多様な演奏者の広がりは何なのだろう。
それは作品の保つ力の広がりである。
時代を超え、民族を超え、類として作品は個に開く。
バッハが生きた環境に現在のような多所も多生もなく、
ひとりの人間として、一生懸命と一所懸命を生きたのだ。
その一生懸命と一所懸命の<一>が、本質的広がりを保つ。
この<一>の垂直軸を現在という時代は、拡散・忘却・消去していないのか。
文月さんが多発する友人の”一生のお願い”に対し、<それは本当に生涯に
たった一度あるべきで、「いつ願うか」に固執してしまうと、私は結局それを言
い出せなかった。>と記している事に、なにか救いのようなものを感じていた。
<一生・一所>に命を懸ける真摯な垂直軸を怠り、<多生・多所>があたかも
全能で可能であるかの如く、国際化やグローバル化が横行する現在を、
この18歳の少女の文章は、見事に自らの身近な日常環境の中でその虚偽・
幻想を見切っている。
一所に一生の命懸けて生き抜こうとしない、バーチアルリアリテイーに
呑み込まれた現実の大人たちの文化意識と比して、である。

*「触れるー空・地・指」3人展ー秋元さなえ・太田理美・森本めぐみー
 3月23日(火)-4月4日(日)am11時ーpm7時:月曜定休。
*藤谷康晴展「ANALOG FLIGHT SAPPORO→」
 4月13日(火)-25日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2010-03-27 15:23 | Comments(0)
2010年 03月 26日

論客ふたりー夢境(ゆめさかい)(23)

立体切り絵のSさんとコトリさんは初めて会ったにも拘わらず、
共通の友人が偶然にいて、昼から話が弾んでいた。
そこへ歌人の山田航さんが来る。
名刺代わりにSさんが赤い海老の切り絵を切り、山田さんに渡した。
山田さんは吃驚して喜んでいた。
コトリさんとSさんが帰った後、詩人の高橋秀明さんが来る。
今日ここで会う約束のふたりである。
現代詩人の論客と、現代短歌人の論客が初めて会う。
話は最初ぎこちなく高橋さんの山田さんへの質問という感じで始った。
少し緊張ぎみの山田さんが、ぽつりぽつりと応える。
世代でいうと親子程も違うのだが、同時代の視線はその年齢差に関り無く
話は進む。
ふたりが会うことになる切っ掛けは、山田さんの新聞寄稿の文章を高橋さん
に私が見せた事から始る。
高橋さんはこれを読んですぐ、山田さんに会いたいと言い出したのだ。
今私が友人として最も信頼している硬派の詩人高橋秀明は、
今から10年程前すべての役職を捨てた後、一冊の詩集を出す。
「言葉の河」というこの詩集は、翌年先鋭な批評精神を保つ詩人に贈られる
小野十三郎賞を受賞する。
現代詩の賞の中でも、H氏賞や中原中也賞とはまた一味違う賞である。
高い批評精神を保つ硬質な詩人が受ける賞なのだ。
また現代短歌の短歌評論賞と角川短歌賞のふたつを昨年同時受賞した
山田航さんも、優れて批評力ある硬派の歌人である。
このふたりがこうして相見えるのは、なかなか心強い事である。
この出会いから、何事かが静かに船出を始める。
批評を軸として、本質的なものへの視線が同時代の視線として
手綱を取る行動が始ればいい。
最初ぎこちなかった会話も次第に滑らかになる。
世代の違いも互いの相違が、ある種の敬意に代わる。
傍にいて、そんな気がした。
高橋さんに詩集「言葉の河」を贈られて、山田さんは嬉しそうだった。
すぐには中を読まない様子に、その感謝が表れていた。
これはきっと、家に帰ってからじっくりと頁を捲るに相違ないからだ。

短歌とか詩とかジャンルの問題ではなく、美術も含めて本質的な
論を試みるべき時なのだ。
その本質論への視線なくして、表層的アートごっこはもういい。
群れたり、デザイン的衣装に走ったり、自らの際(きわ)も弁えず、
物質主義のグローバル化に流される国際化風潮に歯止めをかけ、
生きている場と時代に真正面から向き合う哲学が必要な時代である。
出品者数だけを誇示するかのような、群れた陳列展を国際展の予備軍
化するかの如き閉じた文化状況は打破されなければならない。
個の垂直軸を鍛えなおさなければならない。
かって吉本隆明が喝破した<もっと深く絶望せよ>という寸言は今も
状況として変わらないのだ。
ふたりの優れた論客の出会いが、さらなる波動へと深まる事を
私は私なりにこの場を通底して熱く地熱たらんと思う。

閉廊近く太田理美さんが来る。
展示の見直しを本気に考えてきたようだ。
地に這うみみずの配置が明日までには変化するだろう。
夜太田さんをひとりにして帰宅する。

*「空・地・指」3人展ー秋元さなえ・太田理美・森本めぐみー
 3月23日(火)-4月4日(日)am11時ーpm7時:月曜定休。
*藤谷康晴展「ANALOG FLIGHT SAPPORO→」
 4月13日(火)-25日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2010-03-26 12:35 | Comments(0)
2010年 03月 25日

届いた品々ー夢境(ゆめさかい)(22)

朝、玄関シャッターの前になにやら紙包み。
中を見ると、珈琲と思しき粉の袋とポスターがある。
内に入りゆっくり見ると、紅茶だった。
先週ニューヨークを訪れたM夫人のお土産のようだ。
紅茶はニューヨーク在住の中岡りえさんからのお土産。
ポスターはM夫人のお土産という事らしい。
程なく電話が鳴り、朝早く前を通ったので置いておいたと連絡がある。
昨日歌人の糸田ともよさんから、予約した及川恒平さんの新しいCD
「地下書店」が届く。
謹呈という文字がある。恐縮である。
近く、遠く、この作品の現場には立ち会ってきた。
まあ、自分ではその積りだったが、あらためて一枚のCDとなって
私なりの感慨もある。
その事をどこかで覚えていてくれたようで、正直嬉しかった。
現在地に引っ越す前からなので、5年弱の歳月がこの一枚のCDに
流れている。
早速聞いてみた。
前半は生硬な感じがする。詩と声の間が開いている。
後半ピアノのウオン・ウインツアンさんが入ると、俄然声と詩が
滑らかに流れる。
同じ「水のカノン」という曲が、最初と最後に2回収録されているが、
この違いにそれが顕著だ。
録音した場所も違うのだろうか、一方に音の隙間がない。
ウオン・ウインツアンさんのピアノの流れに身を任して、
声が伸びやかに流れている。
及川さんは、何かに身を任してこそ本領が出る。
前半は自らが演奏し、唄い、詩を咀嚼しと、気が立っている感がある。
ライブで聞いていた時の「地下書店」の緩い倦怠、アンニュイが消えている。
まあまだ一度の感想なので、もっと聞いてみなければ正確ではない。
ただ及川恒平の世界が、北の何かに新たに触れているのだけは確かである。
このCDに言葉を提供した糸田ともよさん自身の感想は、どうなのだろう。
8年前に出版された処女歌集が、こうして今別の形で甦り、糸田さん自身は
感無量という事ではあるのだろうが。
この歌集の解説に亡くなった菱川善夫が優れた一文を寄せていた。
その末尾は次のような言葉で終っていた。

 ・・・そして帰ってこい。「どこを切っても血を噴く詩」を満載させてー。

歌人糸田ともよと声の歌人及川恒平のコラボレーシヨンは、
この菱川善夫の呼びかけにどう応えていたのだろうか。

*「触れるー空・地・指」3人展ー秋元さなえ・太田理美・森本めぐみー
 3月23日(火)-4月4日(日)am11時ーpm7時:月曜定休・休廊。
*藤谷康晴展「ANALPG FLIGHT SAPPORO→」
 4月13日(火)-25日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2010-03-25 12:46 | Comments(0)
2010年 03月 24日

冬晴れー夢界(ゆめさかい)(21)

寒気強く、快晴。
空・地・指ー空・知・指。
指先が冷たい。
指が透き通り、空抜ける。
足が伸びて、石狩の端まで歩いて行けそう。
後志との境、十勝との境、空知との境。
身体が境を欲している。
石狩が立ち上がる。
境(さかい)の際(きわ)が、活き活きすること。
際(きわ)が希薄で、如何に国際(くにぎわ)が立ち得るか。
境(さかい)は違いに閉じず、外を開く。

「触れるー空・地・指」3人展初日。
前回展示の宍戸さんが、ゆっくりと見ていった。
3人それぞれの世界、ひとつづつに向き合い、吹き抜け2階回廊床に
腰を下ろして、足をぶらぶら宙に浮かせる。
鳥が飛び、白いミミズの曲線が床を這い、落花生の殻を抓む指が
壁を埋めている。
空間がちょうど一体に見える場所だ。
自分の個展終了後初めて訪れ、その空間の違いを楽しんでいるようだ。
ふと思い立って、Wong Wing Tsanさんの「Jiuzhaigou valley」を
流す。澄んだ清流と湖沼の水の旋律が空間に流れる。
音が光と融けあって3人の視座の岸辺を波打つようだ。
この曲合いますねえと、宍戸さんが言う。
そうか、3人に視線にもうひとつ不足していたものは、流れる水だったのだ。
岩見沢の街外れ、埋め立てられた川、ト・ネ・ペッを思い出す。
沼のような川の意とアイヌ語でいう。
もともと緩やかな丘陵地帯で、川も沼のように緩やかに流れていたのだろう。
その川も埋め立てられ見えない川となっている。
その欠けた風景を、音楽が補っているのかも知れない。
そういえば、川と水への視座が、今回の3人の視座には欠けている。
その水の視座に一番近い太田理美さんのみみずの造型は、土と水の
保有量が不足している。
さらに作品を創っているらしい太田さんのこれからで、この展覧会は
さらに深化するだろう。

*「触れるー空・地・指」3人展ー秋元さなえ・太田理美・森本めぐみー
 3月23日(火)-4月4日(日)am11時ーpm7時:月曜定休。休廊。
*藤谷康晴展「ANALOG FLIGHT SAPPORO→」
 4月13日(火)-25日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2010-03-24 14:05 | Comments(0)
2010年 03月 23日

空・地・指ー夢界(ゆめさかい)(20)

宙(そら)に鳥を植え、床にミミズの胴体を植える。
そして壁には、落花生を抓(つま)む指の素描が並んでいる。
「触れるー空・地・指」3人展。
誰が抜けてもこの空間のバランスは崩れることだろう。
石狩平野の内陸、空知地方との界(さかい)のような
岩見沢で暮らす3人の触れた天地である。
空を舞うトンビを見詰めていた秋元さなえ、地を這うミミズを見詰めていた太田
理美、落花生を抓む指先を見詰める森本めぐみ。
3人3様の屈託ない日常がここにはある。
江別、恵庭、札幌それぞれの出身地を出て、
空知と石狩の境で触れた日常の片々。その小さな回路に触れる世界。
空の鳥への視線、地を這うミミズへの視線、自分の指先への視線。
それらが個々である時は、ただバラバラに日常の周辺を彷徨っている。
しかしそれらが<触れる>として意識化される時、外界は固有の回路とも
なって個々の内面を映し出す。
3っの視線が束になって、不確かではあるがある身体性を保ってくる。
その身体性の内に3人の住む場処がぼんやりと姿を見せる、
江別でもない、恵庭でもない、札幌でもない場処。
世界はまだ触れる範囲で、内側の世界には充分に相渉っていない。
ただ3人がひとつの空間を共有した時、触れる世界は確実に広がってくる。
鬱屈して閉じる個の遮断機は、そのままに閉じる事がないからだ。
これから続く会期の時間の中で、3っの視線は交錯しつつ、
新たな何かに触れてゆく。
それが社会へ向かう契機となるのか、北の自然の内への目覚めとなるのか。
まだ始ったばかりの3っの感性の触覚が、遅い春の野のように萌え出ている。

*「触れるー空・地・指」展-秋元さなえ・太田理美・森本めぐみー
 3月23日(火)-4月4日(日)am11時ーpm7時:月曜定休・休廊。
*藤谷康晴展「ANALOG FLIGHT SAPPORO→」
 4月13日(火)-25日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2010-03-23 11:55 | Comments(0)
2010年 03月 22日

嵐の日ー夢境(ゆめさかい)(19)

昨夜来の暴風が少し去り、青空がのぞく。
昼前家を出る。
今日は休廊日だが、最後の展示作業に立ち会う為出廊。
日が高くなっている。
自分の影が身体近くに路面に映り、銅像のようだ。
真冬、陽光はもう少し影が長く前に伸びていた。
私のスフインクス頭が、今日は銅像頭である。
確実に冬は過ぎようとしている。
瞬間風速33mと今朝の新聞は報じていた。
春一番の嵐なのかもしれない。

及川恒平さんの4年越しのCD「地下書店」が発売されると知る。
糸田ともよさんの歌集「水の列車」に触発されるように、歌曲を創り、
新たな及川恒平ワールドを創ってきた。
北への視軸、その発露が声に詩に、旋律に生きている。
遠い時間を経た北への往還でもある。
空知で生まれ、釧路で育った及川恒平の自己発見の旅でもある。
東京の大学時代にすでにフォークブームに乗り、プロの道を歩んで
来た及川恒平が、4,5年前から札幌を中心に北回帰を試みた。
その中心にあったのが、札幌在住の歌人糸田ともよの歌集「水の列車」
との出会いである。
このたった一冊の歌集との出会いが、その後4,5年かけた今回のCD
に凝縮されている。
糸田の短歌をベースに歌詞は縦横に組替えられ、その声、メロデイー
は原作とは異なる、及川恒平自身の世界を歌い上げている。
糸田の短歌が保つ都市の中の暗い殺意、女性の保つ懐剣のような
ギラリとした精神性は、本来の及川恒平の世界には希少なものだ。
そのギラリとしたある種の都市性を、及川恒平は自らの歌に取り入れて
いる。その代表的な曲が、今回発売されるCDのタイトルともなっている
「地下書店」である。
 
 たそがれの地下書店に一通のメールが届く

と始るこの唄の感覚は従来の及川恒平の世界には希薄だったものである。
透明で澄んだ生来の声質には無かった、都会の翳のようなもの、時として
殺意のようにも感じられる刃の翳、陰影が、澄んだその声に宿る。
これは詩が保つ言葉の力でもあると思える。
まだ出来上がったCD自体を聞いているわけではないので、CD全体の
感想ではないが、今まで聞いてきたライブでの感想である。
ともあれこうしてひとつの作品が、札幌で完成した事は嬉しい事だ。

3人の展示はいよいよ大詰め。
まるでとび職人のように、秋元さんが梁を伝い鳥を吊らしている。
本人自身が鳥のようになっている。
森本さんは黙々と、最後の一枚を仕上げている。
太田さんはまだ、自宅でみみずの形を作っているようだ。
3人3様の展示姿勢が、それぞれに表れて夕刻には完了するだろう。


*「触れるー天・地・指」展ー秋元さなえ・太田理美・森本めぐみー
 3月23日(火)-4月4日(日):月曜定休・休廊。
*藤谷康晴展「ANALOG FLIGHT Sapporo→」
 4月13日(火)ー25日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2010-03-22 15:21 | Comments(0)
2010年 03月 21日

熱い風ー夢界(ゆめさかい)(18)

先日送信した3人展「触れるー空・地・指」展の案内の反響が
ひとつ、ふたつと来る。

 北からなにか熱い風が吹いてくるようです。
 <触れる>というのは素適なテーマですね。
 沖縄の親友に「拳(て)の中の風」ということばを習ったことがあります。
 今、深夜の東京は春一番の突風が吹いています。

映像作家の石田尚志さんからの便りである。
こちらも春一番のような、生暖かい強風が昨夜から吹く。
時折雪も混じって斜めに吹く。
秋元さんが吹き抜けに板を渡し、鳥の展示に余念がない。
糸で吊らした紙の鳥が、宙に幾羽も舞う。
下の壁には30余枚の森本さんのピーナッを掴む指が並ぶ。
ミミズのような太田さんの造型が、床を這う。
3人3様の外界への視座が、有機的に混じり合って来た。
<触れる>それぞれの視座である。
この3っの視座が交錯する処に、何が見えてくるのか。
それが今回のテーマである。
空知と石狩の内陸の境。その天地が3人の視線の先に顕われる。
内の眼線が外在化して、3つの交点を結ぶ。
その凝縮した緊張感が空間に宿れば、この3人展はある意味で
成功と思う。
それぞれの内側に篭っていた外界への渇きが、それぞれの共通
のものとして対自化されるからである。
篭っているだけでは表現に至らない。
卒業まで後一年余。
彼女たちの岩見沢世界が外在化し、空間にさらされる。
その後はまた、個々の生活が個々に始るのだ。
<触れる>とは、外化すると同時に内化する感覚の往還の謂でもある。

昨年暮目黒で意気投合した多摩美大の鈴木余位さんは、3人とほぼ
同世代の人である。
その鈴木さんが燃えて、札幌に来るらしい。

 鈴木余位君は、札幌での行動(坑道)を真剣に考えています。
 しばしお待ち下さい。
 熱い男です。テンポラリーで必ずいい風を作ります。
 本当に楽しみです。

石田さんの便りはこう結ばれていた。
鈴木さんと今回の3人の出会いもまた楽しみである。
初めて札幌に来る他国の風を、3人もしっかと受け止めて返して欲しい。
私は目黒でこちらの風を届けてきたから。
その応えの風を今度は、3人で受け止め、返して欲しいのだ。

*「触れるー空・地・指」ー秋元さなえ・太田理美・森本めぐみー展
 3月23日(火)-4月4日(日)
 am11時ーpm7時:月曜定休・休廊。
*藤谷康晴展「ANALOG FLIGHTーSapporo→」
 4月13日(火)-25日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2010-03-21 15:15 | Comments(0)