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2009年 11月 29日

鈴木悠哉展最終日ーkind of blue(23)

毎日鈴木悠哉さんの作品を見ていて、少しづつ印象が変わる。
ある人が2階に上がり、洩らした言葉がきっかけである。
砲弾のように見えるとその人は言った。
床面に置かれた紙粘土で固めた句読点のような立体の事である。
この表面に出た先の下には、さらに埋まっている存在がある。
そう、その人は感じたのだろう。
浮遊する浮遊植物の根のように思っていたのだが、その言葉を聞いて、
私の感じ方も変ってきたのだ。
彼には、福島の農民の根がある。
この会場は彼の畑でもあると、その時感じたのだ。
そうすると2階会場の作品群の見え方も変わってきた。
ジュンサイの芽のように、透明な膜で包まれた作品たちが、
作家の大切な苗のようにあるからだ。
柔らかな地雷原。
吹き抜けから見下ろした風景がそのようにも見えてきた。
浮遊する心の風景が、都市の空洞に種子を空爆する爆弾のように投下
して、この作品空間はあるのかも知れない。
現代の都市を浮遊する彼の農民魂は、時に凶器の陰を翳(かざ)して
幻の畑に恋しているのかも知れない。
3日間の展示作業を終えた後の、作家の何ともいえない初日の表情を
思い出している。
あれは作家というよりも、農民の己の畑に対するエゴの表情である。
何よりも耕した畑への強い愛着と、他者への排他的な守護の表情だった
ように思えるからだ。
この事を彼は意識的に修正しつつ、なるべく今は触らないように心掛けて
いるかに見える。
私のような都市ッ子にはない、執着を感じるからである。
しかし展覧会とは、そうしたエゴから外界に作品を解き放つ時空である。
その事を作家も理性的には、納得しようとしている。
しかし心底では、己の畑への濃い執着がある。
その心の動きが、最終日の今日まで感じられてならない。
作家の出自で作品を解釈し結論付ける気は毛頭ない。
しかしどうしようもなく出自するなにかは、あるのだ。
優れて農民である事を、自らの生まれ育った風土として、この植民地都市
たる札幌という都会で、顕在化する事は何ら恥じるべき事ではない。
実際に彼の生家が農の職業であるかどうかは不知である。
ただ彼が福島から札幌に出てきて、ぽつりと自らを語った時の言葉が、
その言葉だったからでもあり、私が違和として感じていた肌合いがそうだ
ったからである。
東北といえども津軽、南部、会津、伊達とそれぞれの地域が濃いのだ。
北海道や特に札幌にはない濃さがある。
その相違の発見から、何事かが始る。
旅をしたり故郷を離れるという事は、そういう事の発見にこそ意味がある。
鈴木悠哉さんは今初めて、自らの出自も含めて自己表現の端緒にいると
私は思う。
浮遊する現代社会のなかで、東北とは、福島とは何か。
自らの心の大地に、幻の耕作地を幻想農園のように、凶々たる殺意も含めて
耕作した個展であると思う。
これは今流行りの遊びのマイアプリ農園ではない。
都市に対し内なる郷土の凶器を潜めた、真剣な農園なのだ。

*鈴木悠哉展「トレモロ」-11月29日(日)午後7時まで。
*森本めぐみ展「くものお」-12月15日(火)-1月13日(水)
 12月31日ー1月4日まで休廊:月曜定休日。
*12月1日ー14日まで東京出張・作家展示で休廊。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2009-11-29 13:35 | Comments(0)
2009年 11月 28日

「撓む指は羽根」の再生ーkind of blue(22)

ジャズドラマーの有山睦さんから、メールが届く。
今月30日のライブで、ムラギシの遺作「撓む指は羽根」をアレンジした
曲を演奏するという。
ジャンルも違う、世代も違う。一度も面識もないふたりだ。
遺作集に収められたムラギシのCDをいつも聞いているという有山さん。
そこで交感した何かが、今回のモダンジャズ演奏で再現される。
これは行かねばなるまい。
死者とは当初、社会的に先ず非日常の時間に棚上げされ、さらに
社会的儀式に格上げされ、振り分けられる。
一般的な葬儀の儀式の手順がそうである。
この死者が非日常に棚上げされた時には、さまざまな現生の欲が
渦巻く。純粋に死者を悼む気持ちとは別の動機が、顕在化するからだ。
いちばん顕著なのは、葬儀屋さんの経済行為がそれだ。
非日常化した死というある特権的な時間は、葬儀のランク付けという
社会的な実務に変わるからである。
さらに死者の保つドラマ性によっては、社会的影響力として利用される事も
ある。商業主義が入り、その有名性への便乗もある。
しかしそれらは、多分に一過性の集(たか)りのようなもので、時が経つと
消え去るものだ。
しかし真に死者を追悼する気持ちは、時間の経過とともにさらに深く浸透す
るものである。
水が深く地中に浸透するように、人が他者を悼む気持ちはむしろ
時間の経過ともにさらに純化する。
村岸宏昭がムラギシへと結晶化する過程がそういう時間であったと思う。
その結晶を形として世に出したものが、有山睦さんが共感し感銘して
くれた一冊の追悼作品集なのだ。
3年を超える月日が生んだ死者の、これはある結晶なのだ。
その結晶体が様々な光を反射して、今新たな展開を生んでいる。
この時死者は、もう閉じた存在ではない。
開かれた同時代の存在なのだ。
ひとりの人間の死とは、それくらい重いものでもある。
ひとり村岸宏昭だけではない。人それぞれの差異はあっても
誰もがそうした想いで、何人かの死者と向き合っている。
それが個人の記憶の中だけであったとしても、同様である。
過ぎ去った時間もまた同じである。
現代は、今という一瞬で過去を切り捨て、捨象し過ぎてはいないか。
大きくスタンスをとれば、近代に対する現代もそうである。
易々と近代を捨象する軽薄な現代があるからだ。
過ぎ去った近代を、新旧のブンベツで振り分けし、懐古で棚上げし、
レトロで格上げしてはいないか。
それらに集(たか)る愚を演じてはいないか。
今という時間の保水力を、薄っぺらな乾燥した時間に短絡してはいないか。
大地の乾燥化が進むように、時間の大地も乾燥化してはいないか。
ムラギシの死後3年余。
有山さんからの伝言はそうした危惧を和らげ、勇気づけてくれる
嬉しい便りでもあったのだ。

*鈴木悠哉展「トレモロ」-11月29日(日)まで。
 am11時ーpm7時
*Chamber music ライブー11月30日午後8時~ジェリコ(中・南3
 西3サンスリービル地下・チャージ1500円)
 須田(sax)小板橋(piano)秦野(bass)有山8drums)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2009-11-28 13:19 | Comments(0)
2009年 11月 27日

帽子のことーkind of blue(21)

若い美術家のMさんは20歳を越えているのだが、
会った当初小学生に見えた。その次に会った時は、中学生。
その後段々会う度に実年齢に近付いてきた。
最近は大人の女性に見えている。
何度か初対面のような話し方をして、怪訝な顔をされた。
高校生のFさんもそうである。制服の時と私服では感じが違う。
これは女性だけかと思ったが、そうでもない。
私がふたりを案内して円山・界川界隈を歩いた時、待ち合わせ場所で
目の前にいる私を、ふたりは気づかなかったからだ。
山歩き用に軽装だったこともあるが、きっと決定的に印象が違ったのは
帽子の所為である。
友人のKが沖縄行きの為に選んでくれた帽子である。
ORというメーカーのアウトドアー用のもので、軽くて丈夫で大変良い。
それと、陽射しの強い沖縄の為に用意したレイバンのサングラスがある。
この時はサングラスはかけていないので、ふたりが見間違えたのは
もっぱら帽子の所為だ。
その後も雨の日、寒い日とか帽子を被って歩き、M宅を訪れた時も
偶然居合わせた中岡りえさんが、別人を見る顔をした。
変なおじさん、危険、キケンと憎まれ口を後でたたかれたが、その後
Sさんは、素適な帽子ねと、言ってくれた。
男ですら帽子ひとつで印象が変わるのだから、女性においては
言わずもがな、である。
他者の眼というものは、時に当人の気付かない視線がある。
今、盛んに喧伝されている国際美術展とかも、そうした他国の他者の眼を
充分に意識化する事が大切と思われる。
昨日書いた山田秀三さんの眼もまた、他国の眼である。
私が十勝や岩見沢に感じた眼もまた、旅人の他国の眼である。
小樽運河保存の口火もまた、そうした他国の旅人の眼であったと聞く。
地元住民は、ヘドロ臭い運河を埋め立てる事に当初賛成だったという。
人間は俯瞰する眼もまた持っている。
目の前を注視する近視眼的視野と同時に、全体を見通す俯瞰の視野も
必要である。
すると世界は新鮮な新しいものとして、時として別物になるのだ。
札幌・石狩国もそうした視野から、再度再構築するthe republic of 
石狩LANDの視野が必要である。
Republicとは、通常共和国と訳すが、辞書を見ると、「界」の意味ももつ。
<界>としての俯瞰した札幌・石狩の視座を保たずして、札幌の再生は
ない。
パブリックワーク(公共事業)の土木事業のインフラに、文化ならぬ分化事業
的に参入する事が、あたかもパブリック(公共)アート(芸術)であるかのよう
に思える。
開拓基地として建設された札幌という植民地都市を、根本からReーpublic
する視座なくして、札幌は再生され得ない。
この時他者の、他国の眼が大事である。
自ら発見、再発見の喜びを持たずして、どうして他国の人を感動させ得るのか。
明治の初めから今に至るまで、此処は計画的な都市改造のそのもので造られ
た街だからである。

 北海道とは、それ自体が本州の郊外に建設された巨大なニュータウンなの
 だ。>(山田航)

という’83年生の若い感性の認識を、私は心強く信頼するものだ。
そのニュータウンの中心にあるのが、再開発を繰り返しつづける道都札幌である。
道都という名に溺れ、札幌自体がさっぽろを見失っている。
一本の春楡(エルム)さえ守れず、インフラ土木事業に分化参入するブンカ屋
から、如何なる国際的視点も生まれよう筈がないのは、自明の理である。
エルムの都と呼ばれたかっての美しい近代札幌再生こそが、唯一我々にでき
得る文化の行為である。
the republic of 札幌&石狩。そして<the repulic of 北海道>を、
そう思う。
帽子ひとつのような変貌ではなく、春楡の根の触れる土壌のような
根本的なRevolution(命、革める)、Re(再び))の生が、必要である。

*鈴木悠哉展「トレモロ」-11月29日(日)まで。
 am11時ーpm7時
*森本めぐみ展「くものお」ー12月15日(日)-1月13日(日)
 (12月31日ー1月4日休廊):月曜定休。
*12月1日ー14日まで展示と東京出張で休廊。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2009-11-27 13:35 | Comments(0)
2009年 11月 26日

「春楡の茂る札幌」ーkind of blue(20)

今は亡き山田秀三さんのエッセイに、「春楡の茂る札幌」と題する
美しい文章がある。

 木の葉が落ちて、雪の降る札幌の情緒も好きだが、春、夏、秋と、
 街の春楡の梢に葉の茂る札幌は何ともいえなく好きだ。・・・
 元来地下水位の高いところを好む木だそうで、札幌扇状地の終わりの
 ところ、つまり大通りから北には、至るところにメム(泉池)があり、その周辺
 に特に群生していたという。・・・
 アイヌ語の名はチキサニ。単語に分解するとチ・キサ・ニ(我ら・こする・木)
 となる。古くは春楡の木片をこすって火を作ったところから出た名だという。
 本州の檜(ひの木、火の木)に対応する名であった。・・・
 大通りの大木はだいたいこの木であったが、最近は駅前通りもチキサニの
 並木になった。・・・ときどき戻って来て、この聖樹の並木が育ってきた姿を見
 て、 ああ、札幌はいいなと思うのだった。
 もっともっと、春楡の茂る札幌にしてほしい。
                        (「アイヌ語地名を歩く」北海道新聞刊)

昭和60年前後に書かれたこの文章を読んで、東京生れの見事な江戸弁を
使う白髪のお顔を思い出していた。一度だけ講演を聞いた事がある。
明治生まれの真っ直ぐなお人柄と、その真摯なアイヌ語地名のフィールドワー
クの著書は、札幌生れの私には正に目から鱗の札幌再発見のきっかけとなっ
たのだ。
他国生れの人の眼が、時に地元に住む人間に、未知なる新鮮なものを提示
してくれる。そういう正当なる旅人の眼というものがあるのだ。
この本の冒頭に山田秀三さんは書いている。

 札幌という名が好きだ。初めは街がいいからだと思っていたのだが、
 このごろになって考えると、札幌という音の響きの美しさに魅せられた
 のも一つの原因だったらしい。
                    (「札幌という美しい名」ー同上所収)

山田さんの遺された「アイヌ語地名研究」全巻は、今も我々の自らの生きて
いる場所を知る上で大切な導きの書として、貴重な労作である。
そしてなによりも引用文章に見られる、柔らかで優しい憧憬の感性がいい。
札幌という近代都市は、西洋への憧れ、本州(内地)への憧れ、そしてまた
山田秀三さんに見られるような先住民族アイヌの世界観への憧れと、正に
近代が保つすべての世界への憧憬によって成立した都市とも思えるのだ。

憧憬とは何か。
それは、人間が人間たるいちばん優れて精神的な所為ではないのか。
その精神的憧憬の行為によって、世界は開き創られるのである。
<ランド>としてのこの憧憬の再生こそが、今私たちに与えられた仕事で
はないのか。
札幌リパブリック、そんな勇気を山田さんの文章は今もなお、
与え続けてくれているような気がする。
札幌駅と大通りを繋ぐ大規模な地下通路を造り、<芸術広場>にするという
記事が昨日の道新朝刊一面に載っていた。
地上には春楡ならぬオオバボタイジュを植えるともいう。
その理由は根が地下に広がりにくいからと記されていた。
もしも今山田秀三さんが生きていてこの記事を読んだなら何と言うだろう。
<地下水位の高いところを好む木>である春楡の土壌を破壊して、
札幌は何処に行くのか。

 大昔、春楡姫が天上から降ってアイヌの国に火を伝えた。
 後に天から降られた神が春楡と愛を語らい、生まれたのがアイオイカムイで、
 アイヌに生活文化を教えた創成神であるという。
                               (「春楡の茂る札幌」から)

生活文化の創成神は、春楡(エルム)とともにあったのだ。
そこを破壊する事に加担して、<ブンカ>とはなんなのか。
春楡を喪失続けているサッポロよ、何処へ行く?

*鈴木悠哉展「トレモロ」-11月29日(日)まで。
 am11時ーpm7時

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503


                              
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by kakiten | 2009-11-26 13:17 | Comments(0)
2009年 11月 25日

岩見沢再考ーkind of blue(19)

岩見沢の位置は、空知と石狩の境にある。
岩見沢の地名を調べてみた。
ここは開拓時代から交通の要衝であったらしい。

 明治15年(三笠市に)開拓使が開拓の為集治監を設置し、その折同監に通う
 人達が一棟の休憩処を利用して湯に入り疲れをいやした浴沢(ゆあみざわ)
 から変化して今日のように呼称されるに至った・・。
                              (「行政区画便覧」)

街外れの埋め立てられた川跡は、とねべつ川(ト・ネ・ペツー沼のような川)。
これでみると、緩やかな丘陵地帯で、川も沼のように穏やかに流れた場所
のようで、歩いた印象と合致する。
それは休息所としてあったという事からも、その感じは確かめられる。
さらに石炭輸送の中継地点として、何本もの鉄道が重なり中継駅として
栄えた都市構造が見えてくる。
都市を支えるエネルギーには、それぞれに違いがある事を感じる。
帯広は豊かな農業・畜産という大地の恵みがそれである。
岩見沢は石炭産業とその輸送・汽車が、そのエネルギーと思われる。
さらに言えば札幌は、開拓中心地としての官エネルギーである。
都市(まち)は、その中心エネルギーの在り方の相違によって、匂いが違う。
中継都市岩見沢の匂いは,物流に伴なう本州人の匂いである。
官の近代化や先住民族の匂いはあまり感じられない。
街の地名からしてそうなのだ。
豪壮な料亭や寺院にその面影がある。これは本州・内地への憧憬にある。
繁華街にある立派な蔵もまたそうである。
移住者の末裔である我々は、そこにあるノスタルジーを感じるのだ。
近代都市(まち)のある原型が漂っている。
札幌は、官の近代化のモデルゾーンでもあり、洋が基本にある。
しかし岩見沢は、もっと民の様相が濃く移住者の故郷への想いが主に
あって、本州的な構造物が多いのだ。
物流の中心として本州人の出入りが多かった所為もあるのだろうか。
山田秀三や更科源蔵のアイヌ語地名の本で調べても、岩見沢の記述は
少ない。冒頭の引用以外の説明はないのである。
その意味で岩見沢とは、純粋開拓近代の都市(まち)ともいえる。
札幌などの下町、繁華街の原型が色濃く残っているのだ。
東屯田通、茨戸街道沿いの下町、ススキノ界隈の寺町、そうした民の都市
(まち)の構造と空気感が同じに思えるからだ。
御用商人の繁華街札幌駅前通とは違うのだ。
本府と呼ばれた道庁中心の官の街に漂う、ちょっとスマシタ洋の匂いは
ここにはない。
その代わり移住してきた本州人の内地の都市(まち)の匂いが濃厚にある。
それもまた北海道の近代の原風景である。
先住民族アイヌの人たちの主役は大地である。
自然がエネルギーの主役である。
移住者の主役エネエルギーは都市(まち)であり、
その出自が生む憧憬ではないのか。
富を求めて移住して来た者には、その富の集積が都市(まち)となる。
その意味で岩見沢とは、移住者の内地浪漫の集積都市とも思えるのだ。
だから私のような札幌っ子にも懐かしい、ある時代の街路の匂いがするの
である。
岩見沢とは、移住者の本州(内地)憧憬が生んだ、純粋近代都市(まち)でも
在るのかも知れない。
そういう石炭エネルギーとともに拓かれた近代都市風景もまた、
北海道ではないか。
そこには憧憬の濃い分だけ、純粋培養された内地(本州)の都市風景が
残る。望郷浪漫の所産である。
この洋への憧れとは違う浪漫もまた、優れて近代の所産なのだ。

*鈴木悠哉展「トレモロ」-11月29日(日)まで。
 am11時ーpm7時

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2009-11-25 13:32 | Comments(0)
2009年 11月 24日

岩見沢へーkind of blue(18)

休廊日、岩見沢へ行く。
地下鉄新札幌駅9番出口で、唐牛幸史さんと待ち合わせる。
いつも自宅まで来てくれるのだが、今回はこちらから出向く。
久し振りの地下鉄東西線終点まで、結構長い。
時間どおり唐牛さんの車が到着し、一路岩見沢へ。
30分ほどで着く。
グッドデザイン大賞受賞の岩見沢駅舎を見学。
そこからコールマイン研究室の展示を見に、駅前通を下る。
すぐに見つかり中へと入った。
旧煙草店とかで、奥に大きな蔵がある。
そこがコールマインの展示場だ。
一階に現在東京目黒美術館で展示中の川俣正作品模型や作成プロセス
が展示されている。
’96から九州で10年続けられた「コールマイン田川」の資料、
炭住街の模型、ずり山模型等が並ぶ。
上のスペースには、空知の産炭地のルポが写真等で飾られている。
奥の蔵を出て係りの人に案内され、事務所上の2階にも上がる。
普通の部屋があり、天井も高く畳敷きで3部屋ほどある。
窓ガラスが昔の板ガラスで、外の景色が揺れている。
奥の蔵の明り取りの塔屋が見える。
ここは今塞いでいるとの事だが、開けた方がいいと話す。
窓外の景色がビルで視界を遮られていないので、解放感がある。
そしてそこから見える古い市街地が、昭和へとタイムスリップするかのようだ。
会場を出て市街地を歩き廻る事にする。
昼食に入った喫茶店が、正に昭和の香り漂う造りで、
頼んだカレースパゲッテイーが美味かった。
カレー蕎麦か、カレーうどん感覚のスパゲッテイーである。
量も多く安く美味い。
ソフアー4人掛けの席もゆったりとして、昔の喫茶店である。
バロック調の内装、曲線の多い店内空間。クラシックが流れ、’60年代が
そのまま今に続いている感じだ。
天狗堂という蒸しパン屋さんで揚げ饅頭を買い、食べながらさらに市内を歩く。
人が優先で車が遠慮している感じで車道もゆったりと横断できる。
古い大きな料亭を見つける。堂々たるその威容に驚く。
これはかってこの街が如何に繁栄していたかの証である。
この料亭の前を芸者さんが何人も行き来していたという。
さらに大きな軟石の倉を見て、街外れと思しき界隈に出る。
大きな寺があり、表参道を復元した道路があった。
巨岩が配置され、境内は豪華である。
お寺の大きさは、檀家の財力を表わす。
神社とは違い、お寺は財力、権力の象徴のようである。
川を埋め立てた公園道路を、川筋沿いに歩き、
この辺が旧市街地の外れと思う。
歩行中も街頭放送のコマーシヤルが延々と流れていて、
この音も’60年代の街の音だと思い出した。

煙草屋さんの奥の蔵だけではなく、家屋全体をもっと開いて
展示場として活用すべきだと、唐牛さんと話した。
それはこの街全体にもいえる事で、この街に漂う昭和をトータルで風景として
体験する回路を発掘すべきと思った。
シャッターを下ろした店も多いが、石炭から石油にエネルギー資源が変換し
た時代に関らず、変わらない生活様式が活きている店が今もあるからである。
この生活の継続をもっと大事にして陽の目を当てた方がいい。
街路の雪避けのアーケイドも、使いようによっては立派な展示設備になる。
地下通路などよりはるかに有機的な生活空間なのだ。
なによりもこの歩廊には、店と店主の生活が根付いているからである。
街頭放送の街の音もいいではないか。
音も空気もここには生きた時代の時間が息づいている。
関所のように事務所を通して奥の展示場に入るのではなく、もっと開いて
家屋全体を活き活きと開くように、街も開くべきなのだ。
現在のすぐ前の時代が今も生きてそこには在るからである。
スクラップ・アンド・ビルドの明るい廃墟よりもはるかに美しい近代が生きて
今に繋がってある。
産炭地の富がかってこの街を繁栄させたとするなら、今炭鉱に変わるコアと
は何かを、文化の視点から近代を通して構築すべきと思う。
この街には札幌が喪失しつづけてきた近代の泉がまだ涸れる事無く、
湧き続けてあるように思える。
それはかってあった人と街の匂い、その記憶が実在するからだ。
その古さを新旧としてブンベツし分断することなく、
如何に今へと繋ぐ回路を保ち得るか。
それを懐古や感傷の淵に落とし込むことなく、
如何に基層低音として今に生かし得るのか。
コンテンポラリーな視軸が真に問われていると思えるのだ。

この一ヶ月、十勝・札幌琴似街道・空知の一部と唐牛幸史さんと歩いた。
私たちの出会いは遠く、’83年夏川俣正テトラハウスプロジェクトが
その最初である。
それから26年の歳月を経て、今新たに出会っている新鮮な時間がある。
互いの旅の途中の会話、発見は少しも懐旧ではない。
ふたりの個別な今までの時間が、豊かな発見に純化して感じられるからだ。
今回の空知・岩見沢への旅もそうであった。
行く前に川俣作品を見る共通の目的はあったが、これまで通過途中駅でしか
なかった岩見沢市は、ふたりにとって新鮮な街だったのである。
そして何よりも彼と一緒に行くきっかけがなければ、
この経験もまた叶わなかった。十勝の旅もそうである。
時間が新たな時間を重ね、豊かな発見を育む。
ここには地下通路も原始林もないけれど、時の国境は開き、
過去は分断されず、その界(さかい)は豊かに保水力に満ちていたのだ。

*鈴木悠哉展「トレモロ」-11月29日(日)まで。
 am11時ーpm7時

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2009-11-24 13:39 | Comments(2)
2009年 11月 22日

文化の自給率ーkind of blue(17)

最近日本の食料自給率が問題になっている。
日本の自給率は40%程度という。
いかにも日本的な料理も素材の元を辿れば、
ほとんどが海外からの輸入素材だったりする。
グローバリズムの弊害が顕在化してきたのだ。
それは食物だけではない。
都市の構造を見ても、そこを埋めているのは地元自給ではない。
市街地再開発法で道路を拡幅し大型のハコ建築をたくさん造り、
海外ブランドも含め地元外のテナントを沢山誘致し埋めてきたのだ。
そういう歴史がある。
その結果固有の風景を喪い、今は産業経済構造も、自給率を下げている。
景気が低迷し空いたハコの増加も多く見られるのである。
文化の問題もそうである。
立派なハコを造り、有名アーテイストを誘致し、ブンカ、ブンカと喧伝する。
ここ固有の文化の自給率は低いのである。
札幌のような新開都市は、特にそんな有名ブランドに弱いかに思える。
しかし百余年も経て、もうそんな事は言ってはいられない。
自らの固有性を意識的に、文化の自給性として自覚すべきなのだ。
「sapporoをアートの街に」と題して、昨日の新聞に一面特集が載っていた。
アートを産業起爆剤にと、創成川公園オープンと札幌駅前通地下歩行空間
のオープンを機会に札幌ビエンナーレを企画し、アートの街を目指すという
内容のようである。
さらにアートデイレクターなるH氏は、札幌での国際展の意義を、

・・雪が多いために発達した地下道や、原生林などを会場にしたら。
世界で唯一の芸術展になりますよ。

と語っている。
素材やインフラのみがアートの要因である筈がない。
ここに決定的に欠落しているものは、原生林と地下通路の間の歴史
札幌という日本に稀有な純粋近代の視座である。
例えば官製建築とはいえ優れた近代の遺産、赤レンガの道庁庁舎、
植物園、清華亭、北大構内、さらにそこを繋ぐ民間の伊藤邸という
メム(泉池))、旧河川沿いに広がる近代建築物と原生林の面影。
そうした札幌独特の近代風景への視線が欠落しているのだ。
点ではなくゾーンとして広がる札幌独特の風景を面として、保存し活用する
視座がなくして、ここ固有の文化の自給率はないのだ。
前にも引用したが、北原白秋の記した「この道」の近代札幌は、ゾーンとして
固有の風景を保っていた札幌の北一条通りである。
地下通路には雨風・雪を防ぐインフラはあっても、文化の「この道」はない。
原生林という、かって対峙し克服しなければ生きていけなかった猛自然と、
現代の地下通路からどうして、現代に繋がる文化の回路が生まれるのか。
先人の苦闘、成果という正統な近代への視座を欠いて、外から文化を呼び
込むだけの文化インフラ、アートブローカー的な視野しかそこには感じられ
ないのだ。これは冬季五輪前後の高度成長時代の産業経済構造と同じ
意識構造である。
かってブランドテナント誘致に奔走した意識構造そのままに、衣を変え、
文化という名の誘致構造に切り替えただけの事ではないのか。
その前に自らの風土をカルチヴート(自耕する)する事が、
真に文化(カルチャー)の自給率を高める事ではないのか。
近代の優れた遺産を食い潰す事に加担しつつ、正統な伝統を省みる事なく、
何処に外に魅力ある場を提供する事が出来得るのか。
国際総合芸術祭(アートビエンナーレ)が、アートの冬季五輪のように
五輪後の札幌原風景破壊に働きかねない事を思うのである。

*鈴木悠哉展「トレモロ」-11月29日(水)まで。月曜定休・休廊。
 am11時ーpm7時

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2009-11-22 14:27 | Comments(0)
2009年 11月 21日

降雪・積雪ーkind of blue(16)

石油ストーブを点ける。昨日も、一昨日も。
ニューヨークから来た中岡りえさんが傍まで近寄り暖をとっていた。
3日前一緒に平岸のかりん舎を訪ね、坪井さん、高橋さん、本間さん
の歓待を受けた。翌日夕刻故郷の四国・高知へ旅立つ。
12月初めにニューヨークへ帰国という。
’92年夏に最初の個展をテンポラリーでして以来
こうして日本に来る度に必ず立ち寄ってくれる。
お互い憎まれ口を叩きあうが、彼女には私以外に多くの友人が札幌にいる。
たった3日間の滞在だったが、毎日人と会い楽しそうだった。
ムラギシの本も購入してくれた。彼が死んだ高知の鏡川は
中岡さんの故郷を流れる川である。
ふたりは生前2度程しか会っていないのだが不思議な縁である。
中岡さんが札幌駅へ向かって、入れ違いにドラム奏者の有山睦さんが来る。
鈴木悠哉展をじっくりと見た後、ぽつりと言う。
毎日聞いているムラギシのCDをヒントに、自分のバンドで彼の曲と
コラボする予定。他のメンバーとの音合わせにもよるけれど、
月末のライブで披露したいという。
それは是非聞きに行きたいと応えた。
音合わせの結果にもよるけれど、そう試みる彼の気持ちが嬉しかった。
一度も会ったことの無いふたりが、音のジャンルの枠を超え、音を通して
交感しているからだ。実現すればいいと願うのだ。
一片の雪が降り積るように、人の心にも積るものがある。
量数に還元されない、一時(いっとき)の保水力がある。
modern(近代の・最新の)とは何か。新旧では計れない今があること。
時の刻みが保つ、ふたつの回路。
地下トンネルの時間と有機的な風景の時間。
都市と自然の時間差の挾間を往還しながら、問う。
それが人間の保つ宿命なのかと。

十勝平野で感じた、恐ろしいまでの自然力。
かって石狩平野もまたそうであったのだ。
その自然の真っ只中で、人は苦闘する。生きる為に、生活の為に。
只々自然を礼賛すればいいという問題ではない。
インフラ(生活基盤)の整備もまた必須である。
この時自然環境は対峙するものとしてあるからだ。
松浦武四郎の十勝日誌、石狩日誌を今読みながらそう思う。
猛自然と対峙する近代がある。
そこでは長い近世も中世も無く、自然と近代が即向き合い、対峙している。
その中心に札幌がある。そこには日本近代のアメリカがあり、
ヨーロッパがある。特に開拓先進国アメリカの影響が大きい。

<マサチュウーセッツ州へ行けば開拓時代の札幌がスグに分かる>
(藤森照信「マサチューセッツと札幌」-さっぽろ文庫「開拓使時代」)

しかし決定的に違うのは、「民高官無」のアメリカと「官高民無」の
札幌の違いという。
圧倒的な大自然の中で、街を造っていく。その時風景に目印として
”塔”がある。このアメリカの”塔好み”が札幌にも伝わって、それが
時計台だと書いている。
ここにヨーロッパでもない、アシアでもない、日本でもない札幌がある。
そこを拠点にどう生きるか。
大自然の猛威の前に近現代を鎧い、闘った純粋近代とどう向き合うか。
自然や先住民族のアイヌに逃げ込むことなく、
モダーン(近現代)に呑み込まれることなく、
どうcontemporary(同時代)たり得るか。
自然と先人の結果を享受する現在ではなく、如何に主体的に
この街で今、アクテイブになり得るか。
移住者の末裔たる私には模索が続く日々なのだ。

*鈴木悠哉展「トレモロ」-11月11日(水)-29日(日)
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by kakiten | 2009-11-21 16:09 | Comments(0)
2009年 11月 20日

エルムトンネルの時間ーkind of blue(15)

春楡、英語でエルム。その面影を残す名前がエルムトンネルだ。
北大第二農場脇を通るトンネル。
今朝は寝坊して急ぎタクシーに乗る。
駅前方面からのルートを取らず、エルムトンネルを抜ける。
料金が高くなるかなと懸念したが、そうでもなかった。
いつもはトンネルの上の遊歩道を自転車で走り通勤するのだが、
あっという間に通り抜け北18条に出た。
名前に残るハルニレも見えない。
北大がエルムの学園と呼ばれ、札幌がエルムの都と呼ばれた事も
もう遠い昔である。北大の第二農場には、その頃の名残りエルムの鐘が
ひっそりと保存されている。
エルムトンネルのように、名前だけが辛うじて記憶を伝えるが、その本来の
意味を知る機会は遠い。
円山原始林や藻岩山原始林、北大植物園には、その時代の春楡が今も
立っている。
その堂々たる枝の広がり、梢の下の小宇宙。春楡は美しい樹である。
桂の樹とともにエルムは北大の寮歌にも唄われて、札幌を代表する樹である。
トンネルの速さ、便利さに象徴される現代文明のある側面は、こうした風景
を喪失し続けている事にもあるのだ。
文化の拠って立つ基軸は、この喪失を悼む痛みにある。
復元はできないが、再生を思う心に表現のコアがあるのではないか。
懐古ではなく、喪失し続けるものへの対峙として反極に在るものである。
そこを垂直軸として磁場が生まれる。
トンネルの速さ、利便性と対極する磁場を保たずして、文化の軸芯はない。
そこを疎かにしたトンネル文化が多過ぎはしないか。
春楡の樹の下を疾走する消去の時間に鈍知な文化など要らない。
森の保水力を収奪するトンネルの速度に揺られながら、時間とは何か
を自問する自分がいた。
この春楡の森と共存した近代もあった筈である。
そのいわば正統な近代を捨象し、現代の札幌はどこに漂流しているのか。
「この道」に顕われた札幌とは、そうした近代さっぽろであったと思う。
国家覇権主義の開拓基地としての否定しようのない側面をもちながら、
一方でエルムの都といわれた側面もあったのである。
朝寝坊がもたらしたタクシーの時間は、創建時時計台の漂流のように
近代と現代の時の速度の差異を、春楡の森の下で考えさせてくれた。
春楡が喪った保水力の時間の下で、これは現代の腐海ナウシカの
飛行船なのかも知れない、と思うのだ。


*鈴木悠哉展「トレモロ」-11月11日(水)ー29日(日)
 am11時ーpm7時:月曜定休・休廊。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax-11-737-5503
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by kakiten | 2009-11-20 14:47 | Comments(0)
2009年 11月 19日

時計台の原位置ーkind of blue(14)

昨日の道新朝刊に時計台の流転が載っていた。
創建時は現在地より130m北東寄りの場所に在ったという。
地図で見ると今のネットカフエがある辺りらしい。
このネットカフエには記憶がある。
円山北町を去り札幌漂流を重ねていた私は、現在の場所に落ち着く間
ここからこのブログを打ち込んでいた時期があったからだ。
引越しで一時期ネットが繋がらなかったからである。
古地図と地盤地質図を片手に、札幌を3カ月歩き回っていた時期である。
この時唯一の社会への窓口が、日々の日記・ブログだった。
一日の行動を記録する客観的なこの時間は、自分にとってとても大切な
時間だったのである。
札幌の原風景を足で辿り、その等身大の身体風景に触れていた時期で
ある。
その記録の拠点が、本来存在した時計台の位置と重なる偶然に驚くのだ。
市内にいくつかあるネットカフエの中から、何故あの場所を選んでいたのか。
今改めて思い起せば、単純にそこが一番居心地が良かったからである。
他の店は狭かったり騒がしかったりして、集中できなかったのだ。
最近AYAの名唱「この道」(*)を聞いて、札幌の近代原風景に感動した
だけに、あらためて時計台との縁を思うのである。
都心の駅前通りで生まれ育った私には、時計台の鐘の音は幼い頃日常
のものであった。その音色は近くまで響いていたのである。
北原白秋が歌詞に留めたような牧歌的な札幌では勿論なかったが、
そうした雰囲気はまだ漂っていた気がするのだ。
鐘の音が響いていた記憶があるからである。
高層ビルの谷間に時計台も鐘の音も沈んでしまったのは、
冬季五輪前後の事である。
札幌の人口は’60年に五十万を超え、’70年に百万を突破し、
現在は二百万に至らんとしている。
全道の人口は減少気味の傾向にもかかわらず、札幌だけが倍の倍の増加
を続けてきたのは、産炭地等の周辺の人口流入が続いていたからである。
石狩地方ではなく、札幌市のみが消費都市として肥大化してきたのだ。
その都市肥大の内に時計台は埋没してきたのである。
そして冒頭の記事は、時計台の創建地を記した跡碑が流転を繰り返し、
今とあるバーの片隅にひっそりと在る事実を伝えていた。
人目にも触れず見捨てられたかのような時計台の原位置を示す跡碑。
その漂流する存在に、近代札幌を捨象してきた現在と漂流した自分を重ねる
私がいるのだ。
私が札幌漂流し探していたのは、この札幌の原身体、本来の姿である。
それは札幌という故郷の原点確認、再発見の旅でもあった。
その旅の発信拠点があのネットカフエであり、そこが真の時計台の位置
であった偶然を、今深く愛しいまでに感じている自分がいる。

*鈴木悠哉展「トレモロ」-11月11日(水)-29日(日)
 am11時ーpm7時:月曜定休・休廊。
*森本めぐみ展「くものお」-12月15日(火)-1月13日(日)

(*)この道はいつか来た道 ああ そうだよ あかしあの花が咲いてる
   あの丘はいつか見た丘 ああ そうだよ ほら 白い時計台だよ
   この道はいつか来た道 ああ そうだよ お母さまと馬車で行ったよ
   あの雲はいつか見た雲 ああ そうだよ 山査子の枝も垂れてる

                 北原白秋作詞・山田耕作作曲

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2009-11-19 14:01 | Comments(0)