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2009年 09月 29日

我と個ーSeptember Voice(26)

一対の蜻蛉が多くなる。
卸売市場から競馬場へかけての道。
競馬場の壁の蔦も赤みを増してきた。
昨日の休みは、ジュンク堂へ行き本を探す。
沖縄フェアーをしていたのでじっくり見る。
中で一番古い出版物(消費税が3%)と、
一番新しい今年出版された本を買う。
その他に何冊か気になったものを見る。
外へ出ると、雨。
濡れながら足早に三越でパンを買い、4プラの蕎麦屋に入る。
久し振りの街徘徊。
街は商品が我も我もと主張していて、眼も耳も刺激の渦中にある。
目的のもの以外は避けてまっしぐら。
大きな壁面TV、ネオン、信号、指示アナウンス、宣伝メッセージと眼も耳も
喧噪の中にある。
先日テンポラリーに来た街の人が、表看板が地味だと言っていた。
場末には場末の流儀がある。
我(ガ)を張るような街の流儀は、此処にはいらない。
目立とうとするものばかりが溢れている街では、すべてが相殺されている。
我(ガ)の氾濫が街でもある。
その流儀を郊外の場末に持ち込むほど、野暮な事はない。
自己主張の競争、喧伝が街である。
他より少しでも抜きん出ようと、その競争の戦場なのだ。
花に例えれば百花繚乱の花壇のようなものだ。
野の花とは違う。
有機的な関わりから咲く土壌と、色彩の競演に演出された花壇の相違で
ある。花壇の土壌は受け皿であり、花が終れば排除される。
文化の土壌は生むものであり、種を明日に抱きとめるものだ。
モノの氾濫する街から、選択する行為を己に課して街を歩き抜ける。
その意識に力を費やして、神経が疲れる。
反対に欲望のままに放浪するのは、モノを漁るショッピングという。

円山で地下鉄を降り、雨に濡れいつもの路地裏を歩く。
ここでは風景が自己主張をしない。
あるがままに存在している。
路は路であり、木は木であり、家は家である。
個であって、我(ガ)ではない。

先日T区役所勤務のAさんが来た。
藤倉さんの写真のひとつに見入っていた。
室蘭の古い団地の1棟である。
5階建ての横に長い建物をまるごと撮った写真だ。
横に11×縦に5の区割りのヴェランダに、個々の生活が見える。
室蘭が鉄綱の街として栄えていた時代に建てられた建物だろうか、
がっちりとして年代を感じさせる。
今のように縦に高いタワー型のマンシヨンではなく、横に長い構造である。
建築物がまだ等身大の大きさを保っている。
規格的なこの構造物は、安定したリズムをもっている。
Aさんがこの写真を気に入った訳が何となく分る気がした。
彼はジャズでドラムを叩いている人でもある。
この建物のリズムは、ドラムのリズム楽器としての役割にも似ている。
基調となる音を刻みかつ、バチ捌きのデイテールがある事と、
この公団アパートの安定した構造、個々のヴェランダに見る生活のデイテールが、
相似して感じられるからである。
藤倉さんの写し撮った空間に、ドラムスの音の空間が呼応しているのだ。
一点の作品から人の生き方が繋がる。
それも職業としての領域ではなく、個としての表現の領域においてである。
写真家だ、公務員だという領域ではない、個の表現領域でである。
作品を媒介にして人が繋がること、生き方のアクセスを共有すること。
一枚の写真をはさんで、とてもいい時間が流れていた。

*藤倉翼写真展ー9月22日(火)-10月4日(日)am11時ーpm7時
 月曜定休・休廊。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2009-09-29 14:08 | Comments(4)
2009年 09月 27日

時計台と「この道」-September Voice(25)

昨夕市役所勤めのKさんが来た。
エレガントピープル繋がりの友人である。
時計台の敷地にオオウバユリを植えた人だ。
札幌本来の野草を文化財の時計台の周囲に増やしたい
という夢をもつ人である。
建物だけが文化ではない。その風土もまた文化なのだ。
文化をゾーンとして捉える視軸こそが今必要な事である。
彼と話していてふっと思い出し、翼さんに頼みAYAの「この道」を聞かせる。 
実際の時計台の鐘の音とともに始るAYAの「この道」は、
Kさんの心を捉えたようである。
その姿を見て、私には拡がるイメージがあった。
早稲田大学名誉教授で札幌出身の故郡司正勝先生が、舞踏家の大野慶人
さんの為に遺した作品を、以前から時計台で上演したいと思っていたのだが、
AYAの「この道」をバックに使ったら、という考えである。
この曲が遺作初演に使われた事は知っていた。
誰が歌ったのかは聞いていないが、石狩出身のこの若い女性の声は、
絶対に良いと勝手に思い込んだ。
大野慶人さんは、舞踏を志した最初の公演にもこの曲を使っていたという。
さらに郡司先生の死後最初にシアターX(カイ)でこの遺作公演した時も、
結局選ばれた曲は「この道」だったのだ。
郡司先生の初七日の日、ふたりで宮の森の先生の家にお参りに行き、
その帰りに北一条通を通り、何気なくこの界隈から白秋の「この道」の歌詞
が生まれたのですよと語った事が、慶人さんと私との「この道」の出会いだ
った。初演のカタログに大野慶人さんは書いている。

 ・・・稽古の初日、この作品を創ることに立ち会ってくれているスペインの
 舞踏家、ジョアン・ソレルが、何故か、「この曲はどうですか」と「この道」
 をCDで聞かせ、一歩を踏み出すキッカケになってもいたのでした。

 この坂道が「この道」ですと聞かせてくれたとき、深く深呼吸するだけで
 黙してしまいました。立っていることが 自分の生きてきた、人生全てを
 含んだ起点に立っていると、実感していたのだと いま思っています。

               (「ドリアン・グレイ最後の肖像」プログラムから)

Kさんの植えた野の草花が時計台の周りにそよぐ頃、この曲が流れ、時計台で
大野慶人さんと郡司正勝さんの遺作が上演されれば、どんなにか素晴らしい
事だろう。
札幌で生まれた郡司先生への追悼と、慶人さんの父大野一雄さんの石狩河口
公演「石狩の鼻曲がり」も含めた我々の「この道」ともなると思えるのだ。

 あの丘はいつか見た丘
 ああ そうだよ
 ほら 白い時計台だよ

それは喪われたさっぽろ物語であり、その再生でもある。
Kさんの藤倉翼展の訪問は、思いがけずも「この道」と時計台への
新たな思いを、大野慶人さん、郡司先生を結びつけ広げてくれたのである。

*藤倉翼写真展ー9月22日(火)-10月4日(日)am11時ーpm7時
 月曜定休・休廊

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax-011-737-5503
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by kakiten | 2009-09-27 13:35 | Comments(0)
2009年 09月 26日

秋晴れのなかーSeptember Voice(24)

青空が続く。昨日は暑いくらいだった。
それでも朝夕は気温が下がる。
今朝は晴れて風が冷たい。
窓ガラスが鳴っている。
風も強いのだ。
先日藤倉さんの写真を酷評する人もいた。
ネオンサインなど撮って何になる。
それで食っていこうなどとは、おこがましい。
単純にいうとそんな事だ。
この論拠には都市論がない。もっというと<my life>の視点がない。
生活の方法論はあるが、生きる哲学はない。
世間の処世術はあるが、個に根ざす生の視座は薄弱である。
ジョナス・メカスの映像を、”Why your image is shaky?”
と尋ねた観客の質問は、揺れる映像への不安と疑問だった。
それまで映画の映像とは確固とした構成、ブレのないものだったからだと思う。
その質問に対し、メカスは”Because my life is shaky”と応えたという。
ナチスから亡命した異境の地ニューヨークでは、言葉も通じない。
その為表現の手段として8ミリカメラがあった。
その映像は揺れに揺れていたのである。
その”揺れ”を、技術的批判として答えるのではなく、
メカスは自分の人生として応えている。
このふたつの間のズレにこそ、本当の現実(リアル)がある。
うつつ(現)と實(実)の間を往還する界(さかい)の世界である。
<實>という字は、貝が含まれお金を表わすという。
いわゆるインフラとしての現実である。
うつつ(現)は、その逆である。夢現(うつつ)なのだ。
そのふたつの極を行き来するのがmy life(人生)である。
その人生の総体の<shaky>で、メカスは技術的な<shaky>に応えたのだ。
藤倉翼の写真は、都市のLifeの視座において撮られた作品でもある。
ネオンサインの一管、一管をも凝視するその視線は、
いわばネオン塔の生き様をも見据えている眼線だからだ。
前述の批評は<實>の側から、<現(うつつ)>を断罪したものである。
しかし本当のリアルとは、その両方の極を往還したものでなければならない。
都市風景という現象的状況を、構造的に捉え写真として表現する藤倉翼の
写真世界は、その両方の往還の界(さかい)にある作品である。
決して”うつつモノ”の作品ではない。
この特定企業の宣伝媒体たるネオンサインを、作品として認められないとする
現実感覚は、アンデーウオーホールの作品を認めない事にも通じる。
コーラ瓶やキャンベルスープ缶もまた特定の企業の物だからだ。
しかし、藤倉翼の写真はそれともまた違う。
ネオンサインは、企業の宣伝物でもあるが無名の職人の手仕事のもの
でもあり、同時に置かれた盛り場の時代・場所をも包含した存在として表象
されてもいるからである。
薄野、渋谷、新宿、道頓堀それらのネオンサインの表情は違うという。
比喩としていえば、ネオンサインひとつにもその場処の<my life>が
あるのだ。
欠損したネオン管ひとつにも、その置かれた場所の<life>がある。
都市のありふれたなんの変哲もない一現象から惹き出されたその表現体は、
都市風俗という<實>の世界に属しながらも、<實>だけでは掬いきれない
<現(うつつ)>の世界をも同時に写し撮っているからだ。

*藤倉翼写真展ー9月22日(火)-10月4日(日)am11時ーpm7時
 月曜定休・休廊

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2009-09-26 12:21 | Comments(2)
2009年 09月 25日

大木裕之の眼ーSeptember Voice(23)

岩見沢でのアートイヴェントを終えた映像作家大木裕之さんが来る。
今年5月の「メイ」撮影行以来である。
早速村岸宏昭さんの作品集を見つけ、購入してくれる。
立派な本だなあ、が第一声。
四国・鏡川で村岸さんが遭難死した際、身近にいたひとりでもある。
3年の月日が経ち、今も心に残る人の死がある。
その人生がぎっしりとこの本には詰まっている。
一緒に来た写真家のM夫人も一冊購入してくれ、
ふたりはしばらく無言で本を見ていた。
その後藤倉さんも交え、彼の個展会場で話す。
今回の会場構成に大木さんがしきりに感心する。
写真展でこんな展示は見た事がないと言う。
床に胡座(あぐら)で、寛いでいる。
こういう彼の姿も、ここではあまり見た事がない。
映像の人だから、やはり写真作品にも興味があるのだろうが、
逆に近い分普段批評はあまりしないからだ。
構成されたテーマ毎の展示を、吹き抜けの空間を縦に利用し会場中央に吊ら
れた大きなネオン管の写真とテーマを述べた挨拶文が、分散しがちな会場を
きりっとひとつに集約している。
この構造的な視線は、映像作家大木裕之の映画監督としての視座と重なって
いるとも思える。
個々の写真を別にして、会場構成をここまできちっと見てくれるのは、
映像作家の監督としての視線と思う。
写真の視座構造もそうだが、会場構成自体にもその視座は貫徹されていて、
4つの主題が作家世界に収斂され構成されているのだ。
その構成力を見抜いたのは、なによりも大木裕之の映像作家としての眼である。
写真という平面構成の世界が、会場構成という立体構成にまで及ぶ写真展は
そうあり得るものではない。
多分大木さんはその事実を感じていたのだろう。
東京にもないね、と呟いていた。
東京はどうでもいいが、数多く場を見ている人の言葉として、
素直にその言葉は嬉しかったのだ。

*藤倉翼写真展ー9月22日(火)-10月4日(日)am11時ーpm7時
 月曜定休・休廊。
*「自分を代表させるような仕事はまだありません」-村岸宏昭の世界ー
 A4変形版160頁(内カラー96頁)CD2枚別冊・楽譜集付き。
 定価2000円+税・残部僅少。
*谷口顕一郎DVD「The Trail Hecomi」(AD&A gallery製作)3600円
  同上HECOMI STUDY 2003-2008-カタログテキスト
  (MIKIKO SATO gallery製作)1500円。残部僅少。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2009-09-25 13:14 | Comments(1)
2009年 09月 24日

巨視と微視の反転ーSeptember Voice(22)

今回展示されていないが、藤倉さんの写真の一枚に
運搬用のプラステイックの箱が野原に積まれている作品がある。
ビール瓶とかコーラ瓶とかを纏めてパックする箱である。
そのカラフルな箱が何千個も空き地に四角い山となっている風景である。
広角でこのプラステイック箱群を撮った写真は、そのまま公団アパート
をまるごと撮った視座に共通する。巨大客船を撮る視座もそうである。
人間を取巻く社会環境をひとつの箱として、まるごと写し撮るこの視座は、
彼の写真の大きな特性と思われる。
物を収納する箱、人を収納する箱。その中にミクロに生き、あるいはミクロに
使用されてある存在を、箱構造全体で写し出されると、その俯瞰された風景は
、もうひとつの別のものとして意識されるのだ。
そのひとつ、ひとつに個別の生と存在があり、かつそれらは巨大な箱に
収納され、パックされていると意識されるからだ。
これらの写真はハコモノとしての都市構造を、
極めて乾いた視線で写し出している。
夏の海水浴場、冬のスキー場を広角に撮られた作品も
同じように行楽地をハコとして撮られてある。
取巻く自然はハコの衣装でしかない。
さらに花火を藻岩山山頂から撮影した写真がある。
街の灯りを背景に花火がある。
花火は見上げる夜空のなかになく、
都会のネオン、灯の光を背景に下に浮いている。
この時花火もまた、都会の構造の一点の光に吸収されている。
夜の花火だけではない。昼の虹も同じ目線で撮られた作品もある。
これも下に拡がる都市を背景に、虹が架かっているのである。
都市風景をひとつのハコ構造としてまるごと撮る視座は、
ミクロな風景にもある。
その視線は一個一個のネオンサインの正面写真として展開される。
風景を構造として撮る視線は、ネオン管一個一個を構造としてを撮りきる事
にも反映されて、このネオン管はもう夜景を彩る情緒的存在ではないのだ。
ひとつひとつが職人の精巧な工藝の技(わざ)の集積体であるのだ。
都市風景をモノの集積体として、構造的に乾いた視線で把握するこの目線は、
時にある俯瞰性をもたらす。
問題は俯瞰の後に来る視座が、どう反転して本質的な俯瞰性を得るかにある。
この時私が思い出すのは、都市計画で造られた都市を、歩くという微視の視線
から失われた丘や谷や川を発見し、ある日鳥の目線で故郷の大地を俯瞰し得た
彫刻家の絵本である。
微視から巨視へと風景を見るこの視座は、巨視から微視へと向かう藤倉翼の
視座とは逆の視線にある。
都市を透視しその向こうに自然の風景を再生した視線と、都市の風景を見透え、
構造として抉り出した視線とは、風景を境に眼の表裏のようにある。
最近の藤倉翼のポートレートシリーズは、その視線を都市構造から人間の
個別性への視線として、徐々に人間という自然へと転位しつつあるかに思える。
モノから生きモノへと、彼の都市構造の内側への視軸はその眼差しを転位し
つつあるとも思えるからだ。
そして人間を通してもういちど、彼の都市風景が再構築される作品が今後に
展開されるのかも知れない、と思える。

*藤倉翼写真展ー9月22日(火)-10月4日(日)am11時ーpm7時
 月曜定休・休廊。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503




 
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by kakiten | 2009-09-24 14:08 | Comments(0)
2009年 09月 23日

オープニングの夜ーSeptember Voice(21)

爽やかな小春日和。
昨日の夜の酔いも吹っ飛ぶ。
藤倉翼展初日オープニング。
翼さん手造りのダイエットメニューを肴に美味しい夜だった。
多くの人が訪れ夜遅くまで盛り上がる。
愛されているね、翼さん。
久し振りに会うSさんとOさんが、酔いもあってか盛んにモテたいと叫ぶ。
叫ぶはオーバーかもしれないが、とにかくそう言っている。
ふたりともたしか彼氏持ちの筈だが、なぜかそう言っていた。
すると翼さんが、愛聴のAYAさんのCDをかける。
「会いたい」という曲が恋心の絶品の歌だからである。
この曲と「この道」はAYAの名唱である。
「この道」は札幌の北一条通りの風景を唄った、北原白秋作詞の名曲である。
これを歌ったAYAを、翼さんは初日朝一番に流したのだ。
時計台の鐘の音とともに始るこの曲を聴いた時、
ああ見事な札幌だなあと、感心した。
この曲を自分の個展朝最初に選んだのには、藤倉翼のそれなりの想いが
篭っていると感じられた。
現代の都市風景、ネオンサインを真正面から熱写する藤倉さんが、
近代の札幌都市風景を象徴する「この道」を、自らの個展の最初に流した事に
彼の深いさっぽろへの思いもまた含まれていると感じたからである。
AYAの唄い方はこの近代の名曲を、見事に現代に甦えらせている。
もう一つの「会いたい」は切ない恋の歌で、声といい旋律といい、初めて聞いた時
思わず聴き入ってしまった歌だっだ。
この曲が流れ、切々と唄われると、周囲の宴の喧噪は遠く、静かに聴き
入っているふたりがいた。
結局一途に恋したいというのが本音と思われた。
先程までモテたいと言っていたふたりは、神妙な顔をしてじっと「会いたい」に
聴き入っていた。
女性はやはりモテたいより、恋したいの方がよく似合う。
まあ、男の偏見かもしれないけど。
奥の部屋で起きたこんなちょっとしたドラマを別に、展示会場ではまだまだ
声高な交歓が続いていた。
このところ連日夜の集まりが続いていたので、2階に上がり少し眠る。
少し静かになった頃、秋田くんの声がして、翼さんの父上と3人だけになったよう
だった。下に降り、どう、もう帰る?と、翼さんに聞くと今夜はお酒も大分飲んだ
ので、今夜はここに泊まるという。
だんだら模様のパーテイー背広が派手なパジャマのように見えるを翼さんを置い
て、ひとり自転車で帰宅する。
夜風のなか爽快に走り、酔いも疲れも消えた。

*藤倉翼写真展ー9月22日(火)-10月4日(日)am11時ーpm7時
 月曜定休・休廊。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2009-09-23 14:11 | Comments(0)
2009年 09月 22日

藤倉翼展始るーSeptember Voice(20)

昨夜遅く展示完了。中央に梁からパルコのネオンサインが、垂れ幕のように
吊り下げられ会場は一気にきりっと引き締まる。
2階吹き抜け側廊下には、ポートレートがひとつのコーナーに、
吹き抜け上部には、マクロな視点で撮られた巨大客船等の写真が飾られる。
上下に散りばめられたテーマ毎の写真構成が、会場全体を伽藍のように包み
込んで、総体が藤倉翼の世界である。
あとは、会場に射し込む日々毎日の陽射しが空間を創りだしていく。
日頃無意識に見ているネオンサインや、大きな建物、日常の人たちが
真正面からこうして定着され存在すると、風景は異質な別次元のモノになる。
写真の保つ不思議である。そして撮る人間の生き方にも繋がる視座である。
写真を撮る人の視座、立ち位置とは、生きる事の姿勢にも深く関っている。
その事が実感されるのだ。
自然の風景とは違う、人間社会の環境としての風景。
その視軸に今の藤倉翼の社会との交点、接点、生き様が露わになる。
写真を見る事は、実はその人間の物の見方、生き方を追体験する事でも
あると思える。
毎日作品と向き合いつつ、私は私と藤倉翼さんとのそうした対話を
これから積み重ねていく事となる。
そして、そこにまた他の人との会話、感性が加わり、場は交感され深みを
増していく。
今回の展示は、一点一点との対話より、会場全体の空気の中で醸し出される
対話、会話、発見、出会いが大きな要素となる。
都市風景との不思議な再発見の出会いが、その対話の契機として
会場全体至る所に散りばめられているからだ。

*藤倉翼写真展ー9月22日(火)-10月4日(日)am11時ーpm7時
 月曜定休・休廊。
*「自分を代表させるような仕事はまだありません」-村岸宏昭の世界ー
 A4変形版160頁(内カラー96頁)音楽CD2枚・別冊楽譜集付き。
 定価2000円+税 発行札幌・かりん舎・email:info@kwarin.jp。


 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2009-09-22 12:44 | Comments(2)
2009年 09月 21日

ムラギシな夜ーSeptember Voice(19)

昨夜円山カフエエスキスで、村岸宏昭作品集の出版を祝う会がある。
本の編集委員だけの慰労会かと思っていたが、お兄さんの史隆さんの
米国からの帰国もあってか多くの人が集まっていた。
中には、アートブローカー的な雰囲気濃厚なSの姿もあり、腰が引けた。
毎月本の編集で顔を合わせていた村岸令子さんは既に亡くなり、
同じ編集で汗を流した音楽の南聡先生の姿も見えず、寂しかった。
乾杯の挨拶という指名があったが、祝杯というより献杯の気持ちが強かった。
振り返るとこの3年間、私の生活のトニカ(基調低音)のひとつには、
いつもムラギシな時間があった。
それは現在地に引っ越して経過した時間と重なるのである。
ここを開廊して間もなく村岸宏昭展があり、その半月後の不慮の死とともに
遺作展実行委員会、遺作集編集委員会と3年の時間が経過したからだ。
私には村岸さん母子と過ごした3年間が続いてきたのである。
その時間もこの日を境に、より本質的な<ムラギシな>時間へと変わる。
昨日初めて手渡された、分厚いA4変形版160頁CD2枚別冊楽譜付き
のしっとりした装丁の本を読みながら、さらにその思いは強くなった。
もう村岸宏昭個人への想いを超えて、本という形のひとつの区切りが別の
次元へと誘うからである。
水っぽい村岸個人への涙めいたものとは、もう遠くはなれつつあるのだ。
これから後は、村岸個人に未知の人の手にその志は手渡されたと思う。
従ってもうこの日の雰囲気に馴染めない自分がいた。
3年過ぎてなお語るべきものを持たないSに至っては、別の高校生で夭折した
画家の話をべらべら脈絡なく語り始め、聞くに堪えなかった。
こういうアートブローカー紛いの人間のKYは噴飯モノである。
その事に比し、本自体の編集力、出来映えは立派なもので、かりん舎の
坪井圭子さん、高橋淑子さんの真摯な編集能力には頭が下がるのである。
しかもこの本の価格は、2000円という考えられないような低価格に設定され
ている。お母さまの多くの人の手に取って貰いたいというご遺志もあるのだろう
が、その遺志に充分に応えた内容と装丁である。
多くの分野の人たちが、故人の多岐に渡る活動を記録し語ったこの本は、
正に本の帯に引用されている北村清彦先生のいう、<プリズム>のように
様々な角度を得て初めて理解される、志(こころざし)の原石の塊なのだ。
その凝縮された塊が、今プリズムのように本の形になってある。
そしてこの原石はもう個人を離れて、多くの同時代を真摯に生きる未知の
人へと差し出されている。
村岸宏昭は、<ムラギシ>としてコンテンポラリーな心挿す、志の人と
なってあるからである。
今はこの一冊の本が、出来るだけ多くの手に触れて欲しいと願う。

*藤倉翼写真展ー9月22日(火)-10月4日(日)
 am11時ーpm7時:月曜定休・休廊
*「自分を代表させるような仕事はまだありません」-村岸宏昭の世界ー
 かりん舎発行・A4変形版160頁(内カラー96頁)定価2000円+税。
 音楽CD2枚・別冊楽譜集付き。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2009-09-21 12:36 | Comments(0)
2009年 09月 20日

エレガントピープルな夜ーSeptember Voice(18)

気持ちのいい快演だった。昨夜のエレガントピープルライブ。
藤倉翼さんの写真をバックに、演奏は時間を重なる毎に熱くなる。
そして会場は、2階吹き抜けに座る人たちも含め、一体となる。
初めての会場でもあり、最初は音の様子を試している感じがしたが、
それも始めのうちだけ。
休憩を挟んで、一気にアンコールまで突っ走る。
今朝ドラムの有山睦さんから、お礼のメールが届いていた。
 
 (会場は)とても演奏しやすくて驚きました。・・思い切っていきました。
 藤倉さんの写真もきりっとして爽快です。視力が良くなったような思いが
 しました。

仕事が休みの人も、仕事があった人も、演奏とともに何かが抜けていくのが
感じられた。
途中ベースとギターが抜けて、ドラムとアルトサックスふたりだけの演奏も
あったが、これは仲西浩之さんの十八番、フリーインプロビゼーシヨンである。
これはまったくアドリブだけで構成する演奏なのだ。
これが出るとリーダーの仲西さんは絶好調という事になる。
今回は狭い会場でもあり、試行錯誤があったと思うが、展示作品との波長さえ
合えば、豊かな空間の交響が大いに期待できることが実証されたと思う。
そしてなによりも演奏者それぞれのこの場への愛情と展示作品への敬意が
演奏への集中と開放を生む隠し味になつていた。
テンポラリーのTシャッを着て演奏してくれた事も、私には嬉しい事だった。
次なるステージへ、リーダーでアルトサックスの仲西浩之さん、心篭ったお礼
のメールを送ってくれたドラムの有山睦さん、美人の奥さんとお子さんの前
で張り切っていたギターの小板橋智さん、仕事で少し疲れ気味だったが演奏
でその疲れをふっとばしたベースの絹川信二さん。
4人には、心からお礼を申し上げる。
テンポラリースペースは、その空間にさらなる豊かさを積み重ねる事が出来た
と思うからである。

今夜村岸宏昭さんの作品集の出版記念会がある。
彼の最後の個展、そしてこの空間の最初に属する個展。
彼の死から3年が経ったが、確実にその萌芽は育ち、蕾の時を重ねつつある。
生死あるいは、現在過去という時を遮断するものを超え、再び我々は出会う
場がある。私はその事実を今深く実感しているのだ。
<場>もまた、<個の全存在を賭した表現運動>(高橋秀明)であると思える。
そこに個々の真摯に揺れる人生も凝縮して、あるからだ。
<because my life is shaky>(ジョナス・メカス)である。

*藤倉翼写真展ー9月22日(火)-10月4日(日)
 am11時ーpm7時・月曜定休・休廊。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
 
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by kakiten | 2009-09-20 13:54 | Comments(0)
2009年 09月 19日

遺作集の完成ーSeptember Voice(17)

午前中藤倉さんと今夜のライブの為の展示をする。
ネオンサインの写真8枚。
来週からの本番前の仮展示だが、JAZZライブの背景にぴったりだ。
展示中に唐牛幸史さんが来る。
「界川游行アートイヴェント」の記録を見たいという。
藤倉さんの展示後3人でヴィデオを見る。
旧山下邸と今はもうない鬼窪邸の相似性と個別性が、比較されて面白い。
どちらも近代の洋館だが、廊下の広さが違う。
今実際に旧山下邸にいる唐牛さんには、興味深い映像と思われる。

午後かりん舎さんから電話あり、故村岸宏昭さんの遺作集が出来たと言う。
今日がお母さまの令子さんの一周忌法要で、ぎりぎり間に合ったという。
明日その出版記念会がある。
優れた親子ふたりを追悼していい会になるだろう。
ご子息の不慮の遭難死にも負けず、お母さまはほんとうによくこの本の為に
尽力された。
すべての準備を終え、本そのものを見る事もなく亡くなられたが、その内容に
関しては充分に了解、納得なされていた事と思える。

今夜のライブには、そっと母子で来るのかも知れない。

*エレガントピープルJAZZライブー9月19日午後6時~
*藤倉翼写真展ー9月22日(火)-10月4日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2009-09-19 16:16 | Comments(0)