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2009年 07月 31日

種子の音ー夏日幻想(1)

夜帰る時、パラパラと音がして何かが降ってきた。
雨かなと思うが濡れていない。
蔦の種子が落ちてきたのだ。
朝見ると、戸口のアスファルトが一面緑の絨毯のようになっている。
よく見ると、時の経ったものは土に還れず茶色に変色している。
蔦の繁殖なのだなあ、あの音は。
夜暗くなってから、身を震わせ種を撒くのだろうか。
実も段々膨らんできて、これが黒く粒々の果実になる頃、
夏も終わりへ近付く。
植物辞典を見ると、この樹液を煮詰めシロップができるという。
「これは、蜂蜜などと共に古い時代の大切な甘味資源であった」
(原松次「北海道植物図鑑」)
そういえば、蔦の果実は葡萄のようで、いつも美味そうだなと思っていたのだ。
春、ポプラの綿毛が飛び、路辺を埋めていた。春の終わりに近く。
夏、蔦の種子が散り、路上を緑に埋める。夏の盛りを超えてなのか。
季節という時間は、間違いなく動いている。
そして久し振りに、一族という言葉を思い出していた。
お盆も近付き、仏壇に向かった所為もある。
母方の一族、父方の一族。
なになにちゃんと、呼んでいた従兄弟のことを思い出す。
伯父さん、伯母さん、みんな遠くなった。
兄弟すら遠くバラバラ。
祖父の時代は、祖父の子供がたくさんいたから、正月・お盆にはよく
従兄弟が集ってきた。みんなでお寺に行き、帰ってスイカを食べた。
時々、祖父や父が仏壇に向かいお経をあげているのを、
不思議な気持ちで見ていた。
今自分がひとり、その仏壇に手を合わす。
近く死んだ順に写真を見る。カネを鳴らす。
数珠がバラバラと、蔦の種子のように思える。
<一族>。ばらばら、バラバラ。
俺も蔦のように一族背負って、ばらばら、ばらばら。
緑の種子を散らばしているのか。
このアスファルトの不毛な大地にと、ふと思う。

*テンポラリスペースアーカイブス展ー8月7日(金)まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休・休廊

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2009-07-31 12:54 | Comments(0)
2009年 07月 30日

夏日幻想ー朱夏(28)

雲が払われて、陽光が射す。
風あるが、少し夏らしくなる。
九州も関西も梅雨明けせず、ひどいらしい。
夏日幻想、ふっとそんな言葉が浮かんだ。
昨夕若い美術家M・Mさんが来る。
お米のような、変わり玉のような、小学生のような人。
詩人のFさんが作品を評価していたので、
先入観があってもっと大人びた人を想像していた。
話していても暫らくそのギヤップが埋まらない。
今夜まで某地下画廊でグループ展参加中。
岩見沢に帰る前どうしても此処に一度寄り話したかったと言う。
光栄な事だ。
素直でまっすぐないい人で、ついつい最初のギヤップを超えると、
随分話し込んでしまった。
おかげで夕飯食べそこない、帰りにコンビニで冷麦買って帰る。
途中来たもうひとりの若い作家Sくんと、中嶋幸治さんのDVDも見て
時間が過ぎたのだ。
Sくんも8月某地下画廊で個展をするという。
何故か対照的な此処と、磁石のように往来する。
まあ自然といえば自然。必然といえば必然。
若い人の感性は素直だ。
あとは自らの踏ん切り、意志である。

今日はさっぽろと那覇は晴れ。
沖縄へ心は跳ぶ。
豊平ヨシオさんの、青に亀裂の絵画。
冬の雪明りに浮かべたい。
南の島と北の島。
その南北の磁極が、深い磁場を保っている。
青の磁極。
もう少し体調を整えなければ。
食い物に気をつけよう。

久し振りに陽光が射しこみ、ぎらりと一原有徳さんのステンレス版画
外界を映し込む。
村上善男さんの華麗なモダーン津軽が花のよう。
坂口登さんの野草が夏草のように揺れて、
安斎重男さんの掌(てのひら)のジャコメッテイーが、
モノクロームな光に浮かんでいる。
それぞれの<境界>への眼差し。
個を深め、類へと開く。

*テンポラリースペースアーカイブス展ー8月7日(日)まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休・休廊。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2009-07-30 12:25 | Comments(0)
2009年 07月 29日

十郎と剛造ー朱夏(27)

ある時代、違う位置にいたふたりがいる。
ひとりは、アンダーグラウンド、通称アングラのテント舞台でゲリラ的に公演し
ひとりは、現代詩のトップランナーとして華々しくデビューし表舞台にいたのだ。
そのふたりが多分今回初めて「昴(すばる)」8月号誌で対談している。
時代の坑口を掘り進んで、同時代の鉱脈に触れているのだ。
図らずも唐十郎は、夢野久作の「斜坑」を語り、吉増剛造は「石狩シーツ」の
最終連「女抗夫さん」を語っている。
私見でいえば、このふたりの時代への立ち位置は、<斜坑>と<立抗>で
ある。しかし、その切り口の違いを超えて今ふたりが触れているのは時代の
鉱脈、同時代の槐炭である。
湯気を湯毛と言い換え、共感しあうところが面白い。
ふたりの感受性の繊毛が、同じ時代の毛根だった事を顕している
と思えるからだ。
<・・・さらに女抗夫さんが働いていた山を、「濡れた山」と表現する。
 この濡れた山というのは、斜面の濡れた肌具合ではなくて、これは山の中
 まで下っている斜坑の肌、内部の穴の坂道、その肌合いに触れている「濡
 れた山」なのかなと僕は感じたんです。>(唐十郎)
<・・・大地のしわに炭鉱があるから、石炭を掘り出すシーンばかりを人は言う
 けれど、じつは大地のしわには非常になまめかしい、濡れたような、そういう
 ものが内包されているんですね。>(吉増剛造)
ここでふたりが期せずして同じ言葉で語っている<濡れた>ものとは、
ふたりの同時代へのタッチ、ハイタッチであると私には見える。
これはもう、時代の義兄弟だなあもう。
この後ふたりの対談はさらにヒートアップして、湯気は湯毛へと至るのだ。
さらに音の生々しい触感に至り、「正当」をルビして「あたりき」と読むこと、
土方巽の音「ギギギッ」「フグフグ、チュチュ」へと跳ぶ。
ここまで生々しい対談も滅多にないだろう。
心地よいと思えるのは、この対談がジャンルの相違、立ち位置の違ったかに
見えたふたりが、ここまでなまめいて語り合っている事実である。
同じものを見つめている喜びが、話を跳ばす。
長く俯いた時間のビットウイーン。
時の保水力がこうして今ふたりを出会わせている。
この対話は、源泉のようにポコ、ポコと湧き上がる湯毛の音がするよ。

*テンポラリーアーカイブス展ー8月7日(日)まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休・休廊

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2009-07-29 13:31 | Comments(0)
2009年 07月 28日

同時代の毛根ー朱夏(26)

雨上がりの路面を自転車で快調に疾走る。
足の痛みあがり。病みあがり。
ただ鼻歌に”ハミガキブロック!イエー!”は、でない。
遠い渚とか、なんだかフォークぽいメロデイー。
これが痛みあがりの証拠。身体って正直。
休みの昨日、唐牛幸史さんの山下邸、雨の中旭丘高前まで探す。
見つけたが鍵かかって不在。外から中を窺う。
古い一軒家で和洋折衷の廊下、ガラス戸、和室に作品が仄見える。
手前の庭の大きな木がいい。残念だが内部は見れず帰る。

一昨日中嶋幸治さんが伊藤拓さん買い上げの作品を額装して持参。
此処で手渡す約束という。
透明なアクリルケースにオレンジのエンヴェロープ(封筒)が、
ふんわりと浮かんで見事。
伊藤さんブログ「通りすがりのホープ」に早速掲載される。
さらに会場DVD編集し持参。
伊藤さんと3人で見る。
ちょうどかりんさんが来ていた時で、
2階吹き抜けの窓際床に涅槃仏のように横寝している場面が映っている。
夜の映像は、隣り喫茶室で谷口顕一郎さんのDVDを見ていた時で、
ケンちゃんの声がバックに流れて、まるで中嶋さんの作品の解説を
しているかのようだ。
昼夜と2回に分けて撮影されているこのDVDは、
目線が作品を実によく咀嚼している。
さらに作家自身マックで編集を加え、
優れた映像カタログテキストになっている。
これに刷り物が入れば完璧だ。
道具の進歩の大きなプラス面である。

先日購入した「昴」誌、唐十郎×吉増剛造対談読む。
時代を生きる切り口の違いが、時を経て<斜坑>と<立抗>のような
ふたりの坑口の相違を超えて、同じ時代の鉱脈に触れている。
同時代の毛根だなあ、これは。
湯気を湯毛というふたりの感受性の毛の位置。
生えている場処は最初異なるが、その時代の毛根は同じ身体にある。

足痛めた日、いろんな事が駈け巡った。
おかげで痛みが飛んだ。

*テンポラリースペースアーカイブス展ー8月7日(金)まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休・休廊

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2009-07-28 12:36 | Comments(4)
2009年 07月 26日

足に来るー朱夏(25)

くの字に不自然な格好でうたた寝をしていた所為か、急に足がつる。
右足の筋がつって、痛んだ。
自慢の健脚も台無しで、大通り駅で降り本を買うも、歩く速度が遅い。
もともとこの群集の早足は嫌いだったが、痛んで歩く足には、特にその嫌悪が
増す。普段のさらに3割位の速度で歩き、南円山に帰る。
無理をしたのか、足の痛みが止まらない。
とりあえず横になったら、ぐたっと眠りに入った。
それでも「音楽バカ」など意地汚くTVッ子で見て、固い枕にして眠った。
今朝は大分痛みも退いて、7割くらい回復。
なんだろうこの痛みは・・・。
こんな風に、いつの間にか何かに冒され、倒れたりするのだろうか。
2年前もそんな事があった。
路上でふらふらと倒れこみ、しゃがんだ。
貧血だった。軽い胃潰瘍で出血していたのだ。
この時は、札大のM先生に世話になった。恩は忘れない。
何故か不安を感じて駆けつけてくれたのだ。
友情の勘であると信ずる。
今の場所に来てからも随分と人の世話になった。
石狩の孤児、サッポロ漂流者の私は、その志において悔いはないが、
こうして不意に身体の不調に見舞われると、ふと弱気な人の子にもなる。
特に強いと思っていた筈の処に損傷を受けると、弱さが倍増する。
アキレスの腱である。
初めから強いなどと思わなければいいのだ。
それにしても、あの金魚蜂のような街の速度はなんなのだ。
いつの間にか自称シテーボーイもあの場処から遠くなった。
そう、1カ月程前歩いた時もそう感じていた。
私が生まれたあの場処は、短い距離の隙間のない場処になっていた。
そうなる都市構造にどっぷりと加担し、推進してきた過去がある。
もうその時間から遠く離れて生きている事を、今回遅足・遅歩の内にさらに
実感していたのだ。
病んで、弱くなってはじめてよく見える事がある。
健脚の傲慢を、かって<暴力的韋駄天歩き>と揶揄された事を
思い出している。

*テンポラリースペースアーカイブス展ー7月21日(月)-8月7日(金)
 am11時ーpm7時:月曜定休・休廊

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by kakiten | 2009-07-26 13:12 | Comments(2)
2009年 07月 25日

曇天・曇気ー朱夏(24)

九州では集中豪雨とか。TVで見る光景はひどいものだ。
かって石狩川が氾濫して、月形町までお見舞いに行った事がある。
この時もTVの映像はすごかった。水が引いてお見舞いに行ったのだが、
映像的な危うさは、大水の時は絵になるが、水の引いた後は映像にしないし、
絵にならないから報道しない事である。
それで世間は忘れてしまう。
しかし水の引いた後訪れた私は、その後始末の酷さに驚いた。
濡れた家、壁、家具、布団、衣類、食器等々。
これらの日常の諸々が、汚水に汚れひどい事になっているのだ。
大水の氾濫する映像は映像栄えして分かり易いが、
そうした劇的な状況よりも映像栄えのしない、こまごました日常の方
も傍から見るより大変な事を実感させられたのだ。
汚水に浸かった後ほど地味だが、厄介なものはない。
新建材の壁はぶよぶよになり、あらゆるものが伝染病の危険をはらんでいる。
そのこまごました物の消毒を徹底しなければならない。
月形に着いて、遠目には水もなく平穏に見えた風景は、被災者の家に近付き
その印象は一変したのである。
大向うを意識したマクロの映像と、個の内部に入ったミクロの映像とのギヤップ、
この事実は風水害だけにある事ではない。
表現の問題として置き換えれば、大向う=世間=時代を意識して、
個々の内面を失念する傾向もよく見られることなのだ。

昨夕若い作家ふたりが谷口顕一郎さんの作品制作DVDを見に来る。
見終わって、そのひとりYの為に佐佐木方斎の版画3部作を見せた。
ある人がYには是非見てもらいたいと、以前佐佐木展の折、
語っていたのを思い出したからだ。
佐佐木さんの作品は、ふたりが生まれた頃’80年代の仕事である。
「格子群」「余剰群」「自由群」と見つづける内に、Yの目付きが驚きで円くなる。
もうこんなに前にやっている!・・。
谷口さんのDVDを見る前、今展示中の作品を見ていた驚きが、
さらに佐佐木方斎さんの作品で、駄目押しにもなったようだ。
’90年代初め80歳の一原さん、津軽の村上善男さん、そして’80年代の
佐佐木方斎さんと、知らない時代を覗いた若い彼等は、ある衝撃の中にあった。
今が新しく、その前はもう古いと何となく既成概念化していたマクロな時代観が、
奪われたショックであったかと思う。
マクロに時代があるのではなく、個々のミクロに時代があるのである。
作品は個の結晶として、時代を語り、時代を撃つ。
マクロな世間に付和雷同して、こうした個々の仕事の質を見落として
真の同時代はない。
TVの大袈裟な、その場限りの大状況的な情報のみに
個々の現実がある訳ではないのと同じである。
これから某ギアラリーのアーテイストトークに出かけるというふたりは、
この後何を語ったのだろうか。

*テンポラリースペースアーカイブス展ー7月21日(火)-8月7日(日)
 am11時ーpm7時・月曜定休・休郎

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2009-07-25 12:02 | Comments(0)
2009年 07月 24日

小樽・後志の人ー朱夏(23)

小樽在住の詩人T氏が来る。
現在展示中の一原有徳さんの作品発表時、
そのカタログテキストを書いてくれた。
最近花崎皐平論を某誌に発表した。
詩と論理を兼ね備えた優れた詩人である。
この花崎論は、日本のインテリの死角を鋭く突いた秀論だ。
以前の吉増剛造論も、その批判軸は鋭くその周りに群がる
集(たか)り構造を詩人論として分析していた。
こういう硬派の詩人は今少なく、貴重である。
吉本隆明の正当な系譜にあって、生き方の実践も含め、その詩業がある。
彼の詩集には、彼の生きてきた場が色濃く反映されている。
後志の国の人でもある。
こうした孤独な闘いを、私は私なりに石狩の国を基底に見詰めている。
お互い<ランド(国)>の模索、試行を続けていると思うからだ。
T氏については、いつかきちっと書きたい。
それはまた、自分自身の生きている場について知ることでもある。
生きている場ーランド、その精神の土壌の保水力を高める事。
それは郷土意識と、閉じられる事ではない。
大量生産・大量消費の産業経済構造に対峙する、意識の土壌の事だ。
新→旧の現在に未来を補給として消耗する構造を断つ、
時の保水力を保つ今を、構造的に奪取する闘いの場の事だ。
未来の時間を今の補給に消費するのではなく、
今を未来に開く現在の保水力を問う為だ。
過去へとすぐブンベツ(分別)される今という時間ではなく、
過去を含めて今が豊かな時間、その場を<ランド(国)>とする事。
そこから未来へと撃つて出る足場、立つ場。
それは植物の生き方と似ている。ランド(国)は土壌である。
ふわふわと足場を喪失した大量情報の大量情報消費の土壌に、
固有のランド(国)はない。
後志(しりべし)知るべし。石狩(いしかり)知るべし。
私たちの友情もそこにある。
いつか連れて行って頂いた赤岩、龍の胎内廻りルート。
私が案内したパラト街道、奥三角幻視行。
この交流で感じた後志国と石狩国の相違こそが、開かれた友情である。
違うから開くのだ。同じ事は、同じで閉じる事だ。
大量生産・大量消費は同じ顔をして、浅く冷たく閉じているから。
そして大量消費された場は、ランド(国)を生むことなく、
ランドフイル(最終ゴミ処理場)という埋め立てをもたらす。
過去とは時間の埋め立てなのか?
埋め立てられ、捨てられ、分別(ブンベツ)されたものは、逆襲する。
人間もブンベツされ、塵灰のように処理される。
現代社会は今そうじゃないのか。


*テンポラリースペースアーカイブス展ー7月21日(火)-8月7日(日)
 am11時ーpm7時・月曜定休・休廊

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2009-07-24 13:43 | Comments(0)
2009年 07月 23日

心渦巻き、時の戸を叩くー朱夏(22)

テンポラリー通信をほぼ毎日書いているので、
たまに見るとどかっと量があり、大変だと言われた。
そこで、毎日歯を磨くように書いてますと応えたら、
ハミガキブロッグと仇名された。
その命名者は東京・M美術館の正木基さんである。
最近体調いい時は、ハミガキブロック、イエ~!と鼻歌しながら、
自転車を疾走するのが癖になった。
そんな昨日夕刻、唐牛幸史さんが来る。
彼は今、旭丘高校近くの一軒家山下邸を作品化しているという。
作業も一段落して、テンポラリースペースアーカイブス展を見に来たと言う。
いつの間にか京都からこっちに来ていたらしい。
今度休みに見に行こうと思う。
そんな話をしていたら、電話が鳴る。なんと正木さんからだ。
今年11月の企画展「’文化資源としての<炭鉱>展」の打ち合わせだった。
今唐牛さんが来てるよと言うと、吃驚する。
’83年の川俣正テトラハウス326以来
最近になってやっとふたりは連絡とれたばかりなのだ。
こうして時間は一気に遡り、過去は今に直結する。
さらに今朝一本のメールが届いていた。
横浜の陶芸家川口淳さんからである。
川口さんも川俣さんのテトラハウスでの出会いである。
今回のアーカイブス展の知らせを受けて、
安斎重男や岡部昌生の名を見て、連絡をくれたのである。
<・・はじめての中森さんとの出会いに、安斎さんとの出会いがあり、川俣との
 出会いがあり、岡部さんとの出会いがありました。>
発信日を見ると、ほぼ唐牛さん、正木さんと話が弾んでいた時間の後である。
不思議、不思議・・。テトラハウス再会だ。
心は時に、時を超え、今という戸口を叩く。
これもハミガキブロック、イエ~!と朝走った所為かも。
ねえ、正木さん・・。

*テンポラリースペースアーカイブス展ー7月21日(火)-8月7日(日)
 am11時ーpm7時・月曜定休・休廊

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by kakiten | 2009-07-23 10:53 | Comments(0)
2009年 07月 22日

油を注し、空気を入れるー朱夏(21)

自転車に油を注し、タイヤに空気を入れる。
ペタルが軽くなり、タイヤの路面への抵抗がパリッとする。
いい感じ。
またハミガキブロッグ、イエ~!と、疾走する。
曇天、風冷たく、これが真夏?というさっぽろだ。
境界を主題とするテンポラリースペースアーカイブス。
’90年代の個々の作家の挾間の挑戦が初々しい。
こうして夏の光にたまに晒すと、古いはずの作品にも、
油が注され、空気が入る。
ステンレス鏡面の一原有徳さんの3面の作品は、外界をもその鏡面に
取り込みアセチレンで焼かれた赤黒の紋様とともに、
不思議な空間を創っている。
御年80歳の作品。その新しい事への挑戦が若々しい。
村上善男さんの「常盤村紙円の繰り」は、
東北の深い土着と近代が交叉して華やかにして、重厚である。
その両脇を飾る韓国の黄宇哲さんの作品「figure study」2点は、
朝鮮半島の二分された内面を熱く個のゆらぎとして映し出している。
近くて遠い隣国。
間に置かれた村上さんの津軽モダーンが、遠い時代の交流を暗示
しているかに見える。
米国で生まれた日系人坂口登さんのニ連画「精神と野草」は、
母方のヤマトと合理の国アメリカとの対比が、スクエアーな画面と
ヤマト絵調の曲線が現実の二重の位相として、くっきりと表現されている。
写真家安斎重男の初期の傑作掌(てのひら)のジャコメッテイーは、
針金のような彫刻体と掌の柔らかな暖かさ、
その直線と曲線の対比に東洋と西洋が象徴される。
アナログとデジタルの対峙とも見えるのだ。
岡部昌生の「砂澤ビッキ神の舌彫痕」は、
彼のフロッタージュ素材への分岐ともなった作品である。
それまでフロッタージュ オン ザロードとか、ウオールとか、
何の変哲も無い壁・路上をひたすら擦り続けてきた岡部が、固有の名のある人、
固有の場所を主にフロッタージュしだした転回点の時期の作品である。
無名性から有名性へ。
その後ヒロシマ、ビッキ、イチハラ、ユウバリと、固有名の場・人へと
フロッタージュの対象を変えていく。
かって作家山口瞳が<巨大なボロ雑巾>と評した、場所まるごと汗水だらけの
行為の記録は影を潜め、よりシステマテイックな小さなフロッタージュ
そのコラージュ化、デザイン化の方向に進んでいく。
その転機ともなる境(さかい)の作品である。

こして<境界>をテーマに展示してみると、個々の作家固有の格闘・転機が
見え、その違いに現代の多様な価値観が見える。
もう簡単にグローバルだの国際化だなどと言うな。
個々の作家の個の内にこそ、真の境界が際(キワ)として、切実でリアルである。
個々の生き方を直視せずして、なにが表現といえるか。
分野も然り、個々の表現も然り。生きる場も然り。
安直に分類・越境するな。

*テンポラリースペースアーカイブス展ー7月21日(火)-8月7日(日)
 am11時ーpm7時:月曜定休・休廊

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by kakiten | 2009-07-22 13:17 | Comments(0)
2009年 07月 21日

テンポラリーアーカイブス展ー朱夏(20)

’90年代のテンポラリースペースを飾った作家たちの作品を飾る。
小樽在住の一原有徳さんのステンレス鏡面の大作を正面に。
2年前亡くなった津軽の作家村上善男さんの「常盤村紙円の繰り」を左壁に。
その左右は韓国の黄宇哲さんの「figure study」を2点。
西側の縦の空間には、安斎重男さんの写真掌のジャコメッテイーを。
南窓下にはニューヨーク在住の坂口登さんの「精神と野草」、
その左側壁には、岡部昌生氏のタッチインビッキのフロッタージュ作品を飾る。
各作品脇には当時のカタログテキストを添え、すっきりといい感じに展示できる。
まだまだ収蔵作品は色々あるけれど、バランス的にこれでいいと思う。
’90年代それぞれの作家が光り輝いていた時代を象徴する作品群である。
新しい白い壁と夏の光に映える空間となったと、自画自賛する。
こうして見ると、まことに空間とは置かれるものによって表情が変わるものだ。
先々週までのかりんさんの女性らしい豊穣な空間とはまるで違う。
帯広の岡和田直人さんが土産にくれた茄子ときゅうり。
その中のU字型に曲がったきゅうりを、首飾りのようにかりんさんが首につけたら
、本当に首飾りになってしまった。
かりんさんは土のような、豊穣な感覚が似合うのだ。
勢いもあるから、流れるものもあって、土石流のような力もある。
このパワーはやはり女性パワーである
きゅうりを首飾りにして似合う人は、そうざらにはいないだろう。
傍で見ていたいしまるあきこさんが、そう呟いていた。
個展は作家の個性が充満し、輝く。
今展示の数人の作家展の場合は、キューレートする方のコンセプトが大事である。
個性を束ねる場<×1>の位置が、重要である。
岡和田直人さんのひたすらなひと刷けが、会場をきりっとして、気持ち良く展示
出来た気がする。

*テンポラリースペースアーカイブス展ー7月21日(火)-8月7日(金)
 am11時ーpm7時・月曜定休・休廊
*8月8日(土)-16日(日)休廊。

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by kakiten | 2009-07-21 13:09 | Comments(0)