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2009年 05月 30日

UFO飛来ー夢の中径(25)

半ズボン姿の大木裕之さんが来廊し、1時間ほどUFOして、テトラハウス、
ひまわり荘、まおい荘の周りを、時空を超えぐるぐる旋回していた。
UFOは午後1時にはここを去り、千歳から福岡へと飛んだ。
川俣さん、正木さん、テトラハウス時空体は今も健在です。
夕方、ひっそりとギヤラリーの戸の開く音がして、高校生の詩人Fさんが来た。
MギヤラリーでGさんと会い、途中まで一緒だったと言う。
石狩の山野草をお庭に植え、日々美しい花日記を記録されているGさんは、
そのお花の縁で今新たな交友関係を充実させている。
本業は画家であり、青の色彩をとことん追求している作家である。
青には光が大切である。陽光が一番いい。そうした光り溢れるギヤラリーを探し
ているのだ。Mギヤラリーはそのお眼鏡に適ったようだった。
2年前私のところでもいい個展をして頂いた。
青い宇宙のような絵を描くGさんと、17歳の詩人の少女と。
UFO人大木さんの飛来した日に相応しい人たち。
沢田研二・ジュリーが好きで、最近のTV公演に夢中というお母さんの話を聞いた。
ちょうど陽水のカセットテープを流していたから、そんな話になったのだろう。
陽水とジュリーではどちらがUFO系かといえば、やはりジュリーの方だ。
来年大学受験のFさんと、将来の針路などを話した。
Fさんもまた近い将来さっぽろを出て行くのだ。
京都の大学へ今年入学したIさんといい、東京へ行くだろうFさんといい、
ここはやはり駅かなあ。トランス(経由)場である。充電し溜めて発する。
UFO飛来地である。年齢を超えなにやら種々話し込んだ。
この選択の時期は将来を左右する大きな大切な時である。
川俣正アーカイブ展を展示中ずっと感じていた事もそれだ。
まして、10代後半の選択は凄く濃い時間である。
その後にも何度か訪れるそうした時を、今痛みのように感じていたからだ。
そんな事を語りながら、今を語って時間が過ぎた。
UFO大木裕之の来訪した一日は、心も時空を超え飛来して過ぎる。

*川俣正アーカイブ「テトラハウス326」記録展ー31日(日)まで。
 am11時ーpm7時

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2009-05-30 12:18 | Comments(0)
2009年 05月 29日

コザの市場・まおい荘の住人ー夢の中径(24)

沖縄コザに住むチQさんから電話がくる。
6月個展の打ち合わせと、向こうの状況の話。
市場の住人がいいという。しっかりと土地に根ざして生きている。
特に戦後直後生れの大人たちが、元気と言う。
戦後の修羅をくぐり抜け、生存競争を生き抜いてきた自信を感じるという。
年齢を重ねるという事は、本来そういう事だと思う。
生き生き、活き活き。生活の根を地域に張って生きている。
そんな大人が眩しいのだ。
画家はそうした人の中で、地域を見、人を感じ、札幌を同時に見ている。
生活の根の細い、経済に大きく歪曲化した日常を生活感とする生活。
それを現実とかいう二元論。その陥穽から抜けてきたなと思う。
現(うつつ)と実(お金)ふたつが一元化して、現実という字の意味がある。
両端のものが激しく反発しあい引き合うときに磁場ができる。
正×反=合である。
分離・分類して二元化し一方に偏重して磁場はない。生活もない。
二元論的な神と悪魔、美と醜、正と邪に振り分け、一方を優位性に置く。
貧と富、勝ち組み、負け組。中央、地方、新と旧。
これらは差別・区別しか生まない。線引きの間しかないからだ。
燃える磁場がない。つまりは生活がないのである。
沖縄の聖なる場、御獄(うたき)で感じた事は、生と死の共存、明と暗の同時
存在とでもいえるものだった。相反するものが強烈に磁場を創っていた。
我々は身体で本当はそんな事を知っているはずなのだ。
新陳代謝とは日々の身体の日常である。
身体の生活である。どちらかに偏重すれば、身体がおかしくなる。
食べ過ぎか下痢という事だ。
新陳と代謝の間に身体の命が保たれている。
呼気と吸気の間に命がある。それが生活である。
そこを分離し、片方を切り捨てるような生活が上等である筈がない。
しかし実際には平気でそんな行為をして、文化だ、生活だと解釈している。
この観念的操作に真の生活はない。
チQさんがコザの市場で感じているのは、そうした産業経済都市が喪失して
きた当たり前の生活であると思える。
沖縄コザからのポストカード、市場便り展来月ロックの日。
6月9日からの展示を楽しみにしている。

大木裕之さんが風のように訪れ、去っていった。
テトラハウスの一軒隣まおい荘に一ヶ月住んで、名作「オカクレ」を撮影した。
川俣正のテトラハウスプロッジェクトから20年後の事である。
大木さんの滞在したまおい荘はひまわり荘とともに今も在る。
しばし、テトラハウス326展の写真に見入る大木裕之がいた。

*川俣正アーカイブ「テトラハウス326」記録展ー5月31日(日)まで。
 am11時ーpm7時。
*酒井博史てん刻ライブー6月6日(土)・7日(日)
*チQ「沖縄からのポストカード」展ー6月9日(火)-21日(日)
*及川恒平フォークライブ「TASOGARE」-6月28日(日)午後6時半~
 入場料3000円・予約2500円
*中嶋幸治「エンヴェロープの風の鱗」展ー6月23日(火)-7月5日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2009-05-29 12:15 | Comments(0)
2009年 05月 28日

スイスへ発つ人ー夢の中径(23)

S大学Y文庫にお勤めのKさんから葉書が届く。
最近結婚され、お見えにならないのが気がかりだった。
KさんはTさんといつもコンビで、私の一昨年10月の入院中にも
ふたりでお見舞いに来てくれた。あの時頂いた毛布は今も大事にしている。
葉書の内容は、スイス・ベルンに移住する知らせだった。
ベルンは、向こうの言葉で熊を意味するらしい。
そういえば、北海道の熊の木彫りの原点はスイスにあると
いつか特集番組で見た記憶がある。
冬の内職にと、外遊中の殿様が、移住した北海道の侍たちに見本に
スイスから持ち込んだのが始まりという。
しかし肝心のスイスでは、もう森林が開拓され熊はいないそうだ。
風光明媚なスイスの風景に、美しい自然を感じていたあのハイジの世界は、
実は森を破壊した後の整備された第二次自然だったのだ。
北海道の自然破壊の先輩のようなスイスへ、Kさんが移住するのはいい経験
を保つことになる。すぐ電話してそんな話をした。
立つ前に寄りますと言う。決まるまで<熊>つながりでスイスと北海道が関係
あるのは知らなかったという。
離れる事で見えるさっぽろを、北をしっかり見詰めて下さいと励ます。
札幌が好きでほんとうは離れたくないけど・・と言ったから。
このところ、発つ人が多い。数えても五本の指が埋まる。
いい事だが、時に淋しくなる感傷もある。
遠い記憶と出会う事もそうだが、こうして今遠くへ旅立つ人を送るのも同じだ。
ただ何処へ行こうと誰かとまた出会う可能性が沢山出来た事も事実。
網走、那覇、福岡、京都、尾道、ベルリン、ベルン、ニューヨーク等々。
国や地方というより街の名前でその人を思い出す。
道内もそう。もっともっと歩き、会いに行こう。
四国在住のUFO人大木裕之さん来訪の知らせがある。
「リメイ」制作の一年目。彼もまた新たな挑戦の中にいる。

*川俣正アーカイブ「テトラハウス326」記録展ー5月31日(日)まで。
 am11時ーpm7時
*酒井博史てん刻ライブー6月6日(土)・7日(日)
*チQ「沖縄からのポストカード」展ー6月9日(火)-21日(日)
*中嶋幸治展「エンヴェロープの風の鱗」-6月23日(火)-7月5日(日)
*及川恒平フォークライブ「TASOGARE」-6月28日(日)午後6時半~
 入場料3000円・予約2500円
*中川かりん展ー7月7日(火)-12日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2009-05-28 12:33 | Comments(0)
2009年 05月 27日

寄せては返すー夢の中径(22)

休みの日脈絡のない食事(?)をした所為か、胃の調子が良くなく、
昨日は昼を抜く。すると単純に今日は調子良い。
曇天少し涼しい空気のなか、快調に疾走る。
体調悪いと、心も落ち込み狭い穴のような記憶の中に潜り込む。
それも自分の原点、原罪、現在。
そんな時中嶋幸治さん、沖縄チQさんの声が届く。
陥穽から出て、今を見る。
東京のIさんから便り。6月後半訪問の知らせ。
前のスペースの2階窓。蔦と銀杏と藻岩山。その風景が好きだったという。
ここは初めて。銀杏も山もないけれど、蔦は繁っているよと伝えた。
寄せては返す心の便り。
未来と過去の境を、今という時間が過ぎ溜まっていく。
凝縮した記憶。そこから未来も今も来る。
陽光・陽水・川俣正。
少女の年増もいれば、年を重ねた少年もいる。
「テトラハウス326」当時の俊英美術批評家、佐藤真史さんが訪ねて来た。
腎臓悪くして今はもう書いていないとのこと。
撫でるように展示写真を見ている。
あっ、ここにいた。少し照れながら自分を指さす。
ブログ読んで来ました、もう本当に久し振りで・・・。
変わらぬシャイな笑顔を見せる。
佐佐木方斎さんの「美術ノート」にも連載で美術批評を載せていたっけ。
学校の先生をしながら今も、遠い記憶に導かれ訪ねて来た。
凝縮した記憶は変わらない。
他の展覧会も見ず、もう書く事もない。けれど、川俣テトラ経験は消えていない。
材木を担ぎ、張り巡らし汗をかいた40日間。
何かが残り、今も燃えている。あれは、懐旧の情だけではない。
敏を重ねた少年の眼だ、その時間を保つてここに来たのだ。
書く、書かない、もういいよ。
来てくれただけで、もういい。こんな肩肘張った乱筆ブログを読んでて
くれてありがとう、そう声にならない心で迎えていた。
正木基さん、川俣さん、ご報告です。
佐藤真史さんが来てくれましたよ。白い頭の少年の眼をして。

*川俣正アーカイブ「テトラハウス326」記録展ー5月31日(日)まで。
 am11時ーpm7時

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2009-05-27 12:32 | Comments(0)
2009年 05月 26日

過去は未来からやってくるー夢の中径(21)

<過去は未来からやってくる>
尾道で船大工を修行している野上裕之さんの便りの一節。
船大工の技術を受け継ぐ仕事に就いた野上さん。
今この言葉は、彼の実感と思う。
網走で漁師の技を習得中の佐々木さん。
ふたりの生活の現場で生きる術は、みな過去から続くものである。
そして、そこに今の自分の未来がある。
立場は違えこそすれ、川俣正展で自分が感じていた事と交錯するのだ。
時間差の軸がヨドバシやビッグカッメラと違う位相にある。
言ってしまえば、文明と文化の新旧の時間軸の違い。

そんなことを考えていた所為か、古い夢を見た。
休廊日の昨日。
さっぽろへ帰る前のあるひたむきな行為。
「卒業」という映画のような無謀で一心な行為。
人が人を引き受け、ともに人生を歩む。
その為の果敢な一心をトラウマのように今も引きずっているのか。
一緒にさっぽろに帰りたかったね。
古い夢のなかに、原点がある。生き様が見えてくる。
そこに、夢の中で戻っていた。
目覚めて、疲労が残った。過去に潜り込み現在を見詰める自分がいる。
すれ違った大事な時間の心の機微が、痛くなって刺さっていた。
霧の中だった断片が、生き生きと全体を見せている。
だからなお痛む。
ほとんどひとり言に近い内向きの世界。
そいつが根っ子で今を露(あらわ)にする。

中嶋幸治さん、チQさんから声が届く。
ふたりの個展の次なるスタート。
やあ、と肩を叩きにきたね。
今を生きようね。

*川俣正アーカイブ「テトラハウス326」記録展ー31日(日)まで。
 am11時ーpm7時

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503

 
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by kakiten | 2009-05-26 12:27 | Comments(0)
2009年 05月 24日

ガンダム化ー夢の中径(20)

生で、活き活きした命が<生活>の原義とするなら、
その生活を助け、快適にする様々な増幅がある。
それが文明力というものだろう。
その文明が時に温室のように<生活>の周りを厚く包囲する。
生(なま)で生き生きという生活の原義が、その増幅装置に囲まれて、
ガンダム化するのが、今の状況だ。
補助するものが主となり、増幅そのもが主役の座にすわる。
五体五感が、一体・一感化し一局拡張・拡大する。
補助する力の増幅が主役で、養殖場のように都市化が進み、
地球の温暖化が増し、温室化する。
その増幅の痛みを体が感じる。これがガンダム化である。
超高層のタワーマンシヨンに住み、足の代わりに高速エレベーターを使う。
遠くの出来事を居ながらにして見る。ネットであり、TVである。
こうした増幅装置は現在数えあげれば限りがない。
その分便利で簡単で快適と思う。それを進歩と思う。否定はしない。
ただその日常生活に、<生活>の原点とのズレを知る事にも敏感であるべきと
思うのだ。
生き生き、活き活きとは全身で感じとる感覚だからである。
あっ便利、というのは部分的快適さと思うからだ。
生きる条件の整備構造も大切だが、人は生き物として草木や水のように、
全身で感じる存在でもある。その時哲学がある。
如何に生きるか。如何に自分らしくあるか。
その個の表現回路として、芸術・文化の領域がある。
しかしその文化の領域にも増幅がある。
それは情報という社会的増幅装置から為される。
その増幅は有名性とか権威性とかを付随する増幅である。
生(なま)で活き活きとした<生活>の現場は、増幅された分喪失し虚像化する。
有名性という増幅もまた、<生活>を希薄にするものだ。
今回の川俣正「テトラハウス326」記録展を通して、まだ無名時代に近い川俣
のさっぽろでの仕事には無関心で、欧米や中央でのその後の活躍等の有名性
のあるプロジェクトにのみ関心が集る、札幌的亡国状況を思うのだ。
大河だけが川ではない。源流という小川がある。遠くにの大きな有名性だけを見て
足元に発した<生き生き、活き活き>現場を見ない。
これも文化のガンダム化と思える。増幅された大状況しか見ないからだ。

*川俣正アーカイブ展「テトラハウス326」記録展ー31日(日)まで延長。

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by kakiten | 2009-05-24 14:01 | Comments(0)
2009年 05月 23日

生(なま)で、活き活きー夢の中径(19)

生活とは何か。
本来の意味を確認したくて、漢和辞典を見る。
<生>:草木の芽生え。これが地面にはえて伸びてゆくのが生とある。
<活>:活は水が勢いよく流れる音をいった。形声文字。
草木と水の勢いを表わす言葉が原義である。
普段我々が生活として使うくたびれたイメージとは、真逆の世界である。
生活臭が漂うというような、俯いた視線とは違う。
生(なま)で、生き生き、活き活き。
この<生活>が、社会というシステム化された構造下では、ひしゃげた暗い
感触となって、本来の命の<生活>とは異質のものとなる。
優れて自然的なもの、優れて芸術的なものは、きっとこの<生活>を本来
の意味に復活させる力を保つ。
システム化された社会生活を、<生活>と取り違えたまま
去勢されてはいないか。
命の側に<生活>を取り戻す闘いを放棄し、日常生活、社会生活の枠に
押し込めたまま、公私とかいって振り分けてすませてはいないか。
生(なま)で活き活きした<生活>を、
干物か燻製のように干乾びさせ、解釈していないか。
<生活>をアカデミックでペダンテイックな煙や火で炙り出してはいないか。
干物化し燻製化し化石化する構造的なシステムを、一瞬ぎょっとこじ開け、
解き放つのが芸術・文化の本質力ではないのか。
川俣正のインスタレーシヨンは、日常の生活の隙間を撃つ、
そうした行為であったと今も思う。
古い民家を改造しそこに多くの作家たちが、活き活きとある期間作品を展示し、
繰り返される日々を今送りながら、川俣のインスタレーシヨンは今も続いている
ような気がする。
展示もまた、期間限定のインスタレーシヨンだから。
蔦が繁り、野上裕之さんの制作した鉛の看板が鈍く光り、
古民家と作品が一体となって夏冬がある。
いまもあのテトラハウスの時間を、<生活>として生きているのかも知れないと
ふっとそう思ったのである。
そして、そうしたシンプルな<生活>を取り戻す為に、随分遠回りして今がある
とさえ思えるのだ。
5月は誕生月である。私は自分の誕生月に今立ち会うように、不思議な廻り合せ
で、川俣正展を迎えたのかも知れない。
生(なま)に、活き活き、雨模様の今日、草木も水も元気だ。
Yさんの展評の所為か、訪問者が増える。もっと見て感じて欲しい。
あと一週間延期しようか。今年5月はそういう月なのかも知れない。
凝縮し拡散し、溜める時間。
ねえ、佐々木恒雄さん、チQさん、中嶋幸治さん、小林由佳さん、・・・、。
恋しているFさんよ、尾道の野上裕之さんよ。

*川俣正アーカイブ「テトラハウス326」記録展ー5月31日(日)まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休・休廊

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2009-05-23 12:45 | Comments(2)
2009年 05月 22日

不眠・ムーミンー夢の中径(18)

佐々木恒雄さんの朝4時起きの話に影響された訳でもないだろうが、
昨日は朝4時頃起きた。晴天予報だったので東向きのベランダに布団を干す。
おかげで、その夜は暖かい布団だった。
しかし日中は眠くて参った。
今朝は曇天・雨。
先日取材してくれたY氏が、美術ブログに川俣正展の展評を書いている。
そのさりげない、暖かい視線が嬉しい。
私のように頭の悪い人間は、大上段にものを考えがちなところがあるが、
そんなむきになる野暮がなく、さらりと語れるフットワークはY氏の持ち味である。
記録展とはいいながらも、現在に対して決して古色蒼然とした記録ではない。
新旧の時間が激しい時間の保水力の薄い現在にあって、
この記録展は少しも色褪せたものではない。
Hという現代芸術学専門の人が、昨日のコラム欄に、「経済的な表現力」という
題で、分かったような分からないような事を書いていた。
かって産学協同反対というスローガンで、運動が存在した事を思えば、この経済
と芸術の密通みたいな小論は許しがたいものがある。
本来対極に在るものを、表現という言葉の拡大解釈で密通させ、本質論に還元す
る。ここには哲学がないのだ。
学者なら学者らしく、もっと深く沈殿せよ。
産業経済上の創造力、技術的な発想力、それがこの不況時の活性化の力になる
事と、芸術・文化の想像力とは本質的に異域の問題である。
違いを曖昧にして、表現力という抽象的な言葉で相似化される薄気味悪さは
如何んともし難い。
今必要なのは、美術は美術、経済は経済として独立分離を徹底することだ。
安直に密通する思想こそ敵である。
アートで町興しとか、アートビジネスとか、物のグローバル化と歩調を共にした
南北の対極を保たないエセ東西磁場に媚びる、産芸協同は度し難いものがある。
境を明確にせず、またその境を分類・分離・区別のパックのハコに収斂させず、
境を境としてスパークさせ、活き活きとしたコンテンポラリーな感触を得る為の
模索・苦悩は安直な密通とは無縁のものだ。
荒んで不漁の海を前にして、漁師が山に木を植える英知は、漁という生活の為に
こそある。境は境として海の界の為である。山の界の為ではない。
しかし分類・分離の閉じたハコではない。
産業経済社会と芸術文化は、違う領域である。海の漁師のように
芸術文化の界(さかい)にいる事に、生活の現場を保たなければならない。
その徹底を曖昧にして、境を越えるなといいたいのだ。
海、山を繋ぐ川の回路を直線化する安易は、界(さかい)の自立を破壊する
行為であるからだ。

あっ、また大上段になったかも。
ムーミン、不眠のせいだね。

*川俣正アーカイブ「テトラハウス3236」記録展ー24日(日)まで。
 am11時ーpm7時

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2009-05-22 13:09 | Comments(2)
2009年 05月 21日

網走便りー夢の中径(17)

網走の佐々木恒雄さんから電話が来る。
こちらからも電話していたが出ないので、忙しいのだろうと思っていた。
毎朝4時起きで、5時から仕事ですと言う。
ー夕方終って、飯食ってその後ぐっすり。札幌とは逆の生活です。
今はまだ漁には出ていなくて、網の補修とか出漁前の仕込みを手伝ってます。
この間みんなに紹介され、宴会で絵を描いているのかと聞かれ、どんな絵か
ここで描いてみろと言われ描きました。
それがオークシヨンになり、段々上がって3万円まで値が付きました。
でも結局売れなかったです(笑)。
ー歓迎の洗礼だね。今、頂いたテープデッキで陽水をかけているよ。
ーブログ読んでます。来週休みに釧路へ行き、売れた「朱雀」をFさんに届けに
行きます。ジスイズで待ち合わせます。
ー漁師の仕事、しっかり覚えて下さい。それが新たな絵の為の仕込みにも
なるよう頑張って。
そんな会話を交わした。元気そうだったが、絵を描きたいストレスも溜まっている
ようだった。しかし確実に新たな生活の匂いがした。
そこからきっと何かが生まれる。今はすべての点で、仕込みの時期なのだ。
生活の現場の対極に絵がある。その両極が佐々木恒雄という磁場を創る。
漁師の厳しい仕事の現場で、絵画は何の役にも立たない。
しかし、佐々木恒雄自身はやはり絵を描きたいのである。
漁師に生きる佐々木、美術に生きる佐々木、両方が対極にあって佐々木恒雄
なのだ。それは、個の問題である。
その個としての佐々木恒雄に私の友情もある。
海の生活者の先輩たちが、半分からかい気味に絵描きをおちょくったのも、
飾らない歓迎の気持ちである。生活の現場におけるそれが美術の位置なのだ。
佐々木恒雄という個人はそこで認知され、手荒く札幌時代を冷やかされたのだ。
あとはやるしかない。そして今度は本気で漁師の眼で、作品を購入してくれる時
が来る。労働の価値として、その等価を認めるように。
パン屋さんはパン屋さんの労働(ワーク)の範囲で、僕の作品をみてくれるので
す。そしてその財力に合わせて買ってくれるのです。日本にいた時は、芸術家
というと胡散臭いか、解らないけど偉い人かと、目が45度上か下でしか見てくれ
なかった。ここでは対等に水平に見てくれます。それが何よりも嬉しかった。
ドイツに滞在する谷口顕一郎さんがいつか語っていた事だ。
佐々木さんの網走第一歩は、間違いなく目45度上でも下でもなく対等の位置
の洗礼を受け始まりつつある。
あとは、やるしきゃないね。真っ当に生きていこうぜ。

*川俣正アーカイブ「テトラハウス326」記録展ー5月24日(日)まで。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2009-05-21 08:53 | Comments(0)
2009年 05月 20日

冷やし中華ラプソディーー夢の中径(16)

陽水の甘い緩やかな声を聞いていると、
なんの変哲も無い詞(ことば)が飛翔し、遠い記憶をなぞるような気がする。
声という響きの魔力である。
昨日とはうって変わり、風もなく気温も上がる。
陽水の声に誘われるように、暑い夏初めて東京で冷やし中華を食べた記憶
が甦る。高い湿度、多摩川の近くの町を歩いていた。
ふと見かけた<冷>という文字に惹かれ一軒の中華屋に入る。
冷やし中華という名のラーメンを初めて注文した。
暑さに疲れた体に、酢の効いたそれは、本当に美味かった。
当時付き合っていたAという多摩美大の彼女にその話をすると、
余程美味しそうに話した所為か、是非連れて行ってくれという。
それで一緒にそこへ行ったのだが、もうその時は暑さも疲労もない時で、
再び行ったその店は、なにか小汚くデートするような場所ではなかった。
さらに、肝心の冷やし中華もあまり美味しく感じられず、
おそるおそる彼女の顔を見ると、同じように美味そうでも、
満足気でもない事が容易に見て取れた。
言い訳のように、暑くて疲れていた時はすっごく美味かったんだと
呟いた気がする。
美味しいものを一緒に食べ、街を歩くそんなデートを期待していただろう事を
今、痛みのように想い出す。
学生運動に関り、ろくにデートらしいデートもしなかった苦い思い出である。
暑く冷やし中華の季節になると、その美味と苦味の両方をいつも想い出すのだ。

川俣正アーカイブ展にテープの陽水をかけながら、最後のニュースや、少年時代
を聞き、脳もまた陽水の声に誘われて古い記憶が流れ出す。
初めての冷やし中華。
同じ美味を共有できなかった相手の小さな孤独とともに、
社会の大きな連帯よりも、愛する人間ひとりとの小さな共有の喪失を今、
刺のように想い出す。

*川俣正アーカイブ「テトラハウス326」記録展ー5月24日(日)まで。
 am11時ーpm7時

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2009-05-20 13:24 | Comments(0)