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2009年 04月 30日

駅前アートパックー歩行の縦軸(26)

黒地に金のワイングラスにArtの金文字の入ったフライヤーが届いた。
新しいアートスペースのお知らせである。
JRタワー11階に誕生するプラニスホール、「札幌に輝く、アートの惑星」という
タイトルで、札幌在住35名のアーテイストの競演の案内である。
地域交流と芸術文化の拠点の場を謳っている。
この案内を見ながら、サッポロスウィーツ、サッポロホワイト、サッポロアートとか
やたらカタカナ文字羅列の多い昨今を思った。
ワイングラスの中の金文字Artに、美食・グルメに通じる嫌らしさを感じるからだ。
35名の個々の作家の力量は別にして、こうしてぞろりと、オールスターキャストの
一昔前の東映時代劇お正月映画みたいに並べ立てて、どんな地域交流と文化の
拠点が生まれるのだろうか。
JRタワー駅前ゾーンという我田引水の地域交流しか思い浮かばない。
この場合の<地域>というのは、<商>という資本の論理から一歩も出るもので
はない。<士>が官として公共事業(パブリックワーク)の一環となる、パブリック
アート(公共美術)に助成金を行使し、<商>が資本行為として宣伝啓蒙にアート
を使う。それはそれで、ひとつの根拠ある事業であるのだろうが、文化の拠点とか
いわれると<士>にも<商>にも属さない鮮明な根拠を示せと問いたくなるので
ある。
集客力という数の論理を一歩も出ないで、政治経済の量数軸と文化の質軸の異
なる差異に、なんの敬意・配慮も感じられないからだ。
惑星と称する35人の作家を吸引し繋ぐ求心力ある肝心のテーマは、美辞麗句の
建前以外何もないからである。
<道都札幌の玄関>という<駅前>に矮小化されたさっぽろへと、高層ビルJRタ
ワー11階に封入された場に、如何なる磁場としての<さっぽろ>が存在するとい
うのか。
アートボックスという地下箱展示をさらに拡大した、ハコモノ文化の拡大再生産で
しかないと思える。
<駅>とは本来、封じ込める場ではなく、transfer(乗り換える)ハコでもあるはず
だ。人も車両も交叉し交流する固定し閉じるボックス(Box)ではなく、集散するトラ
ンスの函なのだ。多くの車両、人が集まり散っていく物流の集散地である。
その量数が多いほど栄えた駅となる。
文化の保つ時間の保水力とは、それと正反対の場にある。
35名の多人数の作家を一堂に展示するのも、その量数の場の本質からして当然
の帰結であり、それ以上のなにものでもない。
本質的に量数を至上とする場に、本質的に量数を至上としない芸術・文化の拠点
を謳うことは、本当は欺瞞以外の何物でもないのだ。
一昔前デパート最上階で催された催事場の展覧会と良く似ている。
上へいくほど集客数が落ちるのは、高層ビル店舗の宿命である。
その為客寄せ効果として、最上階に催事場があるのだ。
<商>が資本を投じて様々な衣装で人を集めようとするのは、それはそれである。
否定する気は毛頭ない。しかし、そこに<地域交流と芸術文化の拠点をめざし>
<札幌に輝く、アートの惑星>たちとか言われると、お尻の辺りがむず痒くなるの
である。<今日の札幌の美術の精華>といわれた<惑星>の方々は、如何?
ニシキノアキラじゃあるまいし、おいらはスターだと自負されますか。

*熊谷榧(カヤ)展ー5月3日(日)まで。am11時ーpm7時

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2009-04-30 14:08 | Comments(0)
2009年 04月 29日

シルバーウイークー歩行の縦軸(25)

世間では今日あたりからゴールデンウイークという事だが、
休みが続くと、人さまざまで私的なことが噴出して、ミクシイの書き込みが
普段より多い気がする。
ゴールデンウイークどころか、シルバーウイークだなあ。
鈍(にぶ)色ということ。
朝、快晴爽やかな風の中を走っていると、路傍にタンポポが見えた。
本格的な夏の始まりである。福寿草の小さなjoy(喜・黄)から、
一面の喜・黄(joyful)へ季節が動いている。
就職活動中のAくんが、芸術家は採用しないと冷たい視線で扱われたと語って
いた。一番本質的な生の基底に根ざす活動の領域が、世間ではいかがわしい
ものと見られる風潮に、志のない現代の士農工商を見る気がした。
<志>の心の欠けた<士>が一番上にあり、農工商が逆転して商・工・農の
世の中である。
農も自給力低下、工もアップアップ。商はアメリカの没落で史上最低の不景気。
士は官僚をトップにウハウハ。
志(こころざし)に生きる表現者が胡散臭く、その風潮に負けて世間一般に擦り寄
るアーテイストが、もてはやされる。
だから、そうした<士>的肩書きを得た者だけが、内容を抜きに評価される。
学士、弁護士等と同じように、芸術士とかいう称号が目に見えない形で存在する。
自ら価値を創りつづける孤独な営為を、そう簡単に世間は認めない。
ゴッホだって、賢治だってそうだったのだから、そういう宿命と思えばそうなのだ。
死後有名性を得たからといって、生前の労苦が報われるものでもない。
ただ個としては、充分に生きた事は間違いない。
<公><私>でいえば、公という世間は、私に対し冷淡なものである。
この公私の関係性のなかでは、<私>は弱い存在でしかないのだ。
表現者は、その<私>の範疇で捉えられ切り捨てられる。
<私>は凝縮し、結晶し、<個>として<類>的存在への回路を保ち続けなけ
ればならない。表現者にできることはその一点である。
自己に閉じ、自我に溺れ、迷いと不信の泥沼にどれほど落ち込もうと、
一輪のjoy(喜・黄)を咲かす路傍の個たる花を、信じなければならない。
そう思うのだ。
Aくんよ、君の才能、真摯さ、凛とした構成力。その事を評価するひとりとして
美しい5月が、もうそこまで来ているこの時。
大地を割って咲く、再びの個の力を信じ給え!

*熊谷榧(カヤ)展「北の山と人」ー4月21日(火)-5月3日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2009-04-29 12:19 | Comments(0)
2009年 04月 28日

南の声・北の雪ー歩行の縦軸(24)

雨、風、雪。寒い日曜日。
電話が鳴り、”ヒラノです”と言う。チQくんだ。
沖縄からの声。今彼は西表島を出て、コザにいる。
近況の話を聞きながら、1時間近く。
3月爽やかな沖縄の風に夏のさっぽろを感じたという。
体が覚えているさっぽろである。
そうか、こちらはまだ冬の末、風雨に雪の4月だ。
沖縄の人の話をする。
みんなが助け合う心の豊かさがあるという。どんな職業の人も暖かい。
モアイ(模合)という金融機関があると言う。
佐野眞一の本でその事は知っていたので、
きっと”ゆいまある”という相互補助の精神だねと応える。
私の2月沖縄行は、美術家豊平ヨシオさんに会う事だけを目的にした
2日間だったが、チQさんはもう1月から4ヵ月も沖縄にいるので、
沖縄社会とさっぽろの生活の違いを主に語る。
それは今、彼が生活している証(あかし)でもある。
経験には本質的な性格のものと、日常体験的な性格のものと両方がある。
日常体験は、日々の積み重ねのデイテールである。
その次元でさっぽろとコザは余りにも違いすぎる。風雪と半袖の違いである。
その違いを超えて、電話の回線は繋がっていた。
私の沖縄と彼の沖縄はこれからも、それぞれの経験のなかで深まっていく。
そしてその事は裏返せば、それぞれのさっぽろ、北の深まりでもあるのだ。
8月沖縄で会おうと言って電話は終った。

映像作家の大木裕之さんが<公>についてミクシイで熱く書いている。
コメントを入れると、折り返しまた熱い応答がある。
今岡山にいるようだが、5月May-ReMayの仕事でさっぽろで会うだろう。
チQさんと大木さんもさっぽろで接点があり、コザは大木さんの紹介という。
遠いふたりとの応答に時間が過ぎる。
風と雪で大荒れの日曜日、訪れる人もなく冷える日。
電話の声とパソコンの文字が熱かった。

*熊谷榧展「北の山と人」-4月21日(火)-5月3日(日)am11時ーpm7時
 月曜定休・休廊

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2009-04-28 12:29 | Comments(0)
2009年 04月 26日

小樽と札幌ー歩行の縦軸(23)

小樽のSさんが来る。佐佐木方斎展以来である。
グループ展等で名前だけは知ってはいたが、こうして会って話すのは初めてだ。
前回は方斎さんも一緒だったが、今回はまったくふたりだけで話した。
もう展覧会をする気もなくなっていたが、ここでやってみようかという気になってい
ると、ぽつりと話す。何かがSさんの心を動かしている。
楽しみに待ってますと応える。
3年続いた佐佐木方斎展で、過去2回と違うのはこうした方斎さんと同世代の人
たちが動き出したという事だ。
今まで斜に構えていたこれらの人たちが、むっくりと起き上がり正面を向いてくる。
そして、彼らがみな小樽の人たちという事である。
札幌などよりもっと古くから開け、民の街として活気のあった小樽は、明治の中期
汽車の開通とともに道庁のある札幌への港、入口として次第に札幌にその中心を
奪われていく。しかし官を中心とする街札幌より、はるかに本来民の力の濃い街で
ある。隣接する後志国の中心小樽と石狩国の中心札幌は、ある意味で二都物語
としてそれぞれの相違を競い合う性格もある。
内陸の都と海辺の都(港)である。
札幌と小樽との間に汽車の開通がなければ、札幌は石狩川河口の海が入口であ
ったのだ。しかし石狩は遠浅の海では大きな船の入港は難しく小樽の方が物流上
有利で、汽車との連結で中央官庁のある道都圏に小樽港は組み込まれていく。
ふたつの都市は、エリアとしても後志と石狩で相違し、街の性格も違う。
もし小樽が小樽として、政治経済上の中央主権を抜きに札幌を見据えれば、
さっぽろにもまたいい刺激を与え得るのだ。
関西の近接する三つの都市、神戸・京都・大阪は、まったく性格の違う都市でありな
がら、それぞれが違いを発揮しあい活発である。
小樽もまたそのように存在すれば、さっぽろもまたその特色を培う事となる。
小樽在住の詩人高橋秀明さんに、赤岩の龍の胎内めぐりを案内してもらった事が
ある。断崖絶壁のその道は、点々と仏の洞が繋がる険しい道だった。
沖に白い航跡を見せて船が行く。
その時私は札幌と小樽の違いをふっと理解した気がした。
さっぽろの古い道は、西の山並みが目印のようにある。
さっぽろは内陸の街である。
小樽は坂の街で海の街であるから、海の目線に目印がある。
坂も海坂なのだ。
そして狭い陸の土地に民間の富豪が所有する能舞台やアールデコの近代建築
がひっそりと今も残されている。
札幌の歴史的建造物は官の物が多い。民の物はたちまちにマンシヨン等の高層
ビルに変わり消え去る。
しかし小樽には官のものもあるが、圧倒的に民のものが多いのだ。
ここにもふたつの都市の性格の違いがある。
ふたつの都市のゾーン、界(さかい)がくっきりすれば、それぞれが固有に開く。
小樽が頑張ると、さっぽろも少し変わり得るかもしれないと、微かな希望のように
、Sさんの熱い気持ちをどこかで期待し、聞いている自分がいたのだ。
違いは違いのままに、新鮮な界(さかい)を保ちつつ新たなニ都物語を、と願う。

*熊谷榧展「北の山と人」-4月21日(火)-5月3日(日)am11時ーpm7時
 月曜定休・休廊

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2009-04-26 12:47 | Comments(2)
2009年 04月 25日

磁界を開くー歩行の縦軸(22)

対極にあるものが、反発しあい、惹きあう。
分類・区別の箱に整理され収まるのではなく、内側から溢れて磁場を創る。
南極と北極のように磁界を保つ。
優れて本質的であるものには、すべてそうした磁場があるように思える。
2月、沖縄で感じたものは、青の色彩の位相においてそれに近いものだった。
今、アメリカ型物質文明の末期において、豊かさへの憧れ<ランド>の位相と
対極にある<ランドフイル>の位相の、分別・分類・区別・差別・分断の隘路か
ら如何に磁場を保ち得るかと、自問するのだ。
不燃建材ゴミを使った佐佐木方斎の仕事「メタレリーフ」や、ランドフイル(最終
ゴミ埋め立て処理場)そのものを、再生したモエレ沼のイサム・ノグチの仕事等
は、優れて私たちの身近にある’90年代のワーク(作品)であると思う。
ランドーランドフイルの仕分けの不毛から、如何に磁界を再生させ得るのか。
外から補給するイレモノの不毛から、内から溢れる命の函へ、磁場を回復し得
るかが問われている。
東西に肥満拡張しすぎたモノの欲望至上主義は、グローバリズムの平均化を
促進はしたが、軸芯となる南北の垂直軸はその磁場を風化させて現在がある。
異質は異化ではなく、異質ゆえに惹きあう恋のようなものである。
違いが違いとして美しい世界を開く。
アメリカ型の物質主義のロマンは、貧と富の間に、アメリカンドリームと夢の島
という対極を生みこそしたが、貧と富の間は固定された二元論のままである。
富への拡大欲望は、グローバリゼーシヨンの東奔西走の肥大を進めこそすれ
南北の縦軸はその求心力を喪失しつつある。
では南北の軸芯とは何か。
身体に置き換えれば、それは皮膚と内臓。毛細血管と心臓。
末端と中心の回復と思える。
エッジを再生・活発化せずして都市のメタボリック症候群もまた止揚できない。
最終ゴミ処理場の位置を思い起すがいい。
美しい境の位置、外界との境(エッジ)にその場処がある。
陸と海の接点、土と水の接点、河口や源泉、湿原。そして等身大の道、街道。
それらが保っていた本来の磁場が埋もれているのだ、
エッジの蘇生、その事が今最もコンテンポラリーな課題と思える。

*熊谷榧展「北の山と人」-4月21日(火)-5月3日(日)am11時ーpm7時
 月曜定休・休廊

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2009-04-25 13:41 | Comments(0)
2009年 04月 24日

箱として閉じ、函として開くー歩行の縦軸(21)

S役所のKさんが来る。
今文化財課にいる彼は、今年時計台の敷地に植えたキバナノアマナ、クロユリ、
エンレイソウが芽吹いたと嬉しそうに話す。
その話を聞いていて思い出す事があった。
北一条円山にあった鬼窪邸の庭である。
田上義也の近代名建築のひとつだったが、取り壊された後更地になっていた。
ブルトーザーで綺麗に整地された後、不動産屋が倒産してそのままになっていた。
半年も経った秋の日、その前を通った私は眼を瞠った。
剥き出しの赤土がいつの間にか草木で覆われ、花々が見えたからである。
中に入ると、もうそこは美しいお花畑だった。
1929年建築の建物が消えた後、その覆いが取れて土中の種たちがのびのび
と陽光を浴び花開いていたのだ。
この事は何度か、幻のオニクボ野として書いた事もある。
今はもうあの洋館も幻のお花畑も、タワーマンシヨンへと姿を変え、何も無い。
時計台もまた近代を代表する札幌の名建築物である。
この建物の周囲には、今は南の中島公園に移築された豊平館がかって在って、
もっと豊かな広さがあり、時計台の高さが映えたのである。
しかし周囲が開発されて、時計台だけがぽつりと残り、日本三大がっかり名所の
ひとつとなっている。
その時計台を一番最初に視界から埋め立てたのは、現札幌市役所の高層ビルで
ある。当時小樽運河の埋め立てが議論されていたが、札幌は別の視角でこの歴
史的建物の周囲を埋め立てていたのだ。
器(うつわ)というハコモノを優先した時代である。
空間がハコモノに埋められていく風景は、今も変わらない。
土というハコは、たくさんの要素を含み抱きしめている。
そのハコは条件が整えば、鬼窪邸の庭のように一斉に溢れ出す。
閉じない函である。
人間は多くのハコを造るが、それは閉じる箱である事の方が多いのだ。
箱というボックスは閉じ、函というトランスは開く。
役所のKさんが、もう記念碑的な箱となっている時計台の周りに本来自生種で
あったクロユリやエンレイソウを植え、その花で時計台の周りで埋めようとしてい
る事は、ハコモノから場を函への転換として考えているようで嬉しかった。
時計台の周囲を元の通り広々とした空間に戻す事は至難である。
それは不可能に近い。しかし僅かな土地とはいえ、その周辺に土の函を甦らせ、
キバナノアマナやエンレイソウ、クロユリが咲き乱れれば、それは小さな再生なの
だ。箱から函へ。それは、時計台を見下ろすビル群のなかの小さな再生の函とし
て凛とした存在を示唆することになるだろう。
ビルという箱のなかにさらに箱を作る、アートボックスなどというふやけた文化装置
などより余程ましな、ラデイカルな函と思うのだ。

*熊谷榧展「北の山と人」-4月21日(火)-5月3日(日)am11時ーpm7時
 月曜定休・休廊
  
 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2009-04-24 14:29 | Comments(0)
2009年 04月 23日

冬のクリストー歩行の縦軸(20)

猥雑で自己主張の多い、統一感のない都市が雪の衣に梱包されると、
物質の保つ本来の身体が柔らかく顕現するのであった。
冬の山に入ると、その事はさらに顕著になった。
山肌を這うように、小さな己の身体を預けて歩く。
海に浮かぶ小島や都会の大きな建物、橋などを布で梱包する芸術家クリストも
いるが、この自然の大きな雪の梱包に勝るものはない。
何の変哲もない丘も、森も、白い雪に覆われると、
そこは未知の魅力的な世界に変貌する。
青い空と白い山、そして黒々と立つ木々の梢。
夏にはブッシュに覆われ隠されていた素肌が、
優しく柔らかな曲線で広がるのだ。
そこを汗まみれになってひたすら歩く。
峰の高みもいいけれど、山裾の逍遥も楽しい。
夏、行けそうもなかった処が、ゆるゆると開いてあるからだ。
時に転び、雪まみれになり、大の字になって雪に沈む。
時にガスバーナーを焚いて、熱い珈琲を飲む。
こうして体中に山が記憶される。
体が冷えた時のキャップ一杯のウイスキーの食道を走る熱さ。
五臓六腑に沁み渉るのである。
巷間で飲むアルコールとは異質のものだ。
寒さで体が欲しているからだ。
眼、耳、口、皮膚、鼻、すべてが全開となる。
冴えて貪欲。
だからこそ、身体で記憶される。
こんなふうに山を冬を体験した事はなかったから、
街から山並みを見ると、体が疼くのだ。
その疼き、火照りの記憶に私の冬のさっぽろがある。
夏の年、それは冬の年の記憶と複眼の風景となって一体化する。
都市の衣装の下に広がる地形。そこを接する海・川・谷。
都会の箱に封じ込まれていた街からの解放。
碁盤の目のような格子状の規格をはみ出して、活き活きと世界が見えた。
雪の梱包は、冬のクリストのように物の本質的形姿を顕現させる。
それは視覚だけに止まらず、五感すべてに触覚させてくれる。
私の熊谷榧経験は、その冬への全身タッチ経験でもある。
サッポロシティーボーイ。
サッポロ箱入り息子冬発見の話。

*熊谷榧展「北の山と人」-4月21日(火)-5月3日(日)am11時ーpm7時
 月曜定休・休廊

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2009-04-23 12:38 | Comments(0)
2009年 04月 22日

冬を歩くー歩行の縦軸(19)

久し振りに熊谷榧(かや)さんの絵と文章を見ていると、
もうひとつの’80年代が甦る。
川俣正のテトラハウスプロジェクト’83、界川游行’89に至る私のさっぽろ歩行
の記憶である。
’83年から9年間毎年熊谷榧展を開き、一緒に何回か冬山へ登った。
その度に未知の冬山が新鮮に開き、知らないさっぽろの冬を知った。
夏山は多少歩いていたが、山スキーによる冬山は初めて知る世界だった。
この夏冬の歩行が、私の体にさっぽろ、イシカリを刷り込んだのだと思う。
歩く事で知る世界がある。
個展の展示もそこそこにみんなを巻き込み、絵の取材も兼ねて榧台風と呼ばれ
山へと向かった。売れないギヤラリーと悪口をいいながらも、ここで知り合った多
くの人を彼女は大切にし、愛していたのだ。
その事が後に出版された「北海道の山を滑る」を読むとよく分かる。
私にとって榧さんは、さっぽろの冬を新鮮に切り開いてくれた恩人かも知れない。
街ッ子の自分はゲレンデスキーは出来ても、山スキーによる冬の自然世界は初
めての経験だったからだ。
半年冬のさっぽろで、都会にいては分からない体験なのだ。
奥手稲山の夜の8時間、無意根山のひとり彷徨、慣れてからの近郊低山歩き
どれもが山スキーの習得のおかげである。
この時体で記憶したさっぽろが、’89界川游行のアートイヴェントや石狩河口の
大野一雄公演へと結びつく下支えになったと思う。
身体としてのさっぽろを感じていたからである。
区画され分類された札幌ではなく、有機的な身体としてのさっぽろを奪取する契
機に榧さんとの冬体験があったのである。
夏・秋・春を一括して、古アイヌの人たちは夏の年(sakーpa)と呼んだ。
残りの冬の年(mata-pa)を未知のまま、都会の構造の内に閉じ篭っていた私
を冬の年の真っ只中に誘ってくれたのが榧さんである。
本人はそんな事に関係なく北海道の冬山を画家として取材し、楽しんでいただけ
かも知れないが、私にとっては画期的な事だったのだ。
熊谷榧さんの登場が無ければ、この後親友となり、様々な人生上仕事上の協力
者である中川潤さんとの出会いも無かった。
当時北海道を代表する優れた登山家であった中川さんが、「山と渓谷」誌等連載
し有名であった熊谷榧さんの個展を訪ねて来たのが我々の出会いだった。
都会っ子の私はいかにも山屋然とした中川さんに最初は反発を感じた。
相手も同じだったと思う。それが違うのに気が合ったのは、共に冬山へ榧さんと
出掛けたからである。その時の一枚が50号の油彩「奥テイネの登りで」に描かれ
ている。後に’94年12月に白山書房から出版された「北海道の山を滑る」では、
<魔の大滑降>に分類されて、四つの難業登行の冒頭に収録されている。
行動を冬山で共にすることで、身体が理解したのだ。生まれや生き方の相違を超
えた何かがその際生まれたのだ。きっと同じ方向を見ていたからである。
従ってその後の見えない川界川を繋ぐアートイヴェントや大野一雄の石狩河口公
演、吉増剛造石狩シーツ等のテンポラリースペースの大きな仕事も共に協力しあ
うこととなる。
熊谷榧さんと歩いた冬の年は、私にとって貴重な経験となった。
この冬の年の経験なくして、さっぽろ発の私もまたないのである。

*熊谷榧展「北の山と人」-4月21日(火)-5月3日(日)am11時ーpm7時
 月曜定休・休廊

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2009-04-22 12:43 | Comments(0)
2009年 04月 21日

熊谷榧(かや)展ー歩行の縦軸(18)

強風、雨交じり。自転車は置いて歩く。
北18条通り、手稲山の山容は見えず厚い雲。
昨日展示を終えた熊谷榧(かや)展初日。
北の山男たちが座ったり、寝たり、歩いたり。
昨年タイでクライミング中に亡くなったF短大青木正次先生もいる。
浜益岳山中の昼時。もう18年前の冬山四月、今頃である。
この絵は熊谷榧さんから奥様の立子さんへ追悼として贈られたものだ。
美瑛岳避難小屋でバッカスのように寝ている中川潤さんを描いた50号Mの
油彩が圧巻である。
この時榧さんはもう下山したかったようだが、中川さんが頑として下山を承知せず
イライラした榧さんが、寝ている中川さんをスケッチし油彩に仕上げた作品である
。この時のスケッチ帖を私は見ているが、中川さんの顔を何度も描き、顔がいくつ
も画面に飛んでいた。
寝首を”かく”とはこの事である。絵描きは絵で首を描(か)くのだ。

ー中川君はオプタテシケを往復してもう一泊すると言っていたが、私は何が何でも
今日中に山を下りたい。朝起きるとテントの中の水筒が完全に凍っている寒さ、寝
袋の中でミントをしていても寒い。-「北海道の山を滑る」(白山書房)

登山家と画家の間に、山を境にしてある極限がある。絵描きは絵の為に山へ行く。
山屋は登頂する為に山へ行く。そこでふたりのエゴがぶつかる。
そうした状況で描かれた絵である。他の絵に比し、その分この絵画は人物が濃く
強い赤の色彩で描かれている。カヤさんの絵の中でも珍しいものだ。
9年間毎年北海道へ冬山登山に来て、多くの北の山と人を描いたカヤさんの絵は
、シンプルな描線と漆塗りと見紛う強い色彩で、冬山独特の風景を表現している。
文章も乾いた端的な文体で独特である。
奥手稲山真夜中の山行では、後姿の私も描かれている。
深い雪の支配する冬の山中では人も風景も極度に単純化され、線だけがその輪
郭を露(あらわ)にする。こういうところは、カヤさんの父上熊谷守一の絵に似てい
る。カヤさんは父上の絵の世界を現実に冬山という世界で、逍遥しているのかも知
れない。お父さん子だったのだろうなあ。
富良野の矢田博次さん、横浜の川口淳さん、札幌の青木正次、立子さんご夫妻、
金井孝次さん、中川潤さんと並んだ50号以上の油彩は今、それぞれの在りし日の
時を彷彿と蘇えらすのだ。
今年80歳を迎えたカヤさんと優れて山スキーヤーだった故青木正次先生を想い、
この展覧会はある。併せて榧画文集10冊も展示。
北の山と人。もう20年近い歳月が流れた。

*熊谷榧展「北の山と人」-4月21日(火)-5月3日(日)am11時ーpm7時
 
 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目斜め通り西向
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by kakiten | 2009-04-21 12:12 | Comments(0)
2009年 04月 20日

ポリバケツ男ー歩行の縦軸(17)

「音楽バカ」というTV番組で女性ふたりの「ポリバケツ」という歌が、
ローソン提携でCD発売になった。
その歌詞に♪どうせわたしは生ゴミ女~というのがあるが、佐佐木方斎展を終え
疲れたのか、♪どうせおいらはプラステイック男~という感じだ。
分別された瓶、缶、ペットボトル燃えないゴミの類だ。
埋め立てゴミの新建材を削り、磨き、色付けした「メタレリーフ」群は、心に沁みる
。あれは小さなモエレ沼公園だったのかも知れない。
河跡湖をゴミ捨て場にした場所を、イサム・ノグチは美しい公園へと再生した。
木を植え、遊具を設置し、山を造り、游水池を造った。
今でも地下からは、ゴミのガスが洩れ、ガス抜きの装置がある。河と土の触れる
低・湿地帯。その大地の粘膜のような処に、触れる繊細な自然を見たから、その
水と土の境を再生しようと試みる。
芸術・文化の力のみが為せる仕事である。
ジャンクアート(廃物を利用した造型美術)と一括して括るのは、
ちょっと本質からずれるのだ。
もっと切実で、ランドーランドフイルの両極の現在と、深く関る性質のものと思え
る。
休廊日一日、ぼんやりと何処へも出かけず、顔も洗わず髭も剃らずドボ~ン。
その時冒頭の生ゴミ女の歌詞が浮かび、男はプラステイックゴミかなあと思った。
疲れた時は、疲れたままに・・。ゴミのように蹲(うずくま)る日もあるさ。

*熊谷榧展「北の山と人」-4月21日(火)-5月3日(日)am11時ーpm7時
 月曜定休・休廊

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2009-04-20 13:42 | Comments(0)