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2009年 01月 31日

如月へーmata-pa(冬の年)(24)

1月も今日で終り。明日から2月・如月(きさらぎ)。
1年で一番短い月がくる。寒く、短く、1年の臍(へそ)のような月。
ニ・八などといい景気の上向かない月でもある。
うるう年には一日多く、他の年は28日間である。
僅か2,3日だが月末が短いと慌てる事がある。なにか損をした気になる。
高臣大介展も一週間を過ぎようとしている。
今年は新たな挑戦として、灯かりの世界を試み、キャンドルスタンドを創った。
ボール状の器に水を張り、そこに蝋燭を浮かす。ゆらゆらと灯かりが精霊流し
ように揺れて、透明なガラスを透かして炎が洩れ、水も揺れる。
ただの蜀台ではなく、様々な趣向を取り入れ灯かりを演出している。
このところ大介さんは、蝋燭の芯造りの熱中している。融けた蝋燭を色んな形に
整形して芯を通し、せっせと溶解したキャンドルを取り替え補給しているのだ。
ガラスと蝋。素材は違うが、火により融け、冷やして固めるという過程に共通性が
ある。職人魂に火が点いたのか、蝋によるものつくりに熱中している。
奥の事務所は工房と化してきた。音楽もいつものバッハやジャズから、気に入っ
たロックに変わり、そのリズムで制作に打ち込む。
午後5時以降はすべての照明を消し、灯かりだけの世界になる。
これまでの器・花入れを主体とした展示空間とは異なり、今回は灯かりのショー
の様相である。正直なもので、その分いつもより昼の来客が少ない。
彼の透明なガラスは陽光に映え、自然の光に最高の色彩を演出するものだが、
今回は光そのものを外光だけに寄らず、内側から光を発する灯かりに器を置いて
、夜のガラスの存在に挑戦している。
本来の冬なら、暗い外界には白い冬の底の気配があり、その白い残光がきりっと
暖かな炎の光と対峙して、ガラスの透明感を引き立てる筈なのだ。
そこに、人が集い、光の冷涼感と暖かさが彼のガラスの周りに満ちている筈だ。
ガラスに冬の透明さと暖かさを同時に感じさせる試み。それが、今回の眼目であ
る。冷気はあるが、北の白がない。冬の光が今不足しているからだ。
1月はやむなくそうして終るだろう。
如月、2月にあと一週間の会期のなかで、想い描いた白い冬は訪れるか。
<きさらぎ>という美しい響きに、どこかガラスの触感に似たものを感じながら、
1月を終える今日である。

*高臣大介冬のガラス展「gla_gla CANDLE show」ー1月27日(火)-2月
 8日(日)pm1時ーpm7時:月曜定休・休廊
*佐藤義光花個展「別世界」-2月10日(火)-15日(日)
*野上裕之彫刻展ー2月17日(火)-22日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2009-01-31 12:57 | Comments(0)
2009年 01月 30日

雪枯れの冬ーmata-pa(冬の年)(23)

雪が降り、軒下に氷柱が伸びる白い世界。陽光の翳りが青い色彩をもたらす。
室内の灯かりが次第に洩れて、翳を一層深くする。
そんな冬の夕暮れが薄い。
このところ2度の雨、少ない雪で路面は黒く、白い残光の照り返しもない。
路地裏の凍てついた小さな隆起は、氷付いて意地悪く、滑る罠のようだ。
冬の高臣大介展は、意図した雪と氷柱に煌く会場にはなっていない。
透明なエロイカ、吹きガラス特有の柔らかな曲線と冬の光の交響が淋しい。
暗くなりほとんどのガラスのキャドルに蝋燭の炎が灯される時、今回の個展の
意図が露になる。自然の光との交流から、蝋燭の炎の光との共演をさらに意図し
たことである。空気の流れで微かに揺れる炎。ガラスの内側から光が揺らぎ、こ
れも微かな冬の夜の外光が、白く青く触れる。その初めての意図が暖冬で少し狂
っている。透明なガラスの内側から灯かりが洩れ、床に翳を創る。
それはそれで、誠に幻想性をもって美しい。大介さんは吟遊詩人のようにカンテレ
を竪琴のように弾き、揺れる光と翳のなかにいる。エロイカ大介!
灯かりの揺らめきと透明な吹きガラスの曲線が、光と翳の官能的な世界を醸し出
す。そこで毎夜酒を酌み交わす贅沢を私は好まない訳ではない。
誰か彼かが毎夜来て、話し込んでいる。それはそれで今回の個展の豊饒さの証
でもあるのだが、何かが不足して感じられるのは、冬のしんとした白い底の気配
である。雪の少ない冬の<極>不足。その一点が緊張感を欠く。
エロイカ大介。今週は冬不足。来週から再び冬が来るだろう。

*高臣大介冬のガラス展「gla_gla CANDLE show」-1月27日(火)-2月
 8日(日)
*佐藤義光花個展「別世界」-2月10日(火)ー15日(日)
*野上裕之彫刻展ー2月17日(火)-22日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2009-01-30 12:38 | Comments(0)
2009年 01月 29日

村岸令子さんのことーmataーpa(冬の年)(22)

菫の花のような人だった。
昨年9月お亡くなりになった故村岸宏昭さんの母上村岸令子さんのことである。
ふたりの母子が2年の歳月を経て相次いでこの世から去っていった。
死者はもう何も語らないけれど、記憶に遺された風姿と遺した作品、その志の想
いは今も蘇えり心の戸口を叩く。
昨日D新聞社のSさんという記者が訪ねて来る。
村岸玲子さんの絵画作品を、今年の秋絵画教室のA先生の展覧会で別枠に特
集して展示するという。その事に関連して村岸さんの人となりを聞きたいという取
材だった。村岸さんの描かれた絵画は、教えた先生も脱帽する才能があり、そ
の急な死を惜しんで取材の依頼があったという。
私はまだ残念ながらその作品を見た事はないが、樹木を描いたものという。
樹の周りには四季の風景が描かれ、ひとつの絵の中で四季を感じる不思議な絵
だという。そのまだ見たことのない遺作の話をききながら、私にはふっと思う事が
あった。木か、樹なのかという思いである。川で遭難死した息子さんの宏昭さん
が最後に展示した個展の主役もまた樹であった。一本の倒木の白樺を天井から
吊り、そこに白樺の立っていた山中の川の音が、幹に耳をあてると流れていた。
見る人は白樺の幹を抱き耳をあて、その音に耳を澄ました。
村岸令子さんは宏昭さんの死後2年間、彼の遺作展そして作品集の出版に全力
で関った。その過程で死んだ息子さんの心を抱きしめ、未知の生き方、考え方に
、母として未知の子の姿を耳を澄ますようにして発見していたのだ。
白樺を抱く共通の行為を通して、他者と関り自然に触れる装置を村岸宏昭さんは
遺した。数々の楽譜、演奏の音とともに。
村岸令子さんはそうした息子の遺した仕事の数々に触れる事で他者と関り、遺さ
れた作品行為を他者と共有する事で未知の息子に会い、この2年間本当に嬉しそ
うであったように、今思える。
宏昭さんは樹を抱き、令子さんは宏昭さんを抱き、どちらも深く抱き締め耳を澄ま
すことで外界・他者と関り、深く開いていたと思う。
令子さんの遺された絵画には、きっとその心が樹と季節となって描かれているに
違いないと私は思った。ふたりの母子はきっと樹を通して深く抱き、深く開く心の
在り様を遺していったのだ。
D新聞の記者氏は何かを感じたのかまたの再会を約束し、さらなる取材を続け
ると告げて別れた。
死してなお優れたふたりの魂は、こうして何度も私の所を訪れ話かけてくる。
個の魂の保つ深さ、深度は、量数を主とする街の中心と対峙して、真のランド、真
の軸心の在り処を問い続け、励ましてくれているような気が今している。

*高臣大介冬のガラス展「gla_gla CANDLE show」-1月27日(火)-2月
 8日(日)pm1時ーpm7時・月曜定休・休廊
*佐藤義光花個展「別世界」-2月10日(火)-15日(日)
*野上裕之彫刻展ー2月17日(火)-22日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2009-01-29 15:12 | Comments(0)
2009年 01月 28日

高臣大介さんのことーmataーpa(冬の年)(21)

透明なガラスのキャンドルが林立している。
今回の展示はすべてこれである。
大きなもの、小さなもの。様々に透明なガラスの炎たち。
それらが昨夜初日は、あらひろこさんのカンテレ演奏の為にすべて移動し、
客席と演奏の場の為に展示し直された。
午後7時半からスタートした演奏会では、聴衆と演奏者を囲むように灯かりが
燃えて、幻想的な音と光の揺らぐ美しい空間となった。
その後の打ち上げは、車座に座って飲み会となる。
テンポラリースペースのTシャッを作成してくれたファイン役人の熊谷直樹さん、
気功の熊谷透さんの、両熊谷さんが主役だった。
私は途中で食べたあたり目の干物が胃にきたらしく、腹具合が悪く2階に逃げ休
んだ。みんなの話し声を上で聞きながら少し眠り回復する。
今朝は午後1時からの開廊なのでゆっくりして出勤。すると、もう昨日の会場は
綺麗にセットし直され、宴会の猥雑な乱れは見られない。
展示もすっきりと変えられ見事である。
高臣さんは昨夜のあらさんの演奏の為にのみ一日を使っていた。
今日からが展示の本番である。そう感じた。
高臣大介とはそういう男である。集中しケレン味がない。
彼の吹くガラスの作品もその性格をよく顕している。
豪快に透明でキレがいい。作品のタイトルにもそれが顕われていて、「燃える男
はロック」とか「飛んでる男のショット」とかユニークな命名が多いのだ。
厳冬の冬に初個展をして以来ここでの冬の個展は毎年恒例となっている。
真っ白な冬に燃えてこそ、彼らしいのだ。
ガラスは夏のものという既成概念を変え敢えて、その逆に冬の透明な空気感の
なかで個展を続けてきたのは、千葉出身の彼の新たな北再発見でもあったと私
は思っている。色を使わない透明なガラスで勝負している真っ直ぐな高臣さんの
作品と気性そのまま、北の冬は彼にぴったりなのだ。
最近はその作品の評価が高くなり、全国の某デパートでも展示会が催されるよう
になった。今回もその系列の方が見え、勿体無いなあもっと別の場所でやれば、
と話していたのを聞いた。これはきっともっと中央で、街でという意味を暗に含んで
いた。少し有名になるとそれに集(たか)るような人間が必ず現われてくる。
そういう人はいわゆる中央志向が強いのだ。場を立地で差別・区別し作品を付帯
条件に置き換える。都心>場末。中央>地方。有名>無名。その比較さえすれば
誉め言葉と思っている。作品という個を通して場と空間を見ようとしない。
評価の規準のパターンがすでにあるからだ。
私の前のスペースが訴訟に敗れ、強制執行をされた時、最後まで立ち会ってくれ
たひとりが高臣大介である。この時の友情を私は忘れない。
工藝であるとか現代美術であるとかジャンルの問題以前の人間の問題である。
多少金銭的余裕がある時、そして無い時。その事で人の志や応対が変化するも
のであれば、それはジャンル以前の人の問題である。
ドイツでひとり現代美術で頑張る谷口顕一郎さんとガラス工芸の高臣大介さん
ふたりの、そしてふたりとの私の友情はそんなジャンルや貧富の相違にはない。
場と人とさっぽろ。この交叉する空間において私たちは、世界を撃つ。
この見えない熱い空間の広がりを、敢えて形にしていえば、それが私の思う<
ランド>としてのさっぽろであり、イシカリである。
高臣大介さんとは、私にとってそうした志を共有する友人であり、優れたガラス
作家なのだ。

*高臣大介冬のガラス展「gla_gla CANDLE show」-1月27日(火)-2月
 8日(日)pm1時ーpm9時月曜定休・休廊

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2009-01-28 16:59 | Comments(2)
2009年 01月 27日

燃える炎ーmataーpa(冬の年)(20)

高臣大介展始まる。今回はキャンドルがテーマである。
透明な様々な形のガラスに火が灯る。
翳ができ、灯かりが闇に触れる。
火は燃えて、開く。
人も、燃えて開かねばならない。
灯かりは、その炎の光の届く範囲を創る。
芯は燃えて、世界を広げる。
炎のランドなのだ。
火は空気に触れ、外気と交流し燃える。
この火のように己であり、他者である事を思う。

アーテイストレジデンスという芸術家の地域滞在制作の運動がある。
そのコンセプトに、グローカルという言葉があった。
以前美術家川俣正とアートデイレクター北川フラムが対談でその言葉を使って
いる。川俣正は、北川フラムの使うグローカルという言葉に対し、インターローカ
ルという言葉で返していた。
グローバルとローカルの合成語がグローカルで、インターナシヨナルとローカル
の合成語がインターローカルである。
どっちもあまり好きでもないが、敢えていえばグローカルなる言葉には中央化す
る地方の嫌らしさを感じる。まだ、インターローカルの方がいい。
インターローカルには隠された言葉としてナショナルがある。ナショナルをローカ
ルと言い換えてはいるが、そこには国という個の存在がある。
グローカルにはそれがない。地方の中央化、主流化の匂いがする。
邦(くに)という大きな枠ではなく、地方という国から他と関る個別性、個の姿勢が
まだインターローカルという合成語にはあると思えるからだ。
炎も外気化した時は消えるだろう。
外気と交流するから炎であって、相渉る自と他の個的関係性、いい緊張関係を
忘れてはいけないのだ。
個性的であるように、地方という国の個別性を炎の芯のように燃やさなければ、
灯かりの美しさも生まれない。
自(国)と他(国)は、炎の芯に例えれば芯は個であり外気は他者でもある。
他国からの移住者に迎合しても、火は消えるだけだ。
個という炎の光射す範囲をランド(国)として創出しようとしてこそ、真の生活
(滞在)の交流と思える。
ガラスを通して洩れる灯かりの美しい明暗の影を見ながら思った事だ。

*高臣大介冬のガラス展「gla_gla CANDLE show」-1月27日(火)ー2月
 8日(日)pm1時ーpm7時月曜定休・休廊
 27日午後7時半~あらひろこカンテレライブ・1000円
*佐藤義光花個展「別世界」-2月10日(火)-15日(日)
*野上裕之彫刻展ー2月17日(火)-22日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2009-01-27 12:40 | Comments(0)
2009年 01月 26日

移住者の孤独ーmataーpa(冬の年)(19)

移住者のふたつの位置。
immigrant-(他国からの)移住者。
emigrant-(他国への)移住者。
明治の祖父には、(他国への)移住者の位相があり、
大正生れの父には、(他国からの)移住者の孤独があった。
私は今、その双方の位置を見詰めている。
祖父の時代の、<他国へ>という広い意味での浪漫ともいえる象徴が、
三大寮歌のひとつと言われる北大の寮歌である。

 都ぞ弥生の雲紫に
 花の香漂う宴遊の莚
 尽きせぬ奢りに濃き紅や
 その春暮れては移ろう色の
 夢こそ一時青き繁みに
 燃えなん我胸想いを載せて
 星影冴かにに光れる北を
 人の世の 清き国ぞとあこがれぬ

何度もこの歌を取り上げ、ここで冒頭にある<都>とは、本州のそれであり、
弥生=3月に花の香漂う濃き紅、その春暮れて移ろう色など、石狩・札幌には
ないと書いてきた。この歌の主体は最後の2節にある。
<星影冴かに光れる北を 人の世の 清き国ぞとあこがれぬ>
北の国・他国への移住者の視座が、ここにある。
この視座は同時に政治経済の視座として、植民地化の視座でもある。
一方時代を経て<他国からの>移住者の視座は、かってよく聞かれた本州を
<内地>と呼ぶ視座である。ここに父たちの時代がある。
この両方の移住者の視座が曖昧な時代に、私たちの現在がある。
形を変えて<内地>は、本州商業ブランドとして今あると思えるが、それは風俗
的なファッション性を帯びて経済資本として街を占拠している。
従って<他国>という意識は希薄である。
この時<国>とは、祖父の時代においてその一番浪漫敵的部分でいえば、
<清き国ぞとあこがれぬ>という<国>であるだろう。
一旗組の主に経済の側からの側面も、当然明治の国家主義において保っている
訳だが、人間の浪漫の部分においてある憧れ、理想もあっただろうと思う。
その一番良質な部分において例えば近年発掘された薩摩の人村橋久成の存在等
がある。北海道にビールの始まりをつくったこの侍は、まさに北海道に夢をもって
仕事をし、明治の国家に挫折し神戸で野垂れ死にするのである。
この明治初期にあった夢と理想の志した国とは、政治経済を主とする帝国主義的
植民地化の開拓と同じ位相にはないものである。
このいわば人間的な浪漫な部分にある<国>と現実の<国家>とは、ほんの少
しだが相違する。
この時この<国>の位相の僅かな相違を敢えて言葉で分ければ、<ランド>と
いう国と<国家>という国の相違と思いたい。
私は祖父の時代にあった<他国へ>という視座にその微かな希望のようにその
影をみたいのだ。私達が今生きるこの時代において、真に場としてこの北を考え
ようとする時、他国の<他>を止揚し、自らの内部から<ランド>を創出する以外
に何も始まらないと思える。

*高臣大介ガラス展「gla_gla CANDLE show」-1月27日(火)ー2月8日
 (日)pm1時ーpm7時月曜定休・休廊
 初日イヴェント:あらひろこカンテレライブー午後7時半~1000円
*佐藤義光花個展「別世界」-2月10日(火)-15日(日)
*野上裕之彫刻展ー2月17日(火)-22日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
 
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by kakiten | 2009-01-26 14:38 | Comments(0)
2009年 01月 25日

交叉と凍結ーmata-pa(冬の年)(18)

朝、水道管が凍結している。昨日夜水落を忘れた為だ。
昨日突然嵐のように映像作家の大木裕之さんが、写真家のM夫人と訪れる。
阿部奈々さん、Sさんも後から来て何やらかんやらと話が弾む。
松前で長年撮っている映像の仕事を終え、函館から札幌に来て今晩帰京という。
大木裕之という天才は行動も素っ頓狂で、最初にお会いした時からUFO的であ
る。5年かけて撮影した名作「メイ」の編集に今入っていると言う。
一昨年5月4年目の「メイ」上映で水戸芸術館に私を招いてくれた。
何かと縁の濃い人だ。
今回の訪問も電撃的なものだったが、3日前の大阪で出会った人と
繋がる不思議があった。
神戸出身の小西小多郎さんと大木さんは知り合いだという。
世間が狭いというより、ツボなんだろうなあ。人と人との間にも濃くなる一点がある。
その身体のツボのような所に濃い場がある。
大阪・札幌。人と人の集まる場所がある。
この合流する心の仲通はまた、見えない精神の運河のように、
可視の街とは違う位相のチャンネルを保っているらしい。
ほんの4、5日前の初めての出会いが、こうしてまた繋がってくるからだ。
スープカレー屋さんで夕食を鷲のように食べ、
飛行機出発時刻ぎりぎりに大木さんは帰って行った。
この慌しさに紛れうっかり水道の水を落とすのを失念した為、
今朝水道は凍結である。
明日高臣大介展展示で休廊日出勤だから、今日は休もうかなと思っていたが、
昨日今日の一気の冷え込みにふっと水道の事を思い出したのだ。
二日もほっておくと管が破裂するとやばい。
乾いた路面の大阪、凍結した路面の札幌。ここはやはり北の地である。
同じ条件で街を考える訳にはいかない。
大木さんと小西さんの接点と-8度と+10度の地の相違は、
人間にふたつの環境がある事を物語る。
ひとつは北と南で分類され区別される位相。もうひとつは交叉する人の位相。
このふたつの挾間を人は生きる。
違いが違いとして分離されず、分断されず開く位相を大切にしなければならない。
大阪の仲通、札幌の仲通。そして、もうひとつの心の仲通。
寒さに負けず、この心の仲通を信じて、また頑張ろう。
凍結した水道管も暖まって水が通ってきたね。

*高臣大介ガラス展「gla_gla CANDLE show」-1月27日(火)-2月8日
 (日):27日午後7時半~あらひろこカンテレライブ・1000円

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2009-01-25 13:26 | Comments(0)
2009年 01月 24日

仲通り・触れるーmata-pa(冬の年)(17)

20代の頃初めてひとりで大阪に行った。
修学旅行の団体で訪れた時とは違い、街も人も東京とは違う空気に圧倒された。
渋紙色した肌、小柄で少しがに股でちょこちょこ早足で動く人。
猥雑で騒々しく関西弁が飛び交い、蒸し暑く活気というより茶碗蒸の中にいるよう
な濃密な気配が支配していた。
その時眼に衝撃的に飛び込んできた文字があった。梅田の高架線から見た看板
の文字だ。梅田食道街。<食堂>ではなく<食道>なのだ。
この文字の生々しさがこの時の大阪の印象のすべてを表している気がした。
大阪は<実>の街だとその時思った。
今回関西空港から高速で梅田に入り、久し振りにその看板を見た。
字は変わらず、<食道街>とある。でももうあの時の衝撃は失せている。
あの時は、夏に近い季節であった所為もあるのだろう。
その生々しさ、心の感じ易さも、もう今はない。
街も変わり、多くの建物が都会化して人もそのように見える。
しかし、城下町特有の小路の多さ、そしてその小路に生きる毛細血管のような人の
生活力は札幌にはないものである。
札幌の小路は仲通だが、そこは車の出入り口としてマイナーな通りでしかない。
個人の商店は直ちに撤去され駐車場か、物品の搬入搬出路に変わる。
近年シャワー通りとか名付けて、そうした仲通を見直す動きもあるが、所詮上っ面
の流行でしかない。何故ならそこにはしぶとく生きる人間の生活がないからである。
大阪の小路にはそれがある。古い佇まいの個人商店が残っており、ゲリラのよう
な弁当屋さんが忽然と出現するからである。
札幌の下町、東屯田通や斜め通りの茨戸街道沿いに同じような風景はあるが、
高層ビル群と太刀打ちする活気はないのだ。うら寂れ負け組の気配が漂ってい
る。人の表情にも個の力がある。喫茶店も飲食店も職人の工房も弁当屋のおば
ちゃんにも、ここはここよと額に気が満ちてマイペースである。
<実>があるのだ。公という世間に対し、私という女々しさがない。
これは、世間に対し個があるからだと思える。
見方を変えて今も変わらず食道街という<実>は生きているのだ。
個がどれほど<実>を持ち得るか。<虚>飾の世間に対し、個としてどれほど
<実>の人生を保ち得るか。そこに人生の生きる価値もあると思うのだ。
上っ面の世間という<公>に対し、弱い<私>が如何に<個>として立ち向か
えるか。丸の内ビジネス街のような林立する高層ビル群の挾間に、逞しく生きる
人たちを見ると、そこに変わらぬ人の<実>が生きている事に気付くのだ。
お城はお城よ、俺らには俺らの生活がある。
ビル群はビル群よ。おいらにはおいらの生活がある。
そう告げているような気がした。
そうした虚と実の猥雑にも逞しい空間に現代美術の小さな拠点があって、
若いスタッフがやはりおいらはおいらの価値観でやるのよと頑張っている姿に、
私は東京・札幌の都市にない関西の底力を感じたのだ。
大阪の小路の保つ毛細血管のような生命力は、小さな店、路上の弁当屋にも凛と
してあって、その力はジャンルの領域を通底する生活力のようにある。
ここをラデカルな基底として持たなければ、美術も文化も本当の力を同時代として
保つ筈がないと私は思う。
都市を身体に例えれば、都市構造が大動脈と静脈だけの太い血管だけの効率性
に走ろうとしているなら、小路・仲通のような小さな毛細血管のような存在こそが、
問われるのである。
五感を支えるこれら、触れる血流が喪失したならそれは生活の死に近い。
大動脈も大静脈もそれはそれよ。おいらはおいらと堂々と存在し得るか。
この個の強さこそが、文化のラデカルな生命線ではないのか。
翻って、ひ弱なさっぽろの凍てついた貧しい仲通を滑りながら今思う事である。

*高臣大介ガラス展「gla_gla CANDLE show」-1月27日(火)-2月8日
 (日):27日午後7時半~あらひろこカンテレライブ1000円
*佐藤義光花個展「別世界」-2月10日(火)ー15日(日)
*野上裕之彫刻展ー2月17日(火)-22日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2009-01-24 13:57 | Comments(0)
2009年 01月 23日

玄武(北)と朱雀(南)ーmata-pa(冬の年)(16)

玄(くろ)い冬の大地が広がってきた。
大阪から千歳への降下中の機内から見える風景である。
北はやはり北である。
大地の色彩が違う。
T個展の会場は大阪の丸の内界隈にあたる場所だった。
高層ビル群と古い佇まいの店。そして、昼時にゲリラのように現れる弁当屋さん。
小路が活き活きとして、その目の上にタワー系のビルがある。
近代と現代が活力で共存する街。
その一角に縦長の細い5階建てのビルがあり、1階と2階がT展の会場だった。
1階は天井の高さが4メートル、床面積34平方メートル。
薄いグレーの壁のなか、黄色いプラステイックの作品が天井から吊られている。
巾4メートル以上もあろうか。
東ベルリンの路上の大きな亀裂・傷痕が、巨大な恐竜の骨格、
否、毛細血管の叢のように宙に浮いている。
節々を蝶番で繋ぎ関節のように可変性を保つ為、
形態は動きを感じさせる。
それはあたかも都市の傷痕からDNAを抽出して体を再生した
都市という巨大な生物のようである。
照明はスポットを消し蛍光灯のみで、この光が無機質な壁の空間に黄色の作品を
さらによく映えさせている。
作品の大きさからいってもこれまでで一番の大作であり、日本では初めて見せる力
作である事は間違いない。
ギヤラリーの立地といい、空間といい今考えられるベストの環境である。
2階の空間は1階より3分の2程の広さで、同じ黄色のプラステイックの作品が3点
ほど折り畳まれて壁にある。注目したのは厚手の白い紙に路上の凹みを指で圧し
て凸凹をつけただけの作品である。この微かな隆起の柔らかな作品がさらに壁一
面に顕われた時、1階の立体作品と併せて凄い展示になると私は思う。
着いた日の夜、京都から駆け付けてくれたKこと橘内光則さん、ギヤラリーの南さ
ん達と飲む。橘内さんとはTの札幌展以来で、会社勤めの多忙の中、絵を描き続
けている若い友人だ。
翌日帰る日の前夜再びギヤラリーの若いスタッフたちと飲む。
行きつけの居酒屋は満員で近くの沖縄料理の店に案内された。
つい2、3日前で沖縄の西表のチQさん、網走へ帰る佐々木さんの朱雀のような赤
の作品に囲まれていたので不思議に思う。
そして、ギヤラリーの南さんの名刺を見て何かさらなる不思議感に襲われた。
<南なつ>というお名前だったのだ。
あなたの苗字と名前を繋ぐ色は朱ですね、と話す。
朱夏・朱雀(南の神・星)。何のことかしらと怪訝な顔をする南さんに説明する。
南に行った人、北へ行く人、その作品の交錯、そして玄の話。
私、赤が好きなのですと南なつさんが言う。その時着ていた服もオレンジ系の朱だ
った。一緒の事務所のスタッフ小西小多郎さんは神戸出身で柔らかなマシマロの
ような好青年である。またキューレーターを志す木坂葵さんは京都の生まれで静
かななかに芯のある雅な女性だ。南なつさんは梅田の生れで生粋の難波ッ子で
ある。この3人は見事な関西の良き遺伝子を保っていている。
会場空間といい、場の立地といい、この3人の関西三都物語の人といい、関西の
優れたコアをそれぞれが感じさせた。
ドイツの谷口顕一郎さんよ、いい場所、いいスタッフに恵まれ最高の個展であると
思う。そして何よりも私自身が、さっぽろからその熱い気持ちのまま何の違和感も
なく玄と朱を語り、大いに寛ぎ開いていたのだ。
尾道から大阪に向かっている野上裕之さんとは残念ながら合流できなかったが、
京都の橘内さん、はじめて会ったギヤラリーのスタッフの方々とTの作品と、もうそ
こは地続きのテンポラリー”ランド”のように、私にはあったのだ。
関西の保つ文化の保水力は、こうして若い彼らの情熱の内に脈々と生きていて、
東京にはない南の活力を保っていると感じたのだ。
沖縄の人も多いと聞く。玄武と朱雀。北と南の濃い精が出会っていた。
そんな大阪の旅だった。

*高臣大介ガラス展「gla_gla CANDLE show」-1月27日(火)-2月8日
 (日):初日あらひろこカンテレ演奏ー午後7時半~1000円

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2009-01-23 13:34 | Comments(0)
2009年 01月 19日

ふたり展終り大阪へーmata-pa(冬の年)(15)

ふたり展最終日多くの人で賑わう。
佐々木さんの彼女の愛美さんが手造りの料理を沢山作ってくる。
佐々木さんの仕事の関係で、ロックの歌い手や若いDJたちが多い。
みんな真面目でシンプルな人たちだった。
始めて2カ月のDJくんもいて、名前をEXと付けた。
DJEX。外へ、前にのEXである。彼は喜んで芳名帖にそう書いて帰る。
最後に佐々木さんの赤の作品「朱雀」と、チQさんの大作「玄武」を背に
全員で記念撮影する。熱く楽しい打ち上げだった。

明日大阪へ行く。久し振りの大阪・関西だ。
花器店時代はよく仕入れの旅で関西方面に出かけた。
父方祖父の親戚も多い。
T展見学と私用を兼ねる。
伊丹空港でなく関西空港に下りるのは初めてである。
Kさんが迎えに行くと、うれしそうなメールが入る。
大阪・ハンブルグ友好都市提携20周年記念の個展という。
彩さんとサハリン・シベリア経由でヨーロッパに旅立って
もう5年くらいになるだろうか。
今ドイツに滞在中のTさんにとって日本での初の大きな個展。
ひとつの節目の個展である。それも関西というのが面白い。
なんと言っても関西は文化が濃いのだ。
昨年末来廊したOさんにもその事を感じていたから。
22日に帰ってまた、ブログに記すつもり。

*高臣大介ガラス展「gla_gla CANDLE show」-1月27日(火)-2月8日
 (日):初日あらひろこカンテレ演奏ー午後7時半~1000円
*佐藤義光花個展「別世界」-2月10日(火)-15日(日)
*野上裕之彫刻展ー2月17日(火)-22日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2009-01-19 17:08 | Comments(2)