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2008年 10月 31日

都の位置ーOctober run(16)

夏が走り去り、冬の階梯が見える。
十勝の国、筑前の国、土佐の国から人が訪れ、それぞれの今を表わした。
そんな10月も今日で終る。
1983年海を渡り紐育の9・11を経た中岡りえさんのDIARY。
昨年の自らの腫瘍摘出を見詰めた梅田マサノリさんの透明な細胞賛歌。
鉄の柔らかい原風景と都市の直線を対峙した阿部守さんの合掌する形象。
それぞれの生の現場が、同時代への眼差しを湛えて、夏の末ー10月を
走っていった。

  物語は北へ進むほどに挿絵が多くなる。言葉が追いつかないほど寒さが
  増して、一方色彩は鮮やかさを失ってゆく。・・・
  枯れたハマナス、ハマボウフウを踏みしだき、冬を目前に控えてなお展開
  しようとする物語の希望とはなにか。・・・
  望来を物語が過ぎる。灰色に鈍く発光する挿絵が地名を抱き、死んだ水を
  湛え、物語は終局をゆるやかにカーブして、更に北をめざしなぜ、なぜさらに
  進むのか・・・・・。

                           高橋秀明「望来」詩集<歌ノ影>から                                     

昨夜Nさんの詩歌パフォーマンスを高橋秀明さんと見る。
その後移住者について話す。
かって移住とは、その起点が海の向こうにあった。
内地という言い方がそうである。
今、私達はその起点を生まれ育ったこの場所に置いている。
南から北へではなく、北から南へそしてさらに北から北へ。
都(みやこ)の位置、
起点の位置を北を基点に。Nさんの舞台の感想も含めてそんな話をした。
小樽へ帰る時間に急かされながらの短い会話だった。
最近出版したばかりの高橋さんの詩集「歌ノ影」に「移住者(イミグラント)」という題
の詩がある。このイミグラントは、エミグラントと区別して使ったと言う。
immigrant-他国からの移住者
emigrant-他国への移住者
<他国へ>ではなく、<他国から>という起点の相違は、私と祖父の起点の相違
でもある。
明治の祖父は起点を<内地>に保ち<他国へ>と移住してきたのだ。
私にはその<内地の記憶>がない。ここを基点にルーツを辿り、自分が越前の流
れと知識する<他国から>の移住者なのだ。
この<他国へ>の起点を、<他国から>の基点に転換して意識化すること。
そこに私たちの現在がある。
「都ぞ弥生」に歌われた<都>は、遠い内地の他国に位置する都である。
だから3月(弥生)は"花の香漂う”のである。
他国からの移住者である我々の現在は、この<都>の位置を”橇の音凍りて物
皆寒く”の3月(弥生)に置かなければならない。
移住者の視座のこの相違は、生きる現実意識の大きな相違でもある。
10月、3人の優れた表現者たちがその生きる現場の結晶を開示し展示した後、
私に遺された思いとは、石狩・さっぽろを都とする生の現場・現実への痛切な問い
でもあった。

*M企画「logs/river/city」-11月4日(火)-16日(日):札幌在住河田雅文
 企画の個展
*algilln’ne展「モーラ」-11月18日(火)-30日(日):青森出身中嶋幸治・
 幕別出身國枝エミの2人展。共に札幌在住

 テンポッリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
   
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by kakiten | 2008-10-31 13:27 | Comments(0)
2008年 10月 30日

四国へ立つーOctober run(15)

中岡りえ展終る。同日夜、中岡さんは次なる個展会場四国・高知へ旅立つ。
その後11月中旬10日から17日まで東京目黒金柑画廊で個展、ニューヨークへ
帰国。4年ぶりの日本、そしてさっぽろ。もう冬の気配がひたすら押しよせる北か
ら南国土佐の高知、そしてメトロポリス東京。如何なる感想を抱いていくのか。
東京の後札幌にもう一度寄ると言っていたから、感想を聞いてみたいと思う。

この街では、11月次々とアートイヴェントが催される。
芸術の秋という言葉がお仕着せがましく浮かぶ。
この<秋>とは、どこのこと?
もうさっぽろは、冬の年の始まり。この肌身に感じる季節感をどう思うのだ。
このアートイヴェントのひとつ「サッポロデザインウイーク」に、酒井博史さんが
ブログ「古い日記」で噛みついている。会場案内のマップが、出鱈目の間違いだ
らけで怒り心頭。4年前からその案内地図は、たらい回しに使われているらしい。
さっぽろを見ていない人間が、地図を作るのだから当然といえば、当然の成り行
き。ここは札幌でもさっぽろでもない。
サッポロアート、サッポロスイーツ、サッポロデザイン。
このカタカナのオンパレードのサッポロを考える人たちに、さっぽろはない。
<都ぞ弥生の雲紫に 花の香漂う 宴遊(うたげ)の筵(むしろ>
と歌われた「都ぞ弥生」の時代に住む、都人(みやこびと)である。
弥生・3月に雪の香を見ず花の香を見る。この遠い都に住む人たちにこそ、
今芸術の秋は相応しい。
しかし、この明治時代の北海道帝国大学寮歌には少なくとも、その末尾に
<星影冴かに光れる北を 清き国ぞとあこがれぬ>
と、最低限自らの立ち位置は、明白に記されているのだ。
この北を目指した140余年前の<都>の位置と変わらぬもの、むしろ退行した位
相を、現在のサッポロの<ゲイジュツの秋>に見るのだ。
地図にも狂いが生じるのは、自ら立つ観念のミヤコの位置にバカ正直とでも言っ
ておく。
今だ140年前以下の、<光れる北>を喪失した遠い<都>に住む中央依存症候
群の春秋を保つ亡国・難民デザイナーには、星影すら瞬かぬ。まして
<夢こそ一時青き繁みに 燃えなん我胸想いを載せて>
と歌われた燃える想いも湧きようがない。
あるのは、安直な<宴の筵(むしろ)>、のみである。

*M企画「logs/river/city」-11月4日(火)-16日(日):河田雅文による。
*algilln’ne展「モーラ」-11月18日(火)-30日(日):中嶋幸治・國枝エミによ
 る。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向
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by kakiten | 2008-10-30 15:47 | Comments(0)
2008年 10月 29日

津軽の林檎ーOctober run(14)

真っ赤なヤッケを着た次々回の展示者中嶋幸治さんが来た。
日曜日の夕方の事だ。
お土産に青森の自宅から送られて来たというジョナゴールドを頂いた。
子供の頭ほどもある大きな林檎で、普通スーパーなどでは見かけないものだ。
この時文月悠光さんと彼女の詩のフアンというIさんという高校生もいた。
文月さんの個人誌「月光」を中岡さんが気に入ってそれを届けに文月さんが来
ていた。Iさんは朝「月光」を求めにここを訪れ、さらに文月さんに会う為夕方また
、ここを訪れていた。
大阪に仕事が決まり、今月引っ越すTさんも、報告がてら訪ねて来る。
みんなで中嶋さんの大きな林檎を割って食べた。
真っ赤な大きな林檎は瑞々しく美味しい。
ひとつの林檎は6人が充分食べれるほどあった。
その後旭川の友人を訪ねるという中岡さんを、若い高校生のふたりが中岡さん
の荷物を持って駅まで見送る。
後日この時の林檎のような瑞々しい文がふたりから届く。
思いがけない出会いと展開を喜んだものだった。
中岡さんのDIARY・布本を見ていて、その濃い時間の凝縮に
少し辟易していた心が息をつく。
1983年に単身ニューヨークに渡り、9・11も経たひとりの女性の咽返るような、
濃い時間が凝縮された今回の作品展は、こうして若い瑞々しい人たちの真っ赤
な林檎のような時間に出会って終ろうとしていた。
1992年にテンポラリーで初個展をしてから随分と時間が過ぎた。
今回4度目の個展で見に来る人たちも随分と変化した。
美術、美術したヴェテランはほとんど来ない。
それはそれで札幌の美術状況であるだろう。
9・11に到るニューヨークを生きた、ひとりの女性の優れた軌跡をこの個展に感
受しながら、立ち会おうとしない美術家といわれる人たちの心の貧困を、今札幌
に思う。
輝かしい国際展や華やかな街のイヴェントだけに心の軌跡がある訳ではない。
もう遠く過ぎ去ったかのような9・11の記憶も、今、この時代にこそ見詰められ
なければならない。その証言が、ここにあるのだ。
私自身が充分に咀嚼・総括できぬまま今夕で中岡りえ展が終了する。
この遠くから届いた重たいDIARYは、中岡さんへの友情とともにニューヨクーさ
っぽろの距離を越えて少しも遠い国のもではない。
遠く思うのはむしろ、近くにある筈の札幌を賑わす文化状況の方である。

*中岡りえ展「DNA DIARY 1902-2008」-29日午後6時まで。

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by kakiten | 2008-10-29 12:50 | Comments(0)
2008年 10月 28日

冬が来るーOctober run(13)

気功のKさんと話していて、ニューヨークでは気功やヨガがファッション化し、い
たずらにある側面ばかりが強調されていると聞いた。時にはその衣装すらトレン
ドブランドになっていると言う。本来の気功の方向性から逸脱しているのだ。
都市化ということは、ある意味こうした増幅化ともいえるものだ。
スピード化、増床化、高層化、増量化。時間も、場所も、高さも、物量も、それら
が増幅する空間装置が都市化だとも思える。
身体も気功やヨガによる活性化と、ボデイビルのような肉体の部分増幅とは本来
一線を画す。似て非なる在り様である。
このボデイビルと同じような事が、肉体次元だけでなく精神次元でもある。
気功やヨガをトレンドブランドのようにファッション化したり、住むという形態がタワ
ーマンシヨン化したり、表現という行為がボデイビル化するのがそのいい例であ
る。文化の部分増幅、都市化の形態である。
廃墟や荒廃という悲惨な状況がボデイビル化して、等身大の心の身体を隅へと
押し遣る。この非等身大への欲望にも似た方向性が、あたかも進歩・発展である
かのような錯覚に陥っている貧しさを見続けているのが、今という時代でもあるの
ではないだろうか。
脳内出血の妊婦をたらい回しし、責任をたらい回しする東京というメトロポリス。
小さな地方都市の方が、余程等身大の処置が可能である事をこの最近の事件
は示している。
優れた設備がはるかに整った大都市の大病院は、あたかもボデイビルの筋肉の
ように見かけは立派だが、肉の鎧のように本来の等身大の機能を鈍化させている
。もし美術の美が、このボデイビルの筋肉のようにあるのならば、それは心の衰退
・退廃以外の何物でもない。
またぞろアートで街フェステイバルのような試みが始まるようだけれど、この都市
化構造と何ら変わらぬ構造を保ったまま、安易にアート、アートする美術のボデ
イビル症候群にはもうそろろそろ鉄鎚を下してもいい。
文化の深化と文明の進歩との本質的なズレを、ある痛みを保って立ち向はない
表現のあり方に、荒廃・退廃の兆しは明らかである。
そこでは、都市の荒廃・退廃さえボデイビル化され、整合するデザインの美の内
にあるからだ。
もう明日までの会期となったニューヨーク在住の中岡りえ展は、そうした安直な
ボデイビル症候群とは対極にある仕事である。ここには、あの9・11の記憶が等
身大の身体性をもって表現されている。入口正面を覆う2枚の大きな迷彩色の布
には、あのツインタワービルの記憶がある。そこに纏わる髪の毛、切れ切れに垂ら
された白い紙、赤い糸。その崩れる布の門のようなふたつの隙間の内側には、50
cm×30cm程の布が壁に19枚ぶら下っている。これにも作家と思しき写真の断
片や髪の毛、糸、さまざまなものが縫い込まれている。これらの断片は布と一体
化し等身化している。縫い込まれ身体化するその世界は、さらに10冊近い布本の
形でさらに集約され、凝縮している。この布本は手に取り捲る事でさらに凄みを増
すのだ。


*中岡りえ展「DNA DIARY 1902-2008」-29日(水)まで。
*M企画「logs/river/city」ー11月4日(火)-16日(日):札幌在住河田雅文
 のインスタレーシヨン

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by kakiten | 2008-10-28 12:33 | Comments(0)
2008年 10月 26日

界(さかい)を生きるーOctober run(12)

場とは何か。いつもそう問い続け生きてきた。
小さくは自分の身体の置き場でもあり、日々生きるゾーンの事である。
それはかって、私的には駅前通りであり、円山北町であり、今、この斜め通りの北
界隈でもある。さらに少し広げれば、私の生まれた札幌であり、そしてさらにいえば
札幌の位置する石狩という地域である。
大きな日本という邦(くに)の前に石狩という国(くに)を思う。
その自然としての石狩圏と、サッポロという都市の地域圏には落差がある。
550万余の北海道の総人口と200万弱の人口のサッポロは、人間の政治経済
の圏内と自然の圏内においてズレがある。このズレは、石狩とサッポロのズレだ
けに留まらず多くの場所におけるズレと思う。
昨日触れた広島とヒロシマのズレもそのひとつである。
このズレを界(さかい)として、我々は真摯に生きなければならない宿命(さだめ)
を保っていると、私は感じている。
都市の傲慢に組しながらも、その傲慢の支配下に屈してはなるまい。
自然の風土に属しながらも、その寛容に逃亡する感傷に溺れてはなるまい。
人間は社会的存在であり、同時に自然的存在である。
いつもその二重の、時にその背離を生きるのだから。
札幌人であることは、同時に石狩人であるという当然の在り様を、この北海道島
の人口の約半数を保つ都市サッポロの傲慢の中で、その二つの在り様を見失っ
てしまう現実を直視するのだ。
昨日触れたサッポロドームの所在地は、かってチキサニとアイヌ語で表わされた
楡の木のある場処である。火を擦(こす)る木の意で、アイヌの人たちの里山でも
あっただろう丘陵地帯である。チキサニが月寒となる。そこに都市の繁栄の象徴と
いえるドームが建つ。そしてアートグローブ(芸術の木立ち)と名付けられた美術作
品が並ぶ。その野外アート群をプロデュースした北川フラム氏は、自らの故郷新潟
で里山賛歌を旗印に越後妻有に大規模な野外美術展を企てた。さっぽろを軸に考
えれば、ここにはふたつの里山がある。火を擦る木を意味する楡の里山と、農村文
化を軸とする里山のふたつである。場処の相違が、同じ人間の為の里山を破壊と
賛美に分けるのだ。ラデイカルにいえば、両処は同じ性質のものである。
真のアートとは社会的位置と関わりなく、社会と自然の界(さかい)を真摯に生きる
事から生まれるものではないのか。都市の傲慢に加担し、<美術の木立ち>とい
う美名でカモフラージュする行為は、真にその界(さかい)を痛みを保って生きてい
るとは思えない行為である。
一方で<ドーム>もまた、廃墟(原爆)と繁栄(サッポロ)の二重の本質を保つ。
その背離を直視せず、その背離を生きず、一方に荷担し振り分けて、毒消しをす
るかの如き<美術の木立ち>と名付けても、それは<目眩まし>でしかない。
タワービルに集約されるビル構造は、都市の発展と同時にその場処の固有の風景
、場を破壊する両面の存在である。私達の日常は否応なくそのふたつの背離を生
きている。加担しつつ被害者である現在を生きている。
あらゆる局面でその現実を引き受けなければならないのだ。
界(さかい)を生きるとはその謂である。

*中岡りえ展「DNA DIARY 1902-2008」-10月23日(木)-29日(水)
 am11時ーpm7時(月曜定休・休廊)

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by kakiten | 2008-10-26 13:40 | Comments(2)
2008年 10月 25日

ズレと痛みーOctober run(11)

閉廊後、中岡さんと岡部昌生展を見に行く。CAI02、大通り西5丁目昭和ビル地
下2階。かってよく通ったビルである。名前のとおり早い時期に建てられた古いビ
ルだ。7階にK会計事務所があり、決算の時期月々の資料等相談によく訪ねた。
地下1階は飲み屋を主とする飲食店街で、そこを突き抜け奥の階段をさらに地下
2階に下りる。古いビルはみなそうだが、当時地下2階は構造的に共有部分として
設計され、ボイラー室機械室倉庫に使われていた。地下街直結の店舗部分は想
定されていなかった場所だ。その為現在の地下街路からは一度上り、また下って
地下2階に入らなければならない。地下街・地下鉄の整備とともにビルのオーナー
にとっては、鬼っ子のような場所だった。テナントを入れることの出来ない損を勘定
したからである。そこを消防法もクリアーしてテナントが入れば、こんなに目出度い
事はない。都心という立地と、経済のメリツトが一致してこの場がある。
何故こんな事を前段に書くかというと、場に対する土壌をまず分析したいからだ。
ビルという箱は、テナントを外から埋める事で成立するハコモノ経済の装置である
。内側から萌える文化の土壌とは別の土壌にある。

地下の店舗群を抜け、さらに地下へと下り左側の大きめの部屋にヒロシマを主題と
する岡部昌生の展示がある。2台のモニターTVがあり、フロッタージュする擦る音
が断続的に響いている。そして広島宇品駅の舗石のフロッタージュ作品が先ず目
に付く。この空間にぴったりの展示である。1990年に鯉江良二との2人展で展示
した被爆した比治山の土の標本壜も併せて展示されている。現在札幌でこれ以上
岡部の作品にフイットする空間はないとも思える。
さらに隣の小さめの部屋には、イタリアヴェネツイアでの作品群が並ぶ。ここでも
モニターTVがフロッタージュの擦音を響かせている。
この音は帯広の梅田マサノリさんが指摘したとおり、以前の音とは違うと気づく。
以前はもっと連続性があり、ひたすら擦る音だった。今は短く途切れてカサカサ
と響く。シュツシュツ、カッカと繋がらないのだ。佐賀町、界川のヴィデオで聞く音
とは違う。作品を評して巨大なボロ雑巾と言われた時代の岡部ではない。それは
この音の相違にも顕われている。この部屋の横奥はカフエにもなっていて、聞き
覚えのある笑い声が聞えた。ちらっと覗くとカウンターの壁にも作品が飾られてい
る。その瞬間中に入る気が失せた。モニターの映像作品のタイトルは、ヘブライ語
で「貧しき者たち」と記されていた。この見事に整合された展示の前で私自身が惨
めに、貧しく思えた。ここに<ヒロシマ>の展示はあっても、広島という固有の一地
域一地方は被爆のカーテンの向こうにあって見えない。
かって私は1990年の岡部・鯉江展のカタログテキストに「ヒロシマと広島」という
文を書いた。そのなかで、<ヒロシマ>は決して<広島>ではない。この<ヒロ
シマ>という有名性と<広島>という無名性の落差にこそ、今<ヒロシマ>の困
難があると書いた。美しい固有の河の街広島が、何故ノーモアというヒロシマへと
変貌していったか。
被爆した廃墟の象徴である原爆ドームを頂点に、その真逆に位置する現在の東
京、サッポロ等の各地の繁栄を象徴するドーム群。
このふたつのドームの明と暗の落差にこそ現代の<ヒロシマ>の位相がある。
明転した現在のドーム群状況の本質にこそ、私たちの見えないヒロシマ構造が潜
んでいると私は思う。
帰路タワービル、マンシヨンの立ち並ぶ夜道を歩きながら、かってあった街の風景
が重なり、その整理・整合された端整なデザイン群の街景に適合しない自分の悲
しいズレを、痛みのように感じていた。
そしてこのズレは同時に、岡部昌生展で感じていた痛みにも似ていた。
<貧しき者たち>を主題に、ヒロシマがビルの内にパックされ、カフエ化するデザ
イン空間の整理・整合とのズレは、夜道に聳える整備された街景とも重なり、貧しく
哀しいまでに痛むのだった。

*中岡りえ展「DNA DIARY 1902-2008」-10月23日(木)-29日(水)
 am11時ーpm7時(月曜休廊)

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by kakiten | 2008-10-25 13:37 | Comments(3)
2008年 10月 24日

出会って、出会うーOctober run(10)

中岡りえ展初日8ミリフイルムによる上映会がある。
中岡さんが日頃持ち歩いている、スーパーシングルエイトという8ミリ撮影機で撮
った作品である。扇千景の”誰にでも写せます”というTVコマーシャルで有名だ
ったので、ある程度の年齢の人は記憶にある機械と思う。
リールを回す映写機なので、カタカタというフイルム音に時間の保水力を感じる。
今のデジタル全盛の風潮に比し、この手間隙かかる手造り音が新鮮だ。
冒頭に4年前札幌で一回だけ会った村岸さんの話を中岡さんがした。
そして、彼女の故郷高知の自宅の傍を流れる川、鏡川で村岸さんが遭難死した
事に触れ、今住んでいるニューヨークと札幌から高知へ向かった時の映像を最後
に上映したいと話す。
8ミリフイルムの上映は無音で映像だけなのだが、この高知への上映の時だけ、
村岸さんの遺作演奏「銭函ー星置」を流して欲しいと言う。
映像作品自体は、中岡さんの目線で風景を切り取るノン編集の、万華鏡のような
作品だが、海辺を歩きその波音をバックに即興で演奏している村岸さんのギター
の音色が、私には切なかった。
そして、聞きながら今まで脈絡なくあった事実が、今ひとつに繋がってくる事に気
付いたのだ。
村岸さんの今や唯一の肉親お兄さんの史隆さんは、ニューヨーク在住である。
さっぽろー高知ーニューヨーク。この3っの都市が、ここでひとつに繋がるのだ。
人の関係とは何なのだろうか。
中岡さんの個展初日、この場に刻まれた記憶が時空を超えるように集っている。
フイルムのカタカタ、カタカタという音が縫うように流れ、その音に巻きつくように
ギターの音色が鳴って、光の交錯する四角いスクリーンが時空の万華鏡のように
揺れていた。
4年前中岡さんは村岸さんに、自分の映像にあわせて即興演奏を頼んだという。
それはその時実現しなかったが、今その記憶が復活し実現している。
人と場が重なり幾つも重なりながら、そっと開いていた。
死者もまた参加するアフンルパルな夜だった。

*中岡りえ展「DNA DIARY 1902-2008」-10月23日(木)-29日(水)
 am11時ーpm7時(月曜休廊)

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by kakiten | 2008-10-24 11:48 | Comments(0)
2008年 10月 23日

記憶を縫うーOctober run(9)

2005年1月の中岡りえ展の時、スペインのアンパロさんの私的な送別会があっ
た。5人くらいの集まりで、その中に四国・高知の鏡川でその翌年8月に遭難死
した村岸宏昭さんの姿もあった。そして彼が、アンパロさんの為にギターでバッハ
を演奏した事を思い出す。ソロで聞いたのは初めてで、いい演奏だった。
演奏後、もうこれからはひとりで弾いた方がいいよ、と言ったのを覚えている。
この時の演奏は本人も印象深かったらしく、彼の演奏記録に非公開としながらも
、しっかりと記録されている。
村岸さんの亡くなった鏡川は、中岡さんの故郷を流れている川でもあり、その偶
然を不思議な縁と思う。海までの川の流域が短く、一気に溢れる川という。
海と山が近いのだ。ゆったりと流れる平野が狭いから、川はすぐ増水し流れも早
い。中岡さんは村岸さんと初めて会って、それ以来の来日だった。
その間映像作家の大木裕之さんともニューヨークで縁があり、なにかとここと人
的に重なる中岡さんである。
今回の展示は、大きな布と小さな布によって構成されている。
布には様々なものが糸で縫いつけてあり、見ようによっては縫込まれた立体的な
版のようにも見える。糸一本にも濃い連続・不連続があり、個展のタイトルにある
DNAそのもののようである。
見ていて時々ニューヨークから送られてくる彼女の葉書の字を思い出していた。
細かな字でびっしりと書かれた、のたうつような字である。この字も糸のようだった
。その葉書の中で今も印象深い一文がある。

 経済と人種とヒンコンとニンタイと物の見方とART・・・について。人種のルツボ
 の中、それぞれの人種のかかえる問題で唯一の共通は?美術は美ではない
 ということでしょうか。ARTはすべてをふくんだ綜合哲学・・?

いつもあまりの文字の細かさと読みづらさの為に、ゆっくり読む事のなかった葉書
だが、この文だけは何故かきちっと読んでいたのだ。
人種の坩堝のようなニューヨークに生きる人間のこの実感とも思える文に、あらた
めてARTが、美術と訳された日本の近代が抱え込んだ出発点を思ったのだ。
ここでいう綜合哲学とは、生きる事そのものを抱え込んだ言い方と思う。
この言い方の位相には、アートで街興しとか、サッポロアートとかいう軽薄な位置
付けときっぱりと訣別した位相があるからである。
このある意味当然とも思える前提を表現の基底に据えて、ARTに向かう事を今ほ
ど必要とされる時はないと思える。
中岡りえさんの生きてきた時代と時間が、あたかも一本の糸のように縫込まれた
布絵に囲まれながら、その評価は見る人とともに会期中にまた新たに編まれてい
くに違いない。

*中岡りえ展「DNA DIARY 1902-2008」-10月23日(木)-29日(日)
 am11時ーpm7時

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
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by kakiten | 2008-10-23 12:21 | Comments(0)
2008年 10月 22日

紐育から来るーOctober run(8)

中岡りえさんは、今の場所は初めてであるが、1992年に前のスペースで個展を
して頂いてから4度目になる。
四国・高知のお生まれで1983年渡米。以降アメリカ暮らし。
34歳にひとりアメリカに渡ったという。今年もう還暦をも迎える逞しい女性だ。
2005年1月に個展をして以来の再会となる。この時のタイトルは今回と同じもの
で「DNA 日記 1902-2004」。2004が2008に変わっている。
4年の歳月が流れている。
今日これから展示に入る。

*中岡りえ展「DNA DIARY 1902-2008」-10月23日(木)-29日(水)

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by kakiten | 2008-10-22 11:31 | Comments(0)
2008年 10月 21日

2年が過ぎるーOctober run(7)

友人の石田善彦さんが、人知れず自宅で亡くなってちょうど2年になる。
発見されたのは10月末で、実際に死亡したのは21日前後だった。
昨年の今頃、山内慶さん、田中綾さんの努力で追悼展を開いた。
私は体調を崩し入院していたが、かろじて石田さんの展示初日に間に合い退院
した。優れた翻訳家であり、同時にポップスの深い理解者でもあり、青年時代に
「新譜ジャーナル」「ヤングギター」等に連載したリリイ、浅川マキ、なぎらけんい
ち、頭脳警察、よしだ・たくろう、井上陽水等への批評は今も新鮮である。
前のテンポラリースペースでは、「ポップソングを訳す」と題して、ビリージョエル
、ビリーホリデイー、ロバートジョンソン、ビョーク、シンデイーローパー、ブルー
ススプリングステイン等を歌詞の翻訳し講義してくれた。
実際に唄の歌詞の意味を理解して聞くと、サウンドとして聞いていた旋律・律動に
意味が加わり新鮮だった。曲の印象ががらりと変わって、労働者や自立する女
性の濃いメッセージ性を帯びた歌となるのだった。
このカルチアーライブは、石田さんの翻訳家としての力量とポップスへの熱い想
いが融合した優れた講義、時間だったと思う。後年はほとんどミステリーの翻訳
が主たる生業だったから、青春時代のポップスへの想いと翻訳が一体となったレ
クチャーは本人も楽しかったのではないだろうか。
時に講義後酒を飲んで、ギター片手にミナミマサトの歌を唄った姿が忘れられない
。2003年5月にデイヴィット・ムラ著「僕はアメリカ人のはずだった」の翻訳出版を
祝う会をテンポラリーで開き、その頃から親しく友人として交流を重ねた。
晩年は、以前の場所に比べ今の場所に馴染む間もなく去った気もするが、若い
村岸宏昭さんの音楽才能を非常に高く評価していた事が強く印象に残る。
彼もまた、最後は音楽の人だった。古い私の友人の碇昭一郎のジャズ、そして22
歳で石田さんより3ヵ月早く早く急逝した村岸宏昭さんの才能を、音楽を通した深い
眼差しで我々に示唆し、遺してくれた気がする。
死ぬ直前までこのふたりへの熱い気持ちが続いていた事も後で知る。
ここに拠点を創りつつ3年。最初の年の8月と10月に相次いで去ったふたりの優れ
た友人たちも、はや3回目の命日を過ぎる。

*中岡りえ展「DNA DIARY 1902-2008」-10月23日(木)29日(水)
*M企画展「logs/river/city」-11月4日(火)-16日(日)
 :美術家河田雅文による。
*ALGILL’NE展「モーラ」-11月18日(火)-30日(日)
 :中嶋幸治・國枝エミによる。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2008-10-21 12:13 | Comments(0)