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2008年 09月 30日

寒くなるー夏の末(sak-kes)(33)

寒くなる。
九月も今日で終る。
先週末文月悠光さんに高橋秀明さんを紹介する。
9年振りの新詩集「歌ノ影」を上梓した高橋秀明さん。
その現代詩への思いは、文月さんへ新詩集の贈呈となって表れていた。
詩人は詩人を知る。少ない会話で充分だった。

昨日は休廊日。自転車の前輪タイヤを取り替える。
チューブとタイヤが弱っていた。
新しいタイヤにして走ると、スピードが違った。前輪の感覚がまだ慣れない。
前に突っ込む感じで余裕がない。気をつけなきゃ駄目だ。
今日の気分は、空気の不足なタイヤの状態。寝不足、微かな自己嫌悪。
空気不足でむきになっている。交換前の自転車の前輪と同じ。
高橋さんの詩集に近接する自分がいる。しかし、まだ批評はできない。
石狩・後志・小樽。

 帰りたい 私の場所へ・・・
 そう心につぶやいてから
 半世紀以上の歳月が過ぎた
 私の場所はどこだろう
 
 ・・・・・・・・・・・・

 冥王星の彼方を私は想う
 母子の一家が青ざめて
 湯の煮え立つ音を聴き交わしていた
 あの凍てついたそれぞれの窓全部に
 私は正しい冬の星座を贈りたかったのに

                  (「冬の星座」-高橋秀明)

帯広から梅田正則さん到着。今日搬入展示。
福岡から阿部守さんのフライヤー届く。
すべてオリジナルの通し番号入り。
<テンポラリーが 毎回の展開の起点となっております>
と添えられていた。

*梅田マサノリ展「Scenery of cell 細胞の風景」-10月1日(水)-7日(火)
 am11時ーpm7時:帯広在住の現代美術家
*阿部守展「場に立つ」-10月9日(水)-19日(日):九州福岡在住鉄の彫刻家
*中岡りえ展ー10月23日(木)-29日(水):ニューヨーク在住の現代美術家

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2008-09-30 11:17 | Comments(0)
2008年 09月 28日

新明史子展最終日ー夏の末(sak-kes)(32)

家族という社会的関係性と個の時間をテーマに、個の時間という縦軸と家族とい
う関係の横軸を、家系図を想起させるモビールの形で顕した新明史子展が終る。
村岸さん母子の死の時も含めて、廊内廊外に人の絆を見詰めた会期であった。
人は如何に人と繋がり、個であるのか。そんな思いが浮かんでは、消える。
蝋燭の灯りのように火は灯りを深く抱きしめ、同時に闇をも深く抱きしめている。
灯りは時に白樺でもあり、子供でもあり、他者でもある。
蝋燭の炎にも、白樺にも、息子にもただそれだけに溺れ忘我することなく、そこか
ら闇に、川に、他者に開いていく深い抱擁を思うのだ。
抱くという事は深く閉じ、深く開くことと思う。
新明史子が出産・育児の日々のなかで、仕事も続けつつ、かつこの個展を開いた
状況を、その時間の厳しさのみを殊更にとりあげて評価する気はない。
しかし、そういう状況のなかで保たれていた透明な自己と他者への視線・視座は
評価されなければならない。
現実という言葉は多分に翻訳的である。<浮世>という言葉が浮かぶのだ。
新明史子の今回の仕事は、家族という<浮世>を、光と影の交叉する立体空間
として顕現化したと思える。
現実という言い方はそれ自体が固定的である。その一点に溺れ耽溺する。
死も子供もその一点でブラックホールのように吸引する。
<浮世>はその意味で、現実ではない<現実>という複眼性を保つ。
膝小僧を抱き締めるような<浮世>は、現実とはいえないのだ。
蝋燭の火に吸い寄せられる昆虫のような、閉じた観念は自閉しナルシスの陥穽に
自死するからである。個と家族の透徹した関係をその界において見詰める新明史
子の作家としての視座は、日常と非日常、社会と個の界(さかい)に決してどちら
にも溺れる事無くすくっと立っている。
そこに作家としての真摯な新明史子を私は見ていたのだ。

*新明史子展ー28日(日)午後6時まで。
*梅田マサノリ展「Scenery of cell 細胞の風景」-10月1日(水)-7日(火)
*阿部守展ー10月9日(木)-19日(日)
*中岡りえ展ー10月23日(木)-29日(水)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
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by kakiten | 2008-09-28 12:51 | Comments(0)
2008年 09月 27日

お通夜の言葉ー夏の末(sak-kes)(31)

故村岸令子さんのお通夜に行く。
札幌北口斎場2階。2年前の宏昭さんと同じ会場。
少し遅れて着く。もう人がいっぱいだった。入口からあふれて、外にパイプ椅子が
出されていた。亡くなられて一日しかたっていないのに、多くの参列者がいた。

お母さん、白樺を抱きしめるように水音、風の音、森に触れ、人に触れた2年間で
したね。知らない宏昭をたくさん知る事が出来てと、幸せそうに語っていた笑顔が
浮かびます。
同じように私たちも宏昭さんを知る事を共有した2年間でした。
深く閉じつつ、深く開いた時間でした。
8月31日カフエエスキスで、出版社のかりん舎の坪井圭子さん、高橋淑子さんに
お会いして間もなく入院し、再発した癌の病で25日早朝死去。
本の事も、宏昭さんの3回忌も済ませ、心の整理はきっともう済ませていらしたの
だろうと思います。
「木は水を運んでいる」で宏昭さんが、倒木の白樺の幹を吊りその白樺を抱いて、
水の音に耳を澄ましたように、あなたは倒れた宏昭さんを心に抱いて、その心の
幹に生きてきた宏昭さんの時間に耳を澄ましていたのですね。
関係した我々もまた、その回路を共有したのです。
昨年8月の大規模な追悼展の行事まで、色々な事がありました。
ただ言える事は宏昭さんが何をしたかではなく、何をしようとしたかに限りなく近づ
けて、我々の今の問題として提起しようとした事です。
その精神はやがて出版される作品集にも貫かれていくと思います。
おふたりが抱き締め深く閉じつつ、深く開いた倒れたものの存在は、今も我々の現
在と深く関わっています。

清浄院釋令知 享年55歳

        合掌

祭壇に手を合わせながら、そんな言葉が浮かんでいた。

*新明史子展ー28日(日)まで。最終日午後6時。
*梅田マサノリ展「Scenery of cell-細胞の風景」-10月1日(水)-7日(木)

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by kakiten | 2008-09-27 13:10 | Comments(0)
2008年 09月 26日

村岸さん母子のことー夏の末(sakーkes)(30)

昨日は暗く、風強く、涙雨の降るような一日だった。
朝、第一報の衝撃が一日中続いた。
華奢で小柄な、山芍薬のように透明な人だった。
あの長身の村岸宏昭さんを産んだ人とは思えなかった。
一夜明けて、ふたりのことを想う。
膝小僧を抱く村岸宏昭、白樺を抱く村岸宏昭。
このふたつの抱くと言う行為が、彼の生きてきた行為を象徴している。
<抱く>という行為は、深く閉じつつ、
同時に他者(外界)に対し深く開く行為でもある。
北大入学前後の膝小僧を抱いた、暗い色調の油絵が遺されていた。
そして、最後の個展となった「木は水を運んでいる」では、
円山川源流域の倒木の白樺の幹を会場に吊り、その幹に装置された
川の水音を幹を抱き聞くというインスタレーシヨンを設置した。
このふたつの抱くという行為の間には、白樺と膝小僧という抱く対象の差異がある
。この差異は自己と他者(外界)への回路の差異でもある。
膝小僧は、自分を抱き締める事で終止する。世界は自己の内部に閉じられる。
白樺は、その幹を抱く事で外界の川・森とつながり、同時に同じ行為の人とも共有
する回路を保つ。村岸宏昭が最後となった個展で示唆したのは、その他者(外界
)との回路の存在だった。抱いて深く閉じつつ、深く開く。
村岸宏昭さんが白樺を抱いたように、お母さまは宏昭さんを深く抱きしめつつ深く
開いていたのではないか、と今思う。
知らない宏昭を知るのはとても楽しいのですと、昨年の追悼展へ到る中でいつも
そう語っていたのを思い出す。
ともすれば、過去への追憶へと流れがちな追悼展の組み立ての最中、その流れ
を過去のものとして閉じず、外へと開かれた作品展へと歯止めしたものは、お母さ
んの知らない息子を知る喜びの新鮮さがあった所為かも知れない。
透明な柱のようで、いつも静かで凛としたお母さんの存在があって始めて、私たち
の村岸宏昭展は成し遂げれたと、思う。
さらに今年一冊の本として、未知の人たちにも問うものが上梓されようとしている時
、その事を確かめる間もなく亡くなられた事に深い哀しみを覚えつつも、思うのだ。
村岸宏昭さんは白樺を抱き、お母さんは宏昭さんを抱き、ともに閉じることなく、他
者(外界)へと深く開いていた事を。
倒れた白樺が他者(外界)の回路であったように、お母さんにとっては不慮の事故
で倒れた村岸宏昭さんが、白樺であった。
息子の宏昭さんを知る事で、きっとお母さんは未知の他者(外界)を知り、息子を抱
く行為を通して我々と共有していたのだと。
それは、白樺を抱く行為と同じ位相にある他者(外界)への回路だったのではない
だろうか。
一冊の本となって、未知の多くの人の前にそれが差し出される前に、村岸さん母子
の深く抱く行為は閉じつつ、深く開く事でもう完遂していたのである。
その事を今、私は遺された眼差しのように愛しく、ふたりの優れた母子に感じている


*新明史子展ー28日(日)まで。am11時ーpm7時:最終日午後6時。
*梅田正則展ー10月1日(水)-7日(火)
*阿部守展ー10月9日(木)-19日(日)
*中岡りえ展ー10月23日(木)-29日(水)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
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by kakiten | 2008-09-26 13:16 | Comments(0)
2008年 09月 25日

訃報届くー夏の末(sak-kes)(29)

朝、訃報届く。
村岸宏昭さんのお母さまが亡くなった。
今朝の事と言う。
村岸さんの不慮の死以降、昨年一昨年追悼展打ち合わせ、作品集発行の打ち合
わせと月に一度の実行委員会の集まりで毎回お会いしてきた。
そして、自分の知らない息子の世界を知る事は、新鮮で楽しいと笑顔で話していた
。今年11月の村岸さんの誕生日を目途に作品集の編集も進めていた。
きっと誰よりも本の完成を楽しみにしていただろうと思う。
物静かで凛として、純粋に息子を思う人だった。昨年の追悼展への結集は、この
お母さんの静かで透明な柱のような存在がなければ、成功しなかっただろう。
追悼展を経て、さらに未知の人達の為にも村岸宏昭さんの志(こころざし)を伝え
遺す為、かりん舎さんの協力で一冊の本にする直前まで今きていたのである。
ここ2,3カ月はその本の最終編集の段階に入って、月に一度の集りも絶えていた
。あるいは自ら原稿も書いて、心残りはなかったのかも知れない。
昨夜何故か眠れず一度起きて、また寝た。その後変な夢を見ていた。
山の湖のような所の周りを、上から下へと誰かを案内しながら歩いていたのだ。
下の方の終わりのゾーンは、禍禍しい人たちがいて、ここは駄目だね、最初の
方の人たちの方がよかったねと顔の見えない連れの誰かと話しあっていた。
湖のゾーンのもっと前に会った人たちがいいと確認していた。
湖の上から下へと湖岸を歩いていたのだが、湖に行く前に会った人たちの世界
の方がよかったのだ。
あの下っていった湖の道はなんだったのだろう。
あの時一緒に歩いていた人は誰だったのだろう。

昨夜高橋秀明さんが新しく出版した詩集「歌ノ影」を届けてくれた。
その冒頭の詩「神威岬にてー少年へのレクイエム」が、今朝目に入る。

  そこに佇つためだけにつづく坂道が とつぜん海に涯(き)り立つ積丹半島余別
  神威岬 岬の突端では激しく風が吹き 観光の人々は四方の展望と強風に動
  揺した後 踵を返す どこへも行き場がないと知れば常人はレミングと異なりそ
  こから引き返すものだから しかし 岬ーそれは 五月晴れの青空のもとへ
  大地の奥から鋭く差し出された陵ではないか

村岸令子さん葬儀ー9月26日午後6時お通夜北口斎場(札幌市北区北9条東1
丁目)9月27日午前9時告別式
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by kakiten | 2008-09-25 11:52 | Comments(0)
2008年 09月 24日

相次いで届くー夏の末(sak-kes)(28)

メール便、郵便と相次いで届く。ひとつは、小樽・高橋秀明さんの更科源蔵論、
もうひとつは、ベルリン・谷口顕一郎さんの個展カタログテキストである。
高橋さんの更科論は、以前にも草稿の段階で読んでいたが、今回は手を加え
完稿のものだ。詩誌「極光」に3回に渡って連載されたものである。
この論考の優れたところは、時代と社会の間を生きる個を、更科源蔵という詩人
を通して圧倒的な自然へと解消、昇化していく善良・無垢なる観念性を徹底的に
跡付けし批判しようとした点である。
人は自然そのものになり得る存在でもなく、社会的存在そのものでもない。
その挾間を生きる存在である。アイヌと和人、戦争の時代と表現者としての詩人、
その間の自己の不在を、その不在の深部において<マゾヒズムに毀損された無
垢な善意が、氷漬けにされたマンモスの仔どもの屍体のように横たわっている>
と指摘する。時代や社会に対し、善意という位相でその自己不在を、このようにき
っちりと論考した詩人論は稀である。それは、詩人だけの問題ではなく、もっと根
源的な表現者の視座の問題と思えるものだ。
谷口顕一郎さんのカタログテキストは、30余頁に及ぶB4版横組みの充実した
ものである。私の拙文は、クラウス・メーヴェスというドイツ人の文とともに日本語
・英語・独逸語で掲載されている。図版も美しく、これまでの谷口顕一郎さんの仕
事をよく伝えている。
高橋秀明さんが更科源蔵を通して追及した自己と他の間の問題は、私が谷口論
で記した問題と深く関わってもいると思える。その緻密さ、論考の資料への深い考
察量においては、比較にもならない程私の谷口論は貧しいのだが、それでもなお
私は、視点の共通性を感じている。そして、紛れもなく谷口顕一郎の方が、更科源
蔵よりより密に時代や社会に対し表現者として向き合っていると思える。
その事を今を生きる同時代の人間として、強く思うのだ。
ふたつの朝の配達物は、なおも問題を孕んで今、心の深部へと誘っている。

*新明史子展ー28日(日)まで。am11時ーpm7時(最終日午後6時)
*梅田正則展ー10月1日(水9-7日(火)
*阿部守展ー10月9日(木)-19日(日)
*中岡りえ展ー10月23日(木)-29日(水)

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by kakiten | 2008-09-24 15:14 | Comments(0)
2008年 09月 23日

秋風立つー夏の末(sak-kes)(27)

お彼岸に入って、風が濃い。
競馬場の塀の蔦も、街路樹のナナカマドの実も赤みを増してきた。
秋が透む。
自転車は向かい風でジグザグ運転。
休み明けのパソコンを開けると、尾道の野上裕之さんからメール。
広島市で展覧会中の高臣大介さんに会ったという。
元気貰ったと書いてあった。
尾道ー広島ー札幌、風の便り。
ベルリンーハンブルグーさっぽろ、風の便り。
透んでいるのは、風だけではない。
人の流れも透んで来る。

岡部亮さんがくれた、ジョン・ルイスとミリヤナ・ルイスの
バッハ「ゴールドベルグ変奏曲」。
ゲレン・グールドとも違う。
チェンバロとピアノの交わる吃音の透明さ。

亮さんと新明さんの描いた豆本が売れる。
6年前に会った濱田幸樹さんと青城望さんという人。
もう顔も忘れていたが、話していると記憶が甦った。
前のスペースで踊っている私。病床の私。
亮さんの豆本に描かれている私を見て笑った。

お彼岸、風の日。
変わったけれど、変わらないもの。
ジグザグしているけど、真っ直ぐなもの。
生と死のあいだ、過去と現在のあいだ。
時間も透んで来る。

*新明史子展ー9月16日(火)-28日(日)am11時ーpm7時
*梅田正則展ー10月1日(水)-7日(火)
*阿部守展ー10月9日(木)-19日(日)
*中岡りえ展ー10月23日(木)-29日(水)

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by kakiten | 2008-09-23 13:43 | Comments(0)
2008年 09月 21日

集り集るー夏の末(sak-kes)(26)

新明さんの同世代と思しき子連れの若いお母さんたちが来る。
乳母車や抱っこした人たちで賑やか。
そこへ夫君の岡部亮さんが、2歳の麦ちゃんと来る。子供が3人揃った。
新明さんの後輩になる久野志乃さんも来て更に賑やかになる。
私は奥へ引っ込んでいたが、さらなる人の気配があったので出て行くと、
なんと初代まるちゃんこと宮嶋宏美さんが、夫婦で、しかも子連れで来ている。
東京で結婚し、子供が出来たと風の噂に聞いてはいた。7月頃このブログにず
っと読んでいるとコメントがあり、久し振りで吃驚もし、嬉しかったのだ。
彼女は、大木裕之さんの映像「おかくれ」にも準主役のように出ていて、個展の
時の作品は今も1階奥に飾ってある。
これで若いお母さんお父さんが揃い、子供が4人となる。
なにか、新明さんの作品の実写版、ドキュメントのようになる。
友人・後輩篇別巻というところ。
そこへ久野さんの彼氏と思われるK君も来る。
カメラマンのK君は早速みんなを記念撮影する。
久野さんも子供作らなくちゃねと冷やかすと、満面笑顔(!)で照れていた。
同世代の若いお母さんたちに囲まれて、彼女も大いに刺激を受けた事だろう。
宙に浮いているモビールが、人の動きでさらに揺れる。
作品が、現実の親子の群と重なって不思議な時間だった。
元祖まるちゃんの登場で、時間も空間も約10年を多重露光しているようだ。
昨夜ハンブルグの佐藤幹子さんからの留守録音がある。
弾んだ声が、ケンちゃんの個展の成功を語っている。
集り、集る。
時空の渦がモビールのように揺れて、笑顔だったなあと思う。
そんな日。

*新明史子展ー9月16日(火)-28日(日)am11時ーpm7時(月曜定休・休廊)
*梅田正則展ー10月1日(水)-7日(火):帯広在住の現代美術作家
*阿部守展ー10月9日(木)-19日(日):九州福岡在住の鉄の彫刻家
*中岡りえ展ー10月23日(木)-29日(水):ニューヨーク在住の現代美術家

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目北大斜め通り西向
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by kakiten | 2008-09-21 12:08 | Comments(0)
2008年 09月 20日

ベルリンからの電話ー夏の末(sak-kes)(25)

昨夜帰り際電話が鳴る。ベルリンの谷口顕一郎さんからだった。
ハンブルグの個展から、今日帰って来たと言う。
個展は盛況で、作品も評価されたと嬉しそうだった。
奥さんの彩さんが、オープニングにお寿司を作ってくれ好評、個展のカタログテ
キストも彩さんがデザインしてくれ、ほんとに感謝と、おのろけ半分だった。
彩さんの事は、新明史子さんの個展評にAさんのシベリア旅行記としてを引用し
たばかりだと話す。さっぽろから北上していったドイツへのふたりの旅は、今もこ
うして続いている。彩さんいる?と聞いたら、今帰って来たばかりで疲れて眠って
いると言う。ハンブルグからベルリン、個展会場から自宅へと、これもまた大きな
長い旅だったのだろう。
写真家のM夫人が、来週からご主人とドイツ出張で、谷口さんの個展は絶対見
に行くと話していたよと伝える。ハンブルグにいて、メールを見れなかったがM夫
人からメールがきていると言う。不思議なご縁で、さっぽろーベルリン再会だねと
話した。ケンちゃん、ケンちゃんとM夫人は今日も来て会いたがっていたので、こ
れで一先ず安心という所である。
声も体も言葉もすっと繋がる不思議な時代である。
国際電話という、何か大袈裟な感覚はもうなく、隣のケンちゃんという感じで話して
いた。この直感覚のグローバル化と、根の違いを基底とする文化の違いを混同し
てもいけない。違いがあって初めて理解が深まる新鮮な経験もまた重要である。
ちょうど、ケンちゃんと彩さんの、サハリン経由シベリア横断のドイツへの旅と、飛
行機の通常の空輸の旅の相違と同じである。距離を簡単に直で繋ぐ回路に文化
の経験はない。彩さんが旅日記に記した通り、孤独への考察も他者との関係性も
直の移動には省略され、時に消去されるからである。
すっと繋がる利便性と、個の内部で深まる経験とは、時に相反するものなのだ。
個展が始まり、その昂揚した気持ちを早くさっぽろに伝えたいという想いは、機械
の速さとは別次元にある速さである。メールや電話の直接性の奥に在る心の性急
さ、直向(ひたむ)きさは、もっと別の時間の心の直なのだ。

*新明史子展ー9月16日(火)-28日(日)am11時ーpm7時(月曜定休・休廊)
*梅田正則展ー10月1日(水)-7日(火):帯広在住現代美術家
*阿部守展ー10月9日(木)-19日(日):九州福岡在住鉄の彫刻家
*中岡りえ展ー10月23日(木)-29日(水):ニューヨーク在住現代美術家

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by kakiten | 2008-09-20 11:45 | Comments(0)
2008年 09月 19日

紙魚豆コレクシヨンー夏の末(sak-kes)(24)

新明史子展会場には、モビールと箱の作品の外に、豆本シリーズ4部作も並ん
でいる。2005年夏から夫君の岡部亮さんと共に制作したものである。
最初の制作の動機を新明さんは、次のように記している。

 大きな作品を作った昨年はとても疲れた。展示空間に合わせた作品は、大きさ
 が必要となるのはいっときだけで、発表後は生活のスケールからはみ出してし
 まう。・・今、この場所で生きている、身のまわりのことをいとしく感じながら生活
 している、それを素直に残そうと思い、半年かけて制作した。

第一部の豆本は4冊で構成されている。一冊目の「命名のうた」は、文を新明さ
んが書き、画を岡部亮さんが描いている。ふたりのなれ初めから所帯をもつまで
が2冊目の「ほれぼれとする」までに続いている。3冊目の「丘陵日」は、画・文と
も岡部亮さんのものである。自分の生まれた丘陵地帯を新鮮な地形として見詰
め、再発見していく作品である。

                1980
               
      Jレノンが亡くなった時
      彼のこともBeatlesの事も知らなかったが
      林はもっと木があって
      森だった気がする

と書かれて始まる画・文は淡々と20年の現在と過去を辿って進む。
生まれ育った見慣れたはずの世界が野幌台地であり、通学路が谷だったこと
、その地形の原風景を俯瞰する昆虫の目のように描き、描き進んでいく。
最終頁の幼少期通った小学校を俯瞰する視座は、正に鳥の目のように地形を鳥
瞰している。

      僕が覚えているのは
      秋の空を満たしてくれるとんぼたちが
      かなしいほどにすきとおった
      穴だらけの羽だったこと

表層の日常世界を記憶として記録しつつ、その視線は垂鉛のようにある深みへと
触れていく。ふたりのそれぞれの視座が記録されたこのシリーズは、今回の個展
でも、新明史子のもうひとつのかけがえのない日常から生まれた作品であるだろ
う。夫との共同作業を経て、それぞれの過去がある共感を保って確認されていく。
この豆本シリーズは、日常を日常として刻み、歩き深めるふたりの真摯な<みち
ゆき>の記録とも思える。

*新明史子展ー9月16日(火)-28日(日)am11時ーpm7時(月曜定休・休廊)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
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by kakiten | 2008-09-19 16:23 | Comments(0)