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2008年 08月 31日

後衛としての前衛ー夏の末(sak-kes)(8)

Kさんが、2回目の森万喜子展訪問。1回目と同じくあいにくの曇天。
それでもカメラを取り出し、作品を写している。そして、とりとめない話。
なにか寛ぐ時間が流れた。小樽橋本洋輔さんが来る。写真家の小林由佳さんも
来て、美術ブログの美翠さんも来た。
ふっと森さんの絵に惹かれるように、ふらりと人が来て、それぞれの大切な話を
それぞれにしていく。
作家本人は仕事があってこの日は来れなかったが、作品が充分に来た人に語り
かけていた。斎藤周さんがひとりで来る。会場をゆっくり見た後、佐佐木方斎さん
の3部作を見せる。前から見せると約束していたのだ。丁寧に一枚々見て、「格子
群」に惹かれると言う、そうだろうなあと思う。斎藤さんの作品は自由群、余剰群
的でありながらも、基本には強い格子群の存在のようなものがあるからだ。
その部分を佐佐木さんのように純粋に抽出して表現する強さを、実は渇望してい
る気がするのである。現実とより対峙した時、その表現がいつか顕われるに違い
ない。絵画の男性性ともいえるものである。反面森さんの絵画には、真の女性性
ともいうべき力がある。佐佐木さんと森さんは、その所為か不思議と気が合うのだ
。両方を堪能した斎藤周さんは、満足気な表情を浮かべて帰った。
こうして、作家不在に関わらずふらりと心濃い訪問者が来る。画廊主としては、
うれしく外せないのである。従って森さんの電話での勧めにも関わらず、途中で
早めに閉じて、この日最終トークと映像のある吉増剛造展には参列を取り止める
。昨日の詩人T氏からのメールも影響したのかも知れないが、ズレを隠して、ヘラ
ヘラと参列する気にならなくなったのだ。最終日前夜のお祭りに加わっても何か
自虐的な感じがするからだ。もう十分参加し、批判し、無視されてもきたからであ
る。そんな気持ちで昨夜は定刻通りギヤラリーに居て帰った。
今朝中嶋幸治さんからメールが届いていた。昨夜の吉増さんのトークで、冒頭と
後半に何度も”中森さん来てますか、来てないか・・”と吉増さんが会場に声をか
けたと言う。その様子が残念そうで淋しげだったから、これは是非朝一番伝えな
ければという内容だった。
最後の最後に本当の対話の相手をこのさっぽろで指定して頂いたようで、嬉しく
思った。最後尾にして最前列。後衛にして前衛。それでいい。
ともに、フラットなこのフラットな基地・都市構造と闘ってきたそれぞれである。
その一点さえ札幌で確認でき得れば、それでいいのだ。花輪のなかの剛造が、
素の剛ちゃんになっただけである。それがなければ、さっぽろと吉増剛造は何の
生産性も保たないのだ。古札幌川と古多摩川が、同時代の精神で合流する事も
ない。

昼近く青空広がる。光燦々。阿部典英さんこっそりと来たよう。声もかからず案内
状置いてある。初めて来たので挨拶くらいしたかったが・・。後藤和子さん2度目
の訪問。晴れた日に見たいと言っていたから、満足したようだ。
札幌マラソンとかで、車規制激しく遅れていると森さんから電話来る。
Kさんのブログで、もう一度晴れた今日見に来たいと書いてある。久野志乃さん
も今日来ると言う。午後3時からの及川恒平コンサートの出席は諦める。
ここでも聞いたし、もういい。私は私の現場に立ち続ける事にする。大野慶人さん
のせっかくの今夜のご招待もむりだなあ。慶人さん、許されよと心に思う。

*森万喜子展ー31日(日)午後7時まで。
*gla_galのFresh Answer展ー9月2日(火)-7日(日)
*新明史子展ー9月16日(火)-28日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2008-08-31 12:22 | Comments(0)
2008年 08月 30日

parとputー夏の末(sak-kes)(7)

Nさんが3歳のお子さんを連れて、ご夫婦で来る。最近家を建て、森万喜
子さんの作品を飾っているのを、送られたメールで見たばかりである。森さんの
作品の為に壁の一部を造っていた。これほど作家にとって嬉しい事はないだろう。
3歳のタツヤくんは早速梯子を登り、2階吹き抜けで遊びだした。もうこうなると止
らない。何度も登ると言い出す。子供にとってここは、ちょっとした冒険の国なのだ
。絵を落ち着いて品良く見ようという親には、それどころでない子供のやんちゃが
始まるのだ。しかし、何度か梯子を上り下りしているうちに、子供は大人びてくる。
みんなが注目して何事かをやり遂げているという自信が、大人にするのだ。
もう絵を触ったり、親がハラハラする行為は消える。ただもう何度も梯子に登る
行為を止めないので親の方が飽きてくる。頃合いを見てお昼を食べようとタツヤ
くんを誘い、若夫婦は帰った。帰り際、一緒に行こうとタツヤくんが盛んに私を誘
った。森さんの息子くん、イブキくんとは同級生みたいと、Sさんにからかわれた
のも最近の事で、何故かお犬さまと子供とは波長が合うみたいだ。
管理する見方より、一緒に物を見たり、遊んだりする見方が多いので、懐かれる
のだろう。-愛することは、見詰め合うことではなく、ともに同じ方向を見ることー
サンテグジュベリである。まあ愛は少ないが、子供との友情はある。
子供がちょろちょろすると追い出すギヤラリーもあるそうだが、子供が楽しくない空
間は大人も楽しい筈がない。鑑賞という建前だけが前面に出るのは、どこか嘘っ
ぽい。子供が作品を壊したり、汚したりするのは、欲求不満になるからだ。大人が
思うほど子供は子供ではない。入口さえ見つかれば、あっという間に大人になる。
そこを見てあげ共感し共有する何かがあれば、全く対(たい)の存在になる。
かってアイヌの人たちが、自然のなかに、多くのpar(ぱル:入口)やput(プッ:(川
・沼などの)口)を見ていたのも同じ事と思う。アイヌの人や子供だけではない。
世界はきっと今も、新鮮な入口に満ちている。そこに差別・管理はない。

*森万喜子展ー8月31日(日)まで。am11時ーpm7時
*gla_galのfresh answer展ー9月2日(火)-7日(日)
*新明史子展ー9月16日(火)-28日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
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by kakiten | 2008-08-30 13:14 | Comments(0)
2008年 08月 29日

夏の疲れー夏の末(sak-kes)(6)

寝坊する。明け方目覚めて、二度寝した所為だ。
湿度高く、重たい空気。布団干したいな。
ギヤラリーに遅れて着く。Iさんから、先日の貸家の件の諾否を問うメール。
小樽の詩人Tさんから、先日の私のブログ吉増ー岡部の件への鋭利な指摘。
ふたつのメールを読んでいると、どっと疲れの溜まりを感じた。
IさんもTも深い処で、私の生き方そのものに触れている。悪意は勿論ない。
好意というだけですむ軽さもない。ふたりのそれぞれのアクセスが、私の現在
を指圧の指のように押しているのだ。
今の疲労が、そこに横たわっている。
正確な指摘というのは、時に痛みと疲労も伴なう。
個人的な書簡の範囲と思うので、このブログの公開性を考慮して引用は避ける。
ただ感じる事は、ある面で正確に今の吉増剛造と岡部昌生の一面を指摘できる人
はそういないだろうと思う。吉増剛造展は明日最終局面を迎える。
さっぽろーおたる。永遠の二都物語。

下に降り森さんの個展会場に立つ。
冬の個展は、光の暖かさ。夏の個展は、光の風。
癒されるなあ。
写真家の藤倉翼さんが来る。
前々回の久野志乃展の写真を持って来てくれる。
作品主体というより、会場の空気に息づく藤倉さんの感性が光る写真だ。
話しているうちにふっと気付いて、佐佐木方斎さんの3部作を見せた。
食入るように、「格子群」を見ている。「余剰群」「自由群」と見て、やはり「格子群」
が一番いいという。その後持参した彼の写真作品を見せてもらう。
薄野のネオン看板、公営住宅全体を真昼に撮影した作品。
このけれんみのない、真っ正面からの視座がいい。部分ではない。全体を正面か
ら、真向微塵に撮っているのだ。この被写体の捉え方は、正しく都市の”格子群”
である。余剰群でも自由群でもない。
以前深夜のコンビニを撮った若い人の写真を見て、現代の駄菓子屋、コンビニ世
代を感じた事もあった。藤倉さんもコンビニ世代でもあるのだろうが、彼の眼線の
視座は、もっと構造として物を見る硬派な視線がある。
佐佐木方斎さんの「格子群」に惹かれるのもその所為だと思う。
藤倉さんと一緒に佐佐木方斎を見ていたら、少しわだかまった疲れがとれた。

*森万喜子展ー31日(日)まで。
*gla_galのfresh answer展ー9月2日(火)-7日(日)
*新明史子展ー9月16日(火)-28日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向き
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by kakiten | 2008-08-29 17:06 | Comments(0)
2008年 08月 28日

凝縮し、開く彩(いろ)ー夏の末(sak-kes)(5)

暖かく澄んだ色彩がいくつも、窓のように会場を跳んでいる。
森万喜子さんが、昨夕作品を増やした。
小樽で教員を務める時間の合間、今年1月の正月休み時と違い、
時間がなかなかとれないのか、夕刻に会場に来ている。
昨日は曇天の一日だったが、今朝は少し晴れ、気温も上がる。
明るい光で見る作品は、やはり美しい。
小さな作品が、斜めに2階の吹き抜けに跳ぶ。
小さな方形の作品が、足下近くの壁に覗き窓の風景のようにある。
この人の作品は、凝縮が閉鎖しない。
木の葉のように舞って、窓のように開く。
時に濃い赤と紫の沈んだ色彩もあるのだが、
夕暮れの濃縮時に似て、
内省の深い視軸に満ち、内へと開いているのだ。
この人の作品には、炎がある。
炎は凝縮し、燃えて開くのだ。
大小の炎が、窓のように空間を跳んでいる。
光を受け入れ、光をともに放ち、光とともに燃えている。
静かに見詰めていると、中心に濃い凝縮するものがあって、
その黒点もまた燃え盛るなにかである。
日常の些細な刺、疲労、憎悪、差別、傷口、
それらが凝縮した黒い”沁み”のように思えることもある。
しかし、シミではない、これも燃える黒である。
だから、澄んだ彩雲を纏うのだ。
太陽風という真空を疾走る風があるという。太陽の黒点が発する風という。
森さんの色彩には、その風のような彩(いろどり)、彩(ひかり)がある。
燃える生命がその基底にあるからだ。
その生命の彩が、見るものに風の窓を与える。
1月に見た真冬の暖かさ、今8月に見る彩の窓。
すべては、作家が発する命の色彩ゆえ、であるのだろう。

*森万喜子展ー8月22日(金)-31日(日)am11時ーpm7時
*gla_gal(グラ_ギヤル)展ー9月2日(火)-7日(日)
*新明史子展ー9月16日(火)-28日(日)

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by kakiten | 2008-08-28 12:09 | Comments(0)
2008年 08月 27日

rhapsody in august-夏の末(sak-kes)(4)

8月も、もう終わりに近い。月末、濃い時間の予感がする。
30日吉増剛造展最後のトークと映像。31日及川恒平「地下書店」札幌録音場所
初のライブ。同じく31日大野慶人10何年ぶりの札幌舞踏出演。
ジャンルの違う3人が、何故かさっぽろの8月末に集中する。そして、ジャンルは
違うが共有する熱いさっぽろがあるのだ。
8月のラプソデイー、みんなと会いたい。
夏の年と数えた昔のアイヌの人に倣って、夏の年の始まりを春といわず、私は
<5月の共和国ーrepublic of may>と思ってきた。
今、夏の終りを秋とはいわず、<8月の狂詩曲ーrhapsody in august>と
思う。そんな朝、吉増剛造さんのお母さま悦さんから、お礼状が届く。

<今、剛造につれて来てもらって蓼科にいます。昨日はステキなグラス大小を
 頂きまして 本当にうれしうございました 大好きな形ですっかり魅力にとりつか
 れてしまいました。>

先日洞爺の高臣大介さんのグラスを、送っていただいたお菓子のお礼に差し上
げたのだが、それがお母さまの手に渡っていた。
10年ほど前、福生のご自宅でお会いして以来だが、私の事を覚えていてくれたの
は嬉しい。
吉増さんの名作長編詩「石狩シーツ」が、約4ヵ月の石狩ー夕張滞在のあと完成
した後でのご実家ご招待だった。かって仕事上で、接待という事も経験してはいた
が、本当に心篭もった接待というものをあの時初めて経験した気がする。
私たちが招かれた2日間のすぐ翌日、吉増さんがポリーフの手術で入院したと、
後で聞いた。体の不調を堪えての接待だったのだ。吉増家でのお料理、お酒、夕
刻の奥多摩の夕陽、翌日の奥多摩渓谷の河原、横浜へと到る絹の道、まいまい
ずの井戸、未知の東京奥多摩の風景が、そこにはあった。中川潤、金井孝次、岡
部昌生の3人と青山エスパスオハラの高橋さん、桜井さんも一緒だった。
岡部ー吉増展の予定を控え、「石狩シーツ」誕生の、出来たて濃い時間が流れ
ていた時である。この後、吉増さんの方から、岡部昌生との2人展はキャンセル
され、その根本の原因は今だ、総括されてはいない。ただ、私にはその頃既に
予想されていた事態でもあったから、<夜逃げの天才>と、吉増さんがおどけて
みせた本当の真意はもう見えてもいたのだ。今、ヴェネチアビエンナーレの日本
代表まで上り詰めた岡部昌生が、その拒否の真意をどこまで感受しているかど
うかは、今だ明らかではない。今回の道立文学館の吉増剛造展にも、いつの間
にか<資料提供>と名前を連ねているが、本来はテンポラリースペースの名前
がそこに記されて然るべきものである。まあ、我田引水的に捉えられるのは厭な
のでどうでもいいが、公的な偏らない見方に立てばそういう事と思う。
吉増悦さんからの一通のお礼状が、ふっとそんなことを思い出させた。
と、ここまで打ち込んでいると、電話が鳴った。横浜の大野慶人さんからだった。
”31日琴似で踊ります、受付で名前を言って下さい、招待にしてあります”と。
私はもう今打ち込んだばかりの、8月のラプソデイーの話を立て続けに喋った。
慶人さんもすっかり乗って、気合入れますと笑った。
午後京都・増田旗男さん来る。阪神淡路沖地震で壊れた蔵元の再起第一作
のお酒「空蔵」をおみやげに頂く。テンポラリーへの激励の意味もある。
空は空でも豊かなゼロだと応える。賀村順治さんが、畑から採り立ての大根を
持って来た。オロシにして食べなと言う。冷酒にオロシ大根か・・・。
身も心も沁みる日だな。

*森万喜子展ー8月22日(金)ー31日(日)am11時ーpm7時
*gla_gal(グラ_ギヤル)展ー9月2日(火)-7日(日)
*新明史子展ー9月16日(火)-27日(日)

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by kakiten | 2008-08-27 12:51 | Comments(2)
2008年 08月 26日

蜻蛉が飛ぶ日ー夏の末(sak-kes)(3)

一昨日中川潤さん、酒井博史さんと飲んだので、自転車に乗らずに帰った。
昨日は定休日で自転車は画廊においたままだったから、今朝は歩き。
界川遊歩道を歩いていると、蜻蛉の小さな群れが、周りを飛んでいた。
羽にまあるい縞のある、なんていうのかなあ、ヤグルマトンボかしらね。
夏の終り、秋が深まっている。
もとメルパルク、郵便貯金会館の跡地には巨大な鉄骨が打ち込まれつつある。
もう眼で、わが奥三角山に挨拶することはできなくなった。
友人の街路樹に、友よ、残念だなあと語りかけた。
西の連峰が、円山地域では細切れの風景となっている。
手稲連峰から藻岩山にかけて、一望にできることは勿論、かっての村名の元に
なった近くの山すら見えなくなってきた。そのうち円山も見えない円山になるのか
も知れない。海で漁師が陸の岬や山を目印にしたように、陸でもかって人は山を
目印に道を作ったと思う。古い道を歩くと、必ずその先に山が見える。その山頂に
沿うように道と川がある。碁盤の目のような格子状の都心を歩いても、大きな通り
の西側の正面には山が見える。あれは、きっと目印なのだ。
街の眼線に限れば、街角にも見慣れた建物や店があったが、今大きなビル群に
なって、それが壊され急に更地になると元の姿がさっぱり浮かばない。目印が消
えている。山も大きいのだが、山の姿はビルと違って目印になる。それはきっと固
有の線を保って暖かいからだろう。
街から固有の目印、眼の拠点の風景が喪失して、携帯ナビが難民の小舟のよう
に電波で繋ぐ。バーチアルリアリテイーがバーチアルでなくなる。風景が画面に
なる。浮世という現実の絵空事化が進行している。
リアルを我々は、どこにおくのか。リアルを我々は、どこで掴むのか。
精神の難民化、心の漂流をどこで位置付けるのか。
北海道・東京人や札幌・銀座人やグローバル・日本人などという訳の分からない
人種がバーチャルリアリテイーに住む街は、風景もまた土と山を喪ってナビ化し
ているのだ。
<日本の最北に位置する>という視座で、この街を語る<道立>の美術観。
このナビ化した視座は、この街の政治・経済・文化に共通した視座である。
だから、札幌・銀座人や道央・東京人が増えるのだ。
それは、風景から固有の目印を喪失しつつある街の、もうひとつの内なる風景
でもある。

*森万喜子展ー8月22日(火)-31日(日)am11時ーpm7時

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8
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by kakiten | 2008-08-26 12:01 | Comments(0)
2008年 08月 24日

外に触れるー夏の末(sak-kes)(2)

Iさんの紹介で、界川の見えるところにある一軒家を見に行った。2階建ての民家
である。祖母の法事で東京から一泊で札幌にきているIさんが、合間を見て案内
してくれた。ちょっとひとりで住むのには、寂しい山奥である。
帰りに、近いので下澤敏也展をしている門馬ギヤラリーに寄る。
沢の傍の木立ちの中に立っている作品が、良かった。門馬邸入口に置かれた門
のような作品もいい。今回、下澤さんは、外に作品を置くことで、従来の室内空間
に篭もっていた何かが開放されたかに思える。土に還る逞しさを、陶芸のオブジェ
作品が獲得しだしたと思う。タイトルは、風化から森へだったと思うが、この森とは
外へとも読み取れるのだ。風化という従来のテーマは、内向きの凝視の視線だが、
今回に展示には、外へと開かれる視軸がある。門馬邸の場を生かす事で、一回り
作品が大きくなったと思えるのだ。
本人はニコニコと他のお客さんとの会話に忙しく、話はできなかったが、ギヤラリ
ーオーナーの大井恵子さんが、代わりに接待してくれた。そして、故人の門馬よ
宇子さんの遺作で自分が一番好きな”らっきょ”という作品があると言う。
え!らっきょ?それ知らないよと答えると、奥から大事そうに細長い箱に入った
作品を見せてくれた。透明なアクリルのboxの中に、20個ほどの薬莢が固定され
ている。沖縄を旅行した際収集したものという。
これ、らっきょでなく、やっきょう(薬莢)でしょうと笑い話になった。
素材を主に見れば、いわゆるジャンクアートに属するが、このきりっとした構成の
凝縮力は、素晴らしい。韓国の美術家が、一目見て凍りつき、感動したと言う。
それだけの力ある作品である。
門馬さんのある種素材を使って凝縮した時の作品は、他の作品もそうだが、作家
の力量が発揮されている。この作家の力は、凝縮力にあると思える。
この薬莢を素材にした作品もそうだが、まだ未見の作品が埋もれている。
鯉江良二といい、韓国の美術家といい、道外の生前本人を知らない優れた作家が
、今作品を通して感動を語っているのを聞くと、本当の意味で作家門馬よ宇子は、
今だ紹介されていないという事になる。これは貧しい札幌の現実ではないか。
先日夜、咽ぶような電話をくれた沖縄の豊平ヨシオさんにも、この薬莢の作品は見
てもらいたいなあと思っていたのだ。
作品もまたもっと外に出て、触れてもらわなければならない。

*森万喜子展ー8月22日(金)-31日(日)am11時ーpm7時(月曜定休・休廊)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
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by kakiten | 2008-08-24 14:12 | Comments(0)
2008年 08月 23日

sak-kes(夏の末)

昨晩洗濯物を取り込んでいると、2匹の蜻蛉が部屋に入った。
夫婦だろうか。追い出そうと試みたが、途中で止めた。
明るいところにまた、戻ってくるのである。
その晩はそのままにして、朝明るくなってヴェランダの戸を開けると
飛んでいった。蜻蛉と一緒に一晩過ごしたのだ。
秋である。
秋のことを、sak-kes(さクケシ)=夏の・末とも言ったという。
sak-pa(夏の年)の終である。そんな夏の終りを思わせる風が立つ。
<古く、アイヌは春から秋にかけては海辺に住んで漁労生活をした。その際の
 ・・・夏家の在る所をsak-kotan(夏・部落)と言った。>
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」)
現在の積丹という地名は、そこからきているのである。
<また、秋の末には夏の家を引きあげて山の手の冬の家に移り、翌年の春まで
穴居生活を営んだ。その家を toy-chise(土・家)と言い、それのある所を
mataーkotan(冬・部落)と言った。>(同上)
便宜上「夏」「冬」と訳しているが、われわれの考えている夏・冬とは内容が
いちじるしく異なっていると、知里さんは書いている。
夏年・冬年は、人間の生活環境そのものを変える海・山の年でもあるのだ。
厳しい自然に添って生きる生活の知恵が、自由で身軽な固定しない社会環境を
生んでいたともいえる。都市という城壁が社会環境を囲繞する現代の我々には、
そう思える面がある。都市の利便性と安全性にどっぷりと浸っている現代人には、
自然はエコとか麗しさに見えるが、自然そのものはもっと猛々しく、荒ぶる大きな
力として存在している。そうした自然を、今は馴致し柔らかで優しげなものとパー
ク化して見ている。社会と自然を区分し、時に対峙し一線を引いた時から、人間
はふたつの環境を生きる事になったのだ。今、その矛盾・蹉跌が問われている。

秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる

読み人知らずの古歌がふっと頭に浮かんだ。
そんな今日の朝だ。

*森万喜子展ー8月22日(金)-31日(日)am11時ーpm7時(月曜定休・休廊)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2008-08-23 12:23 | Comments(2)
2008年 08月 22日

森万喜子展始まるー夏の年(sak-pa)(71)

冬の年(mataーpa)1月に続き、8月夏の年(sak-pa)の森万喜子さんの個展
が始まる。昨年末のブラックホールのような展覧会の後、年明けて白く凍てつく
空気に、森さんの色彩の粒子は光の発露のようにあって、暖かかった。
その色彩の奥には、太陽の黒点のような暗闘も秘められていたから、その発す
る暖かい色彩の凝縮には、純粋なエネルギーと思える力が漲っていたのだ。
私的にいえば、惨々たる昨年の疲労のなかで、どれほどこの作品の力に励まさ
れたか分からない。死に人生上一番近づいた時期でもあったからである。
人の死を、<息を引き取る>と表現する。逆に誕生は、息を吐き出し始まる。
”おぎや~”という声を発して人生が始まるのである。吸気ではなく、呼気から生
が始まる。吸気の構造は黒点のような死の構造に思える。その吸気を孕みつつ
も、吐く呼気のエネルギーが、森さんの絵画にはあったのだ。
正に瀕死の私は精神的に彼女の色彩力に救われた気がするのである。
個的な想いから、作品論を仕立てる積りはないが、作品に対し個的な次元に至る
事を抜きに語る積りもない。一般という世間の軸心は、嘘である。
個が普遍たり得るかに、作品の保つ力もまたあるからだ。
この時、個という打者は感動というバットを持っている。この感受性のバットを抜き
に世間試合をする手合いも多いのだ。ネット裏や、外野席の反応ばかりを気にし
ている手合いだ。球速や観客数ばかりが主役の、グランドの外にある眼線である。
今回の森さんの展示は、あの冬の白い寒気の中と違い、より淡白に見えはする。
夏の光の暖気が、作品をも緩やかにしているのかも知れないが、小さく裂かれた
小品が壁を飛んで散らばるようにあり、これが会期中さらに増えていくと、ここは、
楼蘭の莫高窟の飛天のようになるかも知れない気がした。そう見ると、吹き抜け
正面上部の黄色の大作と1階正面の緋色の大作が、大日如来のように見えてく
る。勿論森さんの作品が、仏画と言う訳ではない。ただこれらの作品が保つ力は
、遠い昔の仏画と同じくらい太陽の力を保っていると、私には思える。
日々の修羅に届く光の力があるからだ。

*森万喜子展ー8月22日(金)-31日(日)am11時ーpm7時月曜定休・休廊

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
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by kakiten | 2008-08-22 12:11 | Comments(2)
2008年 08月 21日

りんご味ー夏の年(sak-pa)(70)

NくんとKさんの青森みやげに頂いた、チェルシーりんご味をなめていると、秋の
味がした。<みちのく限定>と表示されている。
りんごには、北の味がある。
昔、横浜の親友に教えられたミカンの木。
あれは、やはり南の匂いがあった。
蜜柑の味と林檎の味、ミカンの色とリンゴの色。
色と味と匂いの違いに、風と土の違いもある。

昨日は一日ぼんやりと過ごす。
北京オリンピックの女子ソフトボールと、野球を見る。
両方とも投手が頑張って、打つ方が駄目。投手と捕手の間に立つ打者の存在に、
ふっとギヤラリーの風景を重ねていた。
作家が表現の球を投げる、それを受ける、そしてその間に何かが弾ける。打者が
いる。その三者を囲む空間、ダイアモンド(内野)が、ギヤラリーのように思えた。
表現という球が飛び交う空間。
そこでは、誰もが打者でもあり、投手でもあり捕手でもある。
打ち手、投げ手、受け手が交錯するのだ。
もしそこに、投げる、受ける、打つのどれかが欠如したなら、
世界は膠着して一面的な世界になるだろう。
表現の受け手ばかりでは、世界は成立しない。
表現の投げ手ばかりで世界は成立しない。
投げ手と受け手の間に、打ち手がいる。
この打ち手が沈黙すれば、世界は膠着する。
ギヤラリーという場も同じである。打ち手がいてドラマが生まれる。
その打ち手は、感動というバットを保っている。
球は作品である。投手もまた、その時捕手となる。
打たれた作品という球を受け止めるからだ。
捕手から投げ返された批評という球を受け止めるからだ。
そんな風景を重ねて投手戦の画面を見詰めていた。

小樽滞在中の京都の作家ハタオさんから2通のハガキが同時に届く。一通は先週
末ここに来れなかったお詫びの文。もう一通は、週刊朝日誌上の寺山修司の似顔
絵が貼り付けてあった。私にそっくりだというギヤグである。まあ、そういわれれば、
そうかもしれないが、私は津軽人ではない。もっと北の、凛々しい暗さの石狩人で
あると返事を書こうと思う。
東京・綿引展子さんより便り。9月銀座で草間弥生と2人展とある。その後10月か
ら、ドイツ・ハンブルグに1年間文化庁の在外研修生として滞在という。
なにか、繋がってくるなあ・・。ドイツ・ハンブルグか・・。
新しい豆本をもって、岡部亮さんが来る。私も登場するという。シリーズの2番目に
前のスペースとともに登場したから、今度で2回目になる。開いてみると、「お見舞
い楽団」という一冊にベッドに横たわって起き上がる、私と思しき人物がいた。
昨年の入院時を思い出した。
石塚出版局から、「吉増剛造 詩の黄金の庭ー北への挨拶」が送られてくる。
8月31日まで開催中の吉増展の会期中に出版された労作である。短期間にここ
まで纏められた情熱・努力に敬意を覚える。中に別冊折込で「石狩シーツ」全編が
挟まれていた。私的には、大野一雄と吉増剛造を石狩を媒介に深める部分の不足
が、この詩篇の折込ではぐらかれた気もしないでもない。吉増剛造という投手に対
し、捕手はよく球を拾っているが、打者が不在である。文学館もそうだが、名投手の
受け手は多勢名乗りをあげるが、肝心の打者が見えない。本当は、バッターがドラ
マを創る。いいグランドに、いいスコアラー、一生懸命球を受けるキャッチャーと申し
分ないかに見えるが、それだけでは顕彰記念試合のようである。それを承知で群が
る向きの名前もちらほら見える。<剛>速球顕彰記念試合とかね。



*森万喜子展ー8月22日(火)-31日(日)am11時ーpm7時(月曜球廊)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2008-08-21 12:54 | Comments(0)