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2008年 06月 30日

再び函ということー夏の年(sak-pa)(24)

さっぽろ・イシカリという函が欲しいと思った。北海道立文学館の吉増剛造展であ
る。吉増さんという大河を総括的に見るには、近年稀なる個展ではある。
ここまで資料的にも、現在の活動も、一気に見る機会はそうないだろう。
まして、さっぽろにおいては勿論の事である。
しかし、だからこそさっぽろ・イシカリの函が欲しい。そう思う。
名作「石狩シーツ」は、石狩・望来に約4ヵ月滞在して創られた長編詩である。
その展示が函になってあってもいいと思う。
どんな大きな川にも、澱みのような函の場所がある。ただ一直線に流れている訳
ではない。イシカリーユウバリと深さを保った吉増さんの淵がある。
そこを、道立文学館は自主的に目玉にすべきなのだ。そこが他の場所と違うここ
で展示する自主性なのだ。会場には「石狩シーツ」の朗読CDが、常に流れてい
た。「石狩シーツ」の資料は、並列的にしか展示されていない。もっとくっきりと表
わすべきだ。生原稿を購入するとかそういう問題ではない。展示としてきちっと現
場性をもつべきなのだ。四国でも沖縄でも奄美でも東京でもパリでもない独自性
を、展示の過程に保つ事が大事である。総括的な業績は業績として、地方のここ
でしかできなかった関わりを、大河の函として、節を見せるべきである。
全体に優れて若々しく、ダイナミックな展覧会であるゆえに一層、メリハリとして
そう思う。その函のなかみは大半テンポラリーにあるのだが、残念である。
3月大野一雄さんの石狩来札公演とともに、その資料は展示したのだが、一民間
の小さなギヤラリ-なぞには、ハナも引っ掛けないのか、見てもらえる事はなかっ
たから、私の吉増剛造展はすでに終了している。今回の大規模な展覧会に便乗す
る気も毛頭ない。ただ、今度の展覧会を見て、残念に思うのは、さっぽろ・イシカリ
で吉増剛造展をする意義を、自らの場に立脚して、固有性は固有性として堂々と
こういうものがあると他との差異を打ち出して当然と思うのだ。ただただ、全国区の
展示を誇示した所で、場の固有性が薄弱では<道立>の名が虚しいだけだ。
館長の神谷さんも開会式の挨拶で語っていたが、もしノミネートされているような
ノーベル賞でも受賞したら、もうこの展覧会なぞ問題にならない位大規模な展覧
会が東京で開催されるだろう、そういう規模の大小や名誉の問題ではなく、ここで
此処でしか出来なかった展示の質を提示すべきだと考えるのだ。
札幌・石狩・夕張その他あっての北海道立でしょう?そういう展示コンセプトが必
要でしょう?枝のない大河などないのだ。枝川の泉を見ずして、大河に眼を奪わ
れるな。そう思う。

*細井護展「水が風景をつくる」-7月8日(火)-13日(日)
*酒井博史てん刻ライブー7月20日(日)am11時ーpm7時
*久野志乃展ー7月22日(火)-8月3日(日)
*及川恒平ソロライブ「resongs vol7」-8月5日(火)午後6時半~
 入場料3000円・予約2500円
*アキタヒデキ展「点と点と展」-8月7日(木)-17日(日)
*森万喜子展ー8月19日(火)-31日(日)
*gla_gla展(予定)ー9月2日(火)ー14日(日)
*新明史子展ー9月16日(火)-21日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2008-06-30 17:24 | Comments(0)
2008年 06月 28日

吉増剛造展始まるー夏の年(sak-pa)(23)

北海道立文学館で吉増剛造展が始まる。昨夕は開会式で出かけた。
久し振りの背広ネクタイである。鯉江良二展の打ち合わせで丁度来たMギヤラリ
ーのOさんの車に乗せて頂く。少し時間があるので、今展示中の藤谷康晴展も
見ていけというのでそうした。半年振りの藤谷康晴展である。昨年はライブドロー
イングが多かったが、今年初めての新作だけの個展である。やはり、力がある。
都市の内部の魔界・妖怪を正視して見詰めている。かって無人の一番街を等身
大の眼線で奪還しようとした強靭な精神が、スタチックな静止した画面を突き破っ
て、みずからの肉体性をもって乱舞した昨年1年間の後、今回は封印された対象
の都市の魔を対象から引きずり出して、露にしている。再び絵画へとその矛先を
収めているのだ。次なる発表の場は、もう札幌から出たほうがいい。仕事も止め、
絵画一本で当面生きるという。25歳の新たな旅だちである。

吉増剛造展会場は多彩な詩人の才能そのままに、優れて厚味ある展示となって
いた。見る前には、万博吉増剛造展と意地悪く見ていたが、ここまで資料・映像・
写真・打刻銅版と集積されると、これはこれで公的機関でしかできないものと感
心する。若い学芸員のKさんの必死の努力に拍手したくなった。その本人は開場
直前にカッターナイフで指を削いだらしく、白い包帯姿で甲斐甲斐しくも痛々しく
見えた。会場の床には、透明なビニールで梱包された吉増さんの原稿が到る所
に、散乱している。壁に固定し対面する展示ではなく、視座が万華鏡のように散乱
している。この展示に吉増さんの反骨・剛造があって、会期中にもどんどん増殖す
る展示という。車椅子の山口昌男さんも駆けつけ、軽妙な吉増さんのトークも冴え
て、重たく為りがちなセレモニーの枠を砕く、柔らかで自在な空間が顕われていた
。8月31日までの2ヵ月間の会期中12回のイヴェントが組み立てられていて、こ
の期間何かが起き続けていくだろう。吉増剛造の第一線の現場基地と会場はなり
つつある。道立という公的な空間は、一種の内側からの革命によって本来の公へと
開かれていく。やはり現役・第一線の天才なのだ。20代の作家のもつ自在な散乱
も有し、そのエネルギーは、さらに年数の厚味も伴なって展示会会場に溢れてい
る。奥さんのマリリアさんも会場に駆けつけ、久し振りのさっぽろが嬉しそうだった。
さるお偉いさんが何ヵ月か前、今が旬だからと言ったのにカチンときていた私だが
逆に今は、その通りと言いたい。今が、毎日の今が、旬ですと。

*細井護展「水が風景をつくる」-7月8日(火)-13日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2008-06-28 12:57 | Comments(0)
2008年 06月 27日

都(みやこ)の位置-夏の年(sak-pa)(22)

前から気になっていたが、<都ぞ弥生>の弥生は旧暦で、新暦では3月のことで
ある。しかしこの歌詞では、どうみても3月というより5月の皐月(さっき)の感がす
る。

   都ぞ弥生の雲紫に 
   花の香漂う宴遊の筵
   尽きせぬ奢りに濃き紅や
   その春暮れては移ろう色の
   夢こそ一時青き繁みに
   燃えなん我胸想いを載せて
   星影冴やかに光れる北を
   人の世の 清き国ぞとあこがれぬ
 
そして、はっと気付いた。この<都>とはさっぽろではない。東京目線なのだ。
それなら都の3月に、花の香が漂い、濃き紅と春暮れては移ろう色の存在も、理
解できるのである。本州の都の視線から、星影冴やかに光れる北を見、そこに、
人の世の清き国をと憧れる位置があるのである。この時点で<都>は、依然とし
てさっぽろにはない。2章節以降の歌詞に初めて、さっぽろ・イシカリの自然が顕
われてくる。

   豊かに稔れる石狩の野に
   雁(かりがね)遥々沈みてゆけば
   羊群声なく牧舎に帰り
   手稲の嶺 黄昏こめぬ
   雄々しく聳ゆる楡の梢
   打振る野分に破壊の葉音の
   さやめく甍に久遠の光
   おごそかに 北極星を仰ぐかな

さらに第3章節に至って、完全にさっぽろ・イシカリの冬が窺われる。

   寒月懸れる針葉樹林
   橇の音凍りて物皆寒く
   野もせに乱るる清白の雪
   沈黙の暁霏々として舞う
   ああその朔風飄々として
   荒ぶる吹雪の逆巻くを見よ
   ああその蒼空梢聯ねて
   樹氷咲く 壮麗の地をここに見よ

そして第4章節に本当のさっぽろ・イシカリの春が顕われる。

   牧場の若草陽炎燃えて
   森には桂の新緑萌し
   雲ゆく雲雀に延齢草の
   真白の花影さゆらぎて立つ
   今こそ溢れぬ清和の光
   小河の邉を彷いゆけば
   美しからずや咲く水芭蕉
   春の日の この北の国幸多し

私はこの2,3,4に謳われた自然にさっぽろを東京で感じていたのだ。東京に出
た当初の気持ちは、正に<夢こそ一時青き繁みに 燃えなん我胸想いを載せて
>であったのかも知れない。
<都の西北 早稲田の杜に>の<都>にではなく北の都と思っていた<都ぞ
弥生>は、この時依然としてさっぽろに位置する<都>ではなく、彼の地の都
であったと今更ながら気付いたのである。
ただこの歌にある自然は、その都の相違を充分に表現してあまりあるものだ。
特に第2章節にある<羊群声なく牧舎に帰り>に、さっぽろの近代化の足音を
実感する。外国人教師による近代畜産農業の足音が、そこにはある。
羊を飼い、牛を飼い、農場を経営する近代の足音である。雁(かりがね)ももう見
かけない。楡(エルム)の大木も伐採されて僅かである。そして、なによりも手稲
の嶺(いただき)には、黄昏とともにTV送信塔が幾本も林立しているのだ。
野分の破壊(はえ)の葉音は、ビル風の直線的な風に取って代わりつつある。
近代の夜明けにかろうじてあった風景・植生もアスファルトの舗道の下に消えつ
つある。しかし、この幻の都にあった原風景を忘れてはいけないと、私は強く思う
のだ。自らのアイデンテイーの為にもだ。さっぽろを住む・生きる・場としての都と
して消去しない為にもだ。そう思う。

*細井護展「水が風景をつくる」-7月8日(火)-13日(日)
*酒井博史てん刻ライブー7月20日(日)am11時ーpm7時
*久野志乃展ー7月22日(火)-8月3日(日)
*及川恒平ソロライブ「resongs」-8月5日(火)午後6時半~
  入場料3000円・予約2500円
*アキタヒデキ展「点と点と展」-8月7日(木)-17日(日)
*森万喜子展ー8月19日(火)ー31日(日)
*gla_gla展(予定)ー9月2日(火)-14日(日)
*新明史子展ー9月16日(火)-21日(日)

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by kakiten | 2008-06-27 12:46 | Comments(0)
2008年 06月 26日

眼差しの夏ー夏の年(sak-pa)(21)

熱い所へ帰るのね、と言いながら娘が東京へ帰った。
その言葉にふっと、遠い東京を想い出した。
早稲田に入って最初の夏、ゴキブリをカブト虫だと騒いで、下宿のみんなに笑わ
れた。帰省して、布団がカビだらけになり、布団干しを覚えた。
友人の家で蜜柑の樹を初めて見て、ここが「みかんの花咲く丘」の歌詞の場所、
横浜だと教えられた。

  はるかに見える 青い海 お船がとおく かすんでる

時もまた、はるかに、とおく かすんでいる。あの高台の家の蜜柑の樹は、まだ
あるのだろうか。浜っ子で頭のいいMは、昨年亡くなったが、私のさっぽろ、春楡
(エルム)の歌と、彼の蜜柑の歌の出会いが、今は逆に鮮明に思い出される。
この植生の違いが私たちの生きた環境の違いであり、その事が新鮮な友情の記
憶なのだ。互いの違いが新鮮な青春でもあったから。

  雄々しく聳(そび)ゆる楡(エルム)の梢 打振る野分に破壊の葉音の

寺山修司編著の「日本童謡詩集」には、このふたつの歌が同じ頁の見開きに載っ
ている。ブラキストンライン・津軽海峡を越えると、正直に植生は違う。
人間も正直に違えばいい。違いを区別・差別の隘路に閉じ込めず、違うままに新
鮮であったから友情が芽生えたと、今思う。Mよ、そうだべ。
もうひとりの千葉出身のPは、髭の濃い野武士のような奴だった。剃り跡が青く、
眼がぎょろっとしていたが、笑うと童顔になった。浜っ子の切れのいいMと北国の
色白のおっとり系と野武士系のPと、全然違う3人は何故か気が合った。
今思うに、それは違いが新鮮だったからと思う。直情的なところは似ていたのかも
知れないが、その分喧嘩もしたように思う。互いに違いをバカにしてからかった事も
ある。そうだべちょ、Pよ。千葉弁みたいなものもある。
毎年Pの年賀状には、ふたりでさっぽろに行くといつも書いてあった。
その日を密かに楽しみにしていた私には、果たせなかった計画があったのだ。

 あの丘はいつか見た丘 ああそうだよ ほら白い時計台だよ

「この道」を歩きたかった。みかんの丘とは違う、さっぽろの幻の丘を歩きたかった
。その時、Mはなんと言っただろう。例によって切れの良い浜言葉で、小気味良く
今のサッポロを批判したかも知れない。何だ、こんな東京みたいな、どこでもある
サッポロ!と。そして、そのふたつのさっぽろをめぐって、我々の友情が同時代の
議論へと発展する筈だったのだ。美しい正統な近代とは何か、否定すべき近代と
の分岐点について、さっぽろは主題を提示するのである。
明治の初めに内陸に開かれたさっぽろと、海にひらかれたヨコハマの、ふたつの
近代を激しく語り合いたかった。近代の薄い千葉のPは、この時どう裁定しただろ
うか。<はるかに とおく>と決してかすんではいない、今を思うのだ。

*細井護展「水が風景をつくる」-7月8日(火)-13日(日)
*酒井博史てん刻ライブー7月20日(日)am11時ーpm7時
*久野志乃展ー7月22日(火)-8月3日(日)
*及川恒平ソロライブ「Resongs vol7」-8月5日(火)午後6時半~
  入場料3000円・予約2500円
* アキタヒデキ展「点と点と展」-8月7日(木)-17日(日)
*森万喜子展ー8月19日(火)-31日(日)

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by kakiten | 2008-06-26 12:50 | Comments(0)
2008年 06月 25日

夏深まるー夏の年(sak-pa)(20)

斎藤周展が終り、壁に直描きされた絵の消去が続いている。A君の展示が延期
となって、ヴィデオ撮影や壁の修復の時間がゆっくりととれる。勤務後の斎藤周
さんの後始末が続く。
女房の一周忌で遅れて娘が東京から来る。2歳の子連れで来たので、賑やかだ
。昨日はモエレ沼公園に行く。まだまだ、内弁慶で多勢の子供がいる外界には慣
れていない。あやしているだけで時間が過ぎる。あらためて、子育ての大変さを実
感する。母親に自分の時間はない。子供の時間がすべてである。昼夜を問わな
い。小さな暴君に振り回されながらも、その可愛さが苛立ちを帳消しにする。
大人になって記憶にない時間が、親子の時間である。そうやって子が大人になり
また繰り返す。感心して母なる娘を見ていた。そのうち、娘と妹を混同して話して
いた。車で移動中、ある店の前で、同級生のM君はどうしたなどと話していた。
2歳の子供に、じい・じいなどと言われ、ふっといやはやと気付く。
そこで一首。歯・眼・魔羅に じいと言われて モエレ沼。
嵐のように娘親子が帰って、2日ぶりに自転車を跳ばす。
何かが回復する。そして、思う。部屋が綺麗になった。布巾が清潔である。床が
清潔である。洗濯物が綺麗に畳まれてある。女性には敵わない。敵にはしない方
が身の為である。あらためて、思うのだ。この1年しみじみ感じる。

及川恒平さんの自主録音終る。あとは、CDとなってその成果を聞きたい。
月末北海道立文学館吉増剛造展がスタートする。
7月鯉江良二が来る。この3人とのそれぞれの出会いが、今またひとつの形にな
る。私は、私の時間の深まりを生きている。私は私のさっぽろを生きている。
その固有の深まりにタッチする人の出会いに悔いはない。
それにしても、せっかくの道外からの3人のビッグに、がっぷり四つに組んださっぽ
ろがひ弱な感がする。万博吉増剛造、鯉江スペシアルゲストになるなら問題だ。
久し振りのモエレ沼公園でさっぽろの臍を感じる。そのヘソに興醒めなのは、モエ
レ沼のフリーペーパー「cultivater 01」で、cultivatorの誤字で、しっかりしろよと
云いたくなる。

*細井護展「水が風景をつくる」-7月8日(火)-13日(日)
*酒井博史てん刻ライブー7月20日(日)am11時ーpm7時
*久野志乃展ー7月22日(火)-8月3日(日)
*アキタヒデキ展ー8月5日(火)-17日(日):最終日は展示の都合でずれる予定
*森万喜子展ー8月19日(火)-31日(日)
*gla_gla展(予定)ー9月2日(火)-10日(水)
*新明史子展ー9月16日(火)-21日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
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by kakiten | 2008-06-25 12:53 | Comments(0)
2008年 06月 22日

斎藤周展最終日ー夏の年(sak-pa)(19)

10代の人たちが多い。ゆっくり居る。たむろして、2階吹き抜けの床に座っている
。鳥小屋のようになる。ピーチク、パーチクではないが、彩(さや)めく声が降って
くる。好奇心からか、2階のな・ン・のルームにも入り込む。お相手をする。
素直ないい子たちで、何やら、かんやら話を聞いてくれる。そんな事で、3,4時
間も滞在する。その間も人が来て、エロいとか言って作家を冷やかしている。
午後の光がうす曇のせいか、穏やかで柔らかい。万偏なく、会場を包む。
夏の強い光で満たされるのも劇的だが、こうした柔らかな光で包まれるのもいい。
壁全体、室内全体が色彩と光と人で、溢れる。それ自体が作品であり、空間であ
る。Fさんが3歳の女の子を連れてくる。幼女が早速に階段を登り出す。親はハラ
ハラして後を追う。吹き抜けの回廊を抜け、奥の階段から下に降りてくる。もう一度
行くと言う。子供は遊びの天才である。場・空間に沢山の入り口を見つける。自在
に、自由に遊ぶ。大人になるほど、意識と秩序に拘束されがちである。いわゆる社
会性を持つ。身体より、意識が優先する。子供は意識より身体性が優先して体で
感じ、考える。頭は跡ずけなのだ。見て、感じて、考える。10代の子達には、まだ
その感覚が残っている。だから、彼、彼女等が長く滞在する空間は、単純に気持
ち良く、心地よいからなのだ。そして、その事は充分にひとつの批評たり得ている
。誰でもがかって、路地裏や、屋根裏といった楽しい空間を持っていたのだ。画面
の中の映像、眼だけの増幅ではなく、身体全体で感じる空間があったのだ。
大人社会の管理の隙間にある、開かれた秘密の入り口の世界。
物流の出入り口とは異なる、新鮮な入り口に満ちた世界。
額縁やキャンバスの中に、あるいは建築構造物に封印される,<inisde>の世
界から<exside>の世界をどれだけ作品空間が保ち得るかは、現代の大きな
課題とも言えるのだ。レジデンスだ、インスタレーシヨンだと、そんなしち面倒くさ
い言葉も、ひとりの幼児が軽々と身体ごとクリアーしてくれる。
玄関なんて、しゃちほこばらないで、たくさん入り口があるよと云わんばかりに。
斎藤周展最終日、気持ちの良い風・光のなかそんな時間が過ぎている。

*斎藤周展「おおらかなリズム」-22日(日)午後7時まで。
*細井護展「水が風景をつくる」-7月8日(火)-13日(日)
*酒井博史てん刻ライブー7月20日(日)am11時ーpm7時
*久野志乃展ー7月22日(火)-8月3日(日)
*アキタヒデキ展「点と点と展」-8月5日(火)-17日(日)
*森万喜子展ー8月19日(火)-31日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
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by kakiten | 2008-06-22 12:48 | Comments(0)
2008年 06月 21日

日常のなかの帝国主義ー夏の年(sak-pa)(18)

自家用車を持つ。利便性は飛躍的に増大する。時間が短縮され、距離が短縮す
る。その事を発展と信ずる時代が長く続く。等身大の人間の尺度は、非等身大の
機械の尺度に取って代わる。かっては国家大、権力大だったものが、個人の領域
まで広がる。原子力も電気需要という形で日常化する。国家の有する核は、日常
の三分の一の電気力として、当たり前にもう在る。
大きな増幅力が個人の日常の範囲になり、個も権力・強権を持つ。
帝国主義も、植民地も個の意識の内部に巣食っている。消費のブランド信仰や、
中央・地方の格差、貧富の格差、その差別・区別の感性の帝国主義は、醜聞・
悪口に到るまで現代の増幅装置によって増大する。
かって、楊貴妃が側近に呟いただけの陰口が、権力構造の増幅装置により暗殺
となるような事が、今は何の権力構造も持たない筈の個の次元で増幅され得る。
そうした産業経済社会の構造そのものに、個の意識が対峙しない限りは悪無限
の増幅に対抗できないのだ。文化とは何かと、その時にこそ問われるべきである
。この時、文化とはジャンルの問題ではない。基底の哲学の問題である。生き方
の選択である。土壌の問題である。個々の意識に戦いがある。加害と被害の境を
、現実の方が超えている。みんなが加害者であり、同時に被害者でもあり得る時
代を生きている。一方的な分類は成立しない。だからこそ、日常の環境そのものと
真摯に向き合う。日常環境を媒介として、根っ子から転換するラデイカルな視線と
拠点が必要なのだ。ハコモノとして場を考えない。溜まり溢れる淵として函を考える
。自然がそうであるようにだ。体がそうであるようにだ。吸って、吐く。その間の溜め
にこそ、生がある。食って、排泄する。その間にこそ生がある。時間にも保水力があ
る。その保水力こそが、文化である。街にも保水力が要る。地域にも国(ランド)とい
う保水力が要る。量数の増幅とは対峙するものである。Republicは、共和ではなく
、反publicでなければならない。非等身大に増幅せず、個の保水力の再生を思う。

*斎藤周展「おおらかなリズム」-22日(日)まで。am11時ーpm7時。
*細井護展「水が風景をつくる」-7月8日(火)-13日(日)
*酒井博史てん刻ライブー7月20日(日)am11時ーpm7時
*久野志乃展ー7月22日(火)-8月3日(日)
*アキタヒデキ展「点と点と展」-8月5日(火)-17日(日)
*森万喜子展ー8月19日(火)-31日(日)
*新明史子展ー9月16日(火)-21日(日)
*梅田正則展ー10月1日(水)ー7日(火)
*阿部守展ー10月9日(木)-19日(日)
*予定・中岡りえ展・中嶋・国枝展
*河田雅文展ー11月1日(土)-14日(金)

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by kakiten | 2008-06-21 12:04 | Comments(0)
2008年 06月 20日

空気を耕すー夏の年(sak-pa)(17)

デザインの仕事をして生計を立てている人が、アートの世界からファインアートの
世界へ自然に触れていく。昨年夏の佐々木恒雄さんの個展もそうだった。
網走から札幌に移り住んでの3年間を、デザインの仕事と、友人たちとの会話録
音、それら彼の日常が会場の空気を満たしていた。
この時、空間は彼の札幌全生活のエッセンスで満たされたといっていい。
空気を耕す。その心の空間土壌に作品があった。
展示物ー鑑賞者という固定されたスタンスは、もうそこにはなかった。
作品と見る者との間、その距離が限りなく日常性を保って、近接している。
作品と人の間の線引き、区別・差別の壁が取り払われ、同じ時間を共有し、
身体ごと同じ空間を経験する装置のように会場がある。
もうここから一緒に物を見て、感じて、触れるのだ、という暗黙の了解が語られて
いるのだ。作家の等身大の土壌・土俵のように空間が、小さなランドとしてある。
観客との間を線引きし、ライブドローイングを見させる管理空間をあたかも聖域の
ように劇場化した作家もかってはいた。その小さな個の帝国主義は、区別・差別
・分断の傲慢しか生み出さなかった。見る者は、参列者に線引きされ、参列の動
員数ばかりが留意された。この時空間は量数の軸、広狭の空間となり、量数の効
率化の為排除の論理が優先した。いわば、交通整理の路上になったのである。
小さなポリスが出現し、帝国の護持の為誘導と整理が行われた。入り口と出口が
出現し、排除が加速された。小さな<公立>が空間に現出した。構造が近代美術
館的になったのである。
そんな苦い経験もあるが、故村岸宏昭さん、佐々木恒雄さん、次々回の秋田英貴
さんたちの空間への志向は、この個の帝国主義とはきっぱりと、別の次元にある。
あたかも、漁師が海の漁場・ランドの為に、海/山の区別の境を超えて森に樹を
植えるかのように、海の土壌から耕すランドの視線を獲得しているからだ。
ランドとは、閉じた排除の帝国ではない。開かれたオーバーフェンスの国だ。
そこでは、間(あいだ)、境(さかい)が、区別・差別・分断として存在しない。
優劣・量数・主従の比較排除の線引き既成概念を開放する意思があるからだ。
世界と有機的に関わろうとする意思があるからだ。
小さくとも狭くとも、その比較の悪無限軌道に乗ることなく、等身大の世界を等質と
して耕す意思こそが、悪しき帝国主義を克服し、日常のランドを再生させる道なの
だ。
空気を耕す。日常を自らに引寄せ、自らの世界として開こうとする、小さなtempor
ーaryこそが、有機的な世界のcontemporaryへと繋がると信ずる。
今回の斎藤周さんの個展にも、その空間構造がある。若い作家だけでなく、彼の
ような中堅作家もまた、開く為に闘っている。作品の評価は種々であるだろうが、
私はこの空間への意識の一点において高く評価するのだ。
もう、作品を置く空間から根こそぎ土壌として意識し、創っていく。その視線が共有
する熱い体温こそが今、信じるに足るものだからである。

*斎藤周展「おおらかなリズム」-22日(日)まで。am11時ーpm7時
*細井護展「水が風景をつくる」-7月8日(火)-13日(日)
*酒井博史てん刻ライブー7月20日(日)am11時pm7時
*久野志乃展ー7月22日(火)-8月3日(日)
*アキタヒデキ展「点と点と展」-8月5日(火)-17日(日)
*森万喜子展ー8月19日(火)-31日(日) 

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2008-06-20 12:46 | Comments(0)
2008年 06月 19日

歌から唄へー夏の年(sak-pa)(16)

歌から唄へ、文字から声へ、場を介して何かが変わる。
絵から空間へ、空間はひとときの宙となる。
宙は、身体を包む。身体は宙(そら)をもつ。
宙(そら)は、重力から自由になる。
ニュートンさんが凝視した林檎はきっと、一瞬停止していたに違いない。
日常という現象が本質へタッチする実体の時間。
それが生きている事の、何よりもの証(あかし)。
タッチ ウイズ アイ。
スメル ウイズ ハンド。テイスト ウイズ ノース。
シー ウイズ イアーズ。ヒアー ウイズ タング。
1992年5月茨戸街道を歩いた彫刻家西雅秋は、
この五感を意味する5枚の銅版を、5本の大樹の下にそっと埋めた。
等身大の石狩の道。眠っている五感の街道。
ハリエンジュ。カワヤナギ。オオエゾヤマザクラ。キタコブシ。イチョウ。
古い街道の生き証人のように立つこの5本の樹は、
もう伐採されて消えたものもある。
パラ(広い)ト(沼・河口)街道。
札幌を流れる大小300を超える川が、幾つもの合流を繰り返し、やがてひとつの
石狩川本流に流れ込む。
川の小さなタッチ、大きなタッチ。
人もそこで風景にタッチしていた。
透明な神の杜、荒ぶる屋根。豪壮な寺院、和らぐ屋根。
仏教伝来以前の風景が、歩く人の心に触れる。
さっぽろ、パラト、いしかり。
界川の支流、源流域で歌が唄になり、声になる。
タッチ ウイズ ヴォイス。
及川恒平の声の発見の旅が始まっているのだ。

昼過ぎ、次回展示予定の秋田英貴さんが来る。
都合により会期を6月予定を8月5日からに変更する。
この期間泊り込み部屋を創ると言う。
これも自らの環境から構築する個展となるだろう。
ここにも一から場を、宙(そら)にする濃い意思がある。
ユニクロデザイン大賞の余勢をかって、ファインへのハイタッチ!
楽しみだ。

*斎藤周展「おおらかなリズム」-22日(日)まで。am11時ーpm7時。
*アキタヒデキ展「点と点と展」→8月5日ー17日に変更
*細井護展「水が風景をつくる」-7月8日(火)-13日(日)
*酒井博史てん刻ライブー7月20日(日)am11時ーpm7時
*久野志乃展ー7月22日(火)-8月3日(日)
*森万喜子展ー8月19日(火)-31日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2008-06-19 15:09 | Comments(0)
2008年 06月 18日

及川恒平の自主録音ー夏の年(sak-pa)(15)

及川恒平さんのさっぽろCD制作が始まった。
今朝、東京から来た録音技師Sさんと幌平橋で待ち合わせ、M邸にお連れする。
オーナーのOさんが留守で代わりに鍵を預かったのだ。
さっぽろはこの日快晴で、夏の光が燦々である。
深緑のなか、山間のM邸は静かで、音がよく響く。
さっそく録音位置を探る。半2階の吹き抜けの位置がいいと云う。
午後から及川さんも合流して、本格的にこれから1週間のCD制作が始まる。
東京でのスタジオ録音を拒否し、さっぽろから音を創る。
その意思からは、きっと優れた何かが生まれるだろう。
これを今流行り風に、レジデンスなどとは言いたくはない。
自らの音・唄への拘りが当り前のように、滞在制作の道を選んでいるからだ。
その意思にこそすべての想いがある。
糸田ともよさんの懐に刃の光る言の葉を、北の冷涼で澄んだ空気の中で、自ら
の<北>と重ねつつ咀嚼し、新たな響き・声・旋律・律動を創造する時間が始ま
ったのだ。歌・唄・旋律・律動、そして場。これらがひとつのコアとなって、新しい
ソングが生まれるだろう。
一昨日斎藤周さんの若い教え子Kさんが来て、糸田さんの歌集「水の列車」を
買っていく。開いてすぐ、一首の歌にびびっときたと言う。10代の新鮮な感性が
好ましかった。真っ直ぐにものを見る、その精神性はやはり若さなのだろうか。
年齢差別をする気はないが、濁りのままに濁りで返す年齢の重ね方は嫌なもの
だ。自らの濁りを他者に反映させ、その事に疑いも持たず批判と称する年齢もあ
る。良いものを良いという視線には感動があるが、悪いものを悪いというだけの視
線には、何の感動もない。否定的媒介にもならないのだ。
詩人のkさんは、実年齢をはるかに超えた柔らかな文章で、そのブログに訪問記
を記している。今回の斎藤周展を、空間まるごと身体で感受している。

 驚いたのは、ギヤラリーの広さが たまらなく心地よいこと。
  広すぎてもどう歩いていけばいいのかわからなくなるし、狭くても作品との距離
 が 近くなりすぎるし、でもここは壁が際を這い、床が私の歩みを支えているの
 を はっきりと感じるのです。踏みしめると ギシッギシッと木目に震動が伝わり
 ます。当たり前として空間があるのです。
 絵、というより作品展という名の空間でした。

ここの空間をこんなにも見事に書いてくれたのは、初めてと言っていいのかもしれ
ない。感謝します。

*斎藤周展「おおらかなリズム」-22日(日)まで。am11時ーpm7時。
*アキタヒデキ展ー6月24日(火)-7月6日(日)
*酒井博史てん刻ライブー7月20日(日)am11時ーpm7時
*久野志乃展ー7月22日(火)-8月3日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2008-06-18 12:53 | Comments(4)