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2008年 02月 29日

吉増剛造の闘いー界(さかい)の再生(14)

ひさしぶりに晴れて穏やかな朝。陽光が暖かい。界川の小径は、雪に埋もれて除
雪の雪壁が塞いでいる。マンシヨンの間を歩く。車の走る路は、除雪されている。
轍の痕が深い。暗渠の川、川跡の道。その視線から見ると、マンシヨン群が陸の
イージス艦に見える。この下に、かって川が流れ、丘があり、森があった。
空にむかって直線のフラットなタワー型マンシヨン。切れ目の形をしたライトを光
らせる車。早足の通勤の人。時間と形が直線に支配する街。
-<僕は六十年間、大基地のフラットな、あのフラットな大基地に呪縛されてきた
。その下に何かがある、何かを想像することさえ出来なかった。それくらい禁制が
働いていたのね。>(吉増剛造「グラヌール」№9)-。マンシヨンだけではない。
フラットな大基地。-<それをとうとう、想像力のなかだけですよ、とうとうそこに御
獄(うたき)もあるかもしれないし、まいまいず井戸もあるかもしれないし、ダンテの
神曲もあるかもしれないし、アフンルパルもあるかもしれない。>-(同上)
と、詩人は巨大でフラット現実からの克服の旅を語っている。ここにある闘いは、
基地反対という現実の戦いの在り方とは異なる、もっと本質的な場を奪還する<
Re>の為の闘いである。塞がれた地・処を、内側から回復する、Reーpublicな
闘いなのだ。大基地によって塞がれた<禁制>の地を、等身大の界(さかい)と
して奪還する闘いなのだ。フラットな大基地を透視して、界(さかい)を復権させる。
横田基地を、界(さかい)化する。区別・差別の境界線ではなく、外部と内部の相渡
る間(あいだ)へと界化する。多摩丘陵の、柔らかな優しい自然を占拠する陸のイ
ージス艦の呪縛・禁制を如何に克服するか、その闘いの基点は、ひるがって私た
ちの日常そのものの、個の小舟、等身大の日常にあるものだ。巨大な直線・フラッ
トな構造に対峙する界(さかい)の闘い。この目に見えない戦場、第一線の界(さ
かい)目こそが、詩人の闘いの現場である。文化の戦場は、界を回復する見えな
い根の場の闘いなのだ。それは同時に、この現場を安々と放棄して、フラットな大
基地・イージス艦的日常に組する文化との訣別でもあるだろう。敢えて言う、”奥多
摩人”吉増剛造の闘いは、ラデイカルな同時代の闘いとして、深く意識されなけれ
ばならない。

*吉増剛造展「アフンルパルから石狩へ」-3月2日(日)まで。am11時ーpm7時
*大野一雄展「石狩/みちゆき/大野一雄」-3月6日(木)-16日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2008-02-29 12:14 | Comments(0)
2008年 02月 28日

再び螺旋歌ー界(さかい)の再生(13)

1990年秋に出版された400頁に及ぶ大冊「螺旋歌」に、再び吉増剛造の視点
を確認する。ここに最終章近く「想像もしなかった形態のアフンルパルへ」が載っ
ている。続く詩篇「小ファミリアは、蘭法(ランポク)の丘を、登って行った」と併せ
て、この2篇が初めてアフンルパルを訪ねた時の詩篇となっている。再度久し振
りに読み返す。今だから見えてくるものがある。詩人は時間の螺旋を今また歩い
ている。20年近い時間の螺旋階段を歩いている。この詩篇は1987年4月、5月
の「文学界」に発表されたものだ。ちょうど20年を超えて大きな時間の螺旋の深
みにいるのだ。そして<六十年間、大基地のフラットな、あのフラットな大基地に
呪縛されてきた>時間を<それをとうとう、想像力のなかだけですよ、・・非常に
根の深い、根の深いヴィジヨンに、少しでも届く旅の、・・・旅してたのかもしれない
、・・>と語ったのだ。故郷に横たわる大基地、横田基地。いわばこれは陸のイー
ジス艦なのだ。その巨大な現実に一艘の小舟が立ち向かう。<根の深いヴィジョ
ン><根の国>が<あの地下にもあるなつて・・幻想に到達した瞬間だったんで
す。>。Republic of Yokota。イージス艦に打ち勝ったのだ。想像力の小さな
小舟が。60年の重たい<禁制>と詩人は闘ってきたのだ。文化の闘いがここに
はある。圧倒的な政治経済の現実に対し、文化は何をなし得るか。その現実構造
に対峙する構造をどう獲得するか。吉増剛造の闘いは、その一点にあり、根の国
・アフンルパルへの視線はその構造の拠点として顕われていると思う。大基地に
塞がれているその下の想像力の根を奪還する事、その精神の回復・ルネッサンス
の闘いこそが、詩人の真摯な今日的闘いの現在である。深い所で私は私のーRe
public of May in Ishikari(石狩・5月の共和国)を感じていた。<フラットな、
あのフラットな大基地>と繰り返された<フラット>とは、我々の日常そのものに
拡がるフラットなのだ。区別・差別・整理された日常の明瞭な昼の世界のように。
ー下るとごく小さな泉が湧いており、水は細流になって流れ出している。この水は
トンネルの上の辺りで地面に浸みこんでなくなっているとのことである。・・・「わッ
カタウシ」wakatausi(wakkaーtaーus-i)水を・汲み・つけている・所の地名もあ
る・・。ー(「北方文化研究報告」第十一号 昭和三十一年三月)。これが水神のもと
ですね、酒井さん。

 (アフンルパル。

  わたしは裸体の蛇となって、思い出の、谷に、しずかに、下りて行った。
  ・・・・
  樹皮を叩いて、葉裏に下りて行った。  
                                       (吉増剛造)

*吉増剛造展「アフンルパルから石狩へ」-3月2日(日)まで。am11時ーpm
 7時
*大野一雄展「石狩・みちゆき・大野一雄」-3月6日(木)-16日(日)

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by kakiten | 2008-02-28 11:55 | Comments(0)
2008年 02月 27日

根の国・木の国そして梢ー界(さかい)の再生(12)

アフンルパルへの視線が大きく、遠く平安時代の小野篁まで跳び、あの清水寺
の舞台の下まで触れてきた。根の国は京都という地方にも、登別にも、それぞれ
の国々にあったのだ。生と死の窓口。死が近くに日常としてあった時代。翻って、
死が日常から遠ざけられ、窒息している現代。時に巨大なイージス艦のように、
溢れて姿を表わす時代。現世自体が、あの世化しているのかも知れないのだ。
ゴミの煙のように宙に浮いている都市。足元の基盤となった地はランドフィルの腐
海となって、森も泉も海も川も灰色と原色のプラステックと生ゴミで埋め立てられ
、集中する都市の排出する瘴気が、見えないところで死者の入口を塞いでいる。
閉ざされた死の世界の叛乱が吸気のブラックホール、竜巻のように突如現世を襲
う。金属バットや女の子のフィギユアが、酒鬼薔薇少年になり少年Aになって明る
い闇の顔になる。界(さかい)が消えて、ノッペラボーな白昼の傲慢が百鬼”昼”行
の世にしているのかも知れない。吉増剛造の詩の断念の宣言の動機には、この
時代への抜き差しならぬ視点がある。功成り名を遂げる現世の安住を拒否する真
摯さを、単純に気紛れのように見過ごしてはならないと思う。詩人は、いつも時代の
本質を生き抜こうと闘っているのだ。死と向き合う事で生の界を回復し、革命しなけ
ればならない時代と思う。大袈裟なことではない。日常の日々のことなのだ。今回
の吉増剛造展は、20年の歳月を経た”アフンルパル”の出現の意味を深く受け止
める為の試み、展示である。20年を経て詩人の見詰めた異界はさらに日常化しつ
つある。
<・・・とうとう僕自身もあのフラットな横田基地の大基地の下に、実は御獄(うたき)
もあるし、ダンテの地獄もあるし、エドガー・アラン・ポーもメエルシュトレエムもあの
地下にあるなっていうヴィジョヨン、幻想に到達した・・・><・・そして気がつくと熊
野の浮島行って、根の国へ行ってみたらそれも繋がっていて、下降する意識かな
と思ったら、やっぱりそれがつながって、北海道が根の国、もう一つの根の国で、
釧路の湿原だってそうだし、大沼だってそうでしょ、札幌だってそうでしょう。>(「グ
ラヌール」№9:2007年12月)。根の国への回路を詩人は語っている。日常の中
にあるその回路の側から、詩人は現世をあらためて見ている。それは現代を現象
の向こうから透視するトランスペアレントな視座である。parent-根元、源の視座
だ。<僕は六十年間、大基地のフラットな、あのフラットな大基地に呪縛されてきた
。その下に何かがある、何かを想像することさえ出来なかった。それくらい禁制が
働いていたのね。>。この横田基地という戦後の圧倒的な日常風景の向こうに根
の国を見た詩人の視座に、現代のアフンルパルを見るような気がするのだ。

*吉増剛造展「アフンルパルから石狩へ」-3月2日(日)まで。am11時ーpm
 7時。
*大野一雄展「石狩・みちゆき・大野一雄」-3月6日(木)-16日(日)

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by kakiten | 2008-02-27 13:34 | Comments(0)
2008年 02月 26日

息吹き・芽吹き・5月へー界(さかい)の再生(11)

大荒れの低気圧に街が沈む。溶けかけていた雪の山が、また大きく膨らむ。路が
狭くなり、視界も狭まる。定休日1日自宅に沈む。雪も溜まるが疲れも溜まる。
心も足も回復して出勤。パソコンを開くと、酒井博史さんが、がんがん書いている
。福生寺の話が面白い。彼の知的散歩・冒険が、アフンルパルの拡がりをみせて
いる。福生(ふっさ)が奥多摩から京都に跳ぶ。災厄を払う女性の聖なる風、フッ
サが飛ぶ。-フッサは、霊力にすぐれた女性の息吹きで、病魔をはじめ、あらゆ
る災いあるものを吹き飛ばし、体を癒す力のあるもの-(ポン・フチ)。息吹きー呼
気ー風。吉増さんの名作「石狩シーツ」は、フッサ、フッサのリフレーンで終ってい
る。奥多摩の福生市は彼の実家のある所でもある。アイヌ語との言葉の架け橋。
それが今、アフンルパルから始まって酒井さんによって拡がりをみせている。石狩
・5月の共和国ーRepublic of May in Ishikari。血が騒ぐのだ。石狩デイズ
ニーランド。イシカリランド。過去への視線の神話ではなく、未来の国、冒険の国、
それぞれの国を創る。メタフイジカルな国だ。イシカリランド。リパブリック オブ 
メイ。5月、いっせいに生命が土からあふれる時。夏の年の始まり。Re、リィ、リ、
リー・・。夢見る。祖父の内地。憧れの京都。私に、それはない。ここで創る天地。
5月に開くのだ。かって京都・鳥辺野の道を登って清水寺の舞台の下を辿った事
がある。その対極に福生寺が出てきたのだ。ー鳥辺野に煙の絶ゆる時なしー。死
者を野焼きした墓地。フッサ、フッサ。いまイシカリ、芽吹き・息吹き5月の共和国
を熱く夢見る。

ーリンク:「古い日記」-酒井博史さんのブログに感謝ー

*吉増剛造展「アフンルパルから石狩へ」-3月2日(日)まで。
 am11時ーpm7時
*大野一雄展「石狩・もちゆき・大野一雄」-3月6日(木)-16日(日)

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by kakiten | 2008-02-26 13:22 | Comments(0)
2008年 02月 24日

湿雪・どか雪・ラッセルー界(さかい)の再生(10)

どんどん、どんどんと雪が降った。春を含む重たい雪。午後も遅く、道立文学館の
Kさんが来る。今年7月予定されている「吉増剛造展」の担当の方という。展示中
の資料を色々説明する。つい熱が入って長時間になる。気がつくと4時間以上話
していた。吉増さんについては公的な事以外あまり知識がないようでつい、いつも
の札幌論から始まって長話になってしまった。でもかえってその方が、Kさんの関
心を呼び起こしたらしく、話が弾んだ。聞けば、A高校の出身で北大と札幌っ子な
のだ。生まれもA高校の近くで界川のそばである。勤務先の文学館は中島公園で
旧札幌川の流域という事になる。さらにA高校時代は華道部で花器店とも縁があっ
たという。Kさんが生きてきた時間の周囲に存在してきたものは、私の生きてきた
環境と重なるのである。その狭間の意味を解き放てば、私の吉増さんへの磁場の
意味は繋がるのである。何も意識せず見過ごしていた近くの川・界川から解きほぐ
し、旧札幌川の名残り鴨々川の中島公園と繋ぎ、石狩への視線の中で札幌を見、
今の勤務先の位置付けをして、そこで吉増剛造展をする事の意味を深めてさえく
れればいい。場に不足はないのだ。問題はKさん自身が<道立>という官・公的
なハコに閉じ込めないように問題意識を保つ事なのだ。毎年ノーベル賞の候補に
入っているという吉増剛造さんの文化的有名性におもねった企画は何の意味もも
たない。ただ功績を顕示するような展示であれば、詩人は拒否するだろう。何故な
らそういう処で詩を書く事を止めると宣言しているからだ。功成り名を遂げた状況
に甘んずる事を、今は真摯に拒否しているのだ。明るい日の当る場所の傲慢を見
据えているからだ。道立文学館のある場を真に活かして開かなければならない。
館内という<In>では駄目である。<Ex>-外へでなければならない。ここでも
Exbhitionが験される。名称から消滅している<さっぽろ>が問われるのだ。北海
道立美術館と同じく北海道立文学館にもさっぽろという地方性が消去されているか
らである。建っている場が消えて有名性だけで詩人はいい仕事はしないのだ。講
演ではなく展覧会・個展だからである。Kさんが自分のさっぽろの為にも、個として
も自分の生きている場と向き合うチャンス・時なのだ。そう励まして別れた。帰る頃
凄い量の雪が降り積ってラッセルして歩く。まるで今後の仕事の困難を暗示してい
るみたいだった。

*吉増剛造展「アフンルパルから石狩へ」-2月19日(火)-3月2日(日)
 am11時ーpm7時(月曜休廊)
*大野一雄展「石狩・みちゆき・大野一雄」-3月6日(木)-16日(日)

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by kakiten | 2008-02-24 13:39 | Comments(0)
2008年 02月 23日

ふたつのゼロー界(さかい)の再生(9)

足下がぬかる。湿った雪が降る。灰色の空気にどこか暖かさがひそむ。もう冬の
終わりの、雪かも知れない。足元の濡れて纏わりつく路面を、歩きながら思った。
生の世界の煩わしさ、しがらみが浄化され<善人の魂の安住する世界>(知里
真志保)が、あの世なのだと。死は何かを昇化する。生きていることが保つ好悪・
愛憎、それらに纏わる細微なものが消えて優しさ・柔らかさが笑顔のように開い
ている。死者を想うとき、その笑顔がいつも浮かぶからだ。だから、その笑顔の
向こうには、土足で入ってはいけないのだ。死が結晶する<善人の魂>の世界
を時として臨み、自らを浄化する。それが生者の務めなのかも知れない。死者の
固有の記憶が、死を一般化する事を制止する。固有の<善人の魂>として微笑
むからだ。両手を合わせたその向こうに世界がある。泥濘(ぬかるみ)の向こう
に春がある。アフンルパルーこの種の穴は各地にあり、-という。生と死のゼロ
地点。その日常が風景の中に結晶するように存在する場所。海も陸も、天地も
ゼロになるところ。大野一雄石狩河口公演のときにその事を感じていた。虚(カ
ラ)というゼロではなく、生と死の豊かなゼロである。太陽が真っ赤なゼロとなっ
て沈んでいき、鮭が産卵という新たな生の為に死の遡上に挑む。山奥の湧水が
長い旅を経て海に触れ、川の一生を終える。生と死が豊かに交錯する美しいゼロ
。陸はその高さをゼロにし、海はその深さをゼロにする。-<多くは海岸または河
岸の洞穴であるが、波打際近くの海中にあって干潮の際に現れる岩穴であること
もあり、>(知里真志保)ーと、アフンルパルの位置が地球の風景の豊かなゼロ地
点の結晶した場である事を、この解読が告げているように思う。酒井博史さんが、
海神の祭り場・山神の遊び場・をアフンルパルの周りにみてその一帯のリフルカ
(高い・丘・上)が、唯一洪水伝説で水に浸からなかった場所であることも含めて
驚きを記している。-<アフンパル、カムイミンタル、山神、海神・・・このリフルカ
と呼ばれる丘周辺を半日巡るうち、随分といろいろなキーワードが出てきた。これ
らを如何にして整理すればよいだろうか?>(古い地名日記)
この高い丘の上ーリフルカとは、きっと豊かなゼロ地点なのだと思う。人間世界
だけの生と死が交錯するだけではなく、海も山も交錯する処なのだと思う。だか
ら森羅万象の生と死もまた限りなく近づく処なのだ。カラという虚のゼロではなく
限りなく豊かなゼロ。あのニューヨークのグランドゼロと対極にあるゼロなのだと
思う。

*吉増剛造展「アフンルパルから石狩へ」-2月19日(灯ー3月2日(日)
 am11時ーpm7時(月曜休廊)
*大野一雄展「石狩・みちゆき・大野一雄」-3月6日(木)-16日(日)

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by kakiten | 2008-02-23 13:41 | Comments(0)
2008年 02月 22日

アフンルパルを歩くー界(さかい)の再生(8)

酒井博史さんがブログ「古い日記」に、昨年11月に訪れた登別のアフンルパル
探訪記を書いている。とびとびに書かれていたものを、最近一本に纏めた。これ
は、歩いている時の息づかいが聞こえてくるような名文である。今は活字印刷の
守り手として本業のハンコ屋さんの仕事に志を見出し、また時には優れた歌い手
として紅涙を誘い、かつまたアイヌ語地名の旅人としてコツコツと各地を歩き記録
している多彩な趣味を持つ。趣味というと、誤解を招くかも知れない。才気のある
多感で篤実な青年というべきかも知れない。ハンコ屋の3代目として、古い商店
街、さっぽろの薄野タウンをこよなく愛する生粋の町っ子でもあるのだ。その彼が
歩いたアフンルパル探訪記は、彼の性格そのままに誠実で示唆にとんだ呼吸に
彩られている。-<百数十年前の、木の下の小さな墓に手を合わせ、階段に戻
ろうとその木をぐるりと回ってみると、そこには同じくらい古い墓石が廃棄されたの
か、折れて打ち捨てられていた。ちよっとこれには驚いた。墓石の墓場、である。
>-<霊園前の十字路より東は、くだんの廃棄物の山である。ということは、こ
の十字路から国道までの坂道のどこかから奥へ入るしかないのだ。とはいえ、道
らしい道などどこにもない。こうなったら道なき道を草をかき分けて入っていくしか
ないのか・・。と、その時。>と道らしきものを見つけ<覚悟を決めて、その折れた
草を頼りに、背丈ほどもある草むらへと躍り出る。><これが、アフンルパル・・。
中へは入れぬようになっている螺旋状のその大きな窪みは、想像していたよりも
遥かに傾斜が急である。その一部は国道開削の際に削り取られたらしく、切り通
しの真上といってもいいこの場所からは、こんなところにそんなものがあるとは、
そしてそこに人がいるなんてことはこれぽっちっも思っていないよと、とばかりの
勢いで、車のライトが東西に交錯して走り抜けていく有り様が丸見えであった。>
ー引用が長くなったがこの呼吸の伝わるような文章は、引用でしか伝わらないの
だ。石狩の八幡町のアイヌの墓地と同じ構造で、さらにその上に和人の墓地があ
る。しかしこのアフンルパルはいわば聖地である。そこに百数十年前の墓が打ち
捨てられている。生者の領域だけではない。日本の近代の足跡そのものなのだ。
死者の入口にも墓石の墓場ー廃棄物の山がある。現在川の源流域や河口に近
いところが同様の廃棄処理場になっている。この場所もまた自然のいちばん柔ら
かな処、入口であったところなのだ。水が湧き出し、海と陸の触れる界のところで
ある。豊かなゼロ地点・生が死と触れる入口、そこを塞ぎ都会の生活のゴミ捨て場
にする。生者の傲慢が、界(さかい)の場を埋め立てている。逆の世界から見れば
、現代の我々の住む都市の方が、蜃気楼のような実体の無いゴミの煙の中にある
のかも知れない。メタボリックな中心へと吸い込むだけ吸い込んで、瘴気・毒気の
ように外界へと廃棄物を排出している。浄化する入口は塞がれ閉じて、内側の明
るい闇だけが肥満していく、風船のような世界だ。向こうの世界、周辺の縁からみ
える都市とは、そのように見えるのではないだろうか。
吉増さんの登別ーベツノボリの急坂とは、アフンルパルの内から見た世界なので
はないだろうか・・。詩人は、現世の詩の誕生の断念を今実行しようとしているのだ
ろうか。明視から暗視の世界へと入るように屈みこんで・・。
ー<・・・われわれが生きている、生きているっていうのは、そういう選択をしないで
向こう側からものを言わせれば、無限にそういうものに溢れている。・・そういうもの
を生かす、そして自分で訓練してそれを生かすようなことを、それが、少しずつ・・・
出来てきはじめたみたいな気がしています。>-(グラヌール№9「ほつか(ぇ)どう
の ねのくにへ」:吉増剛造)

*吉増剛造展「アフンルパルから石狩へ」-2月19日(火)-3月2日(日)
 am11時ーpm7時(月曜休廊)

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by kakiten | 2008-02-22 12:48 | Comments(0)
2008年 02月 21日

7、700トンと7・3トンー界(さかい)の再生(7)

父と子の生活空間に、その一千倍の物体が押しよせてくる。イージス艦と漁船の
衝突を、明視の世界の異様さに重ねていた。日常の海に非日常の巨大な戦艦が
現れる。当り前の生活空間が、当り前でない非等身大のモノに破砕される。かって
甲子園の少年の夢の象徴のような野球バットが、静かな住宅街に惨劇を起こした
事件があった。金属バット殺人事件である。おとなしい普通の少年だったように記
憶する。住宅街の閑静な明るい日常。その翳に恐ろしいモノが住む。それが、突
如出現する。不可視の暗黒が可視の真昼に隠されている。しかし、時代はもう不可
視のものが不可視ではなく、現実として顕われるようになったのだと思う。父と子と
いう間(あいだ)。同じ仕事という間(あいだ)。身体に見合った空間。界(さかい)が
、等身大に生きている世界。その界(さかい)が破壊される。壊れた界が、不可視
の闇に隠れず、せり上がってくる。海の上だけだろうか?否、陸にも同じ光景があ
るのだ。2階建ての屋根と軒下のある家。夫婦、子供、祖父祖母。仏壇があり、茶
の間があり、小さな庭もある。そこに何十階ものタワーマンシヨンがくる。等身大の
界(さかい)は、やはり破壊されるのだ。屋根もなく、軒下もないノッペラボウーな何
百倍もの家もどきが建つ。最新の電気的装備を完備した構造物である。界(さかい
)が変質する。見えないはずの景色が遠望され、足元の路地は通用路になる。近
隣が消える。車と人の出入り口とゴミ置き場。界(さかい)の風景はない。区別/差
別の線引きだけだ。住がパックされた空間は、内部がプライバシーという名の個室
である。外界は遮断されて隣がどうかは不可視である。イージス艦の個人の眼は
同じ構造で出来ている。遠くは見えるが近隣は想定外にある。敵と味方の線引き
はあるが、その境に界(さかい)はない。敵を察知する境に鋭敏だが、そこに間(
あわい)という身体性はない。死は排除という殺に等しい。そこには敵・味方という
境しかないからである。貧富という境。敵味方という境。その境からバケモノが出る
。死を殺にすりかえるのは、生者の傲慢であるだろう。生と死の界(さかい)は、本
来もっと親しく緩やかな敬意がある筈なのだ。アフンルパルがない。生と死の入口
がない。死者は見捨てられた敵でも、処理されたモノでもない。明だけが世界を覆
えば、闇との間曙も黄昏も消え去るだろう。人と人のあいだ、界(さかい)が消えて
、区別・差別の殺を潜めた明るくスムースなホワイトホール、金属バットのような世
界だ。死と生の界(さかい)の正当な復権・再生。詩人吉増剛造の闘いは、そこに
あるだろう。

*吉増剛造展「アフンルパルから石狩へ」-2月19日(火)-3月2日(日)
 am11時ーpm7時(月曜休廊)

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by kakiten | 2008-02-21 12:35 | Comments(0)
2008年 02月 20日

逆さの世界ー界(さかい)の再生(6)

人間の眼の何千倍もの遠くを捉える能力をもつイージス艦が、肉眼の範囲の足
下の漁船を見落としていた。海で労働する親子船を破壊したのだ。国際貢献とい
うグローバルな視野に、足元の生活者の眼線が喪失している象徴的な事故であ
る。遠くの国の戦争に国際協力を謳いながら、身近な生活の闘いに生死の線を
引く。ここには、生きながらの逆さまの世界がある。本来見えなくてもいいものを
見ようとし、本来見なくてはいけない見えないものを、見ようとしない。板子一枚下
は地獄という。それが海で生活をする漁師さんの実感だろうと思う。生と死に向き
合って漁があるのだ。生き抜く為には、死を見詰めなければならない。かって我々
の日常には、そうした死と向き合う装置が陸の生活にも普通にあったのではない
だろうか。お盆という風習もそうだし、仏壇・神棚という死との境界・入口の存在で
ある。今死はスムースな平らな日常からは、暗渠のように不可視である。特に都
市化が進めば、死という物体は焼却炉として大量に処分される。犬猫処理場、最
終ゴミ処理場と同じゾーンにそれがある。死は処理なのだ。都市から死の影は、生
という明瞭の中に消え去っている。死者が語りかける入口・場が稀薄である。明と
暗の接点がない。界(さかい)が消えている。明るさの電気的増幅は、空の果てま
で明瞭にするが、等身大の界(さかい)を増幅の暗渠に沈めているのだ。遠くが見
えて近くが見えない。観念の遠眼化が著しく、身体の近眼化が目先の慾に走る。
本来の間(あいだ)が見失われ、内と外の界(さかい)が朽ちかけている。死が遠く
疎外され、死者が語るのを止めたとき、生者の驕りはどこまで増幅・増大するのか
。世界は明瞭という傲慢のうちに沈んでいく。小さな漁船の親子船には、正当に生
と死を生きている人間の告発があるように思えるのだ。拮抗した生と死の界(さか
い)の側からの・・・。

*吉増剛造展「アフンルパルから石狩へ」-2月19日(火)-3月2日(日)。
 am11時ーpm7時(月曜休廊)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2008-02-20 13:24 | Comments(0)
2008年 02月 19日

吉増剛造展ー界(さかい)の再生(5)

吉増剛造展の展示をする。「アフンルパルから石狩へ」。アフンルパルとはアイヌ
語で「入る道の口」の意。あの世への入口。1990年2月吉増さんの写真展のタイ
トルともなっている。そして、最近の断筆宣言最後の詩篇が、「Poil=ポワル=毛
、アフンルパル」である。’80年代北海道への旅を続けていた詩人は、写真によっ
て表現した異界のテーマを「アフンルパルへ」とした。そして今、再び20年近い歳
月を経て、同じタイトルが甦ったのである。しかも詩人が、詩を断念するという時期
にである。現代詩のトップランナーとして常に時代の先頭をひた走ってきた吉増さ
んが、生と死の界(さかい)、その入口に立っている。ひょっとしたらもうあの世の向
こう側の入口からこっちを見ようとしている。そんな気がするのだ。人間にとっての
究極の界(さかい)とは、生と死の境である。その界の入口を意味する”アフンルパ
ル”を主題とするのは、尋常ではないのだ。私は私のところに収蔵されている吉増
関連の資料・作品を、’90年代の石狩河口から夕張への軌跡を通して再度検証し
たく思うのだ。石狩河口から夕張へと遡上した名作長編詩「石狩シーツ」の道行と
逆過程の夕張から江別、モエレ、篠路、石狩河口を廻った2003年の初夏にここ
が最後の長編詩の舞台となると呟いた吉増さんを、どうしても思い出すのである。
往路と還路のように、アフンルパルへの回帰も復路のようにあるのではないか。そ
そう思えるのだ。あわい(間)の道を詩人が歩いている。ぎりぎりの選択。そう思って
最後とされる詩篇を読むと、打刻するハンマーのように、語彙がある。必死の逆坂
の登坂がある。究極の界の向こうから界に入る。これは大変な所にいるなあと思
う。ー”旅(たび)”なんかじゃないんだぜ。”ベツノノボリ”だ、・・・-”環(わ)、多(た
)、苦(く)、死(し)、・・・・・”を(尾)、仮ノ、ほら(穂ヲ=洞)ト、して、あたらしく生まれ
ようとしていた、-。アフンルパルの在った登別が、ベツノボリとされる。詩人は、逆
しまの、向こうの世界にいる。

*吉増剛造展「アフンルパルから石狩へ」-2月19日(火)-3月2日(日)
 am11時ーpm7時(月曜休廊)
 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り西向
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2008-02-19 14:14 | Comments(0)