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2007年 09月 30日

中嶋幸治展最終日ー秋の遁走曲(12)

最終日の朝晴れる。穏やかな陽光が降りそそぎ、爽やかな日。自転車のペタル
も軽い。昨日とはうって変わってタイヤの空気圧も回復し15分近く早く走る。パソ
コンを開くとYさんの美術ブログとBさんのブログに中嶋幸治展の印象記が早々
と掲載されている。Bさんは昨日の夕刻に来たばかりでこの掲載の早さは異例
の事だ。ふたりともいい文章である。朝来た中嶋さんに伝える。彼も読んでいて
喜んでいた。Yさん、Bさん、Sさんと年齢も性別も違う3人の批評が同時に見れ
る事はパソコンの素晴らしさのひとつといえる。もうひとりの若い北大院生Nさん
のブログが最近失速しているのが残念である。水戸芸術館まで参加した5月の
情熱は何処へ行ったのだろう。そこで初めて会った石田尚志さんに惹かれた彼
が今回の札幌での石田さんの映像個展の批評を今だ記していない。中嶋さんの
個展も是非見て欲しいのだが・・。人はある違いに敏感になる時もある。でもそれ
は当たり前の事なのだ。兄弟、親子でも違う。双子でも違う。違いは前提にある。
同じものを見詰める事だ。同じ方向を見詰めている事の発見にこそ同時代がある
。作品にこそその力がある。生と死。この絶対的とも思える違いさえ人はその違い
を超える事がある。同じ志しの向こうを見る事で違いを超える。昨年8月に急逝し
た村岸さんと今年3月さっぽろに来た中嶋さんがこの場で共鳴している事実がそ
うである。今年8月の村岸さんの記録展で遺作演奏のCDを購入してくれた中嶋
さんが今回の個展中にふっとなにか音楽を流そうかと思い色々聞いた中でやはり
これが一番合うなあと思ったのが村岸さんのCDだったのだ。ふたりは時空を超え
て同じ方向を見詰めている。違いを見る事は簡単である。同じものを感じる事だ。
今回の展覧会に見る人にも違いがある。作品を従来の壁の展示としか見れない
人には作品は壁に沿って吊られている苗木にしかないのか足下に盛られている
白岩の土の山を見ず踏み壊してしまう。老若男女を問わずそうした人がいて端正
に盛り土された白い円錐形の小山は崩れてしまった。会場に入った途端に空間に
満ちている潔癖で凛とした気を感受しない人がいる。実と花という結果のみを見よ
うとする。山で言えば頂上だけを目指す。心の忙しいエレベーターなのだ。ビルで
いえば何十階かだけを目指す。そんな文明病も見えるのだ。結果だけが目的とい
う時間に文化は無い。中嶋さんと村岸さんには空間という土を耕す耕作者の眼線
がある。そこから創っていくワーク(労働)がある。従って実も花もないのだ。それ
は既成の実と花を即求めない潔癖な誠実さに裏打ちされているからだ。自らが土
壌を耕作している。その土壌がいつかは幹を育て枝を伸ばし葉を茂らせ実と花を
生む。そして時代という森を、海を創る。違いを指摘する事で閉じてはならない。
同じ方向を信ずる事だ。梢が光を求めて空に根を張るように、根が水という光を求
めて地に梢を伸ばすように。中嶋さんの展示した苗木も村岸さんの展示した白樺も
同時代という天地でそう語っているように思える。

*中嶋幸治展「Dam of wind、for the return」-30日(日)まで。
*毛利史長・河合利昭展「産土不一致 sand which!?」-10月2日(火)-
 12日(金)
*柏倉一統展「無題01 25章09節」-16日(火)-21日(日)
*石田善彦追悼展ー23日(火)-28日(日)
*谷口顕一郎展ー11月3日(土)-18日(日)
*いずみなおこ展ー20日(火)-25日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り入り口
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2007-09-30 12:48 | Comments(1)
2007年 09月 29日

秋雨前線ー秋の遁走曲(11)

出掛けに晴れていた空から急に雨が落ちてくる。卸売り市場を過ぎた辺りで大粒
の雨。ペタルが重い。信号待ちの時後輪のタイヤに触る。空気が抜けて凹み気味
。道理でペタルが重い筈だ。週末はどうしても疲れが溜まるのか寝起きが遅い。
今日も寝坊気味で出るのが遅れた。自転車もスピードが出ない。信号に引っ掛る
。案の定10分ほど遅れる。すでに中嶋さんとお客さんが来ている。服もズボンも
ずぶ濡れだ。週末は鬼門である。着くと皮肉な事に青空が広がる。札幌で初めて
の秋を経験する中嶋さんが朝晩の風に冬の気配を感じると言う。そう、夏の果て
冬の始まりが来ている。昨夕中嶋さんが村岸宏昭さんの遺作CDを持ってきて急
に聞きたいと言った。久し振りにじっくりと聞く。ひとりで聞いていた時と違いふたり
で聞くと余計な想い入れが消え純粋に音として聴き入っていた。”気持ちいい音で
すね”と中嶋さんが呟く。一度も会った事の無いふたりが音楽を通してこうして出
会っている。中嶋さんと村岸さんの音を聴き入っているとふっと入り口から長身の
村岸さんが入ってくるような気がする。そう云えばふたりとも樹を吊っている。村岸
さんは昨年の個展「木は水を運んでいる」で倒木の太い白樺の幹を吊っていた。
中嶋さんは今苗木を吊っている。苗木には幼い葉も根も付いている。白樺は根も
梢の葉もないが幹に耳を当てると木の立っていた場所の川の音が聞こえた。見る
人はそこに無い根と梢を自然にイメージする。中嶋さんの苗木はすべてが裸で露
出していてそこには水が無い。土も除かれ根も繊毛のまま晒されている。でも見る
人はその苗木の向こうに水と土と光を感じている。想像力が命の土壌を耕作してい
る。9本並んでいる苗木の高低が♪を想像させる。白い壁に苗木の音譜が並んで
いる。この作品には音は無いけれども五線紙のようなきちっとした清潔感と潔癖感
があり自然光が溢れて光のメロデイーが流れている。木を素材にふたりには音を
感じさせる視線がある。水、木、光、土、風、そして音があった。ほぼ同じ年齢のふ
たりがもしこの世で一緒に出会う事があったならきっとここで音楽が鳴り響いてい
ただろう。村岸さんの名演奏が聞けた事だろう。遺作のCDを聴きながらそんな連
想をしていた。魂は千里を疾走する。今この空間にはそのふたつの魂が寄り添っ
ている。そしてふたつの魂がこの場を耕作している。作品という実はまだ未完だが
、しかしこの場を耕作し、屹立して、ふたつの木が寄り添うように呼吸している。同
時代という呼吸を繰り返し・・。繰り返し・・。

*中嶋幸治展「Dam of wind、for the return」-30日(日)まで。
*毛利史長・河合利昭展「産土不一致 sand which!?」-10月2日(火)-
 12日(日)
*柏倉一統展「無題01 25章09節」-10月16日(火)-21日(日)
*石田善彦追悼展ー10月23日(火)-28日(日)
*谷口顕一郎展ー11月3日(金)-18日(日)
*いずみなおこ展ー11月20日(火)-25日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り入り口
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by kakiten | 2007-09-29 15:24 | Comments(0)
2007年 09月 28日

暗くて寂しいブルー秋の遁走曲(10)

6月の屋比久純子さん、藤原典子さんの2人展の時見えた青森の吉町友美さん
が再び見える。青森からふらりとさっぽろ。前回は沖縄に行った後だったそうだ。
今回は6月に偶然会った中嶋幸治さんの個展を見る為に来たのだ。同じ青森と
いう事もあり興味を惹かれたのだろうか。ほぼ同世代らしいふたりが青森弁で喋
っている。マスコミ関係の仕事をしている吉町さんは行動的で感受性の強い女性
である。前回会った時と比べ中嶋さんの表情がすっきりした表情だと今回の個展
の展示とあわせて評価していた。昨日一昨日と夕方昼と2度見に来てくれる。昨
日は帰りのJRを午後10時に延ばし3人で話す。青森と札幌。まだ訪れた事のな
い土地の匂いがする。一昨日はひとりで円山方面まで歩いたそうだ。道順は勘で
カフエエスキスのある円山市場の方まで知事公館や三岸美術館を巡って行った
と言う。いいコースですね、と言うと喜んでいた。6月に行きたかった場所と言う。
知事公館の庭や三岸美術館の庭はかっての森と泉の痕跡が残っている。それが
自然としてのさっぽろの痕跡なのだと話す。夜ふたりと別れて雨の日だったので
自転車を置き歩いて帰る。少し酔いが回り暗く樹が滲んで見える。♪森と泉に囲
まれて~暗くて寂しいブルーブルーシャトウ~と古い歌が自然に浮かんだ。夜の
樹は存在感がある。その自然の曲線がビルの直線を圧倒する。森の記憶が甦る
。心のつっかえ棒が外れて感情が解放される。ふらふらと夜の道を彷徨うように
歩いた。目を澄まして見えない川の姿を透視する。緩やかな曲線の路。樹と唱和
している。直線の暴力は暗闇に霞んでいて気配が無い。コンビニの灯りだけが路
上に洩れている。いつかもこんな光景の路を歩いていた。♪夜霧のガウンに包ま
れて~というほどロマンチックではないが夜の闇が都市を包んでいた事は事実だ
。小雨の中水の音が聞きたくなり円山川に触れる。耳を澄ます。音も曲線だ。遠く
自動車の鋭いブレーキの音がした。街の灯りが滲んで暖かい雨の中にある。

*中嶋幸治展「Dam of wind、for the return」-30日(日)まで。am11時
 -pm7時
*毛利史長・河合利昭展「産土不一致 sand which」-10月2日(火)-12日
 (金)
*柏倉一統展「アンタイトル 01」-16日(火)-21日(日)
*石田善彦追悼展ー23日(火)-28日(日)
*谷口顕一郎展ー11月3日(土)-18日(日)
*いずみなおこ展ー20日(火)-25日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り入り口
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by kakiten | 2007-09-28 12:29 | Comments(0)
2007年 09月 26日

風のダムー秋の遁走曲(9)

分離され隔離された苗木、水,土,光。でもそこに冷たさはない。吹き抜け上の風
のドローイングも折り重なってピンで留められ自分の名前の書かれた紙包みは封
印されている。静謐だが冷たくはない。各々が風景の一度還元された要素のよう
に整然とパックされ整列している。この構成を見ているとホームセンターとかの商
品構造にも見える。街のテナントビルのショップの構造にも当て嵌まる。用と購買
のパック構造である。本来有機的な関わりに於いて生命の構造であるものまでも
が分離されて整然と展示される。木、水、土、光、風、自分。この分解する意思に
作家の風景への透明な想いがある。環境の移動、風景の移動。日常的な乗り物
の行為。当り前のように繰り返される繁茂な行為。飛行機、バス、自動車、電車、
これらの機械媒体によって旅は移動に磨り減っていく。しかし本当の風景の元に
は移動はなく変化が存在している。命の変化である。光が違う、匂いが違う、水が
違う、色が違う。その界(さかい)が磨り減って同じ顔をした装置がセットされる街
の構造にこの作品世界は対峙しようとしている。だから一本の木からすべてを分
離してその有機性を剥ぎ取って見せる。コンビニの商品棚の構成のように手際よく
用途別に陳列する。風景の用途別陳列。そこには人間もまた最終的な仕上げとし
て名入の包装紙で包装され差出される存在だ。中嶋幸治が津軽からサッポロに
来て感受した風景の変化は移動とは別次元の風景を構成する元素の粒の相違
なのだ。彼はその相違を都市の構造の方法で分離して提示してみせる。都市の
風景とは移動の構造にあるから風景は均一な表情を保っている。しかし自然の風
景は有機的な世界で根底において均一ではない。そのズレを提示する事でこの
展覧会は同時にサッポロ批判ともなっていて自然と都市の乖離を突く指弾でもあ
るのだ。風もまた河の水のように塞き止められ切り換えられている。都市のビル群
を流れる風は方向を切り換えられ迷走する。風の色も匂いも消えビル風となる。根
底の有機的な要素に風景を還元するのはその事態への反措提の装置の為とも謂
えるだろう。河を埋め丘を削り森を伐採して用を優先した都市構造のなおその先に
死滅しない風景の復活は可能なのかとこの静謐な展示は語りかけているように思
う。

*中嶋幸治展「Dam of wind,for the return」-30日(日)まで。am11時
 -pm7時
*毛利史長・河合利昭展「産土不一致 sand which」-10月2日(火)-12日 
 (金)
*柏倉一統展「アンタイトル01」ー10月16日(火)-21日(日)
*石田善彦追悼展ー10月23日(火)-28日(日)
*谷口顕一郎展ー11月3日(土)-18日(日)
*いずみなおこ展ー11月20日(火)-25日(日)

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by kakiten | 2007-09-26 11:40 | Comments(2)
2007年 09月 25日

中嶋幸治展始まるー秋の遁走曲(8)

正面の壁を背に9本の梅の苗木が高さを少しずつ変えて吊られている。根の繊
毛と細い幹と葉がそのまま宙に浮いている。その真下に円錐形に盛り土された
青森・白岩の土が9本の苗木に沿って9っ、8っと左側から右側へと数を減らして
並んでいる。苗木の高低に合わせている。正面左側が高く右端は低くその高低
に合わせて白い山も数が減る。左の壁には固定された台に小さな透明なカップ
がこれも9個水平に並べられ水が入っている。黒い15cmの正方形の板の上に
5cm四方のコンクリートの立体がありその上に水の入ったプラスチックのカップ
がある。さらにそ9個のカップの上には一個割れたガラスの電球がフイラメントを
露出して水を湛えている。2階吹き抜けの南壁には風をイメージしたというドロー
イングが横一列に貼ってある。また北側の空間には墨文字の書かれた紙に包装
したものが3個づつ上下に立てかけられ横たわっている。全体にシンプルですが
すがしい清潔な空間である。会期中何度か作家は苗木と土の傍で横になりお昼
寝のパフォーマンスを試みると言う。木と水と土をベースに風を捉える装置のよう
に会場がある。青森から出て札幌に住む24歳の青年のふたつの場を繋げる架
橋空間は今スタートしたばかりだ。お祝いのお花が届く。しかしこの空間に花は
合わない。開花する前の時間が主題である。カルチベート(耕作する)の時間が
テーマである。故郷白岩の土と梅の苗木の根の間には空間が拡がっている。水
も無い。根に付着した土は取り除かれ繊毛が露出して宙に浮いている。その下
のきちっと円錐形に盛り土された白岩の白土には距離がある。そこを風が通る。
水もまた透明なカップに隔離されその下には方形のコンクリートが台座になって
いる。会期中苗木は宙に晒され枯れていく存在なのだ。この苗木と土と水を繋ぐ
ものはすべて隔離されているのだ。ただ風だけが繋ぐ存在だ。その風も2階にド
ローイングとしてピンナップされていて墨の文字で呪文のように書かれた紙に包
装され封印されているかに見える。この文字はすべて自分の名前という。光の光
源ともいえる電球もまた壊れて水に浸っている。ここには開花するものは何も無
いのだ。この禁欲的とさえ思える封印された空間にこの場の風と光だけが通り過
ぎていく。きちっと直径9cmに計測され円錐形に盛り土された故郷の土に甘えは
無い。宙に高低をつけてテングスに吊られた裸の苗木にも甘えは無い。棚に横一
文字に並列された水にも甘えが無い。それぞれが分離して存在している。その分
離された環境を超えて繋がるものが真に存在するか。安易さを排して真に繋がる
ことは可能か。そうこの場の風と光に問い掛けている。そしてその問いこそが今回
の展覧会の熱い主題であると思う。ラデイカルな20代の耕作者としての潔癖な姿
勢がそこにはあるのだ。会期中の時間はその封印/分離を解く事に費やされる。
それこそが作家のさっぽろとあおもりというふたつの場への静謐な愛なのだ。

*中嶋幸治展「Dam of wind,for the return」-25日(火)-30日(日)
*毛利史長・河合利昭展「産土不一致 sand which」-10月2日(火)-12
 (金)
*柏倉一統展「アンタイトル001」-10月16日(火)-21日(日)
*石田善彦追悼展ー23日(火)-28日(日)

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by kakiten | 2007-09-25 12:57 | Comments(0)
2007年 09月 24日

♪愛されて~ふくぅ~おかー秋の遁走曲(7)

阿部守展最終日のほんとに最後の時間書肆吉成の吉成秀夫さんが来る。その
彼が今日のブログに書いている。<阿部守展とても良かった。鉄の初めて見る
表情だった。>-初めて見る。そうだ、我々はスーパーの野菜をあるいは切り身
の魚しか知らない子供たちと同じなのかも知れない。加工されたものしか見てい
ない。鉄もまた鉄筋や鉄枠、鉄路、鉄格子、鉄板。火で溶け流れる製鉄所の光景
は滅多に見る事もなくまして町から鍛冶屋さんが消えた現在ますます鉄と火と水
の光景を見る事はない。大地の元素としてある金属のもとの姿を知らない。そして
その素材が精錬されていく過程も知らない。切り身の魚のように加工された結果
だけを享受している。それは便利なお手軽さに満ちているが一面不幸な事でもあ
る。プロセスを知らないから勿体無いという感覚がなくポイッと捨てる。結果優先の
文明病である。捨てられ古くなっていく事にもプロセスが在る。鉄の場合は錆であ
る。魚や野菜の場合は腐敗である。この負のプロセスにも有効性や美をみる精神
がかっては在ったと思う。近年有機農法と呼ばれたり庭園の苔を見詰める目線で
ある。近代の産業遺構物にある美しさをみる視線もそうだ。レトロという滅びの錆
の文化である。人はなぜそうした物にも惹かれるのか。そこに命をみるからである。
命の蓄積を見るからだ。阿部守は鉄を素材に火と水と人の手の痕跡を、燃え、冷
え、叩く行為の痕跡として溶ける、固まる、凹む表情を鉄そのものに留めた。初め
て見る鉄の表情とは鉄の精錬過程と錆びていく鉄の復元過程の両方の命の過程
なのだ。用という結果以前以降のものの姿なのだ。私たちは多分その事を本能的
に知っている。川の流れを見ていて見飽きないように海の波を見ていて見飽きない
ように過程の保つ美しさを知っているのだ。その物の過程を感受する機会が都市
生活から喪われつつある時にこそ文化の保つプリミテイブな力を発掘しなければ
ならない。彫刻の本来保つ力もまたそうした力である。阿部守の今回の作品は素
直に凛としてそのように在ったと思う。-初めて見る鉄の表情ーとはその謂いだと
思う。吉成さんがゆったりと見て”こりゃはまっちまうなあ”と呟いて福岡への荷造
りも手伝ってくれ帰る頃藻岩山山麓のOさんから電話が来る。さっぽろに置いてお
く話どうなりました?待ってます。これが阿部守展最終日の、本当に本当の最後
のメッセージでした。愛されてよかったね、阿部さん?

*中嶋幸治展「Dam of wind、for the return」-25日(火)-30日(日)
*毛利史長・河合利昭展「産土不一致 sand which!?」-10月2日(火)
 -12日(金)
*柏倉一統展「アンタイトルー001」-10月16日(火)-21日(日)
*石田善彦追悼展ー23日(火)-28日(日)
*谷口顕一郎展ー11月3日(土)-18日(日)
*いずみなおこ展ー11月20日(火)-25日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8
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by kakiten | 2007-09-24 15:35 | Comments(0)
2007年 09月 23日

阿部守展最終日ー秋の遁走曲(6)

多くの人で賑わう。落葉茸を持って美術家の坂卷正美さんが栗沢町から来てく
れる。栄通記を書いている丸島夫妻が見えた頃福岡の阿部さんから電話が入
る。坂卷さんと電話を代わる。ふたりはまだ会った事が無いのだが同じ英国の
大学にいた事があって話が弾んでいる。今回の作品は残念ながら本人が設置
場所を知らない事と設置に立ち会えない事でさっぽろに残すことは見送りになる
。寂しい思いをしたことがあるんですよと言う。多分本人の気持ちと異なる場所
に作品が置かれた事を指すのだろう。来年は札幌なり石狩に作品を残す方向
で滞在制作を考えたいと言う。それはそれとしても今日でお別れは寂しい事だ
。2度見に来る人も多い。来年は来年としても今回の作品はひとつの成果であ
る。もっと長くこの地に留まり呼吸して欲しかった。自らの力不足を思う。次々と
人が来て多弁である。作品の高さがちょうど演台か証言台の高さなのでそこに
立ちヒットラーのように語る人もいれば証言台の被告人のように見える人もいる
。高臣大介さんが傍に立った時はバーテンさんのようだった。時に婦長さんが
訓示をしているようにも見えメーデーの労働者の代表にも見える。学校の先生
をしている人はやはり講義のようにも見える。不思議な高さである。職業や性格
がでるのだ。崖に見えると言った人もいた。色んなものに見え強制しない。だか
ら皆楽になって自由に見ている。従っておしゃべりな人は何時までも喋っている。
立ち飲みならぬ立ち話の気安さが傍に立つとこの高さにはあるのだ。ちょうど来
た次々回の個展予定の柏倉一統さんと友人のAさんが6ヶ月のお子さん連れで
その赤ちゃんを作品の上に置くとこれがぴたりと決まった。そんな他愛が無い時
間もこの作品にはよく似合うのだった。惜しまれ愛されて最後の日が過ぎて行っ
た。

*阿部守展ー23日(日)迄。
*中嶋幸治展「Dam of wind 、for the return」ー25日(火)-30日(日)
*毛利史長・河合利昭展「産土不一致sand which」-10月2日(火)-12日
 (金)
*柏倉一統展ー10月16日(火)-21日(日)
*石田善彦追悼展ー23日(火)ー28日(日)

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by kakiten | 2007-09-23 17:33 | Comments(2)
2007年 09月 22日

風澄む日ー秋の遁走曲(5)

山内慶さんが昨日汗をかきながら段ボールひと箱石田善彦さんの訳本を持って
来る。札幌の出版社柏櫓舎さん所蔵の本である。来月23日から予定している一
周忌追悼展の展示の為のものである。早川書房、創元社、新潮社等からも好意
的に訳本の提供があり全訳本とまでいかなくとも8割位は集まりそうな観がある。
昨年10月自宅で孤独死した石田さんの業績をできるだけ正確に伝える展覧会で
ありたい。ミステリーの翻訳が多いが晩年文庫化を切望していたのが草思社とい
う出版社から発行されたバリー・ロペスの「極北の夢」という訳本である。この本は
ミステリーものではなく北極の大地を動物、氷、エスキモーと重層的にとらえた学
術的にも優れた著書で二段組390頁の大冊である。石田さんはこの本をもっと多
くの人に読んで貰いたく講談社学術文庫か岩波文庫になる事を望んでいたのだ。
また柏櫓舎で出版されたデイヴィッド・ムラ著の「僕はアメリカ人のはずだった」も
二段組360頁の大冊でこれもミステリーではなくアメリカ三世の詩人ムラの優れ
た日本滞在の小説である。生業としての翻訳の外に志しとしての仕事がありその
両方が翻訳家石田善彦の仕事である。青年期の音楽への深い傾倒もまた見逃
せない仕事であるがその「新譜ジャーナル」誌の創刊、ローリングストーンジャパ
ン誌の創刊、「ヤングギター」誌の執筆等の資料は散逸して不明なのが残念であ
る。私は生前石田さんからその資料を見せて頂きしばらく手元に預かっていたの
だがお返ししてそのままになってしまった。かえすがえすも残念な事だった。どこ
まで展覧会として彼の業績を示す事ができるか分からないがさっぽろに生まれさ
っぽろに死んだ彼の全国区の業績を称え、記録してあげたいと思うのだ。円山北
町と北大界隈のふたつのテンポラリースペースをともに過ごした友人である彼の
晩年の孤独は何であったかを今ふっと噛み締めるように思う。あと2日となった阿
部守展を見に美術家の斎藤周さんが来る。こんな鉄の作品は見たことが無いと
言う。彼もまたゆっくりと撫でるようにして作品を見て色んな話をしていった。来し
方の事、今後の事、ある人と嬉しい出会いがあった事。眼は作品から離れず作
品以外の私的な事が口からは語られる。心が楽なのだ。そういう作品である。門
馬ギヤラリーの大井恵子さんが信楽焼の作家とともに来てくれる。大井さんの所
に1年間この作品を置けないかと話す。あの藻岩山の山麓に近い自然の中で呼
吸させて見たいと思っていたからだ。大井さんもこの作品は気に入ってくれたよう
だった。阿部守さんがなんと言うか了解とれればさっぽろに1年間置きたいものだ
。閉廊時間近く彫刻家の岡部亮さんが来てくれる。昨夜電話したのだ。若い優れ
た彫刻家である彼に是非見て欲しかったからだ。彼もまた丁寧に作品を見ている。
何度も触り継ぎ目も見ている。作家の眼線である。この熱心な眼が次なる岡部亮
展へと繋がればいいと思う。また近いうちにと言って帰ったのは珍しい事だった。
おみやげに頂いた札幌ぽっぽまんじゅは暖かかった。そう云えばお子さんもでき
たてで麦という名を付けたそうだ。岡部家は名前一字が好きなのだろうか。卓・新・
亮に続いている。ただ麦という名は土に近いなあ。

*阿部守展ー明日23日(日)まで。
*中嶋幸治展「Dam of wind、for the return」-25日(火)-30日(日)
*毛利史長・河合利昭展「産土不一致sand which!?」-10月2日(火)ー
 12日(金)
*柏倉一統展ー10月16日(火)-21日(日)
*石田善彦追悼展ー10月23日(日)-28日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り入り口
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by kakiten | 2007-09-22 14:08 | Comments(0)
2007年 09月 21日

揺れて存在するー秋の遁走曲(4)

揺れてるね、若い美術家佐々木恒雄さんの第一声だ。日常の時間にいた私は一
瞬地震かと思った。阿部守さんの作品への感想だったのだ。茶褐色のうねるよう
な鉄の肌が重量を超えて揺れて存在している。スタテックな彫刻という概念がここ
にはない。勿論重さ百キロを超える鉄の素材が存在している事実に変化がある訳
ではない。柔らかく泥流のように存在し揺れている。じっと作品を見詰めながら話
を続ける。窓の外に手を伸ばしぐっと外のものをこっちに持ってくる、それが彫刻
ではないか。目だけで見ているのでなくこちら側に持ってくる、それが佐々木さん
の感じる彫刻である。このパソコンもTVもみな箱の窓の中で視覚的に存在する。
視覚だけでなく我々はいわば箱に囲まれている存在だ。車という箱、住まいという
箱、エレベーターという箱。その便利箱の中にいる事で身体機能の部分を増幅さ
せている。いわゆる文明力である。それに比して文化力は五感を増幅する。阿部
さんの彫刻作品はその最たるものである。石狩河口の泥流を鷲掴みにしてこっち
に持ってくるような事が可能なのは彫刻という文化力の成せる業なのだ。河口の
風景を見ていて飽きないのと同じようにこの作品は見飽きる事が無い。美術館の
K氏が来てすごく官能的だと語る。エロスを感じると言う。佐々木さんが揺れてる
ねと言ったというとああ、それかもと言う。固定しているはずなのに固定していない
。それはやはり作品の保つ力なのだ。愛着が湧くなあとK氏が言う。どこかに置い
ておきたいと私と同じ感想を洩らした。雪の中、緑の芝生、森の樹の梢の下。1年
間見てみたい。阿部さんが石狩を窓にしてこっち側に存在させた手の力業が彫刻
造形として今ここに在る。阿部さんのような生き方は’90年代の官に近寄ったパブ
リックアートに擦り寄らず個としての作家の軸足を揺るがさない代わりになかなか
一般的な多くの人の眼に触れずにいる。それは寂しい事である。しかし本物は何
時だってそんなものである。今に始まった事ではない。少ない人数でもいちどこの
作品を見た人はみな一様に言葉少なく愛着を口にする。素材としての鉄が元素と
しての土を感じさせ冷たくなく暖かく柔らかに凛として存在するからである。鉄をそ
のように感じる事の稀さと共感を見る人は同時に感じている。そこに大きな自然も
感じているのだ。五感が解放され豊かに増幅してくる。その心地よさは優れた作
品だけが保つものだ。五感の一部だけの増幅は短時間の利便性をもたらすが、
このゆったりとした時間をもたらす事はない。

*阿部守展ー23日(日)まで。午前11時ー午後7時
*中嶋幸治展「Dam of wind、for the return」-25日(火)-30日(日)
*毛利史長・河合利昭展「産土不一致sand which!?」-10月2日(火)-
 12日(金)
*柏倉一統展ー10月16日(火)-21日(日)
*石田善彦追悼展ー10月23日(火)-28日(日)
*谷口顕一郎展ー11月3日(土)-18日(日)
*いずみなおこ展ー11月20日(火)-25日(日)


 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り入り口
 tel/fax0110737-5503
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by kakiten | 2007-09-21 16:01 | Comments(0)
2007年 09月 20日

さっぽろ・札幌・サッポロ・ー秋の遁走曲(3)

空間が成長しているーと阿部守さんが最初に展示を終えて発した言葉だった。作
品もまた・・と私は反応した。ちょうど1年前にここで初めて展示した時はこの空間
もまだ半年も経っていなかったし村岸宏昭さんの遭難死の傷跡がどこか色濃く漂
っていた。阿部守の原風景と鉄の原行為を象徴するような水と錆びの大きな円盤
状の作品は凸部で点滴する水を受けて蒸発を繰り返していた。初日の夜の集まり
でその蒸発するじゅっという音と煙を見て隣のテーラー岩澤さんの奥さんが”あっ、
村岸さんが今成仏したわ”と言った。村岸さんを知らない阿部さんにとっては何の
事かときっと訝しかっただろうと思う。23歳で死去した濃い人生の最後の個展、そ
の想いの痕跡も深いこの場所はまだすべてにこなれたものが未熟だった。時空も
また蓄積する。今回私は体調悪く2階で休み欠席したが隣家の岩澤御夫妻と酒井
博史さんの阿部さんを迎えての初日の宴では村岸さんの話は一切出なかったと
聞く。それは空間も成熟し作品もまた成熟して純粋に阿部作品が存在したからだ
。昨年、凸部に装着された電熱器が外れて床に焼け焦げを残したその痕さえしっ
くりと木の肌に馴染んでもうそう言われなければ誰も気付かない。そして現在そこ
に立つている作品の存在感はそれだけで余計な類推を拒む程圧倒的なのである。
鉄の原点を追求する。その行為を作品行為として考える時どうしてもそこには地球
という大地が顕われてくる。鉄の成分を育んだ土である。鍛冶屋のテクノロジーと
しての歴史は九州が深い。帰化した朝鮮半島の技術者たち。その伝説はヤマタノ
オロチや一つ目小僧の神話に見る事ができる。そのテクノロジーをさらに遡れば
鉄そのものの生成過程を育む自然・大地がある。その自然にいちばん近い風景
を保つ場所、それが北の大地なのだ。僅々百年余の近現代をめくればそこには自
然の天地がある。阿部さんはそこに触れたいのだと思う。人間が加工する以前の
鉄が還元される元のままの地球の土に。そんな原風景を多分石狩の渺々たる天
地に感じたのだろう。そこから鉄を叩き、手で撫でるように柔らかな作品が生まれた
。大木の木肌のように、濁流の泥濘のように、はたまた人体の肌に浮く肋骨のよう
にも見える呼吸する鉄の造形である。この百キロを超える大作を真っ直ぐにさっぽ
ろに運んでくる情熱はひたすらに北への風景の為からくるものであるだろう。それ
は国際都市サッポロでもなく開拓拠点札幌でもなくさっぽろの磁場へなのだ。場も
また成熟する。この疾風怒濤の出来事に満ちた1年間を私は私なりにそう総括す
る。あと三日。静かにこの鉄の塊を見詰め時に目で撫でながら人と場と作品の幸
福な出会いを思うのだ。

*阿部守展ー23日(日)まで。午前11時ー午後7時。
*中嶋幸治展「Dam of wind、for the return」-25日(火)-30日(日)
*毛利史長・河合利昭展「産土不一致sand which!?」-10月2日(火)-
 12日(金)
*柏倉一統展ー10月16日(火)-21日(日)
*石田善彦追悼展ー10月23日(火)-28日(日)

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り入り口
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2007-09-20 12:20 | Comments(0)