テンポラリー通信

kakiten.exblog.jp
ブログトップ

<   2007年 06月 ( 25 )   > この月の画像一覧


2007年 06月 29日

6月の独白-夏の旗(22)

夏の年が始まって、もう春も過ぎ初夏も終わりに近い。濃い夏の真っ只中がこれ
からやって来る。5月、6月は命溢れそして死者も激しく往還した月だった。女房
の死からもう三七日も過ぎようとしている。5月旧友佐々木徹さんの個展直前の
無念の死に遇い6月は身内の己の来し方をを鋭く抉る死と出会った。またその間
昨年8月に遭難死した故村岸宏昭さんの追悼展の打ち合わせが間断なく行われ
ていた。人は死者となっても生者に雄弁に語りかける事を止めない。生と死の界
を照射し生の根源的意味を問う。そして何よりも生者はその研磨に耐えねばなら
ない。普段の何気ないカーテン一枚の風のそよぎにも個人的な訳があるから。死
は生を純化する。故人の一生も、今また生き延びている怠惰ないい加減な自分を
も。汚濁や穢れを直視する。そしてその中に真実を見る。遠回りしていた自分の人
生を見それが事実でありやはり掛替えの無い生き様だった事に気づく。若く愚か
な思い上がった過去の自分に出会う。それも含めて今を思う。痩せた身体の芯に
出会う。貧しく心がピンのような細い連続となっている。そこから爪先で立つ。それ
しかないよと自分で自分に呟く。曖昧でいい加減で素寒貧の寒々とした自画像を
見る。社会環境の激変の最中で1897年発の生業を背負おうと慣れぬ事業家風
だったり老舗に徹しようともがいたり志しの文学青年であろうとしたりごっちゃ混ぜ
の青春が今も痛む。器用ではなかったがまったく無器用でもなかった。だからい
ろんな衣装を着ていた。そして人との別れと共に脱いできたように思う。もう今は
脱ぐものも無く売る春もない。そう、福島泰樹の短歌ではないが男は裸で<秋を
売る>。夏の年の果て、秋に向かってこの素寒貧の掛け値なしの私と向き合って
いく。
あと1日を残す6月の今日若いgla_glaスタッフのふたりの展覧会も今夜で終る。
表現の骨格を垣間見せた屋比久純子さん、本来のリンゴのような可愛さを形に
した藤原典子さん次へと繋がる初のふたり展でした。次回は個展でまた会いた
いと思います。本来違う表現の根を保っているのだからふたり展はこの次から
はお互いに遠慮と負担となるでしょう。だからそれぞれの自立ー個展がいいと
思うのです。6月最後に近く私の勝手な独白でふたりには申し訳ない事でした。

*屋比久純子・藤原典子展「LALALAガラス展」-今日29日まで。
*後藤和子展「青焔seiーen」-7月3日(火)-15日(日)
*石川亨信展「each pulse、each tempo」-7月17日(火)-29日(日)
*村岸宏昭の記録展「木は水を運んでいる」ー8月7日(火)-12日(日)
 -遺作コンサート:8月10日(金)午後6時~於ザ・ルーテルホール(大通り西6)
 -追悼ライブ:8月6日(月)午後7時~於ライブハウス「LOG」(北14西3)
*佐々木恒雄展ー8月21日(火)-26日(日)
 於テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り
 tel/fax011-737-5503
[PR]

by kakiten | 2007-06-29 12:07 | Comments(0)
2007年 06月 28日

仕事と志事ー夏の旗(21)

心のハンコ屋さん酒井さんではないが生業と志(こころざし)の仕事がどこか重な
ってあるのが人間として素晴らしいことであると思う。従って純粋芸術を志す人も
生き方としては生業と志す方角が当然重ならなければならない。そこを避けて美
味しい所ばかりを漁る器用な人間は基本的には芸術家とは呼ばない。政治経済
の基盤に集(たかっ)て寄り添い助成金や公共事業のパブリックワーク内アートに
なつたり金満家の資産に文化の名前で集(たか)る人たちが自らの汗と労働の仕
事(ワーク)を語る資格はないのだ。ヨーロッパにいるアーテイストの友人は日本
と彼の地の違いは靴屋さんは靴屋さんの目でパン屋さんはパン屋さんの目で作
品を見てくれ対等に話してくれる。そして本当に気に入った時はその範囲で購入
してくれる。その水平な視線が嬉しかったと言う。日本では芸術家への目線が上
か下にしかなく対等のワーク(労働)の視線が無かったと言う。自らの全力の仕事
を認められそして購入されそれを生業としていく事が可能な土壌を真の文化の土
壌という。その苦労と研鑚は一般のワーク(仕事)と同じ汗の労働である。ただ目
的が用というものから直接的には遠いように一見思え、人間の心というもうひとつ
のかけがいのない領域に深く高く根ざしている分狭い領域の<用>からは見えづ
らいだけである。アメリカ型の用の文明が世界を凌駕している現在、文化の領域
の畑の耕作はもっと地道な辛抱強い努力が求められる。耕作の事を英語でculti
ーvateという。そしてその動詞が名詞になってculture(カルチヤー)となる。耕作
するーカルチベイト(cultivate)抜きに文化(カルチヤー)はない。登山に例えれば
裾野ー中腹抜きに頂上はない。真っ直ぐ一直線に頂上がTV塔のように突っ立って
いるのは文化ではなくタワービルのように機械が支配している文明の便利装置物
であって歩く、登るを省略したワーク(労働)の無いノッペラ棒のカリントウみたいな
ものである。最近も誰かに言われた。悪意ではなくいわばお節介の部類だが”こ
んなに周りに才能豊かな人たちが集まっているのだからあなたも何かしたらどうで
すか”と言われた。私に歌を唄うとか楽器を演奏するとか絵を描くとか何かそういう
ものを要求したのだろうけれどそれは違うと一言ではねのけたら困った顔をしてい
た。自分は何であるか。酒井さんほど優れてはいないがやはり花器屋なのだろう。
文化という花の器屋であるだろう。あるいは人という花を受け止めている花器屋な
のだ。今はギヤラリーという函がその器である。生け花道具の専門店ではもうない
かもしれないが文化という花の為に人も含めて支えようとしているのだ。先述の英
語でいえばカルチベーター(cultivator)-耕作者という事になる。さっぽろの文化
の土壌を耕していく者として位置付けている。何を植えるか何が咲くかそれは土壌
の質から生まれ春には春の、秋には秋の、花と実がなる。そしてその収穫以前の
土の選別、耕す行為それがカルチベーターの仕事である。公園や公共空間の花
壇のように束の間の移植、テナント文化は志事にはない。農夫や漁師が作物や魚
そのものになる事は無い。今求められているのは収獲する前にその環境をRepu
ーblicする行為その環境を創る人である。文化にもそれが必要なのだ。さっぽろと
いう土壌をカルチベート(耕して)いく。仕事と志事は両輪の輪である。

*屋比久純子・藤原典子展「LALALAガラス展」-29日(金)まで。
*後藤和子展「青焔sei-en」-7月3日(火)-15日(日)
*石川亨信展「each pulse、each tempo」-7月17日(火)-29日(日)
*村岸宏昭の記録展「木は水を運んでいる」-8月7日(火)-12日(日)
 -遺作コンサート8月10日(金)午後6時~於ザ・ルーテルホール(大通り西6)
 -追悼ライブ8月6日(月)午後7時~於ライブハウス「LOG」(北14西3)
*佐々木恒雄展ー8月21日(火)-26日(日)網走出身の骨太な新鋭作家
*石田尚志展ー8月28日(火)-9月9日(日)映像の天才作家東京在住
*阿部守展ー9月11日(火)-23日(日)九州の鉄の作家昨年に続き来札
*中嶋幸治展「Dam of wind for the return」-9月25日ー30日(日)
 青森出身の若手作家初の個展
 於テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り
 tel/fax011-737-5503
[PR]

by kakiten | 2007-06-28 13:14 | Comments(0)
2007年 06月 27日

心にてん刻する歌声ー夏の旗(20)

本職はというか生業はハンコ屋さんである。それも年齢が若いのに頑固一徹な活
字印刷と手彫りの印鑑を代々商いとしている。相撲とプロレスが好きで話し出すと
止まらない。唄う歌も父親か祖父時代の歌が得意でその唄の背景を語りだすと含
蓄が深く一体この人何歳かと思う位年齢を超えたリアルさで語りだす。また世の不
正義に対し辛らつな批判を加えその毒舌は止まる事を知らない。時として大久保
彦左衛門のような横丁の隠居の斜に構えたご意見番のような若年寄の趣きがあ
る。人によってはこのキャラクターを煙たい避けたい存在のように感じる人も多い
だろう。しかしそんな彼がひとたびギターを持って唄いだすとその感受性の柔らか
さ、感じやすいが故の傷の深さから発する心のひだが絶妙な声と共に表現され聞
く者の心を撃つ。その時我々は彼が単に辛口の皮肉屋ではない事に気が付くのだ
。本当は真っ直ぐに世界を見詰めそれ故傷つき易い純な心の持ち主である事に。
普段はその傷口を上手く表現できず口篭り無器用な為ゴニョゴニョ文句ばかり云
っている人間に思われている。しかし天性の美声と感性が表現として唄われる時
普段のその哀しみ、人への深い愛情のやり場の無さが歌声として昇華し無類の優
しさを保ち時に怒り、時に励ましとなって表現される。昨夜の酒井博史ライブもそう
した一夜だった。不覚というか当然というか多分一番先に目頭を熱くしたのは自分
自身であった。そして最後のアンコールの「夢よ 叫べ」まで眼の奥の緩むのが止
まる事はなかった。女性を泣かすヒロシなどと軽い冗談を言っていた自分を恥じる
のだ。分かってはいたが彼の歌声は彼の魂から発せられている。お世辞や褒め過
ぎで言う積りはない。既存の歌を唄いながらそれはもう彼のものとして昇華され自
分独特のものとなっている。バッハの曲が演奏する人によって明らかな違いを感
じさせるのと同じである。その人のバッハなのだ。酒井さんはハンコ屋さんである
が印鑑を彫るのと同じように歌という鑿を使って人の心に彫り込む。その手業もま
た立派な心のハンコ屋さんなのだ。寡黙で口下手な普段の彼は実は見事な魂の
彫り師でもある。彼の唄は心の活字となって上滑りな文字ではなくしっかりと聞く
者の心に印字される。昨夜聞いた人たちそれぞれに印刷された心の紙の表紙に
は優しさという文字が刷り込まれていたのかもなのかも知れないなあ。

*屋比久純子・藤原典子展「LALALAガラス展」-29日(金)まで。
*後藤和子展「青焔sei-en」-7月3日(火)-15日(日)
*石川亨信展「each pulse、each tempo」-7月17日(火)-29日(日)
*村岸宏昭の記録展「木は水を運んでいる」-8月7日(火)-12日(日)
 -遺作コンサート:8月10日(金)午後6時~ザ・ルーテルホール(大通り西6)
 -追悼ライブ:8月6日(月)午後7時~ライブハウス「LOG」(北14西3)
*佐々木恒雄展ー8月21日(火)-26日(日)
 於テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り
 tel.fax011-737-5503
[PR]

by kakiten | 2007-06-27 11:58 | Comments(0)
2007年 06月 26日

ライスが先かカレーが先かー夏の旗(19)

疲れが溜まっているのか妙に食べ物の事が気になる。寝ながら思った。カレーラ
イスかライスカレーか。そして気が付く。ライスが先なのはご飯が主体でカレーが
先なのはルーや具が主体なのだ。皿の丼物と思えばいい。天丼、カツ丼。お寿司
も一種の上乗せおかずという点では丼物と共通している。ご飯という主役があって
のおかずである。生活が豊かになると本来の主役が逆転してくる。副食のおかず
が主役になる。如何に豪華で珍しく貴重であるかが強調される。この主食と副食の
相違が文明と文化の違いである。文化が人間が主役であるなら文明は如何に人に
役立っているかが役割で本来は人間という主役にとって脇役いわばおかずの役割
である。現代はしばしばそれが逆転して存在する。ライスつまりご飯のないカレー
なぞ在り得ないのに具であるルーの方に主役がいく。いかに高級な肉であるとか
手間をかけた味であるとかが主になってくる。煙草のライトとかマイルドとか何ミリ
とかニコチンの軽さを競うような物である。元の物がなんであるかよりその形容詞
部分が主となる。煙草の害を言う時元の煙草を否定しないで軽いからいいとはな
らない。最も煙草を魔女狩りのようにして環境汚染を煙草に目を向けさす事は環
境破壊という主たる問題に対しては煙草すら脇役的存在であると言える。レイチェ
ルカーソルはその環境破壊を警告した古典的名著「沈黙の春」に煙草の害を書い
た訳ではない。農薬を基本とする食物の汚染の連鎖を沈黙の春としたのだ。原発
の廃棄物を頂点とする環境破壊の問題をおかず程度のもので主役を逆転させる
文明的錯誤は至る所で見られる。ご飯が主役のライスカレーがいつの間にかカレ
ーが主役のカレーライスになりスープカレーに至ってご飯が脇役でおかずのように
なっている。五体五感が主役で便利な道具という機械がいつの間にか主役になり
車やエスカレーターが人間に牙を剥く。文明の発達はおかずの発達であって主役
を譲り影の薄くなる人間の姿を文化がしっかりと奪取しなければならない。美味し
いご飯の為におかずがある。美味しいパンの為におかずがある。主食と副食の差
異が逆転するのは本当に豊かと云えるだろうか。形容的存在はより刺激的な形容
の競走を生むだけなのだ。それは欲の悪無限的連鎖を意味する。お腹の空いた時
ハラ減ったというだろう。身体である。それからメシを食うと言うだろう。ご飯である。
副食のおかずは後から出てくる。足があって車が代行する。眼があってパソコンが
ある。文化力の基本は身体力にこそある。疲れと空腹の妄想が少しはまともになっ
てきたかしらん。昼食はライスカレーにしようっと。でも何のカレーにするかなあ。
あっ、。

*屋比久純子・藤原典子展「LALALAガラス展」-29日(金)迄。am11時ーpm
 7時。26日今夜午後7時から酒井博史ライブー1000円
*後藤和子展「青焔seiーen」-7月3日(火)-15日(日)
[PR]

by kakiten | 2007-06-26 09:56 | Comments(0)
2007年 06月 25日

角砂糖と紅茶ー夏の旗(18)

角砂糖とキッチンペーパーを買いに出る。今日は休廊日だが洗濯をして足りない
物に気付く。朝は紅茶なので角砂糖がいい。ステイックの砂糖は何か物足りない
。四角ってゴニョガラとかき混ぜるのがいい。最近はあまり角砂糖の人気がない
ようで売っていない所が多い。糖分控えめの影響だろうか。控えめにするなら全
部溶けない内に飲めばよい。最後に紅茶の味が濃くなり砂糖も濃くなりこれがい
いのだ。パンは基本的にフランスパン。昔画家の八木保次さんのところで第一食
と称する午後の食事に山から下りてきてご馳走になって以来フランスパンと紅茶
は私の第一食でもある。八木さんは夜絵を描いているので朝食は午後3時過ぎに
なる。それで第一食というのだ。山へ行き汗をかきお腹も空いていたから八木さん
の食事を余程羨ましそうに見ていたのだろう、食うかと焼いたフランスパンにバター
と甘い紅茶を頂きもの凄く美味しかったのだ。それ以来真似をしている。フランス
パンは底から食べてそしてなかの柔らかい所を食べる。最後に表の皮の部分を
オーブンかストーブにのせてカリカリにしてバターを塗り紅茶とともにいただく。デ
ザートのクッキーだなあと八木さんが言った。真似をしているが焼き具合がなか
なか難しい。八木さんの部屋の石油ストーブはやかんの乗るタイプなのでその上
で焼くので好い加減になるのだ。お餅を焼くような感じだ。少し古くなったパンは霧
吹きで水分を与えまた焼く。これはちょうどふかしご飯と一緒だ。炊きたて、焼きた
て冷えたご飯はもう一度蒸かして、フランスパンもご飯も同じ。おかずも大体ご飯
のおかずと合う気もする。特に煮物系。。カレーも合うね。納豆味噌汁も合う。でも
基本は紅茶に角砂糖。紅茶は濃いめ。3杯は飲む。段々濃くなる。そしてその時
角砂糖が有効だ。溶け方を調節して飲む。渋みを味わう時はあまりガチャガチャ
かき混ぜない。固形のままにする。疲れている時や甘さを欲する時はがちゃがちゃ
スプーンでかき混ぜる。バターが紅茶の熱さで口の中で溶け誠に優雅な味がする
。麺類が好きなのでスパゲッテイがあればまたいい。スパパンといってかっては
昼食の定番だった。でも昼は珈琲がいい。そんな事でパンと角砂糖と何かと便利
なキッチンタオルを買いに出た。久し振りの休日で頭が働かず食い物の事ばかり
浮かぶ1日だ。変なブログ?

*屋比久純子・藤原典子展「LALALAガラス展」-29日(金)まで。
 ー26日(火)午後7時~酒井博史ライブー1000円:また何人の女性が泣くか
 注目のライブです。明日です!
[PR]

by kakiten | 2007-06-25 16:11 | Comments(0)
2007年 06月 24日

「もんしぇん」(だから)の訪問ー夏の旗(17)

映画「もんしぇん」の全国上映ツアーをプロデユースしているいしまるあきこさんが
来る。8月15日二風谷を皮切りに熊本天草の不知火の海の島まで約1ヵ月まるで
コンブロードのように映画上映と主演の玉井夕海さんと25絃筝の中川果林さんの
ライブ集団Psalmの演奏が各地を巡るのである。さっぽろでは8月18日からコン
カリーニョを中心に上映と演奏が予定されている。私の所では8月19日夕方から
演奏だけを予定している。5月水戸芸術館から帰った翌日この映画の出演者でも
ある沼田康弘さんが来て映像を見せてくれて以来話が進んでいた。そこでいしまる
さんの訪問だった。東京の同潤会記憶アパートメントを主宰する建築家のいしまる
さんはボランテイアでこの映画の為に動いている。初めて会う彼女は楚々とした頭
の良い人だった。かって岡部昌生がフロッタージュで都市の記憶を擦りだした場所
として代官山同潤会アパート群は記憶にあった。近年さる高名な建築家が再生プ
ロジェクトをした事でも知られている。六本木の最先端の場所に事務所を持ち仕事
をしながらもこの映画の為に一肌も二肌も脱いでいるいしまるさんの優しく強い志
に感心する。「もんしぇん」は九州長崎地方の古い方言で「~ばってん「と同じような
意味の「だから・・」という意味の言葉という。映画は美しい不知火の海の小島を舞
台に対岸の苦界浄土水俣と対峙するように「はる」という若い妊婦を中心にメルヘ
ンのような海と星と森の物語が展開される。この映像と音楽に惚れ込んだいしまる
さんは楚々とした外見とは別に内に熱い想いをたぎらせて主演の玉井夕海さんと
ともに全国を廻ろうとしているのだった。話し込んでいる内に岩見沢の柏倉一統さ
んが展覧会の申し込みで来る。そこへ藤谷康晴さんも来る。そして札幌大学の三
上勝生さんが弔問で訪れる。北大院生の成田尚吾さん、酒井博史さんも来てそれ
ぞれが紹介しあい互いがブログで知っている人もいて何か初めて会った気がしな
いのが面白かった。午後7時を過ぎ焼き鳥屋のきよたへ行き夜の便で帰京するい
しまるさんを囲み話は続いた。三上さんは年末の野上さんの彫刻展以来で久し振
りだったが節目節目に心篭ったコメントをブログやメールで送ってくれていたので半
年振りという感じはしないのである。今日の「三上のブログ」にも早速昨日の感想を
記してくれている。久し振りに<超~・・>とういう三上さんの文字を見た。嬉しかっ
たなあ。

*屋比久純子・藤原典子展[LALALAガラス展」-29日まで(月曜休廊)
 -6月26日(火)午後7時~酒井博史ライブー1000円
*後藤和子展「青焔sei-en」-7月3日(火)-15日(日)
*石川亨信展「each pulse、each tempo」-7月17日(火)-29日(日)
*村岸宏昭の記録展「木は水を運んでいる}-8月7日(火)-12日(日)
 -遺作コンサートー8月10日(金)於ザ・ルーテルホール午後6時~
 -追悼ライブー8月6日(月)於ライブハウス「LOG」午後7時~深夜
*Psalm(さーむ)ライブー8月19日(日)午後6時~1000円
*佐々木恒雄展ー8月21日(火)-26日(日)
*石田尚志展ー8月28日(火)-9月9日(日)
*阿部守展ー9月11日(火)ー23日(日)
*中嶋幸治展「Dam of wind for the return」-9月26日(火)-30日(日)
*毛利長史・河合利昭展「SAND WHICH」-10月1日(火)-12日(金)
*石田善彦追悼展ー10月23日(火)-28日(日)
 :26日(金)ベーカーストリートJAZZライブ午後7時~1500円
*斎藤紗貴子写真展ー10月29日(月)-31日(水)
*谷口顕一郎展ー11月3日(土)-18日(日)
 於テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り
 tel/fax011-737-5503 AM11時~PM7時
[PR]

by kakiten | 2007-06-24 12:57 | Comments(0)
2007年 06月 23日

死者たちの夏ー夏の旗(16)

朝の地下鉄の大通り駅で木村環さんに会う。昨夜遅くまで村岸宏昭さんの追悼展
の打ち合わせで自転車はギヤラリーに置いてきたので今朝は地下鉄に乗った。乗
り換えの電車ひとつ遅れてぼんやりしていたら木村さんが来た。今彼女は江別の
「ども」で個展中である。”江別はいいね”と言う。旧岡田倉庫と旧岡田屋敷も見た
と言う。かって石狩川を水路として走っていた輸送の船を記念して名付けられた石
山軟石の倉庫「外輪船」は今フリースペースとして再利用されている。プロレスの
試合会場にも使用されたそうだ。木村さんは個展の期間も延長されたそうでうれし
そうだった。今年の年末は彼女と藤谷康晴さんの合同展で終る。それまで彼女も
毎月のように藤谷さんと共に何処かで個展を続けながら12月末のテンポラリーま
で走りつづけるのだ。村岸さんの追悼展のポスターやDMのデザインをした佐々木
恒雄さんの個展も村岸展の後する事になった。網走出身の力量のある作家である
。以前のプラハスペースでボイラー室を使い個展をした事がある。壁に直描きのエ
ネルギー溢れるこの作品は彼のホームページでしか見ていないがその他の作品
も含めて骨格の太い作家であることが見て取れた。いずれまたニユーヨークに行
きたいという。”札幌の人はなんか弱々しいですよね”と言っていた。そう、このとこ
ろ札幌在住の他所出身の人が面白いのだ。妹背牛出身、青森出身、帯広出身と
それぞれの場を無意識の内に心に秘めて立ち上がってきている。もうこの世代に
<内地>とかいう発想は無い。むしろ自らが生まれた風土をしっかりと核にして生
きている。リットル東京のような植民地的な卑屈な感性とは無縁に思える。そのうえ
でさっぽろをしっかりと見ている。佐々木恒雄さんもそのひとりで彼の骨太な作品
は大いに期待されるのである。石狩の石川亨信さんの7月後半から11月の谷口
顕一郎さんまで何故か今度は男の作家で埋まっている。7月前半の後藤和子さん
までこのところずーつと女性たちの展覧会が続いていたのだ。やはり一番きつい
時には女性たちに助けられたという事かもしれない。そして死者たちが激しく往還
する夏でもある。石狩で僧職にある石川亨信さんから男の個展が続くのも故無き
事でないのかも知れない。

*屋比久純子・藤原典子展「LALALAガラス展」-29日(金)迄。月曜休廊。
 -6月26日(火)午後7時半~酒井博史ライブー1000円
*後藤和子展「青焔sei-en」-7月3日(火)-15日(日)
*石川亨信展「each pulse、each tempo」-7月17日(火)-29日(日)
*村岸宏昭の記録展「木は水を運んでいる}-8月7日(火)-12日(日)
 -遺作コンサートー8月10日(金)午後6時~ザ・ルーテルホール(大通り西6)
 -追悼ライブー8月6日(月)午後7時~ライブハウス「LOG」(北14西3)
*佐々木恒雄展「2」(仮題)-8月21日(火)-26日(日)
*石田尚志展ー8月28日(火)-9月9日(日)
*阿部守展ー9月11日(火)-23日(日)
*中嶋幸治展ー9月26日(火)-30日(日)
*毛利史長・河合利昭展「SAND WHICH」-10月1日(火)-12日(金)
*石田善彦追悼展ー10月23日(火)-28日(日):26日(金)午後7時~ベーカ
  ーストリートJAZZライブ・碇昭一郎ほか。
*谷口顕一郎展ー11月3日(土)-18日(日)
[PR]

by kakiten | 2007-06-23 11:28 | Comments(0)
2007年 06月 22日

ナウシカと腐海ー夏の旗(15)

昨夜小樽の詩人の高橋秀明さんとTさん石狩の大島龍さんが弔問に訪れる。久
し振りに会う。弔問後桜ムーンに行く。ここも久し振り。かって円山の裏参道にあ
った頃はトマトムーンという名前のお店だったと聞く。裏参道がまだマンション街
になる前は夕陽が大きく見えトマトのようだったのでそう命名したという。夕陽が
視界から消えてその街を去り今の所に引越し古い洋館の庭の桜の木からさくら
ムーンと名付けてたと聞いた。かって円山北一条ゾーンにはこうした洋館が沢山
あった。鬼窪邸、小熊邸、・・。ほとんどが消えた。正統な近代を伝える洋館は明
治大正の和の技術と西洋の技術ががっぷり四っに組んで出来た日本独特の建
築物である。純粋な西洋建築でもない。伝統的な日本建築でもない。いわばふた
つの文化がトランスして新たに創ったものである。そこには透明な(transparent
)日本の正当な近代がある。さっぽろの優れて伝えるべきものはその正当な近代
の継承にこそあるのに現代という化け物はその唯一の文化さえ踏みにじっている
。黒澤明の「白痴」に残る映像のさっぽろはもう殆んど消滅しているのだから。自
然だけではない。微かな文化的遺産さえ滅ぼそうとしている。故村岸宏昭さんの
集まりが今夜ある。8月の追悼展に向け最終調整に入る。その村岸さんの愛読
した「風の谷のナウシカ」全巻を初めて読み終え映画とはまた違った後半の盛り
上がりに感動した。特にラストの光の神と対決するナウシカの言葉がいい。絶対
清浄を理念とする神に対しナウシカは言う。<清浄と汚濁こそが生命だ・・・苦しみ
や悲劇やおろかさは清浄な世界でもなくなりはしない、それは人間の一部だから
・・・>。神は言う<お前にはみだらな闇のにおいがする・・。お前は再生への努力
を放棄して人類を亡びるにまかせるというのか?>ナウシカは答える。<その問
はこっけいだ 私達は腐海と共に生きて来たのだ 亡びは 私達のくらしのすでに
一部になっている>。腐海と共に生き、絶対理念の清浄理念と対峙する生き方に
私は私達の時代をどうしても重ねてしまうのである。<亡びは 私達のくらしの
すでに一部になっている>。

*屋比久純子・藤原典子展「LALALAガラス展」-29日(金)まで。月曜休廊
*後藤和子展「青焔seiーen」-7月3日(火)-15日(日)
*石川亨信展「each pulse、each tempo」-7月17日(火)-29日(日)
*村岸宏昭の記録展「木は水を運んでいる」-8月7日(火)-12日(日)
 -遺作コンサートー8月10日(金)午後6時~ザ・ルーテルホール(大通り西6)
 -追悼ライブー8月6日(月)午後7時~ライブハウス「LOG」(北14西3)
*佐々木恒雄展「2」-8月21日(火)-26日(日)
*石田尚志展ー8月28日(火)-9月9日(日)
*阿部守展ー9月11日(火)-23日(日)
*中嶋幸治展「Dam of wind for the return」-9月25日(火)‐30(日)
*毛利長史・河合利昭展「SAND WHICH」-10月1日(火)ー14日(日)
*石田善彦追悼展ー10月23日(火)-28日(日)
*谷口顕一郎展ー11月3日(土)-18日(日)
 於テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り
 tel/fax011-737-5503
[PR]

by kakiten | 2007-06-22 11:08 | Comments(0)
2007年 06月 21日

すきとおった風ー夏の旗(14)

門馬よ宇子さんが亡くなった。前の円山北町のスペースには時々来てくれお気に
入りだったと思う。夜のライブにも何度か聞きに来てくれた。ロック系の激しい音の
時が記憶に残っている。80歳を過ぎても過激だった。と言うか失った時間を貪欲に
吸収しようとしているようだった。古いセピア色の写真で構成された屏風のような作
品を見た事がある。結婚式の写真とかを蜜蝋で封印して一面にコラーッジュした作
品である。門馬宅のアトリエで拝見したと思う。門馬さんの来し方を封印して棒っこ
のように振り回す強力を感じた。そこに来し方への感傷や懐旧の情は無かった。な
んぼの人生さ、でもこれが私さと如意棒か金棒のように人生持ってがーんと構えて
いる門馬さんがいた。同じさっぽろの都心部で生まれ育ったので話が合った。しか
しそんな話はあまりしなかった。美術への出発は遅いものだった。だからどんどん
吸収してそれまでの遅れを取り戻すような濃いエネルギーがあった。そして若い人
が好きだった。同じレベルで話し合う事が嬉しかったのだろう。晩年若い人の育成
に目を向け育てようとした動きがあったがそれは本意ではないと思う。一緒だった
のだ。一緒に吸収し感心し驚く。そんな時間を共有しようとしていたのだ。身体は若
くはなかったが心は若者だった。あの好奇心は年齢の上位にいる人のものではな
かった。周りが美術に理解ある裕福そうなお婆ちゃんの役割を自然に醸し出してい
た。本人もそれは自覚しそのように振舞っていたかも知れない。だが違う。あの人
は青春にいた。自分の人生を束にしてぶんぶん振り回し第一線の現場にいた。年
齢の上位なぞにはいなかった。私の数少ない記憶ではいつもそんな風に門馬さん
がいる。「朧夜の底」というブログで成田尚吾さんが心篭った追悼文を書いている。
そこに見る門馬さんは正しく美術という棒きれを振り回しやんちゃな必死の人間だ
った。23歳の成田さんは真っ直ぐに80ん歳の門馬さんを同じ高さの目線で見詰
めている。そこが門馬さんの真骨頂だった。あの山のアトリエとギヤラリーで充分
幸福だったと思う。何もいわなくとも自然に若い人が慕って集まっていたから。もう
一度個展をきちっと見たかった。彼女の人生の如意棒の向こうにきっとある成田さ
んの詩の引用にあった<きれいな青ぞらとすきとおつた風>を感じたかった。

*屋比久純子・藤原典子展「LALALAガラス展」-6月19日(火)-29日(金)
 -gla_glaの女性スタッフふたりの初展覧会
*後藤和子展「青焔seiーen」-7月3日(火)-15日(日)
*石川亨信展「each pulse、each tempo」-7月17日(火)-29日(日)
*村岸宏昭の記録展「木は水を運んでいる」-8月7日(火)-12日(日)
 -遺作コンサートー8月10日(金)午後6時~ザ・ルーテルホール(大通り西6)
 -追悼ライブー8月6日(月)午後7時~ライブハウス「LOG」(北14西3}
*佐々木恒雄展「2」-8月21日(火)-26日(日)
*石田尚志展ー8月28日(火)ー9月9日(日)
*阿部守展ー9月11日(火)-23日(日)
*中嶋幸治展「Dam of wind for the return」-9月25日(火)-30日(日)
*毛利史長・河合利昭展「sand which」‐10月1日(月)-12日(金)
*石田善彦追悼展ー10月23日(火)-28日(日)
*谷口顕一郎展ー11月3日(土)-18日(日)
 於テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り
 tel/fax011-737^5503
[PR]

by kakiten | 2007-06-21 12:23 | Comments(3)
2007年 06月 20日

灯りが消えるー夏の旗(13)

昨夜も自転車を快調に飛ばし午後9時近く帰宅。鍵を開け中に入るが電気が点
かない。郵便受けに電力会社の封書。懐中電灯で見る。24日まで払って下さい
という内容。電気代が未納だった。でもまだ19日。何故?と思ったがとにかく近く
のコンビニまで行き支払う。明るい所でよくその通知書を読むと払ったら電話しろ
と記載されている。傍の電話ボックスで電話する。細かく住所、電話、氏名と聞か
れコンビニの領収書に記載されたナンバーも聞かれた。20分程で遠隔操作で通
電しますと言う。帰ったら電気が点灯していた。初めての事だが吃驚だ。遠隔操
作でライフラインの基本がいつでも生殺与奪の権限を電力会社に握られているの
だった。真っ暗な室内。そこではお風呂も食事も49日までの位牌とお骨にもお参
りもできない。葬儀やら何やらで失念していたこちらも悪いが問答無用のように
遠隔操作でばっさりと電気を切る電力会社の管理能力もたいしたもんだ。我々の
日々のライフラインを管理する能力は一歩後退すると恐るべき的確さで牙を剥く
。そしてどっぷりと電力に浸かっている生活がある。ガスもつかない。冷蔵庫も効
かない。そしてなによりも暗闇である。それも個別に遠隔操作でそれが可能である
事。これは驚きだった。何らかの事故で停電という共有性もない。個別の狙い撃ち
なのだから。人が来て払えとか払えないとかいう人間のやりとりが消えている。ア
ウシュビッツの処刑のようだ。一対一では効率が上がらないのでガス室のボタン
操作にする。人間を排除して機械操作に切り換える。効率と量数の世界である。
ソフトはもうアウシュビッツ並みに生活次元まで来ている。電力の3分の1は原子
力発電という。原爆水爆も生活次元まで来ている。優しい日常の顔をして非日常
が潜んでいる。悪魔のような独裁者はもういない。普通の顔をしてばっさりと遠隔
操作である。明暗を支配しているこの装置とは何なのか。明るくなりTVを点けると
東京渋谷のど真ん中で1500m地下の温泉装置から天然ガスが溢れて爆発との
ニユースが流れていた。人工も人間に反撃する。自然においてはなおの事である。
1時間弱の暗闇経験で色々な事が頭に浮かんだ。

*屋比久純子・藤原典子展「LALALAガラス展」-6月19日(火)-29日(金)
 am11時ーpm7時(月曜休廊)
*後藤和子展「青焔sei-en」-7月3日(火)-15日(日)
*石川亨信展「each pulse、each tempo」-7月17日(火)-29日(日)
*村岸宏昭の記録展「木は水を運んでいる」-8月7日(火)-12日(日)
 -8月6日(月)午後7時~追悼ライブ於ライブハウス「LOG」北14西3
 -8月10日(金)午後6時~遺作コンサート於ザ・ルーテルホール大通り西6
 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り
 tel/fax011-737-5503
[PR]

by kakiten | 2007-06-20 11:41 | Comments(0)