<   2007年 03月 ( 28 )   > この月の画像一覧


2007年 03月 31日

ハンブルグの春(続き)-春のにおい(41)

今朝堀田真作さんから留守録が入っていた。2点さるところに収蔵品として入る
事になったという内容だった。以前テンポラリースペースで発表した作品という。
展覧会が好評で作品も売れたという事は素晴らしい事だ。一度しかお会いして
いないSさんのキューレート能力に脱帽する。人は会った回数ではないのだ。
同じ昨日のもうひとつの出来事は嫌な事だった。昨年1月の強制執行前後の前
のスペースのピーンと張り詰めた冬の空気感のなかで引越しの作業をしている
写真の記録。そして現在の場所で廃屋に近い建物をみんなで改装している写真
の記録。それを身近な距離からモノクロームでしっかりとドキュメントした写真が
ある人の恣意で処分するとメールがきたのだ。特に現在の場所の土壁と石膏ボ
ードの狭間に死んでいた福鼠(白い大きな鼠。大黒鼠とも云う)とその鼠の残した
大量の丸薬のような糞の写真。そして鴨居に貼ってあったお守りの札。それら築
50年近いこの建物のもつプロセスを物語る記録はもうどこにもその面影が喪わ
れているだけに貴重なドキュメントだった。ひとつのスペースの喪失と新たな場の
再生。そこに結集した友人たちの志をともにする汗の記録である。その写真は記
録性が強いゆえ作家としての作品展には向かないと判断したのだろうが私には
貴重な記録として手元に置いておきたかった物である。またここでの作業中も身
近な人として信頼していたからこそ普通撮れない場面も撮影が可能だったのだ。
そういう身近にいて何度も会っている人が突如としてその記録を個人の恣意で処
分すると通告するのである。私の不徳もあるのだろうが記録やドキュメントはそん
なに芸術性の低いものなのであろうか。遠いドイツの友人は一度の面識だがこの
ブログを通して深く理解しあう事ができる。同じさっぽろにいても写真ひとつとって
も理解が遠く離れる。人が生きて結晶するような大事な場面というものは間違い
なく存在する。それは芸術とか云うもの以前のかけがいの無い事実である。そこ
に鈍感で成立する芸術至上主義という陥穽とは何なのか。以前大野一雄の石狩
河口公演の時にもさる映像作家に撮影をお願いしたらボクはドキュメントは撮りま
せんと直前に拒否された事がある。それ以来その映像作家を私は信用していない
。奇跡のような86歳の野外舞踏という稀有な事実を前に芸術だ記録だと前提の
構えに拘っている小さな根性を先ず卑しむのだ。大野先生程ではないにしても掛
替えのない人生上の記録の写真であると私の場合にしてもそう思っている。撮影
者の所有物といえばそれまでだが被写体の保つ事実への軽視は残念というしか
ない。ハンブルグの春とさっぽろの春。この温度差は少し悲しい。

*福井優子作品展「春を灯すキヤンドル」-4月1日(日)まで。
 最終日午後5時~佐藤歌織ピアノソロライブ。
 於テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8
 北大斜め通りtel/fax011-737-5503
[PR]

by kakiten | 2007-03-31 12:33 | Comments(0)
2007年 03月 30日

ハンブルグの春ー春のにおい(40)

ドイツ・ハンブルグで個展の堀田真作さんから電話と奥さんからのメールが来る。
<オープニングが終了しましたが、驚くほどの好評で、嬉しい限りです。始まって
以来の反響とのことで、堀田はすっかり舞い上がっております。・・・中森さんの
テキスト、非常に効果が高く、ドイツ人は文脈好きなのか、みなさん熱心に目を通
してくれていました。有り難うございました。>と奥さんからの初日の反響の報告
だった。私の拙文が役に立ったようで嬉しい。堀田真作さんの作品はヨーロッパ
で評価されるだろうということは予感としてあった。ただどう提示していくかそのキ
ユーレートの仕方が大事だった。今回ハンブルグ在住のSさんという優れて情熱
的なキューレーターを得てこの仕事は道筋が着いたのだった。私は堀田さんの
故郷トカプチ=十勝の風土と彼の作品が保つある激しい気品を日本の稀有な革
命時代安土桃山時代に重ねて素描を試みた。日本であり、十勝であることを外国
で個展をする事で敢えて意識して書いたのである。翻訳が大変であったかと思う。
Sさん自身も帯広の出身であったから私が書く北の空気感と異国に住む事で感
受している日本という意識の両方に訴えるものがあったのかも知れない。そんな
条件が重なって堀田真作展は幸運な個展となったと思う。私的にはもう1歩書き
込んでいない面があるのだが大枠としては翻訳者のご努力で多分辻褄が合った
のだろうという気がする。Sさんの熱意に応えたかった気持ちと肝心の堀田さん
の絶対に書いてという気持ちに少しの落差があってその分最後の詰めが不足し
ているのだ。微妙なものである。作家も作品だけがあればいいというものではな
い。周囲の心も巻き込む熱気が自ずからシーンを創っていくのだ。Sさんの熱い
依頼の賜物なのだ。そしてその根底には今生きている自分の場へのアイデンテ
イーの獲得への真摯な追求がある。きっとこれからもドイツの十勝人とさっぽろ
の石狩人は文化の北をともに国際的に創っていく仕事をするだろうという予感が
する。堀田真作展のハンブルグの春の知らせはそう告げてくれているようだ。

*福井優子展「春を灯すキヤンドル」-4月1日(日)まで。am11時ーpm7時
 最終日PM5時~佐藤歌織ピアノソロライブ。於テンポラリースペース札幌市
 北区北16条西5丁目1-8北大斜め通りtel/fax011-737-5503
[PR]

by kakiten | 2007-03-30 12:41 | Comments(0)
2007年 03月 29日

春すすむ春ひろがるー春のにおい(39)

風の芯にどこか冬の寒気を潜めながら春が進んでいる。身体はその外身と内身
のずれに反応しながら冬を抱えて春に適応しようとしているのだがうまくはいかな
い。時に風邪という病を抱えて身体のずれがある。夜になると咳がでる。不眠であ
る。月末病もある。呼吸器がおかしい。息が切れる。春は深くと表現できない。春
はすすみ、ひろがる。北は冬が頑固に体の中に巣食っている。冬が深い。そこに
春がすすみ、ひろがっていく。内と外の季節のジンマシンみたい。きっと都市にい
ては駄目なのだ。山に行きたい。大汗をかけば解消されるのだ。とりあえず来週
からは自転車に乗ろうと思う。まだ風の芯に残る冬に負けるかもしれないけれど。
福井優子さんがある人の注文で私の顔の飾り面を作った。東壁に猫の顔の面が
沢山飾られているのだがその中のひとつにその顔が並ぶ。どうみても野良猫の
ボスぽい。注文を受けてから時々顔を盗み見して作ったという。そんなもんです
かね、注文した人もどうかと思うけれど。美しい女性が注文してくれたのならまあ
納得しない訳でもないけれど。それはあり得ない。だからといって、いい歳した男
性の注文じやあ一体何を考えているのか分からんのだ。早速出来た面を見て来
た人がこれだ~れと問い掛けていた。二階の事務所で吹き抜けを通して会話が
聞こえるのである。髪結い亭主でもあるまいしちょっとそうなると下には降リ辛くな
るのである。福井さんはその度に丁寧に注文の訳を説明している。益々私は孤立
する。動けない。息を潜めている。そんな人は今ここにはいないよ~って。オート
バイのライダーだった福井さんはライダー仲間のお客さんも多い。山仲間と違っ
てまた独特の雰囲気がある。ある種ファミリー的である。屈託がない。先週までの
斎藤周さんを訪ねて来る人たちとはまた違った層の時間が流れている。

*福井優子作品展「春を灯すキヤンドル」ー4月1日(日)まで。最終日午後5時
 佐藤歌織ピアノソロライブ。於テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁
 目1-8北大斜め通りtel/fax011-737-5503
[PR]

by kakiten | 2007-03-29 12:17 | Comments(2)
2007年 03月 28日

蒼と緑ー春のにおい(38)

柔らかな距離感の裏に実はシビアーな醒めた現実凝視がそっと貼りつくように裏
打ちされている。その事に鈍感なわけではない。逆にその醒めた現実認識が柔ら
かな距離を保っている大きな要素である事も知っている積りだ。夕暮れの柔らか
な青や淡い緑の背後にもうひとつの蒼や緑のある事を斎藤周さんや今展示中の
福井優子さんの作品の背後にも感じてはいるのだ。その背後の色がいつ逆転し
て表に全面として出現してくるかそれはまた大変な問題である。そのきっかけが
個展という展覧会のEXHIBITIONの<EX>にあればいいとも思う。斎藤周さん
の<次から>がその先端において<EX>を指示するものであればそれでいい。
福井優子さんの灯かりがその先端においていつか青い焔を燃やすものであれば
それはそれでいい。部分で見るのではなく個展というのは否応無く作家の全体を
窺わせるものである。そしてその事に作家自身も気付くことにも意味がある。他者
の目線を共有する事で作家自身が己を見るのだ。外へ、前にという<EX>が意
味あるのはそういう時間の事だと思う。一見工芸的で柔らかく浪漫的な灯かりのキ
ヤンドルにも他者そして社会との関係性において灯かりは焔にも転じる一点が潜
んでいる。一見純美術的な斎藤周さんの作品の淡い緑の延長線上にも言ってしま
えばその焔は潜んでいるのである。凶暴な緑が。福井優子さんの蒼。斎藤周さん
の緑。このふたつの色は二人の作家の秘められた凶暴としてその柔らかさの背後
にラデイカルな<次>を用意していると私は思う。そしてその背後の凶気が何時
全面に出てくるかは作家と社会との関わりに於いてその骨格が験されようとする
時をおいてに他ならないと予感される。偶然続いた分野も表現様式も異なったふ
たりの作家が抱えている他者との距離深くその社会的関係性において多少強引
とも思われるだろうがその淡彩色の奥にある濃い密度の色の存在について共通
する凝縮した意識の存在を感じたのだった。

*福井優子作品展「春を灯すキヤンドル」-3月27日(火)-4月1日(日)
 am11時ーpm7時最終日pm5時から佐藤歌織ピアノソロライブ
 於テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り
 tel/fax011-737-5503
[PR]

by kakiten | 2007-03-28 14:06 | Comments(0)
2007年 03月 27日

春を灯すー春のにおい(37)

「春を灯すキヤンドル」福井優子展が始まった。様々な形のキヤンドルが並ぶ。
苺のショートケーキの形もありチョコレートの小枝のような形もあり和菓子のよ
うな形もありバレンタインとおひな祭りクリスマスと一度の来たような華やかさで
会場が包まれる。勿論ケーキやお菓子の類だけではないのだがそれが目に付
くのは生来の食いしん坊の性かも知れない。味覚視覚すべての可愛らしいもの
がキヤンドルになる。灯かりが点いて触れるように溶けていく。やはりこれは女
性ならではの直接性をもった表現造形と思われた。可愛く消えていくものなのだ
。そこに手で触れる、愛しさのようなものが基本にあるのだろうか。よく老若問わ
ず”可愛い!”と声をあげるあの誉め言葉にその本質がある。福井さんは青が好
きだと言う。冬の雪明りに青で統一したキヤンドル展をしたいと言う。今年の冬に
はそれが実現する予定だ。灯かりの揺らめきと雪の白さ、そのふたつの異質の
輪郭の境目が溶けて交感しあう。直線的でない青い空気の揺らぎの中での交感
。このある意味女性的な柔らかさの内なるオーバーフエンス。ふっと斎藤周さん
の素描の輪郭だけの柔らかさを思った。時として”暴力的韋駄天歩き”の私には
ないふわっとした揺らぎの越境行為なのだ。外界と対峙しつつ構築していく表現
行為もあれば外界と融和しつつ構築していく表現行為もある。時としてどちらが
いいという問題でもない。ただ風景にもその結晶する地点があるように外界との
接点で骨のように骨格にあたる地点がある。人間関係それが社会という構造の
骨格にぶち当たる時もある。その時点では融和しつつその関係を維持する事が
できない場合もある。最終的に価値観の選択において対峙しなければならない
。その時人は敵をつくる。闘いが起きる。それも真実と私は思っている。斎藤周さ
んと福井優子さんの世界は素材も分野も違うけれどその外界、世界との関り方
において揺らぎ、和らぎ、触れる行為の表現の在り処が似ていると感じられる。

*福井優子展「春を灯すキヤンドル」ー3月27日(火)-4月1日(日)
 am11時ーpm7時最終日pm5時ー佐藤歌織ピアノソロライブ
 於テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り
 tel/fax011-737-5503
[PR]

by kakiten | 2007-03-27 12:50 | Comments(1)
2007年 03月 26日

斎藤周展終るー春のにおい(36)

午後7時の閉廊時間まで人が途切れず帰ることなく2階の吹き抜けと下と鈴なり
の人がいた。14度近い今年一番の暖かさもあり外扉は開けっ放しで賑やかだっ
た。先生である斎藤さんの人望もあるのだろうがみんな居心地がいいのだろうか
吹き抜けの床に腰を下ろし足をぶらぶらしながら下を見下ろしている。会場全体
が鳥の巣のようだった。作品世界と現実が一体化して人間も春の一部のようで
ある。E教授からメールが届いていた。斎藤さんの仕事は今(とても難しいところ
にきていると思います。ご存知の通り彼はとてもいい人物で、そのため「作家」と
いうある意味で「悪い人」になりきれずに、苦闘しているのだと思います。・・・中森
さんのB面「コワイ人、気難しい人の面」で接してあげてください。ちなみに、最近
の中森さんのイメージとしては、「A面」の文学的で、チャーミングな人柄全開です
ね。「笑」。)私との日々の会話が大きな意味のあるものになる事を期待していま
すと結ばれていたがそれには私のB面で付き合ってくれという事なのだ。斎藤さん
をよく知るE教授ならではの暖かい助言である。そしてそのご期待に添えたかどう
かは分からない。斎藤さんの世界は現実にある距離を保って成立している。その
距離感はある意味ですごくリアルな距離でこの一点を踏み越えても閉じてもその
対象との一線を壊してしまうものなのだ。そういうリアリズムもあっていいと私は思
う。ただ本人がどこかで止むに止まれず超える時もあるかも知れない。その時を
仮に「悪い人」というのなら彼は今その境目にいるのかも知れない。問題は彼の
柔らかな感性が何処まで思想としての他者を裏打ちできるかによるのだ。今回
の個展はその限界近くまで達したと思う。作品の保つ世界が会場としてその輪郭
から最大限に沁みだし見る人も巻き込んであったからである。「3月の次から」と
は正しくその事を予感しているタイトルだったかも知れない。斎藤さん自身のB面
への予感なのかも知れない。他者の輪郭の向こうにある社会という骨格に触れる
予兆のように。

*福井優子展「春を灯すキヤンドル」-3月27日(火)-4月1日(日)am11時ー
 pm7時最終日pm5時~佐藤歌織ピアノソロライブ於テンポラリースペース
 札幌市北区北16条西5丁目1-8tel/fax011-737-5503
[PR]

by kakiten | 2007-03-26 17:03 | Comments(0)
2007年 03月 25日

あったかい日ー春のにおい(35)

ギヤラリー出勤前藤谷さんの最終日会場に寄る。さらに作品が増えている。迫力
増す。ドラゴンがのたうち、鱗が波打つようだ。さらに布が東側窓下に敷かれて描
きこんである。紙が足りなくなり白い布を追加したのだろう。初日と比べ会場は厚
みを増している。南側壁の作品にリズムが出て一体感が出ている。あの精密で静
謐な都市の光景はもうどこにもない。内なる命の暴力的なうめきのままのたうつよ
うに増殖している。都市を凝視する押さえ込んだ対峙する視線が一気に開いてそ
の情念のまま溢れていた。もう酒鬼薔薇少年の透明な狂気は篭る事はない。藤谷
さんのこれは美術による再生なのだ。この後彼が何処へ行くのか、その事もあま
り問題ではない。藤谷さんは自らを救ったのだ。絵を描くことで解放したのだ。一
種の殺意を解消したのだ。
斎藤周さんの個展も今日が最終日。作家も朝から来て訪れる人が絶えない。東
京の今城恵子さんが来る。仕事で札幌に昨日着いたと言う。今水戸芸術館で開
催されている「マイクロポップ」展を引用しながら斎藤さんの作品も一種のマイク
ロポップだと言う。ごく身近な人たちのトレースされた輪郭の群像。それらが淡い
中間色の色と共に溢れて会場を漂っている。正面きって人物を描いているわけ
ではない。後姿や横向きのデッサンの暖かい距離をもって描かれているだけだ。
身近で冷たくない距離。濃い距離ではない。淡いしかし温かい距離。マイクロポ
ップ。成る程と思った。藤谷さんの遮断する凝視の距離感。それが溶けて一気に
マグマのように溢れた表現とは対照的な距離感ではある。このスナック菓子のよ
うな淡さ、軽さこれもまた現代である。斎藤さんの生徒たちが次々と訪れる。2階
の吹き抜けに上がり思い思いに座ってお喋りをしている。上と下に若い声が溢れ
る。鳥小屋のようだ。ああ、この距離感だなと思う。あらためて斎藤さんの教師と
いう職業を思った。そう思うともう会場は作品と現実が一体化して今日の温暖な気
温とともに午後の陽射しの中に陽炎のように揺れていた。

*斎藤周展「3月の次から」25日まで。
*福井優子作品展「春を灯すキヤンドル」-3月27日(火)-4月1日(日)
 am11時ーpm7時月曜休廊於札幌市北区北16条西5丁目1-8
 tel/fax011-737-5503
[PR]

by kakiten | 2007-03-25 14:47 | Comments(0)
2007年 03月 24日

夕刻の訪問者ー春のにおい(34)

昨日は午後から雪交じりの曇った日。斎藤周さんの依頼で前澤良彰さんが会場
撮影する。撮影にはかえって曇り日で良かったと言う。光が平均している。吹き抜
けの上とかアングルが多様で撮影に時間を要した。午後6時も近い頃ふらりと青
年が入って来た。先に村岸宏昭さんのお母さんがほぼ前後して来ていたが声を
掛けてきたのはその青年の方が先で”覚えてますか?村岸の個展の時お邪魔し
た者です・・”と問い掛けてきた。偶然近くを通ったので寄ったと言う。見ると高校
の恩師の斎藤周先生の個展だったので吃驚したと続けた。あっ、この方は村岸
さんのお母さんだよと紹介する。初対面らしくその青年原隆太さんも慌てて自己
紹介をした。高校時代からの村岸さんの親友で昨年7月の個展の時ここを訪ね
て以来だという事や大学に入学した時村岸さんから6Fの絵を貰った事などを話
していた。私も段々うろ覚えだが初日に見えた彼の事を思い出してきた。斎藤周
さんは村岸さんの高校時代の美術の先生でもあり原さんもその頃の同級生だっ
た。8ヶ月ぶりのふらりと立ち寄った時間がその先生の個展の空間でありたまた
まお母さんも居合わせて不思議な偶然が重なった。「木は水を運んでいる」ー
村岸宏昭の記録展の準備を毎月例会を重ねている今の時期原隆太さんの出現
でまたひとつ資料が集まってきた。多分絵を描き出して間もない頃の親友に贈っ
たその絵は大事な資料として展覧会に展示されるだろう。お母さんが帰られた後
原さんとしばし話し込む。彼は村岸の死を聞いた時そんなにショックを感じなかっ
たと言う。なにかもっと深い所で感じていたと言う。普段彼と接していてきっと感じ
ていた何かがそう思わせたのだと言う。本当に親友だったんだなあ。そう思った。
優れた死者は時空を超えて訪れてくる。村岸さんが好きだったバッハの音楽のよ
うに。一昨日の網走出身の佐々木さんもそうだった。村岸さんを介在して人が扉
を叩くのだ。この場の時間が重なり重層してひとつの厚みを保っていくのだ。ある
人はまた村岸かあと言うかも知れない。でもそれは違う。新たな展開新たな出会
いなのだ。平面的な連続ではなくもっと重層する立体的な時空の時間なのだ。死
者は今も社会的に生きている。繰り言の繰り返しではないのだ。例え肉体が不慮
の死にあったとはいえその志はこうして生きている人間を通して集まってくる。や
あ、覚えていますかと声を出して。文化力なのだ。再生する人間の心の力なのだ
。死んで用がなくなったら終わりではない。用の文明に対峙するもうひとつの大事
な力である。このふたつの狭間を生きる。そんな勇気を昨日ももらった。原隆太さ
んありがとう!そして村岸さん、斎藤周先生の個展に君も来たんだね。

*斎藤周展「3月の次から」-25日(日)まで。
*福井優子展「春を灯すキヤンドル」-3月27日(火)-4月1日(日)
 最終日pm5時~佐藤歌織ピアノライブ
 am11時ーpm7時月曜休廊於テンポラリースペース札幌市北区北16条西5
 丁目1-8北大斜め通り
[PR]

by kakiten | 2007-03-24 12:02 | Comments(0)
2007年 03月 23日

春の光冬の残雪ー春のにおい(33)

暖かな陽射し続く。昨日ふたりの作家が訪れた。ひとりは故村岸宏昭さんの追悼
の会で知り合った佐々木恒雄さんで今デザイン関係の仕事をしながら絵を描い
ている。斎藤周さんの作品を見ながら色んな話をした。そのうち自分のホームペ
ージがあるのでそこに掲載している作品を見て欲しいと言う。それじゃという事で
私のパソコンで見ることになった。結論から言うといい。骨太な表現でがっぷりと
四つに組んだ対象の把握。ある種の毒がある。すっかり感心した。聞けば網走の
出身と言う。さっぽろ的線の細さがない。やはりオホーツクだなあ。描く素材は都
市の風景が多いと思うけれどその都市を咀嚼する感性の歯は産まれた所の強さ
を感じる。本人は多分そこを意識はしていない。網走から札幌、札幌からニユー
ヨークと生活の場は変遷しているが都市を見る、都市を咀嚼する歯茎の強さは
彼の生まれ育った原風景のものだと思う。色彩そして線にそれがある。聞くと札
幌で知り合った人になにか自分と違う柔らかさ弱さのようなものをしばしば感じて
いたと思い出すように語った。8月村岸追悼展の後是非個展をという話になった。
楽しみである。これも今も続く村岸さんの社会的生の影響である。もうひとり7月
個展予定の後藤和子さんがその後来た。青を基調に抽象を描く作家で日の一番
長い7月に自然光の中で青を見せたいという願いがある。電気の光はどうしても
青を平板にする。自然の光は青の深みをそのまま導き出してくれる。青のカテド
ラル、青の伽藍。それが彼女のこの会場に賭ける思いなのだ。話していると今コ
ンピユーターで動画をしていると言う。へえ~と思いふっと東京の石田尚志さんの
現在横浜美術館でしている個展の資料一昨年のテンポラリーでの個展の資料と
かを見せる。後藤さんも興味を惹かれたようで帰ったらメールに添付して自分の
映像も送ると言って帰った。今日初めてその映像を見たが青の形象がその濃淡
の中で海のように空のように自由に動き重なり消えて湧き上り後藤さんの新たな
展開が新鮮だった。ああ、これを自然の光の濃淡のなかで意図しているのだなと
思った。陽光が燦々とそして翳り午前から午後の光の傾斜のなかで刻々と変化
する青の変幻。後藤さんが志す透明な青の呼吸。その一端を垣間見た気持ちが
した。オホーツクの天地の構成力そして北の深い透明な空気と水の青。いい7月
いい8月となる。文化の表現の国造りがここにはある。

*斎藤周展「3月の次から」-25日(日)まで。AM11時ーPM7時
*福井優子作品展「春を灯すキヤンドル」-3月27日(火)-4月1日(日)
 AM11時ーPM7時(最終日午後5時から佐藤歌織ピアノライブ)
 於テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8北大斜め通り
 tel/fax011ー737-5503
[PR]

by kakiten | 2007-03-23 13:16 | Comments(0)
2007年 03月 22日

病んだ韋駄天ー春のにおい(32)

春分の日早めに家を出て札幌市資料館でライブドローイング中の藤谷康晴「呼
吸する部屋」展を見に行く。ぬかるむ道。暖かな陽射し。しかし息が切れる。肺に
きてるなあ。ふっとかって<・・中森さんの暴力的韋駄天歩きの案内で息を切らし
てたどりついた夜の鬼窪邸の風景がシンと音もなくうかんできたのだ>と書かれ
た林美永子さんの文章を思い出した。一緒に雨竜沼に登山した時も怒られたな
あ。早過ぎると言って。雨気味の日で途中ゆっくりとご夫婦で風景を楽しみながら
歩いているふたりに会った。後で山小屋でそのおふたりに会った時”あんたみた
いな人が昔いたよなあ、韋駄天って仇名つけてたよ”となにか懐かしむように語り
掛けてくれた。早飯、早足の癖は今も直らないけれどAさんの玄米食や気管支炎
の息切れの経験を通して学んだ事はあるのだった。資料館に入り2階の藤谷さん
の部屋を見る。まだ誰もいない。作品は窓口に向かって龍のように左右に伸びて
いた。うちでした時と比べてドローイングの線が動物的だ。前は同じ生命体でも
より植物的だったが今回のはより獣的である。環境の違いもあるのだろうか。ある
人が今日訪ねて来て手塚治虫の火の鳥を思い出すと言っていた。生命の死と再
生を藤谷さんの描き続けている間感じていたというのだ。この人は1日初日のライ
ブドローイングに立ち会っていた人で自らも絵を描いている。またある人はドロー
イング中お喋りをして気になるとたしなめられた。前テンポラリーでした時は何も
言われなかったと言う。これも場の違いだろうかと感想をもらしていた。今回藤谷
さんは相当気合が入っている。そして内側から溢れるままにひたすら描いている。
描いている間幾つもの生と死を見たという実感をもった人の感想にそれが現れて
いる。まだ最終日まで3日間ある。また描き足されていく。どうなるか見に行かね
ばならない。酸素ボンベを持って上木章一さんが来る。ガンだと言う。でも至って
元気だ。なにか吹っ切れたのか明るい。長年営んだ歯科技工士を辞め今はギヤ
ラリー巡りの毎日。自らも実用でない造形に長年修練した技術を活かして挑戦
したい気持ちが大いに蠢いているのを以前から感じていた。是非挑戦して欲しい
と話した。長内留美さんが自作のCDを持って来る。ギターの弾き語りのライブ録
音だった。何故か孫のような長内さんと上木さんが話し込んでいる。細密な実用
の技術の人が非実用の作品にその技術をもって今何ができるか70を過ぎた人
の挑戦する気持ちに年齢は関係ない。技術一本で生きてきた人の人生最後の韋
駄天の走りを見てみたい。
[PR]

by kakiten | 2007-03-22 18:22 | Comments(0)