テンポラリー通信

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2006年 12月 31日

青い空広がるー函となって溢れる(21)

拭ったような青空が広がる。風も無く淡青色の空が心地よい。陽が燦々と射して
キラキラとしている。野上さんはギヤラリー泊まりで最後の作品の仕上げに入っ
ていた。昨夜は看板の半分を酒井さんと仕上げる。今日は残り半分を訪れる人
達と刻み込む。元旦に看板を掲げる予定。旗が立つ。ひっそりと低空飛行で出発
したこの場所。みんなの一鑿(のみ)で今日旗印を作る。今日の空のように澄んで
柔らかい風が立つ。朝11時てん刻と彫刻のライブが始まる。石を彫る音。木を削
る音。暖かい陽射しの中に響いている。今年一年を穿つ。刻む。削る。押し迫り露
わになるもの、押し迫り顕わになるもの、いいもの、いやなもの、すべてを篭めて
ここで打つ。テンポラリースペースの除夜の鐘。もう始ったのだ。今日1日の点鐘
。’06年から’07年へ。

*この一年ブログをお読み頂いた方々、時にお見苦しい記述もあったかと思いま
 す。お詫び申し上げます。どうぞいいお年を!

*年越し彫刻/てん刻ライブー野上裕之・酒井博史於テンポラリースペース
 本日AM11時ー元旦未明まで。
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by kakiten | 2006-12-31 12:24 | Comments(0)
2006年 12月 30日

驟雨あれば驟雪ー函となって溢れる(20)

朝,細かい雪が降っている。驟雨があれば驟雪。細かい雨のように細かい雪。
気温が下がっている。冬らしくなってきた。ギヤラリーへ行く。雪跳ねをする。大家
さんに年末の挨拶をする。遅滞気味の家賃の言い訳もする。この半年よくして頂
いた。甲斐性のない自分を恥じる。来年はもうここに住もうかしら。歩くのはいい。
しかし寝るだけの円山は無駄な負担が増える。さっぽろ三代の仏壇背負ってお墓
を守りしかし仕事はもう三代に関係ない私の志こと。その罰も受苦しているのかも
知れない。同じ職業を維持する事もそれはそれで立派な事だ。そういう経験ももう
してきた。工藤昌伸さんの「いけばな文化史ーいけばなと現代」にも記載されてい
る。自慢じゃなくて事実。しかし自ら今選んだ事はもっとさらに開いた世界に自らを
晒す事。自分の生まれた天地に素直に目を向け生きる事。まるごとさっぽろを生き
る事。裸の自分である事。そんなお題目はしかし社会の枠組みでは何ほどのもの
でもない。職が職として自立しなければただの念仏。一職業人の片隅にも置けな
い。ただの変人。闘いつつ一点突破。そう意志して行動してきた。それが今の位
置。もう守る位置にはいない。守るものは捨てた積り。いい歳こいて青年の自分が
いる。遠回りしたのか、いや違う。本当の自分が出てきただけ。まるで無器用にお
ずおずと無愛想なまま剥き出しのままだ。ナルシスなのか。それだけではない。
断じて。驟雨あれば驟雪。心にもにわか雨、にわか雪が降っている。濡れたり積
もったり。揺れる年の瀬。外へ出て冷気を胸いっぱい吸う。雪止み陽が射す。

*野上裕之展「NU」-1月14日(日)まで。AM11時ーPM7時月曜休廊
*年越し彫刻/てん刻ライブー野上裕之・酒井博史ー大晦日~元旦
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by kakiten | 2006-12-30 12:22 | Comments(0)
2006年 12月 29日

NUの位置ー函となって溢れる(19)

功なり名を遂げた友人には鼻であしらわれ、親戚は哀れみの眼差しで丁重な拒
絶だった。埼玉の妹が援けてくれた。分かってはいた。遠くからでも見ている人が
いる。それはたんに肉親だからと言う訳ではない。仏壇背負って兄貴が苦労して
いるのを兄妹だからすべて同じに理解と言う訳ではない。近くの者より遠くの人が
見ている場合もある。心の位置の問題。仏壇背負って難民。何も無い兄貴です。
いくらぬるい冬でも年末は年末。人の世の社会の維持装置はきっちりと締め付け
てくるのだ。野上さんの案内状を酒井さんが印刷してくる。その案内状のタイトル
「NU」に酒井さんの活字で野上さんがハンマーで印字している。MONUMENT。
MOMENTの真中にNUが位置するとMONUMENTになる。記憶がモニユメント
になる。記憶を彫刻しモニユメントを創る。今回の個展のコンセプトを表す。記憶を
繋ぐNUだ。印刷されたNUの両脇にMOとMENTを印字していく。ハンマーの音
がギヤラリーに響いている。尾道の古民家プロジェクトもその家が立ち退きの問
題が出てもめていると言う。そこで継続中の仕事を不動産の経済の問題と闘い
ながら野上さんの現在がある。古民家の再生と経済効率のニユーハウスのせめ
ぎあい。そこに文化の軸と経済の軸のモメントがある。そのせめぎ合いから彼の
彫刻が生まれればいい。彼の人生上のモニユメントがきっとできるだろう。ここで
の仕事はその延長線上に在る。正月過ぎて再び尾道の修羅へと戻るのだ。状況
は異なっても文化を軸にした闘いは同じだ。擦り寄ったりはしない。もうすぐの大晦
日の祭りまで我々の個展の時間は居住い正して続いていく。深いこの一年の眼差
し。Mよ、Iよ、俺等は生きて、生きて言葉を刻み、音を刻み、木を刻む。生きる瞬時
を記録していく。nu、nu,nu、、。

*野上裕之展「NU」ー1月14日(日)まで。元旦(月)8日(月)休廊
 AM11時-PM7時於テンポラリースペース北区北16条西5丁目1-8
*年越し彫刻/てん刻ライブー野上裕之・酒井博史於同所元旦未明まで。
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by kakiten | 2006-12-29 12:22 | Comments(0)
2006年 12月 28日

雪浅く水澱むー函となって溢れる(18)

ぬかるむ道。雨の後の変な年の末。心もぬるい。きりっとした雪が欲しい。青空も
凛として欲しい。なにか世間の人がみな自分より立派に見える。最低の自分に思
える。下げる頭もなくトンボのちぎられた胴体みたい。消去法の自分がいる。何が
残るか。痩せた志(こころざし)。天候に合わせたようなぬかるむ自分がいる。
野上さんはさすが疲れたのか今日は遅い。酒井さんは大晦日のてん刻ライブに
向けて気合が入っている。野上さんとのコラボレーシヨン。ハンコの刻印と彫刻の
刻印。素材の互換。彫る事の共通性だけは同じだが目的の違うふたりの不思議
な意志の交感。何が生まれるのか。ここでしか出来ない仕事があるのはいい。私
はその場を作りつづけていく。そして人の心の花に逢う。向かいのビル解体で地上
が揺れる。学生用の新たなマンシヨンにする為古い建物が解体されている。花器
店時代の古いお客さんが訪ねて来た。売る物はもう無い。そう、売る物は無い。福
島泰樹の短歌風に言えば”男は秋を売る”まずい。また落ち込みそう。雪浅く命薄く
硬質なものが脆くなっている。ちぎれそうになって心の低空飛行が続く日。
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by kakiten | 2006-12-28 14:01 | Comments(0)
2006年 12月 27日

ひょっこり集まって初日ー函となって溢れる(17)

二体目の作品が出来上がり一気に緊張感が増す。素朴なジャコメッテイが夕刻
の照明になるとまた別の顔になる。線材を束ねた上部が額のように彫刻され顔が
浮かび上がってくる。もう一体の新たな作品は束ねられた線材が上で開かれ五本
の指、手のように拡がって影が映っている、少しずつ作家の意図が見えてくる。も
う一体がまた置かれて場の空気はさらに凛としたものになっていくだろう。テンポラ
リースペースの板看板を窓際に設置していつでも彫ることができるようにセットする
。夕刻洞爺の高臣大介さんから電話がきてこれから行くと言う。美術家のSさんが
ビールを持って来る。教育大の野上さんの後輩Oさんが来る。友人のYさんが来る
。大介さんも到着する。そこへ久し振りの野上さんの親友千葉有造さんが来た。黒
のソフト帽をかぶり黒のラメぽい上下の背広イタリア製の金のシャンパン入れを携
え横山やすしみたいな狐メガネ、そして鼻の下のちょび髭。いやあ、千葉君だあ。
途中地下鉄の中で座ったけれど左右の人は自然に立っていなくなったと言って笑
っていた。”降りたのでなく立っているんだよ”それ位なんともど派手な長身の千葉
ちゃんだ。野上さんと千葉さんはほんとにポン友で学生時代からいつも一緒だった
。最初会った時”男宝塚だね”と冷やかした事がある。こうして久し振りにふたりが
揃いワイワイ喋っているのを聞いているとボケと突っ込みのヒロとユウゾーという
漫才コンビが成立しそうだ。大介さんが看板を彫りだし職人の心に火が点いたの
か夢中になりだす。遅れて来た酒井博史さんも負けずにハンコ屋の魂に火が点き
彫り出す。学生の彫刻科在籍のOさんも彫り出す。みんながそれぞれひと鑿ずつ
彫り表に掲げる看板が出来上がっていくのだ。酒井さんがお爺さんかお父さん時
代の大きな石を持って来た。これに印を彫り書の落款のように最後に印を押す。こ
の彫りも大晦日の晩に野上さんと酒井さんのてん刻ライブの一環で行う予定だ。
あっという間に地下鉄の最終時刻が過ぎて歩いて帰る。外は生暖かく十二月の末
とは思えない。ぬるい空気、ぬかるむ道。そして今日は雨。昨夜のひょっこりオープ
ニングの熱気とはまた違う熱の、ぬるい地球温暖化の暖かさだ。徹夜と半徹夜の
野上さんかったるそうなので肩の指圧をしてあげる。血が通い元気になる。そして
鋸を取り出して仕事始める。

*野上裕之展「NU」1月14日(日)まで。休廊日元旦(月)と8日(月)
 AM11時-PM7時於テンポラリースペース北区北16条西5丁目1-8
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by kakiten | 2006-12-27 13:35 | Comments(0)
2006年 12月 26日

野上裕之展ー函となって溢れる(16)

昨晩から徹夜をして会場で野上さんが作品を作っている。尾道から持参した線木
を束ねて固定し彫刻して立ち上げている。床板の木の質感と一体化して作品が広
がっている。従来の吊った作品、壁の展示と違ってより床と世界が繋がって見える
。その分空間が地から一体化してくる。ここ半年見ていてこの空間がひとつ、いち、
にの、さんにきているのを感じる。場と作家の表現するタイミングがフイットして在
る。野上さんの札幌を発って尾道での古民家プロジェクトそしてメキシコ、途中の
友人の不慮の死等の時間の流れの中で今さっぽろで個展をする事の意味が深く
場と関っているからかもしれない。昨日歩いた命薄い街。そこを支配する金銭の
原則にここも無縁ではないが命は濃いのだ。その命の闘いを野上さんもまた尾道
で闘い、私もここで闘っている。高臣大介さんのガラスの房々、村岸宏昭さんの
白樺、藤谷康晴さんの都市の凝視、吉増剛造さんの石狩河口の咀嚼、酒井博史
さんの「フアイト」絶唱、阿部守さんの素材と水の原風景。いずれもがこの場でゆ
らめき、吊られ、雫となって時間を刻んだ。しかし床から立ち上がる野上さんの作
品はまた一味違った世界を構築しつつある。尾道の古民家で使われていた木材
という素材の性もありここの五十年近い古民家と素材の点でもお互いが呼吸しあ
っている。細めの線木が束ねられて素朴なジャコメッテイのように立っている。まだ
一体だけだがこの後増えて三体がたつと言う。正確なコメントは全部出来上がって
から書いていく。命薄い街の影響で心萎えがちな日々に私の呼吸もいち、に~の
さんと頑張る。年を超えさっぽろの熱い虹がここから架かっていくだろう。そう思い
作品を見詰める時間が始っている。

*野上裕之展「NU」-1月14日まで。AM11時-PM7時(月曜定休)
 於テンポラリースペースー札幌市北区北16条西5丁目1-8
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by kakiten | 2006-12-26 12:20 | Comments(0)
2006年 12月 25日

顔のない街ー函となって溢れる(15)

高臣大介さんの個展を見に都心のギヤラリーまで歩く。南円山から段々と街に入
る。石山通を過ぎたあたりから馴染みの風景が異変している。見知っている建物が
ない。横文字の名前が多くなる。グラビア雑誌を見ているようだ。読めるけれど記
憶に残らない。顔が見えない。新開地のようだ。11時半ころギヤラリーに着く。開
いていない。今日は休みかしら。しばらく待ち諦める。三越前を通り大通り道庁前
を抜ける。道庁の前の通りは旧庁舎内で記念のプレートが数枚ある。レンガが基
本の道路、建物。風景の殻が出てきた。近代の初め。庁内の樹が大きい。泉池も
ある。皮が出てきた。古い泉の跡伊藤邸を横に北大の敷地を抜ける。この歩きは
そのままさっぽろの近現代の時間軸の旅でもある。都心には噛み締める風景は
ない。生クリームみたい。ふわふわして一度口に入って消える。値段あるけど顔
がない。グラビアの印刷された街。人は希薄で物が主力。そりやそうだ。でもそ
こで生まれ育った人間には人と物が建物と一体に見えた時が在った。鶴岡学園
の古い洋館風の家は何やらという飲食店か普段着屋。ふっ、普段着という言い方
もないか。ブテイックと言うほどオシャレでもない洋服雑貨店。これもなにやらの
横文字。平野タバコ店、河関鞄店、名前忘れたが記憶にある店。みんなもうない。
西創生小学校は化粧品みたいな名前になってモダーンな建物になり何とかセン
ターみたいだった。こう書いていてやたら名前が記憶されない。なんとか、なにや
らとしか思い出せない。マンシヨン、ホテル、ショップと同じような辞書片手に訳さ
ないと判らないような名前が多いからだ。英訳仏訳独訳伊訳これぐらいは必要
だろなあ。北一条通り駅前に北海道神宮の碑が建っている。ここより28町と書か
れていた。そうか、神宮までここが表参道の始まり。この文字が妙に新鮮だった。
ちょこっと風景の殻がある。大介さんのガラス白いキューブな空間で外から覗い
た限りクリスマスイブの残りのケーキを声出して売っている街の風景に似合って
いるかも知れないなあ。でもそこに氷柱も雪も感じられない。透明なガラスの質
感は人工的な白に吸収されていそうだ。光の雫がない。照明があるだけ。まあ売
れればそれでいい。余計な感想だ。今晩から野上裕之さん展示に入る。昨晩松
田泰子さん来てギヤラリーの看板下書きしてくれる。そこに会期中みんなで彫る。
最後は酒井さんの作ってくれた印鑑で締める。松田さんは界川游行の時にも道案
内の看板を書いてくれた。ポップ屋さんで今はコンピユーターに仕事が喰われ苦
労している。でも気持ちの明るい素敵な女性だ。今回もお世話になる。

*野上裕之展「NU」
 12月26日(火)-1月14日(日)月曜定休日
 am11時-pm7時於テンポラリースペース
 札幌市北区北16条西5丁目1-8
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2006-12-25 14:20 | Comments(0)
2006年 12月 24日

真っ白な雪世界ー函となって溢れる(14)

一夜あけるともう真っ白な銀世界。一面白い闇のカーテンが降りてくる。ドカ雪だ。
早目にギヤラリーへ向かう。着くと岡和田さんがもう雪掻きをしていてくれた。会場
に入ると雪明りに作品が浮き上がって繊細だ。心象の線がもつれほぐれ横一線に
並んでいる。映像を志す岡和田さんの残像のようなスケッチ。カメラが揺れ光が尾
を曳く。その光の揺れた動き、揺らめきそのままが描かれたような瞬間の定着だ。
言葉にも抽象にもならないもっとプリミテイブな発光のような弱い微かなもの。きっ
と実際に映像を取る時に撮影する前の呼吸の脈拍の心の律動を顕せばこんな線
が戸惑ったり決意したりするように心電図のように見えるのではないだろうか。
今日1日雪の光の中で作品を書き続ける。地上に静かに降る白いものそして地上
から反射し上に昇っていくもの。その中で描く。音も雪に吸われ空気も雪片に抱か
れ閉じられていく。彼のナイーウな20代が純粋に見詰められる自分の白い時間。
どう今日一日で完成するのだろう、結晶するのだろう。私はただ待ってそれを見る
積りだ。十勝の雪とは違うなあと問わず語りに呟いていた。円山とも違うよと私が
応えた。会話になっているようでなっていない会話。深々と降る柔らかな雪。音は
ない。風も無い。また何度目かの雪はねに出る。隣の家の人がもう朝から何回出
たかなあと話し掛ける。いっぺんにくるもなあと笑って言う。石狩さっぽろの冬。
吉増さん、ささやかな石狩人の独り言です。工藤さん、津軽の湿め雪とは違うでし
ょう。ウぷンー吹雪。うぷーしらこ。白濁した雪の宇宙。天地。面で捉えた雪。粒で
捉えた雪。ウぱシー雪。かけつこする雪。あ!日が射してきた。真っ直ぐな光燦々
と降る。岡和田さんとうとう撮影をしだす。映像を撮りだす。いいね、本領を出して
きたね。また陽が陰る。この光のうつろい。岡和田さん、絵そのままではないです
か。波長が合ってきっとたまらず彼は映像を撮り出したんだ。いい個展になりまし
たね。あなたの函が、函が溢れ出しましたね。
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by kakiten | 2006-12-24 12:01 | Comments(0)
2006年 12月 23日

グラヌールの夕べー函となって溢れる(13)

岡和田直人さんが来る。帯広の実家に居たようだ。個展タイトル「ME・TOO」私も
またという所だろうか。今晩展示。ほどなく野上裕之さんも来る。昨夜遅く小樽に着
き個展準備に入る。東京今城恵子さんから電話。今晩帰京。夕方寄りたいと言う。
相変わらず忙しい人だ。今晩は吉増さんの対話がある。間に合うかしら。そうこう
しているうちグラヌールを出版している石塚純一さんと吉増剛造さんが来る。吉増
さんはここが初めて。玄関のガラス越しに手を振っている。懐かしや、一年ぶりだ
。中に入り、じっくりと12年前の「石狩シーツ」自らの草稿を見ている。字が今とは
違うと言う。さらに奥のカフエに入り以前のスペースから剥して持って来た壁に書
かれた作家のサインを見せる。作家の棚のカタログの後ろにそれはあるのだ。何
故か吉増さんのサインは今まで無く奥さんのマリリアさんが書いていた。今回いい
機会なのでサインをして頂く。これで前のスペースの壁の記録は壁に刻まれ完成
。午後6時グラヌールの夕べ吉増・工藤対話に行く。今城さんは来ないので残念。
会場はほぼ満員。中村達哉さんの舞踏が始っていた。人の後ろで見ずらい。踊る
舞台の設定をもっと考えて欲しかった。対話用の設定は一方向に向いているが彼
の踊りはもっと螺旋形だ。対話が始る。15年ぶりのふたりの対話という事でエール
の交換がある。その辺から津軽の話ロシアの話と繋がって話は進む。今回の対話
の白眉は吉増さんの映像だった。以前お招きを受けた時見たまいまいずの井戸ー
横田基地近くの螺旋状に下りて行く古代の井戸の映像とパリ、エッフエル塔の映像
だ。風景を咀嚼する眼。噛む音まで聞こえてくるようだった。印象的な一言があった
。”ぼくは横田基地の子、その風景の重みをやっと取るようにその下の風景を見る
ことができるようになりました・・・”という言葉だった。風景の玄米を咀嚼する。やっ
ぱりそうだなあと思っていた。工藤氏との対話自体は予測通り津軽の方に拉致さ
れロシアへと越境していった。そうすると吉増さんも奥多摩、横田基地のペースか
ら博学の部分で東北学へとスライドする。でも初めて披露された映像は良かった。
これが救い。終わって乾杯の時しつこく吉増さんに呼ばれる。音頭をとれという事。
ちよっと溜まっていたものがあったので風景の玄米の話と冒頭に津軽人、奥多摩
人でなく私は石狩人としてさっぽろで構築していきたいという事を話した。森鴎外が
遺言でお墓に石見人森林太郎として墓碑銘を指定したように明治の政治経済が国
内の一国グローバリズムを推進していった時敢えて鴎外がインターローカルな石見
人とした視線を意識しての事であった。さっぽろも北海道の各地ももう一度十勝の
国。空知の国、後志の国という文化の個別性に立って工藤氏の津軽、吉増さんの
多摩にあたるものを意識化し自立させないとただお話を伺うだけのサロン的場しか
作れないのだ。それが嫌だった。まあ乾杯の前の話なので思った事の半分も伝わ
ったかどうか分からない。しかしまあ、吉増さんには届いていたようだった。二次会
でもご機嫌だったから。帰りは工藤氏が彼の車で送ってくれた。車中吉増の石狩シ
ーツに呼応する自前の作品が今だもって現れないさっぽろは駄目だというような苦
言を語っていた。

*岡和田直人展「ME・TOO」23,24日am11時ーpm7時於テンポラリースペー
 ス 札幌市北区北16条西5丁目1-8
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by kakiten | 2006-12-23 12:45 | Comments(0)
2006年 12月 21日

寄せては返す年の波ー函となって溢れる(12)

天気がいいので歩く。南円山を下りミニ大通りから桑園北大苗園を抜け歩道橋を
渡り銀杏並木に至りテンポラリースペースに着く。昨夜来気持ちが萎えていたの
で歩きが気分転換になる。今年ももう残り少なく追い詰められる事ばかりが多い。
社会的生存条件が厳しい。でも負けたくない。困って頼むのは辛い事だ。その事
で揚げ足を取られたくはない。この濃い半年を思う。さらに以前の場所を去った半
年がある。この一年の寄せては返す波のような時間が荒波のようにある。基本に
おいて間違ったことをしている気持ちは無い。ここで始った美しい時間が年を跨い
だ野上裕之展まで続いているのを感じているからだ。ギヤラリストという言葉で次
回岡和田直人展のコメント不足を指摘する投稿があったが今だタイトルも未定の
作品展について事前に語ることはできない。またギヤラリストという言葉をどういう
意味で使われているのか知らないが私はこのブログの小タイトルのようにギヤラ
リーを函として位置付けその函から溢れるものに立ち会う者をギヤラリストと思っ
ている。事前の解説はできればしない。作品に立ち会って言葉を発したい。岡和田
さんは映像作家の大木裕之さんとともに一昨年知り合った若い人である。作家とし
ては未知数で生き方もこれから開いていく人である。今回の展示は彼なりの決意
があって申し込み敢えて野上さんの直前を選んだものと思う。それは野上さんとと
もに見てみなければコメントなど出来ない。たった2日であっても彼の想いは深く
伝わってきたのだ。尾道で野上さんとともに古民家プロジェクトに関り故村岸宏昭
さんとも四国で一緒だった人である。何かが作品にきっと篭められて出てくる。それ
以上はコメントできない。展覧会をすると決めた気持ちに今は岡和田さんのすべて
がある。どうぞまず見てあげて下さい。岡和田さんに事寄せて私への批判がある
のであればそれはそれです。
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by kakiten | 2006-12-21 13:03 | Comments(0)