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2006年 10月 30日

血圧上昇そして歩くー内海真治展(8)

尾道にいるN君が酒井さんのブログに呼吸も言葉も喪失のような事を書き込んで
いた。メキシコから帰って張り切り12月のここでの個展にやる気満々と思っていた
が、本人からもそのように帰国早々の便りがあったのだが現状は大分違っている
らしい。これって過剰な時に陥る血圧みたいなものだ。内部で熱く渦巻くものが出
口を求めてのた打ち回っている。しかし出口は細く塞がっていている。頭はぼ~っ
としイライラする。言葉を発する気もなくなる。いっぱい言いたい事はある。しかし纏
まって整理はされない。過剰なのだ。内側が過剰になっているのだ。こんな時はひ
たすら歩く。歩くと次第に過剰な部分が矯正され全体が回復してくる。身体も心も同
じである。身体の肩や腰にあたるものが心にもある。一部分に偏っていた過剰なも
のが全体の一部に還元される。要するに基に戻るのだ。恋みたいなものかも知れ
ない。心の高血圧なのだ。自分がそうだからこれってほとんど最近の自分のこと
。昨日は完全にクリストの講演の後のKさんのご招請の夕食会で自己紹介を二分
と指示され考えていたら物凄く頭がぼ~っとしてきてこれはヤバイと思った。過剰
になったのである。言葉の出口が細くなったのだ。知らない人の前で喋るという緊
張と苦手意識。でも何かを沢山伝えねばという過剰なる思いが血圧を急上昇させ
た。それに近いものをN君の個展前の心理状態に見たように思えた。そして今日
は自転車を捨て歩いたのだ。1時間以上歩いたらすーっとした。囚われていたの
だなあ。今朝内海さんの顔を見たら本当に森の人に見えた。この人は淡々として
自然体。特別な素材はひとつも使わずホーマックあたりのどこでも売っているよう
な素材でホッホーッと自分の世界を造っている。この界隈の食堂に毎日昼出かけ
”まあまあでこれがいいですね”と食べ歩いている。”この何処へいってもまあまあ
が素晴らしい”と言う。共感する事大であります。まあまあとは言葉を代えて言えば
日常という平穏である。心も体もまあまあと言う平穏、これを侮ってはいけない。曖
昧という事では決してないのだ。

*内海真治展「ブループラネット」陶画・ガラス画・オブジェー31日まで。
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by kakiten | 2006-10-30 12:26 | Comments(0)
2006年 10月 29日

雪の虫、森の子供ー内海真治展(7)

もう空気に雪の匂いがするとある人から聞いてからいまだ私は見ていない雪虫の
姿まで内海真治展の時間が過ぎていく。外は寒気が日々増しているが会場の室内
は小春日和のように温かである。今回の為に創られた木の人形たちがほにゃリと
した顔で佇みステンドグラスのどこか稚拙な切り口も陽光に輝いて暖かいのだ。
昨日来たMさんがブログに私までまあるくみえると書いていた。普段そんなに尖っ
ているのかなあ。まあ、まるくはないけどね。内海ワールドという事ですかね。及川
恒平の「冬のロボット」を流す。透明な声、澄んだ空気、束の間のような秋の陽光,
陽だまりの時間が光の影の変化とともにぽっと羽を休めている。急にトンボを見た
くなった。以前石狩に車でフエリーで渡り若生のあたりでフロントガラスにばんばん
ぶつかる程トンボがいたのを想い出した。最近はそんな光景に会わない。ちよっと
した水溜りにも対のトンボがチヨンチヨンと尾を水に点けていた。内海さんの作品
世界にはトンボも似合う。来週からボーフオー島に旅立つ彼自身がトンボのように
現世を処して生きているのかもしれない。どうしても連れて帰りたかった子〈作品)
がいましたとある人からメールが届いていた。きっと秋の陽だまりなのでしょうね。
真っ白い雪の世界の前の暖かな色彩の束の間の万華鏡。それが森の子供の形
をして立っていたから。

*内海真治展「ブループラネット」31日〈火)まで
 AM11時-PM7時
 札幌市中央区北16条西5丁目1-8
 tel・fax011-737-5503
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by kakiten | 2006-10-29 13:18 | Comments(0)
2006年 10月 28日

雪虫の通り道-内海真治展(6)

雪虫を見ないと書いたら見たという人と見ないという人が半々の反応があった。私
の歩く道が昨年と違うのもあるし途中大きなマンシヨンが建設中で環境の変わった
性もある。円山はそうなのだがそれからは自転車で通うので道が違う性もある。い
つのまにか雪虫の通り道から離れていたのかも知れない。石狩の望来近くに住む
中川潤さんも今年は雪虫を見ないと言った。やはり今年は去年より発生が少ない
のかもしれない。雪虫の通り道からも外れ淋しい事だ。昨日気功の熊谷透さんが
来た。やっとキノコの妖精ふたりのご対面である。そのうちsichihukuさんこと佐藤
久美子さんも来る。こちらは以前からの知り合いで三人でワイワイとなった。若いほ
んとの妖精が来た性かキノコのふたりの影が急に薄くなった。新しくギヤラリーを店
内に設けたつきや書店の小杉山竜一さんも来て来週から始る八木保次展の案内
状を持ってくる。熊谷さんとは前の店の閉店近くふたりでスネークダンスを踊り盛り
上がった事があった。それ以来である。あの時は白樺の精が朝現れたとか話題に
なっていた頃で熊谷さんが白樺の木に何度も登って雪の上に滑り落ちた。冬真っ
只中から今は冬の入り口。人の集まり、人の通り道は途絶えていない。だから雪虫
の見られないのはまあいいか。でも雪虫の性ではないが体調はいまひとつだ。でも
この日は少し眠れた。土、日曜日は病院が休みなので月曜日に行こう。なにか内
向きな日が続く。今日はお昼にやはり妖精系のIさんとMさんが来た。ふたりは最
近いつも一緒に歩いて写真と詩を綴っている。内海さんも嬉しそうでひょいひょい
と話が跳んで少年のようだった。その後訪問者が続き私は二階に上がりブログを
打つ。しかし集中できない。そのうち頭がぼ~っとなり横になる。花田和治さんも来
て明日のクリストの講演とレセプシヨンの出席を打ち合わせる。その後Kさんの集ま
りにもふたりで出席を招請されている。その事でKさんから電話とファクスが入る。
なにかそれらが集中的にくる。花田さんと内海さんが話しこんでいる間再び休む。
白鳥・平野展と八木保次・伸子展も見に行かなくっちゃならん。会期が同じでどこ
かで抜け出して行こうっと。国松明日香さんが挨拶にきてくれた。佐佐木方斎展見
て欲しかったなあ。
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by kakiten | 2006-10-28 14:49 | Comments(2)
2006年 10月 26日

雪虫を見ないー内海真治展(5)

昨年は沢山見た雪虫を今年は見ない。篠路の方で見たという人もいるが他で見た
話を聞かない。でも一気に寒気が増している。いつのまにか喉にきて気管支炎が
再発したようだ。喉元を暖める為セータの下に襟のあるシャッを着る。疲れは弱い
所に出る。去年は雪掻きの時息が切れ力がでなかった。血圧もあって喉から血が
出た。今年も似た感じ。秋深まるというより冬の入り口。ギヤラリーに射す陽射しが
低い。夏の、部屋一面キラキラした陽射しはもうない。自然の移り変わり、季節の
異国冬の入り口を実感する今日だ。内海さんも早々にして砂川へいつもより早め
に帰る。こういう日は心内向き。明日か明後日病院へ行こう。
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by kakiten | 2006-10-26 17:41 | Comments(8)
2006年 10月 25日

個の旅・集団の旅ー内海真治展(4)

内海さんからツアーのサイトシーイングの話を聞いていてふっと修学旅行を思い
出していた。行った記憶はあるけれど風景が断片的で想い出すのはフトンの上
で枕投げをしたとか夜汽車の窓から覗いた眠れぬ夜の風景とかなのだ。今時は
飛行機が主だろうし枕投げの大部屋もないだろうから思い出すことも違うかもし
れない。ただその後同じ場所を一人で旅した時の事は風景も道もくっきりと記憶
にある。昨日皮肉交じりに書いた「FIX・MIX・MAX!」という現代アートのイベント
はその修学旅行、ツアーを想起させるのだ。道立近代美術館を主たる会場にして
各地各場所で賑々しく行われるこのアートイベントはチラシに見る限りアート城下
町の若人版のようで個々の作家にいかなるテーマを提示しようとしているのか不
明瞭である。いかにもヤングの女性がふたり大笑いしているデザインもどこかの
専門学校か大学の入学案内のパンフレットのようである。細かい字で様々な情報
が裏に書き込まれているが目立つのは上部の美術館を使う出品作家のカラーの
紹介である。美術館を主体に他の地方都市、小学校、カフエ等はその下に細かく
記載されこの構造は夕張で見た住宅街の構造、上に幹部の社宅下に炭抗労務
者の住宅という構造を思い出させる。アート城下町といったのはその事を想起し
たからである。このイヴェントのねらいはチラシを見る限り若人という事だろうが
これを企画している人たちは若人と言う訳ではない。若い人たちを引率してツアー
を組むアートの修学旅行のような感じをもつのだ。美術館という権威ある学校を
背に校外に出て行く、そういう集団性を感じるのだ。個々の参加者をどうこう言う
気持ちはさらさらないが企画の構造がツアーぽいのだ。タイトルとなる「FIX・MIX
・MAX」なるものもそれってなんなのって思う。このアバウトさは個が集団にすり
換わっている曖昧さに由来する。昔流行ったコーヒーの宣伝文句みたいだ。宣伝
というのは文化的には啓蒙という事だろう。若人を啓蒙する、その場合の老若が
安易に設定される危うさはそのままある種の権威主義に直結している。集団性の
内に個の契機が見えない。大衆とかヤングとかいう構図しか見えないのだ。内海
真治さんの作品世界にはそんな構図は何処にもない。彼の旅にはツアーもパック
もないからだ。本当の啓蒙とは個々がいい仕事をする事で集団はその後に付いて
来る。その集団は時代という名前であって徒党を組む事では決してない。

*内海真治展「ブループラネット」-陶板画・ガラス画・オブジェ
 31日〈火)までAM11時-PM7時テンポラリースペース
 札幌市北区北16条西5丁目1-8tel・fax011-737-5503
 E・mail-temporary@mable・ocn・ne・jp

 
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by kakiten | 2006-10-25 12:38 | Comments(0)
2006年 10月 24日

エッヂへの旅ー内海真治展(3)

毎年今頃個展の後内海さんは旅に出る。昨年はパプアニユーギニア。今年は
ボーウボウ島へ行くという。「ボーウボウ島って何処?」と聞くと「フイリッピンの・
・・」と答えた。名前からしてなにか内海さんらしいところという気がした。パリとか
ロンドンとかでないところがいい。辺境というよりも縁(へり)という感じなのだ。そ
のエッジの処に身を置いて普段の自分を見詰めなおす、日常のふわふわした
海綿状の自分をへりから見詰め直す、そんな締め直す時間をきっと大事に考え
ているのだろうと思う。自分の立ち位置をじっと確かめる(fix)そして結合する(mix
)さらに自分自身の世界をひろげる(max)なのだ。どこやらの集団アートデモンス
トレーシヨンみたいだがそんな事を内海さんは当り前だが一人で試みている。
街へとか世界へとかいうキヤッチコピーはない。個の中で自分自身の為にそう
するのだ。内海さんのように異国という主題を日常に対峙するテーマとして作品
に取り入れる人にとっては一年の最後に行くエッジの旅はとても大切な行為なの
だと思う。異国ではなくとも自分の生きていく日常のなかでエッジを経験する事は
ある種のメリハリとして日常に流されない為にも必要な行為と思う。それは頭の問
題ではなく身体の問題に置き換えても同じだ。身体のへり、外と触れる所が活き
活きしないで命の新鮮さもないのである。観光会社のセットされたツアー旅行は嫌
だと内海さんが言う。一度どうしてもそれでないと旅費が高くて行けない場所があっ
てツアーに入ったがある面至れり尽せりで帰国した後頭にはなんにも残っていなか
ったと言う。全部説明され案内されそれで納得してしまって帰って一人になったら
体がなんにも覚えていなかったと言うのだ。設えられた<サイトシーイング>な
のだ。まあそれはそれで満足する人もいる訳でいいのだが作家が精神のエッジ
として個の旅を欲求する場合は不満足になるのは当然と思う。パックされた様々
な仕掛けが世に横行していて街も食事も交通も芸術文化すらそうである。そして
その構造が充実すればするほど世界のへり、界(さかい)は明視の翳に紛れ私た
ちにとっての異国は密かに充実しているのかも知れない。

*内海真治展「ブループラネット」-陶板画・ガラス画・オブジェ
 31日〈火)まで。AM11時ーPM7時
 札幌市北区北16条西5丁目1-8。tel・fax011-737-5503
 E・mail-temporary@marble・ocn・ne・jp
*ボーウボウ島ではなくボフオール島の間違いでした。
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by kakiten | 2006-10-24 13:33 | Comments(0)
2006年 10月 23日

異国へのラディカリズムー内海真治展(2)

ゴーギアンは保険会社に中年になる迄勤めていてある日意を決してタヒチへと旅
立ちそこで絵を描きつづける後半生を送った。その絵はヨーロッパとは異質なタヒ
チの風土に根ざした南の島の異国時に楽園のように当時の人々には感じられた
だろう。現代は交通機関の発達、情報手段の発展で居ながらにしてそうした異国
や秘境の情報が手に入りもうゴーギアンのような異国はないに等しい。ほとんどが
<サイトシーイング>になっている。サイトは個人のパソコンの世界ですらあるの
だから。なんでもどこでも見れて行けて異国も楽園も秘境も消失したかに思える。
しかしそう簡単でもないのだ。知っている積りで実は何にも知ってはいない。早い
話が自分の住んでいる所をどれほど知っているのかすら疑わしい。まして一歩外
の事ほど知らなく逆に遠い有名な場所の事ほど知識がある。そういう具合にメデ
ィアに感性の操縦器を奪われているのだ。そしてその事にすら無自覚なその度合
い程実は異国は身近にも遠くにも存在する。明知の翳に暗知が潜んでいる。サイ
トは観光会社やコンピユーターの世界が誂えた物で実に我々が本当の意味で触
れていない視界、風景(サイト)は依然として存在するように思う。内海真治さんも
またさる広告代理店に40台まで勤めていてある日すっぱりと止め陶芸の世界に
身を投じた人である。独学で追求しているその世界はいわゆる陶芸家とも一線を
画して現在あらゆる素材を用い独特の内海ワールドを創りつつある。その世界は
不思議な異国に満ちその異国は何処というものではない。西洋とか東洋という訳
でもない。ミックスされたここではない所なのだ。素材と同様造形物にも色んな国
が入っている。どこという国はない。我々の日常の逆の所にある異国という国なの
だ。日常のへり、界の国とでも言うべき異国なのだ。ゴーギアンの時代の未知の世
界が既知の世界のように拡がっている現在異国の創造はもう一度自らの手と足の
内にある。サイトと化した風景をもう一度自らに取り戻す、奪還する。異国を創造し
ようとする作品行為はそうした衝動から生まれたと思う。表面的にはメルヘンのよう
でありながらその内には異国へのラデイカリズムとでも言うべきサイト万能の現代
へのシニカルな闘いの目線があるのだ。

*内海真治展「ブループラネット」ー陶板画・ガラス画・オブジェ
 テンポラリースペースAM11時-PM7時
 札幌市北区北16条西5丁目1-8tel/fax011-737-5503
 E・mailーtemporary@marble・ocn・ne・jp
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by kakiten | 2006-10-23 13:40 | Comments(4)
2006年 10月 22日

賑やかにひょうきんにー内海真治展

飄々と現われ初日当日の展示となった。3人のお仲間が手伝ってほぼ午前中に
展示が終わった。最後に二階吹き抜けに木製の人形のようなオブジェが三体置
かれそこにブルーのライトを当て完成。日が暮れ暗くなると青が濃くなる。ブルー
プラネットのイメージである。全体は万華鏡のような不思議の世界だ。ステンドグ
ラスのようなガラス板が窓にすべて吊り下げられ空間自体が外光、内光で室内
が変化する。陶板のプルシアンブルー、作者を省略化したような顔の木の人形
、ムーミンのような人形、卵に彩色した壁掛けと作品は多彩である。お伽箱をひ
っくり返したような内海ワールドである。ここ二週間位で集中して創ったという。木
製の人形はその為かまだペンキが一部乾いていない程だ。この個展に賭けた内
海さんの集中力が嬉しかった。昼からもう人の流れが絶えない。うわあ~と話し
お茶を飲み何かを食べ人が来て去っていく。空間も人も一体になって万華鏡の
リングを廻しているような時間だ。今日は曇天で日は射さないが晴れた午後は
陽射しでさらにまた空間が煌くだろう。夕刻作品はもう以前からここに在ったか
のように会場に落ち着いた。晩秋の森の宴のように季節の空気と展示がハーモ
ニイーを奏でている。雪虫はまだ見ないけれど雪の匂いのなか夏の終わりの秋
が急いでいるなあ。

*内海真治展「ブループラネット」-陶板画・ガラス画・オブジェ
 22日(日)-31日〈火)AM11時ーPM7時
 北区北16条西5丁目1-8テンポラリースペース
 TEL/fax011-737ー5503
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by kakiten | 2006-10-22 18:02 | Comments(0)
2006年 10月 21日

雪の匂いのする日ー冬のいのり(8)

誰かが空気に雪の匂いがすると書いていた。そうだなあ、もうそんな気がする。
朝晩寒気も増した。ジョンルイスのバッハ「平均律」を久し振りにかける。冷たい
雪の匂いのする空気にピアノが暖かい。以前は午前中ブログに集中しようとして
いる時滞在中の畑間由隆さんが居て下で中島みゆきやら民族音楽のCDをかけ
気が散った。一週間近くここで寝泊りしていてやはり後半は疲れた。まあ最もお
蔭で事務所は綺麗に片付けてくれ本ひとつにもああだこうだと思い巡らす優柔さ
が省かれすっきりした。しかし必要な物を探すのに今度は苦労する。大きさで整
理されているので分類は関係ないからだ。でも綺麗なのは良いさ。後は棚を造り
分類をきちっとしたい。明日から内海真治展が始る。砂川市在住の不思議な無
国籍的な造形を様々な素材で表現する作家である。今回は藍に近い色で陶板
画・ガラス画・オブジェを展示する。タイトルはブループラネット。昨年も今頃個
展をしてその後パプアニユーギニアの旅に出た。ある年齢まで広告代理店に
勤めその後好きな陶芸にほとんど独学で習得しながら打ち込み近年はガラス
にも独特の感性で世界を広げている。素材もどんどん拡がっていって一種ジャ
ンクアートの世界でもありながら文明批評のような刺はあまりない。メルヘンの
ような幻想的なお伽話性が持ち味だ。本人もいたってぽんやりしたスナプキン
系のお人柄で森のキノコの妖精のようである。しかし時にキリッと目が光ると、
頑固な一徹さが滲むのだ。「・・・のであります。はっはっはは」と決めた後の笑
顔がいい。先日なにかの折に丸島均さんがこの真似をしたがピッタリだった。
熊谷透さんも森の妖精ぽいけれど彼は酔うともっと悪ガキ的で内海さんの方が
より大人の妖精である。ただスターウオーズのヨーダほど聖人ではない。いずれ
このふたりもそうなるのかしら、疑問は尽きない。今回ふたりが会ってどんな話に
なるか楽しみ。ここが深い森の奥のようになれば最高だね。作家は毎日来て夕刻
迄居ます。本当の妖精のような美しい方々も是非来て下さい。そして妖精には程
遠い我々にも森の宴会を楽しませて下さいね。

*内海真治展「ブループラネット」-陶板画・ガラス・オブジェ
 10月22日(日)-31日〈火)休廊ナシ。AM11時ーPM7時
 北区北18条西5丁目1-8テンポラリースペース 
  tel/fax011-737-5503
  Eーmail temporary@marble・ocn・ne・jp
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by kakiten | 2006-10-21 14:25 | Comments(0)
2006年 10月 20日

心の間隔ー冬のいのり(7)

今年五月の帰札以来ほぼ半年振りにケンちゃんこと谷口顕一郎さんからの便りだ
った。彼はドイツのベルリンに滞在していて今はアーテイストビザも獲得し彼の地に
根を下ろそうとしている20代後半の青年である。毎日このブログは向こうでも読ん
でくれているらしい。しかし彼からの便りは滅多になく今回は久し振りの便りでその
分長文で濃いものだった。昨日の引用はほんの一部だったが先ず追悼から始った
のだ。それは極めて自然で心打つものだったと私は思う。以前の場所と今ここの場
所が自然にふたりの人間が掛け替えのない様に繋いでくれたと思えた。もう追悼め
いた話はいいという向きもあるのだろうが、想う人がいる限りその人の数だけ追悼
はある。ひとつひとつ、ひとりひとりの掛け替えのなさは数量に還元出来る物では
ない。個別は数値ではない。ひとつの個別は私の中で万華鏡の揺らめきとなって
別の光を保つ。そうではなくて単調にまたかと思うのはそれぞれのもうひとつの個
別性だからそれはそれで仕方のない事だとも思う。心の間隔の問題なのだ。同じ
道を歩いていると思うか、同じ道を歩き深めていると思うか。それはやはり心の間
隔が判断する。ブログは公開性も持っているが基本的には日記である。心の間隔
をなおざりにして読者に媚びる事はしない。私にはふたりの若い人がふたつの場所
を繋いでくれた熱い気持ちに例えそれが追悼という悲しい事実を伴なっていたとし
てもその感謝の気持ちに変りはない。個展という形でふたりが表現した一回性の
燃焼は数の消費ではないのだから。場というのは限定された場所をいうのではな
い。人の志が場を創るのだ。その場が特定の場所を指すのであれば凡ては体験
主義に陥るだろう。ふたつの違った場所を志の場として共有したからこそひとつの
場のように語る事が出来るのだ。谷口さんの文章は私にはそのように感受された
。そして村岸さんの事でそのように語ってくれたのは彼だけだった。それが私にと
っての掛け替えのない個別でもあるのだ。個別という<個>は決して閉ざしたもの
ではない。それぞれが虹のように開いているものだ。<別>であっても閉じた別々
ではない。勿論未練でも喪失でもない。心の間隔が深まり触れる虹の距離なのだ


*内海真治展「ブループラネット」-陶板画・ガラス画・オブジェ
 10月22日〈日)-31日〈火)AM11時-PM7時
 札幌市北区北16条西5丁目1‐8
 tel/fax011-737-5503
 会場テンポラリースペース
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by kakiten | 2006-10-20 12:50 | Comments(2)